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異世界旅行は落ち着かない  作者: 多真樹
第二部 少年時代 五章 ダンジョン&ドラゴン
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第113話 困った鹵獲物

 砦は完全に制圧を終え、俺たちが野営地に戻ったのは朝だった。

 こんなに嬉しくない朝帰りはないと思う。

 地平線へと目を向ければ、じりじりと照り付ける太陽が半分ほど顔を出し、容赦なく目に沁みた。


「ティム、おまえ見張りね」

「えー。ムリ。死ぬ。立ったまま死ぬ。だから寝る」

「おまえ、ざっけんなよ。調子乗んなよ。従者の仕事だろ」

「まだ七歳に徹夜させるなよ。バカなの? 従者とかそれ以前の話だってば」


 お互い口汚く罵り合うのは、頭が働いていないからだろう。

 春になり、七歳と十歳になったばかりのガキふたりだ。

 同い年のミィナなど、夜はてっぺんまで起きていられず、日が暮れればどこでもクカーッと寝てしまう始末だ。

 健康と成長を考えるなら徹夜などすべきではない。

 徹夜を子どもにさせる環境が悪い。

 だから寝る。

 ぐー。


 どこで寝たのかもわからなかった。

 適当な天幕に入って、ティムともども毛布に顔を突っ込んで眠っていたらしい。

 起こしたのはマリノアで、太陽が沈む前だった。

 眠気が飛ばなくて目を擦る俺とは違い、マリノアはうっすらと目の下に隈を作りながらも平然としている。

 まだ十三歳だというのに大人顔負けの仕事っぷりだ。

 ティムを蹴飛ばして起こした後、マリノアから寝ていた間の経過を聞く。


 囚われていた獣人は痩せていたり怪我をしたものも多く、これからの旅には連れていけない。

 戻ってくる前にとりあえず浄化と治癒のセットをかけて回ったが、完治したものは少ない。

 それよりも精神的な摩耗が激しく、落ち着いて安静できる場所が必要だった。

 年老いたものはいなかったが、それは西から運ばれてくる前に、王国へ運ぶ選別をする際に間引かれたからだという。

 聞きたくない話だった。

 とりあえず夜の間に砦の跡地に供養碑っぽいものを建てておいた。


 生者は大半が女と子どもで、四十人も保護した。

 中には少数だが屈強な獣人もいて、地下闘技場などで死ぬまで戦わせられる運命にあったようだ。

 内訳は三十名の年頃の娘、六名の子ども、そして四名の戦士である。

 戦士四名とはひと悶着あったようで、経緯を聞くとミィナを見て「裏切り者の青豹族に報いを!」と牙を剥いたらしい。

 どこでも人気だね、ミィナは。

 商都の方でも獅子獣人のサーシャこと自称サリアさんに絡まれてたし。

 俺が眠っている間にマリノアがボコボコして屈服させたようで、そのまま遠征部隊に組み込むことになっていた。

 戦士枠として奴隷にされただけあって、体力は衰えていなかったのが幸いした。

 犬組にふたり、猫組にふたりという振り分けになった。


 獣人を救出した後、砦は跡形もなく壊させてもらった。

 また拠点にされても困るので、砂山を崩すように徹底的にしてやった。

 魔物が集まってしまったので、その駆除も兼ねて朝陽が昇るまで作業が続いたのだ。

 更地と化した場所に慰霊碑を建てたので、テイムの効果が切れるまでは魔虫が慰霊碑の守護者となるだろう。


 疲労困憊で座り込む獣人たちを労うのも忘れてはいない。

 やる気のない猫系獣人たちも、夜通し魔物を狩って回り、しっかりと働いてくれた。

 普段からサボりがちでも、一大イベントとなったら急にやる気を見せる学生のように嬉々として働いていたからな。

 徹夜の疲れが程よい連帯感を生んでいる。

 拳をぶつけ合いつつ仕事ぶりを褒めて回り、野営地に戻る頃には朝炊きが始まっていたのだ。

 ミィナたちはいま何をしているのか聞いてみたら、接収した砦の物資から持ち出し自由なものを持っていって遊んでいるという。

 俺も何も考えずに楽しめればどれだけいいか。


 砦に残っていた馬車を接収できたので、遠征に不必要な戦利品や救助した元奴隷などをそれに乗せて獣人村に送ることになる。

 朝食という名の夕食を済ませて、日が暮れるまで接収した物資の選り分けに時間を取られた。

 こういうときボン坊やクェンティンやスフィが役立って、スムーズに荷分けはできた。

 結局遠征で積んできた三倍の物資を帰還組が運ぶことになり、荷車は限界まで満載している有様である。


 ただ野営しているだけでも魔物に襲われ、三度の襲撃があったそうだ。

 三人ほど重傷者が出て、ひとりが死んでいる。

 空から巨大鳥に襲われて捕まり、高いところから落とされた。

 地面から虫の巣穴が出現し、アリのような魔虫に腹を裂かれた。

 石に擬態していたネズミのような魔獣に足指を食い千切られた。

 死亡したのは、石弾を飛ばす魔術を使うカタツムリの魔物に不用意に近づいたがゆえに蜂の巣にされた。

 そんなことがたった一日で起こっている。

 ボン坊が軍隊を指揮して大平原を移動していたときも、ほぼ毎日犠牲者が出ていた。

 大平原とはそういう環境だ。


 夜も更けた頃にようやく作業が終わり、ミィナを抱き枕にしつつエッチな悪戯をしているうちに、泥のように眠っていた。

 朝早く起こされた。

 起こしたのはマリノアで、彼女はいつ眠っているのかと思う。

 ティムが近くの天幕から寝ぐせの付いた頭で出てくる。

 ふらふらで眠そうだ。

 躓いて顔を打ち、鼻血を垂らしていた。

 馬鹿め。


「他の案件は?」


 歩いて向かいながら、三歩後ろを付き従うマリノアに尋ねた。


「スフィ殿が己の性癖に合致する獣人を六名ほど侍らせているようです。取り締まりますか?」

「そのうち赤薔薇親衛隊とか作りそうだ。十人を越えなければいいよ。他には?」

「ヴィルタリア殿が魔物に近づいて頭を怪我しました。不注意から足を滑らせて、岩に激突したらしいです」

「……アホか。容体は?」

「コブになっているようですが、治療が必要なほどではないようです」

「草組からふたりくらい、カマロフさんの手伝いに回して。護衛というより、あの魔物スキーなおばちゃんの見張りかな」

「了解しました」

「あとは?」

「持ち帰る物資の選別は終わりましたが、獣人村に帰還する人員の選出はいかがしますか?」

「それも最優先でやらなきゃなー。見送るまでは野営地を動かせないしな」


 マリノアから持ち込まれた案件は、なんでも誰かが勝手に決めるには難しいだ。

 マリノアが決定しても問題ないものは俺のところまで上がって来ず、勝手に処理してくれている。


「あと……ひとつだけ」

「ん? 言い難そうに、何かあった?」

「回収した中に、ケンタウロスがいました。檻に入っていて、危険性はありませんが、クェンティン殿が……」

「ああ、なんとなく想像ついた」


 マリノアの案内で野営地の端で警備が立っている場所へと足を運んだ。

 移動用の車輪付き檻に入れられたケンタウロスは見世物になっている。

 いや、檻にしがみ付く金髪の青年が見世物になっているのかもしれない。


「その子を檻から出せよ! そんなところに閉じ込めていい子じゃないんだよ!」


 クェンティンが声を荒げ、監視についている犬系獣人に掴みかかっていた。

 背の高いほうのクェンティンだが、なにぶん筋肉がついておらずヒョロい。

 同じくらいの身長差の犬系獣人は筋肉質。

 体格差は明らかで、クェンティンが押しても引いてもビクともせず、逆に軽く押し返されただけで突き飛ばされたようにたたらを踏んで尻もちをついた。

 ニキータの手を借りてクェンティンは起き上がるが、懲りもせずに見張りの犬系獣人に何度も詰め寄っている。

 困惑して耳を垂れる犬系獣人の方が被害者に見えるのはなぜだろう。

 人集りは、そんな激昂する青年を奇異の目で眺めているようでもあった。


「どうしたの?」


 俺の到着を心待ちにしていたのか、見張りの犬系獣人が耳をピンと伸ばし、パタパタと尻尾を振った。

 たまたまふらりと現れたクェンティンが檻に閉じ込めたケンタウロスを見るなり、檻から解放しろと喚き出したらしく、見張りが独自の判断で魔物を檻から出すわけにもいかず困り果てていたところだったようだ。


「クェンティンが悪い」

「ぼくは悪くないでしょ!」

「商売人の顔が剥がれ落ちてるぞ」

「それどころじゃないんだ。見てくれ、マルちゃんと同じケンタウロスが檻に閉じ込められているんだよ! すぐにでも檻から出してやらないと可哀想じゃないか!」


 収穫物の中には大平原で捕らえたと思しき魔物がいくつか檻に閉じ込められていた。

 それがケンタウロスだとは知らなかったが、報告は受けている。

 あとふたつほど檻があり、そこにはワニのような魔獣と、フクロウのような首を百八十度回転させる魔鳥が入れられているが、クェンティンはそちらに一瞥もくれない。

 私情100%なのは見ればわかる。

 俺も獣人を優先して奴隷商人の拠点を潰したのだ、気持ちがわからないではない。

 しかし商人の顔を捨てるとは何事か。

 全資産を投げ打つから助けてくれと懇願するくらいの度胸を見せてほしいものである。


「可哀想って言われても、そんなふうには見えないけどなぁ……」

「クェンティンにとって、ケンタウロスは思い入れの強い魔物なのであります。初恋でもありますからなあ」

「ボンさん、その話なら何度も聞いたよ」


 いつの間にかボン坊が傍にいた。

 他の魔物の餌やりをやっていたようだ。

 作業着のようなものを腕まくりして、顔中汗まみれだった。


「しかしケンタウロスに固執し過ぎじゃない?」

「じゃあアル殿、マリノア殿やミィナ殿が不当に檻に入れられていたらどうされるでありますか?」

「すぐにでも助け出して、檻に入れたやつを容赦しねえ」

「そういうことでありますよ」


 若干ボン坊の顔が引きつっていたが、そういうことならクェンティンの態度もわかる。

 たまたま見かけたケンタウロスではなく、身内が不当に扱われているように見えている、ということだ。


「しかし商人としてはどうなのかね」

「良くも悪くも気まぐれでありますから。商才は天才的であります。商都の代表の右腕として各地を飛び回っていたでありますぞ」


 大平原に来てからというもの商取引が皆無なので商人として役に立ってはいないが、魔獣の毛皮や爪、骨などの目利きにはクェンティン以上に優秀なものがいない。

 自分ならいくらで買うか、ということが頭にあるからか、解体や毛皮を剥ぐときの綺麗なやり方を横から口出ししてきていた。

 獣人たちは彼の言うことを一切聞かなかったのだが、マリノアがそれを見かけ、金になるならと言われた通りにするべきだと考え、俺に許諾を取りに来た。

 それ以来、荷車のひとつが収穫した素材で満載になっていた。

 ボン坊曰く、クェンティンが本気を出せば、荷車ひとつを高値で売り捌いて、一年は遊んで暮らせるようなひと財産を築くことができると言う。


「我輩の領内にもたまにケンタウロスが流れてくるのであります。観賞用とか、実験用とか、ろくな末路にはならないでありますが」

「それは助けないんだ?」

「獣人の方が好きでありますから」

「いっそ清々しいわ」


 草原を自由に駆け回るケンタウロスをどうやって捕獲するのか気になるところだ。

 罠を仕掛けて機動力を潰し、大量の網をかけるくらいしか思いつかない。

 それでなくとも仲間意識が強く群れで行動するケンタウロスにちょっかいかけて、その報復をどうやっていなすのか。

 何気なくケンタウロスの魔力の流れを見た。

 治療のときとは違い、部分的にではなく全体を見渡す感じだ。

 そうして見えてきたのは、衰弱からか弱々しい魔力の流れ。

 いや、まだある。

 なにやら魔力がお腹周りに集まっている。

 目を凝らして視れば、馬腹がわずかに膨んでおり、小さいながらも子どもを抱えているのがわかった。

 ケンタウロスの体に流れる弱々しい魔力は衰弱かと思ったが、もしかすると妊娠によって魔力が弱くなるとか、だろうか。

 だから捕獲も容易になるとか?

 捕まってからつけられた傷だろう、四足すべてに血を流して固まったような黒ずんだ痕があり、しかも手足すべてを鎖で繋がれていた。

 徹底した拘束の上に、調教のつもりか、馬体のいたるところに鞭らしきミミズ腫れもあった。

 恐怖を刷り込まれたらしい彼女は、覗き込むだけで相当の怯え具合だった。

 胎教には最悪の環境だろう。


「クェンティン、マルケッタは?」

「そっちは猫の子たちと一緒に遊んでると思う。同胞がこんな姿になってるなんて見せられないよ……」

「見せない方がいいもんな」

「ねえ、アルくん。アルくんの権限なら出してあげられるでしょ。お願いだよ、ぼくじゃこのわんちゃんたち言うこと聞いてくれないんだよ。そもそも言葉通じないし。命令に従順じゃないのかよ、もう」


 泣き言を言うのは構わないが、下に見るのはやめたほうがいい。

 獣人さんたちのプライドを刺激してしまうかもしれない。

 クェンティンは腕っ節が壊滅的なので、獣人たちに認められていない。

 ヴィルタリアの方は喋り出すと相手を圧倒するようなところがあるので、獣人たちは「こいつ只者じゃないぞ」と警戒心の延長で一目置かれている。

 カマロフは体格が並の獣人よりたくましく、ニキータは暗器術に精通していて獣人を数人は仕留められる実力であるとわかっている。

 獣人村のヒエラルキー最下層に、ボン坊とスフィとクェンティンがいるという悲しい事実だ。

 非力系男子三人組である。

 その分、獣人たちにはない権力とか目に見えない力を使いこなすからいいのだが。


「一度ケンタウロスが近づいてきたことがあったけど、この子を探していたんだと思うんだ。クェンティンはどう思う?」

「マルちゃんを連れてこうとしたのかと思って焦ったけど、きっとこの子を探してたんだ。だからすぐ群れに帰そう」

「暴れそうだからムリ。怪我を治すのが優先かな。衰弱してるから体力も回復させないと。群れが都合よく見つかればいいけど、見つかったら見つかったで勘違いされて攻撃される可能性もあるし」

「話せばわかってくれる!」

「言葉が通じないって」

「身振り手振りで!」

「ダメだ……状況が見えなくなってる……」


 恥じ入るようにクェンティンの傍に付き添うニキータが俯いてしまったので、尚更哀れみを誘った。

 好きなものを守ろうとする考えはわからなくもないが、商人の思考ではないし、とても子どもっぽい。

 遠征組を率いるものとしては、いただけない具申である。

 なので、檻の中から出すのは保留にして、怪我だけ治すことにした。


 ケンタウロスは、檻の外から手を伸ばそうとすると、弾かれたように飛び上がって逃げる。

 保護された野犬のような反応だ。

 顔は青ざめ、檻を覗き込む獣人たちの視線にも怯えている。

 触れなければどこが悪いのかわからないのだが。

 足を庇う動きも気になるし。


「ご飯は食べさせてる? 朝食は用意した?」


 犬系獣人が耳を垂れながら、力なく地面を指差す。

 そこにはひっくり返って中身がぶちまけられたスープの皿があった。


「……これは荒療治が必要かな。とりあえず人目があると落ち着かないから解散」


 しっしっと手を振ると、見張りの獣人以外は蜘蛛の子散らすようにわーっと解散していった。

 言うことを聞いてくれるのはいいけど、反応が大袈裟すぎ。

 ボン坊も去っていき、後ろで控えていたマリノアにはチェルシーの元に戻って仕事を片付けてもらうことにした。

 クェンティンだけは頑として動かず、ニキータも傍で控えている。


 ケンタウロスの方は、衆目が減ったいまも鉄格子ギリギリまで後退って、怯えて震えている。

 栄養を摂るどころではない。

 怪我を治すこともできない。

 多少強引でもテイムをかけ、命令を聞かせるしかないか。

 このまま放っておけば飲まず食わずで、餓死してしまう。

 怪我の悪化が元で母子ともに助からない可能性もあった。

 奴隷商人のところではろくな飯が与えられなかったか、与えられた飯を口にすることを良しとしなかったかで、妊婦ケンタウロスは痩せこけている。

 あばらはオルダの衰弱していたときと同じくらい浮き出ており、顔もこけて、目が落ち窪みギョロッとしている。

 髪は針金のように痛んでおり、呼吸は早く鋭く過呼吸だった。

 元は整った美貌だったろうに夜道で遭遇したらホラーだ。

 遠征組に警戒しながら近づいてきた美形揃いのケンタウロスとは雲泥の差だった。


 檻の錠前を外したところで、飛び出すことはなかった。

 むしろ近づかれて、後ろが鉄格子なのに無理にでも後退りしている。


「ぼくも入っちゃダメかな?」

「治療目的以外、お断り」

「うー」


 いい歳こいてうーとか言うなし。

 頭を屈めて檻の中に入ると、ケンタウロスは怪我をした足で無理に身を起こし、床を曲がった足で突っ張って少しでも距離を離そうとしていた。

 成熟したケンタウロスだけあって、上半身の頭頂部になると俺の二倍の高さがある。

 身長差がそれほどあっても、近づく俺に怯えるのだから彼女のこれまでの境遇が憐れでならない。


「がう」

「……!!?」

「おいー!」

「ごめんごめん。悪ノリした」


 ちょっと脅かしたら心臓が止まるのでは?というくらい狂乱した。

 反省している。

 クェンティンが後ろから恨みがましく睨んでくる。

 ごめんごめん。

 マジでごめん。


「意思の疎通ができればいいんだけどなぁ」

「そのための迷宮だよ、魔術師くん! 魔物の言葉を覚えられたらそれは素晴らしいことじゃないか!」

「だったら自分で行ってくれよ、商人さん。もっと身を守る術を身につけたほうがいいんじゃないの?」

「頼もしい護衛がいるんだ、適材適所なんだよ」

「そうすか……」


 クェンティンはどんなに人手が足りなくても肉体労働だけはしない、そんな信念を持ったクズ男である。

 クズはクズなりに貫く意地もある。

 それが今回のケンタウロスに対する思い入れの深さに表れている。

 いい話と見せかけて、どうしようもなく自分勝手なだけだ。


「じゃあ、処置を始めますか」

「お手柔らかに頼むよ」

「言われなくてもそうするって」


 ジリジリと近づいていき、間合いに踏み込んだ瞬間、俺は一気に距離を詰めた。

 応じて暴れようとする彼女の上半身に飛びかかり、首にしがみつく。

 檻に入ったときから感じてはいたが、鼻を刺すような酸っぱく濃密な体臭に呼吸ができなくなる。

 大人しくなったらいちばんに浄化をかけよう。


「ゔー! うゔー! あゔー!」

「はーい大丈夫だよ~、怖くないよ~、いい子にしようね~」


 獣のような呻き声を喉奥から漏らしている。

 悲しいほどに肉の削げ落ちた体だが、どこに力があるのか俺をやたらめったらに殴ってくる。

 痛い痛い。

 集中しないとテイムはうまくいかないのだが、アタタ!髪を引っ張られてそれどころではない。

 前から抱き付くような感じになりつつ、肩で喉の頸動脈を締め上げる肩固めが決まる。

 妊婦ケンタウロスは片腕が上にピンと伸び、喉を絞められてジタバタもがいている。


「ちょっとアル君!?」


 クェンティンを無視してじっと動きを待つ。

 一向に窒息しない。


「おいぃぃぃ! 何してんだぁぁぁ!? 殺す気か? 殺す気なんだな! 放せよぉぉぉぉ!」


 外野がうるさいが無視だ。

 ケンタウロスの彼女にとって、ここで気を失うことは死ぬことに等しい。

 何をされるかわからないからだ。

 おっぱい揉むくらいで済めばいいが、世の中頭のおかしな奴がごまんといるから、ケンタウロスの目玉は滋養にいいんだとか抜かして両目ともくり抜かれてしまうこともあながち冗談と笑い飛ばせない。

 意識のあるうちは、だから死に物狂いで暴れるのだ。

 もちろん俺は常識人なので、おっぱいを揉むくらいで済む。

 洗脳に近いテイムで操ろうとしているが、誓って彼女の誇りを損ねることはしない。

 おっぱいの先端もコリコリと触るかもしれないが、それはご愛嬌というやつだ。

 時間にして一分か、感覚だと三十分に感じる死闘の末(誇張)、彼女は静かになった。


「殺したの? ねえ? なんてことをしたんだ、このひとでなし!」

「うっさいな。気絶させただけだし」


 ぐったりと鉄格子にもたれかかった彼女の怪我を見ていく。

 まずは汚れを落とそう。

 浄化の魔術で体の皮脂やら泥やら、血が固まった汚れを落とす。

 すると目を閉じた憂い顔の美女が現れた。

 汚れを落とすだけで印象がガラリと変わるもんだな。

 ギョロリとした目がバサバサになった前髪で隠れている所為もあるが、元の作りは神々しいのだ。

 ついでに汚れた自分にも浄化をかける。

 もう酸っぱい臭いはしない。


 首と手足に嵌っていた枷も気を失っているうちにとってしまおう。

 幸い鉄製で魔力を感じなかったので、握力を強化して留め金を壊すことができた。

 ゴトリゴトリと床に落ち、その重量を思わせる。

 こんなものを手足に付けられてさぞかし不自由しただろう。

 俺も首にいらんもんを付けられた経験があるからよくわかる。

 しかしただの鉄製でよかった。

 これが隷属系の拘束具だと、無理に壊すと付けられているものも死んでしまう可能性がある。

 仕組みがよくわかっていないので、いまの俺では外せるかもわからなかった。


「本当に大丈夫なんだろうね? 彼女に何かあったら出るとこ出るよ?」

「そのときはトンズラこくよ」

「正々堂々証言しろよぉぉぉぉ!」

「もー、うっさいな。大丈夫だってば」


 治療を始め、ひとつずつ丁寧に治していく。

 魔力が弱っていた所為か病を得ていたが、この程度なら治癒は朝飯前だ。

 問題は歪んだまま結着している骨だろう。

 しかしこれも治せた。

 魔力の流れが正常に戻ろうとしていたので、滞りをなくすように強引に肉体改造を施して完治である。

 ミィナの妹のニィナの場合、骨が変なくっ付き方をして時間が経過しすぎてしまい、元々の魔力も弱かったために歪んだ状態が正常になってしまっていた。

 いくら魔術が便利でも、ニィナの不具を治すには知識と治癒術のいい腕がいる。

 それに、ニィナの状態では治療ではなく成形になってしまう。

 そしてそれだけをこなすだけの腕が俺にはない。

 広く浅くの赤魔導士の弱点だ。

 器用貧乏。

 オールマイティに順応するが、ここぞというときインパクトに欠ける。

 砦の魔術師を殲滅しておいて、何を言うと思うだろうが。


「はいこれで終わり」

「本当? 本当に本当?」

「くどいよ、商人。今回は俺でも治せたよ。テイムをかけずに治療したから、おかしくなってもいない。テイムをするとクェンティンがうるさいだろうから」

「さすが魔術師様!」


 洗脳ではないが、俺との魔力の親和性を高めておくために魔力を流したことは言わないでおこう。

 テイムとは違い、主導権を奪うまではしない。

 他の人よりちょっと身近に感じてしまう錯覚が起こりやすくなるだけだ。

 他人以上友達未満というところか。 

 俺も彼女の魔力を循環させて自分に流したので、このケンタウロスが他人とは思えなくなっている。


「ややー」

「あー、アルにゃにしてるのー?」

「おうー」

「にゃー」


 チビ集団がどこからともなくわいてきた。

 クェンティンが近寄らないようにしてたんじゃないのか。

 チビらは檻を見ると興味が湧いたようで、爪先立ちで覗き込んでいる。

 いちばん目線の高いマルケッタは誰よりも先に檻の中の様子に気づいたようで、険しい顔をした。


「ぐぅぅ、うぐぅぅ」


 気を失っているはずの女が呻いた。

 それはとても辛く苦痛に満ちたものだった。

 俺が文字通り倒れ込む彼女馬乗りになっている姿も悪かった。

 これは体内部を触診して魔力の乱れを探っていたので、誓って悪さをしていたのではないが、マルケッタには通じなかっただろう。

 それまでにも、ティムをいじめているところを見られたりして心象が悪かったのだ。


 マルケッタが猛然と檻の中に突入してきた。

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