第138話 夢から覚めて、これからのこと
小鹿のように、おぼつかない足取りで歩行練習をしていた。
両側から猫耳少女と屈んだ馬娘に支えられて、歩くことを諦めていた猫耳少女が大平原の荒地をゆっくりとしたペースで踏みしめていた。
両足で歩けるようになったニィナは、その天真爛漫ぶりもさることながら、弱った手足を元に戻そうと努力を惜しまなかった。
両側で支えてくれる存在も大きいのだろう。
並んで遊びたいという純真な気持ちが何よりの原動力に違いなかった。
ニィナに触発されて、枯れ枝のようだったドワーフの幼女も運動を始めた。
立ち上がったばかりの赤子のように膝がガクガクと震えていまは掴まり立ちが精々だが、それでも意欲は挫けておらず、そのうち走り回れるようにもなるだろう。
いまのオルダは、鍛治神の祝福だけ残して、短命の呪いだけきれいさっぱり解呪されている。
すでに縛り付ける枷などなく、羽が生えたように少女たちは軽快だった。
俺はその様子を吹き荒ぶ風に目を細めながら、陸王亀の甲羅に拵えたテラスから見下ろしていた。
距離と高低差を考えると、ビルの屋上から道路を跨いだ向こうの公園で遊び回る幼女たちをニヤニヤ見守るようなものだ。
前世ならば双眼鏡を覗いているところだが、魔力で強化された視力に死角はない。
こてんと尻餅をついたニィナの、短いスカートの中の可愛らしいパンツまで丸見えである。
お巡りさんに通報されないこの異世界に感謝を。
児童が遊び回る校庭をフェンス越しに見守っていた頃と何も変わらないが、あのはしゃぎ回っている女の子たちに嫁がふたりも混じってると思うと感慨もひとしおである。
表向きは紅茶をすすりつつ、健全なる紳士の嗜みを満喫する。
「いやー、隠しきれないほどに不審者だと思うでありますよ?」
同席するボン坊はやけに猜疑心に溢れているが、同じ穴の狢だろうに。
給仕するマリノアや、カマロフのメイドのペトラの尻を盗み見ていたのは知っている。
マリノアは太ももを含め肉付きは薄いが、鍛えられた筋肉と女性らしいしなやかな曲線が魅力的だ。
それに、補ってあまりある形の良い小尻には思わず目尻が下がる。
動きやすさ重視のホットパンツをキュッと両脇から持ち上げたときの股の食い込みが最高だ。
ペトラはカマロフ以外にはほとんど近寄らないが、頭に生えた黄金色の狐耳やふわふわの尻尾にときどき触れて、俺に照れ笑いを向けてくる。
奴隷時代に削ぎ落された獣人の証を、『神級治癒魔術』で再生させたのだ。
ニィナやオルダ同様、高度な治癒魔術でしか再生はできなかった。
「で、アル君。ここに暇人を集めて何する気なんだい?」
スフィが妖艶に目を細める。
俺の青年姿は大層お気に召したらしく、気がつけば肩に手を回されそうになっていたことが何度かある。
銀髪の優男で、化粧をすれば女にも見えなくはないだろうが、そういうのはニニアンで間に合っている。
ニニアンはさらに突き抜けて妊娠できるまでになっちゃったし。
「ドキッ、男だらけの汁だくガチムチ乱れ舞いかしらん?」
「僕習いごとの時間だから帰っていいですか」
牛ツノを生やしたバッファ◯ーマンみたいなカマロフは、胸筋を寄せるような座り方をしつつ、小指を立てて茶を啜っている。
隣のクェンティンが心底嫌そうに立ち上がろうとしたが、スフィに机の下で何かを握られ、悲鳴交じりに椅子から浮いた尻を落とした。
今日集まっているのは俺を含めたこの五人だ。
個性の塊のような五人である。
後ろにはメイドやらが控えているが、直接の話をするのは野郎どもである。
「今後何をしようかの相談をしようと思って」
「僕は長年の夢が叶っちゃったからなあ、もう何もないなぁ! 帰っていいですか!」
「じゃ、妊婦のケンタウロスは野に帰す方向で」
「ひどい! ひとでなし! クズ!」
「ああ?」と凄むと、クェンティンは途端に静かになった。
「ケンタウロスと話せるようになったでありますし、群れとは一度顔会わせしてもいいでありますな」
「いっそ遊牧民とも会っといたら? 友誼を結べれば御の字。最悪不干渉の協定を結んどかないと後が怖いよ」
スフィは真面目な顔をして言う。
これでも大貴族の出自で、政治には長けている。
「遊牧民の中にも素養のありそうな子がいたんだよね。是非一度お誘いしないと、と思って」
「……また犠牲者が出るのか」
「失礼な。同好の士を募ってるだけじゃん。気持ちよくなって仲良くなれるならみんな幸せでしょ?」
「こっちに顔を向けないでくれるかな! 僕は興味なんてこれっぽっちもないから! 心に決めたケンタウロスがいるから!」
スフィにしろクェンティンにしろ、欲望に直結していなければ手放しで褒められたのに……。
そもそも原動力が欲望まみれなメンツなのだ。
今更だった。
そして俺もまたそのひとりで。
「ところでだけど、東の国の冒険者たちを見送って、後はボン坊の領地に戻るだけでしょ? その前にここでしかできないことをやりたいんだよね」
「何かしらん?」
「ドラゴン召喚してみたい」
「はい?」だの、「はぁ?」だの、「正気か?」と言わんばかりの顔をされたが、割と本気だ。
「この前空を見上げてたらさ、すっごい大きな鳥が空を覆ったでしょ? 見た?」
「大空王と呼ばれるズーでありますな。太陽を隠すほど大きいのであります」
「そうそうそれそれ。でっかい鳥見て、あ、空を飛びたいって思ったわけさ」
「からのー、ドラゴン召喚! ってところが君らしいね」
子どもの空想を傍で聞く大人の対応をされた。
こっちは本気だと言うに。
「できなくはないだろうけど、あの転移の魔術師ジェイド・テラディンも失敗してるんだよ? 僕、傍で見てたけど、部屋を丸々吹っ飛ばすような失敗って危ないと思うんだ」
「そこは我らがエルフ先生の監修でなんとかするよ。荒野を吹っ飛ばしたところで誰も文句は言わないでしょ」
「やるならいまのうちではあるわねん」
ドラゴン召喚の他に、『転移術』と『無限収納』には興味があったが、『転移術』はどういうものかはわかるが、どういう魔術を組めばいいのかわからない。
『無限収納』はいわゆるアイテムボックスで、余裕があれば祝福で取りたかったスキルの候補のひとつだったが、どんなものか理解しているのが俺だけで、理解していなければスキルとして認識されない。
俺以外が祝福で手に入れることができなかったのだ。
そして俺はすでに使ってしまっている。
賢いマリノアですら、荷物を空間にしまえて手ぶらになるという発想が理解できなかった。
「我輩、領地に戻ったら、奴隷市場に行きたいであります」
「おいー、いきなりぶっ込んでくるなよー」
「性奴隷所望か? ヤラシイ豚ちゃんめ」
俺とクェンティンはボン坊にブーイング。
「ボクも男の性奴隷欲しいなー」
「もう十分男集めただろ」
「ボンちゃんだって何か理由があるのよん。みんな聞いてあげてん」
とりあえずスフィは置いておくとして、カマロフが慈愛の眼差しで一同を見回すので、大人しく「はーい」と返事をする。
そしてボン坊は表情を引き締めて語り出す。
「我輩の領地にはいくつか奴隷市場が立っているでありますが、獣人に関してはすべて買い取るようにしているであります。ただし、高く買い取る代わりに、獣人を流通させないことを確約させているのであります。破れば死刑と私財没収であります。そんなことをすれば裏に流れそうでありますが、息のかかった奴隷商人を配置しているでありますので、我が領地ではもはや獣人の奴隷は流れてこなくなったであります。だから今度は、お隣の領地にお邪魔して奴隷市場の獣人をすべて買い取るであります。その資金はクー殿が大平原の魔物の素材を売り捌いて用立ててくれるであります。いずれは違法な手段で獣人を販売する組織すべてを潰すのが目標でありまして、そのための資金繰りがこれまで難航していたであります。この旅で一歩前進するであります」
「立派ねん。とても真似できないわん」
カマロフは感動していたが、他三人は騙されない。
「でも可愛い獣人がいたらメイドにするでしょ? 孕ませてハーレム入りするでしょ?」
「本人の意思尊重をした上で、同意の下なら吝かではないのであります」
疑念の眼差しを向けると、むしろ開き直った政治家のような回答が返ってきた。
さすが獣人スキーである。
好きが高じて豚獣人になってしまったその生き様に一片のブレもない。
「こらこら、建前並べて下心隠しちゃダメでしょ。胸張ってボクらと堕落しよーよ」
「もう何人囲ってんだよ。満足しろよエロ領主。僕みたいに唯一無二の相手がいればいいだろ」
スフィは性生活応援セール実施中。
クェンティンは割とまともなことを言っている……かと思いきや、身重のケンタウロスを引き合いに出す始末。
ケンタウロスさんはおまえに惚れてねーから。
「我輩、何と言われようと生き方は変えないであります。愛は正義であります」
しかし、原動力があってこそ獣人奴隷を解放しようという目的も生まれたわけで。
獣人であれば美醜など問わず、男であっても保護の対象だった。
そこは素直に関心できる。
性欲は何にも勝るパワーを秘めている。
誰にでもできることではないボン坊の矜持を垣間見た一同は、脱帽して拍手を送る。
「ところで紳士諸君、一途派? ハーレム派?」
「アタシはもちろん一途派よん。身を焼くような愛はひとりに向けられればいいのよん」
「僕も一途かなぁ。ひとりいれば十分」
乙女の瞳をしたカマロフと、有言不実行なクェンティンだ。
あんなに尽くしてくれてるメイドのニキータさんに謝れ。
「ボクは当然ハーレムだな。まだ見ぬ同士と愛し合いたいよ」
「我輩はもう作っているでありますが、やっぱり男なら、でありますな」
「俺も両腕で抱え切れる数でハーレム作るよ」
スフィ、ボン坊、俺の順でハーレム派である。
男性、獣人女性、美少女とそれぞれに求めるハーレムは違うが、愛はたくさんの相手と交わし合うものという認識である。
ドクズの自覚はある。
「アル殿はまだ増やすつもりでありますか?」
「まだまだ空きはあるからね」
「逞しいなぁ。ボクも入れてくれない?」
「俺を衆道に巻き込むなら殺す」
「なんでよー。エルフちゃんだって男の娘なんでしょ? ボクも女装したらイケると思わない? ボク受けもイケるから、エルフちゃんと女の子になったボクの尻を並べて交互に」
「殺死屠滅」
「ウソウソ、冗談です。もう君たちの愛に割り込もうとしません許してくださいホントに」
「スフィ殿はいつもあわよくばの下心が透けて見えるでありますから、懲りた方がいいであります。趣味の強要、ダメ絶対であります」
「ちょっと待って。ハーレムを望むなら、抱きたい抱かれたいは当然でしょ?」
「同意の上ならな! 死ね!」
クェンティンが腕にできた鳥肌のブツブツを撫でさすり、何かを思い返しているのか嫌そうな顔をする。
金髪青年商人の尻は果たして無事なのだろうか。
深くは聞くまい。
「スフィ殿、以前にクー殿を酔い潰して、そのままベッドに連れて行ったであります。何があったのかは誰にもわからないのであります」
ボン坊がこそっと耳打ちしてくる。
クェンティンの貞操に興味ないから聞きたくない。
「そういえばボン坊はそのまま領主に戻れるの? 豚になっちゃったけど」
「耳を隠せばバレるものでもないでありますぞ。バレたらバレたで跡取りに家督を譲って獣人村で余生を楽しむであります。あと豚ではなくてイノシシであります」
「ん? 跡取り? ボン坊獣人の子ども以外に子どもいるの?」
「実は正妻とは別居中で、跡取りにひとり息子がいるであります」
「あー、貴族あるあるだね。血筋残すために政略結婚、愛情ないから王都らへんに屋敷を建ててそっちに住まわせて、子どもと顔を合わせることはほとんどないってやつ」
スフィは平然としているが、貴族の価値観はやっぱり相容れないところがある。
「別居するにしても王都と辺境、逆じゃないかしらん?」
「獣人は王都に入れられないでありますから」
「クソ王国に獣人囲んでいることをバレて狩られないといいけどなあ。マルちゃん連れて旅してたとき、マルちゃんを厩舎に繋げとか命令してきたから、あそこ嫌いなんだよね」
グランドーラ王国。
自他共に認めるヒト族至上主義で凝り固まった国だ。
ヒト種以外の人型種族は漏れなく奴隷扱いというふざけた国でもある。
周辺諸国より国力も軍事力も秀でているため、頭おかしいルールがまかり通るのだ。
亜人に対する奴隷意識は個々人で違うものの、それがおかしいと言い出すような人間はあまりいない。
そういう国だから、ボン坊やカマロフ、クェンティンのような人間は異端視される。
……いや、考えてみれば普通の国でもニッチな性癖であり、異端ちゃ異端だった。
ケンタウロス愛に取り憑かれた青年商人に、獣人でしか興奮できないデブ領主、そして女の心を持ったがゆえに幽閉されたいかつい顔の貴族の次男坊。
言いたいことも言えないそんな世の中であることは間違いないが、いつなんどきでも彼らが少数勢であることは覆らないだろうな。
ちなみにスフィは北の鉄国出身で、男色も貴族の間ではそれなりに理解があるようだ。
聞きたくないのにそういう男の社交場があることまで語ってくれたことがある。
貴族は血筋を残す相手を選べないから、せめてそういう社交場での限定的な恋愛を自由に行うという公然の秘密があるのだとか。
この中でいちばん世間認知が高いのがスフィという事実が解せない。
「ここにいらしたのですね。みなさん集まって悪巧みですの?」
荒野には似つかわしくないいつものドレス姿。
黒髪を後ろで詰めた理知的な眼差し。
ドレスの上からでもわかる痩身な体は男好きするようなものではないが、かといって不細工でもない。
性格に難があるだけだ。
そんなヴィルタリアが重々しい黒騎士を護衛につけてやってきた。
テラスの備え付けの椅子に淑やかに腰掛け、ニコニコと笑っている。
彼女の背後に、黒甲冑の物言わぬ鬼人のキルリが控えていた。
何だかんだでヴィルタリアの側近として働いているのだ。
料理人のポーラは厨房を預かり、隠匿のニコラは斥候として活躍中である。
「いまね、これからのことを話していたのよん。迷宮も終わったし、獣人村に戻ってからのことも考えなくちゃだわん」
「それならちょうどいいですわ。私もこれからのことでお話がありましたの」
「え? ヴィルタリアさんが?」
後先考えないことで有名なヴィルタリアが、これからのことを考えていたことに誰もが驚きを隠せない。
特に彼女の浅慮な行動により数々の窮地に陥ってきた面子なら、それも仕方のないことである。
「これからのことって、今日の夕食の話?」
「もっと先の話ですわ。村に戻る前に相談したいことがございましたの」
「へぇ、なんだい?」
肩肘をついて、スフィは面白い見世物のように耳を傾ける。
「私はいまがとっても楽しいのですの。みなさんと過ごす時間は、これまで屋敷に押し込められてきた数十年と比較にならないくらい濃密な時間でしたわ。ですが、遊行の旅もおそらく長くありません。ゾーラとジオ将軍が商都から戻りましたら、私、王都に帰らねばなりませんの」
とても悲しそうに眉尻を下げるヴィルタリア。
「この旅がとても楽しかったのですわ。みなさんとこれからもずっと一緒にいたいくらいに。そこでクェンティンさんにお願いがありますの」
「ん? 僕?」
まさか名前が上がると思っていなかったクェンティンが、不意を突かれて薄ら笑いを浮かべる。
「私と正式に婚姻していただきたいのですわ」
「へ? こんいん?」
「こんいんってなんだっけ?」という阿呆面のクェンティンが、ぼへーっと雲の漂う空を見上げ、しばらくして、「うん?」と顔をしかめた。
ここに至って言葉の意味に思い至ったようだが、「なぜ?」という顔で首を傾げている。
「え? 僕なの?」
「なんで急に? ヴィルさんてクェンティンのこと好きなの?」
「いいえ。特に好きではありませんわ。できたら魔物と添い遂げたいですが、それが無理な願いであることくらい私にもわかりますわ。だから、私と同じく魔物に心を奪われた同士ならば、互いに理解し合えるかと思いまして」
「仮面夫婦って言葉知ってる?」
クェンティンはあり得ない、という顔をして皮肉を漏らす。
「いや、でもありかもしれないでありますぞ。ヴィル嬢は貴族でありますから、独り身でいる限り政略結婚が付き纏うのであります。そんな誰も望まない結果に落ち着くくらいならば、いっそ自由にできるうちに最善の婚姻関係を結んだ方がお得であります」
「もう、お互いの気持ちが大事なのにん。でも貴族じゃそんなこと言ってられないことも知ってるしねん」
「変わり者同士、相性はいいんじゃなーい?」
「納得はいかないけどその通りではある。というかお前が言うなという話」
俺のツッコミに、スフィは舌を出してとぼける。
「真面目な話、ヴィルちゃんの実家って王都の宮廷貴族でしょ? 派閥次第では商都が火の海だけど、悪い話じゃないかな。どっちの家にも利があると思う。クーくんの実家は商都を牛耳る大商人だし」
「僕の気持ちはどうなるのさあ!」
「商人としての自分で考えてみなよ」
「願ってもないけどさあ!」
「じゃあいいじゃん」
合理性と感情はよく衝突するものなのだ。
しかし、利得があるのも事実。
「ケンタウロスを愛していても気にしませんわ」
「ならいいや」
「あっさりかーい」
それは突然のことであった。
巨大陸亀の甲羅の上、茶をしばく昼時。
クェンティンとヴィルタリアの当人同士の合意による婚約が成立した。
立会人はボン坊とカマロフであった。




