第30話 神官の手腕
現れた人物は強面だった。
娘が怖がって私の後ろに隠れる。
「旦那様、治療術師の方をお連れいたしました」
「遅かったじゃねえか、四日も待たせやがって」
男は出会い頭にアルの頭を引っ叩いた。
アルはぐらっと揺れたが、なんとか持ち直して脇にどいた。
アルはずっと目を伏せている。
私は胸に嫌なものが涌いてくるのを感じながら、極力平静に努めて男に笑いかけた。
「治療術師で神官をしております、エドガール・マリーズです。こっちが娘のファビエンヌです。どうぞよろしく」
手を差し出す。
「ウィート村の村長のムダニだ。息子の怪我を治せるほどの腕なんだろうなあ?」
私の手を取らず、じろりと睨まれる。
礼儀の欠片もない男だった。
自分の奴隷が呼んできた男なら礼儀なんて必要ない、とでも思っているのだろうか。
私は今の短いやり取りで、この男を好きになることはないなと確信した。
私は家に上がらせてもらい、男の案内するままに後についていった。
アルは入り口のところで私たちを見送り、外で待機しているようだ。
許可が出ないと家にも上がれない。
半信半疑だったが、アルが奴隷扱いというのは本当らしい。
「お父様、わたしもお外で待ってるわ」
「ああ、わかった」
娘はトコトコとアルの元に駆け寄っていく。
ムダニはそれを気に入らないとでも言うように睨んでいた。
私も気に入らない。
娘を睨むな、てめえ。
あと、アルと娘が私の目の届かないところで仲良くならないか心配だ。
「こっちだ」
無愛想なムダニに従い、廊下を進み、ひとつの部屋に通された。
ベッドで不貞腐れた顔をして横になる少年がいた。
釣り目が災いしているのか、周囲を威嚇せんばかりに目つきがきつい。
少年は包帯で腕を吊っており、足も固定されていた。
動けない体を呪っているような、苛立ちを含んだ目で私を見た。
「……誰?」
「治癒術師らしい。これでおまえの怪我が治るな」
「さっさと治してくれよ。ベッドから動けない生活なんて老後だけで十分だ。親父より先に寝たきりなんてごめんだぞ」
「無駄口叩くな、馬鹿もん」
親も親なら子も子だな、と私は思った。
一言で表すなら横柄。
敬意や礼儀といったものからもっとも遠い父子なのではないだろうか。
「剣が振れないだろ」
「治ったら一日中でも振ればいい」
「親父にはわかるかよ。一日でも触れないと、腕があっという間に鈍るんだぞ」
「一日中剣を振ってて何が楽しいのかねえ」
ムダニは肩を竦めると、私のほうに向き直って顎でしゃくった。
本当にイチイチ気に障る男である。
私は息子にも自己紹介を終え、彼からも素っ気ない紹介を受けた。
「ではイラン君、普通にしてくれればいい。下手に気を張らずともすぐに終わるからね」
私はそう前置きをして、詠唱を始める。
「“天上の父なる御方の慈愛、大地の母なる御方の抱擁をこの者に与えん”【ヒーリング】」
ベッドの上のイランが、淡い緑色の光に包まれる。
損傷している部位に光が集まり、治癒を施す。
わずか十秒足らずで骨折も内出血も治してしまった。
三日の移動時間にして十五秒の治療時間。
割に合わないとは言うまい。
アルのためにやってきたのだ。
「……痛くない。動く。動くぞ!」
折れていた腕を曲げ伸ばしして、イランは自分の体を確かめていた。
「ほう、怪我がすべて治ったようだな。神官もただ飯ぐらいというわけではないようだな」
ムダニでさえ、感心した様子だ。
あと一言余計だ。
治癒魔術を間近で見たことがなかったのだろう。
神官なら治癒魔術を体得している者が町に何人かいるが、世間では広まっているわけではない。
需要に対して供給は圧倒的に追いついていない。
だから薬屋や医者のような長期的治療を行う者たちがいるのだ。
アルの様に独学で治癒魔術を使えるものがいないわけではないが、そんな人間はほとんどいないのが現状だ。
「それでは私はこれで」
私はさっさと退室しようとした。
「ちょっと待て」
私に声を掛けたのは、ムダニではなく、たったいま完治したばかりの横柄な少年だった。
「なにかな?」
私は大仰な態度で振り返った。
アルと同じ年くらいの少年に敬語を使う気もない。
「怪我を治してくれてありがとう」
「……いや、苦しみから救うのも仕事だからな」
アルから聞いていたイランの像と少し違っていた。
素直じゃないと聞いていたが、ちゃんと礼も言える少年だった。
おそらく、アルとは好敵手の間柄なのだろう。
お互いに負けたくない相手だから、きっと礼のひとつでも負けた気になるのだ。
男の子同士の微笑ましさがある。
「初めて治癒魔術を見させてもらった。それは俺にも使えるのか?」
「君が神官になる意思があって、それを操る技術を身につければ、おそらく使えるはずだ」
「それは神官を目指さなくちゃ体得できないことなのか? この村では魔術が使える人間なんていない。治癒魔術が特別難しいんじゃなくて、魔力を操ること自体が難しいんじゃないのか?」
少年の疑問に、私はなるほど、と思った。
イランの言うような考えを、私も含めあまりしないからだ。
実際に、神官ではないアルが治癒魔術をすでに体得しているので、イランの考えは正しい。
治癒魔術を使える人間が治癒魔術師になるという当たり前を、大半の人間はあまり疑問に思っていない。
かくいう私も、神官になったばかりの頃に治癒魔術を学び、そこで使えるようになったので、治癒魔術師として生計を立てているに過ぎない。
アルの様にいろんなところに手を出そうという知識欲に溢れた人間が魔術師になるのであって、その他の人間は特別疑問に思わず、覚えたひとつの魔術を活かせる職に就く。
軍人が剣に魔力を込めて強化するように、鍛冶師は金槌に魔力を込めて剣を打つし、配達人は足に魔力を込めて街道を駆け抜ける。
自然と得意分野に魔力が集まっていくという考え方なので、自力で魔力の操作を鍛えようという考えがあまりない。
全体的に鍛えようと思っても、血のにじむような努力が必要だということもある。
私にしても、目と手に魔力を集められるようになったのも、所詮は治癒のためだ。
目で傷や病巣を探り当て、手で怪我や病を癒す。
使い慣れた自分の武器以上のことに、自分の可能性を広げようとはしない。
いや、広げられる実力が不足している。
よくよく考えてみれば、確かに魔力操作を重点的に覚えようという考えは、一般的ではないが魔術師には必須だ。
結果を重視する一般的な考えと、過程こそが重要だと考える魔術師。
魔力操作さえ完璧に身に着けてしまえば、アルの様になるのかもしれない。
私はそこまで考えて、鳥肌に似た寒気を感じた。
この少年の着眼点もアルに似ている。
イランもまた魔術師の才能があるのかもしれない。
むしろこの着眼点を持てない人間は、魔術師になる最初の一歩を躓くのかもしれない。
火魔術を使いたいから魔術を覚えるのではない。
魔術とは何かを解明したいから、その過程で火魔術を覚える。
アルを見ているとそれがよくわかる。
そして火魔術を使えるだけの魔術師は、到底アルには敵わない。
「……ふむ。確かに魔術操作さえ完璧にこなせれば、治癒魔術だろうが属性魔術だろうが操ることはできるな」
私は極力動揺を抑えて、言った。
「やっぱりな。だからオレに治癒魔術を教えてくれないか」
「なんだ、イラン。そんなことを教わって神官にでもなるつもりか」
ムダニが口を挟むが、イランは父親を無視した。
私もそれに便乗して、ムダニの言葉に反応しない。
「私はしばらくこの村に逗留して、村の怪我人の治療をしようと思っている。それで構いませんよね、村長殿?」
ムダニに向き直ると、ムダニは顔をしかめながら「ああ」とだけ言った。
自分の発言を取り合ってもらえず苛立っているのが顔に出ている。
「ということだ。君が学びたいという意思を持って殊勝にも私の元へ訪ねてくるなら、教えることはやぶさかではない」
イランもまた顔をしかめた。
自分のほうが下に見られていることに不満があるようだ。
まったく似たもの親子だ。
「それについては村長殿、ご相談がある」
「なんだ?」
「私たち親子の世話係に、是非アルとその妹をお借りしたいのだが、構わないだろうか」
「ダメだ。あれはウチの仕事をさせるために役立てている」
「では、女の子のほうだけでも。先ほどご紹介しましたが、私には娘がいましてな。なにぶん年頃なので、異性よりは同性と一緒にいるほうが気が休まります」
「それならば――」
「ダメだ!」
ムダニが迷いつつも頷こうとしたが、それを遮ってイランが声を上げた。
「世話係が欲しいなら村の子供を使えばいいだろ。あいつらを差し出す必要なんてない」
イランは嫌悪感を滲ませていた。
「その理由を教えてもらっても?」
「あいつがここまで連れてきたんだろ? だからあんたはあいつを気に入ったんだ。そうだろ?」
吐き捨てるようにイランは言った。
ムダニの顔も険しくなる。
アルやその妹の肩を持つことは、親子ふたりにとっては気の良いことではないらしい。
つくづく狭量だなと思う。
「確かに、アルとはここまでの道すがら話す機会も多かった。私は神官だが、頭から善人ではない。もしアルが私にとって不愉快な態度を取ったのなら、この村へ訪れることはなかっただろう。そう考えると、幼い彼は十二分に大役を果たしたと言える。だいたい君の傷が治ったのも、私を連れてきた彼の功績と言っても過言ではないのだよ? 町にいる治癒術師で私の右に出るものはいないからね」
アルの肩を持たないように、公平な人物としての評価を私は述べた。
イランは苦々しげにしていた。
特に、彼の功績と言った時の不愉快に歪められた顔は、イランとアルの思わぬ溝の深さを感じさせるには十分だった。
「……あいつには治癒魔術、教えたのかよ」
「教えたところでできるものか。指先にぽっと火を灯すだけのしょっぱい魔術師だからな」
ムダニはがははと笑う。
「親父は黙ってろよ」
「おまえ、親に向かってなんて口の利き方だ!」
「俺は神官と話してるんだよ!」
イランはアルが最初から治癒魔術を習得していることを知らないようだ。
彼ら親子にひどい目に遭わされ、怪我も数えきれないほどしてきたというから、アルの治癒が感づかれていてもおかしくはない。
彼らが鈍感なのか、アルが巧妙に魔術を隠してきたのか。
おそらく両方だろう。
私がここでアルの苦労をぶち壊す必要もない。
「私は彼に、治癒魔術に関して何も教えていない。乞われないかぎり教える気はない。だいたい魔術は教わる意思のないものが易々と扱える代物ではないからな」
「あいつは他の魔術を使ってたのかよ」
「指先に火を灯す魔術を見せてもらったな。あれは焚火を作るときに役に立つ」
嘘は言っていない。
すべてを話しているわけでもないが。
魔物の大群が現れたとき、アルは風魔術やら土魔術を使っていた。
村に戻るために風魔術か何かを使い、物凄い速さで飛んでいったこともあったか。
普段はひとりで黙って景色を見ていることの方が多かった。
それかゴトゴト揺れる馬車の幌に上がって、何か魔術の訓練をしていた気配はあったが。
道中の前半は娘が目の敵にしていたので、私が気安く話せる空気でもなかった。
しかしアルの身の上を聞いた頃から、娘は掌を返したように四六時中アルについて回るようになったので、お父さん困った。
それはもう気が気ではなかった。
「これから教えるつもりだろ」
「乞われれば教えるさ。秘匿でもなんでもないからな」
「あいつに教えるなら、いい。さっきの話はなしだ。やっぱりいらない」
強情なのだろう。
アルと肩を並べることを極端に嫌っている。
それが自分の可能性を狭くするのだと思いもしないようだ。
「世話係にふたりともつければいいじゃないか。俺の知ったこっちゃない」
「なんだ、イラン。さっきと言ってることが違うぞ」
「いいんだよ。俺にも師匠がいるんだからな」
「なるほどな。じゃあ、あいつらを世話係にやっていいんだな?」
「俺に聞くなよ。親父が決めろ」
「ふむ。まあいいか。目障りだしな」
私はむっとする自分を抑えた。
目障りとは言ってくれる。
「ただし、この家の仕事も変わらずやらせる。それが条件だ」
「わかりました。そのように私から彼らに伝えておきましょう」
ひどく腹が立ったが、私は顔に笑みを張り付けて頷いた。
「なあ、神官さん。ふたりをそっちの世話係にするのにオレからも条件がある」
「なんだ?」
「妹の方には治癒魔術を仕込んでくれよ。あいつはいずれオレの下で働かせるからな」
イランは子供とは思えない獰猛な目をしていた。
アルの妹に目をつけているようだ。
アルが知ったら激怒では済まないだろう。
私はとりあえず頷き返し、部屋を後にするのだった。




