第11話 最高の戦利品
猫ちゃんは貴族の前に出て行く。
その前に騎士が立ち塞がり、槍を向けた。
猫ちゃんは立ち止まり、その場から鞄を差し出した。
貴族の顔は欺瞞に満ちており、猫ちゃんを汚いものを見る目で見下ろしていた。
「わたしに何を渡そうとしている?」
猫ちゃんはただ、鞄を差し出すだけだ。
そう命令されたから、そうしているのだ。
猫ちゃんが振り返った。
あたしだってできるんだよと、俺に向かって誇らしげに胸を張っている。
俺は、貴族と猫ちゃんの温度の差に、涙が出そうになった。
「邪魔だ。追い払え」
貴族が騎士に手を振った。
猫ちゃんが槍の柄の部分で殴られ、横に倒れる。
いままで集めてきた金品がぶち撒かれる。
「こんなゴミを集めてきて得意気か。獣人はやはり頭が悪いな」
猫ちゃんは震えながら起き上がり、散らばった金品を集め始めた。
そしてまた、地面に膝を突きながら、貴族に向かって鞄を差し出す。
その手は震えていた。
俺は心が震えた。
そして同時に、理解に窮した。
これほどに純真な少女を、貴族の男はどうして無下にできるのか。
奴隷だったら、その心まで踏みにじっていいのか。
俺はムダニを思い出す。
奴隷を使う人間はみんな似たような性格なのか。
腹立たしい。
そして同時に、悔しかった。
猫ちゃんが一心になる相手が、貴族であることに、だ。
「猫ちゃん! いや、ミィナ! いいから俺のところに来い!」
猫ちゃんがゆっくりと振り返る。
先ほど騎士に槍で打たれたからか、額から血が流れて、片目を塞いでいる。
立ち上がって俺の方にくれば、俺は彼女を助け、貴族をぶちのめしてやる。
だが、猫ちゃんが決断するまえに俺が貴族を殴ってしまったら、猫ちゃんは勝手に貴族を傷つけた俺をどう思うだろう。
やはりと言うべきか、言葉が通じない以上、猫ちゃんがこちらにくることはない。
「子供か?」
「あの者が先ほど、傭兵ふたりを倒したと報告が」
「そこまでの奴なのか?」
「もしかすると、この巨大亀を誘導した者の関係者かと」
「なぜ獣人奴隷を連れているのだ」
「それは……なんとも」
騎士と密談を交わす貴族は、猫ちゃんのことなんかもう見ていない。
ただ黙って鞄を差し出していると言うのに。
もう我慢できなかった。
猫ちゃんに被害が及ぶ前に制圧するしかない。
力ずくはどう転ぶかわからなかったから、できるだけ計画的に進みたかった。
しかし出会ってしまった以上はその限りではない。
土魔術で剣を作り、あからさまな敵意を向ける。
十名の武装した騎士が動き、貴族を護ろうと前に出る。
ひとりひとりのステータスを見る。
属性魔術を使える者もいれば、狂戦士のステータスを付けている者もいる。
窒息で仕留められればと風魔術を使うが、騎士のひとりが槍を振るった。
その槍には魔力が込められており、俺の魔力がスパッと切断される。
全員が武器に魔力を込められる強さである。
俺は挨拶程度の窒息を消されたことに拘らず、一気に距離を詰めた。
騎士たちの中でも順番があるらしく、三名が迎え撃ってくる。
槍は鋭く、躊躇なく突いてきた。
こちらが子供だということに油断もないようだ。
「だろうな!」
ギリギリで見切って、横に飛ぶ。
猫ちゃんを小脇に抱えて、その場を離れる。
追撃してきた騎士の槍を土剣で受け、その威力を後ろに下がる推進力にした。
俺は猫ちゃんを下ろし、鞄をひったくる。
猫ちゃんが取り返そうと腕に爪を立ててきた。
奴には従い、俺には爪を立てるのか。
一瞬過ぎった黒い感情を、なんとか抑え込む。
猫ちゃんはただ、与えられた命令に従っているに過ぎない。
俺は猫ちゃんを抱き寄せ、唇を塞いだ。
猫ちゃんの目が驚きに見開かれる。
ガジっと唇を噛まれた。
口を離すと、だらだらと血が流れてきた。
口いっぱいに広がる血の味。
おかしいな。
こうやると女の子は素直になるんじゃないのか?
イケメンにできることが俺にはできないらしい。
残念である。
きっとメンクイドリも俺には見向きもしないに違いない。
それでも猫ちゃんは掴みかかってこなくなり、俺の手元には猫ちゃんが後生大事にしていた鞄があった。
これに熨し付けて、貴族のバカ野郎にぶつけ返してやる。
そうすれば猫ちゃんの命令は果たされたことになるだろう。
思えばこの世界は、欲望に忠実な人間が多かった。
倫理観とか常識とか、俺の知っているものとは違うから仕方ないのかもしれない。
だけど、自分が守りたいと思った人くらい、守りたいじゃないか。
今の俺は魔力を手に入れた。
次に求めるものは、権力かもしれない。
俺が理想にする力は、誰からも傷つけられない、あるいは傷つけさせない絶対的な力だ。
これからやることに巻き込むことはないだろうというくらいの距離を置いて、猫ちゃんを地面に下ろした。
俺は、鞄を抱えて立ち上がった。
せめて殺さないくらいで、本気を出す。
怪我など知るか。
猫ちゃんを傷つけておいて、ただで済むと思うな。
騎士たちに突っ込んでいく。
土剣をバッドの様に構えて溜める。
土剣は見る間に巨大になり、四メートルほどの棍棒になった。
騎士たちが唖然としている中、俺は振り抜いた。
近づいていた騎士ふたりを防御の上から打ち飛ばした。
魔力を込めたフルスイング。
鎧甲冑を身に纏ったはずの大人を、十メートル以上飛ばした。
その他の騎士も風圧で生まれた暴風で、貴族を護るための陣形がめちゃくちゃになる。
ついでに周囲にいた兵士にも被害が出ているが、死ななきゃいいだろう。
「一回で済むと思うなよ、コラ」
もう一度振りかぶり、よろよろと立ち上がりかけた騎士たちをパコーンと気持ちよく打ち飛ばす。
それを三度ほど続けると、貴族の周りから騎士はいなくなっていた。
俺の周辺だけ、野営用の天幕や機材、篝火といった物という物がどこかへ吹き飛んでしまい、ぽっかりと空間ができてもいた。
あえて貴族の男だけ打ち飛ばさなかったが、腰を抜かしてへたり込んでいる。
俺は土剣に戻して肩に担ぎながら、猫ちゃんの鞄を持って近づいていった。
「おいコラ。ミィナに命令したんだろ? ちゃんと受け取れよ!」
「ぐぁっ!」
顔面を殴るついでに鞄もぶつける。
中身が散らばったが、これで貴族に手渡したことになる。
仰向けに転がった顔に、ついでにもう一発拳を振り下ろしておく。
「ぐふっ!」
「どうだ? 参ったか?」
「はん。ガキの拳が痛いものか」
気が済まないので腹にもう一発。
「おぅえ!」
いいところに入ったようで、ゲロゲロとだらしなく地面に吐く貴族。
魔力を込めていない拳なので、骨が折れるほど強くはなかった。
「これでミィナに下した命令は果たされたはずだ。どうなんだ?」
「だ、だからどうだって言うんだ?」
貴族は俺の実力を目の当たりにしたのに、強気でいる。
俺が猫ちゃんを助けたいとわかっているからだ。
殺すほど俺が攻撃できないことを知っている。
貴族が死ねば、助けようとした猫ちゃんも道連れになる。
おそらくは、貴族自身は死ぬことなんて覚悟していないだろう。
殺されないと高を括っているだけだ。
余裕があるつもりなのか、垂れてきた鼻血を手袋で拭い、乱れた髪を整えて立ち上がった。
服がゲロで汚れているが、気にするつもりはないのだろう。
「ミィナ!」
俺が呼ぶと、猫ちゃんは耳を垂れて、恐る恐る近寄ってきた。
手をかざして、猫ちゃんが近づいてくるのを制した。
貴族の方に振り向いた。
「おまえにチャンスをやる。ミィナがどっちに付くかでおまえの命は決まる」
「なんだ、どういうことだ……?」
「俺の方にミィナがついたら、おまえは俺の手で殺す。ミィナに命令せず、ミィナが自分の意思でおまえの元に戻るなら、俺はおまえを見逃してやる」
「はは、いいだろう。その勝負、乗ってやる」
殺されると聞いて一瞬青い顔をしたものの、貴族は内容を聞いて勝ち誇った顔をした。
ゲロが付いているけどな。
「ガキ、なにか勘違いしてるぞ。貴様に有利なところは何ひとつないことに気づいていないのか、馬鹿め」
貴族が高笑いする。
対する俺は冷ややかにことを見つめている。
猫ちゃんは俺と貴族の男との間で、揺れ動いていた。
不安そうに、縮こまってしまっている。
結果はわかっている。
しかし、心の底からこっちにこいと、思ってしまった。
貴族には取られたくない。
どうやら深いところまで、情が移ってしまったようだ。
俺の目を見る猫ちゃん。
その瞳にはありありと不安が浮かんでいる。
こっちに来いと念じる。
奴隷紋に縛られて、できるはずもないのに。
でも思ってしまうのだ。
首にかけられた見えない呪縛を引き千切ってまで、俺の元に駆け寄ってくれることを。
猫ちゃんは、俺に背中を見せた。
うなだれ、足取りも重く、貴族の元へ歩いていく。
「はは! そうだ、こい! こっちにこい!」
貴族が勝利を確信して笑った。
それを見て、猫ちゃんの足がピタリと止まった。
「何を悩んでいるか! こい、この役立たずめ!」
猫ちゃんの足が、重そうに動く。
寄ってくると、貴族は手にした杖で、猫ちゃんを強かに打った。
勝ったつもりなのか、手元に戻った猫ちゃんに対する仕打ちがあまりにも酷すぎる。
よろよろと立ち上がった猫ちゃんの目に、燃えるような光があった。
何をするのかと思った瞬間、猫ちゃんは貴族の腕に噛み付いていた。
「フーッフーッ……」
「がぁぁぁ! 痛い! 何をするのだこのゴミが!」
猫ちゃんは涙を流していた。
何に対する涙なのか。
痛みか、恨みか、裏切ることへの罪悪感か。
しかしそれは、言葉が交わせない猫ちゃんの、精一杯の自己表現だと思った。
猫ちゃんは結果的に、貴族を選ばなかったのだ。
猫ちゃんが途端に苦しみだした。
噛んでいた腕を離し、頭を押さえて地面に倒れこむ。
「ははっ、このクズが! ご主人様に傷を負わせてんじゃねーよ!」
猫ちゃんを蹴ろうと振り上げた足を、一瞬早く距離を詰めた俺の手が掴み、貴族をあっさりと転ばせた。
後頭部を打ち付けて悶える貴族が、怒り狂った顔を俺に向ける。
「なにしやがる!」
「猫ちゃんは俺を選んだ」
「選んだのは私だろう! 私の方に来たではないか!」
「猫ちゃんは文字通り牙を剥いただろ。だから勝負は俺の勝ちだ。だから、猫ちゃんは俺がもらう」
「なんだ、その屁理屈は! ふざけているのか!」
「本気だね。だから猫ちゃんから手を引いてもらおうか」
「たわけたことを抜かすガキめ!」
俺は貴族の足を掴んだまま、地面を引きずり回した。
顔や服に汚れがこれでもかと付く。
「やめろ! 離せ離せ!」
さらに痛めつけるため、足の関節を決め、微妙な力加減で苦しめていく。
「痛い! 痛いぞ! ええい、やめろ! あの奴隷が死んでもいいのか! くそったれ!」
「そんな口汚い言葉は貴族には似つかわしくないな」
「うるさい黙れクズが!」
一応、これでもラインゴールド家という侯爵家に生を受けた身だ。
それでも中身はクズだけどな。
ミシミシと、これ以上曲がらないよもう無理だよと、貴族の足が悲鳴をあげている。
「痛い痛い!」
「もっと痛くされたいか。そうか、なら応えてあげないとな」
片足を掴み、貴族の体を小枝の様に振り上げた。
貴族を地面にべちゃっと叩きつけた。
「うごへっ!」
「まだやる?」
「解除する! 解除するからやめてくれ!」
貴族が悲鳴交じりに叫んだ。
解除と連呼すると、猫ちゃんは痛みから解放されたようだ。
猫ちゃんは痛みに呻く様子はなく、頭を押さえて荒く息をついている。
「なんなんだお前は。小人族がなんのつもりだ! 私の奴隷にいったい何の価値があるっていうんだ!」
「どんなつもりだろうな。次のお願いだ。猫ちゃんの奴隷契約を解放しろ」
「な――」
貴族が何かを言う前に、俺は足を持ち上げ地面に叩きつけた。
鼻が潰れたようで、血を撒き散らしている。
「あぁ、悪い。ちょっとやりすぎた」
「はがぁ……! やりす……! ふがぁ……!」
口を開けた貴族は、前歯が二本も折れていた。
良心がちくちく刺激されるが、猫ちゃんのことを考えたら心を鬼にすることができた。
「何度も言わないからな? 猫ちゃんの奴隷紋を消して解放しろよ。渋るのは勝手だけど、舞踏会に二度と出られない体になるけどいいの?」
俺はあえて貴族の怪我を完全に治した。
折れた歯を突っ込んで治癒すれば、元通りになる。
まだ欠損部を治す力はない。
完治したことに目を丸くする貴族の口に、間髪入れず土塊を食らわせる。
口いっぱいに土を詰め込まれ、途端に顔色が青くなった。
次いで貴族の頭を火魔術で燃やした。
時間をかけて撫でつけたと思われる髪型が、一瞬でチリチリになる。
彼の頭はいまや焼野原だ。
「わかるでしょ? 治すのも治さないのも俺次第なんだ」
「ふが、ふが!」
「ああごめん、これじゃあ喋れないよね」
口の中に押し込んでいた土塊を魔力で消してやる。
「ぶはーっ! はーっ、はーっ」
息を吐くのもやっとという貴族に、俺は再度尋ねる。
「奴隷契約、解除しないの?」
「くっ!」
まだ堪える様子だったので、顔を水の塊で覆った。
ボコボコと息を吐き、水を飛ばそうともがくが、頭の周りにまとわりつく水球は取れない。
目が見開かれ、俺の足元に縋ってきた。
俺は水球を解除した。
「はーっ、はーっ、はーっ」
息をすることで精いっぱいらしい。
「次は窒息を経験してみようか。大丈夫。一瞬で気を失わせたりしないから。じっくりと息が詰まっていくのを味わいながら気を失えばいい。何度だって起こしてあげるし、何度だって繰り返してあげるから」
俺はにこりと笑った。
ぞっとした貴族の顔は、先ほどまでと違って哀れで滑稽だった。
「で、もう一度念のために聞くけど、奴隷契約を解除してくれる?」
「する! するからもうやめてくれ! 頼む……!」
涙しながら貴族は力なく訴える。
完全にプライドをへし折ってやったようだ。
ここだけ見るとどっちが悪者かわからなった。
すっかり気力を失くした貴族を、猫ちゃんのところまで引きずっていく。
貴族は自分の指を噛み、血を猫ちゃんの首筋にある奴隷紋に垂らした。
「“我、主としての契約を払い、この者を解き放たん”」
猫ちゃんの首の紋様が見る間に消えていき、奴隷の証はきれいさっぱりなくなった。
「こ、これでい――」
縋るような目で振り返った貴族の腹に、拳を打ち込んだ。
余計なことを言わせる前に気絶させておく。
頭がチリチリになっているが、それで死にはしないのだから、治さなくてもいいだろう。
俺は猫ちゃんに治癒魔術をかけて立たせた。
「これで猫ちゃんは正真正銘俺の嫁だからな」
猫ちゃんの額にキスをする。
今度は噛まれなかった。
それどころかお返しとばかりに、先ほど噛まれて血を流したところを、顔を近づけてペロペロと舐めてくれる。
つまりどういう状態かというと、猫ちゃんの舌が俺の唇を往復している。
これが至福ってやつですかい?
男冥利に尽きるとはこのことだ。
しばらく舐めるに任せて、俺は至福を味わっていた。
そういえばと陸大亀の姿を探すと、陣を割って、ひたすらまっすぐ進んでいた。
猫ちゃんを抱き上げると、俺は飛んで陸大亀の上に戻ることにした。
今回のいちばんの戦利品は、俺の腕の中でごろごろと喉を鳴らしていた。
もし俺が健全な青年で、猫ちゃんも女性らしく成長していたら、今夜は眠らせなかったね。
八歳児の体では、添い寝するくらいがせいぜいだけど。
猫ちゃんが見上げてくる。
くりくりのおめめがマジらぶりーである。
書きたかった猫ちゃんのエピソードは書けたかなと思います。
あとは当初の流れに戻って甘々な感じに持っていくつもりです。




