第16話 魔獣
さすがに村で育っただけあって、みな幼いながら足腰は丈夫だ。
朝から歩き通しに加え、太陽の日差しが強い中、中天に差し掛かるくらいにようやくプロウ村が見えてきた。
プロウ村も大丘陵地帯に麦畑を持っており、ウィートの村と生活スタイルはそう変わらない。
違いがあるとすればウィート村には裏山があるが、プロウ村の裏手は川を跨いで大森林が広がっていることか。
「このままだと大人たちに見つかる。林に入ろう」
イランの提案に、誰も反対はしない。
反対するほど考える頭がないか、あえて対立する気がないかのどちらかだ。
右手に丘陵の麦畑、左手には林。
イランは踏み固められた歩きやすい道を避けて、あえて藪が茂る道なき道を進もうと言うのだ。
ガキじゃあるまいし。
いや、ガキか……。
馬鹿正直に舗装された道を行くより片面に広がる林に入ったほうが、大人たちに見つかる可能性は確かに低くなる。
だが、大型の魔物と遭遇しない可能性はどこにもない。
そこらへんイランは考えているだろうか。
多分考えていないんだろうな。
自分が活躍することしか頭にない、直情型の性格だから。
どうせ自分の剣の腕があれば大丈夫とか思っているんだろうな。
道なき道に入っていく。
俺は最後尾で、全体を見渡す役目だ。
だんだんとプロウ村が近づくにつれて、前方から聞こえてくる不穏な音。
魔物らしき生き物の怒号、人の悲鳴、剣戟、エトセトラエトセトラ。
風下なので、臭いも漂ってくる。
鉄臭い。これは血だな、と思った。
屋敷で暗殺者を返り討ちにしたとき嗅いだ臭いと似ている。
妹が不安からか、きゅっと手を繋いでくる。
うん。兄としてこれ以上の恩恵はないな。
林が途切れ、家屋の裏手に出た。
喧騒はすぐ家の反対側で起こっているように、腹の底に響いてくる。
フレアは顔を真っ青にしている。
ディン・ディノ兄弟も膝がカタカタと震えていた。
手にしたダガーがまるでバナナのように頼りない。
その中でただひとり、やる気に満ち溢れている少年がいる。
パーティ的には逃げる選択をした方が良いと思えるくらい士気は低いのに。
「よし、もっと近づいてみよう」
やっぱりですよね。いきますよね、そりゃあ。
なんのために来たのかわかりませんもんね。
家屋の端っこから、村を見渡してみた。
そこはもう、地獄絵図だった。
人間三割、魔物七割。足元に転がる死体、人間七割、魔物三割。
劣勢ですね。わかります。
全滅しないのは、人間側がそこそこ押し返しているからだ。
屈強なラズが手斧を振り回し、オオカミの様な魔物の頭をかち割るところを見てしまった。キモ。
魔物の親玉的なのが真ん中にどっしりと構えている。
上半身が二足歩行のイノシシ、下半身が毛深いクマのような、半人半馬のケンタウロスを想像していただけると助かります。
見ただけで三メートルはありそうな異形の生き物だった。キモい。
その親玉の周りを囲む魔獣にしても、一見してただのオオカミだと思ったら間違いだ。
目が八つもついている。キモい。
正直なところ、よくあんな生き物とまともに戦えるよなとラズを尊敬してしまう。
できれば近づくのも御免こうむりたい。
身を乗り出し過ぎたのかもしれない。
ぎょろぎょろ動く目の視界に、どうやら俺たちが入ってしまったようだ。
ロックオンしたらしい八つ目オオカミが二体ほど、こちらに顔を向けてくる。
「逃げたほうがいいと思います。勝ち目がありません」
俺はすかさず進言する。
「バカ言うな。オレの剣は大人に劣らないんだぞ」
その大人たちがあっさり食い殺されてますが。
あ、ラズの左足に八つ目オオカミが牙を立てている。
必死に抵抗するが、背後からもう一体、肩に噛みついた。
それでバランスを崩し、ラズが倒れる。
八つ目オオカミは二体三体と、ラズの体に群がっていく。
「今目の前で村一番の戦士が食い殺されてるんですよ?」
「オレが一番だから関係ないな」
おう……その無駄に溢れる自信はどこから?
さすがはムダニの息子。
「おまえらで一匹相手にしろ。オレが一匹やっつける」
バカ言っちゃいけませんよ? フレアとリエラはもちろん手ぶら。
ダガーを持つ腰巾着兄弟にしても、震えて役に立たなそうだ。
つまりはあれですか。
俺たちが食い殺されている間に二匹とも倒すと。
わお。自分が助かればいいと? 傲慢すぎやしませんかねえ。
八つ目オオカミが低い姿勢でこちらに駆けてきた。
イランはやる気満々だ。
その後ろのパーティは逃げようとするが腰が引けて動けない。
しょうがない。
「ナイフ、お借りします」
俺は繋いでいたリエラの手をするりと解き、ちびのディノからナイフを失敬して前に出る。
イランは一匹にショートソードを振り下ろす。
だが、寸前で回避されて、浅く傷をつけるに留まっている。
もう一匹はイランに目もくれず、俺のほうに向かってきた。
こういうときはどんな魔術がいいだろう。
最近山で獣を獲るときは風魔術を多用している。
獣を包み込むように風魔術を発生させ、その空間だけ無酸素状態を作り出すのだ。
もっと鍛えれば呼吸系だけを無酸素状態にすることもできるだろうが、今の俺では大まかに包むことで精いっぱいだ。
今回も同じだった。
山でイノシシに襲われることは珍しくない。
正面からぶつかってくるのに、イノシシも八つ目オオカミも大して違いはないのだ。
生き物がぶつかってくるという潜在的な恐怖はある。
だが、魔術でどうにかなるなら、それにも耐えられるものだ。
誰にもわからないように風魔術を発動させる。
八つ目オオカミを包み込む。
気を失うまでには至らないが、足元が一瞬でもふらついた。
俺は横に体を逃がし、側面からオオカミの首の付け根あたりにダガーを突き立てた。
八つ目オオカミはそのまままっすぐに駆けていき、木にぶつかって動かなくなった。
まだ“窒息”の魔術は、実戦レベルで使えるまでになっていない。
いくら上級魔術を使えようとも、威力が伴わないのでは意味がない。
ナイフと組み合わせて使うのありだが、俺が目指しているのは純粋な魔術だけで敵を屠る魔術師だった。
イランのほうを見ると、彼もあっさりと八つ目オオカミを斬り捨てている。
初撃は外したが、きっちりと二撃目は決められたようだ。
一対一なら問題ないようだが、生憎とオオカミという生き物は、群単位で狩りをするもの。
今回の様に単体で相手取るのは稀で、そうそうイージーモードで戦わせてくれるわけがない。
「い、イランすげー!」
「あ、アルもすげー!」
腰巾着兄弟はそれしか言えないのだろうか。
「イラン! お願いだから危ないことしないで。わたし、怖いよ」
「お兄ちゃん、やっぱり強い」
フレアはへたり込んでいた。
魔物を前にして腰が抜けたようだ。
そんな彼女に横に、魔物を見ても怖がらないリエラがついている。
ふんと、イランが鼻を鳴らした。
そして俺だけを見て言った。
「狩りに行くぞ」
「いや、ちょっと待ってくださいよ」
そんな、ひと狩り行こうぜ! みたいな感じで誘われても、ほいほい行きますか。
「これ以上は危ないです。ぼくらの力ではあの親玉には敵いません。どう見たってイランの剣ではあのもっさもさの体に剣は突き立てられないでしょう」
半豚半熊の親玉。
豚のほうは革の鎧と鉄の剣を装備している。
四足下半身の真っ黒な毛並みの熊は肉厚で、とてもではないがイランの腕力でスパッと斬れるようには見えない。
村の男衆ですら半豚半馬に届かずオオカミに食い殺されている。
レベルで言うなら、俺たちはひとケタ。
ラズたちは十~二十くらい。
オオカミは十~十五。
そして親玉は三十以上。
勝ち目ねー。
「弱点を狙えばいい。目とか喉なら魔物でも致命傷だろ」
「言うほど簡単ではないかと」
「おまえが隙を作れ。オレが仕留める」
それって俺が囮になってことですかー?
きっとそうですよねー。バカかコラー。
「おまえはオレの命令には絶対服従だろ」
「厳密に言えば違いますけど?」
「黙れ。言うことを聞いていればいいんだよ」
「横暴なところが旦那様とよく似てらっしゃいますね」
イランが嫌そうな顔を浮かべた。
すぐさま苛立ったものに変わる。
自分の父親が嫌いかよ。
まあ、尊敬できないわな。
でもその後に、俺に剣を向けるのはやめてほしい。
死にに行けという命令はさすがに断ってもいいんじゃないでしょうかと思うんですワタクシ。
「あ、ちょっと待ってください」
大きな魔力が背後に近づいているのを敏感に感じ取る。
林から数体、八つ目オオカミが姿を見せる。
村のほうからも二体近づいてくる。
さて、どうする?
これはまずいのではないだろうか。
登場人物紹介②
ジャン…ジャン・オーウェン・ラインゴールド。ラインゴールド家の次男坊。双子のパパ。二十代。冒険者出身の上級魔術師。得意系統は火と光。
セラ…ジャンの妻にして双子のママ。二十代。下級貴族の末娘だったが冒険者になり、ジャンと結婚。上級剣士の細剣使い。
ラズ…村の若い衆をまとめる成人男性。力自慢で奥さんと子供がふたり。八つ目オオカミに四方から襲われてあえなく倒れる。若奥さんは未亡人に。
ムダニ…ウィート村の顔役。その地位は代々親から受け継がれている。本人はどうしようもないクズ。良心はあるのか?




