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異世界旅行は落ち着かない  作者: 多真樹
第一部 幼年時代
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第28話 神官、涙する

「娘さんを抱き締めたらエドさんに怒られそうかなと思ったんですが、でも許しを得たし、ファビエンヌかわいいし」

「そっちを許した覚えはないわクソカスがぁっ!」

「だろうと思いました」


 娘は私の怒声と剣幕に驚いて俯いているのかと思ったが、違った。

 顔を真っ赤にして恥ずかしがっているだけだった。

 なんでそんな顔するの? ねえ? その顔お父さんにしたことないよね?


 まだ九歳だが、同じ年頃の子供や異性に極力触れてこさせなかった反動がここにきて出てしまったようだ。

 かくなる上は娘の成長を阻害する虫をつまんで指ですり潰すべきだろう。

 そうしなければ真の平穏は訪れない。


 それにしてもだ。

 私はついカッとなって、本気まではいかないにしろ子供を殴ってしまった。

 それで泣いて怖がっているのかと思いきや、私は呆れた。

 アルは頬を腫らしているが、澄ました感じで怯える素振りもない。

 これが魔術師か。

 魔術師侮れん。


 魔術師はちょっと隙を見せれば娘に唾をつけようとするのだ。

 確かに、私の知る魔術師の旧友も女と見れば見境なく声を掛けるような軽薄な男だった。


「責任取ります。お義父さん」

「その背筋が寒くなるような呼び方をやめろよアル君。私にも冗談じゃすまない一線があってだなあ」

「どうかしたんですか?」


 近くの天幕から人が出てきて、私はようやく頭が冷えた。

 ついでに近所迷惑であることに気づき、方々に頭を下げることになった。

 最後に顔を真っ赤にした娘に、腕を抓られた。

 「お父様はやりすぎよ!」とのことである。


「……治療してやろう」


 私は反省し、せめてもの治療を申し出たのだが。


「いえ、大丈夫です。自分で治せます」


 そう言って、アルは自分の赤くなった頬に手を添えると、癒しの光を手から発して腫れを見る間に治してしまった。


「無詠唱……!」


 見たところ患部に手を添えないと治癒魔術が利かない類のヒーリングだ。

 詠唱して体全体に治癒を施す私の術とは、少し違う。

 無詠唱ゆえか。

 しかし消費魔力のコストは、断然アルのほうが低いだろう。

 魔術師は規格外だ。

 いや、そんなはずはない。

 私の知る魔術師は治癒魔術なんて使えなかった。

 彼は天才か。

 天才だからといって娘に近づかせる道理はないがな。


「…………」


 私ははたと動きを止めて、アルを見つめた。

 私が怪訝な顔をしていたのか、その様子に気づいた娘が「どうしたの?」と尋ねてくる。

 わたしはそれには答えず、アルから娘を引き離した。


「え? え?」


 困惑する娘よりも、アルだ。

 私はアルを警戒した。


「どうして治癒魔術が使えるのに、私たちを村へ招待するのか、教えてもらってもいいかな?」

「あ!」


 娘も納得とばかりに頷いた。

 アルのほうを見ると、頭を掻いている。

 どうしようかなあと考えていそうだ。

 その様子に、警戒すべきところはない。

 私ばかりが気を張っているだけで、馬鹿みたいだ。

 だが、気を緩めることはない。


「えっと……」


 話しにくそうに、アルは口を開いた。


「ぼく、いま奴隷なんですよ」

「だから?」

「ぼくは一応、魔術を使えることになっていますが、それも微々たるものという設定でして」


 アルは指先にポッと、申し訳程度の火を灯して見せた。


「隠しているからどうなる?」

「治癒魔術は自力で覚えたんです。ぼくと妹はよく殴られるので。骨折なんて週に一度はしています。そのまま放っておくと死んでしまうので、ぼくの治癒魔術で危ないところを治しているんですけど、これは雇い主には言えないことでして」


 なるべく気安い感じでアルは話すが、私はめまいがした。

 目の前にいる七歳の子供が話すには、とても重い話だ。

 彼は感覚が麻痺しているのではないだろうか。

 七歳児に暴力? 骨折が日常? ふざけるな。

 自分が殴ったことはとりあえずどこかの棚に置いておくとしよう。


 アルの体には奴隷紋がついていないが、辺境の村だと奴隷紋をかける術師がいないのだろう。

 しかしそこは問題ではない。

 たとえ奴隷だろうが必要以上の暴力は国が黙っていない。


「黙っていたのはごめんなさい。雇い主の息子をぼくの魔術で治すことも考えたのですが、後々のことを考えると隠していた方がいい気がして」

「夜になるとどこかへ出かけていたのも?」

「村に残した妹の身が心配で。妹は魔術が使えないんです」

「だから戻っていたのか」

「町まで往復している間に、妹は暴力に遭って辛い思いをしています。最初に町から急いで戻ったとき、妹は内臓を傷めていました。放っておいたらどうなるかわからなかったと思います。これから治療をお願いする雇い主の息子よりひどい怪我でしたよ」


 アルが乾いた笑いを漏らす。

 私はなんと声を掛けていいのかわからず、娘を抱いたまま立ち呆けていた。

 最初に目を合わせたとき、彼の目は赤かった。

 目に魔力を集めているのがわかって、魔術師なのだと一目でわかった。

 七歳にして魔力を操作することができる天才だと思った。

 同時に、七歳がするような目ではないとも思った。

 とにかく大人びていたのだ。


 歴戦の商人を相手に一歩も引かずに駆け引きを行う姿、冒険者が恐れるリーダーのいる魔物の群れを平然と屠る姿、そのいずれも彼が苦労をして手に入れたのものだと気づいた。


 天才だからではない。

 必要に迫られて身に着けた知識なのだ。

 私が話すこの国の知識を、彼は身を乗り出して聞き入っていたのを思い出す。

 お金を数えながらという中途半端な真似はしていなかった。

 そうやってあらゆるところから情報を得て、自分のものにして生きてきたのだ。


 私は今更ながらに言葉を失った。

 なんて子供と知り合ってしまったのだろう。

 少し荒んだ目をしていると思ったが、聞けばむしろ、なぜその扱いを受けて荒みきっていないのだ、と思う。


「お金を貯めてるのも、早くあの家から出たいためです。でも、この歳では家を買うことも大変です」

「……だろうな」

「ぼくは誰かの下で生きるのが嫌なんです。自分の命を握られていたくない。ただそれだけのために、魔術を鍛えてきました」


 私は泣きそうになった。

 不意に私の腕をすり抜けて、娘がアルに駆け寄った。

 娘はアルに飛びつき、きつく抱き締めた。

 先ほどはアルに抱き付かれて戸惑っていたのに、いまはアルのほうがおろおろしていた。


「ぐす……ごべんなさい……疑ってごべんなざいぃぃ……」


 娘が泣き崩れていた。

 その姿を見て、私も涙がこぼれた。

 これで彼の作り話だったら、私はどうすればいい。

 しかし、たぶん怒れない。

 彼の目を見て、彼のヒーリングを見て、その言葉に裏付けを得てしまったから。

 私は娘とアルをまとめて抱き締めた。


「わわ……」


 アルは慌てたようだ。

 どうすればいいのかわからないと言う顔をしている。


「大丈夫だ。私は味方だ」

「わだじも、よぉ!」


 鼻を垂らした娘も存在を主張する。

 警戒していた自分が愚かに思えた。

 私はきっと、これまでの旅の間に知らず知らず荒んでいたのだ。

 この世には理不尽なことがあまりに多く、私や娘からも大事な人を奪っていった。

 だから力を得て、対抗しなければならなかった。

 私は治癒魔術のほかにも、剣術や魔術を修めている。

 それと同様のことをアルもまたしていたに過ぎない。


 きっとこの出会いは運命だ。

 神の与えたもうた私への使命である。

 普段は信心深くない私だが、この時ばかりは神を信じた。

 彼のような子供を不幸にしてはいけない。

 私は大人で、彼を導く力がある。

 手を差し伸べてやることが私の使命なのだ。


「うおおおぉぉぉぉぉぉ!」


 私は久しぶりに、声を大にして男泣きをしてしまった。

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