第23話 神官見習いファビエンヌ
「私の名前はエドガール・マリーズ。こっちは娘のファビエンヌだ」
プラチナブロンドのゆるふわ少女が、父親に促されて小さく頭を下げる。
可愛い。
美少女。ちょっと将来が楽しみだ。
「ぼくは……アルと言います」
ゆるふわ美少女から目を引き剥がし、俺も名乗った。
俺はいま、神殿の一室に招かれていた。
簡素な部屋だ。
ベッドが二つ。と、机がひとつ。
目の前の父娘は、夜も更けてひとりで歩く俺が心配だと、神殿の自室に俺を連れ込んだ。
さっき俺を担いで裏路地に連れ込んだ男たちと比べると、邪気がない。
だから信用した。
まあ神殿に住んでいる神官と名乗っていたし、格好もそれっぽい白正装だし、すえた臭いのする連中よりはマシだ。
くすんだ金髪をうしろに撫でつけている壮年のエドガールと、俺よりちょっと年上のファビエンヌ。
彼らと俺は、ベッドに腰掛け膝を突き合わせている。
「さっき連れ去られそうになっていたが……大丈夫だったか?」
エドガール……(なんか女の子っぽいので以降はエドで)……は窺うように聞いてくる。
この人は魔力を操れるようだ。
さっき目が赤かった。
目に魔力を集めて、視覚を鋭くしていたのだ。
「あの人たちはぼくが疲れて休んでいたところを誘拐しようとしたみたいですね。いたいけな子供を攫うなんて下種の極みですよね」
「あ、ああ……無事なようで何よりだ」
ちょっと引いているようだった。
こっちはなるべくフレンドリーに接しているのに、失礼しちゃうわ。
「アル君は魔術師なのかな。大人を相手に立ち回っていたみたいだが」
「……はい」
自分が魔術師だと話していいのかわからない。
俺には情報がないから、魔術師と名乗って立場を悪くするのは避けたかった。
神殿と魔術師は不仲とか、ファンタジーの世界ではよくありそうな設定だし。
一応父親が魔術師だったし、隠していなかったから、それを頼みにするしかなかった。
この世界では常に手探りだ。
はやく師匠から世渡り上手になれるようにいろいろ教わりたいものだ。
師匠から何か教わる前に村を出てきてしまったけど、師匠は愛想をつかしてないだろうか。
心配だ。
「失礼だが、診療所の前で騒いでいるところも見ていた。そのときに力になれなくてすまない。なにか事情があるみたいだったが、私でよければ聞かせてくれないか?」
「まるで懺悔みたいですね」
「心当たりがあるのなら、そちらも聞こうか?」
冗談のつもりなのは、口調からわかった。
だから俺も、笑みを浮かべるだけに留めた。
「実は、お医者さんを探しているんです。ウィート村に治療を必要としている人がいて、ぼくが使いにやらされたんです」
「ウィート村というと? すまんが聞いたことのない村だ」
「ここから三日ほど西に行き、丘陵を抜けたところにある西端の小さな村です」
「ふむ……西というと大霊峰の麓か。あそこは強力な魔物が出ると噂に聞くが」
「その手前の大森林の入り口に村があります。ついこの前、隣村が魔物に襲われて壊滅しました」
「それは……大変だったね」
エドが神妙な顔をする。
口を挟まないでエドの後ろに隠れているファビエンヌも沈痛な面持ちになった。
「ずいぶん遠くから来たものだね。その道のりをたったひとりでやってきたのかい?」
「はい。途中の林で魔物に襲われてひやっとしましたが」
俺は着ていたボロのローブを脱いで、広げてみせた。
背中にざっくりと残る裂けたあとは、二頭鷲の鉤爪によるものだ。
「君の体は無事なようだが」
「運が良かったんです」
エドは腕を組んで考えるような素振りをする。
本当は深く背中を抉られて死ぬかと思った。
治療のために治癒魔術を使ったら、魔力が底を尽きかけて意識が飛びかけた。
歯を食いしばって、なんとか町の近くまで飛んできたのだ。
この町に到着してから、人伝に二軒の診療所を訪ねたが、そのどちらも追い返されるか話しすら聞いてもらえない状態だった。
片道三日かかる村に往診に行かされることを嫌がるのは目に見えていたが、連れて行かないことにはムダニを納得させられないし、長く時間を空けるとそれだけ妹の安否が心配になってくる。
折角死に物狂いで町までやってきたのに、俺は行き詰って板挟みになっている。
いっそ適当な人間を連れてって、俺が後ろからヒーリングをかけるしかないのだろうか。
それがいちばん手っ取り早い気がする。
もうそこらに転がってる浮浪者でもいいんじゃね?
「じゃあ、私が行こうか」
「……はい?」
俺は一瞬、理解が遅れた。
神官が村に付き添ってくれる。
うん。わかる。
でも医者じゃなくね?
「私は神官だが、治癒術師でもある。多少の怪我や病なら治す自信がある。エンヌも初級治癒が使えるから、壊滅した村の怪我人も治せるはずだ」
「初級?」
「ああ。ちなみに私は上級だ」
「中級だと骨折は治せますか?」
「問題ないな」
「上級はどういったものなんですか?」
「人間の欠損部を治すほどの力さ」
ふむ。良い拾い物をしたかもしれない。
なんて俺は思った。
俺はそうなると中級治癒魔術が使えるということになる。
解毒や状態異常を治す浄化魔術は使えないから、中級といっていいのか定かではないが。
話していると、さらに聞きたいことができる。
「弱った体力をヒーリングで回復させることはできますか?」
「わずかならな。でもヒーリングは万能じゃない」
「魔力は戻りますか?」
「そっちは無理だな。魔力の回復は時間経過による回復か、薬に頼るしかない……っておいおい、質問時間じゃないぞ。それより返事はどうなんだ?」
「これ以上ない申し出です。よろしくお願いします」
頭を下げる。
「今日はここで休んでいくといい。いまお湯をもらってくる。エンヌ」
「わたしが行くの?」
「お客さんだぞ」
「はーい」
少女は不満そうにつんとしてから、部屋を出て行った。
俺は疲れ果てていた。
こてんと、ベッドに倒れ込む。
魔力はもう底を尽いている。
意地でなんとか繋いでいたのだ。
その糸も切れた。
「アル君は治癒魔術は使えるんだろう?」
「…………」
返事はできなかった。
「おやまあ」
「……くぅ、くぅ……」
俺はあっという間に意識を手放していたから。
夢を見た。
ナルシェに膝枕をしてもらう夢だった。
優しく頭を撫でてもらい、「大好きですよ、ご主人様」と耳元で囁いてもらうご褒美付きだ。
俺の脳はダメな感じにとろけた。
にへにへとだらしなく笑ってしまう。
夢であるのがもったいなかった。
ナルシェに会いたいなあ。
一回拒絶されたくらいでめげないのが、男の甲斐性だと思っている俺である。
前世で高校生だった頃、好きな女子からストーカーの疑いをかけられたことがあった。
それがクラスで問題になって、わざわざ授業の一コマを潰して学級会議を開き、晒し者になってクラスからバッシングを受けたのを思い出す。
もうちょっとうまくやれたんじゃね? と今になって思う。
家がどこにあるのかこっそり後をつけて調べるのは普通だろう?
他中学校だった彼女の卒業アルバムをどうにかして手に入れたいと思うのは変だろうか?
さすがに持ち物を盗むとか、リコーダーペロペロはやってないよ?
誰もいない教室で彼女の机に座って頬ずりしただけだよ。
いや、ダメか。
今になって思うと、それほど好きでもなかった。
好きになったという感覚に酔って、周りが見えなくなっていただけだ。
しかしそれをスマートにこなすのがリア充で、悲しいかな気持ち悪いと思われるのが俺のようなブサオタである。
俺と同じことをイケメンがやれば、女を口説くための下準備をしているように思われるだろう。
思われるか?
どうだろう?
リセットボタンのないクソゲー。
それが俺の前世、後悔ばかりの人生だった。
すべてをやり直したかった。
再起のつもりでバイトの面接に出掛けたか定かではないが、そこから記憶はなくなっている。
しかしそれでよかったのかもしれない。
アルシエルになれたことを神様に感謝している。
目が覚めた。
目を開けると見知らぬ天井、というやつである。
嗅ぎなれない毛布の匂いに、頭の中で警戒信号が点る。
頭はすぐにクリアになった。
誰かに起こされたときは寝惚けていることが多いが、自分で起きたときはそれほど悪くないほうだ。
リエラのほうがひどい。
寝起きは常にぼーっとして、着替えもままならないのだから。
外はまだ暗かった。
なぜ目が覚めたのだろうと思ったら、部屋で動く気配がする。
俺は身を起こした。
「ああ、起こしたか?」
暗がりから声がする。
すぐに目に魔力を集めた。
昨日の神官、エドが着替えている最中だった。
男のケツを朝イチで見てしまった。
俺の目は腐った。
「朝の祈りの時間なんでね。ちょっと部屋を空けるよ。朝食は一緒に食べよう。それまでもうひと眠りするといい」
ファビエンヌのほうは着替えも済み、父親を待っている様子だった。
どうせだったらそちらの着替えを拝みたかった。
昨日から警戒されているのか、彼女が父親と話しているところをろくに見ていない。
彼らは白の正装に身を包むと、陽の昇らないうちから部屋を出て行った。
しばらくすると、どこかから唱和が聞こえてきた。
それを子守唄に、俺は二度寝した。
二人はしばらくすると戻ってきた。
朝陽が昇っている。
「よく眠れたかい?」
「はい、思ったよりもぐっすりと」
「それはよかった。魔力も回復しているかい?」
「……そうですね。半分くらいでしょうか」
俺とエド神官しか会話していない。
ファビエンヌは会話に入る気がないのか、自分の持ち物から櫛を取り出して、こちらに背を向けて髪を梳いている。
その様子を見て、エド神官は苦笑した。
「気分を害さないでくれよ。娘は同じくらいの子供とあまり接する機会がなくてね」
弾かれたようにファビエンヌがエド神官を睨んだ。
何か言いたそうだが、言葉にしない。
俺としては別にどうでもよかった。
仲良くなれと言われても遠慮しよう。
今の俺にとってはエド神官の治癒魔術が大事なのであって、ファビエンヌはおまけでしかない。
「なるべく早く村に来ていただきたいのですが」
「そうだね。重患者なら急ぐべきだろう。昼にはここを発つよ」
「……いいんですか?」
「何がだい? アル君のような子供の言うなりに片道三日の道なりを急ぐことがかい? それともここでも仕事があるだろうに、放り出すことを気にしてくれているのかい?」
「……いえ」
何と答えていいかわからず、俺は濁した。
「アル君が気に病むことは何もない。私は巡業神官だからね。村々を回って治療に専念するのが仕事とも言える。本来なら南のルートを取るつもりだったが、西に寄り道しても悪くはないさ」
「なぜ西ではなく南に?」
「西は大霊峰があって行き止まりだからね。北はこれから寒くなっていくと、雪に閉ざされてしまう。だったらいまのうちに南を回った方がいいだろう?」
実に合理的だった。
大きな町を結ぶように移動しているのなら、西の果てにある大霊峰の麓は進路から大きく外れることになる。
季節はいま、秋に差し掛かっているくらいだ。
村の丘陵に広がる穂波も黄金色に染まっている。
隣村が壊滅したことで人手が減り、収穫が忙しくなるのも目に見えていた。
「そろそろ朝ご飯の時間だね」
俺に向かってエド神官が言う。
俺たちは連れ立って食堂に行った。
薄いスープと蒸かしたイモ。
味気ない質素な食事だった。
美味くも不味くもない。
機械的に腹に入れるという感じである。
何十人が一斉に食堂に介しているというのに、話し声が一切聞こえないのも変な感じだ。
ひどくつまらない生活に思えたが、彼らにはきっと意味があるのだろう。
エド神官が午前中いっぱいを使って神殿を回って話をつけているようだった。
俺とファビエンヌは部屋に残るように言われた。
「…………」
「…………」
会話がない。
俺は別に気にしなかった。
それよりも妹の身が心配でならない。
行きは飛ばして半日で到着したが、帰りはエド神官を案内するので三日間同行する必要がある。
それとも先に帰って到着を待つか?
待てど暮らせど来なかったら嫌だな。
それならそれで適当な人間を見繕って俺がヒーリングをかければ済む話か?
考えはまとまらない。
何が最善か。
まずリエラの身の安全を確保すること。
それには日数をかけてはいけない。
次に俺の魔術がばれないようにすること。
これはすでにイランに疑いを持たれているし、これは最悪考えなくてもいいのかもしれない。
三つ目に治療できる者を連れてくる、という項目が入る。
二番目の魔術の秘匿を考えないのであれば、いっそ俺がイランに治癒をかければいいのだが、ムダニには手の内を明かさないようにするのは大事だと思われる。
それに、イランを助けるような真似はしたくないという抵抗感もあった。
俺とイランは、心の底からお互いを嫌い合っている。
言わなくてもわかってしまう。
俺の方は立場的に表面上取り繕ってはいるが、向こうはそれも気に入らないみたいだし、ことあるごとに人をサンドバッグにするので歩み寄りは不可能だ。
よし、決めた。
俺は一足先に村に戻ろう。
そして隠れてリエラを見守ろう。
エド神官には三日かけてゆっくり来てもらって、俺は何食わぬ顔でムダニに治癒魔術師を紹介すればいい。
うん。よし、そうしよう。
「……あんた、いったい何なの?」
急に声を掛けられて、俺は思わず間の抜けた顔で声の主を見た。
「なんなの……?」
何のことかわからず、鸚鵡返しになってしまう。
「お父様に取り入って何をするつもり? あんた悪い魔術師なんでしょ?」
「魔術師だと偏見を持たれる理由があるの?」
「……そんなことも知らないの?」
質問に質問で返したら質問の応酬を受けた。
「知ってたら疑われるような真似はしないと思うけど」
ファビエンヌは年相応の大げさなため息をついた。
お姉ちゃんぶりたい年頃なのだ。
年齢的には二つ上らしい。
身長も彼女のほうが高い。
ナルシェが小麦色の健康的な肌だったのに対し、彼女は真っ白で陶器を思わせる白さが目立った。
貴族の箱入り娘と言われても通じそうな、品の良い顔立ちをしている。
「教会と魔術師は喧嘩してるのよ? それくらいじょーしきでしょ」
曰く、魔術師は独自の理論で行動するため、彼らの教義とは沿わないんだそうな。
神の奇跡を魔術の理論武装で解き明かそうとするから、教会側からは敵視されている。
もちろんすべての信徒が凝り固まった考えというわけではないが、どちらかというと冒険者や無法者寄りの魔術師と、秩序と正義を慮る信仰者とは水と油だ。
自ら魔術師と名乗り神官の手を借りようとするバカはいなんだそうな。
その話から行くと、あなたのお父様はバカですよと言いたいが、きっとすごい剣幕で怒るので口を閉ざした。
必要のないところに火種を投げ込む必要はないよね。
「まあ、神官を連れていきたいというのは、俺だけの話でもないしね。村一個壊滅してるし」
「そうかもしれないけど……」
ファビエンヌは言い淀んだ。
そういった緊急事態に魔術師も神官もないと考えるのは当たり前だ。
しかし、どうも彼女はそこに拘っているわけではないようだ。
大人たちが喧嘩する両者の確執というより、彼女の個人的な不満をふたつの勢力で代弁したような感じだった。
「じゃあいまから君の父親に断って、新しい医者でも探したほうがいいのかな?」
「お父様が人助けをしないわけないじゃない!」
「だよね。義理堅いひとなのは話していてわかったよ」
「当たり前よ。お父様はすごいんだから」
ふふんと鼻を鳴らしそうな勢いだ。
まあそうだよな。
じゃなきゃみすぼらしい孤児のような恰好の子供を助けようだなんて思わないだろうし。
「じゃあこの町を離れるのが嫌なのかな?」
「別に、そんなことはないわ。ミートパイが食べられなくなるのは悲しいけど、新しい町にもきっとおいしい食べ物はあるわ。その出会いが楽しいのよ」
こんな小さななりして腹ペコキャラかと突っ込みたくなった。
きっと通じないので言わないが。
「じゃあ単純に俺が気に入らないわけね。まあ、こんな格好だし、ちょっと臭いし」
自分の体を嗅いでみる。
いい感じに汗臭い。
頭も、なんかゴワゴワする。
「洗うか」
思い立ったが吉日。
俺は服をすべて脱いで、生まれたままの姿になった。
我が息子に隠れる茂みはない。
ある意味恥ずかしがって皮を被って隠れているが、なにしろまだ七歳である。
股間のゾウさんを同い年くらいの少女に見られたからって屁でもない。
むしろ見られて変な気分になってしまわないかが心配だ。
「きゃっ! もう! なんで脱ぎだすのよ!」
ファビエンヌが慌てて背を向ける。
俺は気にせず、水が張ってある桶に服を全部突っ込んだ。
手揉み洗いしながら、水魔術をかける。
汚れをすべて落として水から引き上げると、すぐに火魔術をかけて素早く乾燥させる。
ついでに裸になったので、身体の汚れも水魔術で落とす。髪のごわごわもすっかりなくなってフレッシュである。
洗濯から着替えまで、一分もせずに済んでしまう。
さっきまでのぼろっちくて不潔な子供から、なんとなく汚らしくて衣服がぼろい子供に早変わりだ。
パッと見何も変わってない。
「終わったよ」
「え?」
半信半疑でファビエンヌが振り返る。
俺を見て目をぱちくりさせる。
あ、その表情はちょっとかわいい。
「魔術って便利だと思うけどな」
「怠慢よ」
「そうとも言えるな。でも魔術を覚えるための努力は血が滲むって表現がぴったりだと思うよ」
努力という言葉を出されて、ファビエンヌは言葉に詰まったようだ。
「……でも魔術師は嫌いよ」
吐き捨てるように、俺から目を反らして言った。
きっと、俺以外の特定の魔術師を想像しているのだろう。
その一言にすべてが収束されるんだろうな、と思った。
彼女と仲良くなる必要はないが、あえて敵対する必要もないしな。




