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異世界旅行は落ち着かない  作者: 多真樹
第二部 少年時代 三章 家族捜索
143/204

第82話 ドンレミ村防衛戦Ⅱ

ストーリーの関係上『アル編』、は今回お休みです。

ごめんなさい。

その分、リエラ、ミィナたちの話を長くしています。

 一日がこんなにも長いなんて知らなかった。

 リエラは暮れる夕日を血臭のする村の屋根越しに見ながら、額の汗を拭い、体中が鉛のように重いことに気づいた。

 たったいま運ばれてきた村の男性が、治療の甲斐なく息を引き取ったところだ。

 友人と思しき男がうつろな顔で遺体を担ぎ、去っていくその背中を見て、暗い気分になる。


 もう何度も治癒し戦場へとんぼ返りするひともいれば、身体のどこかしらを欠損して戦えなくなるひともいる。

 いまのリエラとファビエンヌの中級治癒術では、欠損までは治せない。

 できることをやる。

 できないことは、どちらにしろ誰にもできないのだ。

 そう思い込もうとして、目をぎゅっと閉じる。


 まだ十歳にも満たない女の子であった。

 ここ数日で見せられたひとの死は、少女の心を摩耗させた。

 ファビエンヌは連日の治癒魔術の行使で「ちょっと魔力量上がったかも!」と前向きに喜んでいたが、やはりどこか疲れて、擦り切れた笑みだった。

 開戦してもう三日――日に日に多くなる重傷者。

 俯くひとが増え、陰気な空気が流れている。


『立て! 戦え! 村を守るものは自分しかいないぞ!』


 それに加えて、連日声高に鼓舞するヘルトンだ。

 十歳の身の丈に合った短槍を手に、ひとが変わったように領軍を睨んでいる。


「あんなにひとが変わるとはねー。ただのエロガキじゃなかったのね」

「エロガキってファビー……」


 治癒術師のふたりにはほとんど休みがなかった。

 ファビエンヌは三時間も治癒をすれば魔力槽が底を尽いてへばってしまうが、リエラの魔力槽が尽きることはほとんどなくなっている。

 戦いが終わって夜になっても、怪我をした人間は長蛇の列を作っている。

 たまの空き時間に、ふたりはよく話した。

 ミィナとマルケッタがふらりとやってきて、一緒にごはんを食べたりもする。


「だってあいつ、ことあるごとにリエラのこと見ててさあ、うわ最悪とか思ってたのよ?」

「えー、あたしのことなんて見てないよ。見られてた気がしないもの」

「そりゃそうよ。だってリエラが振り向いたら目を逸らしてたし」

「えー……」


 比較的重傷者から運ばれてくるが、助からない場合も多い。

 彼らを捌いた後には、切り傷や打撲といった軽傷者の治療が待っている。

 ふたりはここ数日、お腹に何かを詰め込んだ後、寝床に倒れるようにして睡眠を取っていた。

 ふたりの他に治癒術師がこの村にはいないのだ。


「あれが立派になったかって言うと、ちょっと疑問よね。家族を皆殺しにされて狂ったとしか思えない」

「やめなよ、ファビー」

「狂った子どもを矢面に立たせて戦いを煽って、わたしたちみたいな無関係の人間を無理やり働かせて、この戦いに意味なんてあるのかしら」

「わからないよ。だってみんなが戦ってるんだよ。逃げるわけにはいかないよ」

「そこがわからないのよね。逃げればいいのに。どうせ勝てない戦いなんだから。なのにあえて籠城戦なんてやってさあ。何かを待ってるみたい」

「何かを待ってるって?」

「さあ? ノシオのおじさんが兵隊さんを連れてきてくれるのを待ってるのか、それとも何か秘策があるのか……」


 話はそこで途切れる。

 血臭のこびりついた治療室に、ミィナとマルケッタがひょっこり顔を出したのだ。


「リエラー、ファミー、ミィニャごはん持ってきた。いっしょに食べるー」

「ややー!」


 底抜けに無邪気な声が、陰鬱な空気を吹き飛ばす。

 ともすればひとの死に押し潰されそうになるふたりを、ふたりの明るい友人が慰めてくれていた。


「ここで食べると気分悪くなるから、どこか見晴らしのいいところに行きましょ」

「でも治療が。待ってるひと、まだいるけど」

「知ったこっちゃないわよ。子どもに無理やり働かせるなっつの。食事くらい静かにさせるべきね」


 そう言ってファビエンヌは、ずかずかと治療室の外に顔を出した。


「そういうことでわたしたち食事にするから、治療はお休み。あとは包帯でも巻いて神様に祈ってて」


 負傷者たちに向けて、実にあっけらかんとした物言いだった。

 不平不満が出るかと思いきや、案外と素直に受け入れられた。


「いてえんだよ、いますぐ治してくれよ!」

「治すのが仕事だろうが。こっちはずっと待ってんだ!」


 しかし全員が良心的というわけではない。

 治癒師なら治せと横暴な振る舞いをする輩はどこにでもいる。

 正直、自己中心的で治す気が失せるのも確かだった。


「うっさいわね。こっちは善意でやってんの。我儘言うならあんただけ治さないから。だいたい女の子に甘えてんじゃないわよ。どうせいい年してママのおっぱいにしゃぶりついてんでしょ、ボケ」


 ファビエンヌの迫力は物凄い。

 最近になってさらに肝が据わった気がする。

 火に油を撒いてしまったとリエラは首を竦めるが、順番を待つ他の負傷者たちが結託して、横柄なものたちを列から追い出してしまったようだ。

 それを見てファビエンヌは満足そうに頷き、三人を従えて食事へと向かった。

 ファビエンヌはやはり姉御肌だと思う今日この頃である。





 四日目の朝がやってきた。

 援軍はまだない。

 治癒師の少女ふたりの働きも空しく、すでに百人近く死傷者を出していた。

 ヘルトンという神輿を得て領軍相手に善戦しているものの、限界を超えている気配がある。

 防衛線もすでにガタガタ。

 無理やり継ぎ接ぎをしているが、コップ一杯に溢れそうになった水のように、決壊は近づいていた。


 そんな朝の最初の攻撃に、村人たちに明らかな動揺が走った。

 敵が領軍ではなくなっていたのだ。

 整然とした甲冑の兵士たちは隅っこに固まり、無法者たちの百を超える集団が三つ、防衛線の正面に陣取っている。


「バカな……あれは山賊じゃないか!」


 誰かが悲鳴に近い声を上げた。

 そう、領軍が本来討伐すべき山賊集団。

 彼らが領軍の援軍として肩を並べているのだ。

 ドンレミ村の村人側の動揺は大きい。


「ついに悪魔に魂まで売っちまったか、この家畜以下のクソ兵士!」

「おまえらも山賊と一緒だ! 誇りを豚に喰わせたネズミども!」


 動揺はやがて怒りに変わった。

 村人たちはこれ以上ないほどに怒り狂っていた。

 領軍の意味不明の攻撃に震える彼らが、ようやく落としどころを見つけたのだ。

 領軍は山賊に尻尾を振る犬となった。

 ならば自分たちに攻撃を仕掛けることもやるだろう、と。

 誇りを失った領軍に、もはや襲っている相手が昨日まで畑を耕していただけの村人だと理解する分別もないのだから。


「なんでこの時機に現れるの? 嘲笑っているとしか思えない……」


 沈痛な面持ちを浮かべるのは、山賊の陣形とも呼べない塊を見つめるメーテルだった。

 村人の大半が知らないことだが、もともと山賊たちは領軍の中にいたのだ。

 しかし彼らは村の半包囲の方に配置され、脱走する村人たちを嬲り殺しにする役目を負っていた。

 それが正面から三部隊配置するほどになったということは、山賊の方に援軍が現れたという事実に相違ない。


「なんとしてでも凌ぎ切らなくちゃ……」


 メーテルは無意識に愛用の鉄槌を手にする。

 山賊たちは声を上げて攻め寄せてきていた。

 前線の頭上に、ぱらぱらと矢が降ってくる。

 領軍を率いる領主弟の意向で弓矢攻撃はなかったのだが、もはや彼の威光はどこにもないのだ。


「包囲が縮まって、左右後方からも攻撃が!」

「いちばん損壊が激しい場所を調べて、すぐに報告して! 援軍を送るわ!」

「了解!」


 作戦本部を設置したが、すでに工人たちの姿はない。

 彼らも死に物狂いで前線で戦っているのだ。

 ここにいるのは、舐めるように酒を飲んでいる負傷したサリアと、爪を研いでいるアスヌフィーヌくらいである。


「あなたたちも何か方法を考えてよ!」


 メーテルがヒステリックな声を出す。

 それでもふたりは動じない。


「だから前から言ってんじゃん。脱出しようぜ」

「策なんてもうこの三日で使い切っちゃったよ。熱湯をぶっかけたり、穴を掘ったり、狩人の罠でハメたりさあ。でももうもたないと思うなー。みんな頑張ってるけど体はボロボロだし、向こうの方が数は多いし、乱交――失礼、乱戦になったらおしまいでしょ。そろそろ潮時じゃない?」

「もう少し耐えれば援軍が来てくれるわ」

「援軍援軍って、こないもんをアテにすんなよ」

「いま手元にない皮算用に頼るのは指揮官としてどうかと思うなー」

「私はそもそも指揮官じゃない!」


 やる気がなくてうんざりする。

 まだミィナとマルケッタの方が働いてくれている気がする。

 ふたりの少女は無邪気に見えて、あれでこちらの最大戦力だ。

 マルケッタは両手に剣を、ミィナは弓を持って、ふたりは防衛線の遮蔽物をあっさり飛び越え、異常なまでの力で領軍を蹴散らしている。

 剣を振れば大の男が宙を舞い、矢を放てば分厚い鎧を難なく貫通し、同時に三人ほど仕留めてくる。


 あれは尋常ではない。

 ケンタウロスのマルケッタが強いのはわかる。

 魔物の中でも上級と呼ばれる種族だ。

 幼い頃からその片鱗が見えても一応の納得はできる。

 しかしミィナはおかしい。

 彼女は希少と呼ばれる青豹族の獣人だが、決して魔物ではない。

 サリアを圧倒した力があの体のどこに眠っているというのか。

 「身体強化を使いこなしてるんだろ」とサリアは言う。

 獣人の中でも熟練した戦士が体得する闘気法らしい。

 サリアも集中すれば一部強化はできるというが、ハーフドワーフのメーテルにはわからない世界だ。

 「たぶん、あのアルってガキとエルフのふたりがチビをあれだけ強くしたんだと思うぜ」と呑気にサリアは言うが、簡単に強く育成ができるのか。

 そんな奇跡のような方法があれば是非教えてもらいたい。

 いまだって、嬉々として戦場に飛び出したふたりは、山賊相手に容赦なく血風を吹き荒らしているところだろう。


「後方の被害が甚大! 強力な弓兵により、防壁が大部分損傷しています!」

「強力な弓を使うやつ、たぶんアタシの腹を抉ったやつだ。治ったらぶっ殺してやる」

「へえ、怖いもの知らずもいたものだね。サリアの執念は深いからなあ。領主弟といい勝負だ」

「おい、誰といい勝負だって?」

「うるさい! あんたたちはもう黙って! 伝令、そっちに五十ほど援軍を送りなさい」

「しかし動かせる兵力はもう」

「怪我をして休んでる連中も向かわせなさい。これを凌がないと全滅なんだから、無理やり尻を叩いて行かせなさい。女も障害になりそうなものを運ばせて、防壁を厚くしなさい!」

「はっ!」


 バタバタと伝令が駆け出していく。


「尻だってよ。おおこわ」

「僕は尻でするのもされるのも好きだけどね」

「気分が悪くなるからやめろ、ホモ野郎!」

「……なんでこんな能天気な仲間しかいないの?」


 メーテルは深く深く嘆息した。


「正面、突破されました!」


 伝令が駆け込んでくる。


「ほらやっぱり」

「もう引き際だろ」


 メーテルは歯を食いしばる。

 だが息つく暇もなく、もうひとりの伝令が慌てて駆け込んでくる。


「正面、押し返しました! 獣人と魔物の少女ふたりがあっという間に蹴散らし、現在立て直し中! 持ち堪えるかと!」

「ひゅぅ、やるねえ」

「どうよ、アタシが鍛えたんだぜ?」


 雑音を押しやって、メーテルは村の地図に目を落とし、戦局を見る。

 正面はなんとかなりそうだ。

 問題は後方と左右。

 左右の方は工房がひしめき合っており、工人たちが死に物狂いで死守している。

 だから後方――こちらはテオジアに続く道があって、障害物になりそうなものを積んだだけの防衛線でしかない。

 領軍が正面突破に拘っていた所為で、後方を固めるのは後回しになっていた。

 五十名ほど援軍を送り込んだが、それで耐えられる保証はどこにもない。

 何かのきっかけさえあれば突破されてしまうほどに、予断を許さない状況だ。


「伝令! 正面は村長代理の指揮で防衛線を盛り返しました! それと、獣人と魔物の少女ふたりが後方へ移動!」

「強弓を使うやつが現れたって聞いて向かったかな。姉貴分の敵討ちとは泣けるじゃないの」

「そうかなあ? 子猫さん、昨日サリアのこと、うるさいからきらいにゃーって言ってたよ?」

「……あんだって?」

「ぎゃー! ぼくじゃない! ぼくが言ったんじゃないー!」


 メーテルは騒がしいふたりを無視して、地図に目を落とし、次の伝令を待った。





 ミィナは腕のかすり傷をペロッと舐めた。

 幸い、血が滲んでいるだけで、傷は深くない。

 マルケッタも似たような浅い傷を負っており、頬から流れる血を痒そうに拭った。


「強いにおいするー」

「やぁやー」

「でもくちゃーい」

「ややー」

「マルケッタにもわかるにゃ?」

「やや!」

「ニーニャンとアルがいにゃいから、ミィニャががんばらないとにゃー」

「ややー! ややー!」

「マルケッタも手伝ってくれてミィニャうれしいにゃ!」

「ややや!」


 両手の剣をぐっと前に伸ばして、マルケッタが力強く頷いた。

 ミィナも弓の張り具合を弾いて確かめると、マルケッタに力強く頷き返す。

 しばし見つめ合い。

 直後ににへりと笑い合う。


「やるにゃー!」

「ややーっ!」


 傍から見ているときが抜けそうになる光景だが、不思議と励まされた。

 まるで長年連れ添った相棒のように、ふたりは並んで本日二戦目の戦場へ出陣する。


 正面はヘルトン率いる主力勢によって山賊集団を押し返し、ほぼ膠着状態。

 ミィナとマルケッタは戦える場を求めて、自然と絶対的窮地の後方へと移動していた。

 そこは乱雑に積み上げられた家財と、それに取りついて登ろうとしたり、退けようとする山賊を撃退する村人たちの怒号でひしめいていた。


 ふたりは早速、防衛の薄いところから二メートル以上の跳躍によって、山賊ひしめく敵陣に躍り込む。

 呆気に取られて見上げるスキンヘッドの頭にミィナの矢羽が突き立ち、隣の髭面の頭をマルケッタがかち割った。

 それがスタートの合図。

 血風を巻き起こすマルケッタの剣戟。

 隙間を縫って撃ち込まれ、すべてを抉って貫通するミィナの矢。

 圧倒的に山賊たちの悲鳴が増えた。


 ふたりは一見すると別々に動いているようだが、さり気なくお互いの死角を埋めるように背にしていた。

 言葉で取り決めたことではなかった。

 相棒を気にかけていると、自然とそのような動きになった。

 比較的接近戦に弱いミィナだが、後方に下がりながら撃つという縦横無尽でアクロバティックな射撃によって、乱戦でも問題なく戦っている。

 むしろ周囲が敵ばかりという状況は、貫通矢を一矢放つだけで、五、六人巻き込み、多いときで十人を仕留めることができた。

 唯一背中が疎かになるため何度となく狙われたが、その度に悪意と殺気に敏感なマルケッタが勘を働かせ、ミィナに迫る危険を斬って捨てている。


 マルケッタはというと、細腕や無邪気な少女の顔から想像もつかない破壊力をその両手の剣から繰り出している。

 鎧に穴が開くほどの一撃や、人体なら骨まで断ち切る腕力。

 まだ力ずくといった戦い方のため、剣を受けた山賊は綺麗に斬られることなく、ひしゃげたり引き千切れたようになっているが、そこには成長の余地があり末恐ろしさすらあった。

 彼女の弱点はといえば、近接戦は追随を許さない強さだが、遠距離攻撃に極端に弱いことか。

 乱戦の中で矢を射込まれると、防御に足を止めてしまうので、囲まれて劣勢に立たされてしまう。

 そんなとき、ミィナが自慢の耳で弓弦を引き絞る音を戦場の喧騒の中聞き分け、何にも優先して弓手を射倒すことで、マルケッタが窮地に立たされないように支え合っているのである。


 そもそもが成体となったケンタウロスは、ドラゴンやユニコーンと並んで語られるほどに強靭で畏怖される種族である。

 一騎当千とはケンタウロスのことで、希少なケンタウロス族を捕獲しようと四万の兵を起こした小国が、四十に満たない群れに返り討ちにあった昔話からきている。

 腹に子を抱えた妊娠期のみ、子に魔力を注ぐためか母親の力が極端に落ちるものの、彼らは三十から多くて百の群れを作って森や平原で暮らすため、人族が捕えることは容易ではない。

 特殊な経緯でいまこの場にいるケンタウロスのマルケッタは、その種族特性を失うことなく一騎当千の片鱗を見せていた。


「矢がくるにゃ!」

「ややっ!」


 ミィナは自慢の耳をぴくっと動かし、引き絞られた独特の音を聞き分ける。

 サリアが身を挺して矢から守ってくれなければ、今頃ミィナはここにはいなかった。

 もう二度とあの弓手に不意を打たれるわけにはいかない。


 その矢は神速だった。

 ミィナとマルケッタがちょうど直線状に立った瞬間、射出された。

 神がかり的でもあった。

 山賊の隙間を縫うようにまっすぐ飛んでくる矢は、まるで標的以外を避けているようにも見えた。

 ミィナとマルケッタは、あらかじめ予測を立てていたため、反応することができた。

 同時に横に飛び退く。

 もし射られてから気づくようなら、それはもう死後の世界に旅立っている。

 台風のような渦を生み出し、空間をバリバリと喰い割って迫りくる凶矢。

 ふたりが避けたのち、凶矢はバリケードを蹂躙した。

 積み上げた家財を吹き飛ばし、その向こうに構えていた何人もの村人を喰らったのである。


 これは防ぎきれない。

 ミィナとマルケッタは直感で理解した。

 防ごうとすれば死ぬ。

 ならば避けるしかない。

 幸いミィナは山賊たちの腹部程度の身長しかなく、マルケッタも頭の先は肩に届くかというくらいだ。

 味方を巻き込まないように矢を撃ってくるので、間に山賊を挟めば狙われることはない。

 そのことをなんとなく本能で察しており、その後は一度も矢が飛んでくることはなかった。

 ただし、他の遮蔽物は狙われ、犠牲も多く出た。


 どれくらい戦っていただろうか。

 角笛が吹き鳴らされる。

 日がようやく落ち始めた程度で、まだ高い位置にある。

 山賊たちが潮が引くように下がっていく。

 残されたふたりは足元の死体や血だまりを避けながら、更にはいつ飛んでくるかもわからない凶矢に注意しながらバリケードを飛び越えて内側に戻った。

 ミィナは返り血をぐしぐしと袖で拭い、手の甲の血をぺろりと舐めた。

 マルケッタは頬をぽりぽりと掻く。

 頬の傷は塞がり、付着していた血が固まってかさぶたのように落ちていた。

 ふたりは大した傷を負っていないことを確認すると、顔を見合わせどちらともなくにへりと笑った。


 内側で首を引っ込めた亀のように耐えて戦っていた村人たちは、そんなふたりに畏怖と称賛の眼差しを送った。

 年端もいかない亜人の子に最前線で戦わせている引け目と、身震いするような山賊集団を相手に圧倒的な強さを見せつけた化け物じみた力量があいまって、遠巻きにするだけで近寄れない。


「明日も悪いひとたくさんきそうだねー」

「やー」

「強いのひとりいたねー」

「ややー」

「ふたりで倒そうにゃー」

「ややーっ!」


 周囲の目を気にもせず、ふたりは手をつないで歩く。

 マルケッタの両剣は、血を拭った後、腰に提げた鞘にすでに収まっていた。


 堂に入ったふたりを、村人は道を開けて通した。





 攻撃の波が引いてみると、防衛線はなんとか持ち堪えていた。

 領軍から山賊に取って代わって攻めてきたのだが、領主弟率いる領軍は鳴りを潜め、今回ほとんど姿を見せなかった。

 領軍と山賊、足並みを揃えるつもりはないのだろう。

 今回、山賊連中は本気で防衛線を突破してくるつもりがなかったと思われる。

 それはおそらく、この瞬間のために。


「いやぁ、ドンレミ村の諸君よ、大変お疲れのようで、ざまあねえな。俺はヴォラグってもんだ。しがない兵士崩れさ」


 山賊の頭目、ヴォラグ。

 そしてその脇に、ヴォラグより大柄でのっそりした男が、強弓と何かを詰め込んだズタ袋を引きずっている。

 ふたりだけで防衛線の正面に立っている。

 防衛線には村人たちが張り付いているが、いままで飛び出して攻撃を仕掛けたことがないため、たったふたりを見ていることしかできない。

 唯一防衛線の外で戦っていた、こんなときに飛び出していきそうなミィナとマルケッタは、いまはリエラとファビエンヌのところで治療を受けている。


 ヴォラグの姿を、屋根の上から三人が眺めている。

 獣耳を動かし、「二人以外にはいないようだ」とサリアが呟く。

 向こうから顔と髪色がわからないように、アスヌフィーヌは兜を被って興味深そうに眺めている。

 メーテルは、いまこの瞬間に出てきたことの裏を読もうとして、爪を噛んで深刻な表情だ。


「やばいのが出てきたもんだ。いきなり親玉ヴォラグだよ」

「あれも最終目標のひとつだよね? メーテル?」

「サリア、弓」

「無茶言うな。傷が開いちまう。あと、ヴォラグの横のデカブツ、弓で狙おうとしたら撃ってくるぜ。向こうが風上だから臭いでわかるが、あれはアタシの脇腹を抉ったやつだ」

「尚更殺して」

「メーテル、こっちが周到に準備して引きずり出した狩場ならともかく、向こうから出張ってきたときは絶好の機会とは言えないんじゃないかな? 弓矢対策もしているようだし」

「でも!」

「てめえは余裕がなさすぎだぞ。ちっとはガキどもを見習えよ。こんなクソみたいな戦場でもまだ笑って飯食ってんだ。てめえは肝が細すぎだ」

「まあまあ。メーテルにはいろいろ心労があるんだから。能天気になれって言ってもムリだよ、サリア」

「それだとアタシに何もないみたいじゃないか!」

「……え? 何かあったっけ?」

「なにィッ!」


 ヴォラグはにやにやと口端を歪め、その後ろの大男は呑気そうにぼりぼりと腹を掻いている。

 山賊相手に正々堂々なんて言葉はない。

 だが、こちらは仕留める機会を逸していた。


「領軍は村を見境なく襲っているというデマが流れているが、それは真実じゃねえ。オレたちのような荒くれを使うのも目的があるからだ。それは何だと思う? オレがこう話してピンとくるやつらが、おまえらの中に混じっているはずだ」


 嘲笑を浮かべ、ヴォラグは拳を振り上げる。

 村人の反応はまだ、困惑にも至っていない。

 こいつ、何言ってるんだ? といった様子だ。


「すぐにやめさせないと!」

「まあ待て」「待って待って」


 メーテルが指示を飛ばそうとするのを、直前でサリアとアスヌフィーヌが押さえ込んだ。

 サリアが羽交い絞めにし、正面からアスヌフィーヌが肩を押さえる。


「余裕を持てと言ってるだろうが……っと、いてて」

「この話にピンときら即通報、じゃあ村人の不信感を煽るだけだってば。あいつらは自分たちに何かを黙ってるぞ、と思われるのがオチだよ」

「でも、これはまずいことだって、あなたたちもわかるでしょ!」

「わかるからこそ、とんずらこく準備しようって話だよ、メーテル」

「そんな余裕があれば、だけどな。……おい、暴れんな。脇腹がいてえんだよ」


 サリアの懸念通り、ヴォラグの演説は核心へ迫っていく。


「オレたちゃ見境なく村を襲っているわけじゃねえ。この村もそうだが、これまでに潰してきた村はドブネズミが隠れ住んでいやがったんだ。そいつらはいつか国を転覆させようとしてやがるふてえ野郎どもだ。領主弟ザック・ベルリン殿は男妾を探してこの村を襲ったと勘違いしているだろうが、それは違うぜ。そうやって誤解を受けていた方が動きやすかっただけだ」


 ヴォラグはさも楽しそうに話す。


「男妾がマシな誤解ってなんだよ」

「さあ? 実はマゾ豚プレイじゃないとイケないこととか?」

「あなたたちっ!」


 メーテルの癪に障ることを言って、あえて予想したくない事実から目を逸らそうとしている空気がふたりにはある。

 そうやってヴォラグの話にのめり込まないように気遣っているのだが、普段以上に下品な会話が飛び交っているため別の意味でメーテルの怒りを買った。

 メーテルだってバカではない。

 ふたりの意図を頭の片隅ではわかっているが、感情がそれに追いつかないのだ。


「耳にしたことはねえか? この国を倒そうってやつらの噂だ。やつらは巧妙に、いろんな場所に隠れてやがる。たとえば、おまえらの中にいるかもしれねえな。なに考えてんのかわからねえやつは近くにいねえか? そいつがもし村の仲間のことは二の次に、国王をぶっ殺すための計画で動いていたらどうする? 国王の罪は国民の罪とかほざいて、陰で憎んでいたらどうする?」


 ようやく村人の中に、不信感が広がり始めた。

 本当に疑っているわけではないが、可能性のひとつとしてあり得る、と思い込まされてしまった。

 そして事実、メーテルたち三人、殺された村長親子は国に対し、敵対的な思想を持ち、協力関係にあった。

 狙われたのはドンレミ村の村長だけではない。

 領主弟を誘い出したアスヌフィーヌも怪しまれているはずだ。

 不安は拡大し、おそらく村人の中で古くからの絆を信じ、浅い関係のものが疑われ始める。

 特にメーテルやサリアなど、村の外から来たものはいちばんに非難の目を向けられる。

 そうして内側から揺さぶりをかけられては、もともと足元が不安定なドンレミ村の防衛戦はあっさりと勝敗が決まってしまう。


 なんとしてもここでヴォラグの命を奪うべきだ。

 しかし優秀な弓手はいま、サリア以外にいない。

 ミィナにその重責を押し付けるべきではない、というわずかな良心もある。


「この国にはそいつらには隠し拠点がいくつもあって、独自で生活をまかなっているが、どうしても必要なものは足りなくなってくる。そんなとき素性を知りつつも取引をするやつってのは誰だ? この村の誰がドブネズミどもと取引をする? 出て来い、って言っても、もういないよなあ。もう斬り殺しちまったもんなあ」


 動揺は広がる。


「村長が?」

「まさか!」

「あの心優しい村長が」

「国の破滅を望む連中と?」

「どうして!」


 亀裂。

 軋む音が聞こえるようだ。

 いちばんそのしわ寄せを食うのは、表向きの信頼を集めるヘルトンだ。

 舌なめずりして眺めるヴォラグを、メーテルは殺してやりたいくらいに睨みつけた。


「国に楯突こうって馬鹿どもがこの中にもいるはずだぞ。だがよぉ、ひと目見てそいつがわかるわけじゃねえ。なんとしても生き延びて、またネズミどもを集めようって魂胆だからなあ。だから疑わしきは殺すしかねえんだ。わかるだろう? そいつらさえいなけりゃ、村は襲われずに済んだ。愛する誰もが死なず、夫や妻、子どもが殺されることもなかったはずだ。ちげえと思うやつは前に出てきて言ってみな。もしかしたら、そいつがネズミかもしれねえがなあ!」


 ガハハと嗤うヴォラグ。

 村人たちの疑念はとうとう広まり切った。


「オレはここに来る前にネズミの拠点を一個潰してきた。その村すべてがネズミだった。もちろん地図には載ってねえ。税も納めていねえ、国に敵対するやつらだ。やつらの血はどうやら赤くってなあ、全員殺したが、それでもまだネズミは根絶やしにできねえ。おい」


 ヴォラグが後ろに手を振ると、大男がズタ袋を前に引きずってきた。

 そしてズタ袋の中身をぶちまける。

 防衛線からは息を呑むもの、悲鳴を上げるものと、動揺が広がった。

 ズタ袋から放り出されたのは、生首の山だった。


「いや……そんな、うそ……」


 ほとんどの人間は転がる生首の壮絶な光景に顔を顰めるが、一部はそれ以上に顔を青くした。


「カールだ」

「ディルクに、あの長い黒髪はエルマーだよ、きっと」


 表情が暗いのはサリアたち三人。

 首だけになったものたちは、サリアの前にアスヌフィーヌの護衛を任じていた、そしてジェイドの気配を危惧して拠点の戦力増強に向かった男たちであった。

 彼らはすべて、物言わぬ首だけになって転がっている。


「ユリアンは拠点にいたはずだよな」

「うん、守備隊長のミヒエルの首もある」

「……そ、んな……」


 メーテルは糸が切れた操り人形のように、その場にぺたんと座り込んだ。

 期待していた援軍の姿が、いま目の前に転がっていた。

 挟撃し、目的の人物を仕留める。

 頭の中にあったその作戦が、ボロボロと崩れていく。

 それはこの窮屈な現状を打開する光明だったのだ。

 メーテルへの心的負担はもはや許容量を超えかけていた。


「ちょっと待って……? 拠点全員? 子どもたち、も……?」


 「あ、やばい」とアスヌフィーヌが漏らした。

 サリアは脇腹の痛みをおしてメーテルの拘束を強くする。


「私の子ども、子どもたち! ダヤン! ディド!」

「あー、あいつらな。大丈夫だって。子どもは最優先で隠される。その隠し場所が簡単に暴かれるとは思えねえよ」

「そうそう。メーテルの子どもだよ? 簡単に死ぬわけないと思うなあ」

「なんで、なんであの子たちが巻き込まれなくちゃいけないのよぉ! ううぅぅぅ!」

「ダメだ、聞いてねえ」

「最近いっぱいいっぱいだったから」


 嗚咽しぼろぼろと泣き出すメーテルを、屋上から下に、付き添うアスヌフィーヌが連れ出した。

 メーテルがこれ以上ヴォラグの話を聞くべきではない。

 その分、残ったサリアが目を鋭く細めてヴォラグを睨み付ける。


「あー、やべえ、頭に血が上っちまう。久々にぶち殺したくなってきた」


 サリアはこれまでの冗談を引っ込めて、牙を剥いている。


「ここが死に場所か」


 覚悟を決めた。

 所詮、一族を失い、奴隷として流れ着いた身。

 メーテルがいろいろ抱えているのとは対照的に、アスヌフィーヌの言うように、サリアはあえて何も抱え込まないようにしていた。

 それはつまるところ、いつ死んでも構わないようにするため。

 サリアは考えた。

 拠点からの援軍は望めない。

 テオジアからフィルマークの旦那が援軍を派遣してくれるのもいつになるかわからない。

 ジリ貧で全滅を待つばかりでは、仲間の遺したものが無駄になる。

 この包囲を突破する大きな力に、自分はなるべきだ。

 使い物にならなくなったメーテルの代わりに。


「領主弟ザック・ベルリンが追っていた男妾に、ネズミどもを知る手がかりがあるんだ。髪は銀色、優男らしいが、てめえら匿ってんじゃねえだろうなあ? もしこいつを差し出せば、貴様らがネズミどもに加担してねえって証明をしようじゃねえか。さあ、いるのかいねえのか、はっきりしな!」


 ヴォラグが必要以上に不信感を煽ったのは、指名した人間を素直に差し出すよう仕向けるための下地だったのだろう。

 そしてまんまと、その演説に乗せられた。

 村人がアスヌフィーヌを見る目に、敵意を孕んでいる。


「ぼくが行くしかない、よね……」


 アスヌフィーヌの膝は震えていた。

 見た目の優男は伊達ではなく、暴力はからきしである。

 メーテルを宿の一室に寝かすと、諦観と覚悟の入り混じった微妙な笑みを浮かべ、アスヌフィーヌは防衛線に向かって歩き出した。

 その背中は、死を覚悟していた。



○○○○○○○○○○○○○○○○



 商都テオジア――

 トレイド商会三階、会頭専用会議室。

 窓はないが、天井に埋め込まれた貴重な光石から暖かな光が降り注ぐ。

 四角い部屋に、固定されたドーナツ型の机、それと十六脚の付属の椅子しかない、観葉植物もない殺風景な部屋だ。

 その場所に、ひとり微笑みながら座し、指を組んで待つ初老の男。

 トレイド・チェチーリオ、そのひとである。


 彼はトレイド商会を三十代の頃に立ち上げ、瞬く間に躍進。

 現在、五十の齢にして商都テオジアの顔とも呼ぶべき商人に急成長した神がかり的な商才を持つ男だ。

 そんな彼の待つ四角い部屋には、各側面にひとつずつ扉があった。

 チェチーリオの後ろにも、彼専用の扉がある。


 待つことしばし。

 最初に初老の彼から見て、右手のドアが開いた。

 のそりと入ってくる巨漢。

 武器を持っていたらさぞかし似合うだろう。

 しかし商人らしく、床に引きずるほどの仕立ての良い羽織物を纏っている。

 目つきは鋭いが、チェチーリオと目が合った途端、破顔し、ひとつ頭を下げた。


「会頭をお待たせするとはなんたる失態。商人は時間と約束が何よりも優先しますからなあ。この私の失態をどうぞ寛大な心で許してやってください」

「別に構いませんよ。どうぞ好きなところにお座りなさい」

「では失礼して」


 フィルマーク・アセイジオ。

 彼は十年ほど前に冒険者から商人へ転職し、冒険者時代に培った人脈を活かしてたった十年という月日で商会の幹部にまで上り詰めた野心の男である。

 裏に表にと様々な商売に手を出し、古くからのものたちには毛嫌いされているが、新風を望むものたちの後押しを受けてアセイジオ派と呼べるまでに派閥を成長させている。

 フィルマークはのっそりと歩き出し、着席した。

 会議室を見渡した彼は、ひとつ首を傾げた。


「会頭、いったいこの場で何を話し合うおつもりなのですかな。私はここへ来るよう呼び出されただけで、付き人もこの部屋に入ることを許されないとは」

「フィルマーク、この会議室を使ったことは?」

「ええ、初めてですね。何やら曰くのある部屋だと聞き及んでおりますぞ。会頭がもっとも重要な案件を取り決める場合にのみ使用する部屋だとか」

「ええ、間違っていませんよ」

「ほう、どんな案件が取り上げられるのでしょうな」

「それはもう一方が揃ってから話し始めるとしましょうか」


 フィルマークの目がきらりと光る。

 彼は表情には出さないが、野心が瞳に出やすいと常々思っていた。

 いま彼の心の中は何に対する話し合いか、目まぐるしく考えていることだろう。

 彼は少し前からテオジアの地下闘技場を仕切るようになり、更には奴隷売買にも手を伸ばそうとしている。

 古参の商人たちが独占しているため、参入の足掛かりすらないようだが、それでも諦めない男だ。


 あくどい商売も躊躇ない彼が裏市場に食い込もうとする目的は、意外に清廉だった。

 裏市場で取引される人身売買。

 生きた人間が、たった一食分のパンより安い扱いで取引される実状を正したいのだ。

 それにはチェチーリオも共感できるが、彼の本当の目的はそれに留まらないため、決して手を貸すことはない。


 彼は地下売買に関する話だと思っているのか、はたまたもっとも表沙汰にできない、彼が誰に対しても秘密にしている話が取り上げられるのか……。


 野心を滾らせるフィルマークの瞳を見つめながら、チェチーリオはそっと微笑んだ。

 チェチーリオはすべて知っており、チェチーリオには隠し事ができない。

 高さ十メートルを超える防壁で囲まれた堅牢な商都テオジアに置いて、チェチーリオに知らぬものはない。


 チェチーリオから見て左手の扉が開き、ようやくもうひとりの人物が現れた。

 魔術師のローブ姿をした顔色の青白い男だ。

 彼は部屋を見渡し、そして顔を顰める。

 もう一歩を踏み込むことに躊躇いがあるようだ。


「どうぞ、お入りなさい。これから重要な話し合いをこの三人で致しましょう、ジェイド・テラディン殿」

「なんだか胡散臭いなあ。この部屋は気持ち悪い」

「それは明かり取りがないからでしょう。じきに明るさにも慣れます」

「うーん……」


 ジェイドの目はドーナツ型の机を挟んで真向かいに座っているフィルマークに焦点を当てていた。

 フィルマークもまた、朗らかに笑いながらもジェイドを危険視している。

 そんな一触即発の空気だが、ジェイドは臆することなく部屋に入り、頭のフードを下ろして席に着いた。

 着いた席がフィルマークと対面にならず、チェチーリオとも少し距離を置いた位置だったので、彼の警戒心が高いことを物語っていた。


「さて、重要な案件の話し合いに参りましょうかね。何のことかという顔をしていますね、ご両人。私たちが切り分けるケーキについてですよ」

「ケーキ?」

「知りませんか? 砂糖をたくさん使った贅沢で甘いケーキ」

「存じていますが」

「ぼくも好きだよ」

「そのケーキですよ。テオジア以北を巡って争い合っている三つの勢力が決着したとき、以降また余計な面倒を増やさないように、ここであらかじめ決めておきましょうという話です」


 フィルマークの顔が曇り、ジェイドは苦い顔になってそっぽを向いた。


「その前に、お互いの自己紹介をちゃんとしておかないとですねえ」


 話すチェチーリオの口ぶりは、ケーキを前にした子どものように楽しげだった。

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