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異世界旅行は落ち着かない  作者: 多真樹
第一部 幼年時代
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第5話 専属メイド

第三者視点から始まります。

今後主人公視点と第三者視点を使い分けると思います。

 アルシエルが書斎に入り浸るようになったことを知っているナルシェは、仕事の合間に書斎を覗きに行くようになった。

 真剣にページをめくる姿は、正直二歳児とは思えない。

 そんなに本ばっかり読んで何が楽しいのかと思う。

 自分は字が読めないので、アルシエルが集中しているのを見て余計にそう感じるのかもしれない。


 それにしても双子でずいぶんと性格が違った。

 双子の妹のリエラシカは今日も今日とて悪戯に精を出している。

 アルシエルも妹と一緒の時は年相応な無邪気な姿を見せるが、本を読んでいるときはまるで大旦那様が無言でいるのと同じような緊張感を覚えた。


 ナルシェは、生まれが身分の低い家で、口減らしのために家を出されて六歳の頃から貴族邸のメイドとなった。

 自分が雇われた頃にはふたりは生まれていたが、相手をさせられることはなかった。

 一度アルシエルが部屋から脱走したとき、ナルシェが連れ戻してくるという一件があった。

 双子の監視を言い付かっていたメイドは怒られ、逆にアルシエルを見つけ出したナルシェは褒められた。

 おそらくその一件がきっかけで、双子の監視役に抜擢されるようになった。


 自分は今日まで何ひとつ問題なくやっているので要領は良いはずだ。

 相手が何を望んでいるか察することに長けていて、屋敷の貴族様に不快感を与えたことはない。

 ナルシェよりずっと年上のメイドが、大旦那様の衣類を汚してその日のうちにクビになったのを見たことがある。

 自分はそんなへまをやらかさないだろう。

 いままで失敗はないのだ。

 自分の器量にそこそこの自負があるのだが、ナルシェは字が読めなかった。

 覚えようと思えばできただろう。

 しかし九歳になった今も、習字に苦手意識があった。


 アルシエルを見ていると凡人と天才の違いを目の当たりにしている気分になった。

 ちょっと前までは誰彼構わず絵本を読んでもらっていた。

 絵本を小脇に抱え、メイドを見つけると駆け寄っては「えほんよんで」と催促する様に、とても可愛らしいと評判であった。

 若旦那様も若奥様も、手が空いているようなら読み聞かせるようにと使用人たちに伝達していたので、仕事をさぼる口実に、アルシエルの相手を喜んで勤めた。


 アルシエルはあっという間に字を覚え、ひとりで読むようになっていた。

 もう絵本を持って、とてとてと駆け寄ってくる姿は見られないのかと、純粋に残念に思う使用人もいた。

 ナルシェは一度頼まれたが、「字が読めないので」と素直にそう言うと、アルシエルは二度と「えほんよんで」と言ってこなかった。

 ナルシェは寂しく感じていた。


 アルシエルは読書が好きなようで、大旦那様の書斎に勝手に潜り込む。

 ナルシェはその後ろについていき、読書するアルシエルの傍にいた。

 読書しているときのアルシエルには、どうしても話しかけられなかった。

 別に緊張するというわけではない。

 相手は二歳児だ。

 だがなんとなく、この人の不信を買ってはいけないと思うようになっていた。


 それにどうも、アルシエルは人をちゃんと見ているようだ。

 リエラシカは誰彼構わずくっつくが、アルシエルは相手を見て、この人にはいま甘えていいのか考えているように思えてならなかった。

 そうでないときもあるから、たぶん思い過ごしだろうが、ナルシェに本を催促したときは、二度目はなかったのだ。


 貴族の血の優秀さを思い知る。

 ナルシェが奉公に上がる前、当時二歳になる弟の面倒を見ていた時期があったのだが、アルシエルと比べるのもおこがましいほどのおバカだった。

 弟は落ちているモノは片っ端から口に入れてゲーゲーしていたし、漏らしたうんちを壁に擦り付けるような赤ん坊だった。

 ひょっとしたらナルシェの弟には芸術の才能があったのかもしれないが、本能で生きているように思えてならなかった。


 アルシエルの目にはどこか知性の光があった。

 いずれアルシエルの父と同じ魔術師になるのかもしれない。

 そのときはきっと、若旦那様を超える優秀な魔術師になるだろうという期待が周囲にはあった。

 ナルシェは優秀な子の成長に携わっていると思うと、誇らしい気持ちになった。

 このままメイドとして働き続ければ、いずれアルシエルかリエラシカの専属にもなることもできるだろう。

 有名な魔術師のメイド。

 ナルシェは打算的な計算も得意だった。

 自分はそんなアルシエルに好かれているように思えた。

 妹のリエラシカとは別に、屋敷で一番歳が近いからだと思う。

 好かれていて嫌な気持ちはないのだ。

 アルシエルは可愛らしい顔をしていたし、将来は若旦那様のような凛々しい顔立ちになるだろう。

 将来に期待が持てる。

 一介のメイドである自分が、成長したアルシエルに見初められたらどうしようと、妄想はどこまでも膨らんだ。


 正妻にはなれないので、愛妾くらいにはなれるかもしれない。

 九歳にして大人びた考えができるくらいには、ナルシェは世間に揉まれて生きてきた。

 自分の浅黒い肌や血筋が、決してこの国では優遇されないことも知っている。

 だからこそ、初心なままでは他者の食い物にされることを早くから知り、頭を働かせるようになったのだろう。

 メイドの間にだって争いはあり、派閥や足の引っ張り合いがあるのだから。


「もう、アルシエル様、こんなところで寝ちゃって可愛いんだから」


 ナルシェが書斎を覗くと、アルシエルは本を枕にしてすやすやと寝息を立てていた。

 くすくす笑い、アルシエルの体を抱き上げる。

 打算的な考えもあるが、ただ単純に可愛かった。

 仕える家のご子息ご息女だが、ナルシェは双子のことが大好きだった。

 幼い弟と妹の面倒を見ているような気持ちになるのだ。





 最近は習慣になった書斎での読書。

 ページをめくる音だけが聞こえる……かと思いきや、今日はすうすうと、小さく寝息も聞こえてくる。

 書斎には俺の他に、もうひとりお客がいた。

 ナルシェは先ほどまで起きていたが、うとうとと舟をこぎはじめ、本棚に寄りかかった姿勢で寝入ってしまった。

 確かに日差しが差し込んできて、ぽかぽかと暖かい陽気だ。

 俺はここ最近、お昼寝を済ませてから読書に臨むので眠気は一ミリもない。


 最近になって、俺の監視役メイドにナルシェが付くようになった。

 最初は書斎の外で待っていたが、俺が頼むと部屋に入ってきて、一緒に過ごすようになった。

 それがしばらく続いて、きっと緊張感が薄れてきたのだろう。

 眠っている少女。

 いくらメイドとして優れていようと、九歳のあどけない少女だった。


 この屋敷で九歳の子供を使用人として従事させていることに驚いたが、この世界では別段おかしいことではないらしい。

 幼いうちから奉公することによって、卓越したスーパーメイドになることができるのだろう、知らんけど。

 俺は胸もまだ膨らんでいないようなナルシェに悪戯をすることも考えたが、やめておいた。

 キスのひとつでもしようと顔を覗き込んだら、彼女の目の下にうっすらと隈ができていたのだ。

 寝かせておこうと紳士な気持ちになった。

 ここにいれば、少なくともサボっていたことにはならないだろう。

 俺のお目付け役。

 そのうち専属にしてもらおうと考えている。


 俺は魔術本の熟読に戻る。

 実践だと、初級は特に苦も無くできた。

 魔力を意識的に感じて操作することの重要性も、本を何冊も読んでいくうちに確かなものなっていた。

 だから、魔術を使わないときでも意識的に体の表面に魔力を巡らす訓練をずいぶん前から始めていた。

 体の周りに熱をまとうイメージだった。

 もやのような魔力を集めて留めることは難しい。

 でも少しずつ、できるようにはなっている。

 気を抜けば解けてしまうが、そのうち無意識でも纏っていられる状態にまでできるようになるだろう。


 この訓練は、大気に溶け込んでいる魔力を体内に微弱ながら取り込む効果もあるので、魔力槽を拡大する訓練にもなるそうだ。

 これらはいわゆる身体強化になるのだろうが、そこまでの意識はない。

 生前はオーラで武器を生み出す漫画にのめり込み、空想をよくする子供だった。

 自分はちょっとニヒルなところがあるから変化系だなと勝手に系統を決めたりもした。

 それが違う形でも現実のものとなっているのだから、一日中のめり込むのも仕方のないことだと思う。


 本を読んでいても魔力を留める訓練はしているが、熟読しているうちにふと気づくと、魔力を解いていることが多い。

 できれば寝ているときにすら魔力を体の表面にまとっているようになりたい。

 別に、世界を救ったり転覆させたりする魔術師はちょっと大げさだから、ちょっともてはやされるくらいの強い魔術師になるのが理想だった。

 妹に尊敬され、可愛い女の子に憧れるくらいがいい。

 完全に下心で動いていると謗るなかれ。

 モテたい欲求は男の最大の原動力だ。


 そうしていると、書斎に客がまたひとり訪れた。

 皺の深い老紳士だった。

 よくよく見れば書斎の主でもあった。


「アリィか」

「はい、おじいさま。本を読んでいます」


 祖父はあまり喋らない。

 じっと見つめられたので、俺も見つめ返す。

 何かを見透かすような目に、俺はいつも内心でドキドキだった。

 アルシエルの中にいる俺に気づいていて、「ウチの孫から立ち去れ、悪魔め!」と突然言い出しかねない鋭い鷹の目なのだ。


 祖父は特に叱るつもりはないのか、口元に笑みを少しだけ浮かべた。

 俺は安心したが、それはまだ早かったらしい。

 祖父はメイドが寝ているのを見て、口元を引き締めた。

 あ、これはちょっとまずくね? と思うような目つきになったのだ。


「おじいさま、ナルシェはぼくのおめつけやくです」

「そうだとしても、職務を放棄しているのではないかね?」


 相変わらず低く腹の底に響く声だ。

 全盛期はさぞ女性を悩ませたことだろう。

 祖父とおしゃべりをしていると、ナルシェがはっと目を覚ました。

 雇用主を前に、ナルシェは見る間に青褪めた。

 見ているのが申し訳なくなるくらい、わなわなと震えている。


「おじいさま、どうかナルシェを怒らないで」

「そうはいかんだろう。仕事のできない人間を雇うことはできん」

「ナルシェは仕事をしていましたよ?」

「それはおかしい。いまのいままで寝ていたのだろう?」


 俺はナルシェに目を向けた。

 祖父もナルシェに目を向けた。

 俺と祖父の顔を往復していたナルシェは、何も言えずに俯いてしまった。


 祖父がメイドを解雇するところは、何度か見ていた。

 一見すると容赦のない裁量だが、それは相手に非があった場合が多い。

 何度も目溢ししてもらって、結局直らなかったせいもあると俺は知っている。

 だから、ナルシェをいきなり解雇することはないと、俺は踏んでいた。

 メイドをダシに、俺との会話を楽しんでいるのだ。


 これをチャンスだと、俺の中の参謀が言っている。

 ちなみにその参謀は、洟垂れのアルシエルではない。

 俺はパタンと本を閉じ、いそいそとナルシェの前に立って祖父と向き合った。


「たしかにナルシェは眠っていました。なにか起こったとき、きっとすぐには動けなかったと思います」

「そうだな。で、そういう非常時に対処できないとわかっていて、おまえは仕事をしていたと言うんだな?」

「はい。おじいさま」

「それはどういうことか、理由を聞こうか」

「ぼくはナルシェが好きです。ナルシェがそばにいると、安心できます。だからナルシェは、ちゃんとお仕事をしてると思います」


 目上の人間への言葉遣いは、リエラシカもできる。

 俺ほど流暢ではないが、逆らってはいけない人間をきちんと理解しているのだ。

 祖父は、その最たる人物である。

 祖父はまっすぐに俺を見つめてきていた。


「おまえを安心させるから、それが仕事になると言うんだな?」

「はい、おじいさま。ナルシェはよくやってくれています」

「詭弁だな。それでは仕事をしなくていいことになってしまう」

「ぼくもそう思います」

「ふふ、小賢しい孫だ。本当にわかっているのか」

「わかってます。でも、本当です」


 祖父はふっと表情を和らげ、俺の頭を不器用に撫でた。


「いいだろう。今回はおまえの顔を立てよう」

「ありがとうございます。それと、お願いがあるのですが」

「なんだ? 言ってみろ」

「ナルシェをぼくのメイドにしてください。ぼくとリエラのメイドでもいいです」

「ふむ」


 祖父は俺の両脇に手を差し込み、軽々持ち上げてナルシェの前からどけてしまう。


「おじいさま!」

「なに、ちょっと話をするだけだ」


 俺をゆっくりと脇に降ろすと、祖父はナルシェの前にしゃがみ込んだ。

 ナルシェは居住まいを正すのが精いっぱいで、目に涙を貯めている。


「おまえに確認を取りたい。いいな?」


 コクコクと、ナルシェは頷くことしかできないようだ。

 口を開いても、喉から声が出ていない。


「孫がおまえを専属にしてほしいと言う。おまえはその大役を、果たしてこなすことができるのか? できないと言うのであればいまのままで扱いを変えることはしない。解雇ももちろんしない。だがしかし、できると言うのであれば、今後おまえの仕事は責任が増し、それを見る我々の目はさらに厳しくなる。うかうかと昼寝もしていられないぞ? さて、どうする?」


 ナルシェは目を白黒させていた。

 頭では必死に考えているのだろう。

 祖父から俺へ、視線が動いた。


 俺を見つめる目。内心が読めなかった。

 拒否するだろうか。それだとちょっと寂しい。

 俺の専属になるメリットが少ないどころか、デメリットの方が多い気がする。

 もしまた昼寝でもしようものなら、当然解雇されるだろう。

 専属になるには厳しい条件を課せられている。


 ナルシェは、首を横に振る……かと思ったが、こくりと頷いた。


「……はい。やらせて、ください……」


 涙声で、祖父に言った。


「では、そのようにしよう」


 祖父はもうナルシェを見ていなかった。

 自分の椅子に腰かけ、何やら書き物を始めていた。

 俺はなんだか、これ以上本を読む気になれなくて部屋を出ることにした。

 本を借りていいか祖父に尋ねると、一冊だけ持っていくことを許可された。

 ナルシェも一緒に書斎を出る。

 部屋を出る際、ナルシェが祖父に深く深く頭を下げている姿が、妙に心に残った。


 ナルシェは俺から本を受け取り、俺がお願いすると手を繋いでくれた。

 いつもなら「どこに行きましょうか?」と尋ねてくるところだが、今日のナルシェは唇を噛んでぐっと涙をこらえているのに精いっぱいだった。


「部屋にもどる」


 俺がそういうと、「はい」と短く答え、こくりと頷いた。

 ついでに目元をぐしぐしと袖で拭っていた。


「坊ちゃま、ありがとうございました」

「アリィでいいよ」

「アリィ様」


 様を外せと命じるのは、立場上厳しいので言わない。

 もし呼び捨てにしようものなら祖父でなくとも家人が見たら即刻クビにするだろう。


「今日から誠心誠意、お仕えさせていただきます」


 ナルシェの声は震えていた。

 その後に、鼻を啜る音が聞こえた。

 紳士なら何も言わずにハンカチでも差し出すところだが、生憎と二歳児なのでヨダレかけくらいしかない。

 何も言わず差し出すと「大丈夫です」と、か細い声で返ってきた。


 ……まあ、いいんだけどね。

最終編集:2017/5/21

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