第39話 魔術修行 ハイ・ブースト
大霊峰の二合目まで登るのが日課になっている。
大森林を横断する際に、手際よく雑魚魔物を屠ることもできるようになった。
魔力素の濃いこのあたりで死体をそのままにすると、瘴気が発生してアンデッド系になったり、他の魔物に食われてレベルアップさせる原因になったりと、良くないことが多い。
だから師匠は必ず焼けと口を酸っぱくして言っていた。
大森林は、冬が近づいてきたせいか葉が枯れて落ちていた。
秋になると紅葉する日本の山とは違うようだ。
大森林から発生する魔力も、どことなく弱まってきている気がする。
大霊峰は、二合目だというのに吐く息が白かった。
雨が降った翌日は、岩の窪みに溜まった水が凍っていた。
零下の世界である。
普通の山ならあり得ないが、環境に魔力が絡むと常識が通用しなくなるらしい。
大霊峰の魔物をいままで紹介してこなかったが、いないわけではない。
二合目よりもっと高い、五合目以上の断崖を、白い粒が動いている。
目を凝らしてようやく、山羊のような魔物の群れが移動しているのが見えた。
他にも人間の体に鳥の翼が生えたハーピーが飛んでいたり、体長三メートルをゆうに超える灰色熊がいたり、腕に覚えのある人間でさえサバイバルな過酷な世界が広がっている。
ついこの前は、雪色のドラゴンが山の上を飛んでいた。
山にかかる雲のあたりを悠々と飛んでいるようだったが、遠目からでもわかるほど巨大な生物、そして今までに見たこともない白銀の魔力量を誇る姿に、俺は畏怖を覚えた。
一瞬の出来事だったが、あのシルエットは間違いなくドラゴンだ。
ひと狩り行こうぜと軽い気持ちでは、一瞬で返り討ちに遭うだろう。
断崖から飛び降りるのも慣れた。
風魔術で足場を作ることができれば落下速度を殺せるし、足裏に魔力を纏って着地することで衝撃をうまく相殺することもできた。
師匠は切り立った剣山のような岩の上もすいすい歩いていたから、きっとうまく魔力をコントロールすれば俺にだってできるはずだ。
大霊峰から裏山まで大森林を横断し、師匠の魔力を探す。
最近になって、師匠は少しずつ魔力を隠し始めた。
かくれんぼの難易度を上げ、俺の魔力探知能力を鍛えようというのだろう。
神官父娘と暮らし始めて早いものでふた月が経ち、俺にとって理想の生活サイクルが出来上がっている。
特に師匠を探し当ててからの訓練や、師匠から教えてもらう知識の大半が、俺にとって充実した日々を作っていた。
最近起こった出来事と言えば、ファビエンヌはおねしょ以来、ちょっと距離ができた。
しかしなんだかんだで構ってほしいのか、ことあるごとに袖を引っ張ったりぶつかったりしてくる。
昔の大人びた対応からはずいぶんと幼稚化したが、心を許してくれているのだろう。たぶん。
ダイナミックなコミュニケーションだことで。
先日リエラがついに治癒魔術に成功した。
まだ自分の切り傷を治すくらいで、複雑な怪我や体の内側の病はちょっと難しいだろう。
しかしエド神官の教え方は別に急いでいないので、そのうちゆっくりと覚えるはずだ。
身贔屓ではないが、リエラは素直だし、物覚えもいい。
それに潜在的な魔力量を考えれば、治癒魔術師の道も開けるだろう。
エド神官からは、この間本気で詰め寄られた。
お風呂といい、ベッドといい、娘と一緒に入るなと釘を刺された。
「ぼくからは何もしてません」と言うと、「じゃあリエラと私が一緒のお風呂、ベッドに入っても問題ないんだな?」と返され、俺は雷に打たれたような衝撃を受け、その後黙ってエド神官と握手を交わした。
幼女たちとのお風呂は、こうして幕を終えた。
「ところでアルよ、おまえは人間でいうところのどんな身分なのかの?」
「奴隷です」
「奴隷にしては紋がないようじゃがの」
「紋? 刺青みたいなやつのことでしょうか?」
「精霊紋のことじゃ。主従の契約を結び、どちらもそれに縛られる」
「主従の契約ですか。初めて聞きました」
「主の命に従は逆らえず、主に危険が及ぶときは従が自らを盾と為す」
「なんだか一方的な関係ですね」
「そうでもないぞ。主は従を所有物とし、財産とする。従の行いの責任は主が取ることになっておる」
「使い捨てじゃないんですね」
「おまえ、顔に似合わず物騒だの」
師匠は長年生きたエルフのくせに、少年の様に表情豊かにドン引きしていた。
しかし主従と奴隷は別物のような気がするのだが、気のせいだろうか。
師匠と俺の間に、齟齬がある気がする。
「そんなこと言ったら師匠の言葉遣いと顔も合ってませんよ」
「む。言葉遣いを咎められるとは思ってもみなかったぞ」
師匠はおおらかだ。
五百年以上生きる長寿の種族である所為か、短気とは無縁だ。
ちょっとくらい弄ったところで、怒られたことは一度もない。
「師匠の首にある紋様も精霊紋ですか? 奴隷なんですか?」
エルフである師匠の細長い首には、チョーカーのような黒い文様がびっしりと刻まれている。
最初は驚いたが、エルフというものの基準がそもそもわからないので、エルフってみんながみんなこういう感じなのかな? とか思って納得していた。
「精霊紋はひとつではない。故にわしのこれは奴隷紋ではない。だが……これはいまおまえに話すことでもないの」
素っ気なく師匠は話題を打ち切る。
そういうときの彼はどんなに言い方を変えて聞き出そうとしても答えることはない。
「精霊紋は何種類もあって、そのひとつが奴隷契約の紋、ということですか?」
「ああ。だが契約を行うには紋様を彫る技術がいる。街に出ればそれで商売をしているやつがおるじゃろうな。そう難しいものでもないからの」
「教えて教えて~」
「おういいぞ」
気軽に知識が手に入るので本当にありがたい。
「原理は簡単じゃよ。精霊語を書いているにすぎん」
「へー、超簡単。レンジでチンくらい簡単」
「れんじ? ちん?」
「まあまあ、続き続き」
話が脱線しそうになったので、俺は師匠に先を促した。
「精霊語を刻むだけじゃが、精霊語は生きておるからの。そこが難しいといえば難しい」
「生きてる? 言葉なのに?」
「この世のあらゆるものには精霊が宿っておるからの。突き詰めれば魔力自体が精霊なのじゃよ」
「うーん?」
ちょっとしっくりこなかった。
俺の知識では、精霊と言えば火の精霊サラマンダーとか水の精霊ウンディーネとか、不定形だがちゃんとした生き物の姿にもなれる、そういったイメージだ。
「その精霊とおしゃべりできたら強くない?」
「は?」
師匠から何言ってんのこいつ、という目を向けられた。
え? 俺なんか変なこと言った?
「アルのそれは自分の右手と会話したいと言っているようなものじゃ」
別に不可能じゃないでしょー。
右手が恋人の人間だっていっぱいいるんだからー。
でもそうか。
魔力=精霊。
言いたいことはなんとなくわかった、と思う。
まだはっきりと形になっていないが。
「精霊語教えてー」
「構わんが、難しいぞ」
「百も承知」
早速講習を受けた。
畑の違う大学論文を読み聞かせられているような、わけのわからなさだった。
でもまあ、これは覚えておいて損はないだろう。
逆に、飛躍的に今後に活きてくるかもしれない。
師匠から教わることは、座学のほかにもたくさんある。
それが段階的に難しくなっていく。
しかし、いままでの訓練のすべてが下地になっていて、いきなり不可能なことは要求されない。
きっと自分のなぞった道を教えてくれているのだろう。
「一流の剣士は体に錬気をまとう。防御力、回復力、筋力、瞬発力のすべてが底上げされるわけじゃ。これは魔力を身体機能向上として活用しているからで、れっきとした魔術の一環である。おまえにはこれを習得してもらうぞ」
「魔力をまとうって、すでに体から漏れているやつだけじゃなくて、意識して纏えってことですよね? 相当の魔力が必要になると思うんですが……」
普段から魔力は纏っている。
そうしないと魔力槽が容量拡大しないし、威力も強くならなかったからだ。
それだけでは不十分、というより、そのさらに上の段階にステップアップするために、魔力を纏う量を増やせということか。
でもそれって消費量が馬鹿にならないから、あっという間にガス欠するぞ。
「じゃろうな。普通なら小一時間も纏っていられんじゃろうのう」
「無茶ですね」
「その無茶ができないのであれば、わしから教えることは何もありはせんよ」
「どのくらい纏っていればいいですか師匠!」
「そうじゃな。丸一日。慣れてくれば、平常時でも魔力を無意識に纏えるようになる。さすれば、急に矢を射られたりしても肌に触れることもなく弾かれるじゃろうて」
「それはすごいですね」
ひと、それをチートと言う。
「魔術師は打たれ弱いものという先入観があるからの。どんなに強い魔術を覚えようが、腹に一発剣を突き立てられたら元も子もない。ならば防御力から上げるべきじゃよ。普段から使用する魔力が増えれば魔力総量も自然に上がるはずじゃ。魔力総量が高ければ、攻撃力も比例して伸びていくじゃろう」
「なかなかに合理的です」
「わしには人間がなぜこの方法に思い至らぬのかわからぬ」
と、簡単にのたまった師匠だが、その難しさを俺は身をもって知ることになる。
まず、魔力を多く纏うことは難しくない。
維持に集中力を持っていかれ、普段通りの動きができないだけだ。
ただ歩くだけでもしんどい。
「動きがぎこちないぞ。ほら、隙だらけだ」
「な、なにくそー!」
魔力を維持したまま刃を潰した剣で立ち回りである。
集中力が追い付かなくて、意識的に放出する魔力がつぎはぎだらけのボロを纏っているみたいになる。
しかしうまくいけば、体のどこかしらを打たれても、大量の魔力がそれを防いでくれる。
なるほど、確かに防御力は桁違いだ。
泣いてのた打ち回るほどの痛みが、涙目になって痛みを我慢する程度になるのだ。
剣に魔力を纏わせると、岩がプリンみたいに切れるようになるらしい。
しかしそちらは畑違いなので、もっぱら身体強化に努める。
「魔力を纏った防御力と、剣に纏わせた攻撃力、どっちが強いんですか?」
「決まってるじゃろ、剣じゃ」
意味ねー。
それって要するに、同じ魔力を扱える人間が立ち合って、防御特化と攻撃特化のどちらが勝つという話だ。
盾と矛が戦ったら矛が勝つと言っているし。
圧倒的に攻撃特化が勝つのでは防御力を上げる意味がない。
お互い攻撃特化で勝ちを狙ったほうがいい。
俺とイランに置き換えても、俺=防御特化、イラン=攻撃特化になる。
「こんなことして意味があるのかと思ったじゃろ?」
「うっ……」
「意味はあるぞ。おまえは散々魔力操作をやってきたじゃろ」
「そうですが……」
「何もこれは防御だけではない。回復力、筋力、瞬発力も上げると最初に言ったじゃろう。体が限界と悲鳴を上げるラインを、更に上に引き上げるのが最終的な目的と言ってもいいのう。さすればこうなる」
師匠は話している俺の目の前から、一瞬にして消えた。
目で追えるスピードではない。
右に行ったのか、左か、はたまた上か。
動体視力が上がっているはずの俺が、予備動作すら見えなかったのだ。
「う、うわっ!」
俺は急に浮遊感を味わった。
一気に視界が高くなる。
何事かと思った。
俺は師匠に肩車をされていた。
驚いて師匠の頭に縋りつくが、ファビエンヌやリエラよりもさらさらな髪でちょっと引いた。
「目で追い切れんかったじゃろ? ちなみにいま、わしは近くに実っていた果実をふたつ捥いできたわけじゃが……食うか?」
下から手が伸びて、赤い果実を渡される。
酸味の弱い甘い果実だ。
元の世界の果実で言うと、プラムの味に近いだろうか。
遠慮なくいただき、ふたりで齧りつく。
肩車の姿勢のまま。
プラム(仮)の汁が師匠の頭に落ちたが、気にしない。
「おいこら!」
師匠は気にするようだ。
降ろされた。
「べたべたするではないか!」
師匠はこれで身だしなみにだけはうるさい神経質な男である。
エルフはもっと大らかだと思っていたが、先入観だったようだ。
「さすがのエルフとはいえ、こんな動きはおいそれとできるものではないぞ。普通は筋肉がぶちぶちと切れるからの。だがそれすらも筋力の限界値を魔力で底上げするのじゃ。そうすることで可能になる高身体強化じゃな」
「高身体強化……ハイ・ブーストってことですね?」
「ちなみにおまえがいまこの大森林で勝てない金獅子と石化魔牛は、高身体強化並みの魔力を常に維持しているからの」
俺が勝てない魔獣。
金色の魔力を発するウガルルム。
「金獅子には遭遇しているのだったか。よく生きて帰ったな。間違いなく死ぬと思っていたが」
「師匠、俺はあなたを恨んでもいいと思います」
「なぜじゃ?」
「わからないならいいです……」
「? 石化魔牛の方には遭ったことがないんじゃな?」
「魔力を視て敵わないと思ったんで意図的に避けてます」
「賢明じゃな。石化魔牛の目を視たものは、耐性がなければ石化してしまうからのう。いまのおまえでは出会った瞬間に詰んでおったな」
この森マジ物騒!
意図的に避けてきて正解だったようだ。
最初に出遭った敵わない魔物がウガルルムの方でよかった。
危険な魔獣すぎる。
石化魔牛という魔獣は。
俺のかつてのファンタジー知識が刺激される。
その石化魔牛、カトブレパスと名付けよう。
「まあ石化魔牛は動きが鈍い。頭が重くて走れんからの。耐性さえあれば恐れることもない相手じゃな」
それって攻略法があるから楽なだけじゃね? と言ったところで師匠には通じないだろう。
「まず、この森で最強になることじゃの。そうすれば大抵どこでだって通用するはずじゃ。ま、敵わぬ相手には本当に敵わぬがの。高身体強化のさらに上を行く魔力の防御を持つドラゴン種とかの」
からからと笑う師匠が心憎い。
悪い意味ではない。
ちゃんと強くなれる方法を示してくれることに感謝しているのだ。
異世界でドラゴンと聞いて心が躍らないわけがない。
白銀のドラゴン。
いつかその背に乗れる日が来るのだろうか。
しかし戦うには、いまの俺では非力だった。
俺自身が強くあるのは必要不可欠だ。
何をすればいいかわからない今の俺には、師匠の言葉のひとつひとつが金言である。
かといって、言われてあっさりできるなら苦労はしない。
「おまえ本当に才能ないのう? なんでこれくらいのこともできないのじゃ? エルフの子供なら何を言われずとも高出力の魔力を長時間留めて置くことを鼻歌交じりにできるぞ?」
「なにくそがー!」
師匠の挑発が本気で頭に来ることが最近多い。
というかエルフのスペックの高さって、いわゆるチート? と思わなくもない。




