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異世界旅行は落ち着かない  作者: 多真樹
第一部 幼年時代
54/204

第54話 師匠を追って

 村が魔物に襲われていたちょうどその頃――

 俺は大霊峰の四合目に差し掛かっていた。

 吐き出す息が凍てつきそうなほど白い。


 転生前の世界では、最高峰は八千メートル越えだった。

 明らかにそれに匹敵する標高の大霊峰は、そこに住む規格外の魔物と相まって、人間を拒絶する聖地と化している。

 先ほど倒した白銀の狼は、大森林のそれとは強さの次元が違った。

 瞬間移動かと思うような動きで背後から地面を抉る噛みつきを繰り出してきたのだが、そんな魔物ばっかりなのだろうか?


 幸い群れを作らないらしく、ハイ・ブーストで強化した身体能力と、音速すら視界に収める動体視力でもって完全に捉え切り、地面を抉ったその頭に拳骨を叩き込んで雪に沈めた。

 勿体ないので白狼の毛皮をさっくりと素材として剥ぎ取り、背中のバックパックに収めている。

 やはり大霊峰の魔物の素材は突き抜けて上等らしく、毛皮の手触りは雪毛のようにふわふわで、今まで触れたことのない繊細なものだった。

 しかし調子に乗ってはいけない。

 音速で動く狼にしろ、油断すれば俺だって一撃で殺されていた。

 お互いに一撃必殺だからこそ、先手を取ることが重要なのだ。

 そのために索敵能力に魔力を惜しみなく使う。

 そこら中にいる一撃致死の魔物を避けるように上へ昇っていく。


 ざくざくきゅっきゅっと雪を踏みしめる。

 ハイ・ブーストのおかげで寒さはある程度緩和されているが、これが環境に適応できない普通の人間なら、身体をろくに動かせずに狼の餌食だ。

 環境に適応できるかが生死を分ける。

 大森林もその要素が少なからずあったが、この大霊峰はまさしく踏み入れるものを試す大きな山だった。


 しばらく登っていると、少し風が出てきた。

 雪が舞い、キラキラと輝く粒子が文字通り身を切る。

 雪の微細な粒が、カッターの様に鋭利な切っ先を持っている。

 以前の世界では山登りなんてしなかったが、雪はこんな危険なものなのだろうか?


 問題は師匠である。

 魔力の残滓が点々と残っているから、死んではいまい。

 師匠は魔物を避けて通ることはしなかったようで、至る所に目を凝らしてわかるくらいの戦闘痕が残っていた。

 雪に覆われているが、不自然な窪みや剥き出しの岩に付いた目新しい傷が物語っている。

 師匠が通ったおかげで、俺が登るのに楽をしているということもある。


 開けた場所に出た。

 緩やかな斜面だが、平地のようでもある。

 平地の奥に、五メートルもの口を開けた洞窟があった。

 一目見てやばいとわかる魔力量を奥から感じる。

 いまの俺では到底敵わないような、ウガルルムさん二十体分の威圧感が洞窟の奥から垂れ流されている。


 奥に潜むのがドラゴンと言われても驚くまい。

 今の俺では敵いっこない。

 できないと感じたことはしない主義である。

 しかし驚くなかれ、洞窟の入り口には探し人がいるではないか。

 背中を向けているが、あのすらりと高い身長と雪風にたなびく金髪は間違いない。


「師匠……」


 雪風がうるさくて聞こえるはずがない。

 しかし師匠は、俺のつぶやきを聞き取ったように振り返った。

 にこりと笑ってくれた。

 俺はそれだけで泣きそうになった。


 洞窟を前に動かない師匠のもとへ、俺から近づいていった。

 本当は洞窟に近づきたくないから師匠の方から来てほしいんだけど……。

 膝がガクブルしているが、なんでもないですよーって顔をして師匠の横に並んだ。

 洞窟からの威圧感ハンパねぇ。


「帰りましょうよ、村に」

「いや、できんじゃろ、追われてる身じゃし」

「師匠が何をビビってるんですか。人に馴染めない引きこもりですか」

「……人は恐ろしいぞ。全く持って恐ろしい」


 間違っても、ここまで来る間に襲ってきた魔物をすべて返り討ちにしてきたエルフの言うことではない。

 人などこの環境と生態系に敵うはずもないのだから。


 人に追われる羽目になって、師匠の人嫌いがさらに加速したようだ。

 もっと遠くに行く前に追いつけてよかった。

 もう会えないものだと、覚悟したのだ。

 難儀なことである。

 しかし目の前の洞窟怖いな。


「ちなみに師匠、この洞窟の奥に何がいるんですか?」

「いまのソウスケでは手も足も出ない魔物じゃよ」

「そんなことわかってますよ! 見てくださいよ俺の脚! 寒くもないのに震えが止まらないですよ!」

「悪い娘ではないのじゃがのう」

「……女なん?(キリッ)」


 俺の表情は一瞬にして精悍になった。


「年若い娘じゃよ。魔物じゃがな」

「そんなことだろうと思ったよ! ちょっと期待しちゃったじゃないか!」

「……何を怒っとるんじゃ?」


 エルフにはわかるまい。

 長寿すぎて性欲も薄そうだ。

 魔物を娘と言うからには、あれだろうか。魔物娘だろうか。

 俺の食指は動かないな。


「ところでちょっと離れません? プレッシャーがきつくてつらいです」

「場所を変えようかの」


 そう言って師匠は洞窟に背を向けた。

 なぜ師匠がこの洞窟の前に立っていたかはわからない。

 意味もなく立っていたわけではないだろう、ということくらいしかわからなかった。


 師匠は洞窟からしばらく下ったところにある、人ひとりが通れるくらいの竪穴に案内してくれた。

 奥から獣臭さを感じるから、ちょっと前まで別の家主が住んでいたのだろう。

 ちょっと失礼するよと無理やり家宅に押し入り、師匠は家主を殺害し、いまも我が物顔で居座っているのだろうか。

 人相手にもそのスタンスだったら、今頃国家レベルで危険人物になっていただろう。


「師匠、いつまでもこんなところにいられないでしょ。村に戻りません?」

「くどいぞ、ソウスケ」

「俺がなんのためにここまでやってきたと思ってるんですか」

「わしに会うためじゃろ?」


 あらやだ、その自信はどこからくるのかしら。


「村に連れて帰るためですよ。俺、近々妹と村を出るつもりなんで、一緒に行きましょうよ」

「しかしのう……」


 歯切れが悪い。

 自分ひとりのことなら即断即決のくせに、他人が絡むと優柔不断なところがある。

 そういう面は短い付き合いの中でも見えてきた。

 集団行動はあまり得意ではないのかもしれない。


「もうあの村はダメです。俺、別に誰が何しようがどうでもいいと思ってるんで、村を壊滅させたのが魔術師でも全然構わないんですよ。恨みがあるわけでもないし、村を出るいいきっかけになりました」

「ソウスケはそういうやつじゃの。身内が関わらなければ無関心を貫くじゃろう。しかしなんだかんだ言いながら甘いところがあるからの。村を魔物から守っておったではないか」

「そりゃ妹がいますから。でも出て行った後にどうなろうが正直どうでもいい話です」

「そんな村にわしを招いてどうするつもりじゃ」

「一緒に旅をしましょうよ。師匠が一緒なら俺も妹も安心です。師匠、ロリコンじゃないですもんね?」

「不安に思うところが違くないかのう!」

「師匠以上に頼りになる護衛はいませんから」

「わしをいいように使うつもりじゃろ」


 俺は目を逸らして口笛を吹いた。

 師匠の人間不信にも困ったものだ。

 師匠は火を熾し、肉を焼いた。

 焼き上がったところを受け取り、もぐもぐと食す。

 ところでこれ何の肉?


「そういえば師匠って奥さんいるんですか?」

「故郷にいるぞ。子もおる」

「あ、いるんですね。羨ましいなあ」


 リア充め。

 そりゃイケメンエルフには奥さんのひとりやふたりはいるでしょうね。

 爆砕しろ。


「会ってみたいんですよねえ。一緒に旅をすれば会えるんですけどねえ」


 ちらっ、ちらっと目配せする。

 その意図に気づいて、師匠は口元に小さく笑みを浮かべる。

 くそう、大人な対応をしやがるぜ。


「残念だが聖地にいるのでな、会うことはないだろう。他種族は聖地に入れんのじゃ」

「うわー、なんだか取り付く島もありませんね! 会わせたくないんだーそうに違いないんだー」

「決して会わせたくないわけではないんじゃがのう。むしろ紹介したいくらいなんじゃが……」


 師匠は困ったように眉尻を下げる。

 エルフの困った顔はいいものだ。

 困らせているという優越感がある。


「俺だって妹を紹介したいんですよー。こっちは別に障害はないですしねー。師匠の踏ん切りがつけばいますぐにでも会えるんですけどねー」

「むう……」


 師匠が腕を組んで唸った。

 相当に葛藤しているご様子だ。

 いつもは訓練でやられっぱなしだから、こういうときに上に立つと気分がいい。

 器の小さい男だと罵ってくれて構わない。

 いまだに訓練では師匠に指一本触れられないくらいの力量の差があるのだから、ちょっとくらいの優越感はいつも頑張っている自分へのご褒美だ。


 そう、これは言うなれば好きな子をいじめたくなる男の子の心理というやつだ。

 構ってほしくて意地悪しちゃうのだ。

 ……違うか。


「むむう……」


 大変悩んでいらっしゃる。

 腕を組み、首を傾げて熟考中だ。


 この後、師匠と一緒に旅をすることになったらどうするか。

 妹を連れて、領主のお膝元の町に行き、エド神官と合流するか。

 いままで後回しにしていた両親探しを始めるか。

 どちらにしても流れ者になるわけだから、納屋の地下室に溜め込んだ金貨を持ち出す必要がある。


 師匠が付き添ってくれれば安心安全だ。

 俺が想像するのは、神官父娘と師匠、俺たち双子の五人で旅をする様子だ。

 きっと楽しい旅になる。

 ファビエンヌとリエラの成長を傍で見守れるし、師匠やエド神官からもっとたくさんの知識を教わることができる。

 俺にとってこれほど望ましいものはないのだ。


 師匠の顔をもの欲しそうな目で見つめる。

 目をウルウルさせる。

 気分はペットショップのケージに入った子犬である。

 保護欲をそそるのだ。

 そして。

 師匠は顔を上げた。

 決然とした顔で。


「ソウスケ、下山するぞ」

「ということは?」

「付き合ってやる。どこへなりとも案内せい」

「その言葉を待ってました!」


 もしかしたら、顔に出さないだけで師匠に途轍もない負担を強いているのかもしれない。

 でも、ちょっとは自惚れていいよね?

 俺のために師匠はひと肌脱いでくれるのだと。 

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