第35話 魔物に敗北
「グルルルル……」
唸ってます。
怖いです。
別の枝に乗り移ったはいいが、下が怖くて木から降りられない。
ウガルルムが木の幹を殴りつけた。
それだけで巨木は半分以上が抉れ、ミシミシと倒れていく。
「うおぅっ!」
驚くなかれ規格外!
すぐさま別の枝に飛び移ろうとするが、俺は飛び上がる方向を一瞬で変え、横に飛んだ。
ガチンッ!
魔獣の牙が打ち鳴らされる音。
俺が飛び移ろうと思っていた枝との間に、ウガルルムは飛び上がってきたのだ。
獲物を逃がさないトラバサミに見えた。
ベッドの中でファビエンヌが行きたいと駄々をこねた世界は、とんでもないところです。
……師匠、俺が死んでもいいと思ってるな。
生きて辿り着くようならしょーがねー教えてやるか、くらいにしか考えてないな。
木の下でうろつくウガルルムがこちらを見上げ、口を開いた。
「カッ――!」
気砲のようなものが口から放たれていた。
バァァァン――!
風壁を作り出し、勢いを殺しても吹っ飛ばされた。
巨大な樹が木端微塵。
人の体なら風船のように破裂している。
気砲を防いだ腕がビリビリと痛んだ。
直接魔力を撃ちこんでいるのだろう、こちらの魔力を掻き乱して、いつか見たアリの魔力実験のように、飽和状態にして弾けていた。
ひとつひとつに込められる魔力量が違いすぎる。
手桶一杯と風呂桶をひっくり返したくらいの違いだ。
……それでも挑んでみるか?
自分をスレスレのところまで追い込まない限り、成長はない。
それは師匠といた短い時間の間に、嫌というほど思い知った。
極限状態ほど吸収力が高い瞬間はないのだ。
……よし、やろう。
そうと決まれば迷いはない。
まず地形を見て、罠に嵌められそうな状況を考える。
ちょうど開けて足場の良さそうな窪みがある。
そこにウガルルムを追い込んで、土魔術の最高に固い檻を作って閉じ込めてしまえばいい。
空気穴を塞ぎ、徐々に檻を小さくして圧迫し、窒息死させる。
ウガルルムの素材が手に入るのなら、焼かずに持ち帰りたかった。
かなりの高額で売れるはずだ。
追い込むために俺は風刃を使い、ウガルルムに向けて木を切り倒した。
誘導場所以外のところに飛び退こうとしたら、土槍で牽制する。
「ガッ――!」
途中で気砲を放ってくるが、俺に向けて口を開く動作をした瞬間には、すでに身を翻している。
接近戦はしない。
魔術師はリーチを活かすべきだ。
木を倒し、土槍で牽制すると、簡単に窪地に誘い出すことができた。
「よっしゃ!」
岩よりも固く魔力を練り、一瞬にしてウガルルムを包むほどに巨大な正方体を作り出す。
呆気なく閉じ込めることができた。
中で暴れているようだが、堅牢な檻を壊すことができないようでいる。
こうなればいかに魔獣と言え、猫と変わらない。
ちょっと安心。
俺の魔力は化け物クラスの魔獣にも通用するらしい。
まあ、いまできる最高の魔力を練らなければならないのはしょうがない。
おかげで手持ちの魔力を半分くらいごっそりと持っていかれたけどな。
「……ふぅ。あとはじわじわと狭めていって、窒息を狙えばいいか」
正方体が徐々に縮まっていく。
暴れていたのが静かになった。
気絶したか? でも念には念を入れて、もっと小さく……。
狭めていくのだが、いつまでたっても押し返す抵抗がないことに気付いた。
いくら土の檻を狭めても、ウガルルムの体にぶつからないのだ。
「あれ? これってもしかして――」
「グガァァァァァッ!」
「うひゃああああ!」
背後に爪が迫っていた。
吼え声に反応して飛び退いたが、脇腹を抉られてしまう。
もしウガルルムが吼えなかったら、胴体から真っ二つになってあっさり死んでたかもしれない。
この際変な声が出たことはなかったことにしよう。
「なんでだよ、二匹目か?」
上級の魔獣だけにその存在はレアなのだが、一日に二度も会えるなんて奇跡だ。
まさしく凶運の持ち主である。
……そんなはずはない。
集中力を欠いたせいで、固定する前の土の檻がボロボロと崩れていく。
中には何もいなかった。
地面にちょうどウガルルムが潜れるくらいの穴が開いているくらいだ。
うん。潜ったね。まんまと裏をかかれた。
だって魔獣が土掘って脱出するとは思わないじゃん。
土竜じゃあるまいし。
体勢を立て直し、すぐさま傷口に手を当ててヒーリングをかけた。
治癒魔術と他の魔術は並行して行えない上に、魔力操作も著しく低下するので身動きが取れなくなる。
治癒は後回しにすればよかったと、俺は自分の一瞬の判断の誤りを後悔することになる。
ガブリと、牙が迫った。
ヒーリングを途中で切り上げて、俺は拳を振り上げた。
「うおぉぉぉへぁぁぁぁ!」
情けない声を上げつつ、魔力の配分なんか二の次でウガルルムの鼻面に拳を振り下ろす。
衝突の瞬間、ウガルルムの魔術防壁に弾かれ、俺は吹っ飛んだ。
せめてもの救いは、その牙に食いつかれなかったことか。
巨木に背中を打ち付け、岩の上に落ちた。
激痛が体を走り抜ける。
ああ、やばい。いままでにないほど体を痛めつけている。
腕を動かすだけで痛い。
岩の上でちょっと寝ていたい。
野生の獅子がこっちの希望など待ってくれるはずもなく。
爪が迫ってくる。
「ふぉぉ!」
上体を起こして紙一重で避けた。
岩が紙の様に真っ二つに割れた。
ウガルルムの爪は鋼鉄以上の切れ味を持っている。
獣が本能に従って飛びかかってくる。
馬乗りにして食い殺そうという魂胆がまるわかりだ。
飛び上がって俺の方がウガルルムに馬乗りになる。
毛並みはすごくいい。
ずっと触っていたいくらいにさわさわとしてて、いい手触りだった。
それもこの獰猛な魔獣を大人しく従わせるか、殺して毛皮にするかしないと落ち着いて触っていられない。
「このぉっ!」
ありったけの魔力を込めて、拳を叩き下ろす。
ウガルルムは吼えて、俺を振り落とそうとしてきた。
俺は首にがっちり掴みかかり、何度もウガルルムの顔、目、頭に拳を振り下ろす。
しかしあまり効果はないようだ。
目を殴っているのにノーダメージってどうしてよ?
魔法障壁を突破できていないのだというのはわかる。
しかし、どれほど分厚いものを張っているというのか。
これでは狩人の弓矢でも仕留められないだろうし、腕のいい剣士だろうが魔力を一切込めない剣では毛すら斬れないだろう。
ウガルルムは自らを巨木に叩きつけた。
危うく腕が潰されかけた。
それはなんとか避けたが、代わりに頭をガツンと打ち付けてしまい意識が一瞬飛んだ。
それでも首根っこから腕を離さなかった自分を褒めてやりたい。
何度も岩や巨木に体当たりをかましている。
俺はそのたびに意識を持っていかれそうになる。
しかし、振り落とされたらそれは死を意味しているわけで……。
歯を食いしばり、耐えるだけの時間が過ぎていく。
ウガルルムは森を駆け回り、めちゃくちゃに暴れている。
あー、死ぬ……。
手が滑った。
ずるりとウガルルムの体から落下し、木の幹に腹を打った。
体がボロボロで、もう限界だよー、動きたくないよーと悲鳴を上げている。
出血がひどい。
下手に挑戦するんじゃなかったなーと後悔。
ウガルルムが反転して、獲物を狩る眼で俺を捉えている。
「グガゥッ!」
気砲を放ってきた。
風船みたいにパンと弾けてはたまらないと、風魔術を駆使して自分の体を吹き飛ばした。
土の壁、炎の壁、土の槍、風の刃……。
今使える魔術を手当たり次第に目の前に展開し、少しでも生き延びようとする。
それでも大した足止めにならず、ウガルルムが爪を一振りすると、風を裂き炎を吹き飛ばした。
土壁だけは、ウガルルムはひょいと飛び越えてくる。
こうなれば、最終兵器だ!
土牢を自分に使う!
空気穴を空けて、引きこもりだ!
土が盛り上がり、俺をすっぽりと覆う。
緊急避難としてはまずまずかもしれない。
「はぁはぁはぁ……」
息を整えようとしても、肺が苦しかった。
土牢が揺れた。
気砲でもぶつけられたのかもしれない。
しかし頑強だ。
もしかしたら、ウガルルムは風系統の魔物なのかもしれない。
土魔術に対してはあまり打ち破られていない。
土牢に閉じ込めたときだって、壊されたのではなく地面に穴をあけて逃げられたのだ。
土槍はことごとく避けているだけで、壊されたりもしていない。
弱点があるとすれば、土系統だろう。
俺は怪我のひどいところからヒーリングで治していった。
正直、もう魔力は底を尽いている。
完全に体を治すことはできないので、最低限の治療で後は逃げることに専念しよう。
最近、勝ったり負けたりして、自分の強さがいまいちわからない。
ウサギのリーダーに勝つ力はある。
しかし、所詮は低レベルのウサギだ。
きっとウガルルムはウサギのリーダーを瞬殺する。
冒険者を見てみると、彼らはそこまで強くはないようだ。
体に魔力を纏ってもいないのだから、武器頼りでは厳しいだろう。
エド神官もそこそこ戦闘経験があるようだが、得意分野は治癒魔術だ。
後衛でサポートをする立場の人間にそこまで強さを求めるのは酷だろう。
だがそれでも、行商の護衛をしていた冒険者よりも強いことは確かだ。
俺が出会ったことのある唯一のエルフ。
この人には勝つ自信がない。
いまのところ自信がないだけで、いずれ抜いてやるとは思っているが。
まだまだ俺の知らない魔力の仕組みを知っている様子だし、全部吸収してやろうと虎視眈々と狙っている。
あともうひとり、イランの家庭教師になる元宮廷魔術師。
油断ならないのは間違いない。
魔術のエキスパートなのは観察してみて確信している。
戦闘向きというよりは研究者肌のようで、魔物の合成実験をしてけひひと笑っていそうな青白い顔をしていた。
この極悪な環境に適応できるのは、師匠と元宮廷魔術師くらいなものだろう。
それを踏まえた上で、今の俺はそれほど強くないことがわかる。
ウガルルムはそうした意味で、この大森林における乗り越えるべき壁だ。
いまは無理でもいずれ。
そういう気持ちは忘れないでおこう。
よし。
俺は土牢の中に居ながら、周囲のウガルルムがいそうな場所に土槍を十本くらい発動した。
吼え声が少しばかり遠ざかる。
それを確認すると、土牢を解除し、反対側に一目散に逃げる。
後ろは振り返らない。
だって怖いから。
追っては来なかった。
理由は知らない。
こうして俺は逃げ果せた。
してやったぜという思いで満たされていた。
逃げ足だけはすごいんだぜ?
格好悪くて誰にも話せないけどな。
そういえば、師匠を見つける手がかりを何も見つけてなかった……。




