第16話 二つ名は赤魔導士
到着までのだらりと怠ける時間がたまらない。
マリノアはだらしないというけども、猫ちゃんと一緒にのんびり過ごす時間は至福だね。
「牛になってしまいますよ」
腰に手を当てて、マリノアが見下ろしている。
「それもいいなぁ」
「もう……」
付き合いきれないとばかりに呆れている。
「マリノアも寝転んでみなって。気持ちいいよ」
「いえ、まだやることがありますから」
「子供の俺らに仕事なんてないよ。遊ぶことが仕事と言ってもいい」
「屁理屈です!」
「まぁまぁ……隙あり!」
俺は横になった体勢から一瞬にしてマリノアの手を掴んだ。
「え? え?」
「猫ちゃん!」
「んにゃ!」
意図を察した猫ちゃんも、いまのいままで溶けそうなアイスみたいにぐだっとしていたとは思えないほどの俊敏さで、マリノアの空いた手を掴んだ。
「おらおらー、観念せいやー」
「にゃむー」
「いーやーでーすー!」
マリノアの抵抗も虚しく、引き倒すことに成功した俺たちは、マリノアを真ん中にして川の字に寝転がった。
「なんなんですかもー! ミィナまで一緒になって! 何で息ぴったりなんですか、いつから言葉が通じるようになったんですか!」
「……いや、なんかノリで意思疎通ができてるだけ。ねー?」
「ねー」
マリノア越しに猫ちゃんと見交わして笑い合った。
「もー!」
マリノアは憤慨していたが、俺と猫ちゃんが両腕をがっちり固定していたので逃げ出すことはできない。
しばらく立ち上がろうと努力していたが、結局おとなしく力を抜いた。
「わかりましたよー。付き合いますよ、付き合えばいいんでしょ、もー」
投げやりだがとりあえず引き込めた。
「いぇー」
俺は猫ちゃんに手を向けた。
「みゃー」
猫ちゃんは満面の笑みで手を合わせてきた。
意思の疎通は完璧である。
「仲良いですよね、おふたりは」
ジト目になってマリノアが言った。
「当たり前でしょ、猫ちゃんは俺のお嫁さんなんだから」
「それ、本気ですか?」
「本気も本気。ここまで獣人たちを動かしたのはひとえに猫ちゃんを嫁にするためと言っても過言ではないね」
思いっきり過言だ。
「ウソくさいです……」
種族を超えての婚姻がこの世界でどのような扱いなのか、調べるべきだろうか。
タブーだったらどうしよう。
それでも可能なら結婚するんだけどさ。
「ちなみに人族と獣人の結婚ってあり?」
「アリかナシかと問われると、できるとしか。あまりいいことではないと思います」
「子供はできるの?」
「で、できますよ。ただ、生まれてくる子供は女性側の種族だそうです」
ちょっと頬を赤らめながら、生真面目なマリノアはすぐに答えをくれる。
「そうかー。猫耳の子供が生まれるのかー」
それなんてエロゲー? とは言うまい。
とはいえ十年以上も先の話だ。
いまは頼る者のいないせいか俺にべったりの猫ちゃんだが、大きくなっても今のままとは限らない。
あるいは不良娘になってたらどうしよう。
それでも保護者的な眼差しで見守るんだろうけどさ。
今考えたって仕方のないことでもある。
今をどうしていくかで、未来も決まって行く。
そう思えば俺の嫁宣言も悪くないフラグだ。
「マリノアは俺のこと好き?」
「え……えっと……」
マリノアは至極言いにくそうに、視線を晴れ渡る青空にさまよわせた。
「ごめん、調子に乗った」
その代償に深く傷ついたが。
「いえ、嫌いとかではないんです。でもわたしにとって、アル様は恩人で、アル様の望むような解答ができないと思って口ごもってしまっただけで」
「気にしなくていいんだぞよ? お、俺には愛しの猫ちゃんがいるから……」
「ああ! 混乱して口調がおかしくなってます!」
ゴロゴロと意味もなく左右に動いていた猫ちゃんに手を伸ばすが、プイとそっぽを向かれてしまった。
「神は死んだ……」
俺は地面に沈んだ。
頬に当たる草の感触がくすぐったい。
ちなみに陸大亀の甲羅の上には芝生みたいな場所があるんだぜ?
できたらこのまま深海魚になりたい。
そしたらきっと、猫ちゃんが喜んでパクリと食べてくれるだろう。
うつ伏せで沈んだ俺の上に、誰かが乗ってきた。
マリノアはふざけるような性格ではないから、十中八九猫ちゃんだろう。
「かぷ……」
マウントを取った誰かさんは耳を甘噛みしてきた。
ゾクゾクっと背中に快感が走る。
「ダメだって、耳は感じちゃうんだから。性感帯なんだから!」
「ベロベロベロ……」
猫ちゃんの舌が俺の耳の穴を蹂躙する。
「おほふぅ……」
「変な声出さないでください。なんですか」
「いや、気持ち良くて声出た」
「まったくもう……」
猫ちゃんは俺の上が気に入ったのか、完全にホールドしてしまった。
これでマリノアにまで乗られたら、団子三姉弟になってしまう。
マリノアはそういうお茶目なことは一切しない生真面目さんなので、期待しても損だが。
猫ちゃんは俺の上で、もぞもぞと動いていた。
両手を俺の背中に添えて、ぐ、ぐ、と押してくる。
マッサージですかい? 気が利くじゃないの。
「仔猫が親猫する仕草ですね」
「マッサージじゃないのか……」
「好かれているのです、ミィナに」
陸大亀の移動の揺れが、揺り籠のようなまどろみを与えてくる。
しばらくして、俺たちはみんな寝てしまった。
背中に猫ちゃんが乗っているお団子状態のままで。
眠りながらも、背中の柔らかいところをくいくいと押してくる。
しかも耳をずっと咥えながら。
耳やばいと思ったね。
思い出したようにはむはむしてくる。
本当はガジガジなのだが、常時ハイ・ブースト状態で噛み切る動作も甘噛みに早変わりだ。
その上ちゅうちゅう吸い付いてくる。
仔猫が母猫のおっぱいを求める無意識の行動かな。
俺は保護者のつもりだけど、おっぱいは出ませんよ?
そんな風にのんびり気を緩めるのもいい。
俺はのんびりぶらり旅がいいのだが、やっておくことはいくつもある。
捕虜にした東国の将と話すのもその一環だ。
遅い昼寝を終えた俺は、日が沈んだ頃、赤槍の男ことライアン=レゲロと話す機会を設け、いろいろ聞いてみることにした。
尋問ではなく、茶飲み話のような感覚だ。
彼は栗毛の髪に栗毛のおひげを生やしているが、全身真っ赤な色の武具で身を包むのが好きな変わり者だった。
捕虜となった彼らは、腕に土魔術で作った手枷をしている。
たぶん身体強化が使えるであろう髭面のライアンは、これを壊せる。
だが逃げる気もないのか、大人しく陸大亀の上で風を浴びてのんびりしていた。
俺が即席で作った土のコップに、茶葉を漉してお茶を注ぐ。
両手が手錠で固定されているものの、ライアンは器用にお茶を飲んだ。
他の捕虜は、逃げる機会があるなら逃げてやると目敏く緊張しているのに、この男だけがどこか鷹揚だった。
そこで気になって一席設けてみたのだ。
俺の傍にはぴったりと猫ちゃんとマリノアがついていたし、近くには熊さんもいる。
捕虜が暴れればすっとんでくるだろう。
「おひげのステキなおじさんですね」
「どうも。それで、君がこの集団のリーダーなのか? オレはいまでも不思議に思っているぞ」
俺を見て困惑というか、苦笑をしている。
覇気のある太い眉がゆるりと下がっている。
年端もいかない子供の姿ではしょうがないことだ。
早く威厳を身に着けて大人になりたいものだ。
「小人族ではないのか?」
「正真正銘の人族ですけど。そんなに信じられませんか?」
「子供のなりであんな魔術を使う人族を、オレは見たことがない」
「師匠はエルフですから」
えっへんと胸を張る。
そこだけは、本当に自慢だった。
俺の師匠は凄いんだぞと。
師匠は今の俺なんかでは敵わないくらい強い。
猫ちゃんも真似してムフーッと胸を張っていた。
言葉通じてないでしょ。
でも可愛いから何でも許しちゃう。
「名前を聞いてもいいか?」
「アルです」
「赤の魔術師アルか」
「え?」
何この人、ちょっと恥ずかしい!
俺は髭面おじさんことライアンの顔をまじまじ見つめた。
この世界では普通なのだろうか。
二つ名とか、イタくないのだろうか?
公然と♰黒翼の罪天使♰とか名乗ってもいいのだろうか。いや、名乗らないけどね。
思いつきだからね?
「赤の魔術師って恥ずかしいからやめてくださいよ」
「別に普通だと思うがな。むしろ自分から名乗って名を上げようとするのが冒険者の間では普通だ」
いや待て。
冒険者ではないことはこの際置いておいて、名を広めるのはいままでまずいと思っていたが、そうでもないのだろうか。
ラインゴールド家の縁者だと思われたら暗殺者を送り込まれると思って、いままで目立たないように生きてきた。
しかしリエラと合流するためには、こちらからも情報を流す必要がある。
ラインゴールド家だと思われず、リエラや神官父娘にだけ伝わる俺の名前。
赤の魔術師アル。
うん。悪くない。
でも、ラインゴールド家の双子の子供の片割れであり赤髪のアルシエルを知る者が、俺と結びつけるだろうか。
年齢と父親が魔術師なのがネックだな。
十分に考えられる。
じゃあちょっとひねるか。
「赤魔導士アル、なんて呼び方どうですか?」
「赤魔導士アル……」
いろいろ版権的にも大丈夫ですか?
いや、でも間違ってないのか?
回復魔法と攻撃魔法をそれなりに使える器用貧乏の代名詞、赤魔導士。
否定できない俺……。
エキスパートではないところが泣けるね。
ストーリー後半でいらない子になったらどうしよう……。
「いいんじゃないか?」
いや、あなたのオッケーが出てもしょうがないんですよ。
版権的にね。
でもまあ、響きはグッドだ。
どこかのサーガではパーティに入るくせに思いっきり敵キャラだったやつの職業名だけど。
俺もそんなコウモリ野郎になってしまうのだろうか。
「じゃあライアンさんは今後赤いものを付けるの禁止ですね。俺とかぶるんで」
「なに!」
大声を出したら、熊さんが飛んできた。
あっという間にライアンの襟首を掴んで持ち上げている。
「どうどう」
俺は熊さんを宥めた。
ライアンがゆっくりと地面に下ろされる。
マリノアと猫ちゃんがライアンに向けて爪を構えているが、これも鎮めさせた。
そうカリカリしなくても大丈夫なのに。
「いや、大声を出して済まない……だが、赤騎士と赤魔導士なら住み分けができていると思うぞ。別に色を変える必要はないんじゃないだろうか?」
ちらちらと獣人方の戦闘態勢に目をやりつつ、それでもやはり赤にこだわりがあるのか、髭面ライアンは必死だった。
捕虜の立場上、強く攻められないのが哀れだ。
「よしわかった。赤色をやめて普通の色にするって言うのは可哀想だ。ここは間を取って、ライアンさんは桃色ね」
「わかってくれ……は?」
「桃色に塗り直してね。赤とかぶるから」
「……うぅ、なんでなんだ……」
彼は無言で、滂沱の涙を流した。
それほどショックかよ。
「いや、気にするな。敗者は勝者に逆らわん。それが流儀なれば……」
くぅっと呻いて、ライアンは膝を突いて項垂れた。
気にするなって方が無理なんですけどー。
こらこら、猫ちゃん調子に乗っておひげを引っ張らないの。
でも決定は変えない。
これから桃騎士とでも名乗ってもらおう。
「自国で頑張ってください、聖桃騎士さん」
「ふぉぉぉぉっ!」
悶えていた。
精神的に大ダメージだったようだ。
敗者の味を知って強くなってもらおう。
できるだけ俺に被害のない方向で。
という感じで口当たりを確かめてから、そこそこ本題の方に入る。
東国軍の規模についてだ。
「オレが言うと思うか?」
「交渉が円滑に進むためなら協力してくれると思ったんですけど。言わないなら言わないで、こちらのやり方で進めるだけです」
「……冗談だ。でき得る限りで協力しよう。犠牲を出すのは本意じゃない」
「ご納得いただけて助かります」
「……本当に子供と話している気がしないな」
「よく言われます」
中身三十代だからね。
「こっちとしては、残りの獣人奴隷が解放されれば問題ないわけです。もちろん奴隷紋や隷属系の装備品を外した上で、ですけど」
「承知している。他に、獣人の解放以外の要求はないと思ってもいいのだろうか」
「そうですね、食糧とか水は必要ですね。それは少し分けてもらうことになりそうです」
何百人という獣人を狩りだけで養っていけるとは思えないしな。
彼らが故郷に戻る際にも、食糧を持たせてやりたい。
「身代金は?」
「いらないです。どうせこんな平原で使い道なんてありませんから」
獣人に渡しても、東国の街で使えるとは思えない。
奴隷紋のない獣人は、使う前に捕縛されてしまうだろうからな。
それに、大平原で狩れる魔物の素材を売れば、それこそ潤沢な資金を得られる。
いま金品といった重いものは、荷物でしかないのだ。
「食糧と獣人奴隷の解放だけか。はは、戦争をしてこの平原の利権を争っている最中だってのに、屈辱的な交換条件だな」
自嘲気味にライアンが言うが、すべて理解した上で諦観している様子だ。
「条件を呑みますかね?」
「難しいだろうな」
ライアンはため息をついて、肩を竦めた。
東国軍の上層部を軒並み捕縛したが、まだ万に近い軍が残っているのである。
これを説得できないことには、獣人の解放はあり得ない。
「そこは快諾してくれないと困るんですが」
「残った指揮官が潔く交渉に応じるか、オレにもわからないんだ」
いやいや。
これではなんのために拉致したのかわからないじゃん。




