第27話 どこの馬の骨?
三日目の夜。
最後の野宿だとアルは言った。
昼頃には村に着くのだと。
焚火を囲んで食後の淡いひと時を団欒している。
この場にいるのはアルと私たち父娘だけ。
今朝方には数人の商人たちがいただが、大量のウサギの素材をさばくために、昼に寄った村でこの馬車以外が離れていった。
この馬車もウサギの肉を大量に乗せているので、村に着いたらほとんど捨て値で村人に売ることを商人と約束していた。
赤字が出そうなものだが、それでも商人にはウサギの素材という旨味がちゃんとある。
「アル君はそのお金を何に使おうと考えてるんだい?」
アルは金貨を大事そうに数えていたが、小袋の口をキュッと締めて懐にしまった。
彼の手元には、金貨六枚と銀貨、銅貨の山が袋にたんまりと入っている。
「自立資金、ってやつですかね」
「いまから溜めているのか?」
「妹がいるんです。もう家族は妹だけだから、ふたりで暮らせるだけのお金が必要なんですよ」
「妹がいるの? その子も赤毛?」
私を挟んで横にいた娘が、私の膝から身を乗り出した。
「うん。同じ赤毛。ふわっとしててすごく触り心地がいいんだ」
「わたしより?」
「ファビーの髪を触ったことないんだけど」
「触らせるわけないじゃない。魔術師は嫌いよ!」
「残念。妹は癖っ毛って感じだけど、ファビはウェーブのかかったプラチナブロンドだからね。滑らかな触り心地っぽいよね。気が向いたらお願いね」
「気が向くことなんてないんだから!」
「……ところでふたりはいつ仲良くなった? お父さん、気になるんだけど」
私はむすっとしてしまった。
ふたりは昼日中にちょこちょこと話すようになった。
娘からの歩み寄りである。
アルは特に娘に興味はないらしく、話しかけられてようやく相手をするという感じだった。
ウサギの大群をアルが完膚なきまでに屠るのを見て、娘は魔術師の力に脅威を感じるより、強さを正しく使うアルの姿に好感を持ったのだろう。
「仲良くなるのはいい……仲良くなるのはいいんだよ? 人間関係って大事だからね? でもね、アル君、娘と仲良くしてもらうのもちょっと遠慮してもらってもいいかな?」
「お父様の言ってること、意味わからないわ」
「親バカ……違った、バカ親」
アルはじとっとした目で私を見た。
私はとりあえず、咳払いで誤魔化した。
娘はいつもより私に甘えてきた。
私の膝の上に乗り、頭を擦り付けてくる。
夜なので、眠いのだろう。
あとアルという敵を味方として受け入れたので、警戒しなくてよくなったということもある。
いずれ成長して甘えてこなくなるのを思うと、いまを甘やかすのは父親の義務だと思う。うむ。
私は思う存分、娘を撫で回した。
「王都の方ではいまどんなことが起こっているんですか?」
「いきなり王都を攻めるのか? 見たところ、領主の治める街にも行ったことがないようだが」
「そうですけど、気になるんですよ。自分の住んでる国のことって」
「小さいのに考えることが大きいな。自分の村、近くの町、そういうところに意識が向くのは普通だろうが、自分の暮らす領地、そしてその領地を束ねる国のことに意識が回るのはすごいことだぞ」
私は爆ぜる焚火の音に耳を傾けながら、王都の様子を思い出していた。
娘は難しい話だと思ったのか、口を挟んでこない。
昼に道の脇に生えていた花を摘んでいて、その匂いを嗅いで楽しそうにしている。
「うーん……そうだなあ、王都はいま武術が流行ってる。剣術、槍術がいちばんに来て、魔術、弓術がその下に続くかな。上は王族から下は奴隷まで、いまは腕っぷしがものを言う世界だからね」
「どうしてですか?」
「……戦争だよ。東の国とね」
「その前は貴族の人たちが喧嘩してたのよね、お父様? 同じ国の人たちが殺し合うなんてバカみたい」
娘が口を挟むが、それはざっくりしすぎていて物事の本質を捉えていない。
私は娘の頭を撫でておいた。
娘は褒められて、嬉しそうににんまりする。
「数年前に、王都の穏健派貴族と急進派貴族の対立が激化してね」
「それで内戦ですか」
「ひどいものだった。どっちが先に手を出したの、因縁がどうのとね。まあぶっちゃけ理由なんて後ででっちあげて先に叩くって感じだったな。穏健派の筆頭が暗殺されてね、その一族郎党、ありもしない罪状で処刑された。そりゃあひどいもんだったよ」
アルは顔を強張らせていた。
私は口が滑ったと後悔した。
子供に聞かせるような話ではなかった。
娘は手元の花をもてあそびながら聞き流している。
「おっと、すまない」
「いえ、続けてください」
顔色を悪くしながら、それでもアルは聞く姿勢を崩さなかった。
知識に貪欲なのだな。
だから魔術師なんて務まるのだろう。
この時の私はその程度の感想しか持たなかった。
アルの髪が赤いこと。
その点にもっと気を付けていればよかったのだ。
「私の知り合いが、その殺された貴族の中にいたが、死体はなかった。いまも行方不明になっている。今頃国を出て隠れて暮らしているに違いないと私は思っている。人の生き死には重すぎるから、そう思わないとやっていられないしね」
「お父様のお友だち?」
「そうだよ。昔一緒になって冒険をした仲間だった」
「貴族にお友だちがいたの?」
「お父さんの友達は貴族に収まらないぞ。獣人から亜人、貴族に商人、盗賊に船乗りもいたなあ」
「でもあんまり会わないよね?」
「……みんなそれぞれ忙しいんだよ」
というのは建前で、私は放浪の旅に出ているから向こうから連絡が来ることはない。
たまに旧友の住む町に寄って会いに行くこともあるが、大概は娘を寝かし付けて夜の間に飲みに行くだけだった。
娘が知らないのも無理はない。
それに、あんな野蛮な連中を娘と引き合わせるなんて考えられない。
突き抜けて気持ちのいい連中だが、子供には目の毒だ。
……酒が入ると平気で全裸になるやつもいるからな。
「貴族の内紛はどうなったんですか?」
アルが軌道修正とばかりに尋ねてくる。
「ああ、そうだったね。穏健派は軒並み潰された。その隙をついて東の国が軍を出してきたんだ。強さを誇った魔軍も魔境に退いて久しいからね」
「ウサギのリーダーが出ましたけど」
「あれは散発的なやつさ。大規模な群れだが、魔軍と呼ぶには程遠い。軍と呼ばれるくらいの、数万の魔物が波の様に押し寄せてくる時代があったのさ。私が生まれるずっと昔だがね」
「怖い時代ですね……」
思い耽るように、アルは焚火に目を落としていた。
火の揺らぎが、アルの瞳に映りこんでいる。
「いまは平和な時代だ。しかし魔物と戦争をやらなくなったら、今度は人間同士で領地の奪い合いを始めた」
「武術が人気と言ってましたけど、要するに戦争ブームですか」
「ぶーむ? ぶーむってどういう意味だ?」
「流行と同じ意味です」
「……なるほど。ぶーむね。ぶーむしてるぜ」
「いや、それはどうかと」
「ともかく今度使ってみよう。まあ話を戻すとだ、引っ切り無しに戦争を始めるもんだから、王都では魔剣だの聖剣だので騒いでいるよ。一騎当千の剣は喉から手が出るほど欲しいからな。それが武術のぶーむにつながったわけさ」
アルが複雑な顔をするのが面白かった。
この子は大人びすぎている。
だが、いまは自分の持ち物を勝手に使われたような不満を隠そうともせず、子供の顔をしている。
いっぱい食わせてやったぜと、大人げなく思った。
「お父様、変な言葉なんて使わない方がいいわよ。きっと田舎の言葉なんだから」
「いいじゃないか、田舎言葉だって。そこに光るものがあればぶーむするものだ」
「もう、お父様ったら!」
娘が頬を膨らませた。
私がアルのことばかり気に掛けるから、構ってほしいのだろう。
私は娘の髪に指を通し、さらさらのプラチナブロンドを梳いた。
アルが羨ましそうにこっちを見ている。
へへ、いーだろ。
父親の特権ってやつだ。
調子に乗って頬にちゅっちゅする。
さすがに娘は嫌がった。
「もうお父様! 人前でしょ! やめてよ!」
「まったく可愛いなあ、エンヌは。大丈夫だぞ、私がいちばん愛しているのはおまえだけだからな~」
「そんなこと聞いてないわ! もう!」
暴れるが嫌ではないのだ。
本当に嫌なら泣いて騒ぎ出す。
抵抗もむなしく、娘はぐったりと私の腕の中に収まった。
アルが物欲しそうに私たち父娘を見ている。
私の心は寛大だ。
きっと親の愛情に飢えているのだ。
先ほど家族は妹だけと言った。
それだけでも十分に、私はアルを抱き締めてやりたくなった。
「どうだ、アル君。君もくるか?」
「ええっと……いいんですか?」
「ああ、いいとも。ひと肌というものを堪能するといい」
娘を解放し、私は手を広げた。
まだまだ子供だな。
最初出会ったとき、彼の目が少し荒んでいることに気づいていた。
きっと心を許せる存在が少ないのだろう。
そういうとき、大人の大きさを教えておくのは彼の将来のためにもなると私は思った。
アルは近づいてきて、私ではなく娘の方に向き合った。
「え? え?」
ぎゅ。
あろうことか、アルは私の目の黒いうちに娘を抱き締めやがった。
このクソガキッ!
――いや、失礼。
「なんでわたしに抱き付くのよー!」
「お義父様の許しを得たので」
「ちょっと待つがいい、馬の骨。落ち着こうな? な? ……鉄拳だコラ」
ボグッ。
私は正直、手加減を誤った気がしていた。




