第21話 一陣の風
翌朝、ウィートとプロウ村の生き残り同士で話し合いが行われた。
プロウの村は壊滅的な被害を受け、村長一家も全滅していたので、代理の者が領主と話をつけに行き、復興の資金を取りつけてくるようだ。
話の流れでは、この先十年はウィート村のムダニがプロウ村も管理することになると言っていた。
プロウの村は半数以上の村人が魔物にやられて死んだが、丘陵地帯の広大な麦畑はほとんど無傷だった。
あとは収穫を待つだけの畑である。
人手が不足している。
領主に納める村の税を考えると、いっそプロウ村という存在を取り潰してウィート村に吸収した方が、今年度の貯蓄は圧倒的に多いのだとか。
どうせ国内でも辺境の地にある村である。
領主の配下が検分に来ることもない。
なんだか安全なところで胡坐を掻いていたムダニがいちばん甘い汁を吸いそうな話であるが、そんなことを誰かが言えば、うちの息子のイランが死にかけたんだぞ、とやり返されかねない。
そういう意地汚いところだけには頭の回る男である。
そういうわけで、魔物騒動はこうして終息を見るのだった。
俺にとっても師匠ができるという利益があったのでホクホクである。
イランからはいらない嫉妬を買いそうではあるが……。
ウィート村に戻って早々、ムダニは討伐隊の人間が担架で運んできたイランの姿を見、無傷な俺の顔を見、怒り狂って殴ってきた。
俺はそれを避けない。
ちょっと顔の位置をずらして、ダメージのなさそうなあたりを殴らせるのはご愛嬌だ。
殴られる瞬間、わからない程度に後ろにちょっと引いて痛みを和らげていたりもする。
討伐隊の男たちが目を丸くして、俺が地べたに這いつくばるのを見ていた。
ムダニは用意周到な男(小者とも言う)だから、いままで村人の前ではドメスティックなバイオレンスは見せなかった。
それでも俺が痣を作って村を歩いているときもあったので、なんとなく知られてはいたようだ。
「ムダニさん、いきなり暴力は……」
「うるさい! なぜイランが怪我をして、こいつは平然としているのだ! イランが怪我をしないように盾になるのがこいつの役目だろうが!」
立ち上がろうとする俺に蹴りを入れてくる。
俺は無様に仰向けに倒れた。
妹が駆け寄ってくるが、手で制する。
「そもそもなぜ昨日帰ってこなかった。イランがどうして怪我をしている!」
ムダニは鼻息を荒くしながら討伐隊の男に目を向ける。
「か、彼らが興味本位から、魔物に襲われた村を覗きにきたんですよ……」
「だからといってなぜイランが怪我しなければならないのだ!」
話がエンドレスになりつつある。
彼らもビビっていたが、怪我人のイランを家に入れ、部屋へと運ぶ作業があった。
彼らは更に、今回の一件で死者を出した家々を回らなければならない。
夫を失い、兄弟を失った家族へ、報告に行かねばならない。
それに比べたら、怪我をしただけのイランを運んで、怒鳴られる意味がわからないだろう。
「ともかく、イラン君を部屋に運ばせてくださいよ」
「さっさと運ばんか!」
俺たちはその間外で待つ。
中に入る許しを得ていないからだ。
運び込まれたイランを見たのだろう、奥からムダニの妻のヒステリックな悲鳴が聞こえた。
それから、若者ふたりはムダニに強引に引き留められて、事の顛末を話すことになった。
俺たちも家の中に通された。
俺と妹は部屋の隅っこに立っていた。
ムダニから射殺すような目を向けられるので、下に目を落としている。
男たちが席に着き、ことのあらましを話し始める。
魔物の親玉に果敢に立ち向かっていったイランの話をすると、とりあえずムダニの怒りは収まったようだ。
「イランは将来勇者になる男だからな。さすがわしの息子だ」
蛮勇をどう受け取るかは人それぞれだよね。
それからプロウ村の今後についての話し合いにもなった。
「合併だな。プロウ村を取り潰してウィート村の一部とする。一家の柱を失った家は、男をやって取り込め」
ムダニの結論は早かった。
利に敏く、執着質なところを抜きにすれば、決断力はあるのだ。
感情では拒絶したいような決断だろうけど。
「まだ結婚していない次男坊、三男坊を送れ」
「向こうの男衆はほとんど魔物にやられていますが、こっちだって被害は相当なものですよ。あのラズが死んでますし、ディムのところの長男も死んでます」
ムダニが顔をしかめ、丸太のような腕を組んだ。
どうせ死んで役立たずとか思っているのだろう。
言わない分別はあるようだ。
話し合いの途中で妻が奥から現れた。
顔は真っ青だ。
「あなた、イランが大怪我していますわ」
「知っている」
ムダニは太い眉の奥の濁った瞳で、俺の方を見た。
「何もわかってはいません! イランが! あのイランが怪我をしたんですよ!」
キッと、ムダニの妻の怒りの矛先が俺の方に向く。
勘弁してほしい。
「大事な大事なイランが怪我をして! なんでこいつらはのうのうとしているの!」
ヒステリックに叫ぶ。俺たちを指差し、ムダニに問い詰める。
ムダニは妻を鬱陶しそうに見た。
「じゃあどうすればいい?」
「イランと同じように腕を折り、足を折ってその苦しみをわからせてあげなければ! イランが少しでも心休まるように、こいつらにも同じ痛みを与えなければ!」
「奥さん、それはちょっと……」
さすがの男衆も引いている。
「イランは名誉の負傷をした。村の誰もが敵わなかった魔物をひとりで相手にしたのだ。あのラズですら敵わなかったほどのな」
「イランはそれくらい当たり前にやってのけます」
七歳児に向ける期待があまりに大きすぎやしませんか?
親馬鹿ここに極まれりだな、と心の中で思う。
じゃあなんでこっちにキレるんだよとも思う。
まあ、俺たちが気に入らないというだけの話だろう。
のうのうと無傷でいる。気に入らない。
俺たち双子に憎しみを向ける理由は、本当にそれだけなのだ。
「わかった。優先的に医者を呼ぶ」
「この村のおいぼれの医者では頼りになりません。町からそれなりの医者を呼んでこなければ」
「呼べばいいんだろう? オレが何とかしておく。おまえはイランの傍についていろ」
ムダニは大きな手で妻を追い払う。
なんとか納得したようで、妻もようやく引き下がり、イランの部屋へ足早に向かって行った。
男衆がため息をつく。
「なんというか、過激な人ですね」
「愛情が大きすぎるだけだ」
物は言い様だな、と思った。
こっちに向ける愛情はひとかけらもない。
今後の村の方針を二、三話して、男衆はそそくさと帰って行った。
ムダニは俺たちに目を向けた。
「おい、町に行って医者を連れて来い」
「わかりました」
俺はいち早くそう答えた。
妹の手を引いてムダニの家を出ようとする。
町に行ったこともなければ、場所も知らない。
だがここで知りませんと答えるような愚は犯さない。
「待て」
足を止める。
「おまえだけだ。女の方は昨日と今日の分の仕事をしろ」
俺を町に行かせ、リエラはいつもどおり働かさせる。
それはちょっと怖かった。
リエラをひとり残していきたくない。
俺の内心を見透かしてか、動けなくなった俺にムダニが近づいてくる。
「何をしてる。早く行ってこい。それとも文句でもあるのか?」
「ありません」
「じゃあ止まってるんじゃねえよ」
蹴飛ばされた。
「……はい」
従うしかなかった。
リエラと一緒にムダニの家を出て、一度納屋に戻った。
「お兄ちゃん……」
「心配するなよ。すぐ戻ってくるから」
リエラの頭を撫でるが、不安は取り除けないようだ。
「リエラ、俺がいない間はミスのないように注意しろ。絶対にムダニに近づくなよ」
「うん。わかった」
妹の手が、俺の頬に伸びてきた。
そういえばさっき殴られた怪我をまだ治していない。
いつものようにヒーリングをかけようとして、あまり魔力が残っていないことに気づく。
「お兄ちゃん、いつもみたいに治さないの?」
「ああ、これくらいの傷ならすぐに治るからいいよ」
本当はじくじくと痛んでいたが、妹に悟られないように笑みを浮かべる。
「ごめんね。お兄ちゃんのほうがずっと大変なのに、あたし、なにもできなくて……」
俺の手を握り、妹の肩が小さく震えた。
「そんなことないよ。リエラは頑張ってる。だから泣かないで、お兄ちゃんにリエラの笑顔を見せて。俺はそれだけで安心できるから」
同じ目の高さの妹の頭を、俺は腕を伸ばして撫でてやる。
肩までかかる柔らかい赤毛。
俺が毎日自作の櫛で梳いてきた。
同い年の双子であるはずなのに、俺のほうが年上のように振る舞ってきた。
大事に大事に育ててきた。
ムダニなんかに手を出させてたまるかという一心で。
町に行かないでいい方法がないわけではない。
イランの傷をヒーリングで治せばいいだけなのだ。
しかし、二つの意味でそれができない。
ひとつは、治癒魔術を覚えているという事実をムダニ一家に知られたくない。
それはすなわち、どれだけ暴力を振るおうと怪我を治してしまうと思われれるからだ。
あってないようなムダニのリミッターを外してしまう可能性があった。
半殺しから、致死になってしまうかもしれない。
もうひとつは、単純にイランの怪我を治すのが嫌なのだ。
俺はムダニ一家を嫌い、彼らは俺たちを見下している。
恩義なんか欠片も持ち合わせていない。
誠心誠意尽くす理由もない。
ヒーリングを使うより、医者を呼んでくる方がマシだ。
俺に対するムダニの認識は、ほんのちょっと魔術が使える、程度だ。
そこそこ魔術を使えるという事実は隠さなければならない。
あるいは魔術が使えることをばらして、脅すことも考えた。
しかし根に持たれてリエラがひとりのときを狙われたらたまらない。
一度の失敗がリエラを失うことにつながると考えると、やはり魔術を明かすのは得策ではない。
下手に出ている以上は死ぬほどの危険はないのだ。
俺たちはまだ七歳で、耐えることが最善なのだ。
そう、自分に言い聞かせる。
二時間ほど納屋でリエラと抱き合い、しばしの別れを惜しんだ。
そしてお互いの安全も、同時に願った。
不安ばかりが残る。
「じゃあ行ってくるよ」
俺はその日のうちに村を発った。
村人に話を聞くと、町までは大人の足でも三日はかかるそうだ。
往復で六日。その間はリエラひとりきり。
あの家にひとりで残すということの意味を一瞬で計算する。
絶望なんてものじゃない。
俺の背中に怖気が走った。
俺は人目につかないところまでくると、大森林で師匠と追いかけっこをするときお世話になった魔術を使う。
足の裏に爆発的な風を生み出し、その推進力で移動するというものだ。
魔力の回復は二割というところだった。
行って帰ってくるには厳しいだろう。
しかしやらなければならない。
魔力が切れたら走ればいい。
あとのことは考えない。
グランドーラ王国の西端ウィート村から、町を目指して一路東へ。
麦畑の穂波を飛び越え、ただまっすぐに東へと向かう一陣の風となった。
陽が暮れる頃、ようやく丘陵地帯を抜けた。
村が見えたのでそこに寄ってみる。
村人に医者はいないかと尋ねてみると、医者もヒーリングを使える神官もいないと言う。
聞いてみると、月に一度キリスクの町から巡業医が訪れるそうで、次の訪問まではあと半月以上あるらしい。
近場の村には開業医や神官はおらず、すべて町頼みだという情報までもらった。
その町までは東に二日の距離らしい。
俺は礼を言い、村を発った。
魔術を使おうとしたら足元がふらついたが、気力で踏ん張った。
キリスクの町までは二日。
それをなんとしても半日までに縮めるのだ。
魔力はあと一割半。
気力でなんとかするしかなかった。
跳んでいる間、何も考えてなかったわけではない。
大半はひとりで残す妹の身を案じるものだが、中には治癒魔術師として冷静にイランの傷の具合を測っていたり、師となったニシェル=ニシェスに何を習おうかと質問事項を列挙してみたり、不安を埋めるように様々なことを想像した。
途中、何度も意識が飛びかけた。
居眠り運転に似ている。
気を張っているとふとしたときに意識が途切れるような感覚に襲われた。
魔力とスタミナは切っても切れないものであるらしい。
日も暮れかけ、あたりは濃紺が迫りつつある。
東の太陽が沈む方向へ、陽の眩しさに目を細めながら、俺は急いでいる。
背後から忍び寄る夜の闇に、身震いする。
風が冷たい。
気づけば手足が氷の様になっていた。
風が氷の様に冷たく、俺の体から無理やり体力や体温を奪っていく。
林の頭上を抜ける際、突然横合いから襲われた。
間一髪で避けた俺が見たものは、翼を広げたサイズはゆうに五、六メートルはあろうかという二頭の鷲だった。
なんでこんなときに。
俺は、間の悪い襲撃者に腹を立てた。




