第110話 いじめと試練
表現の自由はどこまで許されるのか((((;゜Д゜))))ガクガクブルブル
朝は、いつも気分が良い。
鼻腔を満たす女たち匂いで始まるからだ。
遊牧民の住まいのような家は、十メートル四方の毛皮の絨毯にして、それぞれ毛布をかぶって寝るというもの。
だからか寝相がよろしくないと、朝には混沌と化しているというのもざらである。
特に寝相が悪いのは俺なんだけど。
小さな体を抱き枕にして、青灰色の猫耳が飛び出す頭やぷにぷにのほっぺに鼻を擦り付けて起きたり。
頭一個分高い犬耳少女の、手で包めるほどの慈愛溢れるお胸に顔を埋めてフガフガしながら目覚めたり。
手足の長いエルフの腕枕で、むしろ俺の方が抱き枕にされて、彼女特有の森林のような爽やかな肌の香りを楽しんだり。
ときどき幼いミルクの香りがするかと思えば、部屋に遊びに来たまま眠ってしまったオルダとニィナのお尻サンドイッチなんてこともあった。
触り心地の良い絨毯に頬ずりしつつ野性味のある匂いを吸い込んでいると思ったら、マルケッタの馬体の腹側に潜り込んで抱きついていたりもした。
マジハーレム。
要するに、俺の部屋は女率が高い。
毎夜の営みは欠かしていないので普通入りにくいと思うのだが、無知なのかミィナの友人たちが夜の間に潜り込んでくる。
ミィナだと思ってほっぺにちゅうしていたら、くすぐったそうに身を捩るニィナだったことも一度や二度ではない。
ニィナのファーストキスは間違いなく俺が奪っているだろう。
ニィナの方が痩せていて筋肉も付いていないのだが、猫っぽい土の匂いはほとんど同じだった。
間違えるのも仕方ないと思う。
後ろから抱き締めてギュッとすると、逃げるどころかぐりぐりと頭を押し付けてくる可愛さなのだ。
ニィナはベタベタしても基本嫌がらないので、不幸な勘違いが起こってしまう。
これはもはや誰の手にも防ぎようのない事故である。
互いに良しとしているから不問だろう。
ニィナの怪我は、いまだに治っていない。
折れた腕は変形してくっ付いてしまったので、治癒魔術をかけても完治したものとして反応しない。
もう一度折って、綺麗に骨を繋いで治癒魔術をかけるという大手術が必要だが、俺には荷が重い。
失った左足も、いまの俺ではいくら魔力を注いだところで再生は不可能だった。
頼みのニニアンは、頑なに治癒魔術を使ってくれない。
オルダの病魔も保留を続けたままだ。
かといって強要もできない。
したところでニニアンは自分で引いた線を決して超えることはしないのだ。
それは嫁という扱いになった後でも変わらない。
マリノアなんかは、「ダメです、もう」と言いつつ押せば「ちょっとだけですよ」と許してしまうところがあるのだが、ニニアンは「やだ」「無理」「したくない」とどんな方法で釣ろうとしても暖簾に腕押し、決して肯ずることはなかった。
要するに俺が治せるようになればいいのだが、一朝一夕で治癒魔術のレベルは上がらなかった。
妹のリエラができているのに自分ができないという腹立ちはあるが、治癒魔術は知識とセンスが両立して初めてスキルアップする高等なものだ。
それこそ従軍医になって朝から晩まで生と死の狭間を見続けなければ得られない感覚というものもある。
虐待の痕が生々しいニィナだが、性格が歪むことなく底抜けに明るいのが救いだろう。
ニィナを救い出したカマロフの手厚い看護があればこそだ。
俺の中で、カマロフ>ボン坊の好感度になっているくらいだ。
汗だくで太っちょの心優しいデブかと思えば、妄執的な獣人フェチな変態性という一面も持つ彼が嫌いなわけがない。
むしろ同属の親しみを感じるくらいだ。
だからといって調子に乗ってミィナたちを「シェアしてくださいであります」と言われたら焼き豚にするだろう。
言わないだろうけど。
ニィナは好奇心旺盛で、ミィナのやることすべてに興味を持ち、真似をする姿は微笑ましかった。
動かない腕、なくなった足を物ともせず、ミィナを追いかけようとする姿には心に来るものがある。
どこかの動物番組のようだが、彼女の好奇心はそれに留まらない。
姉のミィナが旦那の俺とちゅうしているところを目撃したニィナは考えた。
大好きな相手とちゅうすることは自然だと。
後日、姉に熱烈なちゅうをかましていたのは笑い話だろう。
そうなるように耳元で吹き込んだ俺が悪いのだが。
もじゃもじゃの黒頭をしたオルダも病魔を抱えているが、毎日治癒魔術をかけ続けているおかげか最近は不調もなく元気にやっている。
こちらは心の成長が遅かったので、実年齢は六歳だが年齢よりもずっと幼く見える。
ようやく上向いてきたが、裸になるとあばらの浮いた不健康な体が浮かび上がり、栄養が足りていないことがわかる。
女性らしさの欠片もない、むしろ男女さもはっきりしない幼さであった。
それでも着実にマシになってはいるのだ。
保護したときは髪に艶がなく、金タワシのようにゴワゴワしていた。
色艶などなく、ゴミやら汚れが絡まって塊になっていたのだ。
いまの髪は触れると優しく押し返すふわふわな弾力が返ってくる。
下心を抜きにしても、もっとたくさん食べて健康的に育ってもらいたいと思っている。
そんなハーレムな毎日だが、なんだかんだミィナを抱けていなかった。
身体の成長を待って、無理はしていないのだ。
その分、念入りな前戯が行われるわけだが、たまに幼女たちに覗かれていることがある。
そのうち何かの遊戯だと勘違いして参加しそうな様子である。
いいぞもっとやれ。
爛れた乱行生活を夢に見つつ、今日もまた雑魚寝の中で目が覚める。
ミィナの股に顔を埋めるように寝ていたらしく、布越しだがふにふにの肌触りに朝から息子が逞しくなってしまう。
まさに男冥利に尽きるといったところ。
すんすん、すんすん。
ちょっとばかり酸味のきいた蒸れ具合だ。
しかし女体パラダイスといっても、そうそういいことばかりではない。
生きていればうんちおしっこは当たり前だし、ときにプスッと屁もこく。
イビキに歯軋り、寝相の悪さも侮れない。
ヨダレを垂らし、汗をかいて酸っぱい臭いがすることもある。
そのすべてを受け入れ、喜びに変えるにはなかなか苦労が必要だった。
結局、どんなに不衛生でも一瞬で綺麗にできる浄化魔術に頼ることになった。
安心と信頼の後ろ盾があって初めて受け止めることができた面があり、完全に克服したとは言い難いのもまた事実である。
ちなみに夜汗をかいた少女の酸っぱい肌なら割とイケる。
軽くぺろりと味わってしまうので、初級はクリアしていると思う。
そう、ライトなパンチが効いたものなら割と平気だった。
だが、三日とか一週間とか、熟成されたものには残念ながら耐性がなかった。
青カビが生えたチーズの臭いをご存じだろうか。
脳が悪臭と判断するものに関しては生理的に吐き気を催し拒絶反応が出た。
それは三歳くらいの愛らしい顔をした獣人の幼女だったのだが、何日も水浴びをしていないのか、頭に顔を近づけた途端、鼻が曲がりそうになった。
それは愛があれば超えられるハードルなのだろうか。
いや、今後とも慣れることはないだろうと思う。
それに、浄化してしまえば新陳代謝などの汚れは落ちる。
三歳の幼女もあっという間に身綺麗な天使になった。
しかし一端綺麗にしてしまうと、甘酸っぱい少女の匂いまで消してしまうのが残念でならない。
俺もまた業が深いのである。
目が覚めた俺に気づいたのか、俺より先に起きていたらしいマリノアが毛布から顔を出し、にこりと微笑む。
その笑みに艶然とした妖しいものを感じる。
近づけば発情の匂いがわかりそうだ。
マリノアは内緒の話をするように口元に指を当てて、無邪気に目を細めた。
毛布を自らめくり、薄着の肌を晒す。
見せつけるようにゆっくりと開脚し、両手を広げて誘ってくる。
俺は誘蛾灯に集まる虫よろしく這って近づき、マリノアに押し被さった。
マリノアはすぐに毛布で自分と俺を包み込み、毛布の中でごそごそと衣服をずらして再度優しく密着した。
マリノアの鼻から抜ける嬉しそうな甘い声を聞きながら、股間に溜まっていた性欲を朝から発散することとなった。
目を丸くしたマルケッタにバッチリ見られていたが、ご愛嬌ということでひとつ。
代表会議で決定してから二週間ほど準備期間に当て、その間に人力荷車には山のように必要物資が積み込まれた。
二百人以上がいっぺんに移動するので、荷車は八つほどになる。
獣人の機動性を損ねないために、戦士たちは身軽な格好が基本となり、荷物はすべて荷駄隊によって運ばれるのだ。
遠征組の若者は熱心に訓練に励んでおり、士気はずっと高いままで、それがちょっと鬱陶しい。
俺がやることはいろいろあった。
族長だからとふんぞり返っている暇はほとんどない。
畑を耕したり、火山の魔物を間引いたり、獣人たちが嫌がる花が咲く近隣の森を少し切り拓いたり、割とガテン系の仕事が多かった。
族長なのにいちばん働いている自覚がある。
誰かに現場指揮を任せられればいいのだが、いまのところ獣人たちが素直に言うことを聞いて、目的を理解できる頭を持ったものがマリノアと熊さんしかいない。
火山方面は熊さんに任せられるが、物資の準備やら交易の支度やらはマリノアに丸投げしてしまい、残った力仕事は自然と自分に回ってくるのだ。
クェンティンたちも色々駆け回ってくれているが、マリノアを通さないと獣人たちを動かせないという面倒もあった。
獣人村を設立するのにボン坊が多大な尽力をしたというのに、ここでは誰も彼の言うことを聞かないし。
とにかく遠征が始まればしばらく帰ってこられないから、いまのうちに馬車馬のように働き、懸念をひとつでも取り除いておこうと思っている。
毎日が忙しい。
獣人の若いのを引き連れ(年齢からしたら自分の方が下)、「行くぞおらぁ!」と気合を入れつつ火山のミノタウロスを蹴散らし、火蜘蛛や剣角鹿といった手強い魔物の対処の仕方を教えていく。
いちばん面倒な開墾も、魔術を使って楽をせずに若者を中心にやらせた。
ただ命じるだけでは不満もあるだろう。
身体強化の訓練だと銘打って、きっつい仕事を若者に割り振った。
上半身裸で照らされる肌は汗で光っており、彼らは訓練の言葉に疑いも抱かず鍬を振るうのだ。
扱いが楽でいい。
健康的な汗を流す若い男たち。
洗濯仕事で通りがかった若い乙女たちがキャーキャーと黄色い声を上げている。
そんな青春の一コマのような光景は獣人たちの中にもあった。
学生気分のような光景が、なんだかおかしかった。
火山山腹から溶岩が固まったような黒岩が多くなるが、麓になれば草木が茂り、林や沼が点在していた。
大平原から目印にできるほどベドナ火山の山頂は高く、たまに不機嫌そうに黒煙と地揺れを起こしている。
大平原からは、その威容がいい目印となった。
火口あたりから立ち上っている細い黒煙。
活火山で、なにより火山自体が生き物のように呼吸しているようにも見える。
この異世界で特に感じるのが、生命力だろう。
大地や森、霊峰に火山、それ自体が呼吸をするかのようにちっぽけな生き物たちに試練を与えてくる。
それは大平原も例外ではない。
荒れ狂う風がときに刃のようにもなるのだ。
異世界の環境は正直言って頭がおかしいレベルだ。
いままさに活動中のベドナ火山が噴火しないといいが。
そしてその活火山の左側、獣人村は先端の尖った三角形の南側の付け根にある。
少しずつ離れていくのと同時に、前を向けば青空と大地、表面には振りかけたような緑がぽつぽつとあるばかりだ。
魔物の群れが遠くの大地を横切って移動している。
砂埃が立ち、風が様々な臭いを運んでくる。
ともすれば自分の居場所がわからなくなりそうな広大さに眩暈がしたが、チビたちは遠足のつもりなのか即興の歌を適当な音程で歌っている。
やーやー、うーうー、それと伸びのある声は高く突き抜け、どこまでいっても天井知らずに上っていくようだ。
二年前、ここで獣人たちと出会った。
大平原は相も変わらず、見渡すばかりの地平が広がっていた。
二百名の獣人のうち、半数は周囲十キロに広がっていた。
残りの半数は荷駄の周りを固めて、徒歩で移動中である。
手強そうな魔物を見つければ随時報告してくるし、怪しい地形を見ても知らせてくる。
マリノアは山のように積んだ荷駄の上で器用にバランスを取って、次々と入る報告を羊皮紙に忙しくまとめていた。
俺はその横でだらっと寝そべり、重要そうな報告を時々耳に入れたらいい。
積み上げた木箱の上で、ちょうど良い感じに手足を伸ばして日向ぼっこである。
横にバランスを取って立つティムが魔物の羽で作った扇を両手で持ち、そよそよと扇いでいる。
「うあぁっ!」
落ちた。
情けない。
土埃で服を汚し、頬に付いた土汚れが流れる汗で斑点みたいになっている。
ニホンシカの模様をちらっと思い出したが、別にどうでもいいのですぐに忘れた。
ティムは休めというまで休憩はさせない。
水分補給くらいは許すが、すでに半日以上やらせている。
薄汚れたシャツを汗だくでびしょ濡れにしながら、ふーふー言って動いている。
そのうち痩せるのではないかと思う。
ヴィルタリアやカマロフ、クェンティン、スフィ、ボン坊らは屋根のある馬車に引っ込んで出てこない。
お抱えのメイドたちも揃って馬車だ。
かと思えば窓からヴィルタリアが身を乗り出すようにして、大平原を悠然と疾駆するユニコーンの群れを指差し興奮していた。
カマロフやスフィは落ちないように後ろから抑えるのに必死そうだ。
北国生まれの青白い肌のスフィなど、大平原に丸一日立っているだけで全身が真っ赤に日焼けしそうで、本人もそれを気にしているのか日中は日向に出るつもりはないようだ。
肌の白い箱入りにはこの炎天下は辛かろう。
チェルシーは麦わら帽子を被って汗を流しながらマリノアの手伝いをしている。
忍耐強く泣き言を言わない分別があるだけ、楽する大人たちよりだいぶ優秀だった。
ティムを小間使いのように使っていることに異議があるようで、結構前からこちらを見る目は厳しいのだが、俺は涼し気に流していた。
マルケッタに跨ったミィナ、ニィナ、オルダが馬車の近くを歌っているのか絶叫しているのかわからない様子で駆け回って遊んでいるが、危ないことはなさそうだ。
はしゃぎすぎてマルケッタから落馬して怪我しないことを祈ろう。
それに魔物が出ても、いざとなったら背中に矢筒を負ったミィナが騎射を披露してくれるだろう。
そういえばニニアンの姿が見えない。
獣人村に滞在中もふらりといなくなったが、ニニアンはそういうものだと理解している。
いざとなればちゃんと戻ってくるし、まるで自由気ままな猫のようなものだ。
我が家の嫁たちは2:1で本能系が勝っている。
「獲物がいた!」
「シカの群れだ!」
「いっぱい、いっぱい!」
太陽が頂点に昇る頃、右手側の獣人たちが声を上げて騒ぎ出した。
報告に来た伝令が、鹿の群れを発見して狩りを始めたという。
そうなってくると警戒そっちのけで群れを追い始めてしまうところが獣人にはある。
嗅覚の鋭い獣人たちだからこのまま進んでも合流できるだろうが、先程から負傷者の報告も飛んできていて、すでにひとり行方不明になっている。
地面から穴を開けて飛び出してきた芋虫のような魔物にひと呑みにされて、そのまま地中深くに連れ去られてしまったらしい。
こんなことが日常茶飯事なのだ、大平原とは。
「んじゃ、ちょっと休憩しようか」
マリノアにそう告げて俺は馬車から飛び降りる。
マリノアが大声を張って停止を呼びかけている。
チェルシーがマリノアの補佐で忙しそうに働く中、俺は地面をほじくって遊んでいたチビたちの中からマルケッタを呼んだ。
「やー?」
「ちょっと狩りの様子を見に行くから背中に乗せて」
「ややー!」
いいよということなのか、マルケッタははにかむと俺の前で膝を折った。
ミィナたちが指を咥えて羨む中、ひらりと跨って行く方向をマルケッタに伝える。
「付いてくるのはティムだけね。ティムはもちろん走って追いかけてくるように」
ティムの絶望顔をちらりと見た後、マルケッタに並み足で向かってもらう。
後ろからヒーヒー言いながらティムが追いかけてきていた。
報告のあった槍角鹿は、荷駄隊から数キロ離れていた。
一頭のオスの槍角鹿に狙いを絞ったようで、獣人の若いのが十人がかりで動き回る鹿に合わせて包囲を作っていた。
槍角鹿はベドナ火山に棲息する剣角鹿より体がふた回りも大きい。
角も特徴的で、ドリルのような串刺し槍の直角が二本、額の両側に生えている。
天に向かってまっすぐ伸びた角は螺旋状で、突き刺さったらただでは済まないだろう。
剣角鹿もそうだが、角は並の鉱物に勝る強靭さを持っており、折った角はそのまま武器に使えるくらい強度が高い。
角で威嚇して包囲を突破しようとする牡鹿だが、距離を保って気を引く役と、死角から飛びかかって傷をつけていく役が絶妙に連携をとっている。
牡鹿が足を縺れさせて倒れたのを機に次々に飛びかかったが、しかし最後の抵抗で後ろ足に蹴飛ばされた若者が一名。
腹を押さえて苦しみもがいている。
「あれは内臓が破れたかもな」
「え?」
「ややー」
ティムの方はわかっていないようだが、マルケッタは深刻そうに頷いて理解を示す。
彼女も伊達に争いの世界を生き抜いていない。
牡鹿は首に牙を立てられて失血死をしたのか、横倒しから起き上がらずビクビクと痙攣を繰り返していた。
返り血で血だらけの獣人たちが、空に向かって勝利の咆哮を上げる。
野蛮とは言うまい。
一方で、腹を蹴られた灰色犬耳の若者は口から血を吐きながらうずくまっている。
マルケッタから降りて足早に近寄り、若者の腹に手を当てて傷を癒す。
「無茶するよ。危うく死んでたかもな」
「ありがとう、ございます、族長……」
「油断が死に繋がるんだ。お前たちも気をつけろよ」
「おう!」と威勢の良い返事が周りから聞こえてくる。
勝利に浮かれていてちゃんと聞いているのかわからない。
注意したところで何度も危険を繰り返すだろうな。
「ティム、何も刺すだけが殺す方法じゃないんだぜ。魔物を相手なら獣人の大人でも死にかけるんだ。大平原にたったひとりで置いていかれて、おまえ生き残れるか自信あるか?」
ティムを怖がらせつつ、馬車に戻った。
マルケッタがぷりぷりしていたが、どうやらティムをいじめていると思ったらしい。
まったくもってその通りなので、特に否定はしなかった。
槍角鹿の群れが遠くからこちらをじっと見つめている。
仲間をやられたことに、悲しみも怒りの感情もない。
ただ警戒している。
次は自分たちに向かってくるのではないか。
それが野生というもので、なんだか哀愁を感じる。
数人に持ち上げられ、運ばれる槍角鹿の瞳は、剝製のようにうつろだった。
「こうやって狩るか狩られるかの戦いが大平原では当たり前の営みなんだよな」
「はん、何当たり前のこと言ってんだよ」
しみじみと感傷に浸っていたらティムに鼻で笑われた。
顔が強張っているので、強がりだとわかる。
腹が立ったのでティムの足元を土魔術で隆起させ、躓かせてやった。
「せいぜい狩られないように気を付けろよ、ぽっちゃり坊や」
「ぼくがやられるわけ――」
青々とした茂みから低姿勢でティムを狙って跳びかかった魔獣を、ティムの目の前で石の弾丸を飛ばして即死させた。
ネコ科の魔獣で、ぐったりと地面に倒れ伏す体長はティムよりもはるかに大きい。
「…………」
「気を付けたところで対処のしようがないよな、ごめんごめん」
「ややー!」
「もう!」と言いたげなマルケッタに振り落とされないよう彼女を宥めつつ、たったいま仕留めた猛獣に複雑な視線を向けるティムにちらっと一瞥をやった。
弱いなら弱いなりに頭を使えよ、と言外に伝えたつもりだが、通じているかは定かではない。
むしろ通じていなくても構わない。
そのほうが面白いから。
結局はティムをいじめたいだけだ。
「ティム、それをひとりで抱えて戻れ。戻ったら、仕留めたのは自分だと言っていい。いや、言え」
「……なぜですか?」
「そのほうが恥を知るだろ。おまえはそういう人間だよ。ひとの手柄を自分のものにすることがどんなに愚かしいか、わかってるはずだ。受け入れられなくても、やれよ。そんで次の機会に、自分の手柄にしろ」
「……はい」
歯を食いしばって堪えるようなティムの顔をちらりと見て、もう目を向けなかった。
根が素直なところは美徳だ。
育った環境が良かったのだろう。
マリノアという実直な先生から、恥ずべきことはなんたるかも学んだはずだ。
太陽が顔を隠し、真っ白な月が顔を出す頃には、遠征組は野営を始めていた。
焚き火は十を数え、それぞれに火を囲んでいる。
吹きさらしの大平原は、夜になると冷たい風が足元に忍び寄る。
荷駄を風除けにしつつ、炊事の煙がいくつも立ち昇っている。
食事時になるとニニアンはふらりと戻ってくる。
ミィナやニィナを見つけるとぎゅっとハグをしていた。
料理を作るマリノアに嫌がられ、仕方ないといった様子で俺のところにやってきて後ろから抱きしめられた。
「俺はマリノアの代わりですか?」
「アルはおれの嫁」
「ニニアンが嫁の方でしょ」
その言い方はそもそも手の届かない女性(二次元嫁)に対して使われる言葉だ。
「アル、ちょっと汗臭い」
「日差しが強かったからね」
とは言っても蒸し蒸しするような暑さはこの地方ではあまり感じない。
べっとりとした汗はあまりかかないが、全く汗をかかないというわけでもない。
空気が乾燥しているのか、照りつけるような日差しと土の匂いがする熱風に辟易するだけだ。
「俺、臭い?」
「アルの匂いは好き。猫と犬の匂いも好き。チビの匂いも好き。でもドワーフは土臭くて嫌い」
ニニアンのわけのわからない趣向のせいでオルダがとばっちりだ。
「俺もニニアンの匂い好きだよ」
「ん」
薄いミントのような涼しげな香りは、暑い大平原ではありがたい。
それにエルフの性質か、汗の臭いなどしたことがない。
ペロリと首元を舐めても、しょっぱくないのだ。
ちらりと横を向いたらティムがどうしていいかわからない様子で狼狽しており、目が合うなり気まずそうに逸らしていた。
「嫁だから」
「…………」
にんまりとして挑発すると、ティムは反抗的な目を向けてきた。
それでいい。
あっさり従順になっても面白くない。
ニニアンの方は満足したのかさっさとどこかへ行ってしまった。
残念……。
料理のいい匂いが漂っていた。
マリノアの搔き回す鍋には野菜や肉が煮込まれた黄金色のスープがたゆたっている。
よそられたお椀と匙を持ち、冷ましながら食べた。
他にも黒パンや肉が焼かれている。
今焼いている肉は移動中にミィナが弓矢で仕留めた穴兎だった。
他にも槍角鹿を三頭ほど仕留めたので、若い獣人たちが浮かれて騒いでいた。
俺のところには焼いた肉が当たり前のように運ばれ、こんもりと山を作っていた。
族長権限というやつだ。
一口かじり、うまいと大袈裟に声を発してやらねば食事が始まらないのだ。
代表会議でも口をつけるのは族長からだった。
俺の前に積まれた肉はマリノアが切り分け、焚き火を囲うそれぞれの皿に行き渡った。
カマロフのメイドのペトラは、耳と尻尾を虐待によって切り落とされた獣人だった。
素朴ながら笑えば愛嬌のある村娘、といった容姿の彼女は、旅装でヴィルタリアとカマロフの給仕を行い、マリノアやニキータと一緒に駆け回っている。
クェンティンの趣味なのか、はたまた信念があるのか、ニキータは足首まであるスカートのメイド服だったことには誰も突っ込めない。
「ティムは肉一切れだけね」
「え……」
「もらえるだけありがたいと思わなくちゃ。え? なに? 怒った? プンプンなの?」
「あり、がとう、ございます……」
文句を喉で押しとどめ、絞り出すように言う。
顔は俯いて見えなかったが、拳がぷるぷると震え、堪えているようだった。
食事が終わると散歩に出かけた。
と言っても、焚き火を囲う獣人たちに話しかけて回るだけだが、恐縮したり嬉しそうに尻尾を振ったり、返ってくる反応が面白い。
さすがに酒は許していなかったので宴会にはなっていないが、今日一日を問題なく乗り越えたからか、顔色は明るかった。
散歩に付いてきたミィナが、残り物をもらってモグモグしている姿も可愛かった。
もちろんティムも連れて行ったが食べ物をもらうことを禁止した。
見回りを終えると、風呂に入る準備をした。
土魔術で囲いと湯船を成形して、水と火魔術の混合で湯を張る。
「ティムは見張りな」
そう言いつつマリノアを招き寄せてふたりで入る。
ニニアンも付いてきたが、増える分には問題ない。
ミィナは風呂と知るとどこかへ逃げ出した。
風呂ではショタの全身リップサービス奉仕がもれなくついてくるので、くすぐったがりのミィナは最近だと気が向かないと逃げるようになった。
解せない……。
「働かせるのは良いですが、いじめるのはちょっと性格が悪いと思いますよ」
「何言ってんの。これは俺の女だって知らしめなきゃ」
「みんな誰のものかちゃんとわかってますよう」
「でもなー、マリノアって年下に夜這いされてどーしてもって頼まれたら最後には許しちゃいそうだからなー」
「しませんよ!」
お姉さんのキャラ的にね。
脱衣所ですべて脱ぎ去ったマリノアは健康的な肢体を隠すこともなく、俺に詰め寄ってきた。
「本当にしませんからね!」と息巻くマリノアを宥めながら、そういうキャラいるよなーと思う。
マリノアの寛容なところが押しに弱そうな雰囲気に繋がるんじゃないかと思う。
でも寝取られとか死んでも嫌だから、絶対に夜這いなんかさせない。
そもそもマリノアはキレたら情け容赦ない般若のような一面もあるのでそこらへんの心配はないが、むしろそういうイメージプレイは燃えるはずだ。
今度面倒見の良いお姉ちゃんにエッチなお願いをして困らせるショタというシチュエーションでやってみよう。
怒ると怖いお姉さんがエッチな悪戯に抗えないとか萌える。
「あいかわらずニニアンはスタイルがいいよね。後ろ姿はケチの付けようがないな」
前を見れば雄々しいものがぶら下がっているんだけどね。
ぷりんぷりんなお尻のニニアンに、エルフの女の子はみんなこんなにけしからんお尻をしているのか聞いてみた。
「知らない」と素っ気なく返されたが、体つきを望んで成長させられるエルフ族だ。
きっとエルフの聖域には理想郷が広がっているはずだ。
死ぬ前に一度は訪れてみたい。
石鹸を泡立たせて、洗いっこをした。
マリノアは脇の下が弱点で、ヌルヌルとくすぐられるのに弱い。
くびれのある腰を蠱惑的にくねらせて逃げようとするので、オスの習性で追いかけて食べてしまいたくなる。
ニニアンはクスリとも笑わない。
弱点はないようだが、興奮してエレクチオンしているブツはまんま急所なのはわかる。
しかし壁一枚隔てただけで何十人もいるのだ。
ティムも悶々としながら待機していることだろう。
獣人たちが真似して盛っても困るので、オイタはしない。
なんだか寂しそうにも見えるニニアンの体から泡を流し、三人一緒に浴槽に収まる。
マリノアと向かい合って座り、ニニアンが背中から抱きしめてくる。
俺の桃尻に当たる熱源は無視しておこう。
ニニアンはタチとネコと呼ばれる専門用語でも、ネコの方なのだ。
完全に受け身なところがニニアンらしいが、タチに回られると俺が困る。
裂けちゃう、裂けちゃうのらめぇ〜となってしまう。
治癒魔術で治せるとはいえ、お尻を血だらけにする覚悟はないのだ。
気になった諸君は是非ググってみると良い。
当方、責任は一切負わないのであしからず。
タオルで湯上りの肌を拭いつつ、サッパリとした体で大平原のヒンヤリとした風を感じる。
銭湯で汗を流した後の夜道に近い。
フルーツ牛乳とかあれば最高だが、冷えた飲み物がそもそもない。
入れ替わりでミィナたちが入っていく。
すれ違うチェルシーの穢らわしいものを見るような白い目がたまらない。
何もしてないってば。
言い訳もやましく聞こえてしまうから言わないが。
風呂はヴィルタリアたちも使い、夜半まで賑わっていた。
夜も深まると天幕が張られ、大半は就寝に入る。
しかし三十名くらいの獣人たちは、これからが本番とばかりに拠点を中心に散っていった。
夜行性の獣人も少なからずいるのだ。
夜目が利いて、日中よりも活動的なタイプ。
猫系獣人の割合が多い。
昼日中はボケ〜っと歩いていたり、荷馬車に紛れて昼寝していたり、自由さはピカイチである。
その代わり単身での斥候は得意としており、気が向いたときにしか報告しないことに目を瞑れば優秀なのだ。
さて寝るか、というところで、後ろにティムが付いてきているのに気づいた。
「今日は休んで良いよ。明日は俺が起きる前に天幕の外で待機ね」
「…………」
「ところでティム、ずっと怖い顔して何かあった?」
「…………!」
驚きから憎悪を沸騰させたような目で睨んでくる。
おー怖い。
「ティム、今日一日でどこまで成長を実感できた?」
「…………どういう意味?」
「え? まさか何も感じなかったの? そんな馬鹿な! 自分の言われたことを考えもせず、言われるままにやってただけ? え? 嘘でしょ?」
「……何が悪い」
少し頬がやつれたか、睨む目は凄みが増している。
それでも所詮は年下のぽっちゃり君だが。
「それで憎しみだけ育ててさ、ティム、おまえはいつ成長するんだよ? 折角の機会をまるまる棒に振って、誰が悪いとか誰の所為とか言い訳していじけてさあ。そんな暇が君にあるの?」
「なんでおまえに指図されなきゃいけないんだ」
「どんな状況でも成長の糧にしてきた奴が強いんだよ。おまえは知らないかもしれないけど、俺は昔奴隷の扱いを受けてた。マリノアやミィナ、ここにいる獣人たちの大半がそうだ。それでおまえ、奴隷上がりの連中を見て弱いって言えるか? ティムがその奴隷上がりの誰かひとりにでも勝ったことがあるのか?」
はっとして目を見開くティム。
「強さってのはどんな状況でもへこたれない心に宿るもんだろ。俺を憎むのはいい。それが原動力になるだろうさ。でもその使い道をわかってないな。自分で考えられない奴は強くなれない」
意味深なことを言って教訓を垂れている風を装ってはいるけども、実はあんまり意味なんてない。
ミィナは基本無邪気に遊んでるだけで、彼女が投げ出さないようにサジ加減を見計らって俺が頑張って強化したのだ。
ミィナが自ずから努力をする姿は想像できないし、深刻な顔をして自分を追い詰める姿は俺が見たくない。
なのにミィナは強い。
獣人の大人相手にも引けを取らない。
がむしゃらに努力したところで強くはなれないことの良い証明だ。
だがいま、ティムは勝手にこれまでの行いに意味あるものを見つけ気を取られている。
理不尽な仕打ちを訓練と置き換えることになれば、そのうち俺への殺意は別のものに変わるだろう。
考えて動けるようになれば、それこそが成長だというのもあながち間違いではないが、俺がティムのためを思って動いたつもりはこれっぽちもない。
後は勝手に自分の中で意味を膨らませて、動き回ればいい。
達人がふぉーすを感じるのだと言えばなんかフワッとしたものを感じた気になったりするしな。
これがおバカ相手なら考えることを放棄して通じないが、ティムは育ちがいいし性格的に小賢しいタイプだ。
ナイフを隠し持って刺しにきたことといい、頭は使うが天才と呼ぶほどではない。
ゆえに小賢しさが目についてしまうのだろうが。
その小物感はどちらかと言えば自分に近いところがあって、なおのこと矯正してやろうという気になっているのかもしれない。
矯正でなく、心を挫いてやるつもりなので去勢と表した方が正しいだろう。
精々やる気を出してくれることを願おう。
「今度、昔話をしてやるよ。俺が這い上がって族長になった話だ。どうしてマリノアは魅力的なのか、その理由もわかる」
もうティムを見ず、天幕に入る。
欠伸を漏らして横になった。
マリノアが足を絡めてくる。
首に腕を巻きつけてくるのはニニアンだ。
顔を引き寄せられ、ふたりと情熱的な口づけを交わし合った。
次回、第111話「奴隷商人の根城襲撃!獣人たちのヒャッハー!」乞うご期待。




