第104話 男友達
獣人村で過ごし始めてふた月が過ぎた。
寒さも強まり雪がちらつき始めた頃、マリノアがベレノア公のところから大量の必需品とともに戻ってきた。
そうなると当然というか、いままで合わなかった顔を合わせることになるというか、元カノと今カノが顔を突き合わせてしまった瞬間というか……。
きゅっと尻穴が締まってしまうような、つい身を正して正座し萎縮してしまう気分です……。
幕家にニニアンと俺、マリノアの三人、膝を突き合わせることになった。
なんだかいたたまれない空気になった。
なぜだ。
「最初にお見掛けしましたけど、こちら誰ですか? 耳が長いのでエルフだとお見受けしますが」
「エルフのニニアンだよ。俺の師匠の……息子?」
「娘」
「そこは譲らないのな。説明が面倒なのでそういうことで」
「説明してほしいのですが」
まあ剣呑な雰囲気を醸し出すマリノアの吊り上がったおめめ。
ニニアンを睨むとまではいかないが、警戒心剥き出しでチラチラと目をやっている。
敵視されるニニアンは、別に殺気ではない所為か無頓着にマリノアをじろじろ見ている。
口を開いたかと思えば「膝に来る?」と場にそぐわないことを言い出すし。
床に正座したニニアンがぽんぽんと自分の膝を叩いているが、マリノアの目は三角につり上がった。
「座りませんから!」
がるると唸って、ニニアンに敵意剥き出しだ。
犬は外敵に敏感だからな。
おーよしよし、どうどう。
頭をぐりぐりやってマリノアの気を逸らす。
落ち着いたところで。
「マリノアは俺の知り合い全員にそうやって牙を剥くの?」
「……そんなことは、ありませんが」
返事の歯切れがいつもより悪く、明らかに目を逸らした。
マリノアも守りたいという思いが強いだけなんだと思うが、行き過ぎの感がある。
「順番があるんです」と、マリノアは唇を噛み、絞り出すように言った。
何の順番だ。
「ミィナが一番なんです。アル様に出会って、傍にいるようになったのはわたしが二番です。だから、エルフのニニアンさんは三番なんです」
犬系獣人の本能だろうか、順位付けというのがことのほか重要らしい。
確かに、マリノアには年下のミィナを立てるところがあった。
それはお姉さんが妹を可愛がる様子にも似ていたが、それだけではなかったということか。
でもその順位付けで行くと、俺が最初に親しみを込めて接するようになったのは、貴族時代のメイドさんのナルシェということになる。
浅黒の肌で色素の薄い髪をした少女が一番で、次にエド神官の娘で金髪ウェーブが綺麗なファビエンヌとなる。
猫ちゃんが三番で、ニニアンは五番。
いま言ってもしょうがないので、水を差すのはやめておくが。
「その順番って大事?」
ニニアンからの痛烈な口撃!!
まさか正面からやり合うとは思っていなかったので、俺としても驚きだ。
「大事です! 順番がないと困ります!」
「困るって、なに?」
「アル様が選ぶ順番です!」
「そうなの?」
ニニアンの目は俺に向けられた。
向けられても困るわ。
順番とか考えたこともないし。
猫ちゃんに手を出すには年齢的にちょっとまずいでしょう。
だって俺と同じ九歳だもの。
かといって俺の方が無理かと問われると、そうとも言い切れない。
獣人村に到着してより、マリノアとのスキンシップは増える一方。
そして俺の性欲は増す一方。
つい先日、恐れていたことが起こった。
とっても気持ちのいい夢を見ていたら、夜中に暴発してしまいました。
初めて男として芯が一本通った瞬間でした。
一瞬の快感の後に襲ってくる、猛烈な虚しさ。
パンツにべったり付着した暴発の痕跡。
その処理をしなければならなかった。
鼻の良いふたりが起き出したらその異臭に気づくことだろう。
それはちょっと恥ずかしい。
寝入る彼女らに気づかれないように部屋を抜け出し、陽も昇らないうちから得意の浄化で汚れを落とすという虚しい作業だった。
――という経緯があり、俺は一匹の雄へと昇華した。
それ以来、マリノアやニニアンとはより親密になっている。
「俺は別に順番を決めてるつもりはないけど?」
「え、ぅ……」
マリノアが泣きそうなくしゃ顔になった。
「とはいえマリノアの言うことも理解できないわけじゃない」
「ぅ、あ……!」
途端に顔が晴れた。
「でもやっぱり決めるのは俺だよな。というわけで――」
俺は立ち上がり、ニニアンとマリノアの首に腕を回した。
ちょうど布団が目の前にあります。
美少女?がふたりいます。
ねんね(猫ちゃん)はいません→やることやるよねー。
ふたりを毛布に引きずり込み、より親密なスキンシップを図った。
ただし、幕家の隙間から覗く猫ちゃんの目には気づかずに……。
問題が先送りにされた頃、クェンティン一行が獣人村へとやってくるとベレノア公から手紙が届いた。
彼らが到着するまでの間、それはもう爛れた生活を送っていた。
村人や猫ちゃんの目がないところでマリノアといちゃいちゃ。
人目に付かない場所でニニアンといちゃいちゃ。
合わせ技で三人でいちゃいちゃ。
とても幸せな毎日を送っていたともさ。
「おはよう猫ちゃん」
「…………」
そんなことをしていたからか、朝起きて声をかけただけで猫ちゃんにスタタっと逃げられてしまう。
寝る位置も、マリノアを必ず間に挟む徹底ぶりであった。
近づこうものなら怒ったように猫パンチが飛んできて、怯んでいる隙に逃げられる。
まるで警戒心の強い、野生の動物だ。
一度ちゃんと話をしようと思ったのだが、無理にでも捕まえようとしたら、怒っているのか拗ねているのか判断の付かない様子で幕家を飛び出してしまった。
マリノアが捕まえてきたが、それ以来ニニアンかマリノアの背中に隠れて俺とは顔を合わせてくれない。
「いまはそっとしておいてあげてください」
「俺はどうしたらいいわけ? 部屋替えた方がいい?」
「それはしないほうがいいです。同じ部屋で寝ることをミィナは嫌がっていませんから」
「嫌じゃないのに近づかれるのは嫌ってなんぞ……?」
「わたしが言うのもどうかと思いますが、とにかく女の子は複雑なんです」
マリノアの自嘲めいた苦笑いを見て、ずしんと何かが腹の底に押し付けられたような気がした。
毎日仕事で忙しいことを理由に相手してあげてない、とかではないんだろうな。
村作りが楽しくて、マリノアやニニアンと楽しんでいて、猫ちゃんは二の次だった。
悪いと思ってちょっと時間が空いたときに話しかけたら今のようになっていた。
猫ちゃんの中で、俺の何かが許せないのだろう。
俺と猫ちゃんの距離は開いたまま、平行線のような数日が過ぎた。
仕事中、横には常にマリノアがいて支えてくれるし、ニニアンとの治癒魔術の訓練も成果を出し始めている。
村ではすっかりふたりが族長の女だと認識されていることも知っている。
ティムは会うたび歯ぎしりしていたが、いつか奪い取ってやるという気概に溢れていた。
渡すわけがない。
逆に猫ちゃんは以前より無口になり、子どもと遊んでいるときだけは楽しそうだが、大人の男が近づくと誰であろうと逃げる様になった。
これは第二次性徴期というやつだろうか。
まさか洗濯物を一緒に洗わないで、とか言われないよね?
地味に凹むんだけど。
倉庫の一角で書類仕事をしていると、犬系獣人のお兄さんが呼びに来た。
村にボン坊とその一行が到着したことを報せにきたのだ。
俺は羊皮紙に最後の一文を書き込むと、それを垂れ耳のロップ君に渡して立ち上がった。
「ボン坊のところに行ってくるね。マリノアも来て」
「わかりました」
倉庫を出ると、しんしんと雪が降っていた。
村にも雪が積もり始め、踏み締められた道がぬかるみになっていた。
犬獣人の案内についていくと、客人用の幕家に連れて行かれた。
クェンティン一行はすでに中に入っているようで、中から声がする。
垂れ幕をめくって中を覗くと、中央に車座になって大人連中が座っていた。
チェルシーや年少たちはおらず、もこもこの毛皮を着たクェンティンとニキータ、スフィの三人と再会した。
ちゃっかり頭が油でてかったボン坊も、車座に混ざっている。
「なんだよアル君、こんな面白い村作ってるのに僕を仲間外れにしないでくれよ」
「まったくだよ。ヒト族万歳のお国柄に真っ向から逆らってやろうっていうイカれた考え方、最高に親近感涌くよ。ボクも混ぜてよぉ」
金と銀の髪をした優男ふたりが、子どものように笑っていた。
鉄国の大領主一族を滅茶苦茶に掻き混ぜたふたりだ、そりゃあ楽しいおもちゃを見つけた気分だろうさ。
乙女ゲーでたとえると、センターポジションにいそうな懐っこいキャラ風のふわっとした金髪の方がクェンティン。
乙女ゲーで知的なお兄さんポジションのストレートロング銀髪がスフィだと思ってくれ。
「寒いところよく来たね。北の方はいいの?」
俺も車座に混ざりつつ会話に入る。
獣人たちは朝夕の二回しか食事の習慣がないのだが、男どもの前には昼食が並べられていた。
ボン坊に付いてきた獣人メイドさんや、クェンティンと行動を共にするニキータが動いて準備してくれたようだ。
俺の後ろで控えていたマリノアも率先して手伝いだした。
「僕はそもそも長期的に商都を離れることが多かったからね。旅は慣れっこさ」
「ボクはついてくだけ~」
相変わらずのようだ。
獣人メイドさんが木の杯に酒を注いで回り、俺のところには果汁を垂らした水が配られた。
準備が整ったところを見計らって四人は杯を掲げて「乾杯」し、スープや肉料理など割と豪快に食べつつ会話を繋いだ。
準備を終えた女性陣は、ボン坊がここで食べるように言ったため、男の輪とは別に輪を作って話し始めていた。
マリノアも視界に入っており、背筋が伸びて行儀よく食事していた。
目が合うと笑いかけてくる。
「獣人村の発端とあらましはすべて道中で話したでありますぞ。ふたりとも喜んで協力してくれると言ってくれたであります」
「顔を見れば誰だってわかるよ。むしろここに獣人帝国を築かないか、行き過ぎないかの方が心配だね」
「うーん、具体的に国を造るとなると立地が悪いかなぁ。上と下はそこそこ強い軍を持ってる領主出し」
「そうでもないんじゃない? 何かあれば大平原に逃げて、そこに本拠地を立ててチクチク突けばいいだけだし」
「大平原の魔物は俺とニニアンがいれば何とかなるから、領境に魔獣けしかけて混乱に陥れるとかどう?」
「そうそう。最初は正面から当たるよりは火事場泥棒で。やろうと思えば王国東部から中央にかけて物流を乱しまくることも可能だし」
「最後は王都を盗る、でありますか」
ボン坊に視線が集まる。
「ボン坊言うねえ、その太鼓腹で」
「ボン、仮にも王族でしょ? 顎の下に肉乗ってても」
「ボクはその心意気を気に入ったね、汗汁がすごいけど」
「みな揃ってなんなのでありますか! それとなく吾輩を貶めるのをやめてもらってもいいでありますか!」
ぷりぷりしているボン坊を見て一様に笑う。
久しぶりに楽しいと思える時間だった。
男友達の家で益体もない話題で盛り上がるのに似ていた。
後ろで黙って成り行きを見守る女たちはきっと呆れているだろう。
こんなところで国家転覆を笑い話に語る男連中の気が知れないはずだ。
「しかしこの獣人村、もっと発展させるのかい?」
ゲラゲラ笑いつつ、目元を拭ったクェンティンがそれとなく聞いてくる。
「俺はそこそこ大きくして、国と交渉できるくらいの規模まで膨らましたいと思ってるけど」
「その前に軍が動くね」とクェンティンが言い切る。
「いや、どうだろう? そんな力はこの国に残っていないかもしれないよ。南部は海向こうのアラフシュラ連邦に喧嘩を売ったはいいけど逆侵攻されて海岸線を逆に取られただろう? 取り返すのに王軍の一部が出てる」
スフィはまるで見てきたかのように王国南部を語る。
そういえば俺はまだそちらに行ったことがない。
用もなかったしな。
「北は鉄国の大領主が地盤を固めちゃったから、国境をしっかり監視しないといけない理由から軍を動かせないだろうしね」
「どこの誰だろうねえ、泥沼化するだろうと誰しもが思ってた大領主一族をまとめちゃうなんてねえ」
「自慢げに言わずとも、すべてスフィ殿の陰謀でありますぞ」
もしかしたらこの面子で国盗りができるんじゃないかと思ってしまうから手に負えない。
大軍を動かす領主に、物流を手玉に転がす商人、そして策謀を巡らす軍師と強力な魔術師。
まあしないけど。
「西がいちばん散々だよね。王国の食糧庫とまで言われてたのに領地が大部分森に呑み込まれるし。原因を突き止めようとして軍を出せばほとんど戻ってこないし」
「原因だった迷宮はアル殿が解決したのでありますぞ」
「やっぱりアル君強いわ。いま何歳?」
「春で十歳」
「十歳! 青田刈り!」
「おい、おまえが言うと危ない!」
スフィがにやにやしているのを、クェンティンは嫌そうに見ていた。
「そもそもがいまの国王が破滅的なんだよ。無駄に周りの国に喧嘩売ってるし。商人の目から見ると、いまの王国は交渉する余地がない。癇癪を起したただのガキに、理性ある言葉なんて届かないもん。全然頭使ってない」
「大平原に大軍を出したのも国王の勅令だったであります。我輩は獣人が欲しかったのでむしろ喜んで軍を動かしたでありますが」
「ボンさん欲望に忠実だわー」
「まぁ、そこで俺も助けられたから、一概にブタざけんなとは言えないんだけどね」
「助けられてなかったら言うんでありますか?」
ボン坊のつぶらな瞳が悲しげに潤っていた。
「アル君はずっと獣人村にいるのかい? 妹さんは?」
「妹に関しては一応のケリはついたよ。やりたいことをいくつかやったらまた旅に出ようかと思ってる」
「ヤりたいこと? そういえばアルくん、なんだか一皮剥けた?」
スフィの鋭い勘を笑顔でやり過ごす。
ちょっと冷や汗が出た。
まあすぐにわかることだけど。
「上級治癒術と召喚術かな。背中に乗って空を移動できる飛竜とか使役したいんだけど、この辺りだとベドナ火山の化け物級のドラゴンしかいないから、召喚で呼び寄せちゃおうってね」
「召喚は難しいんじゃないかな。以前、転移の魔術師が召喚術を使っているのを見たけど、館の一部を吹き飛ばして失敗していたし」
クェンティンは何気に転移の魔術師ジェイドを知っている。
元は彼に強要されて北に奴隷として売られるところだったのだ。
「その前に僕の目的の方を手伝ってくれないかな。アル君が用心棒だとすごく心強いからね」
「目的?」
「大平原に一度しか遇うことのできない迷宮があるのは知ってる?」
「……いや」
知っていたらその心くすぐられる迷宮を探したに違いない。
「精霊の祝福って話が有名でね、その迷宮の最奥には精霊がいて、望むものを与えてくれるって噂がある」
「でも噂は噂でありますぞ?」
「憶測で済まないけど、僕の父親がその精霊の祝福を受けている、はずなんだ。何を望んだのかは知らないけど、商都テオジアで起こったことをすべて知ることのできる何かだと思う」
「そんなことができるでありますか?」
「できる、と思う。むかし冒険者だった父がとある迷宮を攻略したんだ。その直後に怪我をしたわけでもないのに冒険者業を引退して、当時ただの村だったテオジアを商都と呼ばれるまでに発展させたんだ」
「その話が本当ならボクも行きたいなぁ」
「そういうわけでどうだろうか?」
「行くに決まってるじゃないですか」
ほぼ即決だった。
のちに、マリノアは言う。
「あのときのアル様はとてもいやらしいお顔をされていました」と。




