第4話 魔術理論
魔術論説明回。
一年が過ぎた。
俺たち双子の世界は相変わらず部屋の中だ。
両親共に俺たちがもっと成長するまでは部屋から外には出さない考えのようだ。
窓から差し込む陽の光にしか当たっていない。
外に散歩にも行かないとはどういう了見か。
引きこもりは得意だ。
なにせ転生前はインドア派である。
残念ながらひとり暮らしであったので、親の脛をかじり貯金を食い潰すような生粋のヒキコモニア人にはなれなかったが、それでも他人との接触を極力控え、誰の目にも留まらないように猫背で縮こまって生きてきたのだ。
アルシエルは妹と同じ、普通の子どもで、まだ両親の意味もわかっていない。
発声はできるので、ママとかジャンとか、頑張れば言えるかもしれない。
親の名前を呼んでからしばらく、ふたりはことあるごとに言葉を覚えさせようと話しかけてきた。
あれ以来、俺は沈黙し、アルシエルも名前を呼ぶことはなかった。
さすがに鬱陶しく、「うるせえよ」と反応してもよかったのだが、妹の成長に合わせて反応を見せるべきだろう。
俺ばっかりが出来のいい子どもと思われると、この双子のためにならないからな。
双子の行動範囲は檻の中から部屋の中へ広がった。
ただし、部屋からは出ることができない。
扉の取っ手にまで手が届かないからだ。
毛先の長い絨毯の上で、ずりずりと這って進むのだ。
そんなとある昼下がり、偶然にもチャンスは訪れた。
シーツを替えに来たメイドが、ちゃんと扉を閉めなかったのだ。
俺は意識を乗っ取り……というと聞こえは悪いが、アルシエルには引っ込んでもらって、俺が行動権を使わせてもらう。
アルシエルは抵抗もなく入れ替わる。
まだ自我が発達していないからいいものの、これからのことを考える必要もある。
反抗期になったアルシエルに「てめえの言うことなんて聞けるかよクソじじぃ!」と罵倒されたら、俺は生きていけないかもしれない。
打たれ弱い俺の精神は、あっさり昇天してしまうだろう。
まあ、俺とアルシエルの間で交信が可能かというのもいまだにわからないが……。
少しだけ開いた扉。
妹は、木でできたおもちゃにご執心だ。
メイドも背を向けて、お尻をふりふり振って忙しそうにしている。
ときどき父親がだらしない顔をして目で追っている若く綺麗めのメイドのお尻には惹かれるものがあったが、それ以上にこの部屋の外に興味が涌いた。
俺は気づかれぬよう、無音ハイハイを駆使して扉まで近づき、廊下に人気がないことを確認すると、するりと部屋を抜け出した。
廊下は思ったより広かった。
ここがそこそこ大きな屋敷なのだと、廊下の広さや奥行きから感じる。
まさか王族の家系だとは思わないが、少なくとも庶民ではない。
目的は特にない。屋敷探索である。
誰にも見つからずに屋敷を散策するのだ!
ミッションスタート!
「あれ? 赤ちゃん?」
盛り上がってきたところにいきなり水を差された。
後ろを振り返ると、箒を持った八歳くらいのメイド少女が首を傾げていた。
こっちも幼いメイドに心惹かれるものがあり、首を傾げた。
お互いに見つめ合う。
可愛いメイドだった。
浅黒の肌に、色素の抜けたような灰色の髪。
たぶん両親や自分と人種が違うのだろう。
「あーあ! 若旦那様と若奥様の赤ちゃんだ! アルシエル様? それともリエラシカ様? うーん、どっちだろ。お会いしたことないからわからないよ」
やばい。近づいてくる。
俺は高速ハイハイで逃げることにした。
そんじょそこらの一歩一歩が重たいカメのようなハイハイではない。
体重移動を滑らかに、かつ素早く行うことで、二足歩行にも勝るとも劣らない動きを再現するのだ。
その動きはまるで、カサカサと地を這い回る黒光りした虫の様に。
「うわっ、速い! あと気持ち悪い!」
失礼な幼メイドは追ってくるが、躾けられているのか廊下を走ることはない。
おかげで追いつかれずに済んでいる。
彼女の早歩きより、ゴキ〇リ移動のほうが若干速いのだ。
角を曲がったところで、ちょうど微かに開いている部屋があった。
俺はそこに潜り込み、小さい手で扉を閉めた。
「あれ? どこ行ったんですか? お怪我でもしたら大変ですよ!」
幼メイドが廊下を通り過ぎる足音を聞いて、とりあえず一安心。
俺は散策に戻ろうとして……気づく。
扉を閉めるということは、まあ指を挟む危険性をやり過ごしたら可能だった。
だが開けるとなると、ノブに手が届かない。
バッドエンド。
俺は自ら閉じ込められた部屋を見渡す。
紙から漂う埃っぽい臭いと酸っぱい臭い。
ここは書斎だった。
「いんおー(ビンゴ!)」
中指と親指で指パッチンをしたかったが、柔らかい赤ちゃんの指では音もならない。
両側に天井まで埋め尽くされた本。
日当たりのよさそうな窓際に重厚な机と椅子が置かれている。
俺の目的地はここだと確信した。
魔術が覚えられる。そう思った。
その考えはものの数分で挫折に変わった。
背表紙に何が書いてあるのかわからない。
俺はこの世界の文字を読めなかったのだ。
その後、メイドたちの大捜査網が敷かれていたらしい中、八歳くらいの幼メイドに発見されて閉じ込められた部屋から救出された。
書斎にいたのは一時間くらいだろうか。
その間に手近な本を引っ張り出して、なんとか魔術本だけでも探そうと努力した。
「あーもう! 大旦那様の書斎に入り込んで! アルシエル様は本が好きなんですか? 読んでもわからないでしょうに」
幼メイドはお姉ちゃん風を吹かせつつ、俺を抱き上げて背中をポンポンする。
そんな慈愛溢れる彼女を、俺は一発で気に入ってしまった。
専属メイドにしたい。
いままで俺を抱き上げてきた母親や乳母たちとは違った、エキゾチックな匂いも心地よかった。
浅黒の肌。すべすべの幼メイドの頬がすぐ目の前にある。
やることはひとつでしょ。
ちゅ。
赤ちゃんのいたずらです。
どうか許してください。
「あはっ、くすぐったいなあ。どうしたんですか、アルシエル様? あたしを気に入ってくれたんですか? こんな小っちゃい頃から女の子が好きだなんて、あはは、将来が大変そうだあ」
幼メイドは冗談めかして言うが、嫌がってはいないようだ。
俺は調子に乗って、鎖骨に顔を埋めて頬ずりした。
「よしよし、お部屋に戻りましょうねえ」
俺は大人しく部屋に連行された。
彼女の名前はナルシェというようだ。
他のメイドにそう名前を呼ばれているのを聞いた。
喋れるようになったら専属メイドにしてもらおう。
我ながら名案である。
更に一年が過ぎ、双子は二歳になった。
偶然書斎を見つけたあの日から、魔術本を読みたいという欲求は膨れ上がるばかりだった。
だがそれには順序が必要だ。
字を読めなければならないのだ。
まずは字を覚えることにした。
俺はその日から、なんとかして大人たちに本を読ませるよう目論んだ。
子供部屋には絵本が何冊もあった。
簡単に喋れるようになってからは、母親に読み聞かせをねだった。
メイドにもねだった。
乳母にも、父親にも。
大人なら誰彼構わず頼み込んだ。
読んでくれる人間の膝に収まり、一緒に本を見ながら話を聞いた。
たいていは冒険者が竜を倒してお姫様を救うというような童話で、簡単な字から覚えるにはちょうどよかった。
母親のベッドに妹と一緒に潜り込み、母が語る寝物語とともに夢に落ちていく日もあった。
二歳になった頃から、俺たちの行動範囲はついに廊下を越えて中庭にまで広がり、手入れをされた芝生の上をメイドの監視付きで遊ぶことも許されていた。
しかし外へは行けない。
同時に、家人用のエリアと公務用、来客用のエリアが分かれているようで、建物の半分から表玄関まではまだ探索することを許してもらっていない。
妹のリエラシカは俺よりも利発だ。
屋敷中どこへでも歩けるところなら歩いていったし、人見知りをしないので誰彼構わず抱き付くのだ。
鼻水と涎をだらだらと垂らすところはあったが、可愛い妹だった。
赤ちゃんの頃は、うんちをしては泣き、おしっこを漏らしては泣いていた。
母や乳母のおっぱいに吸い付いていたときから、実に成長したものだ。
俺は妹の成長を実に楽しみに見守っている。
行動範囲が広がってからは、双子で一緒にいる時間も三分の二くらいに減った。
俺は読み聞かせをいつでもねだるインドアだったのに対し、リエラは中庭や屋敷中を走り回るアウトドアだったからだ。
しかし行ってはいけない場所が多いため、メイドに止められる度にリエラは癇癪を起して泣いていた。
俺も体を動かすことをしないわけではなかった。
アルシエルの体の成長を思えば、強く逞しい体になっているほうがいいので、いまからガリ勉青白もやし野郎の一択ルートに狭めるわけにはいかない。
身体を動かすと言っても、手入れされた芝生の上で、組み付いてくる妹を相手に転げ回るくらいだ。
そこは無邪気なアルシエルに意識を託し、幼年児なりの楽しみを満喫してもらっている。
「ある! ある! たおれなきゃだめ!」
「やだ! りぇーらがまけるの!」
ときにはお互いが譲らず喧嘩になる。
これも微笑ましい一面だ。
俺とアルシエルの関係は相変わらずだ。
彼にはまだ自我が定まっていないので、俺から働きかけることもできずお互いの時間をそこそこに保っている状態だ。
俺が本を読んでいて彼に邪魔をされることはなく、彼が妹と無邪気に戯れいるときに楽しみを奪うこともない。
だがいずれ、それもままならなくなる日が来るだろう。
俺にはやりたいことができてしまったからだ。
俺は魔術の勉強に本腰を入れていた。
大旦那様の書斎と、ナルシェは言っていた。
大旦那というのは、父パパジャンの父親。
つまり双子の祖父である。
顔を合わせたことは何回かあったが、狷介そうな老紳士だった。
孫を見てにこりともせず、重く頷くだけで遠くから見守るばかり。
子どもが嫌いなんじゃね? と思わずにはいられない。
刻まれた皺の分だけ厚みを感じるような印象で、それに比べてパパジャンのなんとちゃらんぽらんなことだろう。
いつもへらへらしているので、本当に親子かと疑問に思う。
もしパパジャンが平民の女を連れてきて、子どもができちゃったから結婚させてくださいと頭を下げたなら、祖父は一笑に付すこともなく勘当を言い渡しただろう。
それくらい貫禄はあった。
母のセラは下級貴族の出自らしく、父の家とは懇意にしている一族だそうな。
駆け落ちの末に困窮した状態で俺たちが生まれ落ちなくて本当によかったと思う。
ジャンについては、メイドや母親の愚痴を繋げてみると相当に放蕩息子だったらしいし。
「パパの様にはなっちゃだめよー」というのが最近のママセラの口癖だった。
それはともかくとして、祖父は愛書家として有名らしい。
自身には魔術の素質がなかったようだが、俺の様に幼い頃に魔術書に興味を持った父には才能があった。
そのおかげかパパジャンは魔術師になったのだから、俺が書斎に入り浸って父と同じ足跡を辿っていることを、ママセラが心配しているのもしょうがないと言える。
魔術書初級編、印刷技術はまだないのか写本の魔術教本は端っこがすり切れて読み難くなっていた。
パパジャンもこれを手に初級魔術を覚えたのだと思うと感慨深い。
他にも魔術とは何たるかといった理論書から、魔術に適した鉱物・植物などの事典、魔物に関する図鑑まであった。
すべてが手書きである。
やらかして書斎を出禁にされるのも怖い。
どれも安価であるはずがないので、俺は破らないように慎重に扱った。
俺はまず、魔術、あるいは魔力のなんたるかを理解するところから始めた。
捌かれた魚しか見たことのない現代人は、海にアジの開きが泳いでいると思っている。
そういう間違った解釈で魔術を覚えてしまうのは危ない。
車を運転するためにまず交通ルールを学ぶのと一緒だ。
魔術をいますぐ使ってみたいという思いはあるが、それにはまずなにが大事かを知る必要がある。
ならば魔術師のパパジャンから直接習えばいいじゃんと思うかもしれない。
しかし、俺はそれを断固として拒否した。
パパジャンがやる気になって教えてくれようとしても、頑なに本にかじりついた。
彼は反面教師だったからだ。
……これだけの説明で察してくれただろうか?
基礎は大切。反復も大切。
俺は生前不真面目だったが、これでもお受験戦争で勝ち抜いてそれなりの学校を卒業したのだ。
大人になってからは勉強なんて嫌になり、捻くれた生活を送っていたが、記憶力には定評がある。
それに、アルシエルの頭はいいらしく、すんなりと本の内容を覚えていく。
乾いた地面が水をあっという間に吸い込むように、無知な地盤がものすごいペースで固まっていくのを感じた。
魔術とは、この世界のどこにでも存在する魔力を利用する“すべ”のことである。
なので、奇跡は起こせない。
限りなく奇跡に近いような魔術なら起こせるだろうが。
その境目は曖昧なようで絶壁のごとく立ちはだかっている。
例えば死者を生き返すことは奇跡に分類される。
これは最高位の魔術師だろうが不可能だ。
しかし若返ることはできる。
魔術を駆使して体細胞の劣化を抑え、新しいものに入れ替えるというものだ。
若返りの、この『新しいもの』というものが実は相当にクセモノで、ファンタジーではベタすぎるくらいの悪魔的な素材だった。
まああれですよね。
ないものは他所から持ってくればいいじゃないって発想ですよね。
ケヒヒと悪人面をして笑う老魔女が、絶世の美女になるために必要な若さのエキス。
若返りの魔術で七、八十代のばばあが二十代の姿になることも不可能ではない。
ただ発覚すれば問答無用で斬首の罪に問われるというリスクを負えばの話だ。
歳を取ってくると喉から手が出るほど欲しくなるのだろう。
まだぴちぴちの二歳児だから考えもしないが。
若返りの秘術を用いれば、体を若々しく保ち、寿命が百五十でも二百年でも生きられるという話だ。
それに必要な犠牲になる人間の数が、伸びる寿命の年数の十倍とイコールだったので、深くは追求しないでおく。
つまり何が言いたいかと言うと、無から有は生み出せない。
しかし、有を有へと作り変えることができる。
これが魔術の基盤だった。
二週間ほどで読み終え、次に魔術の実践編である。
初級魔術は、コップの水を浮かせる、蝋燭の火を大きくする、つむじ風を起こす、土を隆起させるなど、基本的に存在するものに対して魔術で働きかけることが多いようだ。
ちょっと欲が出て中級や上級を見てみると、大気中から水や火を発生させたりするのが中級、火と水を合わせて蒸気を作り出すなどの、応用して混成の魔術にするのが上級といったものだった。
威力、範囲、持久、耐久などに関しては、精度と魔術に籠めた魔力量に比例するとのこと。
先のことを詳しく読む前に本を閉じ、初級を実践してみることにした。
今できることと言えば、部屋でつむじ風を起こすくらいだ。
大気を操作すると一概に言っても、精度によっては真空状態を作り出したり、雲を生み出したりできる。
しかし人体にある魔力槽には限界があり、これの大小によっては、コップ一杯の水しか生み出せなかったり、何もないところに津波を起こしたりと差を生むことになる。
魔術を口にして詠唱という形で生み出すのが一般的だが、俺はそれに頼らないでいこうと決めた。
詠唱とか、どうしても中二臭くて恥ずかしいからというのもあるが、幼児の域を出ないこの身体では、まだ発音が安定していないのだ。
「ジャン、セラ」とは言えるようになったが、舌っ足らずでどうしてもまごついてしまう。
詠唱をしない代わりに、魔力を操るのはひどく手間だった。
詠唱とともに魔力の流れを感じ、言葉にすることで無意識に発動するプロセスを踏むのだが、俺の場合は魔力の流れを自ら起こし、発動まで意識的に持っていく訓練をする必要がある。
車のオートかマニュアルかってくらい違ってくる。
実際に「“渦巻く風よ、大気を震わす風よ”」と詠唱したほうが風は手の上にあっさり旋風が生まれたのに対し、魔力が体に流れるのを感じつつ、手の平に大気の魔力を集めるイメージで集約、自分の魔力を流し込んでつむじ風を起こすほうがよっぽど面倒だった。
一見デメリットしかないと思われる無詠唱だが、俺は気づいている。
楽に覚えられる詠唱魔術は、ある一定の魔術を起こすためのプロセスであり、それしか使えないのだ。
それに比べて無詠唱は魔力を操作するという技術を自然に上げるので、手足のように魔力を操ることにつながる。
魔術を刃物に例えよう。
詠唱魔術は一振りの刃を生み出すことはできるが、食材に合わせた手頃な包丁だったり、彫刻刀といった専門的な刃物にはなり得ない。
無詠唱は魔力を自分の思い通りに操作することで、生み出した刃を彫刻刀にも刀にも自在に変えられるのだ。
便利なものだ。
便利なだけに、習得には血のにじむ努力が必要だろう。
二歳児の体で無詠唱でなんとか風を起こした俺は調子に乗って、火や水、土をイメージして手に生み出すことまでやっていた。
だが四属性を一周したところで疲労がずしりとのしかかってきて、俺はコテンと床にひっくり返ってしまう。
二歳児の魔力槽はそう大きくないようだ。
これが限界でないことを祈りたい。
アルシエル1歳。
年上幼メイドに出会いました。
名前はナルシェ。
浅黒の肌。脱色したような灰色の髪。
柔和な顔立ち。エキゾチックな匂い。
最終編集:2017/5/21