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異世界旅行は落ち着かない  作者: 多真樹
第二部 少年時代 三章 家族捜索
146/204

第85話 ドンレミ村防衛戦Ⅴ

 すべての転移魔方陣を潰して隠し村に戻ってきた。

 岩の下敷きにした中にドンレミ村近辺の魔方陣があったはずだが、途中で面倒になり尋問を怠ったのでドンレミ村の所在は結局わかっていない。

 魔方陣は村から数十キロも離れた場所に設置されているので、魔力探知くらいでは村の位置くらいしか把握できない。

 唯一村が近かったのは、屋敷の中に設置されていたシドレー村の魔方陣くらいだが、ドンレミ村からかなり遠い上に、どちらかといえば北国の鉄国(アイアンフッド)国境線のほうが近い。


 悪魔を呼ぶのかとさえ思えてくる趣味の悪い魔方陣。

 隠し村に残っているものが最後で、これも潰して土に還す頃にはもう外は夜だった。


 疲労困憊の中、月明かりすら雲に隠れた林道をひたひたと歩く。

 闇夜の中、隠し村の明かりを頼りにしようにもひとつも灯っていない。

 村の外周を背の高い防護柵で覆っているため村の灯りを外に逃がさないようにしている……のかなあ。

 なんだか世のサラリーマンパパの苦労がわかった気がした。

 疲れて帰ってきた一家の大黒柱が自宅の灯りが落ちているのを見てなんとなく沈む感じ。


 今日一日だけで体力的・精神的に疲労の極みに達した。

 だというのに大森林で師匠に鍛えられた頃より魔力使っていないのはご愛嬌だ。

 誰に褒められるわけでもない仕事をこれだけ頑張ったんだ、ジェイドの思惑をいくらか潰すことができればそれに勝る慰めはない。

 というか、これでなんの痛痒もなければ俺の頑張りってなんなの……と立ち直れなくなってしまいそうだ。


 そう言えばあの村、防備はどうなってるんだろうか。

 外壁は頑丈そうで、魔物の群れも抑えられそうだ。

 山賊の侵入は……ちょっとまずそうだ。

 下手に知恵が回り、子どもを人質に取ることも考えられる。


「ふむ……」


 顎に手をやって考え込む。

 後手に回る前になんとかできないものか。

 ここはひとつ、対策を打っときますか。

 魔力で周囲を探りつつ、ちょっと暗い森に寄り道をすることにした。





 村に戻ると、灯りがひとつだけ。

 見張りのつもりか、女性がひとり起きて座り込んでいた。

 山賊に乱暴されていたひとりだ。

 見た目は整っているが、素朴さが抜け切れていない感はある。

 普通に美人なんだけどね。

 目線は何もない道に向けられ、ちょっと近寄りがたい。

 朝も夜もなく乱暴されていたからか、どこか虚無感が漂っている。

 できたら関わらないようにしていきたいが、目の前を通らないと建物に入れない。


「君に聞くのもおかしいかもしれないけど、あっちにあったあれはどうなったのかわかる?」

「あれって言うと……広場に山積みになったやつ?」

「……ええ、そうよ」


 昼間見たひとを積み重ねて作った汚いキャンプファイアーのことだ。

 生焼けで凄い臭気を発していた。


「骨も残さず灰にしたよ。あのままにしておけなかったから」

「……あそこに旦那がいたの。もういないのね……」


 胡乱気に顔を上げるが俺を見て少し顔を強張らせ、無理やりといった感じで笑って見せた。

 うん、大人だ。

 大人の女性の気怠さが全身から滲み出している。

 背中に届くウェーブのかかった茶髪をかき上げ、後ろに流す姿だけでも絵になる。


「……あの、大丈夫?」

「なにが大丈夫なのかわからなくなっちゃったわ」


 二十代の中頃だろうか。

 小さな子どもがいてもおかしくない。

 今回の件で旦那が死に、お腹に望まぬ子を……まあ深くは考えまい。

 こっちの用件を聞こう。


「他のひとは寝てるの?」

「ぐっすりよ、みんな。ようやくね、安心して眠れるようになったんだもの。……でも、あたしはちょっと夜が怖いから。だから朝になったら眠ることにしてるの。そのついでに、見張りみたいなことをしているだけ」

「トラウマってやつ?」

「……わからない。考えようとしても頭がぼーっとしてうまく考えられないの。いまは調子が戻るまでこのままでいいわ。正気に戻った途端、死にたくなるかもしれないもの」

「大変だねえ」


 渦巻くものがあるのだろうが、いまは緊張が解けたばかりで心が麻痺しているのかもしれない。

 女性の気持ちを汲むことは難しい。

 簡単にわかるよ、なんて言いたくない。

 彼女らをこのままに置いていくべきではないのだろう。

 それでも、俺がひとりですべて背負うべきでもない気がする。

 心が弱くて自決を選択する女がいてもおかしくはない。

 俺は……正直見たくない。

 死ぬなら勝手に死んでくれと、冷たい言い方しかできない。

 自分の意思で乗り越えなきゃいけない壁に、彼女らはぶち当たっている最中だと思う。

 助けたくせに無責任だ!とクズ扱いされても仕方ない。

 だってクズだもの、俺。


 メルデノに会う機会があれば子ども助けたよーと恩着せがましく言っておけば、また大人の遊びをサービスしてくれるかもしれないからな。

 愛する嫁がいても綺麗なキャバ嬢には目移りしちゃうよね。

 そういう心理だ、真理なのだ。


「君らはこの後どうする?」

「どうって言われても……まだ動けないわ。女のひとがたくさん増えたみたいだし、食べ物をかき集めるだけで精いっぱいのような気がする。馬車も足りないから、全員で動くこともできない」


 隠し村の被害者の会は大半が女性だ。

 一部隷属の鉄器を付けられた奴隷もいて縛っていたものは強引に壊したものの、衰弱して治癒だけでは快復できない男もわずかに連れてきている。

 一緒にするとトラウマを刺激しそうなのでこっちは建物を分けており、悪さをするようなやつなら初めから連れてきていない。

 ステータスを視れば盗賊の称号を持っている人間は一目瞭然。

 奴隷や怪我人に化けていようが関係ないので、漏れなくあの世に直行している。


 傷ついた彼女らは馬車で運ぶにも細心の注意を払わなければならない。

 だというのに護衛も馬車も馬も足りない。

 比較的動けるものでも歩き通しという選択肢は考えられない。

 これなら魔方陣を占拠して、近くの村に送った方が良かったかもしれない。

 いや、敵地では何が起こるかわからないし、せっかく助けたひとたちを人質に取られるような危険を冒すことを考えるとやらなくて正解か。


 問題は百四十人に及ぶ被害者をどこに連れて行くかだった。

 近くの村に誘導するのはまずいだろう。

 確かそう遠くないところに、猫ちゃんが獣人だからといって追い出した心の狭い村があったが、そういうところは余所者を受け入れるような懐の余裕はないだろう。


 パッと考えて、クェンティンに全部押し付ける選択肢くらいしか思い浮かばない。

 いや、もうそれでいいんじゃないかな。

 あんまり考えていても妙案は浮かばない。

 こういうことはなんとかできる人間に投げていった方が手間もかからないんじゃないかなと思う。

 食糧は山賊の残したものが多くあるので、少なくとも餓死する危険はない。

 クェンティンと合流してあとは任せてしまおう。

 反乱軍と面通しをするという恩を売ることもできるので、クェンティンにとっても悪い話ではない……と勝手にこじつけてみる。


 グルルルル……。


 闇の中に唸り声が溶ける。

 村の入り口から、いくつもの赤い目が篝火に反射して光っていた。


「ひっ……」

「あ、大丈夫。番犬を用意したんだった」


 タッタッタッタッ、と地面を掻いて近づく一匹の犬……もとい、八つ目オオカミ――フルラルウルフ。

 俺が立ち上がって近づくと、灰色の魔狼は足元に擦り寄ってきた。

 胴体の太さは九歳児の自分より太く、魔物に属するからか牙も爪も俺のイメージする狼の二倍はある。


「あ、危ないわよ!」


 振り返ると、女性は手を伸ばそうとして、途中で断念していた。

 まだ誰かに触れることが怖いようだ。


「確かに野生の魔物だけど、森で群れごとテイムした子たちだから襲われる心配はないよ」

「ええ……でも、ええ?」


 狼リーダーは俺の足元に伏せって、命令を待つようにじっと動かない。

 他にも十頭の狼たちが後ろでおすわりして控えている。

 しゃがみ込んで頭を撫でるが、されるがままだ。

 尻尾をパタパタと振っている。

 ちょっと獣臭いし目が八つあるが、大人しくて可愛いもんだ。

 狼を見るとマリノアを思い出す。

 ああ、半年で帰るとか言ってもうその期日はとっくに過ぎているし、全然約束守れてないな。


「こいつらをこの村の周囲に放つから、十人くらいの山賊なら撃退してくれるよ。他の魔物も近づかないだろうね。テイムしてどれくらいの時間持つのかわからないけど、彼らも頭がいいから、たとえ俺の制御下から離れても村人は襲わず森に帰ると思う。肉でもあげて餌付けしといたらいいんじゃないかな」


 村人を襲い出したら本末転倒だからな。

 知能はそこそこあるから、ちゃんと命令すれば番犬としてそこそこの働きはしてくれる。

 「ゴー」と命じると、リーダー魔狼がすっくと立ち上がり、群れを率いて闇の中へと溶け込んでいった。

 夜は彼らに任せて、とりあえず睡眠を貪りたい。

 今日は働き詰めで本当に疲れた。


「魔物を従えるなんて、あなたは何者なの?」

「赤魔導士のアル。エルフの弟子だよ」


 今更な質問に、俺は欠伸を噛み殺し、笑って答えた。





 また、山賊の夜襲だった。

 修道女たちは身を寄せ、馬車の外から聞こえてくる喧騒を早く過ぎてしまえと願っている。

 チェルシーは腕に抱えたオルダを更に抱き締め、目を閉じて寝ようと思った。


 もじゃもじゃした黒髪のやせ細ったドワーフ、オルダは何とか寝付いている。

 彼女は頻繁に(うな)され、熱を出す。


「あ、あぅ……あぁ!」


 もぞもぞとオルダが動く。

 また魘されたのかと思ったが、声に切迫したものはない。

 手を額に当ててみるが、熱すぎることもない。

 ただの寝言だった。


 アルに教わった治癒魔術は何とか日に一回絞り出すように使うことができるので、それを寝る前にオルダにかけた。

 そのおかげか、いまは規則正しい寝息が聞こえてくる。

 魔力切れの疲労と、こんな状況が続く精神的な疲労は肩に重く乗しかかっているのに、どうしたことか一向に眠気が来ない。


 いや、理由はわかっている。

 アルという心の拠り所がいまだに戻ってこないからだ。

 他の修道女たちも似たり寄ったりで、最年少のふたりがグースカ寝ているが、これは肝が太いだけなので例外だろう。

 修道院にいたときも、朝の祈りの時間に遅れたり途中で船を漕いでいたりと惰眠を貪るのは得意なのだ。

 あの地下牢から助け出された女性たちやドワーフの子どもも同じ馬車に乗り合わせているが、外の音に敏感になっているため怯えて眠れていない。

 更には板敷の馬車なので、毛布にくるまろうがずっと同じ体勢だと腰が痛くなる。

 少し身じろぎをしつつ、オルダを起こさないように気を配った。


「外の様子を窺うこともできません。ここに女と子どもしかいないとわかれば、悪いひとたちに目を付けられてしまいます。だから大人しくしていてくださいね?」


 引率で大人の修道女がこっそりと話しかけてきた。

 暗闇の中でほとんど視界がないが、どんなに小声だろうが声だけははっきりと聞こえてくる。

 外の様子はひと段落ついたようだ。


「争いにリエラとファビエンヌが巻き込まれていないといいのですが」

「そうですね。でもあの子たちなら案外しぶとく潜り抜けそうです」

「いまどうなっているのか、詳しい事情を明日いちばんに話を聞いてきます。それまではあまり深刻に考えないでくださいね?」


 心配する気持ちが声から伝わってくる。

 顔が見えないのに、チェルシーが不安になっているのを察したのだろうか。

 以前ならちょっと頼りないひとだと思っただろうが、ここにきて滅私の精神で傷ついたひとたちを率先して手当てする様に頼もしさが感じられるようになった。


「考えないようにしたほうがいいのはわかってます。でも難しくて……」

「……アルさんが戻らないことですか?」


 その名を告げられ、ドキリとした。

 幸い馬車の中は真っ暗で、顔も動揺も見られることはない。

 別に何もやましいことなんてないのだ。

 アルからオルダを頼まれて面倒を見ているのだし、リエラの双子の兄だというしで気に掛けるのは当然の成り行きだ。

 そう、おかしなことじゃない。


「やっぱりリエラのお兄さんですから、心配もするわよね」

「すぴー」

「わたしたちだって気にしてるよねー」

「あたしは別にそうでもないけど、でも護衛としてならいてもいいんじゃないかしら?」

「すやすや」

「クク、チェルシーだけが狙っているわけじゃない。みんなあのおチビから黒魔術を習いたい」

「「「いや、それはない」」」


 ふたりほど寝落ちしているものの、仲間たちの姦しさは健在だった。

 というか耳を澄まして聞かないでほしい。

 早く寝てよ……。

 わけもわからず、チェルシーは顔を赤くした。


 それから何度か外が騒がしくなったが、その度に騎士団が撃退したようだ。

 何度か浅い眠りを繰り返し、いつの間にか早朝の陽射しが幌馬車の垂れ幕の隙間から差し込む時間になった。

 結局、あまり寝付けなかった。

 横ではよく眠っていた修道女が猫のようにぐっと体を逸らして欠伸を漏らしている。

 自分の臭いをくんくんと嗅いでみる。

 数日着たままの修道着を洗えないのが悔やまれるような、そんな臭いがした。


「失礼するよ」


 そう言って天幕をぺろっとめくって覗き込んできたのは、整った顔をした美青年だった。

 とても武器を持って戦えなさそうな優男で、身なりは上等な商人といったところだ。

 砂埃や汚れが目立つが、それでも色気というものがなぜか漂っている。

 柔らかそうな金髪が朝日を受けてキラキラしていた。


 チェルシーは臭いを嗅ぐために襟を引っ張っていた手をパッと放す。

 青年は幸いにもチェルシーに目を向けていなかった。


「ここに修道女様がいると聞いてきたんだが……」

「あ、はい、何のご用でしょう?」


 引率の修道女が戸惑いつつ笑みを浮かべて対応する。


「預かってほしい子がいるんだ」

「子どもですか? ええ、構いませんが」

「もしかしたら顔馴染かもしれないんだが、事情を聞かないでやると助かるよ」

「わかりました。どんな事情があろうと受け入れましょう」


 本当はこれ以上面倒事を増やすなと言いたいだろうが、体面は大切だ。

 青年の横からひょっこり顔を覗かせた女の子を見て、寝惚けた修道女も含め「あっ」と声を発した。

 髪の色が茶色になっているが、幼い少女のことは全員が知っていた。

 鐘楼に幽閉されていた少女。

 どこかの貴族の娘かあるいは王族か、という噂がされていた女の子。


「えー、なんでお姫様がいるの? 修道院にいるはずじゃないの?」


 事情を聞くなと言われたばかりでさっそく破っているが、その疑問はみんな感じただろう。

 幽閉された彼女のところに、チェルシーたちは何度も食事を運んでいる。

 会話はしたことがない。

 いつも黙っていて人形のようだったということもあるが、なんだか近づきがたい雰囲気を持った娘だったのだ。

 そんな相手に物怖じせず話しかけたのは、リエラとファビエンヌくらいだ。


 少女は馬車の中を覗き込んで誰かを探しているようだったが、見つからないとわかると俯いてしまった。

 もしかしたらリエラとファビエンヌのことを探していたのかもしれない。

 年相応の少女の様子を見て、とても人形には見えないとチェルシーは思った。

 以前に感じた壁をいまは感じない。


「赤魔導士のアル君を知っているかい?」


 ほぼ全員が弾かれたように顔を上げた。


「その様子だとあの小生意気な少年のこと、知っているみたいだね」

「あなたはどこでアル君のことを?」

「シドレー村でちょっとね。たまたま趣味が合ったという感じかな」


 趣味……チェルシーはアルの趣味を想像した。

 大人びた少年の趣味は悪そうだ。

 なんだかねちっこくて、いやらしい、そんな気がする。

 オルダのおしっこの始末を嬉々としてやっていたし。

 従って、この青年の趣味も悪いに違いない。

 そんな偏見染みた視線がいくつか向けられるが、青年は気づかないようだ。


「この子は修道院にいたはずですが……いったいなぜ? それくらいはお聞きしても?」

「ミリアを保護したのはアル君だからね。彼は少し寄り道をしてくるようで、代わりにぼくが連れてきたというわけだ。彼女のことは彼から詳しい説明を聞くといいよ」


 青年はミリアにそうだよね? と視線を送ると、ミリアは何か言いたげに口を開いたが、結局こくりと頷いた。

 なんだ、言わされてるのか? と思わなくもない。

 しかしミリアに特別青年を怖がっている素振りはない。

 ひとのたくさんいるところに連れて来られて不安になっているだけのような気がする。


「修道女さんは頼りになるから大丈夫ってアル君が」

「ええ? そうですか? やだ、任せてください」


 引率の修道女は顔をほのかに赤らめながら、頬に手を添えて身を捩る。

 女の目から見てもなかなかに色気のある動きだが、青年は修道女の顔からまったく視線を動かさない。

 バカな、女のわたしでも見てしまうあの乳を寸分も見ないとは……!

 こいつ、ロリか……いや、ミリアにも興味はなさそうだし……ということはあれか、年上好き(マダムキラー)か。

 アルの趣味はロリで趣味は被らないはずだが、尖ったもの同士、通じ合うものがあったか。


「さ、ミリア。ぼくは行くから」

「はい。魔術師のお兄ちゃん待ってます」


 そもそも青年が何者かわからないが、騙そうとするような口ぶりではない。

 ミリアの反応を見るに、アルとは知り合っている様子だし。 

 アルが一定の信頼を置く青年とアルの関係性に興味が涌く。


「クク、男同士の世界……」


 身内がひとり何やら妄想しているが、そういう意味では断じてない。

 それに、商人とは笑顔で嘘を吐く生き物だから、言葉をすべて鵜呑みにしてはならないとチェルシーは思った。


 チェルシーは商人の娘だ。

 血を分けた男が商人であるが、チェルシーはその男が殺したいくらい嫌いだった。

 もし責任を果たしていれば、チェルシーは修道院なんかにいない。


 個人的な感情を抜きにしても、青年には何か裏にあって、それを話したくない方便である可能性が高い。

 チェルシーは懐疑的な目で青年を見ている。


「ああ、それと、この中にオルダというドワーフの子どもはいるかい?」

「ええ……こちらにおりますが、何か用でも?」

「アル君から気に掛けるように頼まれているんでね」


 青年の目が、チェルシーが抱えるオルダに向く。

 探し人を見つけたといった様子だ。


「オルダ……だけ?」

「もちろん修道女の方々もね」


 チェルシーの漏らした不満を青年は耳聡く聞き取り、肩を竦めて見せた。

 鼻にかかると言えばいいのか、気障ったらしくて気に入らない。

 オルダを抱える腕に力を込める。

 起きていたオルダが苦しそうに弱々しく身を捩ったので、慌てて力を抜いた。


「ミリアさんはこのまま修道院へお連れしてよろしいんですよね?」

「ああ、それで問題ないよ。彼女には安全な場所が必要だから」

「安全でしょうか? もうこんなことは二度とないと思ってもよろしいんですよね?」

「その話し合いをぼくがすることになりそうでね。ちょっと替え玉がいないんでどうしようか悩んでるんだけど、何とかするよ」

「……わかりました」

「それじゃあミリアをよろしく。アル君が到着したら連れてこよう」


 力なく笑って、片手を上げて去っていく青年。

 ミリアが手を振り返していた。

 何か深刻な話だったのか、唯一大人の修道女の顔は晴れない。

 わかる人間にしかわからない話をいまの短い間にしていたと思う。

 それはまだ、チェルシーには知り得ない話だ。


 そういえば青年、結局名乗らなかった。

 自分を売り込まないなんて、商人とは思えない気の抜けた男だ。

 残されたミリアはどうしていいのかわからないように馬車の前に立ち尽くしている。

 修道女が彼女と目線を合わせるために腰を屈めた。


「わたしのことは覚えていますか? 修道女のシスタークラレンスです」

「はい、覚えてます」

「いろいろあって大変だったでしょうが、これからはわたしたちと行動を共にしましょう。この機会にみんなでたくさんお話をしようと思います。修道院にいた頃はあまりひとと関わらないように、そう言われていましたよね?」

「……はい」

「もう大丈夫です。その言葉はもう忘れてください。ここには貴女と年の近い子もいます。いまはここにいませんが、リエラとファビエンヌという名前の元気なふたりもいます。私たちと、まずはお友達から始めましょう」

「……はい」


 ミリア。

 少女の名前。

 チェルシーはそれしか情報を持たない。

 だが、たったいまからもっと深く知り合うことになるだろうと、確信した。

 小さな体躯の女の子は、修道女シスタークラレンスに頭を撫でられぽろぽろと涙を流していた。

 その姿に、人形じみた無機質感はどこにもなかった。



○○○○○○○○○○○○○○○○



「敵にゃ?」

「やー?」


 ミィナは小首を傾げると、それにつられるようにマルケッタも首を捻った。

 正面の敵を屠ってへたり込むヘルトンと話した後、ふたりは包囲する山賊の集団に飛び込んで行って思うさま暴れ、後方までやってきた。

 血塗れのふたりが見つめる先に、仮面で顔を隠したふたりの男女。

 他にも以前まで村にいなかった人族が、防衛線の向こうで山賊を蹴散らしている。

 土が飛び出したり、炎が逆巻いたりしている。


「倒すかにゃー? 手強そうにゃー」

「やーやー。やー?」


 腕が鳴るぜと笑うミィナの提案に、マルケッタはダメだよと首を振る。

 敵じゃないっぽいよ? とマルケッタは言う。

 言葉を話していないがミィナには言いたいことが伝わるのだ、なぜか。


「どうしたらいいのにゃ?」

「ややー」


 話しかけてみればいいと思うよ、とマルケッタは言う。

 マルケッタは友だちであるが、ちゃんと考えていてミィナに正しいことを教えてくれる優しいお姉さんであった。

 お姉さんと言えば犬耳のマリノアを思い出すが、あれはうるさいし厳しいお姉さんであった。

 どちらの言葉を信じるかと言えば、マルケッタだ。

 ミィナはうんと頷いた。


「それがよさそうにゃー」

「ややー!」


 行ってみようよ! とマルケッタが提案してくるので、ミィナはマルケッタの背に跨ったまま近づいてみることにした。


「うおっ! 血だらけの魔物!」


 鬼仮面の男はふたりに気づくなり仰け反り、敵意のある構えを取った。

 ミィナも敵意を向けられると本能的に攻撃の姿勢を取ってしまう。

 矢を引き絞るミィナ。

 手を前に突き出し、詠唱をいつでも始められる男魔術師。

 マルケッタは困ったように後ろを振り向いて男の方と交互に見ている。

 緊迫した一瞬が過ぎる。


「あなた、落ち着きなさいよ」

「いてぇっ」


 頭を小突かれてたたらを踏む仮面の男。

 後ろからやってきたのはこれまた鳥仮面を被った女だ。

 ミィナはそちらの方に矢じりを向けた。

 髪が真っ赤で、柔らかくウェーブしている。

 レーラに似ているにゃー、とミィナは思った。


「怒らないで、子猫ちゃん。たぶん私たちはあなたの味方よ。さっきサリアに会ったわ。サリアからあなたたちの活躍は聞いてるの」

「おばちゃんの仲間(にゃかま)?」

「そう、ふふ、サリアおばちゃんの仲間よ」


 何がおかしいのか、仮面の女は口元を上品に抑えてくすくすと笑う。


「サリアがおばちゃんかよ。かー、年喰うもんだな、おい」

「私たちだっておじちゃんおばちゃんよ」


 男のほうはガリガリと頭を掻き、女は柔らかく笑う。

 ミィナはなんだか既視感を覚えたが、マルケッタがやーと補足してくれて気づいた。

 男の雰囲気はなんとなくアルに、女の雰囲気はリエラに似ている。

 聞いてみようかにゃー? と思った頃に、彼らの仲間がやってくる。

 こちらは仮面をしていない。

 仮面をしているのはこの男女だけだ。


「……山賊は引いていった」

「仲間は全員無事?」

「……怪我しているのがふたり。残り二十六人、全員無事」

「怪我人は動ける?」

「……足は怪我してない」

「そういうことじゃなくて」

「……?」

「もういいわよ」


 短刀使いの男か女かわからないヒト族が報告を終えると、無表情で去っていく。

 ミィナは匂いから、女のひとだーとわかった。

 ただ、お胸が全然ない上に、髪も少年のように短く刈り込んでいるので、男に見せたいのかもしれない。

 彼女は斥候のようで、防衛線を軽々飛び越えてひとり向こうに消えた。


「怪我人はこっちに! 治療は私がやるから、重傷のひとから運んで!」


 声を張っている少女はファビエンヌだった。

 マルケッタは嬉しそうにファビエンヌに近づいていく。

 背中に乗っているミィナは自然と連れて行かれる。

 ファビエンヌはリエラと違って口うるさい。

 犬耳マリノアと似ているが、マリノアは堅苦しく、ファビエンヌは説教臭い。

 ファビエンヌがこっちにきているということは、リエラはヘルトンのほうだ。

 正直そっちに行きたいのだが、マルケッタはファビエンヌが大好きだ。

 よく髪を梳いてくれるから好きだとマルケッタは言う。


 仮面のふたりと怪我人らしきふたりが後ろについてきていた。

 ファビエンヌを見るなり、何やら小さく囁き合っている。

 ミィナには猫耳がついていて全部聞こえるのだけどね。

 「アリアンヌにそっくり」だの、「エドガールの娘?」だの聞えてくる。

 ミィナはよくわからないから知らんぷりして、ファビエンヌに『浄化』をかけてもらうため近づいた。


「あーあー、まっかっかになっちゃってもぉ。血で汚したままにしてると病気になるんだからね!」

「ハビーうるさい」

「ややー」


 マルケッタはそんなこと言っちゃダメだよと諭してくる。

 ファビエンヌは忙しいだろうにミィナたちに近づくと『浄化』を詠唱して汚れを落としてくれた。

 リエラは治癒魔術しか使えないが、ファビエンヌは他の魔術もいくつか使えた。

 魔力はリエラの方が多くて、同じ魔術を使っていてもファビエンヌの方が先にガス欠を起こすが、使える魔術はファビエンヌの方が多い。

 狭く長じているリエラの治癒魔術と、手広く浅いファビエンヌの応用魔術。

 バランスは良かった。

 詠唱を終えると、ファビエンヌはすぐさま足からたくさん血を流す患者のもとへ走って行った。

 説教臭いが真面目だ。

 ミィナは、ファビエンヌのことが苦手だが嫌いではなかった。


 きれいさっぱりになったミィナはマルケッタから降り、ふたりでどこへ行くか相談する。

 今日は工房を探検することに決まった。

 どうせ大人たちは忙しくして誰もいないだろうから、怒られることもなさそうだ。



 ドンレミ村、司令部――

 ここにはいま、十人ほどの人間が詰め込まれていた。

 壁際にはむすっとした顔で腕を組んだサリア。

 ヘルムを被り、獣人ということは隠している。

 彼女の正面には仮面を装着した男女に白髪の老人がいる。

 素性を知られてはまずいジャンとセラの夫婦と老人が、座り心地の悪い椅子に尻を収めて村人側の有力者と向き合っている。

 サリアとしては、短弓使いのトロットと女斥候のフランベルらと一緒に外に居たかったのだが、馬鹿みたいな仮面を被ったジャンから出席するように言い含められて今に至る。


 机を挟んで彼らの対面に、神輿的な意味で村の代表のヘルトン。

 場違いな少年の横に、指導者的な意味で村の代表の工人たちがふんぞり返り、敵意ある瞳で新参者たちを睨んでいる。

 無理もない。

 山賊頭のヴォラグが弁舌垂れた反国家組織への不信感をそのまま鵜呑みにしている形だが、ドンレミ村が巻き込まれたのは間違いなくこの組織の存在のとばっちりである。

 それが両者ともわかっているから、空気は張りつめていた。


「逃げ出すなんてとんでもねえな」


 重苦しい空気の中、工人の代表が口を開いた。

 髭に白いものが混じった偉丈夫である。


「ここはオレたちの生まれた場所だ。死ぬ場所もここと決まってる」


 工人の親方は頑固さを表すように、口元を真一文字に結んでいた。

 刻まれた皺、深い面差し、とっくに腹を決めている目である。

 おまえらの言うことなどイチミリも聞く耳持たねえよと、膨らませた鼻の穴が物語っている。

 親方の後ろに控える連中も目に強い敵意が感じられる。


「そういう覚悟を持ったものもいるでしょう。無理やり捻じ曲げられるとも思っていません。しかし村人すべてが死ぬことをきめているわけじゃないでしょう?」


 仮面のジャンが丁寧な口調で言う。


「それは村人の問題だろうが。余所者は余所者同士好きにすればいいが、そっちが口を出してくるいわれはねえ」

「みんながみんな死地を決めたわけじゃないでしょ!」

「女が口を挟むなっ!」

「なっ、んだとぉ、石頭じじい!」


 セラは普段は温厚な癖に、怒ると態度が一変するところがある。

 なんだか楽しくなってきたと、サリアは仏頂面から口元が緩むを感じた。

 一発殴ってやれと心の中で快哉を上げている。


「おまえたちのような怪しいものに大事な村人の命を託せるかと言ってるんだ!」

「命を託す必要はありません。協力しようって言ってるんです。こちらにもあまり戦力がないですから、協力しなければ共倒れになる」

「そもそも顔を隠しやがって、おまえら一体何なんだ! この村を巻き込んだふてえ野郎じゃねえか! てめえらをふんじばってやつらに引き渡したらこの無駄な争いも終わるんじゃねえか?」


 そうだそうだと若い弟子たちから不満が露わになる。

 ジャンの話を聞こうともしない。


「別に私たちが誰でもいいでしょうが! そこ問題じゃないでしょ! 引き渡したら終わる? バカ言わないでよ! あいつらの本当の目的もわかってないくせに、目の前にぶら下げられた餌に飛びつく家畜くらいの脳味噌しかないの!?」

「な、なんだと!」


 セラの一喝に若い衆は怯んだ。

 サリアはいいぞもっとやれと、期待に胸を膨らませた。

 若い衆が色めき立ち上がると、挑発に乗るようにセラも立ち上がる。

 サリアは自然を装ってセラと並び、若い衆と睨み合う。


 彼女の隣では旦那が座ったまま腕を組み、不貞腐れるように背もたれに身を預けていた。

 席に着いているのはジャンとロブロ翁、親方にヘルトン少年だ。


「ひとの話を聞きやしない……」

「嫁の手綱くらいしっかりと掴んでおかんか、未熟者」

「そういうところに惚れたんで」

「この阿呆が……」


 ジャンとロブロ翁は静観。

 見かねたのか、親方が机を殴りつけた。

 机は真ん中から割れて、上に載っていた木のコップやらが地面に散乱した。


「いい加減にしろよ、てめえら」

「お互いに殴り合って山賊を追い払えるならやればいいんじゃないの」


 親方の顔は赤黒く歪み、ヘルトンは見下すような目で立ち上がった面々を冷ややかに見つめている。

 水をかけられたように若い衆は黙り、逆にセラとサリアはにやにやと挑発的に笑う。


「ふたりも下がって」

「はーい」


 セラは椅子には座らず、サリアと並んで後ろの壁にもたれかかる。


「現状、我々はこの村と敵対する気はありません。むしろ安全に逃げ道を確保して、できるだけ生き延びるように協力したいと思っています」

「ふん、その目的は何だ? 誰か逃がしたいやつがいるんじゃないか? そいつへの危険を分散させるために村人を利用するんじゃないのか?」

「利用だなんてとんでもない。わたしたちはできるかぎり山賊を駆逐したいと思っています。ですが、この包囲の中ではただジリジリと弱っていくばかりです。そのために一度村を出て、外から奇襲を試みます。わたしたちの目標はヴォラグを討つことですから」


 ジャンたちとヘルトン側とで話し合いは続けられた。

 セラのパフォーマンスのおかげで、若い衆が話の腰を折ることはなくなっていた。

 一度鬱憤を吐き出させたことでようやく話せる段階になった。

 セラが敢えて挑発したのも打ち合わせ通りだが、サリアとしては乱戦になって相手の若いのをボコボコにするのでもよかったのだ。

 それがわかっていたからか、工人の親方はさっさと話し合う段階にまで進めてしまったが。


 反国家組織に対する不満はあるだろう。

 だが工人の親方もバカではない。

 誰が悪いと言われれば、山賊たちと答える賢さは持っていた。


 ゆえに、翌朝行われるだろう正面への全面攻撃と、後方の包囲突破ふたつの同時作戦について、恐らく両者の落としどころを探りつつ決定する段取りだ。

 この村を死地と定めているものは正面、生き延びようとするものは後方の包囲突破に参加することになるだろう。

 結局この村にはひとりも残らないことになるが、残っていても殺されるのを待つばかりでは、どっちかの作戦に参加するしかない。

 幸い治癒魔術を使えるふたりがいるので、大怪我で動けないまま殺されるのを待つだけ、という人間は少ない。

 片脚がなかろうと正面突破に参加するなり、馬車から矢を使って包囲突破に参加するなりができる。


「まだメル……えっと、メーテルに会ってないんだけど、調子はどう?」

「あいつには直接会って自分の目で確かめろよ。ガキが死んだかもしれないってと思ったら腑抜けになりやがった」


 仮面の下でセラの顔が歪むのがなんとなくわかった。

 セラは双子の子どもを亡くしている。

 そのことや逃亡生活が重なり塞ぎ込んでいる時期があり、元気づけるためジャンは子種を仕込んだのである。

 新しい命を授かれば元気が出るだろうと。

 実際に明るさを取り戻したが、なんとなくジャンの株が下がった話である。


「……愛する我が子が死んだかもしれないと思ったら誰だって正気じゃいられないわよ。サリアも子どもを持てばわかるわ」

「持つ気なんてねーよ。ガキなんて、めんどくさいだけだ。いまいるチビどもを見てるだけで疲れちまう」

「あら?」


 セラは仮面の奥から、興味深そうな目でサリアを見ている。

 その視線を感じて、サリアはつんとそっぽを向く。

 内心の動揺を抑えようとしたが、サリアの表情は読みやすいらしく、セラはくすくすと笑っていた。


「……おおむねわしらの意向は伝わったじゃろ。それに賛同するか、あるいは別に行動を取ればよい。ただし、足を引っ張る真似は互いに共倒れの危険がある。わしらの敵は外の山賊どもであって、内側にはおらん。それは重々承知しておろうのう」


 会議は大詰めに入ったようで、ロブロ翁がそう締めくくる。

 翌朝、工人の親方主体で山賊に正面攻撃を仕掛け、一方でジャン主体で脱出組を組織されることになった。


 会議が終わると工人たちはさっさと席を立って行ってしまう。

 残ったのはヘルトンくらいだ。

 気になったジャンが話しかけたようだが、頑なに拒んで顔も向けない。

 そりゃ変な仮面を被った男に親身になられても困る。


「ちっ、めんどくせえなあ」


 サリアは頭をガリガリやろうとしたが、ヘルムに邪魔されて、また苛立ちが募る。

 のしのしと大股でヘルトンに近づくと、バンと目の前で机を叩いた。

 ヘルトンが親の仇を見るような目でサリアを見上げた。

 サリアはその頬面を思い切り殴った。

 ヘルトンは床に転がり、痛みに呻く。

 サリアはその頭を踏みつける。

 床に額を打ったのか、血が流れている。


「睨んでひとが殺せるならおまえ、何人殺してるんだろうなあ。でもよぉ、本当に憎らしいなら手を出せ。相手がどんなに強くても噛みつけ。睨んでるだけじゃてめえのクソみたいな怒りは誰にも通じねえよ?」


 セラが動いたような気がしたが、それをジャンとロブロ翁が止め、部屋から出ていくのが気配から伝わった。

 会議室にはサリアとヘルトンしか残らない。

 ヘルトンは動かない。

 普通の子どもなら頭に来て殴ってきそうなものだが、ヘルトンは耐えていた。

 耐え忍ぶやり方は、カッとなったらぶん殴って発散するサリアには合わない。

 だから面白いとも思う。


「てめえにはいろいろ教えてやるよ。強くなる方法だ。頭の悪い連中だが、腕は確かな馬鹿どもを腐るほど知ってる」


 強く、といった言葉に反応したのか、一瞬だけヘルトンは縋るような目で顔を上げた。

 目の中にあった悲しみや苦しみを見て、サリアは尚更ヘルトンを放っておけなくなった。

 村人たちはクズばっかりだ。

 ヘルトンを村長の代わりとして担いでいるが、ヘルトンが悩み苦しんでいることなど理解しようとしないのだから。

 特に、特攻をして自滅したそうなことを言っていた(言っていない)工人連中は、少年の気持ちなどお構いなしだろう。


 ヘルトンを引きずり、会議室を出た。

 サリアは脇腹から血が滲んでいることに気づいたが、顔には出すまいと思った。

 途中、ガチャガチャと言わせながら、全身鉄防具で固めた小さな騎士――に見えたが実際はぶかぶかで歩きづらそうにしているマルケッタとミィナにすれ違った。


「おまえら、何してんだ?」

「おばちゃん? ミィニャたちかっこよくにゃったー!」

「ややー!」


 マルケッタは全身を馬鎧で固めていて、身丈もそれほど間違っていないが、対する甲冑ミィナは甲冑に着られている感が否めない。

 なんとか四苦八苦してヘルムの面甲を持ち上げるミィナは、それでも嬉しそうであった。

 満面の笑みを浮かべているが、少なくとも戦いの合間に見せる顔ではない。

 ヘルトンの様子を横目で確認すると、やはりというかミィナに嫉妬の目を向けて睨んでいる。

 ミィナとマルケッタは強い。

 強すぎるほどで、この村で好き勝手しても誰も窘めることができないくらいだ。


「ミィナ? マルケッタも、何その恰好」


 向こうからたくさんの白布を抱えて、リエラとニキータ、あと確かベルタとかいうテオジアに使いに走らせたノシオの母親の三人がやってくる。

 リエラはあまり寝ていないのか、目の下の隈が少し濃い。

 隣の女ふたりもそれがわかっているのか、リエラに無理をさせないように横に付いているといった様子だった。


「レーラ、ミィニャかっこいい?」

「やや?」

「え? かっこいい? かっこいいかどうかはわからないけど、マルケッタは似合ってると思う」

「やややー!」

「でもミィナはちょっと動きづらいんじゃないのかなあ。着ない方がミィナっぽいかも」

「えー……にゃー……」


 しょぼんとした様子で耳を垂れるミィナに、「その重装備ではミィナの持ち味が活かし切れません」とニキータが真面目に追い打ちをかけ、「もっと大きくなったらきっと似合うよ」と励ましの言葉を送るリエラ。

 「いま着たいにゃー」とぶー垂れるミィナに、ベルタが「勇ましいチビの騎士様だね」と励ましてるんだか笑っているんだかわからない称号を送っていた。

 終始和やかな空気だった。

 だからこそ、サリアの体に隠れるヘルトンの存在が余計に強調される。


「あら、ヘルトンくん、おデコ怪我してる」


 リエラがいち早く気づくと、隠れるヘルトンに近づいて行って、白布を片手で抱えながら、片手で治癒魔術を唱えてヘルトンの額の傷を一瞬で治してしまう。

 ヘルトンのばつの悪い顔を見て、ようやく子どもらしい一面を見た気がした。

 彼女らと別れ、サリアはヘルトンを短弓使いのトロットと女斥候のフランベル、土魔術師のロブロ翁のもとに連れて行く。


「おいぃぃぃっ! サー……サリアが子どもを攫ってきたぁぁぁ! ど、どうしよう!」

「トロット、静かに。サリアのあれは食事用です。慌てることはないのです」

「食事用ぉぉぉっ! 人喰いライオンんぁぁぁぁぁ! うぉぉぉぉ! 食われるぅぅぅぅ!」

「トロット、黙るといいです。冗談に決まってます」


 素朴な感じの優男が短弓使いのトロット。

 小柄で地味め、体の凹凸に乏しく冷ややかな目をした女が斥候のフランベル。


「そのうちどっかでくたばっちまう予定のガキを拾ってきたから、おまえらで面倒を見ろ」

「おれはくたばらない……」


 ヘルトンが初めて声を発した。


「はっ、死ぬね。惨めに死ぬね。雑魚の槍に刺さって、苦しみながら死ぬね」

「死なない。おれは死なない!」

「へーへー、実力もないチビが何言ってんだ。この優男を倒してから言ってみ」

「え? なんでボク?」

「行け、てめえの実力を示してみろ!」

「やってやる! やってやるよ!」

「えぇぇぇぇっ! なんでボクぅぅぅぅぅ!」


 トロットがヘルトンから逃げ回るのを見て、サリアはにやにやと笑った。

 やっぱりガキは走り回ってるほうが健全だ。


「なんであの子どもを連れてきたのですか? あれは危険な目をしています」

「そんなことを言える目かよ、暗殺一家」

「その家はもう廃業しています。いまはただのフランベルです」

「ただのフランベルなら子どものお守りがちょうどいいだろ」

「……トロットのほうが相応しいように思います」

「どっちでもいいし」

「サリアは気まぐれです。気分で生き物を拾ってきても、飼える状態ではないと思います」

「どうせ野垂れ死ぬならどこだって一緒だろ」

「おれは死なない!」


 ヘルトンの声が聞こえてきたが、追われるトロットの情けない声に掻き消された。

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