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異世界旅行は落ち着かない  作者: 多真樹
第二部 少年時代 三章 家族捜索
147/204

第86話 ドンレミ村防衛戦Ⅵ

 じっとオルダのことをミリアは見つめていた。

 手を伸ばそうとも、離れようともしない。

 馬車にガタコトと揺られるが、その揺れの中でさえ、瞬きもせずに見つめ続けている。

 ふたりの間には何かしらの駆け引きがあるのかもしれない。

 オルダもまたじっと見返している。

 そこに言葉はひとつも挟まない。

 やがて焦れたのか、オルダがつんと目を逸らす。


「あ……」


 悲しげに声を発するミリアが気になるのか、オルダは前髪で隠れたその奥から赤い瞳でそっと見つめ直す。

 じっと見つめてくるミリアに対し、物怖じしたのかまた目を逸らす。


「あ……」


 泣きそうな声を聞いて、オルダはおずおずと目を向けることを五度ほど繰り返し、どうやらオルダが根負けしたようで、震える手をゆっくりと伸ばした。

 ミリアは枝のようなオルダの手に両手を重ね、にんまりと笑う。


 チェルシーやアルや、その他の人間に見せるような恐怖心を、いまのオルダは見せなかった。

 やっぱり通じるものがあるのかもしれない。

 オルダは痩せこけているが、だいたい五歳くらいだろう。

 ミリアもそれくらいで、同年代だから波長が合うのかもしれない。

 アルがいない間は付きっ切りで面倒を見ているのだが、そんな自分よりもミリアに気を許すとは何事だ、と思ってしまうのはわがままだろうか。


 ドワーフの言語は違うので言葉は交わせないが、それ以上のものを交信しているように見えた。

 そもそも声を出して話せないのは、言葉が通じない他に理由がある。

 外は山賊と戦闘中なのだ。

 ドンレミ村に近づくにつれより一層激しくなる戦闘行為。

 普段何も考えない能天気な修道女でさえ、これは危険に向かってるのでは? と感じ始めている。


 ミリアの扱いは修道女と同様にすると、引率から話をされた。

 特別扱いはしない。

 ということは仕事もたくさん任されるということだ。


 馬車が止まった。

 兵士の休憩の声が上がる。

 途端に最年少の修道女ふたりが天幕をこじ開けて馬車から飛び出す。

 ミリアは目を白黒させたが、チェルシーがその背をとんと叩いて、外に出るように促す。

 修道女たちは包帯や傷薬を持ち、兵士たちの間を回る。

 怪我を治療し、痛みを和らげるのが仕事だ。

 チェルシーはオルダと他の小さなドワーフの面倒を見るということで除外されているが、ミリアは小さな修道女に引っ張られ治療を手伝わされた。


 正直、戦力にはならない。

 彼女も他の修道女と同様、予備の着替えを借りて貫頭衣のような修道服を着て動き回ったが、兵士の強面に怯え、怪我の酷さを見るたびに立ち竦む始末である。


「大丈夫ですよ。落ち着いてやればできますから」

「あーもー、ミリアは下手だなあ」

「こーやるんだよー。くるくるっと巻いて、ピッと留める」

「下手でもそのうち覚えるでしょ。あんたらも最初はめっちゃ適当だったからね?」

「怖くないよー。すぐ慣れるよー」

「クク、足手まといめ。しょうがないから手を貸してやろう」


 概ね好意的にミリアを受け入れていた。

 ミリアの途中で投げ出すことなく健気に覚えようとする姿勢が好感触なのだ。

 知らないことがダメなのではない。

 知ろうとしないことがダメなのだ。

 そう言った意味では、ミリアはひたむきさは備えているようだった。


「ごはん持ってくねー。ミリアいこー」

「は、はいー……」


 治療が終わると一同は身を清め、炊き出しに参加する。

 怪我で動けない兵士を回ってご飯を届けたりするのが役目だ。

 騎士団は女騎士の下、しっかりと統制が取れているので、何か問題が起きることはなかった。

 部隊内の治安が悪いと修道女など格好の獲物だろう。

 林に引きずり込まれて酷いことをされることもある。

 と、引率の修道女が怖い話という題目で生々しく語っていたことがあるが、現状は相次ぐ山賊の襲撃で色に惑わされている場合ではない、といったところだ。


 チェルシーは言葉の通じないドワーフたちに身振り手振りで食事を伝え、昼食を配った。

 配膳が終わった修道女や働いていた女性たちが集まって大きな一団を作る。

 たとえ言葉が通じなくても、食事は賑やかだった。

 汁物と固い黒パンという食事がここのところ続いているが、食べられるだけマシだろう。

 シドレー村の地下牢ではひとり分の水を六人で分けて飲んでいたのだ。


「ほら行くぞ! 急ぐぞ! サクサク移動しろ! 閣下がお待ちだ!」


 女騎士が兵士たちの尻を叩いて回る。

 彼女が息巻くのも、敬愛する主人を助けるためと聞けば仕方ないとは思うのだが、その相手が領主弟と言われると、途端に自業自得としか思えない。

 修道院にいて世間に不慣れな修道女でも、テオジアの反面教師と言えばザック・ベルリン――領主弟を思い浮かべるのが当たり前になっている。


「あの女騎士って絶対婚期遅いよね」

「貰い手とかいないんじゃない? あのうるささだよ?」

「目覚ましにはちょうどいいかもー」

「耳が痛くなっちゃう」

「プクク……朝鳴き鳥と同列……」

「こら、あまり陰口を言ってはいけませんよ」


 同性というより、自尊心の大きさと、非戦闘員への優しくない態度が嫌悪感を抱かせる。

 戦えないなら兵士に尽くすのが当然、という目で見てくるのだ。

 腹が立つ。


 飯炊き用の荷物を貨物馬車に押し込み、自分たちの馬車にいそいそと乗り込む。

 もう先頭は出発しているらしく、何十台と連なる馬車は急かされるように野営地を発ち始めている。





 チェルシーは十四歳にして、すでに引率のシスターを上回る背丈に成長している。

 体つきは自分で貧相と形容するだけあり、肉付きは薄い。

 オルダが身じろぎをするたびに、骨がごつごつ当たってないか心配になっている。

 しかしそれは客観的な目を考慮しない、主観的な評価だ。

 チェルシーの手足はすらりと長い。

 肩にかかるくらいの長さの栗毛を後ろで束ねているので、余計にスマートさが出てしまうのかもしれない。


 無駄な肉付きはないが、決して痩せぎすというわけではない。

 女性らしい丸みはちゃんとあって雰囲気がだんだんと大人っぽくなるからか、スレンダーなモデル体型とでも言えばいいのか、一種の女性の理想へと着々と近づいて行っている。

 顔立ちも整っているほうだが、本人はリエラやファビエンヌといった年下に完敗していると思い込み、過小評価がひどい。

 笑わなければ睨んでいるように見られるらしく、「怒ってる?」と聞かれることもたまにあった。

 もちろん本人は怒っていない。

 目元が涼しげで、キリッとした顔立ちをしているせいだ。

 実は引率のシスターより大人びたように見えるが、本人にその自覚はない。


 ドンレミ村は目と鼻の先になっていた。

 突然、腕の中に収まっていたオルダが突然もぞもぞと動き出した。

 それでもチェルシーの腕を払うほどの力は入らない。

 自力で立ち上がる力もないのだ。

 誰かの手を借りていないと生きていけないこの少女をアルが放っておけずに目を掛ける理由もわかる。

 トイレに行きたいのかと思って抱き上げようとしたが、チェルシーの腕を押し返そうとしている。

 いつもなら大人しくしているのに、こんなに拒まれたのはオルダが目覚めたばかりのとき以来だ。


「どうしたの? なにかしたいことでもあるの?」


 黒い前髪に隠れた目を覗き込む。

 瞳は赤く、その瞳を見られることをオルダは極端に嫌がった。

 たぶん、同じ種族のドワーフと同じ色の瞳ではないことが原因だと思う。

 オルダはぷいっと顔を背け、それでもくいくいと腕を押し返そうとするのをやめようとしない。


「?」


 ミリアが可愛く小首を傾げているが、オルダは彼女にも見向きもしない。

 チェルシーの視線から逃れると、誰かを探すようにきょろきょろと目を動かしている。

 首を支えてやると、なんとか動かして辺りを見渡した。

 馬車の中には、修道院の仲間六人とドワーフの子ども四人と、数名の女性しかいない。


「……くぅ」


 オルダが初めて声を発した。

 それは仔猫が親猫を呼ぶような寂しさを感じさせる声で、チェルシーはなんだか胸を掻き毟られるようなもどかしさを感じた。

 この子はアルを探してる?

 女の直感とでも言えばいいのか、不思議と感じ取った。


 この小さなドワーフの子はきっとわかっている。

 自分を守ってくれるのが誰か。

 きっと彼女の世界は敵しかいなくて、、そんな孤独な中で唯一自分を助けてくれる存在が小さな魔術師なのだ。

 そんなのずるいと思う。

 チェルシーだってオルダを助けたいと思う心は負けてないはず。


 しかし自分でも力が伴っていないのは自覚していた。

 アルのように魔術を器用に使えないし、折角覚えた治癒魔術にしろ、一回使ってガス欠なのだから。


「わたしって本当は誰かのために必死になれないのかな……」


 オルダを見ていて思う。

 きっと誰の腕の中がいちばん安心できるか幼いながらも知っているのだ。


「なんだかチェルシーが落ち込んでいるように見えます……ひそひそ」

「脳内でアルくんに迫って拒否られたんじゃない? ほら、チェルシーって思い込み激しいから……ひそひそ」

「初恋は実らないって言うしねー……ひそひそ」

「いつの間に振られたの? それも脳内妄想? ……ひそひそ」

「でもチェルシーが落ち込んでると悲しいよ。どうにか元気にしてあげられないかな……ひそひそ」

「クク、チェルシーはいつも自己嫌悪する。そこがアホ可愛い……ひそひそ」


「もうひそひそうるさいよ!」


 いつもの修道女たちの悪ノリである。

 ミリアだけがきょとんとして付いていけないようだ。

 うん、君はそのままでいいよ、と思う。

 どうか擦れないまま純真なまま成長していってほしいと思う。


 もぞもぞ動くオルダをなんとか抱き留めていると、馬車が急に止まった。

 外が騒がしくなったのでまた山賊かなと思い始めたところに、馬車の幕がいきなり開かれる。


「速やかに全員降りろ! 事態は刻一刻を争う!」


 強面の兵士が低く圧迫するような声に、力のない女たちは逆らえるはずもなく、言われた通り馬車を降りた。

 そして兵隊に促されて馬車の前まで移動させられる。

 そこには助け出された丸腰の人たちが全員集められていた。


「全員並べ! 足並みを乱すな!」


 兵士が叫ぶ。

 怖がって動かないものには槍を突き付けてくる。


「大丈夫。わたしたちがついています」

「…………」


 怯えるミリアの肩を後ろから優しく包み込み、引率のシスターが不安を和らげようとしている。

 この中でいちばん恐怖しているのはミリアだったのだ。

 その次に人間語がわからないドワーフの子どもたちが不安そうにしているのを、他の修道女たちが傍にいて落ち着かせている。


「こんな仕打ち酷いじゃないか。いったい何をするつもりなんだ」


 少し離れたところで、さっきの金髪青年が兵士に詰め寄っていた。

 皆の代弁者となった商人の青年だが、兵士がその男を突き飛ばした。

 そして馬乗りになるなり、その整った顔面を手甲で固めた拳で幾度も殴る。

 修道女仲間や女たちは、兵士の暴行に悲鳴を上げた。


「貴様らは閣下をお救いするための兵となるのだ! 命を捧げろ!」


 兵士は冗談みたいなことを声高に叫んでいる。

 目が血走り、まともな人間の顔ではない。

 兵士は立ち上がると、ボロボロになった青年を引っ張って起こした。

 顔が血だらけになり、足をふらつかせながら、青年は立ち上がる。


「……責任者を呼べ」

「オレがおまえらの命を預かる責任者だよ。その指示に従え!」


 青年の体を槍でつつき、追い立てる。

 納得していない顔だが、青年は無理やり歩かされる。

 そして冗談ではない鋭い穂先は、丸腰のチェルシーたちにも向けられていた。


「閣下とやらが死んじゃうと近衛兵全員がいまの地位にいられないから、なりふり構ってられない行動を取るかも……とアル君が言っておりました」

「特に女騎士は忠誠心が馬鹿みたいに高いから、閣下とやらが追い詰められれば狂ったようなことをしでかすかもしれないって……アルが」

「そのときは逃げたほうがいいともアルちゃん言ってた」

「でももう遅いかなあ。だってアルっちいないもん」

「アルおにいさん、どこに行っちゃったの?」

「クク、こういうときに助けにこないとか、役に立たないチビ魔術師……」


 仲間たちもどこか不安を隠せないでいる。

 荒事専門のアルがいないという事実が重くのしかかっている。

 信頼できると思っていた兵士たちが我が身可愛さに弱者を脅すような連中で、頼みの魔術師もいない。


 チェルシーたちは逃げることなどできずに歩かされる。

 女の人が泣きながら歩いている。

 自分たちは囚われから解放されたのではないのかと。

 いつまで私は貶められなければならないのかと。

 彼女の言葉はこの場にいる理不尽を強いられている全員の声だった。


「うるさい黙れ!」


 兵士が振るった槍が泣いている彼女の胸元に突き刺さり、涙は血しぶきに変わった。

 みんなの声は槍のひと突きで黙らされてしまうほどに弱いものであった。

 慌てて瞬発力のあるふたりの修道女が駆け寄り、治癒魔術をかける。


「列に戻れ!」

「無力な人間を刺して楽しいのかー!」

「よわいものいじめ!」

「なんだと!」


 兵士が槍を向けてくるが、修道女の使う治癒魔術を見て、突き刺すのを躊躇ったようだ。

 治癒魔術は稀少で、殺すのが惜しいと思われたのだと思う。

 ひとりが止血をし、もうひとりが治癒魔術をかけたが、甲斐なく女は助からなかった。

 心臓をぶすり、だったのだ。

 虚空を見上げる生気のない女の目が、なぜか槍のように胸に突き刺さった。


 ドワーフの子どもたちも、ひとの死を見て震えている。

 慌てて修道女が子どもたちの目を覆った。

 槍が来ない代わりに兵士に蹴飛ばされて、地面に這いつくばりながらふたりは逃げ帰ってくる。


「魔獄へ落ちろ、クソ兵士!」

「命をなんだと思ってるんだ、産んでくれたママと女神に謝れ!」


 中指を立てたり舌を出したりして、兵士に見えないように鬱憤を吐き出すふたり。

 さすがに修道女として行儀が悪いので見かねた引率のシスターが叱るが、気持ちは同じだっただろう、兵士をきつく睨む。


「やめろ! 無闇に戦えぬものを攻撃するな!」


 女騎士が駆けながら怒鳴って回っていた。

 それまで兵士は愉悦さえ浮かべていたが、女騎士にぎろりと睨まれると、直立して顔を強張らせた。

 武器を持たぬものたちは、ようやく安堵した。


「みな聞いてくれ! ドンレミ村はいまや山賊の手に落ちた!」


 女騎士の大声に、動揺は広がる。

 まさかテオジアに近く、それなりに大きなドンレミ村が落とされるとは夢にも思わない。


「いまだ奮戦している領軍に合流するため、背中を他国軍に突かれる恐怖と戦いながらも我々は急いできた。いまは一刻も早く閣下の下へ馳せ参じ、旗印の下に兵力を結集せねばならない! そのためにはみなの力を貸してほしい!」


 女騎士の心からの訴えは、戦えないものたちの心にも波及する。

 ドンレミ村を山賊の手から取り戻すのは当たり前のことだ。

 遅かれ早かれテオジアから山賊討伐の軍が編成されることを見越して、南からテオジア軍、北から領主弟軍が挟撃の配置を取るのは自然に思えた。


「ドンレミ村の窮状を私たちでなんとかするんですね。力になれるでしょうか?」

「シスター、騙されないで。あれは茶番だから」

「ちゃばん?」

「部下に暴力を振るわせて、上官が圧倒的な権力を振りかざしてそれを止めるでしょ? 上官凄い。みんな信じる」

「なるほどー」

「クク、アルが言ってた……」

「ろくな話をしないわよね、アルって……」


 チェルシーは肩の力が抜けるかと思うくらいのため息を吐く。

 小声でひそひそと話していたが、兵士が近づいてきたので皆黙り込んだ。


「なにやら声が聞こえたが?」


 兵士がぎろりと睨んでくる。

 修道女はみんなとぼけた顔をして目を逸らした。


「で、逃げられる?」

「できたらもうやってる」

「ですよねー」


 結局、女騎士の腹の内が読めても、チェルシーたちに行動を起こす力はない。





 そのまま歩かされることしばし。

 整備された街道を行くと、ドンレミ村が遠くに見えてきた。

 山賊たちはずらりと並んでお出迎えである。

 人数差は圧倒的にこちらの劣勢。

 こっちは兵士が五十人に足らず、非戦闘員が五十人ほど。

 パッと見た限りでも向こうは三百以上の攻撃的な武器を持った方々が犇めいている。


 村の手前にわたしたちは立たされた。

 無力な人たちを並ばせて何をしようというのか。

 地面に吸われた血の痕や、散乱する武器らしきものが生々しい。

 抉れた壁や地面が争いの跡を彷彿とさせる。


「ひっ」


 囚われたひとの中から小さく悲鳴のようなものが上がった。

 チェルシーは彼女らが向いているほうを見て、言葉を失くしてしまった。

 そこに積み上げられた死体の山は、ゆうに村の屋根を越えてしまっている。

 そしてそこから漂う悪臭が風に乗ってやってくると、不快感が一気に増してくる。


「お、おぇ……」


 吐き出す子まで出てしまった。

 それほどまでに衝撃的なものだ。

 ひとがまるでガラクタかゴミのように積まれているのだ。

 神様がこんな状況を許すはずもない。

 こんな酷いことを平気でできる悪魔のような人間に天罰よ下れと思う。


「さあ、進むのだ諸君! 敵を討ち滅ぼすために奴らの目を引きつけろ!」


 女騎士が騎乗した状態で叫んでいる。

 ずらっと並んだ騎兵。

 彼女はチェルシーたちの後ろに陣取り、無手のものの犠牲の上で敵を踏み殺すために準備を整えている。

 矢面に立たされている。

 ドンレミ村を救出する人柱になれということだ。

 ハハ、魔獄へ堕ちろ、と内心で悪態を吐いた。


 山賊が、怒号を上げて押し寄せてくる。

 それは雪崩にも似て、小さい人間では抗い様のない迫力を伴っていた。

 チェルシーたちは恐怖に震え、中には座り込み失禁してしまう子もいた。

 オルダを抱き締める腕に力を籠めるが、足ががくがくしていまにも倒れてしまいそうだ。


 あと幾ばくも無く殺され蹂躙される。

 そんな未来が脳裏をよぎった。

 逃げれば後ろの女騎士たちに突き殺される。

 実際、背中を見せて逃げようとした女が串刺しにされた。


 チェルシーはオルダを腕の中に隠すようにして、山賊に背を向けてしゃがみこんだ。

 数秒後に訪れる恐怖から、せめてオルダだけは守りたかった。

 アルから託されたドワーフの少女。

 もしオルダが助かってもひとりでは生きられないかもしれない。

 それでも自分の命の分も生き延びてほしい。

 そう願ってオルダの体をきつく抱き締める。


 こんなときなのに、チェルシーは昔のことを思い出していた。

 母とふたりで街で暮らした貧しくも暖かな日々。

 父親の存在がぽっかりと抜けた母娘ふたりの日常。

 チェルシーが幼かった頃の記憶だ――。


 母は朝から晩まで食堂で働き、チェルシーは近所に住んでいた老婦人から読み書きや算術を学んだ。

 そんな満ち足りた生活に、ひとつの暗雲があった。

 たまに家にやってくる太った男を、チェルシーはただ恐れた。

 ベッドの上で裸になって美しい母を組み敷き、ときに乱暴を働いていた男の後ろ姿。

 肩や背中、お腹周りに肉だぶつかせる醜いからだを、いまでも鮮明に思い出せる。

 商人の身なりをしており、テオジアでもそれなりに富を持つ豪商だった。

 奴隷を連れた横柄な態度が印象に残っている。

 それが父親だということを老夫人から遠回しに聞いたときの絶望は、筆舌に尽くしがたい。

 なぜあの美しい母が、と思った。

 いまならわかる。

 無理やりに犯され、孕まされたのだ。

 生まれてきたチェルシーを認知せず、ときどき抱きにくるだけの存在としか母を見ていない。


 母は極力チェルシーをその男に会わせないように、家から出したり、老婦人のところに行かせたりしていた。

 母が病に臥せったとき、一度も見舞いに来なかった薄情な父親。

 チェルシーも倒れて、親切な老婦人が看病してくれる日が続いた。

 父親はあろうことか、臥せっている母に対し、病気を移されては敵わんと踝を返したのを夢うつつに聞いた。

 母が息を引き取ったのは翌朝だった。

 代わりにチェルシーは病の峠を越えて、熱が引き始めていたときだった。

 母から命を吸い上げ、自分は生き残ったのだと悔恨に襲われた。

 狂ったように泣き喚き、同時に助けようとしなかった父親を呪った。


 そのときはきっと正気でいられなかったと思う。

 気が付いたときには老婦人はおらず、修道院で看病を受けていた。

 そこで暮らすことを父親の代理の男に命じられ、チェルシーは悲しくなった。

 まだ七歳のときだ。

 母の遺品を何ひとつ持ってこれないまま、修道院での生活が始まった。


 一度修道院の外に出る機会があった。

 奉仕活動の一環である。

 チェルシーは監視の目を盗んで、母と暮らした部屋へと走って向かった。

 そこで目にしたのは、別の人間がすでに住み着き、思い出のものが何ひとつ残っていなかったという事実。

 老夫人を頼ろうとしたが、彼女もまた自分たち親子がいなくなってしばらくして、忽然と姿を消したそうだ。

 チェルシーは悔しさで胸がいっぱいになって、その場で泣き喚いた。

 修道女が迎えに来て、ぐずぐずと泣き続けるチェルシーを介抱した。


 自分なんか壊れてしまえばいい。

 あの卑怯な豚男に天罰を与えてくれないなら、チェルシーは自分が死んで悪魔になってから罰を与えてやるとも思った。

 憎悪に焼け焦げ、やけっぱちになっていたチェルシーだったが、修道院の人たちは優しく接してくれた。

 周りを見れば自分と似たような境遇などざらにあった。

 あの優しいリエラだって、両親の顔を覚えていないばかりか、大切な兄とも離れ離れになって神様に向かって毎日一心に兄の無事を祈っている。


 自分の傷ばかりが深いわけではないと気づいてから、ようやく心に平穏が生まれた。

 そうしてわたしは十四になった。

 十五で修道院を出る許可が貰える。

 チェルシーの父親は自分という存在をなかったものにしたいらしく、できればずっと修道院に押し込んでいたいようだ。

 しかし関わらないというのであればどこへ行こうと野垂れ死のうと構わないといった手紙を寄越してきた。

 つい先日のことだ。


 その手紙を運んできたのはなんと近所に住んでいた老婦人で、チェルシーはすべてを察した。

 父親は母と娘の監視に老婦人を雇っていたのだ。

 それが優しさからきたものなのか、自分に不利にならないようにとの理由なのかはわからない。

 わかろうとも思わない。

 親切だった老婦人は金をもらって面倒を見ていた。

 商人らしい男のやりそうなことである。

 だが、吹っ切れるものがあった。

 チェルシーもまた、さばさばとした性格だった。


 二度と父親に関わらないと返事をすると、チェルシー宛ての手紙をその場で燃やしてしまった。

 チェルシーはあと数か月で自由な選択肢を得る。

 しかし自由とは決して楽な道のことではない。

 誰の助けもないところから始めるのは、並大抵の苦労ではない。

 無力だが、わずかなりとも未来に希望を抱いていた。

 そんなちっぽけな自分。


 目の前にいるのは動けないオルダ。

 ささやかな未来への展望を捨てて、チェルシーはオルダを守る。

 せめてオルダの代わりに槍を受けて死のう。

 そう思った。

 そう、覚悟を決めることができた。

 一度腹をくくってしまえば、もう何も怖くなかった。

 ぎゅっと目を閉じて、暗闇の中でその瞬間を待つ。

 肉を裂き、骨を砕く必殺の暴力を。


 しかしいつまで経っても、槍はチェルシーの体を貫くことはなかった。

 悲鳴が聞こえてくるが、それは仲間の修道女の声ではなかった。

 野太く、野卑な男の声だ。

 吐き捨てるような下品な言葉も混じっている。


 薄っすらと目を見開き、チェルシーは迫りくるはずの山賊たちを振り返った。

 見えたのは、青い炎が揺らめき立ち、男たちが踊り狂ったように炎の中を駆けずり回っている姿だった。

 惨憺たるや悲鳴と熱風がこちらにまで及んでいる。

 踊るような青い炎を、チェルシーは一瞬「きれいだ」と思った。

 こんな炎の色はいままで見たことがない。

 そしてチェルシーの前に、すとんと小柄なシルエットが舞い降りた。

 青い炎に照らされてローブをはためかせる――小さな魔術師。


「遅れてごめん。でも間に合ってよかった」

「あぁ……」


 ドクンと胸が高鳴る。

 チェルシーの脊髄に甘い痺れが走る。

 全身に鳥肌が立ち、涙がじわりと滲んできてしまった。


 勝手にオルダを押し付けてどこかへ行って、おまえ身勝手だ、と言ってやろうと思っていた。

 小さいくせになんでも知ったような顔をして、リエラに似ず生意気だと思っていた。

 燃えるような赤毛のリエラに比べ、ぬかるみのような地味な髪色だなと悪口を言ってやろうと思っていた。

 だけどそんな悪態が全部吹き飛んで、残ったのは純粋な感情だけだ。

 年下なんて関係ない。

 チェルシーの嫌いな醜く脂が乗った背中ではない。

 小さいくせに、なぜかとても安心できる背中。


「あぁ……もう、遅いよぉ……」


 チェルシーは膝を突いたまま、ぼろぼろと泣いた。

 腕の中のオルダがぶるっと震える。

 チェルシーの顔をじっと見上げ、見つめてくる。

 恥ずかしいけど止まらない。

 泣きたくないのに泣いてしまう。


「いやー、ごめん。チェルシーにはいろいろ押し付けちゃって。その分、これから帳消しにするから安心してよ」


 誤魔化すように苦笑するその顔すら、チェルシーの胸をときめかせた。

 押し寄せる山賊に向かって、少年はただひとり波に逆らうように駆け出していた。



○○○○○○○○○○○○○○○○



 夜、リエラはミィナやマルケッタに挟まれて眠っていた。

 ふたりは体温が高く、まだ冬の名残を残す夜気にはとてもありがたい。

 リエラは冷え性だった。


 リエラはたまに悪夢を見ることがある。

 夜中、わけもわからず襲い掛かられる夢だ。

 ありていに暗殺者に狙われる夢だった。

 間違っても夜這いとかではないのだが、その恐怖たるや、夜の怖さを表したかのような、闇からゆっくりと染み出してくるようなおぞましさが伴っていた。


 リエラはむかしのことをよく覚えていない。

 両親のことも、うろ覚えの中にしかなかった。

 声も顔も思い出せない。

 物心ついた頃から、兄が父であり母であり、リエラの保護者だった。

 それでもぼんやりと覚えているのは、とても大きな屋敷に住んでいた記憶だ。

 しんと静まった廊下を駆ける断片的な記憶。

 恐らく母に抱かれ、夜の街を走る記憶。

 兄は何も話してくれなかったけど、きっとそれが兄妹の転換期だったのは間違いない。


「いたっ!」


 そんな中痛みで目が覚めた。

 夜襲で刺されたかも、なんて思って飛び起きると、なんてことはない、ミィナの裏拳が鼻に直撃して鼻柱がヒリヒリするだけだった。

 それでも耳を澄ますと、夜襲の気配はあった。

 遠くなようで、そこまで距離はないだろう。

 怒声を上げる山賊に防備を固めた村人たちが対応しているはずだ。

 いまではもう慣れてしまった。


「……もうミィナはー、寝相が悪すぎだよ」

「くかー……」

「すーすー……」


 ここに襲ってくることはないと思う。

 ミィナとマルケッタが起きる気配が微塵もないからだ。

 ミィナはだらしなくお腹を出してでろーんと寝ており、マルケッタは馬の体を横倒しにして丸くなってすやすや寝入っている。

 こんなふたりだが、本能的な感覚は優れているので、身の危険となればいのいちばんに飛び起きるはずだ。


 雑魚寝している部屋にはニキータやベルタ、ほかに家を失った女性や子どもの姿もある。

 きょろきょろと当たりを見回すが、ファビエンヌの姿だけがない。

 外はまだ真夜中である。

 いつもなら隣で寝ているはずの親友がいないと、なんだか不安になるものだ。

 これから寝直すのもなんだか眠気が飛んでしまって難しそうなので、リエラはふたりに毛布を掛け直すとぐっと伸びて起き上がった。


 こんな時間まで患者の治療を行っているのだと思うと、なんだか申し訳ない気持ちになる。

 ふたりを起こさないようにこっそりと部屋を抜け出た。

 闇夜の中、記憶を頼りに治療室へと向かうが、そこには誰もいなかった。

 ではファビエンヌはどこへ?

 治療室にいないということは、メーテルのところだろうか。

 優しくしてくれた彼女は最近塞ぎ込んでおり、話に聞くと山賊に襲われた集落に子どもを残していたのだとか。

 それは不安でいっぱいになるだろう。

 メーテルが落ち込んでいるのを見て少しでも元気づけようとしているのだと思う。


 暗がりの中にいくつも焚かれた篝火。

 真夜中だというのに歩き回るひとの数は多い。

 ただ昼間と違って心の余裕はなさそうなので、わざわざ近づきたくはない。


 本部からそう遠くない宿屋の建物の二階。

 宿の主人は殺されており、いまは宿を持たない人間の溜まり場となっている。

 サリアとメーテルもこの宿の一室を占有しているが、サリアがこの部屋に戻って眠っている姿を見たことがない。

 そもそもサリアが目を閉じているところを見たことがないというのも、彼女の警戒心の表れかもしれない。

 昼間、どこを探してもいないときがあるから、屋根の上でじっと体を休めていることも考えられた。


 メーテルの部屋の前に、案の定ファビエンヌはいた。

 しかしなぜか部屋には入らず、部屋に耳を当てて聞き耳を立てている様子だ。

 声を出そうとして、先にファビエンヌの方が慌てたように口元に指を置いたので、リエラは掛ける言葉を呑み込んだ。

 傍に寄って行って小声で尋ねる。


「ファビー、何してるの?」

「いまこの部屋にあの怪しい仮面のふたりがいるの。なんだかメーテルとサリアの知り合いっぽいから、ちょっと気になって。というか一番気になるのがなんであんなダサい仮面を付けているかってことなんだけど」

「バレたら怒られないかなあ?」

「大丈夫。周囲の音や匂いが消えるように風魔術を使ってるから」

「なんだかファビー、お兄ちゃんみたいになってるよ」

「変態のアリィ譲りね」


 器用なファビエンヌらしく、確かに彼女の周囲には風の魔力を感じる。

 でもこれって魔力を感じ取れるひとにはバレバレじゃないのかなあ? と思わないでもない。


『……拠点のことはこれから調べることにするよ。そう気落ちするな。おまえの息子たちじゃないか。頭の回る子たちだ、危険とわかったらすぐに安全なところに逃げ込むさ。元気になって迎えにいってやろう』


 リエラもなんだかんだ言ってファビエンヌの真似をし、扉に耳を当てる。

 男のひとの声が聞こえてくる。

 なんだか胸がざわざわする声だった。

 その意味を考えても、リエラにはわからない。

 ファビエンヌは聞き取りに集中していて、違和感はまったく感じていないようだし。


『拠点のこともそうだけど、わたしはアスヌのことも気がかりだわ。ひとりで向こうに行くなんて何を考えているのかしら』

『自分が行けばこの戦いは終わるって思ったんだろ。自分に酔ってるに一票』

『ジャン、ふざけないで』

『そうでもないわ。案外自分が内側からなんとかしてやろうと思っていたのかも。私は頼りにならないし、サリアも傷ついて動けないし……』

『結局領主弟は山賊に操られていただけじゃったみたいじゃし、アスヌでは何の解決にもならないどころか、こちらの大事な切り札をまんまと敵さんに送ることになってしまったのう』

『拠点の生き残りを捜索することと、アスヌの奪還と、領主弟と山賊頭の殺害……これ一度にやるとか無理ぃぃ』


 中から聞こえてくる声は全部で五人分。

 いつもの覇気がないメーテルと、仮面を付けた夫婦、青年と老人の声。

 彼らがこの国をひっくり返してやろうと思っている集団なのだと、リエラは治療のときに患者から恨み節とともに伝え聞いていた。

 国を相手にするということは悪いひとたちなのか。

 でもメーテルはとても優しくしてくれた。

 悪いのはどう考えても山賊たちだし、その前に村長と息子夫婦を殺害した領主弟の軍もひどいことをしている。

 彼らは村を守ろうと動いてくれているのだが、村人からしたら何も悪くない村を無理やり巻き込んだ迷惑な連中という目で、あるいは大事なひとを失くし、おまえらがいなければ、という目で見ているのはわかった。


『ともかく俺とロブロ爺は山賊頭と領主弟を探し出して仕留める。トロットとフランベルはアスヌの救出。メーテル、サリア、セラは方位突破に参加してテオジアへ向かうこと。あとは――』

『いやよ。わたしはジャンと一緒にいるわ』

『おい、こんなとこで駄々をこねて――』


 なんだか盛り上がってきた部屋の中。

 しかしリエラとファビエンヌのふたりは、身動きできず固まっていた。

 ひやりとするナイフが首元に突きつけられている。


「動かないでください。これ以上先は聞いても犬も食わないやつですので、子どもには悪影響です。そう、耳を離してしっかり立ってください」


 いつの間に忍び寄っていたのか、何の気配も感じさせずふたりの背後に冷たい声の女性が立っていた。

 両手にナイフを持ち、ふたりの首にナイフの腹を押し当てている。

 ゾッとする冷たさに鳥肌が立った。


「こんな時間までウロウロして、女の子ふたりで何をしているんですか?」

「め、メーテルの具合を見に来たら中で話し声が聞こえたのよ。連中の噂を聞いてるから、中に入ろうにも入れないじゃない」


 ファビエンヌは気丈に返している。

 リエラは震えるだけで言葉がうまく出てこない。


「はい、それは承知しています。建物に近づいてきた辺りからずっと監視していましたので」

「ならなんで聞いたのよ」

「子どもとおしゃべりするのが好きなので」

「……は?」


 冗談とも本気とも取れる心の籠らない口調だった。

 案外嘘はないのかもしれない。


「今日はもうお引き取りを。メーテルのことは我々に任せてください。彼女に必要な治療は、あなたがたには難しいですから」

「……むぅ」


 ファビエンヌはあからさまにむくれていた。

 おまえらには治せないと言い切られて、プライドが少しだけ傷ついた様子だ。

 しかし、それもまた事実だろう。

 修道女のふたりに、傷心を治すまでの力はない。


 なぜかぽんぽんと頭を撫でられ、外まで送られた。

 子どもとおしゃべりするのが好きと言っていたが、あながち冗談ではないのかも。

 振り返るともうそこには誰もいない。

 顔も見ていない。

 ただひんやりとした存在感はあった。

 匂いもなく、熱量もないが、確かに後ろにいた。

 篝火くらいしか明かりがない中で早々見えるわけでもないが、それでも顔を見てみたかった。

 撫でた手はとても優しかったのだ。


「それにしてもわたしたちどうなるのかしらね?」

「どうって?」

「話聞いてたでしょ? 明日この村を捨てて攻撃に転じるってこと」

「難しくてよくわかんなかったよ」

「もう。でもリエラにはまだ難しかったかもね。だから……この村を捨てるってことは、わたしたちも動かなきゃいけないってことだよ。戦場を無理やり突破するんだと思う。それからテオジアまで急いで逃げるんだと思う」

「走るのに自信ないよ……」

「そこは馬車に乗せてもらうしかないかな。わたしらこの村ですごいがんばってるもんね。『聖女様ー』なんて呼ばれるくらいだし、きっと馬車に乗せてもらえるくらいの待遇はあって当然よね」


 ふんすと自信満々に言い切る姿がなぜかミィナと重なって、リエラはおかしくなって笑った。


「そのときはミィナもマルケッタも、ニキータさんもベルタさんも、それからサリアさんもメーテルさんも一緒だよね」

「うーん、どうだろ? メーテルさんはあっち側だしな。サリアもあっちだとしたら、ここでお別れなんてこともあるかも」

「ちょっと寂しいね」

「明日生き残れたらその寂しいって気持ちも残るんだろうけど、死んじゃったら何も残らないからなー」


 死んじゃったら何も残らない――ファビエンヌは何気なく呟いた言葉だが、リエラの心を大きく揺さぶった。

 死ぬのは怖い。

 誰も死んでほしくない。

 リエラの治癒魔術では、死んでしまった人間は生き返せない。

 それに、体のどこかを失くしたひとも癒せない。

 ここが限界ではないはずなのだ。

 まだ、もっと治癒魔術は鍛えられるはず……。


 寝床に戻るとミィナが寝ぼけまなこで起きていた。

 リエラとファビエンヌを確認すると、目をごしごしと擦りながら抱き付いてくる。

 ふたりでミィナを受け止め、一緒に寝転がった。


「ややー」


 マルケッタも自分を忘れないで、とばかりに寄り添い、四人でくっついて眠った。

 温かい。

 ――命の温もりなのだ。

 リエラはひとり、静かに身を震わせた。





 翌朝は日の出とともに慌ただしくなった。

 作戦は朝のうちにすべてのものに行き渡り、正面攻撃に参加して命を散らすか、後方の包囲網を突破して一心不乱にテオジアを目指すかの二択を急遽選ばされたのである。


 リエラたちはもちろん逃げるほうを選んだ。

 チェルシーたち他の修道女と合流するには、やはり修道院で待っていた方がいい。

 もしかしたらすでにみんな戻っているかもしれなくて、リエラとファビエンヌは最後の到着になっているかもしれない。

 外見がエルフのニキータは元々テオジアに向かい、主人を救出するための応援を呼ぶはずだったのだ。

 ノシオの母ベルタも、テオジアへ救援に走った息子と商都で合流して、そのままテオジアに住むつもりらしい。


 夜襲に備えて警備していたものたちも、寝る間を惜しんで準備に取り掛かっている。

 かき集めてきた食糧や必需品を馬車に詰め込む作業だ。

 女や子どもも手伝えるものはすべて動き、バケツをひっくり返したような騒ぎになっている。

 そんな中、リエラたちもニキータが馭者をする馬車に便乗した。


「この馬車も元々はアル君の持ち物ですから、その妹さんが乗るというのも不思議な縁ですね」


 馬車は確保。

 食糧も積んである。

 ミィナとマルケッタもどこかへ遊びに行かず、ファビエンヌがしっかり手綱を握っている。

 リエラは空いた時間で治療院を開き、青空の下で最後の治療を行う。

 治療に来るのはほとんどこれから死地に赴くひとたち。

 工人の徒弟たちでかたまって酒樽を割り、悔いのないように、気付けに木のジョッキを煽っているのが見えた。

 泣いて別れを惜しむ家族、ひとり隅に座り込みぶつぶつと呟いている青年、長い長い口づけを交わす恋人。

 激動の一日の始まりを告げたのは、宣告もない一発の火球であった。


 広場の中央に落ちた火の塊は、地面に触れるなり水が溢れるように周りのものを火で呑み込んだ。

 怒り狂った工人たち、悲鳴を上げる家族、燃えてのた打ち回る青年、抱き合ったまま吹き飛ばされ、木の杭に貫かれて同時に死ぬ恋人同士。


「リエラ!」


 ファビエンヌがマルケッタに乗って駆けてくる。

 ミィナも横を並走しており、「リエラを連れて馬車へ!」とファビエンヌが指示を飛ばすと、「にゃー!」と一声、リエラをひょいと肩に担いで駆け出した。

 火が移った建物から離れ、逃げ惑うひとの間を縫って走る。


 どうやら正面から突然攻撃が仕掛けられたようだ。

 いままで魔術師の攻撃はなかっただけに、この奇襲の被害は想像を超える。

 戦闘態勢の整わないまま、手に武器を持ったものたちが正面の攻防に身を投じていく。


 正面攻撃に参加するものたちは、怒声を上げてリエラたちとは反対方向へ向かっている。

 その中に仮面の夫婦を見つけた。

 老人と青年、それから小柄な女性、あとメーテルにサリア。

 七人が揃って向かっている。


 リエラはその中でも、仮面の女性に強烈に視線を奪われた。

 真っ赤な髪を仮面の後ろから波打たせている。

 凛々しさもさることながら、立ち姿に物凄い既視感を覚えた。

 もしかして、いやまさか……と、喉元まで出かかっているのに出てこないもどかしさがある。


「リエラ! 急いで!」


 ファビエンヌはすでに馬車に飛び乗っていた。

 マルケッタは昨日工房から持ってきた防具を身に纏い、ミィナもニキータに手伝ってもらって小さな皮鎧を着込んでいる。

 ふたりは包囲網を突破するときの最大戦力である。

 戦えないリエラやファビエンヌは、馬車の中で大人しくしているしかなかった。

 振り返ると、仮面の女性や他の面々は見えなくなっていた。


 ファビエンヌの手を掴み、幌馬車に乗り込む。

 準備を終えたマルケッタとミィナが、自分の格好をそわそわと確認している。


「勇ましいですよ、十分に」


 ニキータに言われ、ふたりは嬉しそうに笑った。

 ミィナがぴょんと跳ねてマルケッタの背に飛び乗った。

 まるでそこが定位置と言わんばかりに、鐙を付けたマルケッタの馬体に跨るミィナは本当に勇ましかった。


「死なないでよ、ふたりとも。それだけは守って」

「怪我したらレーラとハビーが(にゃお)してくれるにゃ?」

「そりゃ治すわよ。だって大事な友だちなんだから」

「ややー!」


 マルケッタは喜び勇んでその場でくるくる回り、ミィナを振り回す。

 まるで犬に跨る子ザルのようである。

 ようやく落ち着くと、「行くにゃ!」の合図でマルケッタは駆け出す。

 二メートル以上ある防御壁を軽々と飛び越えて、その先で山賊たちの悲鳴を上げさせていた。


 気になるのは、やはり仮面の女性。

 もう会えないのだろうか。

 会いたいのか、あまり会いたくないのか、自分でもわからない。


「オラテメエら! 気張れよ! 猫と馬の嬢ちゃんが頑張ってんだ!」

「おう!」


 それよりもいま考えなければいけないのは、防御壁の先に進むこと。

 男たちが防御壁に積んだ家財を除けていた。

 ミィナとマルケッタが暴れている間に道を確保しようとしているのだ。

 やがて道は開通する。

 ひとが通れるくらいに広がったところから、戦闘部隊が飛び出していく。

 道の確保が最優先なのだ。

 ここからが踏ん張りどころだった。





 ミィナとマルケッタが圧倒的な力量差で戦っている姿を幌馬車から顔を覗かせながら見ていたリエラは、なるほどと納得がいったように感心した。

 「危ないよ」とファビエンヌが引っ張るが、彼女も同じように馬車の幕をめくってミィナの勇姿を眺めている。


 ふたりの身体には魔力が流れている。

 それはふたりの持つ武器にも流れて表面を覆っていた。

 周りの山賊は魔力を纏わない生身だ。

 ふたりの魔力を纏った武器は、生身をあっさりと断ち切っている。

 山賊の中には強い魔力を持っているものもいたが、ミィナたちはそういった厄介な山賊を狙って倒している様子だった。

 ふたりにも魔力感知は備わっているのだろう。


 リエラは自分の手を見た。

 治療の際に必ず手には魔力が流れる。

 患者の身体を見て、魔力が乱れている場所が怪我、あるいは病気であることにも気づいている。


「ファビー、ふたりともすごいね。あれだけ魔力を持ってたらふたりに傷なんて負わせられないよね」

「魔力がどれくらいあるかなんてわたしにはわからないよ。リエラには見えるの?」

「ファビーには見えないの?」

「……むしろどうやって見るのか教えてほしいくらいだわ」


 防御壁を崩して広げ、馬車が数台通れる道ができていた。

 ふたりの少女の活躍のおかげで脱出口を確保できた。

 先頭にマルケッタに騎乗するミィナを配し、一個の火の玉と化した戦闘部隊が包囲網にぶつかった。

 衝突の衝撃で、ひとが宙を舞った。

 主に山賊たちだ。

 村人たちは喝采を上げた。


 水で満たされた革袋に穴が開くように、包囲網は崩れていく。

 食い破った穴を広げるように、戦闘部隊は横に向きを変え、包囲網の横っ腹に突っ込んで行く。

 護衛のついた馬車隊が開いた穴を駆け抜ける。

 山賊たちも押し戻そうと厚みを作って押し込んでくるが、そこは意地でも通すまいと村人たちが気勢を上げる。

 十日前は戦いに不慣れだった村人たちが、大事なひとを守るため、敵を打ち倒すために、いまや勇敢な戦士となって喰らいつく。

 馬車が抜けていく。

 弓を射かけられ、槍を投擲され、車軸を傷めた馬車が横転し、あるいは馬をやられて包囲網に突っ込んで行く。

 少なくない犠牲を出しつつも、しかし半数以上は包囲を抜けていた。

 指を組んで祈るリエラたちの馬車もまた、包囲網を突破していた。


「やった!」


 誰かが後ろに置いてきぼりにする包囲網を見やり、勝ち誇ったように声を上げた。

 しかしそれも一瞬だ。

 大量の弓が馬車の正面から降り注いだ。

 落馬するもの、矢に射抜かれるもの、落ちた先で馬に踏み潰されるもの。

 壮絶を極めた。

 リエラは、幌の屋根を貫通して、寸でのところで足元の床板に刺さった矢を見た。

 少しずれていれば体のどこかに当たっていた。

 周りを見てもこの馬車には被害がないようだったが、他はそうもいかない。

 横転した馬車が山賊たちに追いつかれ、乗り込んでいた女や子どもが振り下ろされる凶器の餌食になっている様子も見えた。

 それでもリエラは前を見た。

 恐怖でどうにかなってしまいそうな中、ミィナの姿を必死に探した。


 先頭を切る同い年の少女。

 リエラのことを守ると言った可愛らしい猫の女の子。

 勇姿をその目に焼き付けようと、あるいは傷を負っていないか心配になって、刻々と変わりゆく戦場を見つめた。


 そして見た。


 強大な魔力が込められた矢が、正面から真っ直ぐに、ミィナを狙って放たれた。

 空気を切り裂きうねりを上げる矢。

 ミィナはそれを避け切れず、マルケッタから落馬したのがリエラの目にはっきりと映った。



○○○○○○○○○○○○○○○○



 商都テオジア、トレイド商会会議室――。


 三人での話し合いは、すでに半日を過ぎようとしていた。

 その間に話し合われたことと言えば、現状どうやって納得するか、の一言に尽きる。

 ジェイド、フィルマークともにそうは見えないが慎重派である。

 行動に起こせば大胆な一手を仕掛けてくるが、それまではひたすら黙考する種類の人間だった。

 主催者のチェチーリオは目まぐるしく変わるふたりの思考を読むことだけでも十分楽しめた。

 百人分に匹敵する情報量がふたりから流れてくるのだ、子どものように嬉しくなった。


 話を誘導し、このテオジアの行く末を決めるところにまで持っていくのに随分遠回りしたが、ようやく進められる。


「……決着がついたときの勝利条件。私のそれは、膨張する山賊団を壊滅させ、山賊頭を倒すことが条件でしたね?」

「そのとおりだよ、フィルマーク。逆に言えば、ドンレミ村が占拠され、テオジアまで雪崩れ込んで来たら私と君は敗北したことになる」

「たとえば村人が山賊団を壊滅させたら? あるいは山賊、反国組織、村人、領主弟軍のどれにも属さない第五者が趨勢を決めたら?」

「君の部下が残っていて、なおかつ壊滅にいくらかでも影響を及ぼしているのなら、君の勝ちでいいでしょう。私は領主軍、村人たち側に立ちますが、人数比で言えば四割もない。一番は七割近くを占めるジェイド氏でしょう。その上でたった一割の戦力差をひっくり返すのなら、未知の戦力も君の領分として扱い、結果勝つのならフィルマークの総取りでいい」

「その流れなら山賊に味方する輩がいればこっちの戦力に数えてもいいと言っているように聞こえるんだけど?」


 ジェイドは余裕を取り戻したように、口端を吊りあげている。


「もちろん、その勘定でいいでしょう。テオジアの至る所で暴動を起こす予定なのはわかっていますから」

「……やりにくいな」


 笑みを一瞬にして消し、ジェイドは真顔に戻る。

 テオジアの三十か所以上で、ジェイドの息のかかったものが潜んでいるのだ。

 同様に、フィルマークが指示を飛ばせばすぐにでも動き出すものたちも、百人以上このテオジアに潜伏している。

 そういったものをすべて見通すチェチーリオだからこそ、彼らの思惑もすべて掌握できる。


 慎重を期しているはずなのに、フィルマークの考えていることは博打要素もあって面白い。

 未知の戦力に頼るところが大きいのだ。

 ノシオというドンレミ村の危機を伝えにテオジアまで馬を駆ってやってきた小男の存在から、巻き込まれた修道女たちのことまで計算した上で、賭けてみる価値はあると判断しているところだ。

 逆にジェイドは、クェンティンや魔術師アルという不安材料がありつつも、掻き集めた山賊団総勢三千の数に頼っているところがある。


「まず、この戦争に圧勝したとき。ジェイド・テラディン氏とその関係者はテオジアに入場できないようにすること」

「いきなりぶっちゃけるね」


 ジェイドの視線をフィルマークは意に介さない。

 元々上辺だけで接していたが、それもやめたのだ。

 フィルマークは本気を出している。


「会頭の能力があれば可能ですね?」

「できるかできないかで言うなら可能です。実行するとしても制限される人間は目的に応じて決めることにします」

「というと?」

「当人の身を害す、あるいは当人の組織の害となる可能性がある場合にのみ、入場を制限しましょう。ジェイド氏と関わったものをすべて跳ね除けるのは不可能ですから」

「それで異論はありません。勝利の報酬に、地下競売場と地下奴隷売買の権利を会頭の持つ権利と同じだけいただきたい。つまり、そっくりそのままお譲りいただければと思います」

「可能です。特に条件を付ける必要もないでしょう」

「最後に、会頭本人が我々の組織に加入し、その持てる権限のすべてを惜しまないことを確約していただきたい」

「残念。それは不可能です。なぜならいまの中立という立場を崩してしまうから。私はあくまで贔屓はしないんです」

「まあ、無理を承知で言いました。最後の希望は取り下げます」


 フィルマークはこれで済んだとばかりに腹の上で指を組む。

 勝ち分にしてはやけに消極的だが、これらはあくまで次の段階への布石に過ぎないのだ。

 彼の目はチェチーリオの席をしっかと見据えている。

 地下組織に手が出せるようになれば、フィルマークは商人としてさらに富を溜め込むだろう。

 その富はいずれ国を根っこから倒す力に使われるはずだ。


 若い、と思った。

 歳はすでに三十を超えているが、心がいつまでも若い。

 目標に向かって、ひたむきに進もうとしているのだ。

オジサンたちだけだとやっぱりむさい……(笑)

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