第18話 男の友情(河川敷編)
戦後処理を行う際に、獣人奴隷をすべて解放した。
交渉に乗っていれば無傷で終わったものを、下手に戦闘態勢を取って横槍を受けたものだから、突然乱入してきた貴族から多額の保釈金を課せられていた。
ざまあ。
「おお! そなたが獣人の指導者でありますか! 吾輩、ボンジュール・ベレノア・ハムバーグと申しますぞ! いや、実に逞しい腕ですな。もじゃもじゃの毛並み、熊獣人として申し分ない色艶でありますぞ!」
あろうことかぽっちゃり貴族は、護衛としてついていた熊さんの手を取ってしきりに頷いている。
熊さんが慌てて獣人語で言った。
ぽっちゃり貴族は慌てず騒がず、熊さんに頷いて、同じく獣人語で返していた。
驚いたのは俺だけではなかった。
熊さんやマリノアも同様に驚きを隠せないでいる。
「失礼を申し上げましたのですぞ。獣人の英雄を取り間違えるなど、吾輩、痛恨事であります。仕切り直させていただきたいのですぞ」
どうやらちゃんと獣人語を理解しているらしい。
迷うことなく俺に笑顔を向けてきた。
ボンレスハムのような首周りに、愛嬌のある顔が載っている。
汗をいっぱい浮かべ、ソーセージのような指を俺に突き出してきた。
俺はそれを握ると、ぶんぶんと縦に振られた。
体格差がひどい。
トトロとメイちゃんくらい違う。
それは言いすぎか。
熊さんと比べると、背は低いが、横幅はほとんど一緒……。
ただのデブ……。
「お名前をお聞きしてもよろしいですかな? 獣人の英雄殿」
「アル……赤魔導士アルと、今は名乗ってます」
「赤魔導士アル殿でありますか! アル殿は魔導士なのですかな? これだけ大きな大陸亀を使役しているところを見ると、魔獣使いとお見受けいたしますぞ!」
「本業は魔術師で」
「なるほど! 多才なのですな!」
暑苦しい男だった。
何が彼をそうさせるのか、ひどく興奮している。
額は油でテカっていたし、汗が尋常じゃない。
猫ちゃんはびっくりして、少し離れたミル姉さんの後ろに隠れてしまっている。
そばにいてくれないのかい。
寂しいよ俺は……。
マリノアは尻尾を緊張させながら、俺の横にくっついている。
ぽっちゃりさんの一挙手を、顔を強張らせながら見つめている。
かなりビビっている様子だ。
逃げないのはさすがだった。
ピロリロリーン♪
マリノアへの好感度が急上昇!
「ぜひ、我輩とともに獣人を解放いたしましょう! 赤魔導士アル殿のお力を借り受ければ、不可能なことではありませんぞ!」
「いや、できないことはないけど……」
握られた手がじめっとしてきた。
おう……。
ボンジュール……貴族……彼のことはボンボンと呼ぼう。
まさに打って付けの呼び名だ。
「我らが手を組めば百人力ですぞ! 我輩が補給路を確保し、アル殿が敵を打ち砕くのであります! アル殿にはちょっと危険な役目ですが、これも適材適所なればこそですぞ!」
俺がすでに五十人ほどの獣人を解放して、交渉を優勢に進めていたことを聞いて、ボンボンはいたく感動していた。
そしてこの提案である。
妥当といえば妥当なのだろう。
食糧の心配をしなくて済むのは大いに助かる。
ボンボンに出会う前は、平原の魔物を狩って食事を済ませていた。
獣人たちはそれで問題がなかったし、俺もいままで狩りをして肉を食べていたから、特に抵抗はなかった。
しかし人数が増えていくにつれ、狩る獲物の量も多くなる。
その憂慮を、ボンボンは取り除いてくれると言うのだ。
陸大亀の餌も馬鹿にならないしな。
「こちらとしても申し分ないと思う」
「では!」
握られた手がもうぐっしょりと手汗まみれになっていた。
勘弁してほしい……。
「ちょっと考えさせてください。ひとりでは決められないし、この先のことに関わってきますので」
「かしこまりましたぞ! 今日明日中にご返答をいただきたいのでありますぞ」
「それは、わかりました」
協力体制……なのだろう。
持ち掛けられたが、俺はその場では判断を下さなかった。
一度持ち帰って社で検討してみますと。
営業の人間のような対応でするりとその場をやり過ごす。
あれ?
俺の当初の目的は?
なんだかどんどん引きずられている気がする……。
その後、ライアンとその他の貴族たちを解放し、代わりに獣人たちがこちら側に付いた。
もちろん、隷属系の装備を解除するなり、奴隷紋を消すなりしてからだ。
東軍の首脳陣の狐につままれたような顔は、見ていて笑えた。
何せ本当に獣人と交換されると思ってもみなかったのだ。
大量の身代金を要求されると思い、身を固くとしていたというのに、彼らが奴隷と侮っていた獣人の命と同等の扱いをされたのだ。
貴族の矜持は完全にへし折れていた。
「安心しろ。こちら側はオレがまとめてみせる。今回の一件でオレの親父を含め、頭の連中はすっかり精気を抜かれたみたいな顔になっちまったからな。若い連中と代替わりするいい機会だった」
ライアンは気さくに握手を求めてきた。
この男だけが、最初からこちらの意図を汲み、協力してくれていた気がする。
俺は警戒しながら、彼の手を握った。
「本当に小さな手だな、え、おい? もっと大きく逞しくなったら、オレのところにこい。可愛がってやるから」
俺の手を、両手で包み込み、優しく手の甲を撫でられる。
(ぞぞぞ)
背筋にうすら寒いものが走り、俺はばっと手を離した。
「はは、冗談だよ。まあ、おまえが望むのなら、そうなっても仕方ないがな」
冗談の顔をしてねーし! 本気の目だし!
「い、いえ、遠慮しておきます……」
ライアン、同性愛者だったとは……。
ハーレムに男は要らないんだよ。
男の娘は……リアルだとどうだろう?
その時になったら考えよう。
ライアンはにこやかな顔を引っ込めて、真顔になった。
「最後に、俺と立ち合ってほしい」
「立ち合う?」
俺は聞き返した。
侍でいうところの、真剣勝負というやつだろうか。
「結局オレは、おまえに実力を見せていない。同様にオレも、おまえの力をいまだに計りかねている。赤魔導士のアルが、これから世界に名を轟かせるのか、ここでオレに試させてほしい」
「そんなのアル様が勝つに決まってます」
マリノアが何をわかりきったことをと言わんばかりの顔をするが、そうではないのだ。
これは男同士の筋の通し方だ。
御大層な理由を並べているが、ようはダチ公ならいっぺん拳を交わすもんだぜ! と言っているのだ。
その前に可愛がる云々の話が出なければ、俺も勇んで勝負を受けたのだが。
敵国の騎士がどれほどの腕前か気になるし……。
「アル様が戦う必要はありません。わたしが受けて立ちます」
マリノアがそんなことを言い出した。
それはちょっと意味合いが違ってくるんだよと、俺とライアンは見交わした。
「わかりました。その挑戦受けましょう」
「アル様!」
「怪我しても治せるから」
マリノアを手で制し、ライアンを見上げる。
「場所を変えようか。広いところがいい」
俺はひとつ頷いて、平原に出た。
周囲は見渡す限り何もない。
遠くの方に、小粒の魔物の群れが見えるくらいだ。
風が吹くと、草が波のようにのたうっていた。
「オレは自分の力を過信する気はない。だが、本国じゃそこそこの腕だった。魔術師とはやったことがなかったんでな」
「俺だって師匠に比べればまだまだです。うちの師匠と本気でやったら、俺なんて瞬殺されますよ」
俺の脳裏に、ジェイドを圧倒的な魔術で追い詰める師匠の姿がよぎった。
息も吐かせぬ戦い。
あれほどの高レベルな戦いは、今の俺ではできないだろう。
しかし、頭の中にはいつもイメージとしてあった。
それを再現したいという欲求もある。
目を閉じ、精神を集中……。
「推して参る」
槍を構え、凄みを滲ませているのが手に取るようにわかる。
体内の魔力を全身から発しているのだろう。
熱気が余波となって、少し離れている俺にまで打ち寄せる。
相当の腕だ。
集団戦だったから、ライアンの実力を確かめることなく捕えられたのだ。
それに、ドームで包んだ際に、窒息が効いていなかったことも思い出す。
ハイ・ブーストの防御を突破する攻撃力も見逃せない。
決して慢心が通じる相手ではない。
俺も覚悟を決めよう。
呼吸すら躊躇ってしまうほどの重い空気が、全身にのしかかってくる。
ライアンの気迫は、間違いなく一級品だった。
平和ボケした世界での記憶が三十年あるとはいえ、俺もこちらに来てから暗殺者に遭遇したりDVに遭ったりと飽きない生活を送ってきているのだ。
危険を肌で感じるすべを磨いてきた俺は、目の前の武人がどれだけ多くの研鑽を積んできたかが想像できてしまった。
正対していて、不意など突かれるはずがない。
そう思っていた。
槍がぬるりと動いたような気がした。
直感がその場にいることを拒絶し、俺は反射で飛び退いていた。
穂先が、脇腹を掠めていく。
あっぶねー。
全く動いているようには見えなかったのに、事実赤槍は襲い掛かってきた。
何をしたのだろう?
「“水圧”“窒息”」
俺は続けざまに魔術を放つ。
正攻法の水鉄砲と、搦め手の首絞めと言ったところだ。
しかし、ライアンは槍を二度振っただけで、レーザーと化した水や見えないはずの大気中の魔力を切り裂いた。
うっそー。
優れた武人は手足のように武器を操り、しかも武器に魔力を通して魔術まで切り裂くらしい。
魔術師って不利?
まさか。そんなはずはない。
物量で押し切ればいいのだ。
一本でダメなら十本。
十本でダメなら二十や三十で。
師匠が目まぐるしく魔術を展開していたように、同じことをすればいい。
操れる限界まで駆使して、攻め切ればいいのだ。
レーザーが二十本に増える。
四方八方からの水攻め。
しかしライアンは冷静に捌いていく。
まだ余裕があるらしい。
足元がお留守だよ、ライアン君。
水魔術を駆使しながら、土魔術で地面を陥没させた。
足元が悪ければ、捌ききれまい。
しかし、ライアンの方が上手だった。
息も吐かせぬほどのレーザーを捌きながらライアンは片足を持ち上げ、脆くなる地面を踏みしめたのだ。
相撲取りが四股を取る様子を思い浮かべた。
大地が揺れたような錯覚を受ける。
土中に忍ばせていた俺の魔力は、ライアンの魔力に乱されて効果を失った。
魔力に魔力をぶつけられ、効果を相殺されたのだ。
揺れたような錯覚は、ライアンが足元から地面に向けて放った魔力の余波だ。
こんな簡単に封じられるなんて、俺の魔術って実は脆くない?
こうなってくると、意地でも追い詰めたくなってくる。
単発でダメならと、俺は広範囲に威力を上げることにした。
炎の柱を、ライアンの周囲五メートルに乱立させて囲い込み、空気を奪う作戦だ。
すげー遠回りだ。
かっこ悪いけどしょうがない。
直接魔術を放っても、あの赤槍で斬られれば掻き消されてしまうのだ。
なりふり構っていられない。
俺は後ろに飛んだ。
手をかざすと、炎の柱が紅の空を更に赤く染め上げる。
距離を取って、遠距離からじわじわと追い詰めているはずなのに、首元に刃物を突き付けられているような息苦しさは一向に楽にならなかった。
つまりは、ライアンを完全に抑えきれていない。
風魔術を送り込み、火炎の温度を更に上げていく。
普通の魔物なら丸焦げになるような威力を込めている。
もはや殺してしまうという懸念は頭からなくなっていた。
この世界の魔術は、どうやら無敵ではない。
追い詰めているはずなのに、追い詰められているような圧迫感を肌に感じるのがいい証拠だ。
炎が揺らいだ。
突破される。
残りの魔力を、大気中に込めた。
少し時間がかかる。
炎がさらに揺れる。
ボッと音が鳴り、炎に穴が開く。
元“赤騎士”の名に恥じない、紅蓮に彩られた男の、鋭利な眼光が俺を捉えている。
それでも俺は動じず、魔力を練っていく。
魔術が発動した瞬間、半分ほど残っていた魔力を根こそぎ持っていかれた。
「“大津波”」
ゴゴゴゴッと、どこからともなく地響きが聞こえる。
突然津波は現れ、十メートルにも及ぶ高さからライアン目がけて襲い掛かる。
ライアンは槍を構え、受け切る体勢に入る。
「“土石流”」
俺は更に手をかざし、最後になけなしの魔力を練った。
ライアンは津波に合わせ、槍で斬った。
しかし斬ったのは、正面に迫りくる土の波。
その後に襲い来る大津波への対応が、一瞬遅れた。
そして――決着がついた。
全身ずぶ濡れのライアンが、決闘場所からかなり流された場所で仰向けに転がっていた。
意識はあるようで、呆けたように日暮れの茜空を見つめている。
「完敗だよ」
ライアンが息を吐きつつ、片手を振った。
「かなりギリギリでしたけどね」
遠距離に逃げて、すべてを圧倒的な力で押し流したのだ。
規模が大きすぎて、間違っても対人戦の魔術ではない。
「いや、オレの負けだ。最後まで後手に回っていたからな」
「そんなことないですよ。最初の一撃、全然見えませんでした。あれで決着がついていたかもしれません。だってまったく動いたようには見えませんでしたもん」
「あれは相手の呼吸の合間にうまく槍を滑り込ませただけだ。息を吐き終えて、吸い込む瞬間、身体は硬直するからな」
いや、しないし。
少なくとも俺は感じたことないし。
一秒もない隙とも言えない隙。
そこをうまく突かれたらしいが、いまだに半信半疑だ。
「要するに、大人げない卑怯な手を使ったんだよ、オレは」
納得いってない顔をしている俺に、ライアンは苦笑しつつ起き上がった。
「結局近寄ることができなかった。どの手もかなり魔力を練ってあって、気が抜けなかったぞ」
「接近されたら俺の負けでした」
「接近されなかったんだからおまえの勝ちなんだ」
憮然とする俺の頭を、ライアンがおもむろに掻き回す。
「実力、この目で確かに見させてもらったぞ」
ライアンは底抜けに明るい笑顔を浮かべた。
俺も、自然に顔が綻んだ。
これが決闘を越えた先に芽生えるという絆パワーか。
ひと昔の喧嘩で言えば、これは河川敷で殴り合った後、川辺でふたり寝転がってお互いを健闘し合っている場面だろう。
「たまに神童が生まれてくるんだ。神に愛された子供がな。そいつは将来必ず何かを為す。オレの国を建国した初代国王も、動乱の最中に生まれ落ちた戦の天才だった。そういうやつが時々現れて、世界に台頭してくるのさ。オレはそれが芽吹くうちに出会えたわけだ。こんなに嬉しいことはねえさ」
ライアンは清々しいほどにこやかに笑った。
その顔に、神童とやらを利用してやろうとか、そういった思惑は全く感じられなかった。
だからだろうか。
再度求められた握手も、すんなり握ることができた。
ボンボン貴族も、キーパーソンかもしれない。
可愛い子の登場が少ない……。




