第55話 戦闘態勢
大霊峰から引き返した俺たちが見たもの――それは壊滅した村だった。
生きている人間はもはやおらず、魔物がそこらじゅうを徘徊していた。
「一足遅かったようじゃな」
「それよりもリエラですよ」
この展開はある程度予想がついていた。
むしろ予想通りすぎて、冒険者の頑張りが足りなかったことに文句を言いたい。
俺は一直線に納屋を目指した。
裏山側から村を望むと、城壁の様に納屋を覆っていたはずの一部が崩れて魔物が侵入しているのが見えた。
「は?」
俺はぞっとした。
「……嘘だろ?」
最悪の結果が脳裏をよぎる。
思い浮かべまいとしても次々に湧いてくる。
目に入れても痛くない大事な妹が、まさか魔物の腹の中に入っちゃった?
冗談だろ?
俺は慌てて納屋の傍に降り立ち、扉を開けた。
「グガァァァッ!」
開けた瞬間に懐に飛び込んできたのは、妹ではなく四足歩行のリザードだった。
リエラが飛び込んできたのかと思って、受け止めようと腕を開いてしまったではないか。
鱗の色が赤銅色なのも一瞬でわからなかった理由だ。
大口開けて飛び込んでくるそいつの頭を「うおっ」と仰け反った後、「ていっ」と頭蓋に手刀を叩きつけた。
脳天を破壊されたリザードは目がぐるりと回って白目を剥き、それだけで昇天する。
納屋の地下室を覗いてみたが、リエラはいなかった。
血が飛び散っていないので、魔物のごはんになってしまったというわけではないようだ。
しかし荒らされた形跡はある。
と、冷静に考えている俺だが、実際はかなり焦っている。
納屋の地下室への蓋を、すでに三回は開いて隅々まで確認している。
隠れる場所なんてありはしないので、何度見たって同じはずなのに、だ。
部屋は、おそらくリザードが荒らし回ったと思われ、床に落ちていた絵本は散らばっていた。
歯形が付いているのでリザードが噛んでボロボロにしたのだろう。
少なくともリザードとリエラは遭遇していないわけだ。
絵本はいつもムダニに見つからないよう地下室にしまっているので、リエラが絵本を読んでいる最中に誰かに攫われたと仮説が立つ。
村が魔物に襲われている最中に村人を助けもせずリエラだけを狙うその犯行。
普通の攻撃では破壊できないように頑強に作られた城壁をいとも容易く突破する実力。
「……犯人は、考えるまでもなかった」
犯行動機、実行力ともに持ち合わせているのは、人様から強引に魔剣をカツアゲるような男しかいないではないか。
リエラを連れ去って何をする気だ。
いっそナニをする気か。
まだ八歳児のくせに。
清純派で売り出せるリエラを頭のてっぺんから足の先まで白い液で汚すつもりか。
そんなことをお兄ちゃんが黙って許すと思うのか。
寝取られかと。
俺は普段冷静そのものだ。
怒り狂うなんて知的な人間のすることではない。
見た目は八歳児だが、中身は三十過ぎの紳士である。
幼女に優しく、妹には甘い、そんな自分像がある。
他人から見た俺とは全く別物だろうけどな。
それでも、八歳児とは思えない大人びた行動力が、エド神官や師匠にも認められる風格を醸し出しているわけで。
そんな俺がいま。
「あのクソガキ……!」
怒りを抑えられずに「きぃぃぃぃぃっ!」とか奇声を発して地団駄を踏んでいるとしたら、普段冷静な俺しか知らない師匠はどんな顔をするだろうか。
「とりあえず落ち着け」
師匠は納屋で暴れる俺に一瞬で近づき、ボディブローを見舞ってきた。
俺はゲロった。
そして危うく、口から出してはいけないモツまで出しそうになった。
「落ち着いたか?」
「……ええ、思わず一生動けない体になるところでしたよ」
口元を拭い、俺はなんとか冷静を取り戻した。
頭の中ではまだ発狂する自分がいる。
しかしもう半分は知性を取り戻していた。
リエラを取り戻す。
まだ間に合う。たぶん。
どこにいる。プロウ村。そこ拠点。
許さない。絶対にだ。
潰す。潰す。プチッと。
ああ、狂気がまた知性を侵食し始めた。
「だから落ち着けと」
今度は頭を殴られた。
俺は億千万の星を見て、昏倒した。
時間にして一分ほど意識を失っていた俺は、目覚めるなりすっくと立ち上がり、探るような目をした師匠に笑いかける。
「気分はどうじゃ? ちゃんとものを考えられるか?」
「ええ、気分は爽やかです。なんだか世俗から解き放たれたと言うか、解脱した気分です。いまならなんでもできそうな気がしますよ、ははは! それにしても息苦しいですねえ。師匠もそう感じません? おいおい、なんだか体にまとわりついているものが邪魔だなあ! 服なんてないほうがいいよね! 縛るものから解き放たれるためには、みんな一糸まとわぬ姿になればいいんですよ! それこそ生き物が生まれてきたありのままの姿なのですから! さあ、師匠も――」
師匠は無言で拳を引いた。
「あ、うそです。正気です。だからもう殴らないで」
ずり下げていたズボンをしっかりと履き直し、両手を上げて敵意のないことを表すポーズを取る。
「冗談もほどほどにせい。いくらわしでも壊れた心までは治せんぞ」
「それくらいの余裕を取り戻さなくちゃ師匠はバンバン殴ってきますからね。まぁ人間なんてどっかしらネジが抜けてるんだから、気にしても損ですよ」
「……ちなみにソウスケ、おまえは脱ぎ癖でもあるのか?」
「それは聞かぬが花というやつですよ。野暮なこと聞いてないで、行くところに行きましょう、師匠」
「ああ、そうじゃの。わしは心が狭いのかもしれん。友人の性癖を受け入れる自信がないのじゃよ……エルフは淡泊じゃからのお」
なにやら師匠はぶつぶつと独り言を漏らしていた。
聞かないのがマナーだろう。
というわけで俺たちは出発した。
揺るぎない足取り(空中滑走)でプロウ村へ飛んだ。
空は雨雲で覆われていた。
最近晴れ間を見ていない気がする。
それほどに雨は長く降り続いている。
この土地の魔力が安定せず、異常だからだと師匠は言う。
膨大な魔力は時に天候や環境まで歪めてしまうらしい。
魔力ありきの世界は大変だ。
俺たちのすべきことははっきりしている。
ふたりのおバカさんをぶっ飛ばし、リエラを救出することだ。
村の復興? ぼきゅこども。そんなのしーらなーい。
つまるところ重要なのは、オイタが過ぎた馬鹿な村長の息子に制裁を与えることだ。
生死は問わない。
そしてぶっころがす。
そしてぶっころがしまくる。
師匠は俺がオーバーペースで飛ばしているにも関わらず、涼しげな顔で横に並んでいる。
「ソウスケが妹をどんなに大事にしているか十分すぎるほどわかったのう」
「師匠、俺は今日、殺人者の面目躍如します」
「ソウスケは先ほどからギラギラと殺気を放っておるのじゃ、手加減などできようもないじゃろ」
「妹を傷物にした罪、死んでも許さない」
「まだそうと決まったわけではないじゃろ。先走り過ぎじゃ」
「生まれてきたことを後悔させてやる。あのクソガキ、あのクソガキ! 魔剣をパクっただけでやめときゃ見逃してやったものを!」
「性格が変わっておるぞ。いや、これがソウスケの本性とやらかの。普段は落ち着いているくせに、その貌をひとたび剥がすとこんなにも凶暴な男だとはの」
「俺の話はどうでもいいんですよ、師匠。元はと言えば村をこんな有様にした元宮廷魔術師だかにも責任はあると思うんです。だから――」
俺は師匠に顔を向け、にこりと笑いかける。
「そっちも潰しましょうね?」
暗に師匠にそっちを殺ッといてくださいねと言っている。
「お、おう……善処するかの」
師匠は目を泳がせながら頷いた。
俺に気圧されて首を縦に振ったように見えた。
「魔力が一時的になくなっても師匠の動きは十分速いですよ。できます。虎穴に入らざれば虎子を得ずってやつです」
「コケツ? コジ? 何を指して言っているのじゃ?」
「いいです。そこら辺はイマジネーションです。考えるな、感じろってことです。とりあえずそっちは任せましたからね。師匠ならヤれます。余裕です」
「余裕がないのはソウスケの方だと思うがのお……」
心配そうな目を向けられていることに俺は気づかない。
だってまっすぐ前ばかり向いているから。
瞬きもしないので、目が乾いて痛くなってきた。
プロウ村が見えてきた。
魔力の流れを見てみると、プロウ村だけぽっかりと魔力がない。
色付きの魔力の中でそこだけ色がないのでわかりやすい。
それは同時に、中にいる生き物の気配も探れないことを意味していた。
「魔力を探れませんね」
「そういう用途もあるんじゃろうな。魔物は魔力のない土地には近づかんし、わしらのような魔力を視るものに居場所を特定させないというな」
「それでは、ご健闘を」
「わしはいまの不安定なおまえが心配で仕方ないのじゃ」
「ふふふ、ご冗談を」
「不敵過ぎて気持ち悪いわ」
師匠と分かれて別々に村を探索するにはわけがある。
戦力の二分化を危ぶむ必要はない。
元々連携を取る練習なんてしていない。
お互いに協調性がないので、一緒に戦わない方が実力を不足なく発揮できるのだ。
「大事な妹なら、しっかりと守るのじゃ」
「そっちこそ、ちゃんと落とし前つけておいてくださいよね」
俺は拳を突き出した。
ちょっとやってみたかったのだ。
師匠はその拳の意味を計りかねていたが、やがて拳を作ると、こつんとぶつけてくる。
身長差があったが、お互いに対等なのだと感じられた。
何かが通じ合った気がして、それ以上言葉はいらなかった。
お互いに背中を向け、歩き出した。
名前 / アルシエル・ラインゴールド(阿部聡介)
種族 / 人間族
性別 / 男
年齢 / 八歳(三十五歳)
職業 / 魔術師、戦士、格闘家、殺人者(異界の住人)
〇アル君の持ち物紹介。
師弟の腕輪…師匠からもらった大切なもの。
金貨五枚…常時携帯。いまは使い道がない。
ウガルルムの毛皮(耐火性S)…穴だらけ。それでも有用性は落ちない。
ウガルルムの牙、爪(素材価値S)…武器や武具に加工できるらしい。
白狼の毛皮(素材価値S)…手触りがカシミアを超える。マニア垂涎。
いまのところ溜め込むだけで使い道がないと言う悲劇。




