第112話 奴隷商人討伐
西の王国――グランドーラ王国では獣人が飛ぶように売れた。
ヒト族至上主義を掲げてはいるため、表向きは亜人族の入国を強く断っている。
だがそれは他国民に限る(・・・・・・)と言う抜け穴がある。
奴隷は国民ではない。
誰かの所有物だ。
所有する奴隷をどう扱うかは自由。
虐待したところで、加害者を罰する法則などない。
王国内に運び込まれた亜人族は、ほぼすべて奴隷ということになる。
多くの奴隷商人は、大平原横断という危険を冒してまで、獣人奴隷という品物を西へと運んだ。
その途中の大平原に砦を構えたのは、奴隷をプールしておく場所が必要だったからだ。
王国内は各方面に戦争を仕掛けて情勢不安を抱えており、不安定であるがゆえに欲望が剥き出しになり、奴隷商売の版図を広げられた。
しかしいいことばかりではない。
いままで袖の下を効かせていた官吏があっさり掌を返して摘発を行うような不条理さもままあった。
奴隷はいわば金塊にも等しく、それを持ち込んであっさりと巻き上げられては商売にならない。
だから大平原で一度留め置きつつ、王国に身ひとつで入った商人が信頼と伝手を使って王国の奴隷商人と商談を成立させ、大平原の拠点から必要な数の奴隷を奴隷商館に卸す流れを作った。
それを聞くと面倒で商人が集まらなそうだが、王国の金銭的余裕は周辺諸国で随一といっても過言ではない。
王国内には資源や食料豊富な土地を多数抱えていて、裕福層が多いのだ。
奴隷を運び込めば王国内でほとんどすべて捌けるので、商人にとっては夢のような市場だった。
現国王は好戦派であり、数年前からあちこちに戦争を仕掛けている。
北の鉄国、南の連邦に同時期に喧嘩を売り、東の大平原にまで手を伸ばした。
西は大霊峰が分厚く行く手を阻んでおり、霊峰のその先を見たものは誰もいない。
北とは序盤攻勢だったが、冬季になると行軍路を雪に閉ざされたため、攻めあぐねて膠着。
南は海を渡り攻め入った後、敵地を一部占領したものの、制海権を奪われ占領地が干上がってしまい、撤退を余儀なくされた。
しかも追撃を受け、逆に海岸部一帯を侵略されるという致命的な敗戦が続き、連邦軍を領土内から追い出すことにまず腐心せねばならない状況だった。
東は大平原の所有権を東国と北国の三国で争った会戦があった。
王国が二国の軍を破って勝ち越したが、結局大平原は手つかずのままだ。
大平原にぽつんと存在する、西の奴隷商人たちの砦は王国軍に見つかることはなかった。
戦の趨勢より、東への足掛かりとも呼べる拠点が潰されなかったということが何よりも重要だった。
数々の戦争を重ねた王国は、しかし一向に疲弊しなかった。
どれだけ溜め込んだ金を放出しているのか、それを知るには一商人の身では途方もない。
噂では王国貴族のいくつかの家を取り潰して、溜め込んだ財貨を徴収して軍費に当てているのだとか。
王国は内側にも問題を抱えていた。
西の穀倉地帯が魔力暴走で森に飲まれてしまって大打撃を受けた事件だ。
魔力暴走の原因であった迷宮を王国軍が制覇したために土地も少しずつ戻り始め、いっときの傷もすぐに塞がるだろうという噂だ。
――王都には魔物が潜んでいる。
それは優れた商人の嗅覚ならば少なからず感じ取れた。
王国の軍事力、政治力にはおかしなところが多い。
南の連邦に占拠された海岸線一帯、食い物にされた彼の地を取り戻すために編成された傭兵集団。
中央王国軍が編成・派遣を終えるまでの時間稼ぎだったはずが、村の解放を皮切りに、次々に各個撃破、戦場での活躍により、傭兵団の団長が南方方面軍総指揮官に抜擢されるという異例も発生している。
王国全体がうねりを上げているようだ。
立ち上がったものだけが栄光を掴む時代に入っている。
逆に激流に飲まれれば、財産どころか命も搾り取られる。
戦争を肯定する喝采がそこら中に上がる。
敵は、犯し、殺し、奪えと言う。
大義はあれど、正義はない。
金がそこらじゅうにばら撒かれる。
だからこそ、奴隷商人は活発に活動できるのだが。
獣人奴隷の需要は実に様々なところに生まれた。
南では前線に駆り出され、北では鉱山奴隷として消耗品扱いだ。
見目のいい女こどもは金持ちの性奴隷になる。
獣人を虐げる行為は、ひとの心に潜む獣性をひどく刺激するらしい。
欲望がケダモノの形になり、王国を呑み込んでいる。
奴隷商人は北に南にと奔走する。
中央では貴族相手が多い。
金払いがいいが、その分選り好みが激しい。
南北の戦地では性奴隷として利用され、それが部下への権威の証明にもなるようだ。
傭兵は金を使うが、あまり高値では売れない。
傭兵は購入することがステータスになるため、売れ残りを捌くのに適した。
南はどっちの勢力に占領されるかわからず危険が付き物であったが、連邦軍の捕虜奴隷を買い上げるために回ることも度々あった。
南方人は肌が浅黒く、髪の色素が薄いため、東では珍重され高値で売れるのだ。
奴隷商人の財産は、いまや小領主などよりも膨れ上がっている。
とある奴隷商人のお得意様は、大平原に隣接した領地を治め、偏執的な獣人愛好家として有名な領主だった。
獣人愛好家の領主には持ち込めば持ち込んだだけ獣人が売れた。
最近では大平原の会戦で捕獲した獣人を領地内の村に住まわせていると聞いた。
獣人村に滞在することもあり、そこに獣人を売りに行くのは憚られた。
奴隷商人は獣人に恨まれている自覚はある。
わざわざ八つ裂きにされに行く趣味はない。
お得意様だったが、切り替えの早さも商人の長所。
ならば獣人村から誘拐して王国のさらに奥地で売れば儲けになると思ったのも仕方のないことだと思う。
バレなきゃいい――とある奴隷商人は、ひとかどのクズであった。
彼がそんな蛮行に走るのも、理由がある。
東では赤騎士の名で知られた武人が大平原会戦以降、桃騎士に名を変える事件があった。
桃騎士は名を変え心機一転したつもりなのか、獣人保護の旗頭に立ち改革を始めたのだ。
東では獣人奴隷を手に入れることが少しずつ困難になり、獣人村は奴隷商人にとって危険を冒しても手を出したい場所になりつつあった。
そして手を出したはいいが、それも失敗に終わる。
適当なごろつきを雇って送り込んでみたが、誰ひとり戻ってこなかったのだ。
別個に調査に向かったものの報告では、獣人に殲滅させられた可能性が高いという。
獣人のご飯になったのかもしれない。
まさにひとの姿をした獣だった。
鞭で追い立て、縄で捕らえるのは魔物と何ひとつ変わらない。
しかし徒党を組めばそれだけ手強い相手になる。
商人は自分が抱える傭兵団を動かすことも考えていた。
知能の低い獣人に遅れをとるはずがないという固定概念はなかなか取れない。
次の誘拐には魔術師もつけるべきか――そんな計画を立てている最中での、夜半の襲撃があった。
彼の奴隷商人は、いままさに大平原の砦にいた。
大平原にある以上、何が起こるかわからない。
胆力もある商人は、ちょっとやそっとのことでは動じない。
砦の周辺を凶悪な魔獣がうろつくことも珍しくなく、むしろ日常茶飯事だ。
いま凶悪な魔獣が横切っているからと言われ、傭兵団団長から砦から外出許可が下りないこともままある。
その辺の采配はすべてお抱えの傭兵団が一手を担っていた。
ときには砦と同じくらいの甲羅を背負った、途方もない大きさの陸王亀が甲羅を岩壁に擦りつけてきたりする。
それを眺めながら酒を煽るくらいはやってのけた。
そもそも神経の細い人間が、商人を続けてなどいけない。
だから日も暮れた頃、砦で雇っている魔術師が大きな魔力を感知したと言っても、いつものように追い返すものだと思って呑気に美形の奴隷を侍らせて酒を飲んでいた。
同席するのは傭兵団団長である。
滅多に笑わない男だが、酒を勧めれば付き合うし、獣人だって抱く。
無骨な男だが、実力ともに信頼の厚い男である。
そんな男がおもむろに立ち上がった。
次の瞬間、部屋にいるのに熱波が押し寄せた。
そうと思ったときにはぷつんと意識が途切れる。
団長に肩を揺すられ目を醒ました。
さすがの奴隷商人も、おかしな事態になっていると気づく。
「ど、どうしたというのだ?」
「魔力に当てられたのですよ。それもそこらじゃ見ない特濃のやつに」
「魔力とやらで気を失うのか!」
見れば奴隷の女たちは端から床に崩れている。
こんな体験は初めてのことであった。
「逃げましょう。勝ち目がありません」
「むぅ、おまえにしてそれを言わせる事態か……」
団長の判断は早かった。
それだけに臆病風に吹かれたのかと訝しむほどだ。
奴隷商人は呻きながら、団長を見やる。
「大平原には化け物が多いんです。中には剣を突き立てても傷ひとつつかないなんてのがゴロゴロいます。そういう相手である可能性が高い。手練れの魔術師たちは全滅するでしょう」
「それほどまでか? 魔術師もそこそこのものたちを雇ったのだぞ……」
そう簡単に割り切れるものでもないのも事実だ。
心血を注いで砦を構えたのである。
防衛に気を使い、維持費の高い魔術師を何人も手元に置いた。
すべてはこの砦に運び込んだ奴隷を奪われないことを第一に考慮してのことだ。
砦を簡単に放棄できるほど積み重ねてきたものは軽くない。
だが、見切りを素早く付けるのも商人の特性だ。
沈む船にいつまでも乗っていたら、資産や権威、最悪命まで失う。
上では本格的な攻撃が始まったのか、爆撃音が足元を伝って腹の底まで響いてくる。
「ご判断を。急がねば何もかも失っちまいます」
「……んんん、わかった。任せる」
「御意」
団長はすぐさま部屋を出て行き、兵隊を呼び集めた。
三十ほどまとまったところで移動を始めた。
上に出て行ったものは見切りをつけたのか、呼び戻すことはしていない。
部下を時間稼ぎに使うくらいには団長も思い切りがいい。
何を最優先にすべきかの判断が優秀なのだ。
最低限の荷物を持てるだけ持っての逃避行である。
砦の地下まで階段で下り、石扉を鍵で開けると、地下道の暗がりが続いていた。
ひんやりと淀んだ臭いが満ち満ちた道に、いくつもの足音と息遣いが重なる。
「襲ってきたのは魔物なのか?」
「わかりません。魔術師に聞きましたが、複数いるそうです。一体だけ途轍もなくでかい魔力だったと。その魔術師は足が震えて失禁してましたよ」
「魔力だけで震えあがるほどとは……どんな魔物なのだ」
「さあ、だけど、神獣級のやつがいても俺は驚きませんよ」
「むぅ……」
団長が言うならば、それほどの侵略者なのだろう。
勝ち目は十中八九ないものと考える。
薄暗い通路を十分も進んだ頃だろうか。
松明の明かりが届かない遥か先で、先行していたはずの傭兵の悲鳴が響き渡った。
「少しお待ちを」
団長が腕を掴んで引き止めてくる。
団長が素早く目配せすると、傭兵ふたりが頷き武器を構えてゆっくりと先を進んだ。
姿が見えなくなって、まんじりともしない時間が過ぎる。
「う、うわあぁぁぁぁ!」
ドタドタと駆け戻ってくる足音がひとつ。
もうひとりは?
身を投げ打つように明かりに飛び込んできた傭兵は、左腕の肘から先がなかった。
「団長! ロックワームだ! 喰われちまう! 逃げなきゃ――」
その続きは聞けなかった。
なぜなら傭兵の頭から足先まですっぽりと、頭上から落ちてきた巨大な白い芋虫に食べられてしまったからだ。
床に落ちてのたうつ芋虫は、丸く鋸のような歯が口腔の内側にびっしりと生えている。
血でヌメヌメと照り返す様子に、吐き気がこみ上げてくる。
あまりに驚きすぎて声が出なかった。
「戻ってください。できるだけ静かに。音に反応して襲ってきますから」
いかな団長でもこの状況は余裕がないのか、腕を掴む力が強く、引きずられるように元来た道を足早に急いだ。
奴隷商人の顔色は悪い。
いかな胆力はあれ、目の前でひとが喰われる光景は気分のいいものではない。
そういうものは、安全な観客席から観ているから楽しいのだと奴隷商人は考える。
客観的に見ればドクズである。
階段を登り地下通路を出たところでまた目を疑う。
赤茶髪の少年が立っていたのだ。
真っ赤なマントを着ていて魔術師だと察しがつくが、商人はこんなに幼い護衛を雇った覚えがなかった。
神獣級と団長が言ったときより、芋虫に団員が食われて恐怖したときよりも、見知らぬ赤茶髪の魔術師の少年の登場こそがもっとも彼の不安を掻き立てた。
本人にもなぜかはわからないが、場違いな少年の姿の後ろに、恐ろしいものを見ている。
誰よりも先に動いたのは団長だった。
滑るように音もなく少年に近づき、抜き身の剣を突き立てた。
しかし横合いから邪魔が入る。
両刃剣が魔術師の少年に届く前に、団長の体が突然横に吹っ飛んだ。
人形を投げつけたわけでもあるまいに、傭兵団団長が飛んでいく様はひとの動きには見えなかった。
壁に叩きつけられた団長は崩れ落ちて起き上がらず、何かの冗談のようにうつ伏せになって血だまりを広げている。
もうひとつ驚きがあるとすれば、団長を殴り飛ばしたのが目つきの険しい犬系獣人の少女だったことだ。
商人は思った。
商売品として物のように扱ってきた報いが、少女の姿になって現れたのだと。
横を見る。
団長が壁に叩きつけられてできた、花のように咲いた血の飛沫。
そして床に蹲る、事切れた団長の姿。
「……ダメだ、無理だ……」
商人は膝を突いた。
そして命乞いの言葉を口にした。
マリノアが脇腹を殴って吹き飛ばした目つきの悪い男は、残念ながら即死だろう。
マリノアの拳は強化され、鉄槌と変わらない威力になっている。
不意打ちでなくとも、防具をつけておらず身体強化を防御に使っていない状態では、まず間違いなくマリノアに勝てなかった。
しかし攻撃にはわずかに魔力が乗っていたので、そこそこの実力者だったのは想像に難くない。
相手が悪かったというところだろう。
ティム相手なら勝てたはずだ(笑)
再戦はできない体になってしまったけれども。
そして問題は、急に命乞いを始めた商人風の男だ。
突き出た腹を窮屈そうに押し込んで、床に膝を突いて何度も頭を下げている。
商人風の男の後ろに十名ほど傭兵がいるが、どっちつかずで固まっている。
かと思えばひとり魔術師がいて、なにやら聞こえないほどの小声で詠唱していた。
魔力が動いているからすぐにわかる。
「どうしますか、アル様。わたしがやってしまってよろしいですか?」
「その前にひとりね」
男たちに隠れるようにして俯いていたフードの魔術師が悲鳴をあげる。
彼の左足は床を削り取ってこっそり現れた比較的小さなロックワームに食い千切られ、バランスを崩して倒れこんだ。
詠唱途中だった魔力が暴発して風魔術が中途半端に発動し、魔術師と側にいた不運な傭兵が風の刃で軽傷を負った。
足を食い千切ったロックワームはすぐに傭兵に滅多斬りにされたが、魔術師はもう立てないだろう。
しかも通路の闇からは、引きずるような音が聞こえる。
すぐそこまで魔虫は近づいている。
「さて、虫の餌食になるか、魔術の的になるか、選んで?」
「降伏する!」
俺も俺もと武器を投げ捨て、両手を挙げた。
転がる魔術師には目もくれず、傭兵団は全員投降するようだ。
傭兵たちを階段手前の広間に横一列に並べる。
魔術師も引きずられて、隅に転がされている。
「じゃあ、的で」
「なんで!」
「二択しか与えなかったもん」
「そんな!」
石弾を魔術で生み出し、どこぞの国の処刑現場のように左から傭兵たちを撃ち殺していった。
泣きわめくもの、恐怖するもの、立ち向かおうとするものすべて。
あと魔術師も。
その惨状に耐えられなくなったのか、ティムが隅っこでゲーゲー吐いている。
血臭と酸っぱい臭いが立ち込めて、長居したくない空間となる。
残ったのは無力な商人だ。
「待ってくれ、家族がいるんだ! 殺すのだけはどうか許してくれ! あるものはすべて差し出す! だから命だけは……」
「そうか……家族がいるのか」
「娘がいる。まだ抱えるくらいの小さな子なんだ。やっと言葉を覚えたばかりで」
「娘がいるんじゃぁなぁ」
「あぁ、あああぁ、すまない。恩に着る……」
「処刑」
マリノアが頷いて、落ちていた傭兵の剣でサクッと首を飛ばした。
商人の顔は首から離れても何が起こったのかわかっていない表情だった。
床を転がる首が隅っこにいたティムの足元に転がっていき、ギャッと奇声をあげて飛び上がった。
「娘がいたとして、それで助かる理由になると本気で思ったのかな。小さい獣人の子をモノのように売り飛ばす外道が人道的に裁かれるわけないでしょ」
「え、ええー……」
ティムが涙とゲロまじりの顔で、展開に面食らっていた。
まぁ言いたいことはわかる。
命乞いして、一瞬許したと見せかけて殺すなんて、こっちの方が外道に見えるだろう。
「娘なんていないですよ。だって子どもの匂いはどこからもしませんから」
話の論点はそこではないが、マリノアの嗅覚が信用に足るのは間違いない。




