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異世界旅行は落ち着かない  作者: 多真樹
第一部 幼年時代
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第3話 魔術師

 三か月が過ぎた。

 時間をかけてゆっくりと体が世界に馴染んでいっている気がする。


 言葉を覚えるのも早かった。

 生まれて数週間で両親の会話を理解できるようになったのだ。

 ゆっくりとだが、相手が何を言っているのか理解できるのは不思議な感覚だった。

 遠くて聞こえない声が、少しずつ近づいてきて鮮明になるみたいだった。


 おそらく、これは彼の才能の賜物だろう。

 俺とアルシエルの表層に出る割合は、いまのところ俺が一割もない日が長く続いた。

 何せ赤ん坊は受動的でやることがない。

 体の発達のおかげか、舌っ足らずだが喋れるようになっていることを俺は誰もいない時を見計らって検証済みだ。


 しかし、喋る赤ん坊など気味が悪い。

 忌み子だなんだと誤解されて、最悪、双子のひとりは消してしまえと言う発想にならない可能性もない。

 あるいは神の子だと敬われるかもしれない。

 どちらにしても俺にとって最悪の可能性がある限り、下手に動かないほうがいいと考えていた。


 体の成長とともに身を起こせるようになると、俺は事細かに部屋を見渡した。

 日本にはないような、使い込まれた味のある調度の数々。

 絨毯はあるが、照明の類は一切ない。

 日が沈むとともに眠りにつき、日が昇ると目覚めるような生活だ。

 ここは中世ヨーロッパか何かだろうか?

 いまのヨーロッパに電気が通っていない国があるのだろうか?

 そんな疑問が頭に浮かんだ。


 それ以上に特に目新しいものはない。

 俺と双子の妹は、同じ檻に入れられていた。

 まあベビーベッドと言うやつだ。

 間違っても赤ん坊が立ち上がっても乗り越えられないような高さの木の柵から、母親か誰かに持ち上げられない限り、俺は外に出ることができない。


 俺は生まれて一度もこの部屋から外に出ていない。

 窓から見える景色は、空だけだった。

 ベッドが窓から離れたところにあるせいで、眺めることができないのだ。

 ときどき鳥のさえずりが聞こえること以外は静かなものだ。

 一階でないことは確かだろうが、それ以上のことはわからない。


「あー、あんー」


 妹がつぶらな瞳でぶつかってきた。

 目が合うと、にぱぁっと笑う。

 小さな手を伸ばして、俺の顔に触れてくる。

 妹の指は俺の口内を無理やり犯し、そしてまたにこり。

 赤毛の天使。

 可愛い。

 かわいすぎるぞ。

 なんだこの生き物は。

 ああ、俺の妹か(笑)


 身内、という感覚は非常に薄い。

 両親も、双子の妹も、赤の他人だという違和感が拭えないのだ。

 最大限譲歩して、親戚の子ども、という距離がどうしてもある。

 だから両親と接触するときなどは、アルシエルに出てきてもらって年相応の赤ん坊で振る舞ってもらうことが多かった。

 母親の豊満な胸に顔を埋められないのは残念だが、気味悪がられては元も子もない。

 まあなにはともあれ、可愛いものは正義である。


「うー、ぶー?」


 無垢なはしばみ色の瞳で見上げてくる。

 まだ何も知らない純然たる瞳だ。

 ゾクゾクとした。

 いけないことを考えた。

 妹が庭を走り回るくらいに成長したら、きっと美人の片鱗を覗かせているに違いない。

 あの母親だ、将来は有望である。

 そしてお医者さんごっこや、夫婦ごっこをするようになるのだ。

 身体の隅々までちゃんと調べないとねー、夫婦なら裸になってお布団入るからねー。


 中身は三十路手前のおっさんである。

 そりゃしょうがないよ。

 身体は赤ん坊だが、心の性欲はあるもの。

 妹の小さな指が、俺の鼻をぺたぺたと触る。

 思わずぎゅっと抱きしめてしまった。

 安心と安全のミルクの匂いがした。


「あー、やー」


 動きを妨げられるのが嫌だったのか、逃れようともがいていた。

 泣きそうになったので解放した。

 俺が昔フィギュア集めをしていた頃の最愛の娘たちを見つめるような目で、妹の無邪気な行動を眺めていた。





 更に三か月が過ぎ、生後半年を過ぎた。

 ハイハイして動き回れるようになると、ふたりが入ったベッドは手狭になってきた。


 俺は生まれ変わって何度となく驚いた。

 しかし今日ほど唖然としたことはない。

 いや、この赤毛の可愛い妹を自分好みに育ててお兄様と呼ばせる計画に気付いたときも十分に心打たれたが、そうではないのだ。


 俺が生まれ変わった場所、国、地域。

 それがずっと気になっていた。

 中世の欧州にでも飛んだのかと思っていたが、島国育ちの生粋の日本人である俺でもわかるくらいには、言語が英語とは違うことに気付いていた。


 体が適応しているのだろう、言葉を聞き分けるのにはさして問題はなかった。

 いまではメイドから奥様と呼ばれる母親も、執事から旦那様と呼ばれる父親のことも少しは理解したつもりだった。


「この子たちはどう育つのかしらね、あなた」

「リエラは魔術師、アリィは剣士だな。男はやっぱり剣を振ってナンボだろうなあ」

「あなたの言葉だとは思えないわ。魔術師のくせに」

「男の魔術師なんて肩身が狭いから剣士にしたいんだよ。男の身で魔術学校なんて行くもんじゃねえし」

「なんだかんだいって魔術師が性に合っていたじゃない」

「兄貴たちみたいな体力馬鹿にはなれなかっただけだよ」

「失礼ね。それって剣士の私も含まれているのかしら?」

「おいおい、いつまでもじゃじゃ馬娘でいるもんじゃないぞ。子どもたちくらいには尊敬されたいだろ」

「何よ、その言い方。わたしがまるで誰にも尊敬されていないみたいじゃない」

「まあ、しまいには冒険者に成り下がったオレたちが誰から尊敬されるんだって話だけどな」


 笑い話。

 子どもの前でする何気ない会話。

 だが、俺の耳はそれを拾う。

 魔術、剣士、冒険者の単語……。


「まあ、何はともあれアリィには、妹を守れる兄になってほしいもんだ」

「あら? 兄を守る強い妹になるかもしれないわ」

「……セラは相変わらず強気だな」

「伊達に剣士はやってないわ」

「あはは……」


 父の乾いた笑いが漏れる。

 あれは幾度となく剣士の母に助けてもらった情けない男の顔だ。


「まあおまえとの取り決めだからな。どっちも教える。そして十歳になったとき、改めて方向を決めさせてやろう」

「それまでは……」

「ああ。お互い強い勧誘はなしだが、どれだけ興味を惹かせる教え方でふたりを導くかは自由だ」


 両親は互いに顔を見合わせ、にやりと笑った。

 双子のどちらとも剣士になったら母の勝ち。

 魔術師になったら父の勝ち。

 そんな駆け引きが透けて見える。

 なかなか調子のいい性格のようだ。

 裏表がなくて好感が持てる。


「私としてはどっちになってくれてもいいけど、後悔しない道を歩んでほしいわね」

「親というものはみな、得てしてそういうものさ」

「……ジャン、暗くなってきたわ。明かりをつけましょう」

「そうだね、ちょっと待って……“足元を照らせし光よ、意のままに灯れ”」


 最初に戻ろう。

 俺は感動していた。

 目を見開いて、目の前で起こったことを瞼に焼き付けていた。

 父は懐から小さな杖を取り出すと、それを燭台に向けて振ったのだ。

 するとどうだろう。ポッと、燭台に火が点いた。

 俺は目を瞠った。


「あら見て、ジャン。アリィが目を丸くしてるわ」


 うふふと、たおやかに母が笑う。

 母に頭を撫でられた。


「火を見て怖がったか? それとも火魔術を見て驚いただけかな?」


 人差し指を立てた父が、「“闇を照らせ”」と短く呟いた。

 父の周りだけ、うっすらと景色が歪む。

 父の体から熱のようなものが溢れ出たように見えた。

 それが指先に集まり、ポッと、火となって現れる。


「アリィはどうやら魔術に興味を持ったようだね」

「そんなことはないわ。体を動かせば剣術に興味を持つに決まってる」


 今更だが、アリィとは俺のことだ。

 アルシエル――愛称アリィ。

 妹のリエラシカ。

 愛称はリエラ。

 テレビメーカーの〇ィエラに近いな、と思ったのは内緒だ。


 父の何気ない魔術の披露が、俺が魔術に興味を持ったきっかけだった。

 この世界に強い関心を持った。

 持ってしまった。

 これから俺は、アルシエルとひとつの体を奪い合うことになる、そのきっかけになってしまったのだ。


 俺はそれまで、双子の成長を後見人のような気分で生温かく見守ろうと思っていた。

 なんせ生前二十七歳だ。

 もしかしたら双子の両親は生前の俺の歳より若いかもしれない。

 いや、若い。


 ――魔術師と剣士。

 それが職業たり得るのか、ちょっとそこまではわからない。

 ダンジョンに潜って宝箱とかでお金を手に入れるのだろうか。

 モンスターを倒して経験値を稼ぐのだろうか。


「…………」


 いまはどうでもいいか。

 思えば俺の知る世界と、この世界は少し違っていた。

 この世界には電化製品がない。

 コンセントも、照明もないし、灯りは燭台。

 夜になると、窓の外は月明かりしかない。


 それに、ときどき窓の外から馬蹄の駆ける音がする。

 こんなに広い部屋で、おそらく広い建物で、掃除機の音がしない。

 テレビの音も、大衆音楽も、俺の身近にあったものは何ひとつこの世界にない。

 ないのだ。

 しかし、前世にないものがあった。

 魔術。剣。

 信じざるを得ない。


「あぅ……あーあー」


 俺は柵から手を伸ばして、父の手に触れようとした。


「おっと。危ない危ない」


 父は慌てて火を消す。

 声に出して言いたい。

 それって魔術ですか。

 どうやって出すんですか。俺にも使えますか。

 俺の中で、剣士と魔術師の天秤が大きく傾く。

 お父さん……と呼ぶには抵抗がある。ジャン。母がそう呼んでいる。

 母のことを、父はセラと呼んだ。どちらも愛称だろう。


「あん……やん……」


 ジャン坊、なんやけったいなもん見せて、自慢か? ああん? 羨ましいじゃろ。われにも教えい。なんや隠してるとためにならへんで?


「お? なにか喋ろうとしてるぞ、セラ」

「なになに? ママ? パパ? 呼んでくれるの?」


 期待のこもった両親のまなざし。

 俺は、口がうまく動かないのを感じていた。

 もどかしい。赤ちゃんの口は舌っ足らずなのだ。


「じゃん……じゃん……」


 これが精いっぱい。


「オレの名前だよ! 聞いたかセラ! 呼んだぞ! アリィが俺の名前を!」


 ジャンは興奮冷めやらずといった様子で、俺をベッドから持ち上げて高い高いをした。

 いや違うんだよ。そうじゃないんだよ。魔術が知りたいんだよ!


「私の名前は? ねえアリィ? 私の名前呼んでみて。ママでいいわ。マーマ。ほら、マーマ」


 ジャンの脇で、セラが必死な目をしていた。

 口元は笑っているが、目は笑っていない。

 正直怖い。目を逸らしたくなるが、親の希望を叶えてやるのも子供の仕事。


「まーま……まーま」

「きゃー!」


 セラは黄色い声を上げた。

 こっちは言いやすい。だが、『セラ』という単語は無理だろう。

 サ行は発音しにくいみたいで、どう頑張っても『しぇら』か『えら』になる。


「オレの方は呼び捨てだけど、いや嬉しいよ!」

「子どもって成長するの早いわ!」


 嬉しさのあまり息子を胴上げする両親と、天井が目の前にきて思わず身を固くする俺を、ベビーベッドの中の妹が怪訝そうに見上げていた。

最終編集:2017/5/21

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