第47話 召喚状
私の元に届いた手紙には、領主の家紋印が押してあった。
最北西の方伯領、エルバニー伯爵の印だった。
そんな手紙が届く間柄では決してない。
顔も見たことのない伯爵から手紙が届く意図が読めない。
蝋を剥がして手紙を開いて、さらっと目を通すと、招集状だということがわかった。
ウチの領内で今度お祭りをやるから、その神事を君に任せたいな、という内容が形式ばって書かれていた。
ついでに、私がいま所属しているキリスク町の神殿にはすでに話を通していて快諾をもらってるから、あとは君の返事だけだよ、と。
断ることはできないだろう。
断ればキリスク町の神殿は領主から目を付けられるし、領内で領主に逆らうことにいいことなんてない。
私は頭の中で、領主の街までの道のりを計算していた。
ここからだと半月はかかる。
神事は少なく見積もっても半月はかかるだろう。
戻ってくるまでさらに半月。
短く見積もってひと月半。
領主が直々に手紙を寄越したのだ。
いろいろ役職の人間に会うことになれば、滞在期間はもっと長くなるだろう。
役目を終えて解放されるまで、三か月は見ておいた方がいい。
私は悩んだ。
断れないことはわかっている。
要はどれくらい早く戻れるかと、いまある生活をどう維持していくかだ。
私の頭には、赤毛の双子のことがあった。
彼らが望むなら一緒についてきてもらうことも可能だ。
四人での生活を、私は思っていたよりも気に入っているようだ。
若い友人ができ、娘がふたりになったような気さえする。
いまの生活が続くのなら、それに越したことはないのだ。
私は相談してみることにした。
「アル、領主からの呼び出しで村を出ることになってしまった。もしよかったらふたりとも一緒にこないか?」
「ぼくは行きませんよ? ここを離れられません。まだやりたいことがたくさんあるので」
アルはあっさりと行くことを拒否した。
逆に清々しい。
「エルフの師匠が大森林にいるんだったか?」
「そうです。ぼくはまだ強くなりたいので。それに、村の中でエルフを追い出すって動きがあるでしょ? あれを何とか食い止めないと」
「私もそれに関してはひどい噂だと思っている。できるかぎりの協力はするつもりだ」
豪農のムダニが積極的に流している噂だった。
魔物の群れが流れてきているのは、すべてエルフが呼び寄せているからという根も葉もない噂だ。
エルフが不浄とされる魔物を呼び寄せる意図がわからないし、何よりアルが信頼を置く師匠なのだ。
ムダニとアルのどちらを信じるかと言えば、私は迷わずアルを支持する。
「リエラは?」
私はテーブルで娘と一緒にちくちく縫物をしていた赤毛の妹に声を掛けた。
「うん?」
「私とファビエンヌはおそらく三か月ほど戻ってこれない。ついてくるかをアルと話し合っていたのだが……」
「お兄ちゃんと一緒? なら行く」
「お父様、わたしも行くの?」
リエラは何の疑いも持たず答えている。
逆にファビエンヌは不安そうだ。
「アルはこない。まだやることがあると言った」
「じゃああたしも行かない、です」
リエラはファビエンヌにすまなそうにしている。
彼女はよくできた子だ。
わがままを言わないし、自分でできることは率先してやろうとする。
双子の兄であるアルを見てきて、なんとか追いつこうという努力が見えた。
「じゃあわたしも行かないわ! リエラと離れるのは嫌だもの!」
針と布を放り出し、リエラの首に抱き付いた。
リエラは困惑した顔だった。
娘は少しわがままだ。
可愛らしいものだが、一度こうと決めると梃子でも動かない強情さがあった。
「それは……私を困らせてくれるな、エンヌ」
「やだやだ! 離れるのはやだー!」
「ふむ……」
私はどう説得しようか悩み、腕組みをした。
そのときアルが動いた。
アルは娘の肩をポンと叩く。
「ずっと一緒にいたら、きっとファビーは俺に追いつけないよ?」
「うぅ……」
「今回の旅はきっといろんなものを見られると思う。俺が知らないこともいっぱい知ることができると思う。そうして俺に負けないくらいになって再会すればいいよ」
アルは思わぬ行動に出た。
テーブルに置いてあった針を、自分の手の甲に深々と刺したのだ。
自分で押しこんで、深く傷つけていく。
最初にリエラが悲鳴を上げた。
椅子から飛び降りて、アルの傷を治そうと手を伸ばす。
が、それをアルは手で制した。
リエラは涙目になっておろおろしている。
娘はというと、針が貫通しているアルの手をじっと見つめて、口を開けて固まっていた。
私はアルのしたいようにやらせてみることにした。
もちろん、怪我を治せるように準備はしている。
「この怪我だって、俺なら目を閉じても治すことができるよ」
そう言ってアルは自分の手の甲に、手を重ねた。
詠唱もなしに、重ねた手から淡い光が発せられる。
手の甲から貫通した針が、手のひらを通ってゆっくりとテーブルに落ちた。
重ねた手をどけたアルの小さな手は、何事もなかったようにきれいなままだった。
「ファビーはまだ、ここまでうまく治せないよね? でも俺だってなんでもできるわけじゃない。いくら頑張ってもなかなか解毒はうまくならないし、欠損を治すのだって練習のしようがないからできないよ。でもファビーがこれからいろんなところを旅する間に、きっと練習する機会に恵まれるはずだよ。こんな村にいては得られない経験をね」
「……アリィはわたしのこと、嫌い?」
娘は涙目だった。
口を開いたかと思えば、眩暈を覚えるようなことを口走っている。
アルは虚を突かれたようで、目を見開いた。
彼が驚く姿と言うのも貴重だ。
何と答えるのか興味があった。
嫌いと答えたら娘を泣かせた罪で殴るし、好きと答えたら娘を誑かせた罪で殴る。
結局アルに逃げ道はないのだ。
「……ううん、好きだよ。だからここで立ち止まってほしくない。ファビーはもっとすごくなれる。エドさんよりももっとね」
不意にアルに見つめられた。
私の方が虚を突かれた。
娘がアルにつられて私を見る。
私は、頷いてやるので精いっぱいだった。
確かに娘の才能は伸ばせば伸ばしただけ開花するだろう。
この村では魔物が襲ってくる。
怪我をした人間は私や娘が治癒しているので、経験には事欠かない。
しかし、大きな町の医療機関はこんなものではない。
毎日戦場の様に人が運ばれ、そのときそのときの判断が命に深く関わってくる。
まだ娘には早いと思ったが、望むならそこに連れて行ってもいいと思えた。
私なんかよりアルの方がよほど娘の展望を見据えて話している。
それがちょっとだけ、父として悔やまれた。
保護者として見ているか、対等な間柄として見ているかの違いだろう。
どうしても私は、娘に甘くしてしまう。
「……ねえお父様、いつ行くの?」
「そうだな、あとひと月と言うところか」
「ひと月……」
俯いた娘を心配して、リエラが背中を撫でさすっている。
アルは席に着き、黙って娘を見つめている。
私は娘の答えをただ待つしかない。
しばらく誰も何も話さなかった。
ポタ、ポタっと滴の落ちる音を拾えてしまうくらい、部屋は静けさの中にあった。
ごしごしと、娘は目元を拭って顔を上げた。
正面のアルを睨み据えて動かない。
「わたし、行くわ」
「そうか……」
よかった、とは軽々しく口にはできない。
娘にとって、重大な決断だったのだ。
いまの娘はアルに対抗心を燃やしているだけだが、それがどこから来るものかわかっているのだろうか。
アルの今の実力は、正直なところ私では足元にも及ばない域にいるかもしれないと思っていた。
治癒魔術の分野では、まだ私に一日の長がある。
しかしそれも、アルはいずれ追い抜いていくだろう。
そんなストイックな彼に、娘は追いつこうとしている。
必死にその背中を見ている。
憧れと劣等感と、いろんな感情をごちゃまぜにして、年下の彼の背中を見ている。
一年後、二年後、その感情が篩にかけられて、残るものを私は今から心配していた。
アルと娘がこのまま良い友達で並行に進んでいけば、父としては安泰である。
体の成長に引きずられるようにしてお互いを意識し合うというのが、もっとも避けねばならない事態だった。
「わたし、絶対アリィよりすごくなってみせるから!」
娘は、涙がぽろぽろと零れて止まらなくなっていた。
アルは頷いて、外に出て行った。
この家で夜に出て行くアルを止めるものはいない。
私は娘の頭を撫でて、寝室に連れて行った。
一緒にリエラもついてくる。
娘はぐずついて、毛布に潜り込むなり私に背中を向けた。
「エンヌちゃん、泣いちゃったね」
「そうだね。別れはとてもつらいことだから」
「でもまた会えるよね?」
「ああ、一生の別れじゃないよ」
「なら大丈夫だよ。あたし、我慢できるよ? だってエンヌちゃんにはお父さんがいるもんね。あたしにはお兄ちゃんがいるから、さびしくないよ」
私はリエラの頭を撫でた。
赤毛の少女は、照れたようにはにかんでいた。
娘たちが寝静まった後に、私はテーブルでちびちびと酒を舐めていた。
いずれ終わりは来ると思っていたが、こんなに早いものだとは思いもよらなかった。
積み上げてきたものが崩れるのは一瞬だ。
妻のときもそうだった。
扉が開いた。
外に出ていたアルが帰ってきたのだ。
運動をしてきたように肌が上気している。
「ただいま戻りました」
「おかえり。説教はしたくないが、さすがに帰ってくる時間を考えた方がいい。心配するぞ」
「魔物退治に手間取っちゃって」
嘘は言っていないのだろう。
見ると彼の靴には血が付着していた。
背中に負った袋はパンパンだった。
彼はその袋を下ろし、中身を選別している。
私が黙って見ていると、獣臭さが漂ってきた。
私は顔をしかめた。
酒のつまみに合うようなものではなかった。
「あ、ごめんなさい。臭い取りすぐしますので」
アルは私の顔に気づくと、袋の中に手をかざした。
すると漂っていた臭いがすぅっと消えていく。
風魔術で消臭でもしたのだろう。
それからアルは何度か手をかざし、袋の中身に更なる加工を施しているようだ。
「ちょっと外に干してきます」
そう言ってまた出て行き、しばらくすると戻ってきた。
彼は何事もなく正面に座る。
「なんだかあっという間でしたね、この生活も」
「できることなら君たちを置いていきたくはないんだ。それはわかってくれ」
「大丈夫です。出会いがあれば別れもある。そういうことですから」
私が招集に応じることは不本意であるという「わかってくれ」の意図を正確に汲んだ上で、アルは諦念のような「大丈夫です」を返してくる。
まるで夢を見ることが無駄なのだと言っているように聞こえ、私は悲しくなってしまった。
「人のしがらみから逃れたくて巡回神官になったはずだったのにな。私や私の周りにいる人間の気持ちを踏みにじってまで強要されることが、なにより嫌だったはずなのに、私はいまも従ってしまっている」
「しょうがないです。エドさんは優秀な治癒師ですから。出来の良い人間はそれだけ多くを人から望まれますから」
「アルに優秀なんて言われるとこっ恥ずかしいな」
私はそれが世辞だとは思わなかった。
彼なりの評価なのだ。
「優秀だと周りからちやほやされるために力を付けたわけじゃなかった。ただ強くないと大事なものも守れない世界だから、強くあろうとしただけなのにな」
「理不尽なことですね」
「アルが自分の力を隠す理由もわかってる。ただそのせいで、誰からも賛同を得られないということもな」
「耳に痛い話ですね」
私はエルフ討伐の動きに対して言っているつもりだった。
実力を示さなければ誰も聞き入れない。
しかしその実力を見せてしまえば、思っていた方向と違うことに自分が利用される恐れがある。
その葛藤をアルは常に抱いていたはずだ。
たとえば彼の弱点であるリエラを人質に取られたらどうする? おそらく、彼はリエラを襲った者すべてを殺し尽すだろう。
それくらい妹に傾注していることを私は知っている。
私が娘を溺愛しているのと、似たようなものだ。
問題は、彼が力を見せたことで寄ってくる虫は後を絶たないということだ。
いつリエラが傷つくかもわからない、あるいは妻の様に二度と帰らぬ人となるかもしれない。
そんな恐怖と戦い続けられるほど、たぶんアルは強くない。
力は強い癖に、心は年相応に脆い。
私は彼をそう評価していた。
決して私の前では弱さを見せない。
きっと私が寄りかかれるほど強い大人ではないせいだ。情けない。
彼にとって今回のエルフ討伐の一件は、師匠が森から追い出されるという目に見えた問題ではないのだ。
人々の意思が流れの様に一方向に向き、たったひとりを亡き者にしようとしている事実。
アルはそのことに極端と思えるほどに怯えている。
私もできうる限りの協力はした。
診療に来る人間に、エルフは友好的で怪我を負った私を助けてくれたこともある、と嘘をつくことだってした。
果たして心を動かされたものがいたのかはわからない。
だが未知の存在に対する恐怖を、そうやって緩和していくことしか私にはできなかった。
「うまく答えがでないんです。どうしてか、頭の中がぐちゃぐちゃになるんです」
「迷ったら、本当に守りたいものの傍にいることだ。愚直に、それを守ることだけを考えるしかない」
私は酷なことを言っていると思う。
エルフを捨てて、妹をただ護れと。
エルフを護るなら、妹は捨てることになると。
私が妻を失ったとき、私は妻の傍にいてやれなかった。
そのことをいつまでも悔やみ続けている。
その経験を、私は彼にさせたくないだけなのかもしれない。
「リエラも連れて行ってください。そうすれば、俺も安心して師匠の傍にいられます」
「彼女を説得するのはアルの仕事だよ。娘を誑かしたように、うまくその気にさせてみればいい」
「……無茶言わないでください」
アルは苦い顔をした。
それはそうだろう。
リエラだって、実はファビエンヌと同じくらい頑固だ。
普段は頑なになるようなことがないからなりを潜めているが、こうと決めたら絶対に動かない芯の強さがあった。
もしかしたら、心の強さは兄以上かもしれないと、なんとなく私は思う。
アルはいろんなことを考えすぎて身動きが取れなくなる。
しかしリエラは、ただひとつのことを考えて、そのためにしか動かない。
その違いだろう。
「どうやったら説得されてくれますかね、リエラは」
「アルが私と一緒にくればいい」
「師匠を置いていけませんよ」
「なんならその師匠と一緒に、領主の街に行けばいいさ。エルフに会えて娘が喜ぶ」
「それも難しいと思います。師匠、人付き合いが苦手そうだから」
「エルフなのに人付き合いとは、なんだか笑えるな」
「こっちは笑い事じゃないですって」
私の晩酌に付き合ってくれるこの小さな友人とも、短い別れが待っている。
私は大人だから、いちいち別れに感傷的にはならない。
今まで出会ってきた気の合う仲間とも、別れて今がある。
冒険者時代が懐かしい。
貴族出身のくせに気さくな魔術師と、赤毛で美貌の剣士、それから私の妻になった治癒術師、迷宮攻略や交渉など雑多なことを任されていたシーフ。やつはいま商人になったのだったか。
五人のパーティで迷宮を荒らし回った二十代前半が、遠い昔のことのように思えた。
各々の出生を考えれば決してひとつのパーティになることはなかったのに、冒険者という世界がそれを可能にした。
あのときほど楽しい時間はなかった。
若い力が漲っていた頃だ。
私は酒の中に、かつての思い出を見ていた。
いつの間にか黙っていたらしく、目を上げるとアルが椅子にもたれかかって舟を漕いでいた。
アルが私の前で隙を見せるのは珍しい。
それくらいには、信頼してくれたのだろう。
彼の腕に嵌った光沢のある銀色の腕輪。
エルフの師匠からもらった大事なものだそうだ。
私の見ていないところで、彼も大事なものを増やしている。
それを護るために、アルは小さな体で戦っているのだ。
私は彼を抱き上げ、そっと寝室に連れて行った。
登場人物第4弾
名前 / ファビエンヌ・マリーズ
種族 / 人間族
性別 / 女
年齢 / 十歳
職業 / 神官見習い、治癒師見習い、裁縫師見習い
幼くして両親と同じ神道を進む。
でも神様とか本当はよくわかってない。
毎朝の日課の祈りは、空の上にいる母に向けて、楽しいことや面白かったことを話す時間。
最近はリエラとアルのことばかり。
恋とかもよくわかっていない。
アルには対抗意識やいろいろが混ざり合って、複雑な気持ちを抱いている。
リエラは大親友。




