第14話 浅眠
木刀で殴られた。
よろめいたところに追撃がくる。
肩に思いきり叩きつけられ、間合いから抜けようと後ろに下がった。
しかし攻撃はやむことを知らない。
雨の様に降ってくる。
頭をかち割ろうとする振り下ろしは、両腕を交差させて何とか防いだ。
ようやく目で追えるスピードで、フェイントが二つも三つも仕掛けられていた。
いや、もっとあったのかもしれない。だが俺の目は、それ以上を見切ることができなかった。
「おらおら、次行くぞ」
サンドバッグ状態である。
イランはすでに木刀を構えて立っている。
隙の無い型だ。
本当に七歳か? と言いたくなる。
打ち込んできた。
様子を見るような甘い攻撃だ。
何とか掌底で弾く。
弾かれるのも計算のうちか、切っ先を返して袈裟切りに滑らせてくる。
これは受けたらやばいと思い、ギリギリで回避した。
眼前をものすごいスピードで剣先が掠めていく。
「くそ。今のは捉えたと思ったんだが」
彼は木刀、俺は素手。一方的である。
こんなものは訓練とは呼ばない。一方的な暴力だ。
さすがはムダニの息子さん。
性格の捻くれ具合は親譲りですね、チキショウ。
剣士だった母親が見せてくれた剣技は、もっと流麗で見惚れるものだった。
だがイランの剣は、荒々しくて攻撃的で、獣の爪を思わせる。
勘弁してほしい。
こっちだって殴られたくないから避けているが、ムダニの息子に怪我をさせるわけにもいかないので反撃ができない。
殴られたら痛いので、必然的に回避行動ばかりとってしまう。
それも魔力を体にまとっているからできる強引な動きだ。
一歩下がったら、つまずいた。
拳くらいの石を踏んでしまったのだ。
イランがにやりと笑う。
一瞬で間合いを詰められた。
何とか地面を蹴って下がろうとする。できなかった。
軸足を踏みつけられている。
全く加減のしない一撃が俺を襲う。
腕で防ぐしかない。
ボキィッ……。
鈍い音がした。それと、激しい痛みも。
「…………ッ!」
折れた、絶対折れた!
イランは追撃に入っている。
俺はおもむろに地面に体を投げ出して転がり、イランの間合いから抜け出た。
何とか立ち上がり、正対する。
お互いに肩で息をしている。
イランくん、すごく楽しそうですね。
彼の口端が、さっきから上がりっぱなしだ。
人をいたぶって楽しむなんてクソみたいな性格してますね、ほんと。
「くひっ」
笑いやがった!
天性のいじめっ子だ!
「おまえの余裕のない顔を見られて楽しいなあ」
「ご満足いただけたようで、なによりです。坊ちゃま」
「次はその嘘くせえ面の皮を剥がしてやるぜ。犬のように従順に見せかけて、内心は屁とも思ってないんだろ? そんなおまえを屈服させてやるよ」
す、するどい……。
表情に出ていただろうか?
チネカスとか最近の口癖(心の中で)になりつつあるからな。
気をつけよう。
「何をおっしゃってるかわかりません。屈服も何も、ぼくはただの小間使いですよ、お坊ちゃま」
「信用ならねえっつってんだよ。目に服従の色がねえ」
それって何色よ、とは口が裂けても言えない。
俺とイランは、仲良しこよしの間柄ではないので、気安い口調は寿命を縮めかねない。
俺はイランが嫌いだし、イランも俺が嫌いなようだ。
なら構わなければいいのに、三日に一回はこうしてサンドバッグ役を仰せつかる。
「服従は旦那様に誓っております。同様にご子息のお坊ちゃまにも、服従しておりますが」
「ここで脱げと言われたら脱げるのか?」
「ええ。ご命令とあらば」
俺はパンツごとずり下ろした。
風がさわさわと股間を撫でる。
解放感が癖になりそうだ。キモチイイぜ。
子供ちんちんを見せつけられて、イランは顔をしかめていた。
「脱げとは命令してない!」
「左様でございますか」
すすっとパンツを履き直す。
片腕が折れてぶらりと垂れ下がっているので、ちょっと面倒くさい。
ズキズキする痛みは堪えられないほどではない。
だが、あまり動かしたくはない。
時間が経った分だけ、気分も悪くなるのだ。
どうせ後でヒーリングを使うのだからと侮っていると、吐いてしまうこともあった。
「涼しい顔でオレの剣を避ける奴がこんな変態だなんて最悪だぜ」
「ひどい言われようですね。全身全霊でお応えしたのに」
「望んでいるのはオレに対する服従なんだよ。それとも、おまえじゃなく、あの女のほうを屈服させてやろうか。見てくれは悪くないからな」
「……坊ちゃまもお戯れが過ぎますね。まだリエラは七歳ですよ? 坊ちゃまもまだ八歳じゃないですか。その年でオヤジのような発言をされると、品位が下がってしまいます」
「俺の前では裸でいるように躾けようかな」
「ちょっといい加減にしてもらえませんかねえ? 私が脱ぎましょうか? 遠慮はしませんよ?」
「脱ぐな!」
俺は膝まで下げていたパンツを履き直した。
咄嗟に下ネタで誤魔化したが、俺もそこそこ頭にきている。
「きたねえもの見せた罰だ。こいよ、仮面野郎。ボコボコにしてやる」
「これは訓練です。訓練に怪我は付き物ですからね?」
怪我をさせたら後で罰を受けるだけだ。
折れた腕がハンデになるとでも思っているのか。
魔術は使わない。
身体強化で打ち合うだけだ。
イランの体を打つわけにもいかないから、木刀を叩き折る。
それから二時間、イランと休みなく打ち合い続けた。
ボロボロの俺と、木刀を折られたイランの姿が草原に転がっている。
ふたりして荒く息を吐いている。
指一本動かすのも億劫で、草原にさわさわと心地よい風が吹いた。
折れた腕はあとでこっそりヒーリングで治し、誤魔化すために三か月は布で肩から吊っていた。
ムダニが治める村をウィート村というのだが、二年過ごしてきて、だいたいの人口と土地勘を得た。
村人にそれとなく話を聞き得た知識もあるし、地道に足を使って調べたものもある。
俺の地道な努力も無駄ではなかったのだ。
人口は四百人程度。
村の端から端まで一時間以上は歩かねばならないくらい広い。
大丘陵地帯と呼ばれる地域らしく、広大な麦畑が広がっているので、土地だけはある田舎村の田園風景そのものだった。
王都側から見てずっと北西、大丘陵地帯の入り口に当たるのが両親と待ち合わせたスピカ村だ。
そのさらに西へ、どこまでも続く丘陵の終着点がこのウィート村だった。
王都からウィート村まで半月以上の時間がかかるのだから、この国はずいぶん広い。
といっても日本の感覚をいまだに引きずっているので、距離にしてどれくらいかというのがいまいちピンとこない。
言ってみれば国境に近いウィート村。
その村長であるところのムダニ家の裏には山がある。
山の向こうには大森林が広がっているのだそうだ。
その森を超えると、夏でも峰に解けない雪がかかっている大霊峰が壁の様にそびえており、その向こうは誰も見たことがなかった。
そこから訪れる人間はまったくいないのだとか。
そもそも大霊峰には桁違いの魔物が住み着いており、人間では登頂だけでも厄介なのに、登ってもそこに棲息する魔物の餌になるのがオチだと言う。
大霊峰に比べたら、ムダニの山は存外ちっぽけなものだ。
俺はそのちっぽけな裏山の頂上まで行ってみたことはない。
そこまで行かなくても山菜や小動物の肉は手に入るから必要性を感じなかったのだ。
だが、興味がないと言えば嘘になる。
親譲りの冒険者の血が騒ぐ。
でもいまは生きることが優先でもある。
山向こうの大森林は人の手がまったく入っていない。
大霊峰と同じくらい危険な場所だ。
たまに村に出没するような魔獣とは比べ物にならない魔物が生息しており、人外魔境と化しているらしい。
山に近いムダニの家がいちばん危険そうだが、山から魔獣が下りてくることを考えてその対処は万全だった。
村との境界線に厳重な、高さ三メートルはあろうかという柵が設けられている。
余談だが、俺は山に入るときいつも土魔術で階段を作ってこれを超えていた。
ウィートの村の大半は農耕従事者だ。
一部、生活必需品を作る専業者が住んでいる。
鍛冶屋や細工師で得られる以外は、たまにやってくる行商で買い求めるんだそうな。
興味から覗いてみたら、絵本もあった。
何人もの手を渡ってきたその絵本はすり切れていたが、読めないほどではない。
なけなしの有り金、銅貨一枚で一冊購入した。
振り返ってみれば、二年も小間使い(悪く言えば奴隷)の生活を続けていた。
横暴な豪農のムダニの下で耐える日々を送るのも、一夜にしてラインゴールド家の家人をばらばらにした連中の目に留まらないためでもあった。
国外に出れば安全なのだろうが、俺はまだどこかで、両親が迎えにきてくれるのではと信じていた。
だから集合場所であるスピカ村から、そう遠くないウィート村に居続けているのだ。
小間使いという身分は、案外隠れ蓑になった。
しかし、年々激しさを増すムダニの暴力はなんとかしたいと思っていた。
二年もすれば五歳児は七歳児に育つ。
暴力を振るわれて育てば、守る力のない子供は恐怖を刻み込まれて怯える日々を過ごす。
ムダニの暴力は限度を超えているのだ。
骨折することを端から気にせず、こちらの体をまったく考えない一撃も多々あった。
暴力の矢面には、当然兄である俺が立った。
アルシエルやリエラに任せられるものではない。
俺がうまく受け、すぐに治せば何も問題はない。
しかし、そううまくいくはずもない。
リエラが殴られることもあったし、泣くのを必死に堪えて命令に従う姿は胸が締め付けられる。
俺は毎夜、リエラを慰める意図もありつつ、絵本を読み聞かせた。
行商から買った絵本だ。
リエラの字の教本にするつもりだった。
暗い納屋に火魔術で明かりをつけ、藁や埃っぽい臭いが混じる中で毛布にくるまって身を寄せ合う。
当然漏れ出る明かりは布で覆う。
声が漏れ出ないようにするために、納屋を風魔術で覆う。
『ふははは! 勇者よ、姫を助けたくば我を倒すのだな!』
『貴様を倒し、姫を我が手に取り返す!』
『どうか争いはお止めになって! 私のために争わないで!』
『ぐ、ドラゴンめ、なぜこのドラゴンバスターが通じない……』
『ふはは! 勇者よ、侮ったな。我の血にはエルフのものが流れておるのだ。圧倒的な魔力の前に貴様はなす術もないのだ! ふはは!』
『く……俺はここで負けるのか……あれだけ鍛えてきたのに、欲しいものも我慢して剣に打ち込み、勇者になるためにすべてを投げ打ってきたと言うのにぐぼはぁっ!』
『勇者よ、世の中才能のあるものが勝つのだ! 我が足の下で潰れて爆ぜるがいい! ふはは!』
『ぐぶはぁっ!』
「……こうしてさらったお姫さまとドラゴンは、なかよく暮らしましたとさ。子宝にも恵まれ、ドラゴンと人の子、竜人族が誕生しました。おしまいおしまい」
「お姫さま、ドラゴンの子どもを生むの? どうやって?」
リエラが首を傾げる。
「ドラゴンはエルフの血が混じってるって言っただろ? エルフの魔力で姿形を人間にもできるんだろうな」
「じゃあどうやってエルフとドラゴンのあいだに子どもができたの?」
「……リエラは頭がいいなあ。きっと子作りしたんだろうな。鬼畜なやり方で」
「きちく?」
「リエラにはちょっと早かったかなー。おー、よしよし」
頭を撫でて誤魔化すと、うまく誤魔化されてくれて、はにかみながら身を捩った。
「えへへ」
リエラかわいいなあ。
このままずっと愛でていたいなあ。
それはそうと。
そろそろいいかな?
もう言っていいよね。
うん。
我慢の限界ですよ。
気の短い俺がよく耐えたよ。
すぅ……。
…………。
なんだこの絵本!
ツッコミどころ満載だわ。
出だしは英雄譚っぽくて王道の物語なのかと思って蓋を開けてみれば、勇者の努力が妙に切ないし勇者がドラゴンの足に潰されて死ぬし、姫様なんだかんだいってドラゴンに惚れてるしドラゴンの人間姿イケメンだし!
この世界には変な絵本しかないのか。
情操教育はどうなっているんだ。
と思ったら昔セラママに読んでもらった絵本はまともだったし、一緒に買っておいた残りの絵本二冊をぺらぺらめくってみると、比較的見知った内容だった。
なんだ、最初に読み聞かせた本が変だったのか。ふぅ。
クールダウンクールダウン。
「リエラ、次の本読む?」
「ううん。明日でいい。明日の楽しみがなくなっちゃう」
何ともいじましいことを言うようになった。
昔ベッドの中でセラママに読んで読んで! と鼻を垂らしてせっついていた子と同一人物とは思えない。
リエラは遠慮がちな子に育ってしまった。
環境にうまく適応しているとも言えるし、俺の力が足りないということでもある。
「じゃあもう一度はじめから読もうか?」
「えーっと……」
申し訳なさそうな、それでも期待を込めた眼差し。
「よし、読もう」
「うん!」
俺は冒頭から感情を込めて語り出す。
竜人物語と題したこの絵本が、リエラの一番のお気に入りになった。
もっとほかにマシな絵本もあるのに……。
夜にやるべきことは多い。
昼間はこき使われているので、自由時間は夜にしかないのだ。
こうしてリエラが眠るまでの間の読み聞かせも、リエラが字を覚える大事な時間だし。
裏山に狩りに行くのも、魔力を織り込みながら服をちまちま縫うのも、全部リエラが寝入ってからである。
正直、子供の体で夜通しはきつい。
体に引っ張られて睡魔に勝てないこともしばしばだ。
つらいかと言えば、つらいのだろう。
だけど昔ほどじゃない。
守るものもなく、だらだらと生きるだけだった転生前の世界より、こちらのほうが充実している。
毎日見るリエラの顔は見飽きないのだ。
小学校のフェンス越しに生温かく児童を見守っていた頃とは距離が違う。
ここには職質する警官も白い目で見てくる保護者もいない。
代わりに暴力を振るう悪漢親子がいるが……。
とにかく、こんなにかわいい子が双子の妹だなんて最高だなと思う。
親戚の幼い姪っ子のような感覚は抜けない。
いつか余裕ができたらたくさん服を用意して、リエラを着せ替えして楽しみたいと思う毎日だ。
変態的な自覚はある。
しかしいいじゃないかと開き直る。
この世界は転生前の日本より経済・技術ともに圧倒的に遅れている。
車は馬車、鉄道はなく、街灯もなんだか魔力に頼った魔力石の一種だと言う。
五歳までの貴族の暮らしがこの世界の最上級の生活だとすれば、産業革命を迎えていない頃の地球の時代と同程度だろう。
都市の規模や、町や村を繋ぐ街道の発展が遅れているのも、魔物という地球にいない異分子が深く関わっている。
道の真ん中に魔物の巣穴を作られたら、駆除にどれだけの犠牲が出るか。
この世界は、人間が最上位にいるわけではない。
地球では、人は数と技術の研鑽で生き物の頂点に立った。
しかしここでは、手に負えない魔物はどうしようもない。
天災と同じ扱いなのだ。
ある日突然ドラゴンが王都のど真ん中に現れて、巣を作ってしまったことで滅んだ国がある。
ここはそういう世界だ。
生物界の中でも、人間は頂点にいない。
いや、人族は、か。
転生物の小説は読んだことがないが、記憶を異世界に持ち込んだ人間が、地球の技術を利用して未発展の世界に革新を起こし一挙に財を積み上げることは想像に難くない。
それもいいかもしれない。
しかし俺は、根っこが凝り性のない適当な性分だ。
やりたいようにやるし、個人プレイが多い。
チームプレイを苦手とし、よく集団競技では衝突が絶えなかった。
生粋のB型だからな、俺……。
内政チートよりは冒険者になって偉業を為して人々の口に語られるほうが性に合っているのかもしれない。
さぞ孤高の存在になっているだろう。
ソロで一生を終えるとかイヤすぎる。
できたらハーレムを作りたい。
この世界では複数の妻を娶ることはそれほどおかしいことではない。
戦争も多いようだし、男が死ぬ理由なんて、戦争や魔物討伐、山賊に天災……数えたら枚挙に暇がないほどだ。
減った人口は増やさねばならぬ。
女性に対して男が少ない現状、どうしても一対の男女で完結とはいかない。
村でも不思議なことではなかった。
年頃の相手がいない女性が、村にやってくる行商の護衛をしていた冒険者から精を授かり、妊娠するという光景も見てきた。
そうやって生まれた子供は、村ぐるみの助けがあって育てられる。
海の男は寄った港の数だけ女を作るとも言うし、俺も別にそれが悪いことだとは思っていない。
そういう話が苦手だという人間もいるだろう。
普通に恋仲になって、生涯をただひとりの人と添い遂げる。
それはロマンスであり、リアルにないわけではないが異なることもある、と言うだけの話だ。
俺だってできたら好き合って結婚したい。
さすがに政略的なうんぬんがあるほど身分は高くならないだろうが、年齢に追われるようにして好きでもない女と結婚するような仮面夫婦だけはごめんだ。
七歳児が何を言っているのか。
しかしあと十年弱。
精通すればそのときから子を為せる体になる。
慎重に生きよう。
そして好きな相手ができれば大胆に行動しよう。
転生前の世界より、いまの俺はフットワークが軽かった。
「ん……ぅ……」
考え事をしていると、すぐ横でリエラがもぞもぞと動いた。
外気が少し寒いのか、身を寄せてくる。
小さい、なんの力もない少女。
そして、慢心するわけではないが、そこそこ力を持った俺。
リエラのくしゃっとした赤髪に指を通す。
ふわふわとして触り心地がいい。
権力者になって贅沢するより、リエラに触れて眠れることが俺には何よりも魅力的に思えた。
ふわあと欠伸をしつつ、俺は毛布に潜り込む。
この二年間、同じ毎日の繰り返しだ。
ムダニに暴力を振るわれ、イランに木刀で殴られ、リエラを甘やかし、ソロプレイで魔術の訓練を行う。
何かが変わるのだろうか。
劇的な変化は望まない。
ただ、俺たちが安全に過ごせればそれ以上は何も望まないのだ。




