第38話 剣士の卵
大霊峰に登り、大森林を見下ろす。
大森林を跨いだ向こうの丘陵は今、麦穂をすべて刈られて黄土色の大地が剥き出しになっている。
季節は冬になろうとしていた。
だからか、大霊峰の二合目でも風が冷たかった。
体温を逃がすまいと、毛皮のローブを首元に手繰り寄せる。
いままで魔力の濃い場所を集中して探してきたが、魔力にも違いがあり、なんとなく色も違うことがわかってきた。
今日からは、それを分別して探す方法を取ろうと思う。
大森林全体は淡い緑色の光を放っている。
後ろを見れば大霊峰は白銀の光に包まれていて、どこまでも険しい。
村の方を見ると何の魔力も見ることができない。
実際に村にいて、そこで見てみればわずかなりとも魔力が見えるかもしれない。
しかし目視できないほどに微弱だ。
それほどまでに大森林と大霊峰の魔力が常軌を逸しているということなのだ。
ということにしてくれ。
実際はよくわからん。
肝心の森の中では、淡い緑と別の色がさざめいている。
リザードマンはじわじわと滲む赤胴色。
ウガルルムは強烈な金色。
そんな感じで、いままで見たことのある魔物の色付けはできた。
そしてまだ出会ったことのない色が三つ。
ひとつは弱々しい灰色。これは六か所くらいで発している。
ひとつはウガルルムと同じくらい発光している銀色。
大霊峰の麓に程近いところにいる。
最後のひとつはほどほどの空色。
一か所だけで、しかも村寄りの場所にいる。
「銀色はどうみても地雷だよな……上級の魔物だろうな。でっかいライオンと同じくらいやばい奴なんだろうな。いわゆるエリアボスだよな……」
エリアボスと自分で口にしたくせに、全身に震えが走るのを止められなかった。
ウガルルム怖い。
強い魔獣怖い。
「弱々しいグレーは逃げ隠れが得意なネズミみたいな魔物だろうし、やっぱり空色か」
ほどほどに環境に適応しているのだと考えれば、俄然師匠だと思えてきた。
最初に目に魔力を集めて、集中して大森林を眺めたとき、色分けはできなかった。
全部ごちゃごちゃに混ざって虹色のようになり、判別のしようがなかったのだ。
少しずつだが、魔力感知の精度が上がっている気がする。
……と思いたい。
後は移動されないうちに裏山までダッシュ。
二合目から見た危険な魔力には近づかないようにして、一方でリザードマンの群れを屠り、凶鳥の翼を一瞬にして切り裂き、六本足の鈍足を歯牙にもかけず、大森林を横断する。
裏山に登り、再度空色の魔力を確認して、跳び出した。
大霊峰から裏山まで戻るのがいつものコース。
師匠から言い渡されたランニングコースだ。
結果から言うと、空色の魔力は師匠だった。
師匠は川辺で裸になって水浴びをしていた。
男の裸なんて求めてないよ!
「おう、ようやく探し当てたようじゃの。待っておったぞ」
細身のくせに申し分ない筋肉を内に秘めた痩せマッチョが、優しく微笑んでくる。
川から上がってくる師匠は全裸だった。
美形なくせに立派なものを持ってやがる……。
股間のゾウさんを見て俺は思わず「欧米か!」と叫んでしまった。
イランは誰も住まなくなったプロウ村の一室で目を覚ました。
外はようやく陽が昇ろうかという冷気漂う早朝だ。
プロウ村には村人はひとりも住んでいなかった。
魔物に襲われてからこちら、ウィート村と併合し村人はすべてそちらに流れたのだ。
収穫も一息つき、間借りしていた者は冬に備えてウィート村に新しい家を建て始めている。
イランにとってはどうでもいい話だ。
自分の剣の腕と、強くなることにしか興味はない。
自分が将来村長を継ぐと言うことも考えていないし、ある程度の年齢になったら村を出て、一生帰ってくるつもりもない。
それほどまでにイランには、この村に愛着というものがなかった。
そもそもが自分勝手な両親をイランは嫌っていたし、プロウ村に家庭教師になったジェイドが居着くと、これ幸いにイランもこっちに住み始めてしまう。
イランは顔を洗い、食糧を調理することなくかぶりついて腹を満たすと、朝の稽古を始めた。
素振り。
振るのは木剣ではなく、抜き身の短剣だ。
いまのイランの体でも振り回されない、体格に合った剣だった。
本当はもっと長い得物を持ちたいのだが、ジェイドに鼻で笑われたので地道に行くことにした。
イランは生まれてから、ただ剣士になりたいと思って今日まで生きてきた。
木剣を与えられてから、一日たりとも素振りを欠かしたことがなかった。
怪我をしてベッドで過ごしていた間だけ、空白ができてしまったが。
この村には娯楽が何もない。
だからこそ、何かに目移りすることなく剣の修行に打ち込めたのかもしれない。
もしイランが町で生まれていたら、剣を取っていたか怪しいものだ。
自分はそれほどストイックではないと思っていた。
人気のないこの場所は、鍛錬にはうってつけだった。
誰に気を散らされることもなく集中できる。
素振りを千本、毎日の日課を終えたところで、汗も拭かずに剣を携え、大森林に向かって走り出す。
村と大森林の間にある川は、飛び石を伝って楽々越える。
この川を越えると、空気が変わるのがイランにはわかった。
急に重たくなるのだ。
それをジェイドは、魔力の濃さの違いと言った。
ジェイドから習ったのは、いまのところひとつだけ。
体に魔力を纏うこと。
それ以外は無駄だとジェイドは言った。
魔術師にそれほど興味もないので、正論だとイランは思った。
しかしその実、魔力を纏うのはかなり難しい。
走りながらだと、なお難しい。
魔力は一点に集中すると、力を何倍にも上げてくれる。
これを教わったとき、イランは目が覚める思いだった。
こんなにも強くなれるのかと。
そして同時に確信した。
憎きアルはすでに体得しているのだと。
イランが剣の練習にと付き合わせていた頃から、すでにアルは魔力を自在に扱っていたのだ。
だからイランの剣をすいすい避けたし、当てられても大してダメージが残っているようには見えなかった。
アルに対する怒りで魔力が散漫にならないよう注意しながら走った。
朝の日課が終わると、イランは家庭教師のもとに向かう。
「なあ、早く強くなる魔術教えてくれよ。なあなあ」
「うるさいなぁもう。そこら辺走ってくればいいじゃない。元気有り余ってるんだったらさあ」
「そうやって煙たがる。実験ばかりやってないでオレのことも構えよ!」
「あー、あと一時間待ってね。いまちょっと手が離せないから」
元王宮魔術師ジェイド。
転移のジェイド。
召喚士。
年齢は二十代後半。
痩身、色白、優男。
人当たりは穏やかで一見すると人畜無害そうな男だが、イランは知っている。
彼の実験が生み出すものは、決して人のためになることがない。
彼は他人に興味がない。
知的好奇心を満たすために数多の命が実験の犠牲になろうが、心を痛めない類の人間だった。
見た目の評価以外に、イランの知る家庭教師の情報はあまりにも少ない。
本人がその手の話題をのらりくらりとかわすのだ。
「……地脈から魔力を半永久的に引き上げる効率のいい方法は……ぶつぶつ……」
「……人の話を聞きやしない」
集中し出すと、ジェイドは何も聞こえなくなる。
円形の魔法陣が描かれた部屋。
その中央に置かれた禍々しい魔核の壺(自称)の調整でかかりきりになる。
プロウ村の地下にジェイドが秘密裏に建設した地下施設。
そこは辛気臭くてしょうがない。
なんでも莫大な魔力を吸い上げ溜め込む装置だというが、イランは興味の欠片も涌かなかった。
日の当たる外気に出て、イランは剣を構えた。
素振りの様に何度も振るわけではない。
一刀。
自分が最高だと思う一撃を出せると思ったら、剣を振り抜く。
時間を忘れて、何度も繰り返す。
ひどいときには、一時間もまったく動かなかった。
これもジェイドから教わった練習方法だ。
闇雲に剣を振っても強くはなれない。
だから、自分の持てる最高のパフォーマンスをほんの一秒にも満たない時間に凝縮させればいいと、ジェイドは言った。
最初は何も満ちる感じがなかった。
だから我慢した。
振らないでいると、体がむずむずしてくる。
剣を振り下ろしたい。
最速の軌跡で斬って、断ちたい。
欲求不満が溜まっていくからなのか、剣が妙なものに包まれる。
それを振り払おうとして剣を振った。
中途半端だったのが、すぐにわかった。
溜まっていく何かを更に我慢した。
我慢して、しすぎたのか、ある一定量を超えると、満足のいく一刀にはならなかった。
満ちて、零れる瞬間。
これを掴んだとき、手応えのある一刀になっていた。
いまの感覚を忘れないようにと、イランは何度も構え、満ちて溢れそうになったと思ったら、振り下ろした。
素振りをするより、ずっと疲れる。
だが、体中に何かが巡っているのがわかる。
ジェイドはそれが何かを知っているだろうが、詳しく説明してくれない。
イランが素振りしているのを見て、闇雲に振ってもしょうがないから、我慢して振ってみろと言っただけだ。
それが唯一先生らしいアドバイスだった。
それ以外、ジェイドは地下の研究室にこもって飽くなき探求を続けている。
これで宿敵アルに勝てるのかと思う。
奴は嫌いだ。
最初に顔を合わせたときから気に入らないと思っていた。
へらへらした顔をして、内心では何を思っているのかわからない。
愚かな父親であるムダニが暴力を振る度に、怒りを溜めこんでいるように見えた。
不満が爆発し、いつ親父を殺すのか、イランはそれを計っていた。
しかしそうはならなかった。
奴隷紋をその身に刻まれていないので、いつだって反抗できるのだ。
それをしないアルは、イランから見たら不気味にしか映らない。
アルは頑丈の塊だが、リエラは普通の女の子だった。
ちょっと栄養不足で体が細いが、見た目は悪くない。
親父に殴られる度、死にかけている。
アルが間に入って何とか取り持っているのだろう。
アルが唯一本心を見せるのは、リエラをネタにしたときだけだ。
あの女の顔立ちは悪くない。
将来絶対に性奴隷にする。
そうアルに言うだけで、奴はぶち切れた。
いつものへらへらのお面を捨て、怒りをあらわにする。
アルの本心を引き出して叩きのめしてやろうとするのだが、アルは一度も反撃してこないし、こちらの攻撃をすべて避ける。
どこまで鍛えても、奴に翻弄されているのだと思った。
実力差があるから、奴は本気を出さないのだ。
そう思うと、怒りが剣に纏うように満ちてきた気がする。
もっとだ。もっと。
体中に巡る力。
これをたった一瞬に凝縮して、振り抜く!
空気を斬った気がした。
空間が、なにか歪んで見えた。
それも一瞬で、すぐになにもなかったように元に戻っている。
何か、コツを掴んだ気がした。
「うん、いい感じ」
声を掛けられたことに気づいて振り返ると、ローブ姿のジェイドが立っていた。
地下の研究室から出てきたようで、疲れて青白い顔をしているジェイドはいまにも倒れそうにふらふらしている。
冬の日差しにも負けそうだ。
「何か力が涌いてきた気がするんだよ」
「うん、それは気のせい」
「…………」
家庭教師のくせにやる気を一言で削ぎやがった。
「でもまあ、ようやく入り口には立てたみたいよ? 体に魔力が流れるのを感じ取れたはずだから」
「魔力? 俺は魔法使いにはならないぞ?」
「馬鹿だなあ、君は。魔力の使い道は魔術だけじゃないんだよ。体に眠っている力を引き出すために魔力を自在に扱うことが必要になってくるわけ。さっきの一振りは、いわば魔力を意識的に使えない体で、無意識に魔力を引き出したってこと」
「肉体強化か」
「そう。戦士の間じゃ錬気と呼ばれてるけどね。別に火や水を出すだけが魔術じゃないんだよ? あ、でも剣に火を纏わせるとかかっこいいよね。フレアブレード! なんてね」
「中二か!」
イランはなぜか、そう突っ込まないといけないような気がした。
口から勝手に言葉が飛び出していたのだ。
「まあともかく、体の魔力を操る練習もしようか。剣に魔力を纏わせたら岩をも断ち切る剣に早変わり! で、これ教わりたい?」
「もちろんだ!」
アルにできて自分にできないことはない。
イランはそう思い、魔力操作習得に向け動き出していた。




