第117話 本音と建て前と大人と子ども
二話投稿二話目。
夜も更けると、宴会は少しずつ静かになっていった。
族長の息子とその配下たちに三つの天幕を貸し出し、俺も自分の天幕に戻る。
マリノアは後片付けに残ってもらい、ティムだけが後を付いてきている。
俺は少し道を変え、人気のない岩場に足を向けた。
「また思い付きで行動して、マリノアが悲しむんじゃないの? ……ですか?」
「まあいいじゃん。ちょっと付き合えよ」
ティムが面倒くさそうな顔をして岩をよじ登ってくる。
俺は一足先に岩場の上に立った。
風がひんやりとして、土の匂いを運んできた。
空を見上げれば、星が宝石を撒いたように一面に散りばめられている。
たまに野営地から肉の残り香が漂ってくるのはご愛嬌。
この世界には、夜に灯る明かりはほとんどない。
野営地から見える営みの灯り以外には微かな星明りがあるだけで、その下で闇に潜むものたちが蠢いている。
魔力で探さずとも、横から吐息を吹きつけられたかのように気配を感じる。
ぶるりと震えた。
風が冷たいわけでも、悪い予感がしたわけでもない。
世界の広さに目を向けたために、深い海を覗き込んだような、どこまでも続く深い闇を覗いたような恐怖をかすかに感じたのだ。
「何してんの? ……ですか?」
「昔の話をどこから話そうか迷ってんの」
「マリノアの話だけでいいよ……です」
「そう……あれは若かりし七歳の頃だった」
「マリノアの話だけでいいって言ってるだろ! ……です」
「今更だけど敬語としては苦しいからな? ふたりきりのときなら別にいらないよ」
「……ふん。あっそ」
ティムは俺から幾分離れてしゃがみ、野営地の灯りをぼんやりと眺めている。
「マリノアやミィナたちが奴隷だった話は知ってるだろ」
「……うん」
「俺もティムと同じ歳の頃、田舎村の村長の奴隷として働かされていたんだよ」
「はっ、うそだね」
「隷属の首輪を付けられて働かされたよ。妹に手を出さないって条件で奴隷になった」
「…………」
「結局そいつは死んだけどね。妹もいまは安全な場所で暮らしてる」
「……親はどうしたんだよ?」
「元気に暮らしてるんじゃないの?」
「生きてるんじゃん」
「……離れた土地で新しい子どもをふたり作ってたよ」
「弟妹ができたってことじゃん。なにが不満だよ」
言葉に詰まった。
そうか。
はたから見れば、弟妹ができたことを喜ぶのか。
事実を知ったとき、俺は純粋に喜べなかったけど。
「俺と妹が死んだものと思って、その代わりだったとしたら?」
「…………」
さすがにティムもうまい返しが見つからなかったようだ。
口を開こうとして、閉じた。
「いまさら家族に戻ろうなんて思えなかったよ。再会を喜ぶ前に、どうして?って思いが強かった。ふたりの弟妹の兄として収まろうにも、互いに家族であることを必要としてなかったんだ。向こうには新しい家族がいるし、俺にもマリノアやミィナ、ニニアンがいるからな」
「だから?」
「俺はいいんだ。嫁が三人もいるし、少し遠くに妹もいる。ただ、妹は弟妹がいることを知らないし、両親が生きてることも知らないのが問題っちゃ問題か」
「……意味わかんね」
思考の放棄。
ティムには難しすぎたか。
足元の石をいじっている。
「だからって、マリノアを独占する理由にはならなくね? 別に猫獣人とエルフだけでよくない? ボクにもパートナーが欲しいよ。ひとりくらい嫁が減ってもいいじゃん」
「いきなり話が飛躍したなあ、おい」
「もともとその話をするためにここに来たんだろ。足りないものが埋まってるから十分だよねって話なんだろ。ボクだけなんでここまで連れてきたんだよ」
「いや、涼みに」
「ざけんな!」
ティムから冷ややかな視線がビシバシ飛んでくる。
石も飛んできたが、俺はそれをさらりとかわして星を見上げた。
「マリノアが欲しいの?」
「当たり前じゃん! ずっと家庭教師で傍にいてくれると思ったのに、おまえが現れなければよかったんだ」
俺がいなければいまもマリノアは東の国で貴族の奴隷だった。
俺という戦力がないままで、ボン坊の軍に助けられることもなかっただろう。
「独占欲だけは一丁前だよな。他人と欲が被るから衝突が起きるんだ。国同士の戦争だって、独占欲のぶつかり合いみたいなもんだし」
「国の話なんかはじめからしてねーよ」
「同じだよ。遊牧民が俺たちから物資を強奪しようとしたのも、おまえがマリノアを奪おうとして俺を刺したのも。結局全部自分本位で相手のことをなにも考えない結果だ」
「おまえだって! ボクからマリノアを奪ったじゃないか! ボクの気持ちなんか無視して!」
「だから世の中儘ならないねって話なんだよ、チミ。そんなことを言ったらティムはマリノアの気持ちだって考えなくちゃダメだろ」
これ以上言うと泣かせてしまうのでセーブした。
家庭教師以上の気持ちをマリノアから向けられたのかよ、とか言ったら絶対に泣く。
俺がティムの立場なら間違いなく凹んで泣く。
横恋慕した相手の気持ちが自分に欠片も向いていないとわかっていても、それを口に出さないから一縷の望みを抱けるのだ。
口に出していやおうなく現実を突きつけられてしまえば、ただただ絶望しかないだろう。
でもなあ、それよりも斜め上にきっついことを俺はティムに言おうとしている。
そのタイミングを見計らっていると言っていい。
「いま何考えてると思う?」
「ボクが知るかよ」
「ミィナを抱いて寝たいなー」
「最低かよ……」
心底侮蔑したような視線が飛んでくる。
彼のやり口は卑屈だが、子どもらしいまっすぐした部分もある。
結婚するならマリノア以外にあり得ないと思い込んでいるし。
父親みたいに節操なく獣人に手を出して愛人を囲うことに嫌悪感を抱いているようでもある。
しかし将来どうなるかわからない。
父親以上の節操なしになったら吊るし上げてやろうと思う。
「ティムと喋ってるときだけ、俺って大人になるのかも」
「ボクを子どもって言いたいんだろ。バカにしやがって……」
「素直に言いたいことを言えなくなるのが大人なんだよ。節度とも言うかな」
「だからなんなんだよ!」
うーん。
ティムを怒らせて何がしたいんだと思う。
核心に近づかず、話が迂遠になりすぎているのだ。
本音から遠ざかる度にティムは言葉に振り回されるばかりでイライラを積み重ねている状態だ。
星空を仰いだ。
言葉は選んではいられない。
「マリノアが妊娠した」
「え?」
「俺の子どもがマリノアの腹にいるっつったんだよ」
「…………」
「冬の間に子作りしまくったから、できるもんもそりゃできるわ」
だからといってぶっきらぼうに言うのはちょっと違うかなとも思うが、こういうのは苦手だ。
ちなみにニニアンとは子が作れないし、ミィナとは体の幼さゆえに最終行為まで及んでいないという理由から、必然的にマリノアへの比重が大きくなった所為もある。
俺が底なしの性欲を持て余しているからなんだよなあ……。
まだ十歳なのに、一夜にして連続記録は最高五回である。
わが身の生産力は引くくらいに多いのだ。
量も多いし。
三人並べて顔パックしたときはめちゃめちゃ興奮した。
割と我慢が効かないところがあるから、獣人村を出発してニニアンがどこかへ姿を消してからというもの、二日にいっぺんは身重のマリノアに処理を手伝ってもらっている。
犬耳妊婦少女に手と口を使ってもらうというシチュエーションだけで三回はイケるのである。
ところで黙りこくってしまったティムは、呆然と俺を見ていた。
そのうちふらふらと近寄ってきて、「うわあああああ!」と叫びながら殴り掛かってきたので、腕を取って足を払った。
岩場なので叩きつける際、上に引っ張ってやる。
ティムは「けふん!」と呻いて、もぞもぞとうずくまった。
体を震わせているが、それは身体の痛みではなく別の痛みの所為だろう。
しばらくして、ティムは起き上がった。
ごしごしと拭っているような衣擦れ音を聞きながら、俺は口を閉ざして星空を見上げていた。
吸い込まれそう、とはよく言ったものだ。
立っているのも曖昧になって、すっ転んでしまいそうになる。
「……なんでボクに言うんだよ。黙って幸せになってればいいじゃんか」
「……なんでだろうな? その顔を見れただけで言った価値はあったのかもな」
「死ねよ、もう」
「それをマリノアに聞かれたら、死ぬのはおまえだけどな」
ミィナやニニアンに伝えるより先に、ティムに話したのは何か理由があったのだろうか。
自分でも自分がわからない。
子どもが生まれる、と聞いてから、どこか俺自身ふわふわした空気に包まれているような気がする。
浮かれている、というわけではない。
これが地に足が付いていないということなのだろうか。
心当たりがあるとすれば、俺は俺を刺そうとしたティムが嫌いじゃなくて、かといって肩を組んで笑い合うような親友になりたいわけでもない。
同年代から告げられるありのままの言葉が、どこかで心地がいいのかもしれない。
突飛なことをしてチェルシーを常に怒らせているのも、彼女が純粋に俺という存在を認めて、苦言を呈してくるからだ。
諦めて何も言われなくなったり、疑いさえ持たれなくなったら寂しいと思う。
そういう距離感を、俺はティムやチェルシーに求めているのだろう。
マリノアの妊娠を聞いて、ティムは俺のことを更に嫌いになる。
しかし父親の目があり、従わざるを得ない状況でもある。
罵倒されるのが好きなだけなら単なるドМだが、ティムやチェルシーの言うことは割と常識的で、物事の判断をするちょうどよい定規のようなものだ。
彼らの言葉を聞いて、調子に乗らないようにしている面も確かにあった。
なんとなくで無意識に自分をセーブしてくれる存在を求めていた、ということかも。
チェルシーにマリノアの懐妊を伝えたらなんと返ってくるだろう。
それは楽しみでもあり、怖いもの見たさでもある。
「ずっとそのままのティムでいてくれよ」
「ボクはいつまでもガキじゃない!」
へこたれるティムの肩をポンと叩くと、ムキーッと起き上がった。
そういうことではないのだが、そういうことにしておこう。
説明する気もなく、俺は笑うだけにした。
「何を笑ってるんだよ」とすかさずティムがなじってくる。
ティムにはツッコミの才能があるかもしれない。
岩を下り、ティムとは天幕の手前で別れた。
睨み殺すような目をしていたから、寝静まったあたりで刃物を持ってやってくるかもしれない。
今の俺に不意打ちは効かない、とだけ言っておこう。
自分の天幕に入ると、マリノアが就寝の支度を整えて待っていた。
三つ指ついてお辞儀をしそうな正座姿だ。
宴の片づけを任せていたが、いつの間にか時間が経っていたようだ。
寄り道をしている間に、マリノアの方が先に天幕へ戻ってきていた。
「歯を磨きましょう」とのマリノアの言われるがまま、枝の先を解したような歯ブラシで歯を磨いた。
浄化の魔術で体の砂埃や脂汚れを落とし、寝間着に着替えると、毛皮を豪快に縫い合わせて毛布にした布団に潜り込んでいく。
大平原の夜は暖を取らないと肌寒い。
マリノアが獣脂のランプの灯を消す。
臭いがきついのであまり好きではないが、魔獣を狩っただけ作れるので獣人村では重用している。
「ミィナは戻ってないの?」
「今日はマルケッタのところで寝るそうですよ」
「ニニアンもいないから寂しいねえ」
「あのエルフはどこに行ってしまったんでしょうか。行先も告げずに」
「ニニアンらしいっちゃらしいんだよなー。迷宮に潜るってなったら当たり前のように戻ってる気がするよ」
「自分勝手ですね、もう」
ぷりぷりと怒って見せるマリノアが可愛い。
マリノアはニニアンに対して一歩引いている気配がある。
ニニアンは掴み切れないところがあるから、物事をはっきりさせたいタイプのマリノアは苦手意識を持っているのだろう。
ニニアンとマリノアの間に猫耳のミィナを挟めば割と意思の疎通はスムーズだった。
嫁三人がうまく付き合っていけるのも、ミィナの愛嬌のある笑顔のおかげだと言っても過言ではない。
「そういえばアル様が戻ってくる前に、なんだかティムの大声が聞こえたような気がしましたが、何かありましたか?」
「なんでもないよ」
「あんまりいじめないであげてくださいね。傷つきやすい子なんです」
「俺だって傷つきやすい子だもーん」
傍から聞いたら白けそうな態度だが、しかしマリノアは笑って受け止めてくれる。
夜目が利かなくて真っ暗闇だが、マリノアもこちらを向いて話しているのは声の出どころでわかった。
甘えるように毛布の中で抱き付くと、嬉しそうに受け止めて愛情を示してくれた。
マリノアの黒と白のマーブル模様の長髪に鼻を押し当てると、ココナッツミルクの香りがふんわりと鼻孔をくすぐった。
「いい匂いがするね」
「ヴィルタリア様がお持ちのオイルをいくらか分けてくださったんです。早速使ってみましたが、いかがですか?」
「うん、すごくいい」
香りが女性らしさをぐっと引き立てるのは気の所為ではないだろう。
たまの変化がぐっと盛り上げてくれる。
マリノアを強く、ぎゅっと抱きしめる。
これは俺に与えられた特権だと叫び出したくなる。
ティムにマリノアの懐妊を伝えたのがよかったのかわからない。
ただただ衝動としか言いようがない。
夜中にまた刃物を持って部屋に押し入ってくる可能性はいくらかあった。
それに関してはいつでも対処できるので恐ろしいとも思わない。
自分の行動が若い衝動と思うと、ちょっと悶絶したくなる。
若い自分を楽しめと思う自分もいるが、やはり背中が痒くなるのだ。
遊牧民と話して気疲れしていた。
夜空に浮かぶ星々が気になった。
風に当たりたくなった。
そんな理由からティムとふたりきりになって、言わねばならないと何者かに背中を押されるようにして言った。
みんなを集めて発表するよりはよかったとは思うのだ。
誰かの影に隠れて話を聞くティムの顔は、きっと憎悪で歪んでいただろうから。
それに比べたら、直接言ったことで歪んだところが表出する前に俺に怒りが向いたはずだ。
一日経ってどうなっているかわからないが、一度感情をぶちまけたのでクールダウンしていると思いたい。
その日はマリノアの胸に顔を埋めるようにして眠った。
少し乳房が張ってきたかもしれません、と不意打ちで言うマリノアに興奮してしまった。
優しく頭を撫でてくれるマリノアの手に気が緩むが、不安の塊の表面をとかした程度に過ぎないと自分がいちばんよくわかっていた。
翌朝、族長の息子とその一行に大平原で獲れた魔物肉をお返しとばかりに荷車ごと譲り渡して見送った。
別れ際に族長の息子は言った。
『オラの父が幼い頃、信じて歩み寄った相手に裏切られたことがある。父以外の一族郎党を無惨に殺され、馬も羊も、何もかも奪われた。冬を越せなくて何人も死んだし、守ることもできなくて何人も食い殺された。オラは直接知らねえけど、いまでもそのときの恨みを忘れちゃいねえんだ』
交渉は無理かもしれない。
そう思わせる悲しい響きがあった。
強奪をやりたくはない、という気持ちは伝わってきた。
しかし奪う以外に一族を生かす道は見つけられないのだろう。
今回は遠征隊から復讐されないための手打ちのために族長の息子がやってきたのだ。
それ以上のものは始めから期待してはいけなかった……のだろうか?
「ティムはどう思った?」
「……難しくてわかんないし」
「俺もだ」
ちょっと驚いたような顔をするティム。
その顔に、暗いものはない。
目の下に隈ができてるくらいだ。
「……あんたには全部わかってるのかと思ってた」
「俺だって迷うさ。悩まない人間なんていないと思うけどな」
「そうは見えないんだよ」
吐き捨てるように言ったティム。
俺はそれを見て笑った。
ティムはさらにしかめ面だ。
「周りにひとがいるのに、敬語を忘れてるぞ」
「……くそが」
ぼそりと呟いた声を近くにいたボン坊に聞かれ、頭を叩かれていた。
遊牧民との外交は難しいようだ。
すべてが単純にいけばどれほど気楽だろう。
誰か他にやってくれるひといないかな。
腕っぷしがあって頭も切れるような外交担当とか探してもいないからな。
遊牧民が帰って行った方向とは反対方向に、今度は帰還部隊が荷車を牽いて進んでいった。
振り返って手を振る獣人たち。
野営地に残って見送る獣人たちも、声を上げて手を振り返している。
百人規模だから、もしも遊牧民や魔物に襲われても、全滅はしないはずだ。
しないと思いたい……。
これでとりあえずの懸念はすべて片付いたことになる。
後ろ髪を引くことはいっぱいあるが、切り替えていこう。
次はようやく迷宮だ。
次は本当に迷宮の話。




