第137話 妹は愛でるものなんだよ
遅ればせながら、みなさまあけましておめでとうございます。
去年のことは過去として胸にしまって、さて、今年はみなさまによい一年でありますように。
ダンジョン&ドラゴン編後半は不定期投稿となります。
気長に待っていただけると助かります。
「妹は愛でるもんなんだよ! エッチする対象じゃねえんだよ!」
ぱっちりと目を見開いて勢いのままに口を突いて出た言葉は、俺を見下ろす面々の度肝を抜いた感じだ。
「妹?」「エッチ?」と発言を流してくれる優しさもなく、眉根を寄せてひそひそされているのが心的ダメージ。
俺はいま、魔物の皮を張り合わせた円形の天幕の内部で、何層にも重ねられた毛皮の寝床に伏して天井を見上げていた。
覗き込む顔が不信感をあらわにしていて、不当な発言によるいたたまれない空気が流れている。
とても病床の人間に向ける目とは思えないし、どちらかというとクズ野郎に向ける類の目をしていた。
俺はその目をよく知っている。
ケンタウロスのメスの尻をデレデレと見つめるクェンティン――
獣人女性の入浴を偶然を装って覗こうとするボン坊――
男の尻に手を添えながら天幕に消えていくスフィ――
消えゆくスフィの背中を指を咥えて羨ましそうに見つめるカマロフ――
どれもくだらない理由だった。
部屋には俺を覗いて三人。
マリノアはともかく、俺を白い目で見るものは迷宮に入れなかった顔ぶれであった。
子どもたちをまとめる面倒見のいいお姉さん肌のチェルシー。
クェンティンのメイドのニキータである。
ああ、外に出たんだなと、なんとなく遅まきながらも状況を理解する。
よくよく考えてみれば、天幕という時点で迷宮にはなかったものだし。
「あらやだ、ごめんなさいね、寝言が漏れちゃったみたいでね。歳取るってやだわぁ、思ったことがすぐ口に出るんですもの。それではおやすみあそばせ」
「ちょっと具合悪くないなら起きなさいよ! 何よ、気持ち悪い口調してさあ。妹ってリエラのことでしょ? ねえどういうこと? え、ええ、エッチってなによ! 寝言で言う言葉がそれ?」
胸元まで掛けられた毛布を頭まで被ろうとしたら、ちょっと待てと掴まれてしまった。
プリプリしている委員長気質の顔が近くにくる。
「もう過ぎたことなんだから掘り返すのやめろよな、恥ずかしいだろ。夢の話じゃないか」
「夢って願望なんでしょ? 妹とえええ、エッチ? 尚更悪いと思うんだけど!」
起き抜けの頭に容赦なく言葉の弾丸を浴びせてくる。
顔を真っ赤にして突っかかってくるのは、長身痩躯――忖度してモデル体型、そばかすが悩みのチェルシーさんだ。
歯に絹着せない物言いが男勝りで、零れたボケを拾わずにはいられないツッコミ体質。
「お体の具合はよろしいみたいですが、頭の具合が不調のようですので、しばらくお休みして頂いた方がよろしいのでは? 世間的に。ここではなく檻の中で」
「繊細なところにグサリグサリと刺さるからやめて! いいよ、起きるよ!」
割と辛辣な口調は、ニキータだった。
涼しげな目元と整った顔立ち、先の尖った耳はエルフの血が影響しているが、本人には魔術的素養は一切ない。
クェンティンのお供に迷宮へ潜れなかったことを引きずっていて、やさぐれているのが口調にも態度にも滲み出ている。
「ミィナたちを呼んできます」と、ニキータは楚々として天幕から出て行った。
俺は気怠い体を起こした。
「アル様、どこかに不調はありませんか?」
気づけばマリノアが片手を握っており、俺は「大丈夫」と返す。
アルシエルが表に勝手に出てこないのであれば大丈夫なはずだ。
俺がアルシエルの魂を奥底に封じ込めたのと同様に、もしかしたら俺の方が出て来れなかったかもしれないのだ。
それに、完全に目覚めて中から見ているのを感じるから、いつ入れ替わってもおかしくはない。
その後もマリノアの質問責めは続き、「喉が渇きませんか? お腹は空かれましたか?」と心配してくる。
眉をハの字に下げ、力なく耳を垂らした姿は、飼い主を心配する忠犬そのものだ。
話の流れで、迷宮の外へ運び出されたことを知った。
ミィナたちはちゃんとスキルを取ってくれただろうか。
マリノアを視ると、『断罪の爪』なるものを取得している。
詳細を視ると、『所有者本人が悪と判断した場合のみに限り、防御力・耐久力無視で切断することが可能』と。
……マリノアさん?
不倫したら男性機能を断罪するつもりですかね?
掴まれた手が逃がさないと言っているように見えて、思い込みとわかっているが内心で震え上がった。
それを体調が悪化したと勘違いして、余計に身を乗り出してくるマリノア。
俺の葛藤を知ってか知らずか、流れ出る冷や汗を甲斐甲斐しく拭ってくれる。
「戻ってきたときは正直驚いたよ。ぞろぞろと知らないひとたち連れて来るし、ベレノア公とカマロフさんが獣人になってるし、カマロフさんに背負われた意識不明のアルくんがいるし。アルくん大きくなってるし」
マリノアの質問攻めが一区切りついたところを見計らって、チェルシーが口を開いた。
「俺だってまさか気を失うとは思ってなかったよ」
「どうしたら大きくなって帰ってくるのよ」
「そういう祝福なんだよ」
俺が望んで得た祝福とは違うが、言わぬが花だろう。
奪って得たスキルだと知られると、余計な不安を持たせてしまう。
こちらにその気はなくとも、『ステータス管理』の能力は知られるだけで恐れられるスキルだから。
「だいたいは話は聞いたけど、ほんと行かなくて正解だったわ。わたしじゃ足手まといにしかならなかったもの。なんでも願いが叶う祝福には興味があるけど、それって仲間の命を危険に晒してまで欲しいものには思えないし」
「チェルシーはそうかもしれないけど、奇跡に縋らないと困るひとも中にはいるわけで」
「わかってるから。わたしは必要ないって話。オルダとかニィナには必要だし、そういう荒事は専門のひとに任せることにしたの。わたしはわたしにできることをやるだけだから」
「さすが。みんなのお姉さんだね」
「それにしても、声変わりまでしちゃってねえ……」
チェルシーは笑って頭をポンポンと撫でてきた。
体は青年でも、いままでのように年下として接していくつもりなのだろう。
「それでね、君が気を失っていた間のことだけど……」
俺がティムに体を乗っ取られそうになった『換魂』の一件でぶっ倒れて以降の話を、チェルシーがかいつまんで話してくれる。
ときにマリノアの補足が入りながら、だいたいの現状を理解した。
数日目覚めなかった間に、何が変わっているということもなかった。
迷宮から脱出した一行は、いまもそれぞれ勝手に過ごしているという。
クェンティンは妊婦ケンタウロスと友好を深めようと奮闘中で、「あわよくば次は僕の子どもを孕んでよ」と下心が透けて見えるようだ。
カマロフとボン坊は、鍛え抜かれた獣人たちに戦闘訓練で揉まれ、死ぬ思いをしているとのこと。
いままでのヒト族であることを捨てて獣人になったのだ、決意をその身で実感しつつこき使われればいいと思う。
しかし後継にならなかったカマロフはともかく、ボン坊はすでに領主だから、獣人になったことを隠して領地経営はしなければダメだろう。
迷宮から一緒に脱出した他の面々はというと、東の国の冒険者はひとところにまとめているそうな。
陸王亀に登ることを許さず、監視付きで歩哨の拠点をひとつ、彼ら用に割いたらしい。
俺が目覚めるまで判断を保留にしていたという。
迷宮から解放したのが俺だから、ということだ。
見た目が青年になっているから、少年姿よりは言葉に説得力があるだろうとの判断だ。
ヴィルタリア付きにした三人は例外で、勝手に動き回るヴィルタリアに、カマロフに代わって振り回されているらしい。
『神業調理』のスキルを持つポーラ・ローズマリーのおかげで食事が一段階グレードアップして高評価だとか。
「東の連中なら、勝手に判断して荷車と食糧を分けてやればいいのに」
「何言ってるのさ。食糧ひとつとっても分け与えることに不満は出るのよ。獣人たちの手前、悪けりゃ暴動が起きるわ」
「内側にも爆弾を抱えていたか……」
「何を言ってるの。獣人たちの手綱をひけるのは君かマリノアくらいでしょ」
「じゃあマリノアでいいじゃん」
「アル様のご判断に任せます」
「……頼みの綱がこれしか言わないのよ」
チェルシーが呆れたように首を竦める。
マリノアはぎゅっと手を握ってきて、離そうとしない。
離すもんかと力が籠められるほどだ。
そろそろ強く握られて痛いんだけどね。
「いちばん公平なのは君でしょ。獣人に言うことを聞かせられるのも君。ちなみにわたしは冒険者なんてごろつきと変わらないんだから何も与える必要はないと思うし、さっさと追い出せって思ってる」
「辛辣なご意見、参考にさせていただきます」
「しなくていいよ」
チェルシーってサバサバしたとこあるよね。
彼女の意見も間違ってはいないし、食糧を与えた途端に彼らが欲を出して盗賊にジョブチェンジする可能性もなくはない。
死んでも惜しくない連中ならば、さっさと切り捨てろと。
でもそれは寝覚めが悪いからやりたくない。
冒険者はそこらの魔物を十人で囲んでようやく一頭倒せるかの実力しかないし。
草原と荒野の入り混じる大平原に生きる魔物だってバカじゃないので群れをつくる。
単体で生きられるのは、陸王亀のように超然とした存在だけだ。
「冒険者の連中になんだか恨まれているみたいだし」
「なんで? 獣人よりも扱いがひどいから?」
「それもあるかもしれないけど、わたしたちに向ける目は恨むっていうより、飢えた目で見られてるみたいな?」
冒険者一行は男所帯だし、こっちは女性が多いし、向こうの所属の女性三人を引き抜いてヴィルタリア付きにしちゃったしで、欲の吐け口がないのも問題だ。
岩に穴を開けて発散するわけにもいくまい。
スフィが気に入った男を何人か勧誘したらしいが、バラの花園で満足する素質を持つものもごく限られている。
そして男道を突っ走るスフィ一味に対するチェルシーやニキータの嫌悪感は相当に深くて辛辣だ。
始終ゴミを見る目で見ているらしい。
「で、気を使って最初に聞かなかったけど、どうして倒れたの? マリノアもわからないって言ってるし」
「限界を超えた戦いがあったんだ……」
「はいはい」
「いや、冗談に思ってるかもしれないけど本当だからね? 俺なんか、祝福の重ねがけで不死者になった男にやられて手足千切れたんだからね」
「そっちの話は聞いたわよ」
「わたしが足を引っ張ってしまったから、それを庇ってアル様が身代わりに……」
「意識飛んでたら死んでたね。そしたら全滅だった。割とマジで」
自責の念に駆られるマリノアの肩をぽんぽんしつつ、あえて本筋を外す。
「かなり危ないところだったのはわかったけど、倒れたのはそれが理由じゃないでしょ? ティムがなにかしたんでしょ? 君、恨まれてたもんね。やばい能力を身に付けたらしいってのは聞いてるけど、それって本当?」
どうやっても逃がしてはくれないようだ。
「倒れた件に関しては、説明がしづらいかな。魔力切れもあっただろうし、ティムに暗殺されかけて弱ったこともあるし」
「あの子を殺してきます」
「冗談だから。あいつには俺が直々にしばく予定だから、マリノアは手出し無用」
握られていた手を逆に握り返さなければ、すぐにでもティムを殺りに行きそうな目をしていたので、ぎゅっと握ってどうどうと諫める。
いくら過去に家庭教師をした生徒であろうとも、マリノアが本気を出せば物言わぬ肉塊に変えてしまうだろう。
病んでるわけではないのにこのヤンデレ感……。
愛が深いということでもあるんだけど。
ボン坊の面子もあるが、ティムにはまだ死なれては困る。
パッと思いつく罰は、精々がオスの獣人たちの性欲処理係にされるくらいか。
六歳で地獄を見よ。
どうしてティムを処分しないか。
それは俺への純粋な悪意を買っているからだと思う。
俺はたぶん、死んだら地獄へ堕ちる。
ティムは、刺してきたり、俺のガワを乗っ取ろうとしたり、シャレにならないレベルで危ないが、だからこそ俺も容赦しなくて済む。
いままで眠っていたアルシエルが起きたことで、俺の今後は不安が増している。
ティムは、アルシエルの魂の受け皿か、俺がこの体から追い出された場合の肉体のストックに、と思い付いてしまったのだ。
そしてそれが、割とありなんじゃないかと検討している自分がいる。
だからこそ、俺は自分が地獄に落ちるほどの悪人だと自覚している。
結局のところ、ティムを追い詰めるように煽っていたことが悪いのだが、アルシエルが目覚めたいまとなっては、俺だって簡単に死にたくないわけで。
ティムから奪った『換魂』のスキルは、後でニニアンにアミュレットを作ってもらい、そこに封じることにしよう。
アルシエルがもし表に出てきたらということも考えて、下手に自分がスキルを多く抱えていない方がいい。
『ステータス管理』もいっそ、ニニアンに移してしまうのも手だ。
何かあった場合、すぐに『換魂』でティムの体に逃げられるように、彼は側に置いておく必要がある。
やっぱりそこまで考えてしまう自分は、ヒトとしてズレてしまったのだろう。
「ミィナたちを連れてきました」
天幕の入り口から、ひょっこりとおチビーズが勢揃いで顔を覗かせる。
ミィナは八重歯を見せて笑って飛び込んできた。
続いてマルケッタが控えめにはにかみつつ俺の無事を喜んでくれる。
彼女の馬背に乗るニィナはきょとんとした顔で部屋を見回し、オルダにいたっては前髪に隠れてどこを見ているのかもわからなかった。
「アル起きた!」
「にゃー」
「ややー!(ご無事で何よりです)」
「あう」
ぐりぐりと頭を押し付けてくるミィナを受け止め、ふんわりと香るお日様の匂いに気分が明るくなる。
アルシエルにすべてを譲り渡すのが筋なのだろうが、あいつは獣人嫌いだから。
青年の体になったから、ミィナがとても小さく華奢に感じる。
下半身が馬のマルケッタの背には、ニィナとオルダが並んでしがみ付いていた。
俺を見てミィナほどではないが喜んでくれている、と思う。
愛する嫁たちのためにも、まだ魂を消されるわけにはいかない。
「それでは私は失礼します」
メイドのニキータが会釈をして天幕を出ていく。
ケンタウロスに懸想しているクェンティンの元に戻ったのだろう。
「ミィニャね、ミィニャね、いっぱい魔物狩ったよ! あのね、アルが寝てるからね、石のネズミみたいなのひっくり返したりね、跳ねてね、飛んでる虫落としたの」
「迷宮を出るまで、ミィナとマルケッタが先頭で頑張ってくれました」
「やや!(ミィナとマルでがんばりました!)」
はしゃいでこれまでのことを矢継ぎ早に話してくれているのだが、ミィナの話は要領を得ない。
その代わり、マルケッタやマリノアが言葉を補ってくれた。
よしよしと頭を撫でれば、それで満足したようだ。
迷宮を脱出した後は、ミィナとマルケッタは留守番していたニィナとオルダに合流しておままごとをしたり遠駆けをしたりして日々遊んでいたようだ。
チビたちはいつも通りであまり変わらない。
ニィナやオルダを治さないといけないから、ミィナが『神級治癒魔術』を祝福で得ていてほしかったが……問題なく取得できたようだ。
「アル! 元気ににゃった?」
「おかげさまで元気ににゃったにゃった」
「じゃあミィニャたちとお外で遊べるね!」
「その前にやることがあるよね」
「んにゃ?」
「ぼちぼちニィナとオルダを治しますか」
「治せるの?」
チェルシーが腕組みをして、真剣な目を向けてくる。
「できるよ。そのための迷宮だったじゃない」
「本当なの? なんだ、忘れられてるかと思った……」
安心からか、傍にいたオルダを後ろから掴まえ、ぎゅっと抱きしめるチェルシー。
一日一回しか治癒魔術を使えない彼女の苦労が、ついに報われるときがきたのだ。
ミィナに『神級治癒魔術』のスキルがついていることを確認できたので、ニィナのなくなった片目、足や歪んだ骨を元に戻すことができる。
そして『神級治癒魔術』ならば、オルダの短命の呪いも解呪することができる。
もちろんミィナが使えるわけではないから、『ステータス管理』で俺に移して治癒魔術を行使することになる。
ミィナと瓜ふたつの顔立ちのニィナ。
並んでみると、ニィナの方がちょっと幼く見えた。
髪の長さはニキータが同じようにボブカットで揃えて切ってしまったので、身体の傷がなければ本当に見分けがつきにくい。
破天荒なミィナと比べると、性格はちょっと大人しいか。
オルダの方は、恰幅と威勢のいいドワーフ族かと疑うほど痩身で、幼い頃から病魔にボロボロにされた所為か自我が弱い。
完治して、いずれ美しく成長した暁には美味しくいただく所存である、ぐへへ。
だからまだ、俺自身、死ぬわけにはいかない。




