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異世界旅行は落ち着かない  作者: 多真樹
第二部 少年時代 一章 大平原の獣人
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第20話 決断

前回までのあらすじ。

奴隷獣人を解放した。

さてこれからどうする?

 ひと段落ついた夜、俺は星空を見上げながら、裸で手足を伸ばしていた。

 手でお湯を掻いては、身体にかける。


「ふぃ~」


 久しぶりに自作の風呂に入っているのだ。

 土魔術で内側をコーティングした浴槽を作り、火と水魔術でお湯を張る。

 あとは大自然の中、素っ裸になり、湯に浸かるだけである。


「~♪」


 前の世界の曲を鼻歌で口ずさんでみる。

 すっかり遠い過去のものとなったが、うろ覚えでも覚えているものだ。

 時刻は、みんなが飲み明かし、酔い潰れて寝静まった夜半過ぎである。


 少しひとりになって考えたかった。

 ひとりになりたかったのは、人前で泣くという羞恥プレイをしてしまったからでもある。

 マリノアによしよしと頭を撫でられ、猫ちゃんにまで心配される始末だ。

 いまになって、顔から火が出るほど恥ずかしかった。


 考えたかったのは、主にこれからのことだった。

 ボンボンに言われたように、獣人たちを解放して回るべきか。

 それとも妹や師匠との再会を優先して、西へ旅立つべきか。


 師匠には教えることはもう何もないと言われたが、傍にいて、たくさん技術を盗みたいと思っていた。

 それに、ファビエンヌとも再会を約束していた。

 もっと過去を遡れば、夜逃げしたあの頃より自分は成長したのだし、両親やナルシェの行方を探すことも始めたい。


 やりたいことはどんどん増えていく。

 しかし消化が追い付かない。

 後回しにしていいことと、そうでないことがある。

 リエラとの再会は優先すべきだし、獣人たちに関わった以上、できるだけ解放してやりたいとも思っている。

 当面の優先事項はそのふたつだ。


 今日この地点が、どちらを選ぶかのルート分岐になっていると思う。

 獣人たちは全部ボンボンに放り投げれば済むことだし、そうすべきである。

 しかし、猫ちゃんと同じような幼い獣人が無理やり働かされているのかと思うと、獣人を愛する者として見過ごせないことのように思う。

 考えてもすっぱりとした答えは出ない。

 それでも朝には答えを出さねばならない。


 俺は明日――


  ▶すべてを放り出して妹に会いに行く。

   奴隷獣人たちを解放して回る。

   本能の赴くままに獣人帝国を建国。初代皇帝に就任。


 うん、まあ三番はないよね。獣人ハーレム。

 望むところだが、いまじゃないよね。


「ふわぁ……」


 欠伸を漏らす。

 お湯の熱さがちょうどよくて、眠りそうになる。


 こんな平原だから水場は貴重で、身体は拭うだけというのが普通だから、湯浴みはまったくできない。

 俺なら体の汚れも服と一緒に洗浄してしまえるが、風呂というのは一種のリラクゼーションだ。

 最近は忙しかったから、こうして羽を伸ばせる時間と言うのは、俺にとって砂漠の水くらい貴重だった。


「~♪」


 鼻歌交じりに目を閉じる。

 平原からは、生き物の声が聞こえてくる。

 夜鳥の鳴き声、虫の囁き、風の音……。

 それらを聞きながら、のんびりと羽を伸ばす。

 タタタッと、何かが走る音が聞こえてきた。

 まっすぐに、こちらに向かっている。

 強い気配ではないので、平原の獣ではなさそうだ。

 だが、なんだろうか。


 闇に目を凝らす。

 小さな人影が走り寄ってくる。

 地面を低く、まっすぐに。

 その姿を目にとめて、俺は気を抜いた。

 構える必要はない。

 猫ちゃんだった。


「ああああああ!」


 いや、早計だった。

 叫びながら、猫ちゃんは湯船に飛び込んできた。

 着たままである。


「うおぉぉぉぉ!」


 お湯を跳ね散らしながら、ぶつかってくる。


「×〇△×□ッ! ――ッ!」


 何やら喚いているが、言葉がひとつもわからない。

 とても怒っているようだ。

 怒られる理由がわからない。

 ばしゃばしゃとお湯を跳ね散らかし、裸の俺を押さえ込もうとする。


「なに!? なに!?」


 逆に押さえ込んで、後ろから抱きしめて捕まえた。

 腕を自由にしないようにしっかり押さえつけた。


「なんなの猫ちゃん。俺何かした?」

「むがー! むがー!」


 猫ちゃんから敵意が見え隠れする。

 「フーフー!」と、威嚇のつもりか息が荒い。


「どうしたってんだよぉ、ちょっと離れたから怒ってるのか?」


 片腕で両腕を捕まえ、残りの手で頭を撫でようと手を伸ばした。

 その手に「ガブッ」と、猫ちゃんは小さな牙を立てる。

 「グブグブ」と、食い千切る勢いで噛みついてくる。

 ブースト状態の手は傷つかず、血が一滴も垂れないというのに、諦めずに幼い牙を剥いていた。


 子供ふたりでお湯が溢れるような小さな浴槽で、ずぶ濡れとなった猫ちゃんの息は荒い。

 俺は猫ちゃんの後頭部に頬を擦り付けた。

 猫耳。俺の愛すべきもの。

 猫ちゃんの頭が、ぐっと前屈みになった。


「うん?」


 それから勢いをつけて、頭突きを食らわしてきた。


「んが!」


 鼻っ柱が折れるかと思った。

 じーんと痛みが貫いた。

 鼻血は出ないが、いまのはクリティカルだ。


「んだよっ! なんで怒ってんだよ! 俺にも分かる言語で話せよっ!」

「――――ッ! ――――ッ!」


 振り向いた猫ちゃんは、暗闇の中で涙を流していた。

 意味がわからず、俺は頭が真っ白になった。

 拘束が緩むと同時に、猫ちゃんは抜けだし、振り返るなり俺の首筋に歯を立てようとして、寸止めで動きを止めた。

 「フーフーッ!」と、鼻息は荒い。


 まさかまだ貴族に操られているのではと一瞬過ったが、違う。

 だったら寸止めなんてしない。


「よしよし」


 猫ちゃんの頭を撫でた。

 最初は驚いたが、なんだかわかった気がした。

 起きて俺がいなかったから、慌てて匂いを辿ってきたのだろう。

 知らないうちにいなくなるのがすごく嫌だったのか、ツンデレみたいな態度を取られている。


「大丈夫だよ。よしよし」


 ぽんぽんと背中を叩いてやる。

 こっちは裸で、猫ちゃんはボロとローブを着こんでいる。

 猫ちゃんを抱きしめて、落ち着くまで撫でてやる。

 そのうち首から口を離し、ペロペロと牙を立てようとした首を舐めてくれた。


 とりあえず溜飲を下げてくれたのだろうか。

 まったく、猟奇的だね、猫だけに。

 うん。これからどうしようか。

 一緒に猫ちゃんを風呂に入るか。


「猫ちゃん猫ちゃん」


 声を掛けると、それが自分を呼んでいると分かるのか、猫ちゃんは顔を上げた。


「お風呂入るにはね、服を脱ぐんですよ~」


 ローブの留め具を外し、それを一瞬で乾燥させて、俺の着替えが置いてある岩の上に乗せる。

 襤褸の貫頭衣のようなシャツを頭から抜いて、それも岩に置く。

 ズボンは猫ちゃんが自分から脱いで俺に渡してきた。


 パンツは履いていない。

 獣人奴隷たちの間に、下着の概念はない――というようなことはなく、下着は奴隷の履くものではないという貴族の方針らしい。

 おかげで超乳を持つ牛系獣人のミル姉さんは、その悩ましい育ち盛りのお乳が歩くたびに弾んでいるので、ある意味ではグッジョブだ。


 こちらも、猫ちゃんの眩しい裸体が暗闇でよく見えないのが残念だ。

 今度は日中に水浴びでもしよう。

 風呂の中はそんなに広くないので、密着は避けられない。

 猫ちゃんは怒ってすっきりしたのか、狭い風呂の中で動き回っている。

 今はじめてお湯に気づいたように掬ってみたり、濡れた尻尾をいじってみたり、俺の肩に手を置いて立ち上がったり……って、前とか隠さないから、もう、ごちそうさまです。


 目の前にあるおへその窪みに、思わず抱き付いて唇をつけてみた。

 猫ちゃんはくすぐったかったのか、けらけら笑って身を捩っていた。

 もうひとりパタパタと駆け寄ってくる。

 焦った様子のマリノアだった。


「ちょっともう、ふたりして何してるんですか!」


 風呂縁に掴まって、俺たちを睨んでくる。

 もうほんと、彼女は俺たちの保護者の位置を独占してるな。

 口うるさいお姉ちゃんがいたらこんな感じなのだろうか。

 甘えん坊でわがままな妹と三人姉弟。

 うん。いいな。


「マリノアもお風呂入る?」

「入りません!」

「でも体の汚れを落とせるよ?」

「アル様の浄化で事足ります!」

「お風呂は疲れとかそういうものも落としてくれるのに……」


 隣の猫ちゃんはすっかり極楽と言わんばかりに緩み切った顔をしている。

 しかしマリノアには見えないのだろう。

 犬系獣人は夜目が利かないらしい。

 臭いを頼りに夜は動けるが、目はそれほどよくないと自分で言っていた。

 反対に猫ちゃんは、嗅覚は犬系に勝てないが、夜目が利き、昼夜どちらでもいける。


「さっき猫ちゃんがビービー泣いて飛び込んできたんで、すごくびっくりしたんだけど」

「こっちだって驚きましたよ。ミィナが突然泣き出して、それで起こされたんですから」

「夜泣き?」

「アル様が見えなくて泣きだしたんですよ。勘弁してください」

「顔を合わせた途端に噛みつかれたけどね」

「猫系獣人は普段素っ気ないくせに、実は愛が重いですから。大事にしてくださいよ、ほんと」

「そうですねー」


 俺たちふたりの目が、とろけた顔の猫ちゃんに落ちる。

 視線に気づいた猫ちゃんが顔を上げ、キョロキョロする。

 そして俺に縋りついてきた。


「甘えん坊さんですね」


 マリノアが微笑ましいものを見る目で言った。


「マリノアは甘えないの?」

「わたしはもう十一歳です。そういうことはしません」

「十一歳ならまだ甘えられる歳だと思うけど?」

「わたしは子供じゃありませんから」

「いや、子供でしょ」

「子供じゃないです!」


 マリノアがいつになくムキになっていた。

 「子供じゃない」と反論すればするほど子供っぽかったりするやつだ。

 まあそれはそれでいいのかもしれない。

 背伸びして、いつか願望に見合う高さに辿り着けばいい。


 月明かりの下で、俺はぐっと伸びをした。

 猫ちゃんが濡れた頭を擦り付けてくる。

 猫耳が首筋を擦って気持ちがいい。


 結論が出た。

 獣人たちを解放しようと思う。

 目の前のことを疎かにして、リエラが喜ぶとも思えない。

 猫ちゃんと離れられない運命なのかもしれないとも、感じていた。

猫系獣人。基本サバサバで独占欲はないが、甘えるときはどこまでも。

ちなみに犬系獣人は忠義一徹。褒められるのが何よりのご褒美だとか。

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