第24話 宮廷魔術師
エドたちは西に進む馬車を拾い、キリスクの町を出発した。
フ〇スクのように刺激のある町だった。
世間の冷たさを味わうわ、人攫いに遭うわでこの世界はほんとに飽きがこない。
馬車に同行せず、俺は先に出発した。
エド神官には不審に思われただろうが、魔術師だからという答えのような答えにならないような言い方で誤魔化した。
妹が心配な兄である。
人目につかない林まで走ると、空を翔けた。
途中、馬車が襲われでもしたら面倒だと、魔物を狩って進んだ。
二頭鷲のような魔物はそうそう出てこない。
オオカミとかイノシシのような森の獣が大半である。
時々平原に斧を持ったイノシシとか、二足歩行で好戦的な戦士、バトルラビットが現れたが、風魔術で切り刻んだ。
肉を持って帰って途中の村や行商人に売ればそこそこの金になるが、一刻も早く戻りたいという気持ちが先行して一度も立ち止まらずに飛んでいく。
馬車で後から進むエド神官たちは、行く先々で魔物が死体で転がっているのを見て目を丸くすることだろう。
陽が傾いた頃、俺はようやく丘陵地帯を越えて村の入り口まで到着していた。
あとは人目を避けて裏山の方へ回り、リエラの様子を見守るだけである。
ムダニの家を窓から覗くと、妹がひとりで掃除して回っていた。
顔は無表情。床をごしごしと磨いている。
やりたくもないことをやっているのだと顔にありありと書いてあった。
俺は童話のシンデレラを思い出した。
リエラの頬が赤く腫れている。
少なくとも一度はムダニの暴力があったわけだ。
それだけで怒りの沸点を超えそうだよね。
いや、ときどき苦しそうに脇腹を抑えている。
もしかしたら蹴られているのかもしれない。
よく見ると脂汗が額に浮かんでいた。
俺の治癒魔術は相手に触れていないと治せないので、リエラを外に呼ぶか中に入るしかない。
台所にムダニの妻がいたので、俺はそのどちらも諦めるしかなかった。
リエラの怪我を早く治しておきたいが、奥から聞こえてくる話し声も気にかかる。
イランの部屋からだ。
俺はそっちに移動した。
「……ない。あいにくとボクは治癒魔術が使えない」
「いやいや、いま使いのものを走らせて医者を呼んでくるところでしてな、お気に病まれることはない」
「じゃあボクがここにいる意味ってあんまりないんだけど」
「いえいえ! イランの怪我が治ったら家庭教師として雇わせていただけないかなと思いましてな。貴方様は宮廷魔術師であったのでしょう? さぞかし力をお持ちだ」
ムダニが今までに見たこともない揉み手で客人をほめそやしている。
客人は滑らかな毛皮のローブを頭からすっぽりとかぶっていて、俺のところからだと顔がわからない。
声はダウナー系である。
できれば面倒を背負い込みたくないという拒絶が滲みだしている。
立ち姿は頼りない。
ローブの袖から覗く指は女の様に白く細い。
しかし……家庭教師?
宮廷魔術師がおそらくすごいネームバリューだというのは想像がつく。
宮廷と付くからには、王都で活躍していた最高峰の魔術師なのだろう。
しかし、そんなお偉いさんがなぜこんな辺鄙な田舎村に? という疑問が涌いてくる。
昨日の今日でなぜ魔術師が現れるのだ。
「雇われるのは構わないんだけど。できれば人気のない静かな場所に工房が欲しい」
「ええ、それでしたらちょうどいい場所がございますよ。隣村なのでちょっと足が要りますが、最近魔物に襲われまして、村人が半分ほどになっておりまして。どれでも気に入った家屋を使っていただけますな」
「それは好都合だ」
声から年齢を特定するとなると難しい。
ダウナー系なので声を低めているが野太い声ではないし、十代でも三十代でも通用しそうだ。
「ウチの息子は剣を使いましてな。腕はそこらの大人に負けないくらいなのですよ」
「はぁ……しかし魔術は素養が要りますし」
「御心配には及びません。ウチの息子は天才でしてな」
「はぁ……」
呆れてものが言えないな。
その自信はどこから来るのだろう。
おまえの息子だぞと罵ってやりたい。
「ではまあ、詳しい話の続きは居間で致しましょう。イランが起きてしまいますので」
「わかった」
ムダニたちが部屋を移動する。
俺も移動することにした。
居間ではリエラが床掃除を続けている。
ムダニは足元にいたリエラに気づくなり、虫を蹴飛ばすようにリエラを蹴飛ばした。
「目障りだ」とほざいて。
瞬間沸騰しそうになる自分を何とか抑えるのに苦労した。
あとでヒーリングをかけてあげれば大丈夫とはいえ、蹲って苦しんでいるリエラの『今』の痛みを取り去ってやれるわけではないのだ。
リエラが人よりトロいわけではない。
ドアを開けたムダニの足が、足元にいたリエラが下がる前に、脊髄反射で動いたのだ。
ローブの男はリエラを見下ろしているようだった。
しかしムダニに椅子を勧められると、あっさり目を外して腰かける。
「あれは?」
「ああ、うちで雇っている奴隷ですよ」
「奴隷にしては、紋がないようだけど?」
「紋を入れられる魔術師様になると、ここらにはそうおりませんからな。それに金がかかる」
「ボクがやろうか?」
「なんと!」
「……いや、やっぱりやめておく。奴隷紋は準備がいる」
「左様ですか。しかし気が向いたら是非」
「検討しておくね」
俺は腰が浮き上がっていたが、なんとかその場にしゃがんだ。
奴隷紋? それを施すと主人の命令には絶対に従わなければいけない、というやつだろうか。
リエラにあんなことやこんなことを命令するのだろうか。
ちょっと想像して、はらわたが煮えくり返るかと思った。
そんなことを強要したらぶち殺してやる。
俺は心に誓った。
妹を愛でていいのは兄の特権だ。
誰にも渡さん。
それにしても、と俺は目を凝らす。
宮廷魔術師を名乗るこの優男……体から溢れる魔力が尋常ではない。
押さえ込んでいるのが分かるくらい、きれいな魔力の纏い方をしている。
今まで見たエルフの師匠や、町で出会ったエド神官も魔力の制御がうまかったが、師匠はあえて自然体にしていたし、エド神官は少し雑だった。
もしかしたら魔術師としては、目の前の男が理想形なのかもしれない。
ふと、フードの男が顔を上げ、迷わず俺が覗いている窓に目を向けた。
赤い瞳と目が合ってしまい、俺は思わず頭を引っ込めた。
心臓がバクバクとやかましく音を立てる。
やばい、と直感した。
何がやばいと、うまく説明できない。
だが、あの男は危険だ。
師匠に感じた温かみも、エド神官に感じた無骨さもない。
ただただ圧倒的に呑み込もうとする蛇のような恐ろしさが、目を合わせた瞬間に体を貫いたのだ。
ひょろっとしたなりをしているが、あれは間違いなく弱者を喰らう捕食者だ。
俺はこの世界に転生して、初めて恐怖というものを感じたかもしれない。
魔力が尽きて魔物と対峙した時でさえ、こんなにも歯の根が合わないほどの恐ろしさは感じなかった。
「しかし、こんな辺境くんだりまで足を運んでいただけるとは、魔術師様も何か目的がおありなんでしょう?」
「ああ、大森林の魔物に興味があってね。ここには他にはない強い魔物がいるそうだから」
「ええ、まあ。たまに森から出てきては村を襲うんですよ。隣村もそれで壊滅しましてね。いや、魔術師様がいてくれるなら心強い。先日の事件はなにやらエルフが現れたとかで、そいつが魔物を蹴散らしたそうなんですよ。ですが私としては、そんな胡散臭い亜人よりは魔術師様のような高名な方に守ってもらったほうがいいと思っていましてね」
「へえ、エルフがいるんだ」
何やら含む言い方だった。
興味なさそうなふりをしているが、その実ものすごく関心を買ったような口ぶりである。
「家庭教師の件、引き受けるよ」
「へ、へえ。よろしくお願いします」
ムダニはおそらく息子のためと言いながら、魔術師を飼い殺す気でいるのだろう。
お粗末な考えだった。
彼の手に負えるほど、その魔術師は易くない。
俺は安全な場所に隠れて、妹と接触を待つことにした。
妹の様子を見たら、とりあえず神官父娘の元に戻ることにしよう。
あの魔術師の動向が気になるが、傍にはいたくない。
一目で魔術師だと見抜かれたかもしれないのだ。
魔術師と感じさせない魔力の纏い方をエド神官に聞いてみよう。
あとは、無邪気な子供のように振る舞うのだ。
あの魔術師に目をつけられたら、平穏無事にはいかない予感があった。
もう一つの懸念があるとすれば、イランに魔術師の師匠ができることだ。
この先神経を張り詰めねばならないと思うと、胃に穴が開きそうだ。
仕事を終えて納屋に戻ってきたふらふらの妹の傷を治した後、頭をいっぱい撫でた。
ついでにぎゅっと抱きしめて、妹の匂いを十分に吸い込んだ。
満たされる。
あー、きもちひい。
赤毛の妹は最高の癒しだね。
照れて赤くなる妹を見て癒された後、俺はこの村に向かっているであろう神官父娘のところまで飛んでいく。
……師匠からいろいろ教わるのはいつになることやら。




