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異世界旅行は落ち着かない  作者: 多真樹
第二部 少年時代 三章 家族捜索
148/204

第87話 猫の弓

ヴォラグ(山賊)→アスヌフィーヌ(両刀)→ジャン(パパ魔術師)→ボッカス(強弓)→ミィナ(猫)→リエラ(治癒天使)→アル(下衆主人公)→チェチーリオ(商都の裏の顔)の順で視点が移っていきます。

読みにくさA級かと思われますがご容赦を。

「なんで援軍が来ねえんだ! おい、どうなってやがる!」


 ヴォラグが激昂し、近くにいた山賊を殴った。

 「ぐへっ」と奇妙な声を上げて吹っ飛び、壁にぶつかったままぴくぴくと痙攣を起こしている。


「へ、へい……それが、転移魔方陣が壊されているようでして……」

「壊されているようでしてぇ、じゃねえよ! なんで壊されてんだよ! なんですぐ報告しなかった、ああっ!?」

「いや、お頭のことだからブチ切れるンじゃねえかと」

「ブッチブチ切れてんだよぉぉっ!」


 剛腕がぶおんと振られ、報告した山賊の頭が吹っ飛んだ。

 体だけがぐらりと仰向けに倒れ、ビクビク痙攣している。


「他のやつらは集まらねえってことかよ! 何してやがった、見張りはよぉ!」


 そこらのものを蹴飛ばし、殴りつけ、ヴォラグは相当に頭に来ている。


「未確認なんですが、一度伝令に飛んだやつが、転移先で暴れる赤い鬼を見たと言ってやした」

「その鬼が転移魔方陣を片っ端から壊してるってんのか? ああっ!? だからなんで報告しねえんだよっ!」

「お頭が最初に殴った男が、ここに来るまでに話してたんでさあ」

「クソ野郎が!」


 ヴォラグは壁際に倒れ込んだ山賊を何度も何度も蹴り上げる。

 そのうちピクリとも動かなくなっても、容赦なく蹴り上げた。


「準備した三千のうち、残り二千四百がまだ来てねえんだぞ! 合流が遅れてみろ! テオジアで待つジェイドの旦那にオレが殺されっちまうだろうが!」


 肩で息をしながら、赤ら顔を部下に向ける。

 部下たちは恐れおののき、一歩下がった。

 天の救いか、ヴォラグの暴力が他に向く前に、別の部下が部屋に駆け込んできた。


「やつら動き出しました。こっち側に向かってくる部隊と、後ろからテオジアに逃げようとする部隊に分かれているようです」

「ぶっ殺してやる。正面からノコノコ飛び込んでくるやつら、魔術師奴隷を使って皆殺しにしてやれ。一匹も生きて逃がすなよ? いいな!」

「へい……逃走組はいかがいたしやしょう?」

「ボッカスの強弓で足止めしている間に、後ろから挟撃すりゃいいだろうが! あの強弓がある限り、包囲網は突破できねえよ」

「なるほど!」


 ヴォラグは頭をガリガリと掻きむしりながら、自前の大斧に手を伸ばす。


「考えるのは性に合わねえ。とにかくぶっ殺してこの村を占拠してからだ。おい、オレが暴れてる間に転移魔方陣を動かして、なんとしても砦で待機してる連中を連れて来い」

「へ、へえ……」


 部下のひとりをぎろりと睨み、暗にできなきゃ殺すと目で脅すと、大斧を肩に負ってヴォラグは出陣する。


「いくぞてめえらぁぁっ! まずは死にたがりのクソどもをきっちり地獄へ堕としてやんぞ、おらぁぁっ!」


「「「おぉぉぉっ!!!」」」





 ヴォラグが部下を引き連れてドカドカと出ていく足音がする。

 アスヌフィーヌは隣室で声を遠くに聞いていた。

 片目が潰され、指もへし折られ、爪もほとんど残っていない。

 腹部には青あざが広がり、呼吸するだけで死ぬほどつらい。


 それでもまだ生きている。

 それに、どちらかといえばアスヌフィーヌより、隣でひゅーひゅー虫の息になっている領主弟、ザック・ベルリンの方が死に近い。


「まだ……生きてます? 旦那様」

「ひゅーひゅー……ぁぅ……」


 前歯とかも全部折られているので、領主弟は喋ることも困難である。

 だらしない体は裸に剥かれ、全身の火傷や切傷、痣の痕が痛々しい。


「助けとか、たぶん来るんで、それまでの辛抱です」

「……かふっ、ごぽっ……」

「それまで、死なないでください。あなたのこれまでの行いからすれば、あなたは死んだ方がいい人間かもしれない。だけどボクは、貴方のことを嫌いになれそうにない。どうか生きて」

「……ぅぐぁ……ぁぁぁ……」


 アスヌフィーヌは遠い目をする。

 サリアとメーテルには悪いことをしてしまった。

 他にも、自分が死ぬことで組織の計画を台無しにし、仲間に多大な迷惑をかけることになる。


「それでも自分に正直に生きた結果だからなあ……」


 後悔はなかった。

 あるのは仲間への申し訳なさ。


「一度だけでもジャンを抱きたかったなあ……」


 いや、後悔はあった。

 気に入った男のケツを掘れなかったことだ。

 妻子持ちというところに甘い背徳感がある。


 たぶん、誰かが助けに来る。

 どんな犠牲を払っても。

 自分にはその価値があった。

 たとえセラ・ジャンのどちらかが命を張っても。


「やっぱり悪いことをしたなあ……あいたたた……」


 片目が潰され、指もへし折られ、爪もほとんど残っていない。

 それでもアスヌフィーヌは絶望していない。

 命があればなんとかなる。

 楽観的である。

 というか、自分の身勝手な行動が及ぼすだろう様々な被害と迷惑について、考えるのを放棄しているだけだった。





 鎖に繋がれた男女が横一列に並んでいる。

 来ているものはボロ。

 しかし、詠唱が重なり大きな魔力のうねりを生み出すと、彼らが囚われの魔術師だということがわかる。

 魔術師の周囲を渦巻くように炎が生み出され、それは大蛇の形を取った。


「下がれ! あれの呑まれたら消し炭になるぞ!」


 遠くからでも熱波を感じ、ジャンは撤退を考える。

 

「あの子がいたの……嘘じゃない、リエラが! リエラが!」

「落ち着け、セラ! 頼むから言うことを聞いてくれ!」


 仮面の下で取り乱すセラを、ジャンはなんとか引っ張っていく。


「下がるなんてできない。わたしだけでも一矢報いるのよ! あの子たちの痛みを思い知らせなきゃ!」

「てめえも頭に血ぃ昇らせてんじゃねえよ! なんでアタシが止める側なんだよぉ。違和感しかねぇよー」


 脇腹を押さえたサリアが、投げやりな顔でメーテルを引きずっている。


「魔術師集団なんて聞いてないよぉぉぉ!」

「ふぅ……年寄りには走るのはきついのう。わしはここに留まるとするかの」

「ロブロ様」


 トロットが喚きながら全力で逃げてくる。

 ロブロ翁が杖を支えに立ち止まる。

 フランベルは足を止めてロブロ翁を見やるが、駆けてきたトロットに手を掴まれ、後ろ髪を引かれながら走り出す。

 ロブロ翁はフランベルの育ての親だった。


「じじい、いいのかよ」

「わしの命はすでに悪ガキ(フィルマーク)に託してあるよ」

「くそ、俺もできることはやってやる。土魔術で壁くらい……」


 ジャンが反転しようとするが、ロブロ翁が皺だらけの手を突き出したため制止した。


「ほほ、若いもんがじじいの死に場所を奪ってくれるな」

「でも」

「ダメです」


 鋭い声を発したのはフランベルだった。


「フランベル……」

「死んではならない方が三人います。アスヌフィーヌと、それからあなたたち夫婦です。三人を生かすために、わたしやトロット、ロブロ様がいます」

「ほほ、そのとおりじゃ」

「ジャン……あなたたちはアンセルムとリナレット、ふたりの子どものためにどうかまだ生きてください」


 ジャンはしばし葛藤していたが、やがてロブロ翁に背を向けた。

 ロブロ翁が炎蛇に呑まれて消し炭になったのは、その数秒後であった。

 老魔術師の人生最後にして最大の魔力を注ぎ込まれて作り出された巨大な壁は、炎蛇の行く手を見事に阻んだ。

 大地や木々を燃やし尽くしたが、それ以上の犠牲が出ることはなかった。

 身を張った犠牲のおかげで追撃を逃れたジャンたちは、ばらばらになってしまったものの、撤退することには成功したのだった。





「子どもを撃っちまっただなあ……」

「なにふにゃけてんだよボッカスよぉ! あのちょろちょろと動き回ってた猫を仕留めたんだ、勲章もんだ」

「山賊が勲章なんて、もらえるんだかあ? 聞いたことねえが、すげえなあ。オラ、農家の出だけど、騎士様になっちまうんかなあ」

「もらえねえよ、アホッ! 勲章もらえるくらいすげえって言ってんだよ、ボケカス!」

「……もらえねえだかあ」


 猫背の大男。

 丸太のような二の腕に、濃い眉のぼうっとした顔。

 ぼりぼりと頭を掻く能天気な姿がよく似合っている。


 強弓のボッカス。

 山賊イチの強弓を操る大男で、ヴォラグの信頼も厚い。

 その横にいる小男は、実力が大したことくせに、いつもボッカスの横にいる。

 ボッカスの世話係だと自分で豪語して譲らない。


「次はあの馬っころだ! よく狙えよぉ!」

「小せえ子を撃つのは気が進まねえなあ……」





 ミィナは青空を見上げていた。

 ゴツゴツする地面が頭の後ろにあり、ヘルムがあってもなんだか据わりが悪い。

 あれー? どうしちゃったんだっけー? と一瞬ボンヤリする。

 しかし、視界のはずれで「やー!」とマルケッタの声がする。

 「寝てると踏まれちゃうよ!」と慌てた声だった。


 むくりと上半身を起こすと、周囲は戦場。

 頭をペタペタと触ると、革のヘルム。

 耳がよく聞こえないので、むんずと掴んで脱いだ。

 大丈夫、耳はある。

 首を回してお尻を見ると、フリフリと尻尾もあった。

 大丈夫、食べられてない。

 アルに尻尾を食べられてから、ときどき夢に見るのだ。

 尻尾のなくなったミィナはミィナじゃないのである。


 そういえば、ものすごく強い矢が飛んできて、それに吹っ飛ばされたんだった。

 こちらも矢を撃って応戦したが、空中でぶつかった矢同士は、強いほうが勝った。

 豪速の矢はミィナの矢を軽々吹き飛ばしたので、慌てて後ろに倒れこんだのだ。

 その拍子にマルケッタから落ちて……ようやくいまに至る。


 上から圧し掛かってこようとした山賊をひらりと躱し、首に短剣を差し込んで三歩ほど離れた。

 体は軽いので、傷や打ち身はほとんどない。

 その場でピョンピョンと跳ねると、革の鎧や背中の矢筒ががちゃがちゃと音を立てた。

 そうだ、弓と矢……。


 弓と矢は近くに散らばって落ちていた。

 それを拾い上げ、弦を弾いてみる。

 大丈夫、ちゃんと張れてる。

 剣を振りかざして襲ってきた山賊をひらりと避け、散らばっていた矢に手を伸ばして前転に合わせて拾い上げると、素早く射抜いた。

 腕を射抜かれて絶叫する男の首にも矢を当て、即死させる。


「やーやー!(大丈夫!?)」

「にゃーにゃー(へーきー)」


 身を寄せてきたマルケッタと短く言葉?を交わし、身軽に跨る。


「あの強い矢を撃つやつ、おばちゃんのかたきにゃ」

「ややー!(なんとしても倒そうね!)」

「ミィニャもあれくらい強いの撃ちたい!」

「やや、ややー!(力をいっぱい溜めて、よおく狙って撃つんだよ!)」

「ミィニャやってみるにゃ!」

「ややや! ややー(なるべくわたしが近づくよ! でも危ないから気を付けてね!)」

「わかったー」


 マルケッタの背に跨ったミィナは、張りを確かめるように何度も弓を引いた。

 今までにない堂々たる姿勢で矢を番えると、全力で駆けるマルケッタの背で大きく揺れるにも関わらず、ミィナは天性のバランス感覚で引き絞った。

 山賊たちをマルケッタの双剣が蹴散らしていた。

 ミィナの邪魔はさせまいと、なるべく揺れを抑えながら、器用に二本の剣を操っている。


 ミィナは弓を構えながら、自分にあれこれ教えてくれたひとたちの言葉を思い出していた。

 最初はちょっと怖かったけど、でも優しかった獅子系獣人のサリア。

 悪い人じゃなかったし、いろいろと教えてくれた。


『腕を固定砲台のように考えるんだ。撃ち出す矢の威力は必ず一定になるように、腕の引き方と番える弓の腕の位置を常に記憶通りにやって見せろ。左腕はまっすぐ伸ばして。ピンとだ。そこで固定。持ち手の弓柄(ゆづか)の位置は必ず一緒の場所だ。縄を巻いてあるだろ。自分の手がぴったり馴染むように握り込んでおけよ。いつだって最高の矢が放てる位置に調節すんだ。で、番えた矢は人差し指と親指の間の窪みに矢羽を置く感じ。そうそう。次に右腕だ。ぐっと背中側に腕を引いて、筋肉が張りつめるあたりを覚えろ。そこが弓弦を最大限引ける位置だ。うん、様になってんじゃねーか。チビは手足が長いから、いい弓手になるかもな』


 正直固定砲台という言葉の意味がわからなかった。

 でもミィナは、身体で覚えることは割と好きだ。

 最初に手ほどきしてくれたニニアンは、「違う」「そうではない」「やり直し」と、詳しい説明はそっちのけで型から入った。

 何度も何度も反復練習をさせられて、これが嫌で嫌でしょうがなかったが、やりたくないと縋ったアルからもできるようになったら楽しくなるからと取り合ってもらえず、ニニアンを恨むこともあった。

 しかし気が付けば、サリアの言ったとおりのことができるようになっている。


 弓を握る左腕はピンと伸ばし、番えた矢は人差し指と親指の間に優しく乗せるイメージ。

 右腕を背中側にぐっと引いて、筋肉が張りつめた状態で維持。

 この状態から常に放つことを心がける。

 どんなに腕が疲れていても、腕を引く位置が緩ければ矢は思ったように飛ばない。


『難しく考える必要はない。弓矢に慣れれば、後は狙った場所を見つめて、そこに矢が吸い込まれていくだけ。自分の矢が飛んでいく距離というのも、そのうちわかる。あ、これは届かない。と思えるようになる。だから自分の矢がちょうど当たる距離というものを、何度も練習して掴むしかない。そのちょうどいい距離になるまで、焦っちゃダメ』


 ニニアンからは弓矢に慣れた後のことを教わった。

 いまにして順番違くない? と思う。

 最初は難しすぎて一から十までよくわからなかったが、当たり前だ。

 でも、いまならその言葉の意味がなんとなくわかる……いや、やっぱりわからないよー。


 サリアから教わった腕の位置。

 それを実践すると、飛んでいく矢の距離はだいたい同じくらいになった。

 だから今度は、飛んでいく矢の的との距離を考えるようになった。


 敵弓兵の位置。

 まだ少し遠いが、マルケッタが双剣を振り回して近づいてくれている。

 ミィナの射程距離からは遠いが、敵弓兵の矢はどうやら届くようだ。


 大男が視界に入る。

 そいつの強弓から放たれた矢は、ミィナの眉間に吸い込まれた。


「!」

「やー!」


 咄嗟にマルケッタは横に体を倒す。

 だが完全に矢の射線から逃れ切れない。

 ミィナの体が弾かれるように後ろに傾いだ。


「ああ、ミィナ!」

「まさか射抜かれたのか?」

「そんな馬鹿な!」

「可愛らしくも勇猛な猫少女があっさりと倒れるはずがない!」


 少し離れたところから、リエラの声や前線の村人たちの声が聞こえてくる。


 傾いだミィナの体は横に倒れ、マルケッタからずり落ちる寸前でピタリと止まった。

 そして、ひゅんと、ミィナの手元から空気が震えた。


 なんて事はない、寸前までミィナの目は強弓から射出された矢の細部までしっかりと見て、身体ごと倒して紙一重で避けたのだ。

 ミィナは体を傾けたまま構えた姿勢から、矢を放った。


 腕の位置は相も変わらず固定され、最高のパフォーマンスを維持していた。

 そして距離。

 少し威力が足りない。

 大男はすでに第二矢を番え、放っていた。

 放たれた矢はミィナの矢を打ち砕くという、神がかり的な技を見せる。

 更に射線上にいるミィナ目掛けて飛んでくるのだ。


 ミィナもまた、素早く第二矢を引き絞っていた。

 反復練習に寄る賜物である。

 サリアから、『一矢で倒すのはまず無理。二本目でケリを付けられるように、必ず二射しろ』との指導を受けている。

 倒れた体を元の位置に戻し、ミィナは体中に流れる魔力を意識した。


 ――どうしてあんなに強弓なのか。

 普通に射る以上の破壊力を伴う矢には魔力を帯びていた。

 ミィナのそれには魔力までは乗っていない。

 単純な話だ。

 弓も矢も、身体強化術と同じように強化されている。

 アルが毎日のように魔力の流し方を教えてくれたことを思い出す。


『指先でも耳でも切ったら血が出るよね? 魔力は血と同じで、体中に巡ってるんだ。その魔力は見えない血だと思えばいいよ。でも視ようと思えば視えるから。それを意識することができれば、身体強化の第一歩だよ』


 魔力を捉える目。

 魔力を操作する技術。

 ミィナは様々なひとから教えられて、いまに至っている。

 ひとつも無駄なことなんてなかった。

 すべてミィナの血となり、肉となっている。


 誰かから教わったことを活かせれば、そのひとがすぐ近くにいる気がした。

 アルが傍にいるような気になると、不思議と力が漲ってきた。

 番えた矢に魔力を流し込む。

 本来獣人族は体内の魔力を取り出すことを不得意としている。

 水を出したり火を飛ばしたりが苦手なのも、魔力操作が苦手であることに起因する。

 だから、弓矢に魔力を流し込むのは難しい。

 そんなことをアルが言っていたが、ミィナは半分も理解できていない。


 でもマルケッタは、実はそれを十分に理解して容易くこなしていた。

 双剣に流した魔力によって、切れ味は一向に落ちていない。

 ミィナはそれを傍で見ていたが、いまのいままで気づかなかった。


 ミィナは耳をぴくぴくと動かした。

 飛んでくる矢。

 空間を切り裂いて歪め、抉るようにまっすぐに向かってくる。


「ミィニャだって――できるもん!」


 マルケッタが危険を顧みず近づいてくれたために、矢が届くちょうどいい位置に到達していた。

 そして威力を魔力で底上げ。

 飛んでくる矢から射線を少しだけ動かし、限界まで引き絞った矢を解放した。

 ミィナから放たれた矢は、間違いなく会心の一撃であった。





「おらの矢がこう何度も当たらなかったのは、ガキの頃鹿を狩りに山を歩き回ったとき以来だよぉ。あぁ、懐かしいなあ。お父ちゃん……」

「おいボッカス……おめえ……それ……」


 大男のボッカスの額、箆深に矢が刺さっている。

 ミィナの矢だ。


「戻りてえなあ、あの頃に……母ちゃんに、うまい肉、食べてもらうの……いちばんうれし、かった……んだよなぁ……」

「ボッカスよぉぉぉぉっ!」


 ぐるんと白目を剥いた在野の弓の名手が、ゆっくりと崩れ落ちた。

 しばらく経ってもピクリとも動かず、この弓術勝負のすべてが決したことは誰の目にも明らかだった。





「にゃー!」

「やー!」


 ミィナとマルケッタがふたりして堂々と腕を掲げている。

 ふたりが協力して強敵を打ち破った姿を、リエラとファビエンヌはつぶさに見ていた。


「すげー、チビ猫すげー」

「強弓の山賊を倒しちまいやがった!」

「英雄だ! 猫の英雄だ!」


 強敵を討ち果たしたことで、こちらの意気は最高潮に上がっている。

 包囲網は強弓の山賊が中心になっていたようで、山賊たちが見る間に瓦解していく。


 リエラとファビエンヌは治癒専門である。

 荒事には向かないのだが、活躍するふたりを見ていて、なんだか腹の底から湧き上がるものがあった。

 それは勝利という名の喜びだ。

 一時は諦めかけた絶望が、いままさにふたりの亜人の少女によって覆された瞬間である。


「……ミィナ?」


 しかし異変は突如として訪れる。

 弓を掲げていたミィナが、ぱたりとマルケッタから落ちた。

 落ちる瞬間リエラに見えたのは、矢を引き絞るための右腕がどこにもなく、腰辺りから真っ赤に染まった姿であった。


「ミィナ! ちょっとミィナ!」


 ファビエンヌも気づいて、痛切な声を上げた。



○○○○○○○○○○○○○○○○



「逃げるな! おい、貴様ら閣下のために前に出ろ!」


 女騎士率いる領主軍が、武器を持たない女たちに騎乗から武器を向けている。

 彼女たちの暴走によって、危うく修道女たちが山賊団に皆殺しにされるところだった。

 その寸前で食い止めることができ、山賊の第一陣を蹴散らした俺はとりあえずひと息着いた。

 ほんとにやばかったと思う。

 隠し村を早朝急いで発ってよかった。

 オルダの病気を治さなきゃと思ったからだが、まさか修道女たちまで駆り出されて“尊い犠牲”にされそうになってるなんて想像できるかよ。


「前へ出ろ! 出ないと――」

「おまえらいい加減にしろ!」


 振り返り様に手を振った。

 騎馬と女たちの間に青い炎を生み出し、越えられない線を引いた。

 馬が恐れて仰け反り、落馬する兵士がいた。

 ざまあみろ。

 武器も持たない女や子どもを山賊にぶつけて、気を取られているところに騎馬隊で突撃とか、騎士の名に恥を塗りまくりであることに気づけよ。


「戦えないものを死に追いやる行為は俺が許さない! 俺の目の前で騎士道にもとる真似をしてみろ! 次は骨も残らないほどに燃やす!」

「後ろががら空きなんだよぉ!」


 背中を向けていた所為で山賊が雪崩を打って襲い掛かってきたが、地面に手をついて土を握ると、山賊に向けてアンダースローで投げつけた。

 手を離れた瞬間、土の粒子はひとつひとつが回転する弾丸となり、迫る山賊に雨のように降り注いで血の雨を降らせた。

 いてえいてえと悲鳴が上がるが、知るか。


 俺は今、静かに怒っている。

 もちろん女騎士に対してだ。

 こいつはいつかやらかすと思っていたが、まさか誇り高そうな顔をして騎士道に泥を塗るような真似を平気でするとは想像の斜め上を行っている。

 女騎士の部隊は炎の壁が消えるのを待つ間、突撃を見合わせている。

 俺の言わんとしているところを理解していないらしい。

 山賊も炎の壁を越えられないのでちょうどよい準備時間に当てているようだが、山賊と炎の壁の間には、戦えない人々がいるのだ。

 炎が消えて突撃するなら、最初に蹄に掛けるのは修道女たちじゃないか。


「何をするか、魔術師! これでは計画が台無しではないか!」

「先に台無しにしたのはそっちだろ。囚われていた人間を助けるふりして、本当は北の鉄国に鉱山奴隷として売ろうとしていたことも知ってんだからな、ブス! 性格ブス!」

「そんな事実は知らん! いまは閣下を助けることが急務なのだ! あと私はブスじゃないっ!」

「じゃあ自分の力だけで助ければいいだろ! 誰かを犠牲にするんじゃねえ! 腹黒! 真っ黒ブス!」


 俺の怒りに反応してか空気が勝手にバチッと爆ぜた。

 騎馬が怖がり棹立ちになったり暴れたりと落ち着かず、手綱を握る女騎士も顔を真っ赤にして馬を落ち着けようとしている。

 空気を伝って、魔力を薄くぶつけているようなものだ。

 人間より動物の方が直感が強いから、魔力に大袈裟に反応する。


 そんな状態でも女騎士は馬を制御してみせ、俺の正面に堂々と立った。

 警戒しているのか兵士を十人以上従えて物々しい。

 しかしそんなことはどうでもいい。

 女騎士の目に、俺や他の無手の人間が路傍の石のようにしか映っていないことが問題なのだ。

 領主弟のみしか目に映らない狂信者め。


「子どもが生意気を言うんじゃない! 魔術師だからと何でもできると思うな! 思い上がりも甚だしいぞ!」

「思い上がり……? え? いま思い上がりとか言いました? このひと」


 言うに事を欠いて思い上がりって。

 思い上がりって言うのは目の前の女騎士みたいなやつのことを言うのだ。

 領主弟を救出するためなら戦えない人間を囮に使っちゃうバカ。

 おまえにひとの命をどうこうする権利はない。


「くくっ……」

「なにがおかしい」

「ただの子どもが山賊二千人以上を皆殺しにできると思うかよ? おまえにはできるのかよ? え?」

「なにを言っている?」

「終いには燃やすぞ」

「なにをふざけたことを! 子どもの戯言に付き合っている暇はない! さあ、炎を除けよ!」

「騎士様なら炎を消してみろや。思い上がりついでに燃えて死ね」


 領主軍を全員跡形もなく消すことに、もはや躊躇はなかった。

 心がすうっと冷めていくのを感じる。

 山賊ひしめく砦を単身襲い、頭から血を浴びて赤い鬼と化したのはつい昨日のことなのだ。

 手のひらにボウと炎を生み出し、燃え盛る手を女騎士に向けた。

 さしもの女騎士も魔術師の強さを知っているのか、青い顔をして及び腰になっている。


「ダメ!」


 鋭い声が後ろから聞こえた。

 驚いて振り返る。

 チェルシーと目が合った。

 十四の少女は涙で顔を濡らしながら、いやいやと左右に頭を振った。

 チェルシーに両腕で抱えられているオルダ。

 まるでその姿は子を守る母親のようだと思った。


「ダメ……飲み込まれちゃダメ。見境なくなったら、もうひとじゃないよ。ひとのままでいなくちゃ、リエラが悲しむ」


 絞り出すような声だった。

 俺から発している魔力の薄い波を、チェルシーは正面から受けて耐えているのだ。

 リエラの名を出された所為もあってか、冷えた心が元に戻る。

 一度目を閉じて深呼吸だ。

 山賊は良いけど女騎士はダメ、という理屈ではない。

 チェルシーが言いたいことは、頭に来たからといってその相手を殺してしまえばいいという思考そのものをリエラが悲しむ、ということだ。

 それだけ聞くとどこの殺人鬼さんだって話だ。

 どうせ鬼になるなら『泣いた赤鬼』になれってことな。

 オーケー、理解した。


「……ったく、ずるいよ。妹を引き合いに出されたら山賊ですら倒せなくなる」

「それでもいいよ。アル君はまだ子どもなんだから」


 女騎士に子どもと言われたときより、チェルシーの言葉のほうが、じんわりと心に届く。

 これが修道女効果か。

 敬虔なる信徒様は偉大である。


 そういえばと、チェルシーをまじまじと見てみた。

 細身で背が高く、栗毛の髪を後ろで束ねている。

 顔立ちは整っており、小顔にきりっとした眉が芯の強さを物語っている。

 いわゆるモデル体型というやつだ。

 お姉さまと慕われそうな、ヴァレンタインデーに後輩からチョコをもらっちゃうような凛々しさである。


 あと、露出が少ない割りに肌にぴったりとフィットし、色気を申し分なく前に押し出す修道服も嫌いじゃない。

 いや、大好きである。

 スマートなチェルシーの体型でも修道服は扇情的なのだ。

 これがもし肉感的な、例えば成長したファビエンヌが身に付けていたとしたらと思うと、もうたまりませんなあ。


 女騎士を丸焦げにするのを止めてクールダウンした、そんな折である。

 異常なほどに巨大な魔力が膨らむのを感じた。

 場所は、山賊が奪い取ったドンレミ村の方だ。

 魔力のうねりを感じて目を細める。

 周囲の魔力にまで干渉する巨大な波に、騎士たちを遮っていた炎が弱まる。


 魔術師はひとりではなかった。

 一列になって詠唱をしている。

 よく見れば手枷で繋がれた男女だった。

 魔術師としての素養がある人間を無理やり集め、複数人で魔術を撃ち出す砲台にしているのだろう。

 何人もの魔術師が重ねて同じ魔術を詠唱すれば、ひとりでは生み出せないほどの巨大な魔術が完成するのだ。

 うん、あれはちょっとやばいかもね。


「ひと塊になって逃げて! 後ろを振り返るな!」


 囚われていた人たちをまとめて逃がすために声を張る。

 しかし目の前の圧倒的な魔術を前に足が竦んで動けないものもいる。

 修道女の何人かも尻餅をついてしまっていた。

 俺は魔術師たちが生み出す強力な魔術に向かって走った。

 背後で必死に制止を呼びかける声が聞こえたが、俺以外があれを止めることは不可能だ。


 しかし、これが山賊たちが切れる最後の切り札かもしれない。

 他にももっと切り札はあっただろうが、魔術師や凶悪なレベルの山賊たちは昨日全部潰してしまった。

 ドンレミ村を占拠した後にテオジアまで押し寄せる予定だった山賊団三千の大半は、転移魔方陣を潰したこともあってもう集まらないのだ。

 それにしても、練りに練った魔術から予想される威力は凶悪だった。

 村ひとつ焼き消してしまいかねない獰猛な火の渦が、少しずつ魔術師たちの周りに集まり始める。

 途中で遮ってやろうかと殺さない程度に弾丸を撃ち込んだが、防御用の魔術師がいたのか土の壁に阻まれてしまう。

 中途半端な魔術を使わず、ひと息に津波でも出して押し流してしまえばよかった。

 満を持して魔術師たちの詠唱で生み出された炎の蛇は、こちらに向かって放たれた。


 正直魔術合戦は苦手だ。

 押し負ければ自分が放った魔術まで返ってきて二倍酷い目に遭うから。

 俺は師匠であるニシェル=ニシェスやニニアンに、一度も魔術で勝ったことがない。

 つまり純粋な魔術勝負をして勝ったことがない。

 たぶん勝てるだろうな、とは思うが、あるかないかのプライドを散々へし折ってくれたエルフ様のおかげで、ヒト族の魔術師のレベルがいまいちわからないのだ。


 それがぶっつけ本番で魔術勝負となるなんて。

 後ろに守るべき人たちがいなければあっさり逃げているような場面だ。

 でもだからこそ逃げられない。

 勝たねばならない。

 俺は集中して胆力を練り、魔力を腕の前に集めた。


 魔術師たちが生み出した炎の蛇はうねる胴体が建物一個分の大きさになっている。

 それが俺に向かって牙を剥いた。

 俺は足元から風を起こし、天に向かって渦を巻く竜巻を生み出した。

 周囲の風を巻き取り、巨大に、さらに巨大になっていく。

 竜巻にさらに雷を付加させる。

 バリバリと空気の爆ぜる音が腹の底に響く。

 最近は冬から春に差し掛かる季節だからか空気が乾燥しているから、静電気でバチバチいうよね。

 あれの百万倍の高圧電流が竜巻の内部で荒れ狂っている。


 炎の蛇が竜巻にぶつかった。

 その瞬間、魔力のせめぎ合いが始まった。

 俺の魔力が負ければ、竜巻はすべて炎の蛇となり俺たちに向かって思うさま蹂躙するだろう。

 俺の魔力が勝てば、炎の蛇は竜巻に飲まれて天に向かって炎の柱となりいずれ消えるだろう。

 重くのしかかる魔力。

 次々に殴りつけてくる複数の魔力を感じる。

 必死に魔力を振り絞っているのがわかる。

 この炎蛇を生み出すために魔術師たちは魔力をすべて吐き出しているのがわかった。

 竜巻に炎の蛇が巻き付き、風は炎を受けて膨張、渦の至る所から炎が噴き出していた。


 稲妻が竜巻のあらゆるところから飛び出し、地面や木々を燃やしている。

 バリケードに使っていたらしい木材も竜巻に呑み込まれ、木片が渦の中でバラバラに砕かれる音を耳にした。

 まるで竜巻の中に竜がいて、喰い散らかしているかのような想像をしてしまう。

 しかしその竜は、オルダの中にいる手強い竜よりずっと格下だったようだ。


 俺はにやりと笑った。

 バリバリ、ムシャムシャ。

 竜巻の中の俺が飼い慣らす竜は、炎の蛇に食らいつき、のた打ち回るその体を飲み込んでいった。


「なっ、なんて力だ……」


 魔術師たちがひとり、またひとりと魔力が枯渇して倒れていく。

 俺は魔力を吸い取られる感覚に身震いしながら、その実半分も使っていないことにほくそ笑んでいる。


 エルフ族とヒト族。

 そもそも魔力の差を比べることがおこがましい。

 いや、わかってるんだけど、弟子が師匠を越えようとするのは当然じゃない?

 エルフに勝てないからといって落胆する必要はない……けどさ?

 エルフは、ヒト族の魔術師を百人束にしたところで足元にも及ばない相手、というのは本当らしいと実感する。


 炎の蛇が食い殺されると同時に、鎖で繋がれた魔術師は全員気を失った。

 炎は雲を割って柱となって立ち消えた。


「勝った……」


 楽勝、とまでは言わないが、それなりに余裕を持って勝った。

 どうだ見たことかと俺は振り返ろうとして――


「逃げて!」


 チェルシーの叫ぶ声に反応して全力で飛び退った。

 先ほどまで頭があった場所に豪と振り抜かれる大斧。


「なんだ、そのまま動かないでいれば首が楽に飛んだのによぉ」


 その声には覚えがあった。

 一度頭をかち割られかけた経験が嫌でも思い出される。

 ヴォラグ。

 山賊の親玉。

 熱い胸板とごわごわの無精ひげ。

 腕は丸太のように太く、持ち上げる大斧の重量は倒れただけで下敷きになった子どもの頭が潰れそうなほどに重い。

 俺がチビということもあるが、見上げんばかりの大男である。

 必ずリベンジしてやろうと思っていた相手が向こうからやってきた。


「魔力を使い果たして楽に殺せると思ったんだがなあ!」

「今度は俺がおまえの頭をかち割る番だ」

「やってみろや、小僧。テラディンの旦那に一目置かれているみたいだが、殺しちゃダメだとは言われてねえからなあ!」

「垢塗れの山賊の首の後に、鼻に突くような腐れ魔術師の首を落っことしてやるよ」


 テラディンとはジェイド・テラディン、転移の魔術師のこと。

 聞くだけで嫌になるその名前。

 イランという名前と並んで不快な男だ。


 ヴォラグは黄ばんだ歯を剥き出しにしてやってみろと言わんばかりに挑発してくる。

 ニヤニヤと笑っているが、その実まったく隙を見せない。

 こちらがチビのガキだということに油断していないのは大したものである。


「オレが頭を叩き割ろうとして失敗した数少ない獲物だからなあ」


 そういうことらしい。

 向こうもこちらに興味津々のようだ。

 俺もその首飛ばしたくて仕方ない。


「貴様が山賊の親玉だな!」


 でかい声が背後から飛んでくる。

 振り向かなくても女騎士だ。

 炎蛇に対抗するのに気を向けすぎて、いつの間にか炎の壁は消えてしまっていたようだ。

 騎馬隊が槍を構え、俺もろともにヴォラグに突撃陣形で突っ込んでくる。

 俺はバックステップで騎馬の進路から距離を置く。

 ヴォラグは大斧を振り回し、先頭の女騎士の槍を横に避けてやり過ごすと、後続の騎馬のどてっぱらに思い切り大斧を叩き込んだ。

 少なくとも五騎が千切れ飛び、もう五騎くらいが巻き添えを食って戦闘不能。

 後ろを取ることに長けているかと思いきや、正面からの戦闘もできるようだ。

 しかし正面から相手を倒すよりかは、獲物を狩るように隙を突くほうが好みなのだろう。


「我が槍にかけて貴様を倒す!」

「なんだあ? お稽古の相手なんかするつもりはねえぞ」

「そうそう、帰れ帰れ」

「魔術師はどっちの味方だ!」

「背中を刺してくるような味方は味方とは言わない」

「なんだあ、仲間割れかあ?」


 三つ巴のように睨み……合わなかった。

 女騎士の騎馬隊は弧を描くように戻ってくると、兵士を従え再度突撃号令をかけたのだ。

 武器を持たないひとたちが逃げ惑うのを目の端に捉える。

 チェルシーやオルダは、他の修道女に助けられ、戦場から離れていく。

 それでいい。

 山賊団の方も体勢を立て直すなり、陣形を取ることもなく武器を振り回して突っ込んでくる。

 女騎士の配下が半分以上離れ、山賊にぶつかっていく。

 山賊の親玉ヴォラグにも兵士が攻勢をかけるが、結果は惨憺たるものだった。

 兵士を馬ごと縦に両断する大斧の凄まじさに吐き気を催した。

 大斧を横に振り回すと、兵士をまとめて三人叩き切った。

 化け物染みた豪腕だ。


「覚悟――ッ!」


 女騎士が不用意に突っ込んだ。

 力の差が歴然としているにもかかわらず、功を焦ったのだ。

 女騎士の前に兵士が抜き出た。

 ヴォラグに槍を突き出すが、その槍と鎧を横に真っ二つにされ、後ろの女騎士もまとめて薙ぎ飛ばされた。


「ぐあ!」


 女騎士は馬上から落ちて地面を転がる。

 着地が悪かったのか、左腕が変な方向に曲がっている。

 立ち上がろうとしていたが、真っ二つになった兵士の血を頭からかぶってわずかに放心する。


「おいチビ魔術師、さっきのでっけえ魔術、あれはたまげたぜ。オレのとっておきの魔術師たちをひとりで相殺するなんてのは、なかなかできることじゃねえ」


 ヴォラグは余裕ぶっている。


「だけどなあ、オレだって魔術をちょこっと使えるのよ」


 ヴォラグの姿が一瞬でぶれた。

 危険信号が灯る。

 これはまずいと、危険を察知して後ろに飛んだ。豪と空気が唸り、先程まで立っていた場所を大斧がかち割った。

 地面が揺れて思わずよろめく。


「音もなく後ろを取ることができる。魔術とやらは便利じゃねえか」

「そうだね。使いこなせばなんでもできる」

「てめえはオレの速さに追いつけねえ。あと何度避けられるかな、がはは!」

「次はないんじゃないかな、高笑いしてるとこ悪いけど」

「ああん?」


 怪訝そうな声を上げたヴォラグだが、その首がぼとりと地面に落ちた。

 自分に何が起きたのかわかっていないように生首だけになったヴォラグは口を開くが、自分の首のない体に言葉も出ないようだ。

 血を噴水のように噴き出すヴォラグの体は、倒れることなく直立している。

 首の方は、驚愕に見開かれたまま動かなくなっていた。


「ふう、危なかった……」


 ヴォラグが突っ込んでくるのはわかった。

 二度も音もなく後ろを取られたのだ。

 それなりに対処はしておくものだ。

 風の鎌を後ろに飛ぶと同時に放ったら、高速で接近するヴォラグの勢いも相まってあっさりと首を切断した。

 魔術を使えるとはいえ、身体に魔力を纏う身体強化を行っているわけではない。

 不意を突かれなければ手間取る相手ではなかった。

 もしかすれば、猫ちゃんでも圧倒できたかもしれない。

 ただ、経験値の違いから後ろを取られるようなことがあれば、猫ちゃんの方が負けていただろう。


 ヴォラグは山賊の親玉であり、精神的な支柱でもあった。

 だから首のないヴォラグを見て青褪めるものや、得物を放り投げて逃げ出すものが相次いだ。

 目に見えて驚異的だった魔術師部隊も、たったひとりの子ども魔術師が打ち破っている。

 もはや山賊たちに切り札はないようで、総崩れである。


「山賊の頭目ヴォラグを赤魔導士のアルが討ち取ったぞー!」


 誰かがそんなことを言い始めた。

 言っていたのはどこに隠れていたのか、金髪の青年商人で、目が合うなり彼はにやりと笑った。

 親指を立ててサムズアップすると、クェンティンも真似して、さらにウィンクを飛ばしてくるイケメンぶりである。

 正直爆ぜればいいと思う。


 恐怖は伝播する。

 赤魔導士アルが魔術師部隊を打ち破った、山賊の頭領の首を落とした、そういったことが口々に叫ばれ、山賊はついには叫び声を上げて村から散り散りに逃げ出した。


「追え! ひとりも逃がすな!」


 腕の折れた女騎士はのろのろと立ち上がり、兵士たちに命令を飛ばしている。

 塊になった騎兵、歩兵の部隊が逃げる山賊を追って次々に血祭りに上げ始めた。

 形勢はもう揺るがぬほどに決着していた。

 これ以上自分が手を下す必要もない。

 そう思ってチェルシーのもとに向かった。

 修道女とドワーフの子どもたち、それから捕まっていた女性たちがひと塊になっていた。

 近づいていくと逆にわっと声を上げて囲まれてしまった。


「あなたはここにいる私たち全員を救ってくれた命の恩人です。あなたの正しく勇ましい行いに感謝を」

「やばいやばいやばい! 魔術師やばいコレ! 超やばい! 見て、鳥肌!」

「強いんだねー、いままでもなんかこの子すごいなーって思ってたけど、さっきの見てると人を超えてる強さだったよー。お空の雲に穴あいてるもん」

「ファビーやチェルシーが惚れるのもわからなくもない、かなあ? でもあたしはその強さは危険だと思うよ? 首をあっさり飛ばすなんてさあ」

「とっても怖かったの。でも来てくれたとき、すっごいほっとなったの」

「アタシも魔術覚えたい……強くなっていろんなことがしたい……黒魔術がいい……クク」


 ちょっと陰気な修道女さんは悪用しそうなので、治癒魔術以外は教えないでおこう。

 オルダを抱いたチェルシーは目が合うなり顔を真っ赤に染めた。

 惚れてしまったか。

 正面まで近づくと、どこか熱に浮かされたような濡れた目でじっと見つめてくる。


「わたし、本当に死ぬかと思った。オルダのこと任されたけど、ふたりとも死んじゃうかと思って……わたし、何の役にも立てないままで終わるのかなって思ったら、……うぅっ」

「いいよ、ふたりとも無事ならそれでいい」


 ふたりいっぺんに抱きしめると、周囲から黄色い声が上がった。

 「ファビーの男が寝取られたー」と叫んでるそこの尼っ子、変な言いがかりはやめなさい。

 ファビエンヌも俺の嫁である。


 挟まれたオルダが顔を上げ、じっと見つめてくる。

 赤い瞳をときどき逸らしながら。

 頭を撫でてやると心持ち逃げるように目を細めた。

 嫌われてるのだろうか?


 同時に、遅れていた治療を施してやる。

 オルダの病状は思っていたよりひどくなかった。

 チェルシーが覚えたての治癒魔術を使ってくれたのかもしれない。


 オルダの体は、いまの俺の実力では完治にまで至らない。

 せいぜいが悪化しないように、悪さをする病気の芽を摘み取るくらいだ。

 そばにずっといて治してやるのにも限界がある。

 やはり誰かの手を借りて完治させるべきだろう。


「……!」


 ずっとこうしていられたらよかったのだが、良く知った魔力の残滓を感じて、弾かれたように顔を上げた。

 本当にわずかだが、俺がその魔力の質を忘れるわけがない。


「……どうしたの?」


 突然明後日の方向を見つめだした俺を心配してか、チェルシーが問いかけてくる。


「……行かなくちゃ」

「どこに?」

「俺の師匠がすぐ近くにいる」

「師匠?」

「詳しい話はまた今度にでも」

「……本当に? また会える? どこかに行っちゃわない?」


 チェルシーは片手でオルダを抱え、空いたもう一方でローブの袖を掴んだ。

 不安に揺れる目がまっすぐに向けられる。

 そんな寂しがり屋の顔をされたら後ろ髪が引かれて辛い。


「約束するよ」


 しゃがんでいるチェルシーに顔を近づけ、額にキスする。

 黄色い声がまた上がった。

 オルダももの欲しそうな顔をしている気がしたので、前髪を掻き揚げて額にちゅっとしてやる。

 ぎゅっと閉じた目の端からほろりと涙が流れた。

 そんなに嫌か!

 閉じた目が一向に開かないのは、顔も見たくないという意思表示か!

 豆腐メンタルなので結構凹む。

 ひとり大人しくしていたミリアの額に、忘れず口づけを残すと、はにかむような笑顔を向けてきた。

 ふぅ、メンタルは回復したようだ。


「どうせ私はおばさんですもの。まだファーストキスもまだですもの……」

「ずるー」

「(*´з`)んむー」

「ショタのちゅっちゅー」

「羨ましいの……」

「いい歳して……未体験……ケケ」


 修道女たちはそれぞれの反応だが総じてもの欲しそうだ。


「他にもしてほしい子がいたらちゅーしてあげる」


 冗談で言ったのにわっと殺到してきた女たち。

 額にキスを待っているのかと思いきや、ローブを引っ張ったり脇腹をくすぐってきたり。

 誰だ、股間をごそごそいじるやつは!


「…………えっと」


 引率の修道女さんだったので、俺は見ないふりをした。(大人な対応)


 「それじゃあもう行くよ」と、まだ物足りなさそうな彼女を引き剥がす。

 結局誰ひとり額にお別れのキスしてないし。

 いじりたかっただけかよ。

 モテ気はまだ来ないようだ。


「……魔術師さん、また会えるよね?」


 銀髪を茶色に染めているミリアが健気にローブの端をぎゅっと掴んでいた。

 幼女にはモテるようだ。


「……(ぷい)」


 ドワーフのオルダさんにはすっかり嫌われましたね。

 お兄さん悲しいです……。


 彼女らに別れを告げ、俺は背を向けて走り出した。

 途中から地を蹴って空を移動する。

 振り返ると、ぽかんと驚いたような修道女たちの顔が印象に残った。

 村の方では女騎士と、どこに隠れていたのか領主弟が合流するところを目撃した。

 拷問を受けたのか、ボロボロの領主弟は寝かされたまま動かず、女騎士はこうべを垂れて肩を震わせていた。

 領主弟は死んだか……。


 ミリアに似た白銀の髪の優男が領主弟の隣に座り込んでいる。

 誰だ。

 同じように拷問を受けた後が体中にあった。

 本当に誰だ。

 ミリアとそっくりの銀髪は、鉄国の人間であることを物語っている。

 まあいいや。

 とりあえずはこの一件、落着したのではないだろうか。

 妹に会うという最大の問題は未解決だが……。



○○○○○○○○○○○○○○○○



 商都テオジア、秘密会議室――


「あんたらの首は大前提。ボクがほしいのは北との交易権だね。こちらの用意した商人にすべての交易権を譲り渡すこと。これも条件に加えておいてよ。もしこのテオジアを占領することになったら、こんな取り決めは何の意味もなくなると思うけど」


 北と聞いてフィルマークの目が鋭くなる。

 北のアイアンフッドは鉄や銀などの鉱物の産地である。

 それを一手に抱え込むことになれば、戦争を助長させることに繋がりかねない。

 いや、むしろいまのグランドーラは対外的に好戦国として認知されているから、南のアラフシュラ連邦との戦線に武器を大量投入したり、手に入れた武器で北への領土拡大を狙っていたりしても不思議ではない。


「だいたいがチェチーリオ・トレイド氏は国家に反抗的で、いまこのときも国家反逆罪で捕まってもおかしくないでしょ」

「いま手元に王令があるんですか?」

「……ないけどさあ。ウチに帰っていいなら持ってくるけど?」

「そういって王都に転移する腹積もりでしょうな」

「うるさいなあ……」


 フィルマークもジェイドには懐疑的だ。

 というかご想像の通りである。


 国家の後ろ盾で動いているなら、国に従順ではないテオジアの商人たちはさぞや目の上のたん瘤のように映ることだろう。

 それらを一掃して自分たちの思い通りになる商人を配置し直そうと考えるのも、国家という盤面で戦略的に考えればおかしなことではない。

 だからこそ国が増長しないようにチェチーリオの判断で輸入量を絞っているのだが、それが国王には不愉快に映るのだろう。

 再三鉱物の輸入量を増やすように王都から指示書が飛んできていたが、それを適当な理由で躱していたからこそ、ジェイドみたいな型破りが送られてきたのかもしれない。


「テオジアが存命で、反国勢力が駆逐されていた場合、その親玉であるフィルマークが首を括る。それだけでもまあ目的の一部は達成かな」


 その他にもジェイドは、予防線としてチェチーリオの息子であるクェンティンを別に動かして、北との交易路を開こうとしている。

 ひととは違う性癖を持つ息子だが、言われた通りのことをやるだけの男ではないだろう。

 何かやらかしてくれることを父は信じている。


「フィルマーク君は、テラディン氏の勢力が壊滅した場合に彼の死を望んでいないようですが、それでいいのですか?」


 「余計なことを言うなよ」と言わんばかりの顔になるジェイド。


「ええ、構いません。ここでの記憶が残らないのであれば、彼の死にはあまり意味がない。精々国の足を引っ張ってもらえばいいんです。生きていれば、それだけで枷になることもありますからな」

「ぼく、あんた嫌いだ」

「これはどうも。気が合ったようですな」


 ジェイドとフィルマークの仲は悪化し、殺意をバチバチぶつけ合うところまで来ている。

 チェチーリオは、この国の分水嶺がいまであることをはっきりと自覚する。


 この国に愛着はあまりないが、チェチーリオの神の俯瞰ができるのはこの外壁に囲まれた商都だけである。

 きっと商都が溜め込んだ財をそっくりそのまま国庫に突っ込む気なんだろうなあと思う。

 王都からの催告書が止むことはない。

 国王の息のかかった商人が紛れ込んでくることも多いが、そういったことはこの街に入ればチェチーリオには筒抜けなので、うまく飼い殺して焦れて王都に帰るのを待つか、不正に手を出した瞬間に捕縛するかして王都の思惑を潰してきた。


「これで結果が出揃ったわけですな」

「勝負はもう決着してるさ」

「さて、どうでしょうな」


 おっさん三人での話し合いも、そろそろ限界がきている。

 あとは結果を待つばかりだ。

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