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異世界旅行は落ち着かない  作者: 多真樹
第二部 少年時代 四章 愛憎喜劇
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第99話 時間の溝は…

 夜も更けてきて、俺たちは一年前に作ったモンゴル人の住処のようなゲルに入った。

 マリノアが部屋の灯りに火を灯すと、暖かなオレンジ色の空間が浮かび上がった。

 中央に屋台骨を立て、放射線状に梁を渡している。

 木組みの壁と床には、大平原やベドナ火山で狩った魔物の毛皮を張り断熱材とし、さらにその上に冷気遮断の魔術をかけていた。

 さらに毛糸を結って絨毯や刺繡された毛織物を床や壁一面に広げているから、風も冷気も遮断されて部屋の中はとても暖かい。

 獣人ってこんな器用だっけ?と思いつつマリノアを見ると、ベレノア公からの贈り物らしい。

 手が込んでいる。

 床の絨毯を指で触れて撫でてみる。

 工場製品しか知らない俺は、頑丈にできた感触や模様が広がる様を見て、すべて手作業ということのすごさを目の当たりにするのだった。


「なんだか立派だねえ」

「族長の部屋ですから」


 マリノアが、聞かれてもいないのに自信満々に答える。

 猫ちゃんは早速隅に積まれた毛布に飛び込んでおり、埋もれたところから顔だけ出して、ケラケラ笑っていた。


「こら、汚れが付いちゃうでしょ」

「ごめんにゃさい」


 ニマニマ笑う猫ちゃんに『浄化』の魔術をかけてやると、泥や服の汚れはきれいさっぱり落ちた。

 自分とマリノアにも順にかけていくと、ドライヤーを正面から向けられたような顔をして、マリノアはびっくりしていた。


「一年ぶりだと懐かしいような、むずがゆいような気分です」

「え? 体がかゆいの? それは大変だ。不衛生は良くないよ」

「もう、アル様!」

「ごめんごめん」


 プリプリ怒るマリノアが可愛くてつい。

 それにしてもニニアンはまだ戻ってきていない。

 村どころか周辺の探索までしているのかもしれない。

 糸の切れた凧のようにふらふらと動き回るからな。


 隅に積まれた毛布を床に敷き詰めながら、「そういえば族長と村長は違うんだよな。熊さんが族長なのかと思ってた」と零す。


「はい、アル様は族長です。族長の方が上です」


 そうなのかな?と首を捻る。

 普通族長が村長も兼任するのでは?と思ったが、この村は少し特殊だ。

 獣人の中でもリーダー的存在の熊さんは村長。

 がっしりして頼り甲斐のある村のご意見番で、俺がいないときの運営はすべて彼に任せている。

 そして俺はというと、村人となった獣人たちの衣食住を維持し、発展させていく族長に君臨している。

 間違っても槍を持って「あれ狩るぞうぉー」とマンモスに突撃していく族長ではない。

 役割がそれだけならどれほど気が楽か。


「ミィニャは? ミィニャは?」

「猫ちゃんは族長のヨメ」


 一足先に毛布の海にダイブした猫ちゃんが首だけ出して耳をぴくぴくさせる。


「よめってにゃに?」

「マリノアも……ヨメ?」

「なんで疑問形なんですか?」


 獣人ハーレムはいつできるのだろうね。

 横になると移動と今日一日の疲れがどっと押し寄せてきた。

 九歳の身体は夜になると充電が切れたように眠くなるからいただけない。

 無理して起きていることもできるが、自然に寝た方が朝起きて倦怠感はスッキリとなくなっている。


 体の疲れはともかく、上に立つものは精神的な疲労がハンパない。

 仰ぎ見られ、期待の眼差しを向けられるだけでもストレスは気づかないうちに溜まる。

 そういう疲労の築盛を癒してくれるのは、いつの世も天使と見まがうばかりの少女たちと相場は決まっている。

 上体を起こしてちらりとマリノアに目をやった。

 改めて切り出すのも照れが混じって、もじもじした。

 男の照れ隠しに需要はないけどな。


「さて、これから夜を迎えるわけですが……」

「アル様、すみません。少しお時間いただいてもよろしいでしょうか?」


 両腕を広げて待ち侘びたら横をすり抜けられたような、マリノアからの素気無い拒絶。


「ぐふぅ!」

「アル様!?」


 ふらふらと毛布の山に頭から突っ込む。

 猫ちゃんが遊んでもらえると思ったのか、嬉しそうに毛布を被せてきた。


「マリノアに嫌われた……」

「なんでそうなるんですか。ちょっと話しておきたい同僚がいるので、就寝前に顔だけでも見せてこようと思っただけです! も、もちろん、わたしも、お邪魔でなければアル様と一緒に夜をともにしたいと思っていますよ……」


 頬を染めながら尻尾をパタパタ揺らすマリノアは可愛い。

 そんないじらしい顔をされたら何でも許しちゃう。

 ということでOKを出すと、マリノアはぺこりと頭を下げ、そそくさと族長宅を後にした。


 毛布の上で手足を伸ばしながら天井を見上げ、ふと思う。

 ポケットをごそごそとやり、掴んだものを目の前にかざしてみる。

 商都テオジアで購入したかまぼこ型の櫛があった。

 白と黒の入り混じる石がアクセントとして嵌り、マリノアの髪色に合いそうだと選んだものだ。

 他にも青色の櫛をミィナに、金色の石が付いたものはニニアンにプレゼントしている。


 マリノア、この一年の間に美人になったよな、としみじみ思う。

 こんなプレゼントはもらい慣れていたりするのだろうかとちょっと不安になる。

 櫛梳り甲斐のありそうな長さに伸びて、後ろでキュッと縛ってポニーテールにしていた。

 知的にして運動系美少女の需要をよくわかっておられる。

 しかも犬耳である。

 世の豚どもがブヒブヒ鳴いて喜ぶご主人様ラブの犬っ娘だ。

 再会はなかなかにスプラッタなシーンだったが、それでもあの瑞々しい体は男を惹きつけてやまない。

 話を聞いてみれば、マリノアに懸想した馬鹿な青年が仲間を集めてやんちゃした結果だというし。

 やんちゃで強姦は行き過ぎだと思うし、これまでの態度も加味して処罰として全員処刑となっても「いいぞもっとやれ」と言う自信がある。


「うーん、気になる」

「にゃにがぁ?」


 毛布から青灰色の猫耳が飛び出してきた。

 くりっとしたつぶらな瞳がほのかな明かりに照らされ、じっと見つめてくる。


「マリノア、どこ行ったんだろうね?」

「追いかければいいんじゃにゃい?」

「おお、盲点」


 嘘だ。

 思い切れなかっただけだ。

 笑顔で送り出してその後をつけたのでは、マリノアのことを信じてないと明言しているようなものだし。

 とはいえ気になるものは気になるのだ。

 櫛を大事にポケットにしまうと、猫ちゃんを連れて早速追跡することにした。


 天幕を出ると、猫ちゃんの身が縮こまるくらい寒さが進んでいた。

 辺りは薄闇に包まれており、灯りは星空のみ。

 しかし獣人の中には夜目が利くものも多いので、暗くとも問題はないのだ。

 むしろ夜のもとでは獣人の独壇場といっても過言ではない。

 昼にサボって……休憩していた猫系獣人たちが、夜の狩人の名に恥じない働きぶりで族長の天幕を守るために目を光らせている。

 犬獣人とは違って座り込んでいたり、寝そべっていたりするのには苦笑だが、仕事をしていることには違いない。

 俺は彼らに手を振りつつ、マリノアの向かったほうを探して追いかける。

 風上に立つと臭いでばれるので、その辺はぬかりなく後を追った。


 しばらく家々の間を縫って歩いていたマリノアが、ひとつの天幕に訪いを入れた。

 すわ通い妻かと緊張したものの、こっそりと近寄って耳をそばだててみれば、中から聞こえるのはマリノアと女性の声。


『すみません、こんな時間に来ていただいて』

『お体の具合はどうですか、ゼブラルさん。まだ痛みますか?』

『もう大丈夫です。さっきまでロップさんもいてくれたんです。明日からちゃんと働けますから、もう心配はいりません』

『そうですか。ゼブラルさんとロップさんにはいろいろ助かっているので、今回の件でご迷惑をかけて本当に申し訳ないと思っています』

『そんなに気に病まないで。あなたは悪くない。悪いことなんてひとつもない。あいつらが悪党だっただけなんです。根が腐っていて、周りにいるものも巻き込んで腐らせようとした。ああいう輩はどこかで取り払わないといけなかったんです。そのきっかけに、マリノアさんでなく、わたしがなれてよかった。マリノアさんはこの村に必要なひとだから』

『何言ってるんですか、もう。ゼブラルさんも十分必要な方です』


 ……。

 わかってたけどね。

 マリノアは根っから真面目な子だ。

 一途で努力家で、健気で思いやりがあって。

 ああ、ちょっと罪悪感……。


「猫ちゃん、静かに、音を立てないように、そぉっと帰ろう」

「ん? にゃんで?」

「マリノアにばれたら申し訳ない」

「わかったー」


 声を潜めていない時点であれだが、すでに対策は講じてある。

 周囲の音と匂いを魔力で遮断して、どんなに叫んでも中にいるマリノアには聞こえないようにしている。

 それでも侮れないのが獣人の感覚なので、無闇にうるさくはしないのだ。

 とぼとぼと天幕に帰り、毛布に潜り込んでマリノアの帰宅を待った。


 どれくらい経っただろうか。

 隣ではすでに、猫ちゃんがすやすやと寝息を立てている。

 火を落としても、天幕の中は火を焚いているかのように温かい。

 天幕の中は換気の穴からわずかに月明かりが差すばかりで、視界はほとんど見えない。

 そんな中ひっそりと、冷気が忍び込んできた。

 音を立てないようにマリノアが戻ってきたのだ。


「お帰り」

「起きてらしたんですか?」

「マリノアを待ってたんだ」

「それはすみません」


 小声でのやり取り。

 気配から申し訳なさそうな様子が伝わってきた。


「ほら、おいで」


 俺と猫ちゃんの間にスペースを開けてマリノアを呼ぶ。

 「少し待ってください」とごそごそと寝巻きに着替えた後、もぞもぞと潜り込んできた。


「ふにゃ?」

「マリノアが帰ってきたよ」

「まりにゅあ……」


 足元から遠慮気味に毛布に潜り込んできたマリノアに気づき、寝惚け眼を擦りつつ猫ちゃんが顔を上げる。

 鼻がふんふんと動いてマリノアを知覚すると、ごろっと横になった。

 「ふかー」と声が聞こえ、猫ちゃんは寝入った。

 俺とマリノアは暗闇の中で顔を見合わせ、くすくすと笑う。


 川の字になって三人ぴとっとくっついていると、マリノアと猫ちゃんの息遣いが聞こえてくる。

 俺の鼻腔をいっぱいにするのは、部屋の匂いより女性特有の甘い香りばかりだ。

 一年前には当たり前に傍にあったマリノアの匂いだった。

 股間がむずむずするなぁ……。


「……寂しかったんですよ?」

「うん?」


 股間の位置を調整していたら、マリノアが甘えるように鼻先を頬に擦り付けてきた。

 鼻の頭がほんのり冷たい。

 俺は手を伸ばし、マリノアの頬を撫でる。

 外を歩いてきたからか、ひんやりとしていた。


「ずっと待ってたんですから。それに、わたしが他の男を作ってないか、聞きましたよね?」

「はい、聞きました」

「もしいたらどうするつもりだったんですか?」


 俺がマリノアの頬に手を添えているように、マリノアも手を伸ばして、俺の頬に触れる。

 俺の頬はきっと熱を持っている。

 マリノアの質問の意図するところは、なんだろう?

 『男ができましたよ。羨ましいですか?』とか?

 マリノアはそんなビッチじゃない……と思いたいだけかもしれないが、これは現実的にもなさそう。

 『寂しかったからですよ。しょうがないじゃないですか』と言われてしまうと全責任は俺にあり、マリノアは寂しさに耐えかねて過ちを犯し、そして現在拗ねていることになる。

 この場合は突き放すか、それとも俺のモンだと主張するしかないが、マリノアの心の弱さを今後も気を付けねばならない。

 NTRとか勘弁してほしい……。

 最後に『ただ単に揺さぶっているだけ』のパターン。

 これはマリノアが俺がどんな態度をとるのかをじっと見ていることになる。

 どちらにしろ、だ。

 マリノアを手放すなんて嫌だ。


「マリノアは俺のものなので、えっと、だから、他に男がいたら取り返します」


 この一択しかないわけで。

 猫ちゃんとかその他にも可愛い女の子とはなるべく仲良くなろうとしている俺を客観的に見たら……いや、見ないようにしよう。

 どんな世界にいようとも、押し通したら勝ちなのだ。

 クズの自覚はあるが、開き直ってみせる。


「……そうですか。でも、わたしに男なんていませんよ。いたこともないです。ずっとアル様を待っていたんですから」

「なんと。お待たせした分可愛がらねば」

「まったくですよ、もう」


 拗ねたような声のあと、安心したと言わんばかりに頬から背中に手が回り、ぎゅっとしがみついてくる。

 くふんくふんと鼻を鳴らして擦り寄ってくる様は可愛いワンちゃんである。

 よしよしと頭を撫で、目を閉じる。


「マリノアの機嫌を取るわけじゃないけど、贈り物があるんだよね」

「なんです?」

「旅の途中に買ったものなんだけどね」


 俺は毛布の中に手を突っ込んで、ポケットから櫛を取り出しマリノアに手渡す。

 月明かりだけでも見えるのか、目をキラキラさせてくんくんと匂いを嗅ぎ、大事そうに抱き締めた。

 そういう俺は目に魔力を注ぎ込んで暗視効果を付与して視ている。


「……大事にしますね。ありがとうございます」


 感極まったようにマリノアが顔を寄せてくる。

 唇が近づいてくる。

 そのとき、もぞもぞとマリノアの向こうからうごめく気配がしたと思ったら、猫ちゃんが俺たちの間に無理やり潜り込もうとしてきた。

 だが勢いついてマリノアに躓き、俺の背中側に転がり落ちてしまう。

 しばらくごそごそしていたが、毛布に潜り込んで俺を乗り越え、ふたりの間に入ってしまった。


 「もう、ミィナは」と言いつつ嬉しそうなマリノアは、団子のように固まって眠る方が安心するらしい。

 犬の本能のようなものか。

 マリノアを見ると、もはやいい雰囲気は霧散した。

 猫ちゃんの後ろ毛が鼻に当たる。


「アル様」


 マリノアが小さく声をかけてきた。

 顔を寄せてきたかと思うと、俺の頬に唇が押し当てられ、すぐに離れた。

 恥ずかしいのかすぐに顔を毛布に隠してしまったが、マリノアから積極的になるとはと感動もひとしおである。

 三人くっ付いて、この日は眠りに落ちた。

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