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異世界旅行は落ち着かない  作者: 多真樹
第二部 少年時代 一章 大平原の獣人
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第3話 獣人たち助けました

 騎馬隊、歩兵隊が数十単位で動き、ドラゴンを牽制している。

 しかしそれでは決定力に欠ける。


 ドラゴンは見たところ体長五メートル。

 翼のない地龍と呼ばれるタイプだ。

 その分鋼鉄のような体は、太く頑丈と聞く。

 祖父の書斎で読んだドラゴン大全がこんなところで役に立とうとは。

 四、五年前だからうろ覚えだけどな。


 四つ足で滅多に二足歩行はせず、動きも比較的遅い。

 だが鈍重さはそのまま鉄壁にもなりうるわけで、容易には仕留めることができないのだ。


 そりゃそうだ。

 ドラゴンは常時高身体強化術と呼ばれるハイ・ブーストを使用している。

 ハイ・ブーストを誰に習ったわけでもないだろう。

 もともとドラゴン種は莫大な魔力を保有し、魔物の中でもトップクラスだ。

 ただ垂れ流しにしているだけで鋼鉄の鎧と化す。


 ハイ・ブースト状態では、同じハイ・ブーストでなければ傷もつけられない。

 しかしこのドラゴンは下級種だ。

 上級種ならハイ・ブーストのさらに上の魔力で全身を覆っているだろう。

 かつて俺が五合目でも震え上がった大霊峰の七合目の魔物は、だいたいそんな桁違いの化け物ばかりだった。


 それに比べれば、このドラゴンはそこそこ余裕で倒せる。

 イランなら嬉々として斬りに行くだろう。

 この世界の軍隊がどれほど強いのか知らないが、見る限りではそれほど錬度は高くない。

 ドラゴンを倒せる者がたくさんいたら、英雄や勇者は廃業だしな。


 俺の知る限りで、いままでにハイ・ブーストを使っている人族はふたりしかいない。

 元宮廷魔術師ジェイドと、優男の彼に師事した生意気イランだ。

 だが彼らは、師匠の足元にも及ばない。

 そう考えるとやはり、エルフ族はかなり優れた亜人族なのだろう。

 俺の知るエルフは、人見知りでトラウマ持ちだけどな。


 戦場をよく見ると、最前線にはボロを纏った軍人ではない者たちが、ドラゴンを死すれすれの状態で引きつけていた。

 ドラゴンの周りを遠巻きに騎馬隊が駆け回り、歩兵部隊が少し離れたところから矢を放っている。

 それではダメージは全く通らないだろう。

 いたずらに被害を増やすだけだ。


 ドラゴンの方は、腕を振るうだけで、ちっぽけな人間が埃のように吹き飛んで死んでいくのだ。

 面白い光景ではない。

 それによく見ると、ドラゴンの矢面に立つのは耳の生えた獣人たちだった。


 立っているのは十人に満たない。

 周りにはすでに何十人以上もの動かない骸があった。

 いわゆる戦闘奴隷だろう。

 気分が悪いな。


 小間使いだか奴隷だかを一度経験した身としては、命の価値を軽く扱われるのは気分が悪い。

 これが正規の軍隊で、囮を買って出ているならまだ許せる。

 だが、どう見ても奴隷というだけで前に押し出されているのは、不愉快だ。


「猫ちゃん、手を離さないでね」


 猫ちゃんは不安を浮かべた顔のまま、小首を傾げた。

 伝わんないよねー、そうだよねー!

 んもう、激キュート!

 しょうがないので、ドラゴンの方を指さし、次に俺と猫ちゃんを指さす。そして最後に、ドラゴンの方へ指を向ける。

 あっち、俺たち、行く。

 そんなニュアンスで伝えたつもりだった。


 猫ちゃんはぶんぶんと首を横に振った。

 怖がっているのが一目でわかる。

 ステータスを一度見たが、確かに猫ちゃんは戦えるほどの職スキルは持ち合わせていなかった。

 とりあえず目線の変わらない猫ちゃんの頭を、よしよしと撫でた。


「ちょっとここで待っててね」


 手を解こうとすると、ぎゅっと力強く両手で握られてしまった。

 離すまいという意思がひしひしと伝わってくる。

 わー、可愛い。すごく可愛い。

 ならこのままでいいかな。

 別に丘の上から攻撃したって構わないでしょ。

 ただ戦っている兵士や獣人に当たってしまうかも、という懸念があっただけだ。

 まあいいか。

 そんな気楽な気持ちで猫ちゃんの横にいることにした。


 俺は雲が浮かぶ昼間の空に手を伸ばした。

 呼ぶのは雨雲。

 魔力を込めると、雲が急速に集まってきた。

 ドラゴンとその周辺だけに雲は集まっている。

 だんだんと大きくなり、黒く雨雲へと変わっていく。

 さらに魔力を込める。


 ゴロゴロと腹の底に響く不穏な音が空から聞こえてくる。

 ついに雷雲に変わり、雨が大量に降り出した。

 兵士たちは驚いて空を見上げるが、ドラゴンの囮役となっている獣人たちはそれどころではない。

 いまも戦い続け、ひとりがドラゴンの尻尾に吹き飛んだ。


「落雷は音がすごいからね、猫ちゃんは耳を閉じましょうね~」


 俺は暢気に猫ちゃんの後ろに回り、耳をピタッと押さえた。


「“落雷”」


 ゴロゴロと鳴り続ける雷雲が、ついに稲妻を落とした。

 その光景を見て、昔の人は言った。神鳴りだと。

 神様の天罰。天の槌。

 まさしく凶悪な力でもって、ドラゴンを打ちのめした。

 上級種ならば耐え切っただろうが、下級種のドラゴンではひとたまりもなかった。

 ぷすぷすと音を立てて、黒こげになったアースドラゴンがゆっくりと倒れた。


 間近で稲妻が落ちたのを見た兵士や獣人は、腰を抜かしてひっくり返っている。

 馬の大半は乗り手を振り落として暴れ回り、四方へ駆け出したりその場で足踏みして怯えていたりする。


 聴力のいい獣人は耳を抑えて転げ回っている。

 申し訳ないことをしちゃったな。

 でもまあ死ぬよりはいいでしょと開き直る。


 猫ちゃんはと言うと、雷の音にはやられなかったが、とんでもない大きさの稲妻を目の当たりにして怖がってしまったようだ。

 俺の腕の中でびーびー泣いているのを宥める羽目になった。


 雷雨はまだ続いており、俺は兵士の方に、ひとつ小さな雷を落とした。

 ドラゴンに落としたものの百分の一も威力はない。

 誰にも当たらないように地面に狙いを定めたが、それでも十分だった。

 我先にと兵士たちは逃げ出した。

 馬に乗るのも忘れ、逃げ惑った。

 その背後にダメ押しでもう一発落とす。

 尻に火をつけてやると、ギャーギャー叫びながら逃げていった。

 それで雷雨は霧散して、元の晴れやかな空に戻っていった。


 獣人の方は、稲妻の威力を目の当たりにして、誰ひとり動けなかったようだ。

 ちょうどよかった。

 誰か人間語(仮)を話せないか聞いてみることにしよう。

 丘を下りて接触を図る。


 獣人たちには怖い顔で睨まれ、猫ちゃんと同じような言語で何かを喚いていた。

 もしかして、誰も人間語(仮)はわからない?


 とりあえずアースドラゴンにやられて瀕死だった獣人を治療して回ると、さっきまで向けられていた敵意が和らいだ気がした。

 獣人は筋肉ムキムキの獅子系から、細身の狐系まで様々だった。

 その中でも一番若くて、口から血を流して危うく死にかけていた狼系の少女を治療すると、少女は薄く目を開いて、力なく「ありがとうございます」と礼を言った。


 この子は当たりだ。

 言葉がわかる。

 十五人全員の治療を終えるが、十八人の獣人が死んでいた。

 ついでに全身洗浄もやっておいたので、彼らは生まれ変わったようにきれいだ。

 怪我を治すために彼らに近づいたら、ちょっと臭っていたからな。


 俺がそういう臭いに慣れればいいのだが、不衛生なのは受け入れられそうもない。

 どうせ水魔術は魔力がある限り使い放題なのだ。惜しむ必要もないだろう。


 怪我を負って動けない兵士も数人ほど転がっているが、そっちはどうでもいい。

 搾取する側とか知らねーし。

 自分のことは自分で何とかしろし。


「こっちも助けてくれ……」

「頼む……」

「金貨百枚いまここで積めやコラ。そしたら治療してやるわコラ」

「そ、そんなぁ……」

「弱音吐くなコラ、兵士のくせにコラ」


 兵士を適当にあしらって人間語(仮)を喋れる獣人を聞いて回るが、なんとか言葉が通じるのは三人しかいなかった。

 それも半分も伝わらず、こちらの言葉を片言でしか話せない。

 ちょっとだけでも理解できる獣人は一様に狼系少女を指し示す。

 気を失っているこの少女に聞けということらしい。

 こうなると本格的に獣人語を覚えて損はないかもしれない。

 猫ちゃんとちゃんと話してみたいし。


 俺がいま抱えている問題をすべて片付けたら、猫ちゃんと縁側で寝転びながらゆっくり昼寝でもしたいしな。

 そんな落ち着いた日が来ることを願いたい。

 そういえば、俺がこっちに転生してから、ろくに落ち着けていない。

 魔術と出会うまでのわずかな間だけ、俺が肉体を拝借しているアルシエルに行動権を預けていた。

 それこそ赤子が母親の腕から抜け出して、外を知るまでの短い間だった。

 アルシエルには肩身の狭い思いをさせているな。


 自分の中にアルシエルがいるのはわかる。

 そのうち交信ができるようになるだろうか。

 彼には様々なことを教える必要がある。

 それが俺の責任でもあるのだ。

 そうしたら、行動権を求めてくるだろうか。

 ……無理だろうな。


 溜め込んだ知識は使ってみたくなるものだ。

 ある日突然子供が親に逆らいたくなる理由はここにある。

 アルシエルは言わば爆弾だ。

 俺はできるだけ爆弾が爆発するまでの時間を伸ばすことを考えている。

 アルシエルが物を冷静に見られるようになるまでの辛抱だ。


 落ち着かないな。本当に落ち着かない。

 常に何かに急き立てられているような人生である。

 何も考えずに縁側で猫ちゃんと昼寝なんて、夢のまた夢だ。

 考えるだけで気の遠くなる話だ。


 いずれ双子が安全に、安心して暮らせる拠点を手に入れた暁には、俺はフェードアウトして消えてしまおう。

 この肉体を当の持ち主であるアルシエルくんに返却して。


「にゃー」


 猫ちゃんがすり寄ってきた。

 背中に頭を擦り付けてくる。

 ついでに手を握られた。

 治療の間、ちょっと手を放していたのだ。


「…………」

「…………?」


 くりくりな青色の瞳が見上げてくる。 

 消えるにはちょっとまだ早いかなあ。

 そんな風に思わなくもない今日この頃。

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