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異世界旅行は落ち着かない  作者: 多真樹
第二部 少年時代 三章 家族捜索
142/204

第81話 ドンレミ村防衛戦Ⅰ

 銀髪の髪は、たとえ男のものでも綺麗に見えた。

 だが、その銀の色を血に染めることになると思うと、少しだけ勿体ないと思った。


 ヴァレリアン・フリーザーは二十二歳だという。

 生け捕りにしたが、女騎士にはばれないように、青年指揮官を脅して撤退させた。

 軍の尻に噛みついた街道から森一個分後退した草原に鉄国軍を駐留させ、両手足を拘束したヴァレリアンを地面に転がしている。

 鉄の(アイアンフッド)の貴族ともなれば褒賞もたんまりだろうが、女騎士に売り渡すつもりはない。

 端金(はしたがね)だけ掴ませて、どうせ自分の手柄にするだろうから。

 それに……。


「なんで女騎士に恩を売らないんだ? 敵国の指揮官、それもフリーザー家を捕えたとなれば破格の恩賞だろうに」

「嫌いだから。絶対に裏切る。信用ならならない。それに声でかい」

「確かに声はでかいし、性格も雑……僕もああいうガサツな女は嫌いだけども。だけど交渉でうまく立ち回るような頭はないんだよ?」

「余計めんどい。責任もってクェンティンが相手してくれるならいいけど」

「それはちょっと……」


 結局、ふたりともあの女騎士と関わりを持ちたくないのだ。

 あれは嘘がつけない分、自分の意思が最優先で、思い通りに動かせないタイプの人間だ。

 フォクス領に向かっていたのに、領主弟の危機と知ってあっさり引き返したのがその証拠。

 殿(しんがり)で体を張って鉄国軍を止めることもせず、無力な捕囚者たちをトカゲの尻尾きりみたいに使って自分たちの部隊だけ先頭で逃げ切ろうとしたのも、俺の心証をさらに悪くした。

 絶許(ぜつゆる)である。


「僕はもっと淑やかなマルちゃんみたいな子が理想だから」

「あんた魔物ならなんでもいいんだろ」

「そうだけど……違うから。僕は心に決めたケンタウロスしか愛さないと決め――」

「あ、興味ないんでいいです」

「ひどいな!」


 逃走を図る女騎士の部隊には知られぬように、ある程度距離を置いたところで鉄国軍に陣を敷かせたのも、俺が彼らに少し確認したいことがあったからだ。

 銀髪ショートカットのミリアも同席して、縛って地面に座らせたヴァレリアンと車座になった。

 青年の部下からはどうやら恨みを買っているようで、天幕の外からビシバシ射殺さんばかりの視線を飛ばされているが、ヴァレリアンの命はこっちにあるので大抵は無視しても問題ない。


「で、私をどうしようというのだ?」


 ヴァレリアンは、覚悟を決めた瞳でこちらを睨んでくる。

 若いが、さすがに指揮官だけはある。

 大将として敗北した以上、死ぬことも恐れない勇猛さがきらりと光る眼から窺えた。

 男の青ケツを追っかけるどっかの馬鹿領主弟と、無能の女騎士に気構えくらいは見習わせたいね。


「どうすると思う?」

「くっ、殺せ。このような生き恥をかいて、国に戻れん」

「いやいや、そんな潔くても困るわー」


 男がくっころとか流行りませんから。

 そういうのは女騎士でお願いします。

 脳裏に声だけ馬鹿でかい女騎士の顔が思い浮かんだが、こいつじゃないんだ。

 もっと気高く美しく、その立ち姿だけで眩しいくらいの金髪の女騎士なんだ。

 ちょっと見栄えがいいくらいの女騎士じゃくっころの良さは伝わんないんだ。


「お望みとあらばサクゥッ~って思ったけど、聞きたいことがあるんだよね。鉄の国の現状について。それと、ミリアを略奪したとして、この子をその後どう扱うつもりだったのかも」

「……大人しく話すとでも思っているのか? そんなものに付き合うつもりはない。俺を殺して部下たちは見逃してくれ」

「じゃあ他のひとに聞こうか。別に誰でもいいしね。もちろん、質問に答えない人間は――」


 トントンと首を叩いて見せる。

 斬首。

 それができるくらいには魔術を操れるし、手を汚すことの覚悟もできている。


「まあ五百人もいれば二十人に聴取して十分な情報が得られるかなー」


 実際にはそんな大人数を尋問なんて疲れるからやらないが、やると思わせるブラフさえ相手に刻み込めれば問題ない。

 銀髪の貴公子は、顔を真っ青にして首を振った。

 俺の目を見て、こいつならやりかねない! と思ったのだろう。

 成功だ。


 そのとき。

 シュッと、息を鋭く吐き出すような音が聞こえた。

 唐突に矢が天幕内に飛び込んできたのだ。

 俺のこめかみに向けられた必殺の矢。

 それを目で捉えるなく、あっさりと手で掴んで見せる。

 驚くヴァレリアン。

 口が「ばけものか……」と動いている。

 うるさいよ。


 ミリアとクェンティンはまったく反応できず、いきなり矢を掴んだことに色めき立った。

 俺はその矢をちらりと見下ろす。

 鉄国軍の使っている矢なのだろう、矢羽がこちらではあまり見ない灰色羽である。

 ふむ、と考え、俺は飛んできた方向に向けて投げ返すことにした。

 風魔術に乗せているので飛んできたときよりも速く空気中を滑る。

 遠くで悲鳴が聞こえた。


 ヴァレリアンの部下が俺の暗殺を目論んだのだろう。

 しかしおかげでヴァレリアンの立場はさらに悪くなり、俺はにんまりと笑って見せることで、どっちがこの場の支配者かを確実に知らしめる結果になった。


「殺せとか言いつつ殺しにくるって、生き汚さがすごいねえ? これが北の国の軍人の誇りなんだろうなあ? どこまで恥を上塗りするのかもうちょっと見てみたいよ。次はこの天幕ごと爆破でもしてくれるのかなあ」


 邪悪なニヤニヤ笑みを向けて、青くなったり白くなったりするヴァレリアンの反応を楽しむ。

 ちなみに矢が飛んできたのは、弓を引き絞るところからわかっていた。

 山賊ヴォラグに不意を打たれてから、悔しくて周囲への警戒は常に怠らないようにしたのだ。

 魔力を馬鹿食いするが、こういうときのために必要な措置であることは実証された。

 ただの臆病(チキン)君じゃね? とか思っても言っちゃいけない。


「わかった、わかったから将兵を無闇に殺さないでくれ。質問には誠意を持って答えよう」

「あん? 答えようだって? おかしいなあ。まるでお偉いさんがこのあたりにいるみたいだ。そんなひとが僕みたいな子どもの話をまともに聞いてくれるはずもないしなあ」

「こ、答えさせてください……」


 臆病者は一端優勢に立つと調子に乗るのだ。

 最近は大人の鼻っ柱を折るのが癖になりつつあるなあと頭の片隅で思うが、やめられないのである。

 子どもと侮っている相手ほど、屈服させたとき得も言われぬ快感がある。

 性格悪いなあと思わないでもない。

 ただ、性格が良くてこの世界をまともに生きられるかと言われればノーと即決するくらいには、過酷な異世界に馴染んでいる。


 ヴァレリアンに質疑応答をしたあと、鉄国軍の兵士を何人か呼んで、ヴァレリアンの前で答えさせて、情報の擦り合わせは行った。

 ヴァレリアンがほとんど嘘を言っていないことを確認できた。

 あと、暗殺を狙ったこともあって、彼らの武装はすべて大火力で溶かし尽しておいた。

 そのパフォーマンスだけでも、魔術師に敵わないと思わせる効果はあったようだ。


「さて、聞けることは聞けたし、もう十分かな」

「アル君、君はぼくの話の裏を取るために彼らを尋問したんでしょ?」

「さあ、どうだろうね? 急に襲ってきたらその理由を知りたくなるものだから」


 軽く誤魔化したが、クェンティンは確信を深めたようだ。


「じゃあミリア、ちょっとあのロリコンおじさんと天幕の外に出てもらえる?」

「ぼくはロリコンじゃないよ!」

「うん……わかった。ろりこんさんと外に出てる」

「だからロリコンじゃないよ!」

「そういうことなんで、クェンティ――ロリコンさん、馬車に戻ってて」

「なんで間違ってる方に言い直すの!?」


 ミリアは項垂れ、とぼとぼと天幕を出る。

 しかし途中で振り返り、じっと俺の顔を見つめた。


「魔術師さん、怖い顔してる」


 クェンティンも何かに気づいたように、俺のことをじっと見つめた。


「……まさか君、余計なことを考えているわけじゃないだろうね?」

「余計なこと? なんだろう?」

「誤魔化さないでほしいな。手を汚すつもりだろ」

「そんなことしないよ。手が汚れないようにやるし」

「そういうことを言ってるんじゃなくて、殺すことがダメだって言ってるの!」

「魔術師さん、ころすって……?」


 ミリアの眉尻が悲しげに下がる。


「生かして返したらまたミリアを狙いかねないしね」

「そうなるのではと覚悟していた。だが、将兵は何も知らないのだ。国に返してやってくれないか」

「その願いは聞いてやれないな」

「……くっ、魔術師ひとりに命を握られるとは……」


 口惜しげにヴァレリアンは俯くが、最初から覚悟していた様子だ。


「ダメよ、魔術師さん! 殺すのはいけないことよ!」

「ミリア、君は何度も狙われることになるんだぞ。派閥の意向によっては捕まるだけで済まないかもしれない。命を狙われる可能性がある」

「そんなの大丈夫だわ! だって魔術師さんが必ず助けてくれるもの! あたしが助けてってお願いしたら、魔術師さんは助けにきてくれたもの!」


 ミリアの信頼は過分に過ぎる。

 偶然が重なっただけで、ミリアの存在にこれっぽっちも気づいていなかったというのに。

 クェンティンに話しかけようと思わなかったら、きっとミリアは北の貴族の手に渡っていた。

 国と国の間で翻弄される運命にあった銀髪の幼女がたまたま俺の手の届く範囲に現れたのは、彼女の運が良かったとしか言えない。


「でもねえ……」

「お願い! 魔術師さん!」


 胸に飛び込んできたミリアを優しく抱き止める。

 幼女に縋られてしまっては、紳士の名を持つ以上、断ることができない。

 キラキラした眼差しが否定の言葉をあらかた奪ってしまうので、終いには頷くしかなかった。


「ありがとう! 魔術師さん!」


 ぱっと花が咲いたように笑う銀髪の幼女。

 その笑顔だけで、願いを聞き届けた価値は十分にあった。

 幼女は正義。


「というわけで、処刑はなしだ。お前いまの自分がわかるか? 捕まえて政略の道具にしようとした女の子に命を救われたんだぞ? 恥を知れ、恥を」


 ぺぺっと唾棄すると、銀髪の貴公子は力なく項垂れた。

 ま、これは九割俺の八つ当たりだけど。


「俺だって年端もいかぬ娘を利用したくなどない。だが、これも他家から抜きん出るため、妹を取り返すためなのだ……」

「命拾いした後に泣き言かよ、けっ。女々しいな。けっ」

「なんでそんなに荒んでるのさ」


 クェンティンが呆れた顔をしている。


「こっちはかれこれ二年間、生き別れの妹に会ってないんだよ。両親が生きてるかもわからないし、頼るものもいないしで、俺はここまでやってきたんだ。その気持ちがあんたにわかるかよ。それと同じじゃボケェ」


 もしアルという少年がただの子どもだったなら、きっとこれまでの人生のどこかで野垂れ死んでいた。

 奴隷のように働かされた村での生活、あるいはたったひとり飛ばされた大平原、あるいは迷宮と化した大森林で。

 だが生きている。

 前世を覚えている大人な俺が、生き方に余裕を与えてくれたのだと思う。

 生来の楽観的な性格もあって、本当になんとかなってきた。


 ヴァレリアン・フリーザーを解放すると、もはや敵対する気はないのかしおらしくミリアを見ていた。

 ミリアを通して妹を見ているのかもしれない。

 とんだシスコンだな。

 おまえが言うなと言われそうだけど。





 クェンティンは、銀髪貴公子と何やら商談をするとか言っていた。

 俺がいる以上、ミリアと首飾りをセットで北に売りつけられないため、金髪イケメンの青年商人はすでに詰んでいるのだが、また別の方策をヴァレリアンをうまく使う方法で企んでいるのかもしれない。

 魔物娘が好きでロリに甘い男だが、商都でも名立たる商会に所属している男だ。

 どこかで俺を出し抜く算段を秘めていてもおかしくはない。


 俺はいまこのときで、できることをやることにした。

 ミリアの髪色を黄土色に変えて銀髪だとバレないように工夫する。


「髪の色をかえるの?」

「銀色だと目立つからね」

「目立たない方がいい?」

「そうしてくれると助かるかなー」

「じゃあいいよ!」


 素直ないい子である。

 よしよしと撫でておいた。


 着色料は植物の絞り汁である。

 木の皮と茎から取った汁を水で溶く。

 体によくないかもしれない。

 とりあえず雑菌と病原菌を殺すために浄化をかけておく。


「すっぱいにおいするね」

「乾けば気にならなくなるよ……たぶん」


 髪にもみ込むように色を付けていき、大方塗りつぶすことができた。

 天頂部に少し斑ができたが、これは帽子でも被らせて隠そう。

 猫ちゃん用の耳隠し用の帽子が荷物にひとつ余っていたので、それをミリアに被らせる。


「この帽子かわいい!」

「猫ちゃん……ミィナっていう俺の家族の帽子なんだ」

「猫ちゃん?」

「猫獣人なんだ。尻尾と耳があって、腕とか足に猫の毛が生えてるんだ」

「会ってみたい!」

「きっと会えるよ」


 綺麗なミリアの髪が少しパサつくのが勿体ないが、斑がないように色を付けて乾燥させればなんとかなりそうだ。

 水で洗い流せばすぐに落ちてしまう染料だが、ヴァレリアンのような北方人が見ても、ミリアが同族だとすぐにはわからないはずだ。

 他に気づかれる要因があるとすれば、ミリアの瞳は青みがかっており、ヴァレリアンの瞳の色も一緒だった。

 だがまあ、青い瞳はこちらの国では少ないが、いないわけでもないので、なんとか誤魔化せるだろう。


「さてと、そろそろ女騎士のところに戻らないと完全に置いていかれちゃうわな」

「えー……」


 ミリアが目に見えて嫌そうな顔をする。

 女騎士とクェンティンにあまり良い感情を持っていないのだ。

 ずっと馬車に閉じ込められていたこともある。


「ミリアが自由になるためには一度戻らなくちゃいけないんだ」

「わかったよう」


 ぶぅと口を膨らませた姿が可愛らしくて、また頭を撫でてしまった。





 不満顔のクェンティンを馭者に据えて、馬車はかなり離された女騎士の部隊を追っていた。

 陽が傾き始めてからお昼寝を始めたミリアに膝を貸しつつ、窓の流れる木々の景色を見る。


「僕は商人であって馬車を動かしたことなんてないんだけどなー。商売が本業であって、運転手みたいに何も考えなくてもいい仕事はもっとふさわしい人間がいると思うのになー」


 馭者台からぶちぶちと独り言が聞こえてくるが、当然無視を決め込んだ。

 だって女々しいんだもん。

 馬車を運転していた馭者があの騒動で逃げ出してしまい、消去法でクェンティンが馭者台に収まった。

 事の発端は、さて馬車で移動するかという段階になって、ミリアと俺は素早く馬車に乗り込んで内から塞ぎ、扉を何とかこじ開けようとするクェンティンを突っぱねたのだ。

 思った以上にクェンティンは非力であった。

 結局諦めて、収まるところに収まったわけで、適材適所である。


「魔術師なら馭者だってできるだろうにさあ。僕だって女の子に膝を貸すくらいできるんだぞ。そこのお嬢さんにはずっと嫌われてるけど、すぐに仲良くなってみせるのに!」


 いい加減納得しろよと言いたい。

 でも返事をした瞬間、溜め込んだ不満をぶちまけられそうで面倒くさい。

 確かに美形だし、女の子はそういう男に優しくされると嬉しくなるものだ。

 だがしかし、クェンティンはあれだ。

 残念イケメンというやつだ。

 性癖といい、女々しさといい、周りの人間は大変だろうな。


 ミリアの髪を指で梳くが、やはり染料のせいか少しごわごわして指に引っかかる。

 幼女特有の柔らかい髪質が台無しで申し訳ない。

 もうひとりの銀髪貴公子は、すでに傍にいなかった。

 ヴァレリアン・シーザーの一行はというと、その後誰ひとり傷つけることなく解放した。

 武器を奪ってしまったせいで丸腰で国境を越えるにはかなり犠牲が出るだろうが、全滅よりはマシだろう。

 他家を差し置いて横から掻っ攫おうとした時点で、国に戻っても居場所はないのかもしれない。

 まあ、せいぜい俺の知らないところで頑張ってほしい。

 もしかしたらあの場で殺してあげた方が楽だったんじゃないかくらいの悲惨な転落人生が待っているかもしれないが、もう関わることはあるまい。


 クェンティンの方は何やらヴァレリアンと話し込んでいたが、ミリアと首飾りが揃って俺の手元にある以上、彼らの思惑は失敗することを運命づけられている。


 ぼうっと窓の外を眺めていた。

 そんなときだった。

 遠く木々を跨いだ山の裾野から煙が立ち上っている。

 それもひとつではない。

 ふたつ、みっつと。

 魔力の気配が複数感じられるので、おそらく集落だろう。

 しかしあんな場所に村なんてあっただろうか。

 リエラを探してこのあたりの村は手当たり次第訪れているが、立地を考えると俺の知らない集落だった。


 少し遠いが、なんとなく心がざわざわとする。

 わかってる。

 あの魔力の気配。

 微々たるものだが、一個の集団として漂ってくる腐臭。

 シドレー村を占拠していたやつらの気配を、本当に微弱だが感じる。


 潰さねばなるまい。

 俺の中にもあるちっぽけな正義感に突き動かされて、とかではない。

 彼らはやりすぎたのだ。

 ドワーフの子どもたちを監禁し、村人たちを虐殺し、修道女たちまで捕えて売り飛ばそうとした。

 妹が山賊たちの手にかかっていた可能性があるかと思うと、それだけで鳥肌ものだ。

 汚物は消毒。

 使えない領軍に代わってお仕置きよ。


 領軍とか、彼らの阿呆っぷりは目に余る。

 転移の魔術師ジェイドに言い様に踊らされていることに気づきもしない。

 そして邪魔になったらジェイドの配下の山賊が襲って協力関係も事実もすべて揉み消そうって魂胆なのだ。

 女騎士が領主弟の危機に慌てて戻ろうとしていることも、そういう結果だ。


 俺はそんな彼らの道化に付き合うつもりはない。

 必要なら最低限の人間を連れて逃げるし、敵対するなら女騎士を殺すことも、たぶんする。

 山賊に不意を打たれて瓦解する領軍の危機を火急の伝令が女騎士に報せに来なければ。

 あるいは報せを聞いても進路を変更せず、テオジア領から出ることになっていれば、きっと善人の面を被った奴隷商にいつの間にか売り飛ばされていた。

 手遅れになる前に魔術でちょちょいと何とかして未遂に終わっただろうが、結局はそういう経緯を企んでいたことが問題なのだ。

 女騎士は、知っていて護送任務に当たっていたのだろうか。

 いや、馬鹿そうだからな……。

 ただの護送任務だと思い込んでいる節も見える。

 どちらにしろ領軍、ジェイドともに許すまじ。


「クェンティン、ちょっと停めて」

「……そもそもまだ冬を引きずってるから寒いんだよなあ。日差しがあれば気にならないんだろうけど曇ってるしさあ。ニキータどこかにいないかな。代わってほしいな。はぁ……マルちゃん、元気にしてるかな。僕がいないからって食欲不振になってないかな……」

「いいから停めろよ!」


 馭者側の座席を蹴飛ばすと、クェンティンは変な奇声を上げて馬車を止めた。

 ちょっと大きな声を出したが、むにゃむにゃとミリアは幸せそうに眠っている。


「なんなの? 急に大きな声を出してさあ。びっくりしちゃうよ、もう」

「あそこの煙が見えるか?」

「んー? あ、ほんとだ。村でもあるのかな? あの辺って、なに村だろうね? ソーラジ村? んんん? 違うな、あんな麓じゃないし。知らないや」

「隠れ里ってやつじゃないかなと俺は思うんだけど」

「あってもおかしくないねー。税収逃れとか弱小宗教団体とか、非公認の開拓村があっても驚かないよ」

「その村から火の手が上がっているってことは?」

「無法者の兵隊さんか、いまをときめく山賊さんらの仕業だろうねえ。どっちの後ろにも面倒な大物がいるから、村一個潰しても問題にならないもん」


 嫌な話だった。

 無辜(むこ)の民は踏み潰されて当然と言っているようなものだ。

 暴力が当たり前の世界なんて嫌だ。

 どうせなら、『ようじょとけっこんするのが当たり前の世界』がいいです。

 はい、逮捕ですね、わかります。


「俺、あそこに行ってみようと思う」

「え? 遠くない?」

「見えてる範囲なんて一瞬だよ」

「魔術師すげー」


 クェンティンは本心から感心しているようだった。

 魔術師としての信頼はあるようだ。

 しかしそれと、お(ねむ)なミリアを任せることはイコールにならない。

 結構深く眠っているミリアを背負い、馬車を降りる。


「え? その子も連れて行くの?」

「信じられるものは自分だけ」

「そんな悲しいことを言うなよう」

「なら悲しいことを言わせんなよ」

「それもそうですね……」


 若干凹んでいる様子のクェンティンが、出発しようとする俺を引き留める。


「それでも僕を信じてほしい。オーフェミリア嬢の安全は僕が保証する」

「でもそれだと、商売が回んないんでしょ?」

「他の方法を考えてる。首飾りはこっちにもらうかもしれないけど、彼女は北に売るようなことはしない。……それで勘弁してくれない?」


 最後に愛嬌のある苦笑いを浮かべるのが反則だ。

 世のマダムを一発で落とせそうな甘いマスクである。

 しかし俺、男。

 効果はない。

 効果は……ないのだ……くっ。


「マルケッタに誓って?」

「愛するマルちゃんに誓う」

「なら、信じる」


 クェンティン本人は信用ならないが、紳士な趣味に関しては信じてもいい。

 お互い愛するものを持つもの同士だ。

 信ずるものに誓いを立て、それを破ることは、死ぬことよりも恐ろしいのは自分たちが良く知っている。

 まず愛するものに顔向けできなくなる。

 これがいちばん大きい。

 裏切ったという思いは、一生ついて回る。

 胸を張って好きだと言えなくなることは、アイデンティティを喪失したに近い。

 ゆえに生き恥。

 もし猫ちゃんを好きと言えなくなったら?

 俺なら切腹するね。

 クェンティンも同じ土俵に立っていると思えるから信じられる。


 最悪、逃走した彼を探知して追いかければいいだけだ。

 馬を全力で走らせた程度で俺を撒けるとは思わない方がいい。

 そういうこともあって、ミリアを馬車の中に寝かせた。


「ひとりで大丈夫かい? このまま街道を進んで女騎士と合流したら、少し兵士を割いてもらえるようにお願いしようか?」

「ひとりのほうが動きやすいからいらないかな。むしろやつらに知られると面倒なことになるかもしれない」

「そりゃ、隠れ里ならねえ?」


 俺は屈伸や腕を大きく伸ばしての準備体操を行った。


「そういえば手ぶらだけど、あれ、結局何だったの?」

「あれって?」

「ほら、鉄国軍に追われていたときに手から飛ばしてたやつ。いっぱい殺してたけど」

「ああ、ミリアの髪の毛のこと?」

「髪の毛? え、髪の毛?」


 さしものクェンティンもドン引きしているようだが、フェチズム的な理由で持っていたわけではない。

 だいたい大事なものなら飛ばさないって。


「いや、ちょっともっさりしてたから梳いてあげようと思って。馬車の中で髪を切ったときにポケットに入ったみたい。いや、決して銀髪を思い出に持って帰ろうとかそんなキモいことを考えていたわけではないよ?」

「言われてみれば気持ち悪いけど……僕だってお守りにマルちゃんの尻尾の毛を大事に持ってるし」

「キモいな」

「君が言うなよ!」

「そういうわけであれは髪の毛を針のようにして飛ばしただけ。ほら、髪の毛針とかあるじゃない?」

「いや、知らないし。そんな攻撃方法聞いたこともない」


 有名な妖怪小僧を知らないとは。

 異世界ユニバースギャップだな。


「あの少女の髪に途轍もない力が眠っているとか?」

「ないない。魔力を込めすぎて鎧を貫通する威力になってたけど、元はただの髪の毛だよ」


 魔女じゃあるまいし。

 でもお守りという観点はありかもしれない。

 たとえば、そう。

 猫ちゃんやマリノア、ファビエンヌ。

 それにリエラのものとか。


「……成長して生えてきた下の毛をお守りにするとかね」

「下の毛ねえ……」


 それはさすがに極まったフェチ道かもしれない。

 だが、いまは幼くつるつるだが、猫ちゃんだってそのうち生えてくる。

 少女の神秘性がそこにはある……のかもしれない。


 男ふたり、卑猥な想像を脳裏に思い描いた。

 にやり。

 ほぼ同時に口端が緩む。

 だがそれも一瞬、すぐにキリッと表情を締め直す。


「成長の証だからな、うん。抜けた歯を大事に持つのと変わらないよな」

「大事なひとをより身近に感じられるもんね、うんうん」


 誰にともなく言い訳を口にするあたり、お互いまだこのフェチ道を歩むことに引け目を感じている。

 誤魔化すようにぐっと背を伸ばすと、クェンティンも咳払いの後に、「じゃあ、気を付けて」と手を振り、馬車を走らせた。

 やはりクェンティンとは趣味が合う。いや、合ってしまう。

 彼と話すのは単純に楽しいのだ。


 俺は気持ちを切り替え、横道に入り、煙の上がっている村を目指した。



○○○○○○○○○○○○○○○○



 拭い切れない失態というものがあるとするなら、それは村長とその息子夫婦を失ったことだろう。

 半ドワーフのメルデノ・グレゴリ・ゴルオール――ことメーテルは、下唇をぎゅっと噛んだ。

 本来なら村長宅で匿ってもらうはずが、最初に村長宅を占拠されたことでこれまで立ててきた作戦は泡沫と消え、全員漏れなく蔵を脱出して村人たちと立て籠もる羽目になった。


 もどかしいことがもうひとつ。

 村人たちがまとまらない。

 領軍は村長宅を占領した後にそこを足場に据え、徐々に占有域を広げ始めた。

 メーテルは村長との打ち合わせ通りに村人たちを鼓舞し、予定から若干遅れながらもバリケードを設置することができた。


 村人たちの戦意は低い。

 村長を殺され、奮起するどころか恐怖してしまっているからだ。


「大人しく投降した方がいいんじゃないか?」

「相手は領軍だぞ」


 そんな空気すら流れている。

 劣勢。

 人の多さで比べれば、こちらには四倍以上の人手がある。

 だが、それはイコール兵力にはなりえない。

 向こうは職業軍人。

 こちらは農民、工人、狩人の烏合の衆。

 しかも先導するはずの村長一族が最初に殺された所為で、浮足立っているというハンデ。


 ばたばたと人が動く。

 誰の目にも不安が宿っている。

 戦わずに領軍に降伏するものたち、村から逃げ出すものたち――彼らを止めることはできなかった。

 メーテル、サリア、アスヌフィーヌは、脱走するものを止めなかった。

 結果が見えているからだ。


「オラは行くぞ! 戦ったってどうせ領軍には勝てねえ!」

「あたしも、子どもを争いに巻き込みたくない!」

「投降だ、許しを乞おう!」


 降伏した五十人近くは助かることなく、その場で首を刎ねられ晒された。

 逃げたものたちも、回り込まれた別働隊になすすべなく突き殺された。


「た、たすけっ!」

「ぎゃーっ!」


 領軍に情け容赦がないことを知ったドンレミ村の住人たちは、絶望に落とされたような顔をしていた。

 昨日までの平穏は消え去り、否応なく戦うことを余儀なくされたのだ。


「う、うそだろ……」

「どうすりゃいいんだよ……」

「どこかに、逃げる場所は……」

「逃げ道なんてねえよ。村長まで殺されたんだぞ!」


 後にも先にも身動きの取れないことで恐怖に陥った。

 これはあまり良い出だしではない。


「殺されたくなければ武器を持て! 家族を、友人を、隣人を死なせたくなければ戦え!」


 勇気ある壮年の男が声を張り上げて周りを鼓舞する。

 彼は、工人たちを一手にまとめる大工の棟梁だった。

 彼の部下や工人たちは常に力仕事に明け暮れているためガタイがいい。

 緊急事態だからと武器屋から放出された武器を手に、彼らは武装する。

 恐慌一歩手前だった村人も、意識が戦いへと向かっていくが……。

 青褪めた顔で防壁の前に立ち、彼らは槍を手に震えている。

 あまりに脆く危うげで、たった一度の攻防にも耐えられそうにない状態だ。


 領軍百五十に対して、防備に当たるのは五百以上の村人。

 兵力差は数にして三倍だが、戦闘に慣れた兵士と槍を振り回すのもやっとという有様の村人では、数の強みがあまりない。

 防壁を死守する形で、なんとか攻撃を凌ぐしかないが、どこかが突破されれば防衛線すべてが瓦解するだろうことは目に見えていた。


「腰が定まっていないのでしょうね」

「なんせ村長があっさり殺されたからな。誰に従っていれば生き長らえるか、農民たちはわからなくなっちまったんだろうよ」

「現実問題、じゃあこれから誰を旗印にすればいいのか。余所者の僕らの指示じゃ、あまり受け入れてもらえないし」


 メーテル、サリア、アスヌフィーヌの三人が額を寄せて唸っている。

 村長とは渡りを付けていたが、その他の村の有力者には手が回っていなかったのだ。

 その所為で、村人たちとの連帯感が薄れていた。

 一応の防衛の指示は出したが、百人以上が指示を無視して勝手に行動し、いまは首だけになっているか、追手を差し向けられて森のどこかでくたばっているかだろう。


「正直、僕らがここで踏ん張るうまみがないよね?」

「見捨てて逃げるのも手だな。なんせ、村長たち死んじまったし」

「それはあまりにも無責任すぎるわ」


 意見は撤退2、抗戦1である。

 普段なら多数の意見で方針を決めるところだが、状況はそれほど簡単なものではなかった。


「すぐにこっちに攻め込んでこないと思ったら、兵を割いて半包囲してやがる。バカなりに村人を逃がしたらやべえとわかってるみたいだな」

「まあ逃げるといっても、一丸となって突破しないと包囲は崩れそうにないけどね。いまのバラバラなままだと僕らは鈍重な牛の群れと大差ないね」

「村人をどうこうしようというより、アスヌを逃がしたくないのでしょう。なにがなんでも」

「おまえひとり出ていけば済む話なんじゃね?」

「それも切り札のひとつとしてはありだけど、有効なときに切らないと攻撃は止まないよ?」

「アスヌを差し出す場面はもう少し後のほうね」


 「生贄前提かーい」と軽口を叩く美青年の意見は無視された。

 最悪の状況になったとき、ひとりの犠牲で全員の命を救う非情な手段も躊躇なく取れる三人だ。


「あんまり立て籠もりたくはないわね。地形も守備向きではないし」

「遮蔽物を使ってなんとか砦にしてるけど、木組みの柵じゃいずれ抜かれる」

「そんときゃアタシが暴れるまでだ。獣人の誇りにかけて敵は八つ裂きにしてやる」

「はいはい、怪我が治ったらね」


 アスヌフィーヌが笑みとともに包帯の巻かれたサリアの脇腹をぽんと叩く。

 「んぎゃーーー!」と喉奥から迸る悲鳴に、メーテルは思わず耳を塞いだ。




 戦闘が開始された。

 大工の棟梁の指揮のもと、柵を挟んだ防衛戦が繰り広げられる。


「弓矢を適当に撃て! 狙いを付けなくても当たるぞ!」

「柵の間から槍で突くんだ! 隙間を空けるな! その場を死守することを考えろ! おまえたちの後ろには家族がいるんだ!」


 少しは戦の経験があるのか、大工の棟梁の指揮はいまのところ問題ない。

 建物の屋根に上ったサリアとメーテルは、戦況を見下ろしていた。


「なんで向こうは弓矢を使わないんだろうな。愚直な正面突破だし」

「アスヌを流れ矢で殺したくないんでしょ。乱戦になったらアスヌに逃げられるかもしれないから、半包囲を固めつつ、正面から押し切るしかない。向こうはかなり縛りのある戦い方をしているわ」

「ちょうどいいハンデかもな。普通にやったらあっさり終わってるぜ?」

「終わらせないための戦いをするだけよ」

「そのためのアタシとコイツだろ?」


 サリアは横にいるミィナのピンと立てた耳を青灰色の猫っ毛ごとワシャワシャと撫で回した。

 ミィナはしかし、鬱陶しそうに首を竦めて逃げ、ぺしぺしと尻尾でサリアを叩いて不満を露わにしている。


「よし、チビ公、弓の実戦だ。ひとりでも多く当てろよ。当てるのは鎧を着てる方だからな?」

「言われにゃくてもミィニャわかるもん!」


 ムフーと息を荒げ、ミィナは矢を番える。


「じゃあアタシが指差した敵に当てろよ。まずは赤い羽根を付けた髭のおっさんだ」

「んにゃ!」


 ミィナは耳をぴくぴく動かした後、弓を構えた。


「引き絞る強さは常に意識しろよ。背中で弦を引くんだ。飛距離と威力を指先で調節だぞ」

何度(にゃんど)も言わなくてもわかる。おばちゃんうるさい」

「おばちゃんじゃねえよ! お姉さんだよ! 教えたろ!」

「ふんにゃ!」


 憤るサリアを無視して、集中したミィナはおもむろに矢を放った。

 サリアが指差した赤羽の髭男、兵隊長のその肩に矢羽が生えた。


「バッカ、へったクソ。当てるなら眉間か喉、最悪身体の芯の部分、正中線のどこかだろ。あれじゃあ致命傷にもならねえよ」

「ぶー」


 口を尖らせながら、ミィナは二矢目を放つ。

 肩を押さえて撤退しようとしていた兵隊長の背中を鎧ごと貫通し、どうやら即死のようだ。

 どうだとばかりに胸を逸らすミィナの頭を、サリアはごちんと殴った。


「ほら、次の的」

「もうやだー!」

「うっさいやれ」


 脇腹を怪我して弓を使えないサリアは、これ幸いとミィナの弓術指導に余念がない。

 メーテルはふたりを少し離れた場所で見ながら、仲の良い親子を見ているみたいだと思った。

 あんなに子どもを鬱陶しく思っていたサリアが、いまでは教育ママだ。

 それから五人ほど兵隊長をむずがりながらもミィナが弓で倒すと、波が引くように防衛線から領軍は撤退していった。


「初戦は凌いだな」

「ええ。でも快勝とは言えないみたい」


 初戦をなんとかやり過ごしたものの、損害は大きい。

 前線が戦闘に参加するのも初めての腰が引けた村人なのだ。

 凌ぎきっただけでも儲けものだった。


 屋根から降りて作戦本部に向かう道すがら、防衛線から運ばれてきた怪我人をリエラとファビエンヌのふたりの治癒する姿を見かけた。

 戦いに参加できない女たちは看護や煮炊きに忙しく働いている。

 ミィナはサリアの横にいるのが嫌なのか、早々にどこかに消えてしまっていた。

 きっとマルケッタのところだろう。


「あいつ、弓を教えてやってるのに挨拶もなしでどっかに行きやがって」

「そう拗ねないの。あなただってひとから教わるのは死ぬほど嫌いでしょ」

「こっちは必要なことを叩き込んでんだよ。ガミガミ云われるから嫌だとか、そういう次元じゃねえの」

「それでもよ」


 サリアはまだ不満そうだが、彼女も幼少時は指導されることを極端に嫌がって逃げたクチだろう。

 親になってみると、案外と昔の自分を忘れ、自分が嫌がってたことを子どもに強いてしまうものなのだ。

 脇腹を押さえながらゆっくりと歩くサリアだが、その顔は憮然として引き締まっている。

 メーテルは教育ママの顔をしている友人に優しく笑いかけた。


「まあガキのことは今はいい。次をどうするかだな」

「確かに、現状厳しいわね」


 一度の攻撃を凌いだものの、村人たちに勝利を悦ぶ余韻はなかった。

 慣れない戦闘に疲弊し、座り込んでいるものが目立つのだ。


「こりゃ何度ももたねーな。今回は綻びが出なかったけどよ、ちょっと頭の回る指揮官があっちにいたら、一回目の攻撃で防衛の弱い部分を見つけ出して、次は重点的にそこを攻めてくるぜ」

「そんなのわかってるわ。まだ突破されるのは困るから、石でもなんでも、次の戦闘までに投げられるものを準備させましょう」

「へたり込んでやがるけどな」

「自分たちの戦いなんだから、もうちょっとシャキッとしてもらわなきゃ。私たちはできるだけ戦いを引き延ばす方法を考えましょう。たとえ女や子どもを前線に投入してもね。じきに援軍がやってきてくれるから、それを待つの」

「ノシオを信じる気になったか? あんな小男だが、アタシはフィルマークの旦那の元まで辿り着く根性はあると思ってるぜ」

「それだけじゃないわ。ドンレミ村の惨状を知れば、隠し村からも援軍が来る。半包囲の更に外に包囲を作って、挟み撃ちにするの。そうすれば必ず領主弟を討てるわ」


 メーテルの目には、燃えるものがあった。

 領主弟を厚く守られたテオジアから引っ張り出すために、アスヌフィーヌが長い時間かけて籠絡したのだ。

 案の定、ホイホイと穴倉から出てきた鈍重な豚を、仕留めるならいまこのときを置いて他にない。


 だが、サリアはそれを見て、ふんと鼻を鳴らした。

 メーテルは責めるようにサリアを見る。


「執着し過ぎだ、バカ。こっち側はもうヘロヘロなんだよ。いまのおまえなら最後のツメを絶対トチるぞ」

「失礼ね。ズボラなあなたじゃないんだから」

「はっ、言ってろ」

「ちょっとどこ行くの?」

「腹が痛てーから次の襲撃まで休む」

「私ひとりで行けって言うの?」


 サリアはひらひらと手を振って返事をすると、横道に逸れ、小道へと入って行ってしまった。

 残されたメーテルはまっすぐに作戦本部へ向かう。

 途中、項垂れた村人が膝を抱えて泣く姿や、軒先にもたれかかって無気力な目をするものを見て、メーテルの心は荒んだ。

 

 彼らには何か心の支えになるものが必要だった。

 それは村長のような、引っ張っていく指導力を持った人間の存在だ。

 だがしかし、そんな人間はもうこの村にはいないのだ。


 作戦本部にはアスヌフィーヌと大工の棟梁、彼の部下たちが額を寄せ合って唸っていた。


「士気が低すぎる。このままでは、耐えられるところを耐えきれず、崩れるのは目に見えている」

「でもさあ、それってどうしようもなくない? なんとかうまいことを言ってヤル気にさせるしかないでしょ。『この戦いを耐え抜けば、いまに乱心した領主弟を裁く領主の軍がやってくる』とか言ってさ」

「一時的には良いかもしれんが……やはり心から信じられんだろうな。なにか確証のあるものでなければ心は動かんよ」

「そんな都合のいいものある? 村長が死んで土台を失ったままで、立て直しは難しいよ? ……あ、メーテル、おかえり。ご苦労様」


 アスヌフィーヌが気づき、笑みを浮かべて手を振る。

 ピリッとした空気の作戦本部には似つかわしくない緩い笑顔だ。

 反面、大工の棟梁やその部下は渋面を作る。

 重要な場に女が入ることを良しと思わないのだ。

 もし今被っているハーフヘルムを取ってドワーフの耳を見せれば、ここから追い出されかねない。

 村長が招いていた客人だから、こうして作戦本部にいることを黙認されているが、彼らが余所者を追い出したいと思っているのは目を見れば明白だった。


 だが、彼らには無闇に追い出せない理由がある。

 村長が密かに準備していたバリケードを、防衛線として機能させるまでに采配したのは何を隠そうメーテルだったのだ。

 工人たちは武器を持って遅れてやってたに過ぎない。

 戦闘指揮は一任しているが、作戦本部まで譲るつもりはない。

 どうせ任せたところで、どこかのタイミングで一気呵成に打って出て必要のない損害を出すことは目に見えている。

 男なら突撃して死ぬことが雄々しい戦い方だと思っている節があるので、メーテルはそれを鼻で笑う。

 耐え忍ぶ戦いの方がずっと難しく、一瞬の華々しさはむしろ逃げだと思ってしまう。


「防衛線にはどうしても緩みがあって、それをこの目で見てきました。突破されそうなところにさらに遮蔽物を置くか、投入する人間を増やして厚みを作りましょう。それと、石や手頃な投擲できるものを前線に用意して、弓矢以外の攻撃方法とすることを提案します」

「……むぅ。なりふり構っていられん。必要なことだ、すぐに取り掛かろう」


 眉根を寄せて不服を露わにしながら、大工の棟梁は一応はこちらの差配に従ってくれる。

 しかし今の形は、こちらが提案して、それを大工の棟梁が受理する、という形だ。

 もっと追い詰められたとき、彼に余裕がなくなり、しかも女がしゃしゃり出るなと男の意地が顔を出せば、必要な措置でも却下されかねない。

 とても不安定な状態だ。


「おい、いいもの持ってきてやったぞ」


 入り口から声がして、ドンレミ村の地図に目を落としていた全員が振り向いた。

 そこにはサリアと、もうひとり。

 サリアを見てあからさまに侮蔑の目を向けた棟梁の部下の連中の態度はともかく、それよりもメーテルはサリアが連れてきたその少年が気になった。


「いいものって、その子?」

「ああ、この村の命運を託すに相応しい、いいものだ」


 メーテルはじっと、サリアの腰元から見上げる不敵な少年の目を見つめた。

 村長の孫――ヘルトンだったか。

 彼の目は少年と呼ぶにはあまりにも深い色をして、表情が削げ落ちた中で爛々と輝き、意志を秘めた強い目をしていた。


「ぼくの家族を奪ったあいつらを許さない。ひとりでも多く殺せるなら、ぼくは死んだって構わない」


 その手にはナイフを握りしめていた。

 その先端は血で濡れ、頬にも返り血が付着している。


「こいつ、前線に紛れて戦ってやがったんだぜ? 信じられるか? まだ十歳のガキだが、立派な捕食者の目だ」

「ガキでも兵隊は殺せるよ。僕は――俺はふたり殺してきた」


 ミィナと同じくらいの歳だ。

 しかしその決意は、大人がたじろぐほどの強い光を放っている。

 誰も子どもだからと追い出すような真似はできなかった。

 憎悪と殺意が籠った瞳は、簡単に無視できるほど軽いものではなかったのだ。


 この歳の子どもはみんなそうなのだろうか。

 治癒術師で村の怪我人を治すリエラとファビエンヌ。

 サリアを圧倒するほどの実力を持つミィナとアル。

 そして、普通の子どもだと思っていた村長の孫ですら、こんなにも強い意志を秘めている。


「アタシはこのヘルトンを推すぜ。身内の仇を取りたいんだとよ」

「許可なんかいらない。次に攻めてきたら、ひとりでも戦う」


 手を自ら血で汚して、その覚悟を示している。

 武器を持って声高に叫ぶ大工の棟梁より、ずっと重みがあった。


「いいでしょう。私もあなたの覚悟を信じます。この村を救うのはあなたしかいません」

「な、なに言いやがる。ヘルトンは子どもだぞ……」

「治癒術師だからという理由で子どもでも酷使している私たちに、年齢をあげつらう資格はありませんよ。むしろ、私たちは彼を死なせないようにしなければいけません。大人として」

「む、むぅ……」


 大工の棟梁は深く唸る。

 他の大人も同様で、迷いや躊躇いが生じている。

 メーテルは彼らを動かす言葉を探し、そして口にした。


「死なせないために指導者になってもらうのです。このままでは彼はひとりでも突っ込んで行くでしょう。だったら、彼の心を他の村人に伝え、奮起してもらいましょう。それがいまこの厭戦状態に必要な特効薬です」


 しばらく討論があり、そしてヘルトンを担ぎあげることが決まった。

 ヘルトンは村人たちを集め、そして語った。

 憎しみを言葉に乗せて、領軍への全面戦争を。

 殺意を目に滾らせて、戦う意味を。


 下を向いていた村人たちは、徐々に面差しを上げた。

 やがて腹の底に溢れ出す熱を吐き出すように声を上げ、拳を突き上げた。

 後ろに守る家族がいる。

 目の前に奪われた友人がいる。

 理不尽を怒れ。

 傲慢を許すな。


 ――奴らを殺せ!

 ――死をもって報いを!


 ヘルトンの動じない言葉は、ついに村人たちに火をつけた。

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