第25話 物の価値
私は馬車に揺られて、長閑な旅をしていた。
娘は今回の目的地に不満そうだ。
あの赤毛の少年、アルとは歳も近いので、あまり友達のいない娘にはいい刺激になると思ったのだが……。
「なあエンヌ、そんなに膨れていては可愛い顔が台無しだぞ」
「お父様、それは違うわ。わたしはもともとそういう顔なのよ!」
こうして私に対してもへそを曲げてしまっている。
頬をつつくと、そっぽを向いてしまった。
「やっぱり魔術師というのが引っ掛かるかね?」
「! あいつらはお母様の命を奪ったのよ!」
私の妻は魔術師の手にかかって死んだ。
だが、すべての魔術師が悪いと断じることはできない。
私にも冒険者時代に魔術師の親友がいたが、妻が殺されたからといって、魔術師の彼を恨むことはない。
いまはお互い子供ができて疎遠になっていた。
娘は、まだ割り切れないだけだ。
だから魔術師すべてに敵意を持っている。
そして教会の風潮が魔術師に対して厳しいことも、娘の敵意を後押ししてしまっていた。
始終娘がこんな感じなので、巡回神官という立場を利用して、魔術師である親友に会いに行くこともできないのだった。
たまたま感情の矛先が、魔術師だと言う少年に向いているだけで、お互いを理解したら素直になると思っている。
アルにしてみればいい迷惑だろう。
本人は娘の向ける敵愾心など意にも介していないようだが、それがまた娘の神経を逆なでするらしい。
まったく、いい悪循環である。
教義にあるような、争うことはせず手に手を取り合って、というのはこの際置いておこう。
教義をすべて守るようなやつはどこか人間味に欠けて好きにはなれない。
ときには感情を剥き出しにして、ぶつかって、悩んで、経験する方が私は好きだった。
「エンヌが納得いかないこともわかるつもりだ。お父さんもカタリナを殺した魔術師は殺したいほどムカついているからな」
「なら――!」
娘が何か言いかけたのを、手で制する。
「だが、魔術師という枠でなく、その人のありのままを見るべきだと私は思うね。アル君のようなエンヌよりも幼い子供を恨むなんて、私には無理だよ」
「うー……」
「最初は難しいだろう。でもいずれ、色眼鏡で見なくなるはずだ。そのための努力を怠らないようにすることが重要でね、つまり何が言いたいかというと、心を養いなさいよってことだ」
娘はムスッとして「……うん」と頷いた。
頑固な娘だが、一度受け入れてしまえば大事にする子なので、心配はしていない。
「でも魔術師って何考えてるかわかんない」
「それは……言えるな」
私は同行せず、先に村に戻ってしまった少年のことを頭に思い浮かべ、娘に同意するのだった。
その夜、馬車を止めて野営し、焚火を燃やしていると、フラッとアルが現れた。
なんでも一度村に戻ったから、今度は一緒に馬車で行くことにしたらしい。
やはり魔術師は何を考えているのかわからない。
馬に水を与える御者と商人が話していた。
馬車を操っていた御者の話によると、道なりに魔物や獣の死骸がまだ新しい状態で転がっていたらしい。
アルは何食わぬ顔で自分がやっておいた、なんて言うからさらに驚きだ。
ローブの背中の部分がざっくりと斜めに裂けていたのは、二頭鷲に襲われたからだと言ったアルの言葉を思い出す。
最初は冗談だと思って取り合わなかったが、真実味を帯びてきた気がする。
何せ二頭鷲は、このあたりに出没する魔物で上位に入るからだ。
間違っても子供が倒せるような相手ではない。
街道の近くに転がっていた魔物の中に、二頭鷲もいたそうだ。
娘はこの話を聞いてほらやっぱりと言いそうな顔をしたので窘めた。
アルは背中に荷物を背負っていた。
私たちが町を出るときには、彼は手ぶらだった。
彼が自身の村から取ってきたと考えるのが妥当だが、馬車で三日の道のりを一日とかからず往復するのは、ちょっと受け入れがたい。
三つの馬車の隊列は、次の村で一つ減る。
その次の村で、一つ減り、最後の一つがアルの住むウィート村に寄る予定だ。
ウィート村を行商がそんなに訪れないのは、ウィート村から西が人の手に余る魔境だからだ。
大森林を抜けても大霊峰が聳え、誰もその向こうへ行こうとはしない。
ならば商人たちは、丘陵地帯の手前で南北に分かれるルートを選ぶ。
これから向かう西の果ての丘陵地帯は大穀倉地帯。
グランドーラ王国にとって食糧自給の心臓部でもある。
すでに穀物を王都へ運ぶため、往復する商人の馬車はあるのだ。
農産物にはすでに大商人の息がかかっており、必然的に村々に生活必需品を運ぶ仕事も並行して行うので、その他の行商にはあまりうま味がない土地なのだ。
そして私たちは、大商人の定期便に便乗している。
三つの馬車に、二十人以上が同乗していた。
私たちのようなついでに乗せて行ってもらうものはおらず、商人や御者、積み荷の護衛を合わせるとその人数になる。
「よくできた器だわなぁ。悪くないわなぁ。きれいな円形だし、歪みもなくて均一だし、言うことないわなぁ」
翌朝、アルが持ち寄った土色の皿を、商人が見定めている。
「うちの村の職人が作ったものです。村から離れられないので、代わりにぼくが売ってくるように遣わされています」
「よし、ならば一枚につき銅貨三枚出すわな。二十四枚持ち寄ってくれたから、銅貨八十枚に奮発するわな」
「……それって買い叩いてますよね? 一枚銅貨二十枚で」
「そんな高いと売れないわな! 銅貨五枚に奮発するわな。それで手を打ってほしいわな」
アルがため息をついた。
それにはどんな意味があるのだろう。
子供相手にふっかける商人に呆れているのか。
子供の作ったものなら銅貨三枚は十分な小遣いになる。
しかし、ちゃんとした職人が作った品を銅貨三枚は、確かに暴利だ。
一枚につき銅貨十枚はくだらない。
普通の店で皿を買うなら安くても銅貨十五枚だから、商人のほうが足元を見ている。
「別の商人さんを探すことにします。そのときあなたが銅貨三枚で買おうとしたことも添えて」
「わかったわな! 銅貨十五枚で買い取るわな! 無名だし、買取の保障もないから、これがだいたいの相場だわな!」
「まいど」
アルはにやりと嫌な感じのする笑い方をする。
それでも質のいい皿をまとめて普通の皿の原価かそれより少し高い値で買ったから、商人にしてみても悪い取引ではなかったのだろう。
ちらりと見せてもらったが、貴族の家で使うようなしっかりとしたものだった。
一枚につき銅板一枚はくだらないのではないだろうか?
結局損はアルのほうだったようだ。
私はあえて何も言わないが。
「他所の買い口を持ち出すのは商売のルール違反だわなぁ……」
「商人って持ちつ持たれつなんですよね?」
「そうだわなぁ。それさえ知っていれば買い叩かれることもないわなぁ」
「ひとつお勉強させてもらいました」
「こちらこそ、だわなぁ」
アルはあっという間に銅板三枚と、銅貨六十枚を手に入れたのだ。
ちなみに私と娘の旅費一週間分である。
硬貨に関してだが、銅貨百枚で銅板一枚、銅板十枚で銀貨一枚の計算である。
銀貨の上は同じように銀板、銀板の上は金貨で、金貨百枚で白金貨になる。
私は生まれてこの方白金貨を目にしたことはないし、金貨を何枚も持って歩いたこともない。
「随分な値段になったんじゃないか?」
私は金を数えているアルに話しかけた。
「いや、ずいぶん買い叩かれましたよ。あれなら一枚銅貨五十枚でも安いです」
「ほう……」
私も目利きではないが、うまく売ればその倍はするだろう。
「だって銅板一枚の皿をコピーして作ったんだから」
「こぴぃ? それは田舎用語か何かか?」
「魔術でちょちょいと作れちゃうわけですよ。かなりの魔力を込めますけど」
「村の職人が作ったんじゃないのか?」
アルは自分を指さして、にやりと意地の悪い笑みを浮かべた。
「ぼくだって職人の端くれですが?」
「食わせ者だな、アル君は」
私とアルは顔を見合わせてわははと笑う。
若くしてずいぶん商魂たくましいが、大人の汚さまで理解していると年相応には見えなくなる。
「それって卑怯者じゃないの」
潔癖のきらいがあるのか、単にアルのやることを受け入れていないのか、娘は顔をしかめている。
「一体君はいくつなんだよ」
「娘さんと同じくらいじゃないですか? 精神年齢は三十五歳くらいです」
「それだと私よりも年上だな」
わははと笑い合う。
アルは大人の冗談が好きなようだ。
彼が成長した暁には、うまい酒が飲めそうだと思った。
※銅貨一枚は、日本貨幣で言うところの一円に当たります。
日本と比べると物価は安いです。
安いパンは銅貨三枚で食べられます。素泊まりの安宿一泊につき銅貨五十枚です。
銅板は百円、銀貨は千円、銀板は十万円、金貨は百万円、白金貨は一億円の価値があります。
基本的に村や町単位での平民の通貨は、銅貨から銀貨のみです。
商人・貴族階級になると金貨を扱います。
白金貨は貴族でも滅多に目にする機会がなく、国の約束手形という意味合いが強いです。
ちなみに奴隷の価値ですが……労働奴隷は銀貨数十枚から。性奴隷、戦闘奴隷になると金貨何十枚という世界になります。
人は金で買えます。平等なんて言葉がない世界ですしね。
ちなみに双子は銀貨三枚と銅板五枚(三千五百円)でメイドのエルマに売られました。




