第17話 闖入者
太陽が真上にあった。
日差しは強いが、ひんやりとした風が吹いていた。
風に乗って、鉄混じりの臭いが鼻を掠める。
風の吹くほうに、東国軍の本陣が見えてきた。
彼らは剣呑な雰囲気で、こちらに気づくなり、すぐさま戦闘態勢に入って槍を並べてくる。
「軍に残した指揮官は、親父の幕僚でも下の奴だ。気の小さい奴だから、交渉を間違えると何をしでかすかわからん」
「そうなんですか? こっちは別に攻めてきてもらって構わないんですけど」
挑発気味に言ってみるが、大して意味はない。
将軍や腕の立つ将を捕えて交渉に臨めば、あっさりとこちらの思惑が通ると思っていた。
そうはならなかったので、つい投げやりになってしまう。
やっぱり実際に事が起こってみると、うまくはいかないものだな。
「オレや親父の部下を無駄に死なせられるか。だから言っているんだ」
「なんかライアンさん、参謀みたいな位置にいますよねー」
「交渉がうまく進むためなら仕方がないだろう。捕虜となれば、扱いを良くしてもらうためなら協力は惜しまん」
「武人なら、敵に協力するくらいなら腹を掻っ捌いて死ぬとか言うと思いましたけど」
「西国の軍に捕まるなら、オレだってそうする。いまは少し違うからな。内部の混乱と思っている」
「建前では西国の人間なんですけどね、俺」
「おまえの目的は獣人の解放なのだろう? だったらこちらはすぐに獣人を解放して、西国、あるいは北国の軍に備えるべきなのだ。早く立て直さねば、これではいいカモだからな」
ライアンの言う通りなのだろう。
彼らは戦争をやっていて、俺のような横槍はさっさと抜いてしまうのが一番なのだ。
余計に時間を延ばせば、それだけ他国軍に隙を突かれることになる。
「西国はともかく、北国のドワーフたちに隙は見せられん」
西国ことグランドーラ王国、舐められすぎじゃね?
それとも、亜人族を排したせいで、獣人族や岩人族を抱える国相手には決定力が足りないのか。
だったら魔術師の育成に力を入れればいいのにと、俺なんかは思ってしまう。
師匠やジェイド並の魔術師が早々育つとも思えないが、あたりを見渡しても、戦場に魔術師が少ないのは事実だ。
いまの東国軍は、首脳陣、貴族連中、総指揮官は俺の捕虜となっており、本陣には巧みに全体を動かせるような指揮官が残っていない。
精々が千から二千の軍を動かすのでやっとの指揮官だろうとのこと。
万を超す軍。途方もないね。
昼下がりの平原で見ると、やはりその規模のすごさがわかろうというものだ。
丘全体が生き物のように動いている。
「交渉にはオレと総大将の父が同行しよう。獣人の解放と捕虜の交換なら安いものだ」
「それを捕虜の貴方が言います?」
「……こっちだって顔を潰されているんだ、穴があったら飛び込みたいところを必死に我慢してるんだぞ」
「ですよねー」
それが聞けただけでも、ライアンは解放していいんじゃないかと思えてくる。
首脳陣のひとりひとりと話したが、こちらが人族の子供だと知ると、立場を踏まえた上での交渉をしようともしなかった。
ああいうのを老害と言うのだろうか。
ライアンはすんなり状況を受け入れ、いまできる被害の少ない選択を選び取っている。
そこに光るものを感じた。
いまは父親が総大将と言うこともあって、発言力がある程度押さえ込まれてしまうのだろう。
普通総大将の息子だったら、横柄な感じがするものだが、彼に関して言えば逆に抑えられている感じがする。
有能すぎる息子はときとして目障りなのかもしれない。
彼を交渉相手に選んだら、老人たちから不満の声が上がったことからもなんとなく察する。
親の七光りではなく、息子の七光りと呼ばれる総大将。
皮肉ってて笑えるな。
「でもダメです。使者はこっちで選びます」
「……だろうな」
少し驚いたような顔をし、それから苦笑した。
どうやら試されていたらしい。
ライアンを解放してしまったら、彼は万の軍をすべて指揮下に置いて、矛を向けてくる可能性があった。
たとえしないと分かっていても、できる人間であるのは間違いない。
交渉とは、有能な人間を手元に置いておくことから始まるのだ。
ライアンは最後まで手放すべきではない。
捕虜の中から、比較的話の通じそうな貴族の男ふたりを選び出した。
俺の前に連れてこられたふたりは、何も言わないが憎しみのこもった目で俺を見てきた。
別に痛くも痒くもないが、この結果は自業自得だろと言いたい。
獣人奴隷の解放と、すべての人質を交換する旨を伝えると、ひどく怒り出した。
屈辱的だ、と彼らの顔つきがそう言っている。
獣人なんて、貴族の彼らには道端の石ころと変わらないのだ。
石ころと自分たちの命を交渉の天秤に乗せられて、不服なのだ。
自分たちの命はもっと重いと。
まったくもって面倒くさい。
助かるだけありがたいと思えよ。
「な! 我々と獣人の命が同じなわけがないだろう! ふざけるな!」
怒鳴り散らし始めたひとりは退場。
残るひとりは、何も言わず使者として立つことを肯んじた。
「それでこの無意味な争いが収まるのなら、安かろう」
ライアンタイプの人間だったが、無意味とは失礼な話だ。
獣人奴隷には命がかかっているのだ。
貴族の道楽ひとつで獣人奴隷が死ぬことを免れるのだから、とても意味のあることだ。
貴族と、彼が名を挙げたふたりを使者として送り出す。
二時間くらい経っただろうか、日が傾きだしている。
俺は猫ちゃんとじゃれながら、敵陣の返答を待っていた。
敵陣営に動きがあった。
三騎の騎馬に引きずられて、ボロ雑巾のようなものが陸大亀の前に投げ捨てられる。
それはよく見ると、使者に立った三人だ。
貴族であるはずの三人は、すでに事切れていた。
騎馬の一騎が立ち止まり、声を張った。
「我ら東国軍、敗北は死のみ! 交渉など不要! 貴様らには屈さぬ!」
騎馬は駆け戻っていった。
「あの、馬鹿!」
ライアンは歯ぎしりして眉間に青筋を立てていた。
おっさんが怒り狂う様は、近くで見ていて狂気的なものがあるな。
「西国との戦ならそれもいいだろう。だがこれは違うだろう。大人しく従っていればすべて片が付くものを!」
「そうは言いますけど、頭で失策だとわかってても、獣人奴隷を先鋒にして騎馬隊千騎で突っ込んできたじゃないですか? それと同じじゃないんですか?」
「まったく言い訳のしようもないな……」
人とはときに愚かになるものだ。
あえてほじくるのも可哀想だ。
俺だってときに愚かになる。
ナルシェの膨らみかけのお乳に顔を埋めたときや、ファビエンヌの鎖骨をこっそり舐めたとき、猫ちゃんに指を咥えてもらったときなんかは、大抵人としてダメな感じの顔になっている。
若輩指揮官は交渉を一方的に破棄するなり、すぐさま戦闘態勢を取ってきた。
こちらは陸大亀の上にいるから、弓矢攻撃に警戒するだけで、あとの被害は考えなくてもよさそうだ。
「大軍をうまく率いてみせるという見栄が、先を見通す力まで奪ってしまったんだろうな」
「人材育成が今後の課題ですね」
「まったくだ」
万の軍を動かすには状況が見えていないし、はっきり言って若輩指揮官では役不足である。
それに、安全な後方からとにかく武力押しの指示を出す様子もあって、臆病な性格が透けて見えた。
「向こうの指揮官の目と鼻の先に雷を落として天狗になってる鼻っ柱を叩き折ってもいいですけど、東軍一の猛将さんはどうしてほしいですか?」
「兵をあまり損耗させないでくれると助かる。まだ戦争を続ける必要があるからな」
「もう無理じゃないですかねー」
俺は東軍本陣とは別の、北の方角を見ながら言った。
そちらから、夜陰に紛れて、大きな砂煙が上がっている。
耳をすませば、東軍以外の馬蹄の音が聞こえてくる。
「な、なんだと!」
ライアンは驚愕していた。
「北方王国の軍が南下してきたのか!」
「いや、違うと思います。あれは西の軍でしょうね」
国旗を掲げているが、あれは西国のグランドーラ王国のものである。
生まれてから何年か暮らしていた貴族の館でも、祖父の書斎でよく目にした国旗だ。
赤地に黒の獣が描かれた陰気な旗で、もっと明るい色にすればいいのにと見るたびに思ったものだ。
「我が名はボンジュール・ベレノア・ハムバーグ! 囚われの獣人を解放せしものなり!」
ぽっちゃりした変なのが剣を振り上げて叫んでる!
戦闘態勢を取った若年指揮官と、突然現れた貴族らしき軍隊。
ぶつかって、あっという間にぽっちゃり貴族が圧倒してしまった。
西国軍は勢いと止めず、東軍本陣に雪崩れ込んでいく。
まるで決壊したダムのように、勢いに飲まれ、東国軍は濁流に押し流されている。
数の差はどちらかといえば、新規で現れた貴族の軍の方が少数だったのに、威勢と指揮官の違いであっという間に決着がついた。
崩れて敗走する東国軍。
「情けない……」
それらを目で追い、髭面桃騎士ライアンが項垂れていた。
「あやつには死んで人生をやり直すか、死んだ方が楽だと思えるほどのつらい訓練を課すかだな……」
貌を上げたとき、決意を秘めた瞳をしていた。
触らぬ神に祟りなしだ。
とりあえず、俺はぽっちゃりさんと次なる交渉を開くべきだろう。




