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異世界旅行は落ち着かない  作者: 多真樹
第二部 少年時代 三章 家族捜索
137/204

第76話 思惑の果てに

 人攫い組織。

 発端は北国のアイアンフッドからだった。

 政変からドワーフとの関係が変わり、良き隣人から奴隷へ。

 国民の中でも格差が広がり、農民が搾取される道具へ。

 貴族は反比例するように肥え太っていった。


 もともと農業に向かない土地が多く、その上に飢饉が重なり、たくさんの人間が死んだ。

 有数の鉱山を保有するアイアンフッド王国だが、鉱山での働き手が飢饉によって少なくなった。

 鉱山内の腐った水、淀んだ空気、舞う粉塵が坑夫の肺を侵し、胃を苦しめ、手足を麻痺させた。

 働き手が足りなくなると、頭数のためだけに女子どもも導入されて、さらに人死にが増えた。

 病に冒された女は子を産めない体になり、子どもは衰弱して成長を阻害された。


 国に殺される。

 役人の重税に喘ぐ中、逃げ出すものが続出した。

 十人、十五人とまとまって村を脱出した。

 彼らは南のグランドーラ王国を目指したが、大半は国境で北国の兵士になぶり殺しにされた。

 ただ、広い国境である。

 道なき道を歩き、深い森を抜けて、なんとかグランドーラ王国に逃げ延びるものたちが、それでも多くいた。

 難民となった彼らに接触したのは、ジェイド・テラディン――転移の魔術師の一派だった。


 ジェイドは難民たちに仕事を与えた。

 それが人攫いである。

 南国のグランドーラ人を拉致して、男手は北国の鉱山へ売りつけ、見目のいい女や子ども上流階級の奴隷になった。

 また、北国からも人攫いを行った。

 ドワーフの子どもの拉致である。

 ジェイドの本来の目的と言っても過言ではない。


 ドワーフは鍛冶に優れる種族であった。

 もっさりした外見からは想像も及ばないほどに繊細な金細工を生み出すのだ。

 人族の鍛冶師とは二段も三段も格が違っている。

 武器はもちろんのこと、グランドーラ王国の貴族連中が欲しがる宝石の加工も、ドワーフ族の手でさらに高級感を与えることになった。


 グランドーラは他人族を認めない風潮にあるが、きっとそれは表向きの話なのだろう。

 何せ需要がなければ人攫いなど起こらないのだから。


 どこかの村から攫ってきて地下に閉じ込め、やがて国境を越えて奴隷として売り払うことを生業にする悪徳商業。

 彼らは徒党を組む。


 攫ってくる人間は若ければ若いほどいい。

 十代から二十代が狙い目。

 十歳以下ならなお攫いやすい。

 かつての猫ちゃんも集落の傍で遊んでいるところを菓子で騙され、妹とふたり拉致されて奴隷に身を落とした。

 猫ちゃんの過去を思い出すと、なんだか必要のない怒りまで涌いてきた。


「じゃあ制圧しましょう」

「制圧?」

「この地下牢に入ってきた悪い人たちはもう処分してあるから、囚われているひとを助けて防御を固めよう」


 言ってて、それにどんな意味があるのかわからないとも思っていた。

 自分が何をしなくても解決してしまう問題かもしれないのだ。

 魔力を封じる黒枷を付けられていたら展望は薄かったが、同室になったクェンティンがあっさりと自分を自由の身にしたように、捕えられたひとたちが決して奴隷として売り払われることはない。

 そんな予感めいたものを肌に感じていた。


 地下の出入り口はひとつ。

 そこを固めてしまえば地下牢に閉じ込められた人間は全員餓死するしか道がないと、この構造を知っている人間なら誰もが思っているはずだ。

 顔をしかめたチェルシーに、さらに説明をする。


「俺が横穴を掘って別の出入り口を村の外に作るんだ。出入り口を固めておけば、みんなが逃げ出す時間稼ぎになる」


 地面の下を楽々移動できることが前提なので、魔術師がいなければ頓挫した計画だ。


「あ、そっか、なるほど」


 そう、すでに可能性は開かれている。

 あとは最悪な結末に寄らないようにするだけでいい。


「だから協力して。俺はリエラに会いに来たんだ。こんなところで立ち止まってるわけにはいかない」

「……うん!」


 地下牢の鍵を男から奪い、それをチェルシー率いる修道女たちに任せた。

 俺も別回りで牢屋を壊し、解放していく。

 何個目の牢屋を開いたときだろう。

 その部屋からは何か嫌なものを感じ取った。


 部屋には六人の子どもがいて、そのどの子もずんぐりした体型をしている。

 ああ、ドワーフかと彼らのステータスを視ながら頷く。

 六人のうち五人は部屋の隅に身を寄せ合って咳き込んだり震えていたりしている。

 残るひとりは、冷たい床に横たわり、ぴくりとも動かなかった。

 死んでいるのか? いや、肩が微妙に上下を繰り返している。

 浅いが呼吸は続いているようだ。

 横たわるドワーフのステータスを視て、声が出そうになった。



 名前 / オルダ・ゴルオール・ボーゲン

 種族 / 岩人族

 性別 / 女性

 年齢 / 5歳

 称号 / 鍛冶師、細工師、彫金師

 技能 / 鍛冶術、細工術、彫金術、鍛冶神の恩寵、短命の呪い



 五歳。

 とても小さく感じた。

 それに加え、どうやらドワーフ族にしてはひどく細くやつれているようだ。

 手足が枯れ枝のように細い。


 鍛冶神の恩寵。

 きっと鍛冶をさせれば途轍もないものを作り出すに違いない。

 技能には先天的なものと後天的なものがある。

 ちなみに俺のステータスはというと。



 名前 / アルシエル・ラインゴールド(阿部聡介)

 種族 / 人間族

 性別 / 男

 年齢 / 9歳(36歳)

 称号 / 魔術師、拳闘士、戦士、格闘家、殺人者、石眼王殺し

 技能 / 属性魔術上級、超身体強化術、治癒魔術中級、格闘術、妹偏愛、獣人愛、エルフ愛(異界の住人)



 俺の異界の住人はアルシエルの体に入ったときから持っているもので、超身体強化術は成長とともに魔力や身体を鍛えて修得した。


「…………」


 まああれだ、妹偏愛以下には触れないでほしい。

 愛が迸っているだけなのだ。

 話を戻すとして、普通の五歳の少女が三つ以上も技能を持っているはずがない。

 せめて見習いレベルだろう。

 それは鍛冶神の恩寵からの派生と考えるべきだ。

 苦労せずしてそういった先天的な技能を持つものは稀だ。

 貴重な人材と言ってもいい。

 しかし先天的に有用な技能を持つからと言って、それを活かせるわけでもないというのがネックだろうか。


 短命の呪い。

 これは鍛冶神の恩寵と表裏一体なのかもしれない。

 人知を超えた技能を持つゆえに与えられるメリットとデメリット。

 それに比べて後天的に獲得した称号・技能には特にマイナス要素はない。

 獲得するまでに努力と才能が必要なだけだ。

 俺の拳闘士の称号は、格闘術と身体強化術を鍛えていくうちに獲得したもので、ジェイドの魔窟でハイカトブレパスを倒した直後に追加されていた称号だから、技能を強化することと強敵を倒すというふたつの条件を満たして追加された可能性が高い。


 称号獲得には条件を満たすことが必要というね。

 初耳だし。

 そういえばニニアンの技能に魂喰というのがあった。

 最近になってステータスで視られるようになった。

 これも先天的な技能だろうが、俺の能力が低くて視られなかった情報なのか。

 詳しくは説明してくれなかったが、見た感じやばい匂いがプンプンする。

 ニニアンと一緒にいると寿命が縮まるのかと冷や冷やしているが、いつか聞かねばならないだろう。


 話は戻って、できたらこの少女は助けたいなと思うが、いままさに虫の息である。

 そして近づいてみて気づいた。

 この少女がここら一帯の流行病を引き起こしている元凶だということに。

 この少女と一緒の部屋にいた年端もいかない少年少女は、すでに発症して熱を出し、意識が混濁している。

 ただ身を寄せ合って怯えて震えていると思ったら違った。

 いまにも死にかけて痙攣を起こしているのだ。

 この地下牢の大半の人間も流行病を得ていることにそれで納得がいく。

 人攫いたちがぴんぴんしているのはどうせ治癒魔術師でもそばに置いているからだろう。

 攫ってきた魔術師を並べて領主軍に大魔術を放った様は忘れたくても簡単には忘れられない。


 俺は急いで修道女たちを呼んだ。

 しかし彼女たちの方でも倒れて昏睡しているひとを発見して困惑しているようだった。

 この地下牢に長いこと閉じ込められていたものは、軒並み感染している。

 呼吸するごとにふいごのように病原菌を肺に送り込み続け、不衛生で精神的に追い詰められて、ろくな食事も摂れないことであっという間に発症したのだろう。

 俺は可能な限り治癒して回った。


 命の危険があったのは、特に幼い子どもたちだ。

 ドワーフの子どもが六人、どこかの村から連れてこられた子どもが十人、獣人の子どもがふたり(どちらも犬系)。

 人の悪意が詰まったような場所だと思った。

 何の罪もない彼らには無事にここを出て行ってほしい。

 俺が治癒魔術で病気を払い、浄化で衛生面を確保すると、修道女の六人がなるべく清潔な場所に運んで身を横たえさせた。

 テキパキと動くので感心しつつチェルシーに尋ねてみたら、


「こんなの修道院に入れば三日で身に付く」


 とのことである。


「人への奉仕、これこそが修道女の喜びです」

「リエラとかファビーがいなかったら今頃自分たちが病気になって看病されてる側だよー」

「黄色く膿んだ皮膚の包帯を取り替えるのとかもう無の境地だよねー」

「慣れたくはないのに、いつの間にかわたしも変わってしまったの?」

「おじいちゃんのおち〇ちんにも慣れたの」

「しわしわでふにゃふにゃ……クク」


 修道院の奉仕精神は建前だけではないようで、まだまだ人間も捨てたもんじゃないなと思えた。

 最後の子、おち〇ちんの脅威は成人男性にこそあるんだぞ。

 そんな萎びたもので慣れたと言っていては五年後の我輩の主砲を前にしたときそののほほんとした笑いも引き攣ってしまうだろうよ、フフフ……。


 こんなバカなことを想像できるくらいにはひと心地着いた。

 看守と人攫いたちの死体はまとめて放り込み、土魔術で密閉して塞いでしまった。

 臭いものに蓋を、というやつだ。

 その他の解放した人たち総勢五十名のうち、身体が弱って動けない二十五名は寝かせ、残りの二十五名で入り口に対する防衛陣地を手当たり次第に家具を積み上げて作っている。


 いやはや、治癒と浄化の二連撃×50。

 魔力が底を尽いたねしかし。

 師弟の腕輪から魔力を少し補給しないと立ってるのもやばいくらい膝ががくがくした。


 ひと仕事を終えた俺はというと、床に敷いた毛布に仰向けにしたドワーフの少女、オルダの前にしゃがみ込んで腕を組んでいた。

 ずんぐりむっくりなドワーフにしては細すぎる手足。

 まあ体型的に手足が短いことには変わりないが。

 もじゃった黒髪に隠された目。

 うっすらと開いたその瞳は赤く、目から血を流しているのではと一瞬腰が浮いたほどだ。

 しかしそれは瞳の色で、目にはわずかに充血したあとがあったが血は流していない。

 それが血だと錯覚することが異様なのだ。

 他のドワーフは黒髪黒目だというのに。


「短命の呪いとか……なんでニニアンがいないんだよ。俺専門じゃないってば」


 彼女は物を知らないようでいて知識だけはある。

 まるで図書館のような存在だ。

 引き出しを開こうとしなければ知識は埃をかぶって眠ったままだからな。


「短命……まさか五歳で死ぬことはないだろうし……死なないよね?」


 その答えはどこからも返ってこない。


「あるいはあまりに優れた技能を持つせいで虚弱体質を運命づけられているとか? だから病気に罹りやすくて長生きできない……?」


 その仮説が正しければ、横に治癒魔術師さえいれば長生きはできる。

 いまにも死にかけていたところをなんとか持ち直すまではできるだろう。

 ただ、栄養のあるちゃんとした食事を摂らせないと、どんなに治癒で病気を治したところで体が衰弱して死んでしまう。

 治癒魔術は万能ではないので、身体の衰えには敵わない。


「はは……まるで拾ってきたスズメを助けようとしているみたいだな」


 自嘲気味に呟く。

 手の施し方が根本的にわからないから時間の経過に解決を委ねるみたいな、そんな気分だ。

 とりあえずこの貴重な人材を死なせたくないのは決定事項だった。

 成長した少女にめっさかっこいい鎧とか剣とか作ってもらいたいしな。


 ドワーフ。

 彼らの鍛冶の腕は、どの種族が生涯を注ぎ込んでも届かない領域にいるとされる。

 一度町の武器屋でドワーフ製の鎧が飾られているのを見たことがある。

 織り込まれた魔力もさることながら、属性魔術に対する耐性が異常な数値を叩き出していた。

 中級程度なら傷ひとつ付けられないほどの一品だったのだ。

 その武器屋ではドワーフ製の鎧をカウンターの後ろに置いて店のどこからでも目を引くようにしていたが、なるほどそんな至極の一品があれば店の品がいくら粗悪品だろうが良く見えてしまうマジックがあるはずだ。


 俺が大平原で雷を落としたドワーフ軍。

 そのとき初めて俺は自分の意思で魔術を放ち、言葉を交わすことのできる、言葉を交わして仲良くなれたかもしれないひとたちを殺した。

 それはいまでも後悔していない。

 ドワーフ軍を追い返さなければ、傍にいた猫ちゃんやマリノア、助け出した獣人たちが傷ついたかもしれない。

 そんな目を覆いたくなるような可能性があるなら、俺は躊躇わずに魔術を使い危険を排除する。

 そこに後悔はない。


 俺はオルダという少女を何とか助けようとしている。

 ドワーフ製の防具を身に着けた何百人ものドワーフを、天から振り下ろした斧で頭をかち割った。

 そこに関係性はない。

 ないはずだが、自信がなくなる。

 少女の手には紫の痣が広がっていたが、ミィナの手を触ったときと同じく、ふにふにしていた。



○○○○○○○○○○○○



 ふかふかのベッドは心地が良かった。

 クェンティンは手足を伸ばし、全身で羽毛布団を堪能する。

 地下牢を出て用意された部屋は、村の中でも領主弟の次に豪華な部屋。

 そんなに気を使わなくていいのにーとは思っても言わない。

 ダニが湧いて痒かった地下牢の板ベッドとは雲泥の差だ。

 同室だった赤茶髪の少年には悪いなと思いつつ、全力でぬくぬくした。


「マルちゃんとニキータがいれば言うことないんだけどな……」


 彼女たちは疲労に耐えて、商都テオジアを目指していることだろう。

 あなたの主は割かし好待遇ですよ、と伝えられないのが残念でならない。


 しかし、このままのんびりともしていられない。

 知らなければいけないことがいくつかある。

 なぜ山賊たち――あるいは人攫いの組織に、領軍を率いて討伐に出たはずの領主弟が協力をしているのかということが第一。

 少なくない領軍を動かしているのだ、結果も残さないまま商都に戻っては面子が立たない。

 この遠征の落としどころはどこになるのか。


 それと、シドレー村の村長から、大平原の迷宮について話を聞かなければならない。

 村長は若い頃、地図や罠解除が得意な探索者だというから、迷宮を見つけるための有益な情報を期待している。

 迷宮の最奥にいるという妖精から、願いをひとつだけ叶えてもらうため――そう、魔物の言葉を理解できるようになるために、最重要事項とも言える。


 考え事をしていると、湯を張った桶と飲み水の容れ物を持って、首輪の嵌った女がふたり、部屋に入ってきた。

 肌が白く、髪も色素が薄めて、やけに透明感のある印象だった。

 何を言わなくてもクェンティンの服を脱がし、体を清めてくれる。

 服も清潔なものに替えて、着させてもくれた。

 体を清めた、服も着替えた、さて、股間に伸びてきた手は掴んで遠慮した。

 怯えが過った女の顔を見て、そんな気分じゃないからと訂正しておく。


「領主弟、ザック・ベルリンに会いたいんだ。面会の場を設けてもらえないだろうか」

「すぐ確認して参ります」


 ひとりが慌てて出ていき、クェンティンはもうひとりに肩を揉まれていた。


「君はこの村のひと?」

「いいえ、北から参りました」

「ああ、どうりで。雪のように綺麗な透明感があると思ったら、北国から亡命してきたんだね」

「はい」


 女は褒められて顔を赤らめたが、これはたぶんフリだろう。

 北にあるアイアンフッド王国のさらに北の地方は、一年の半分以上を雪に閉ざされており陽の当たる時間が少ないためにそこに暮らす人々の肌は白いと聞いたことがあった。

 商売上、何度か北国人と関わる機会はあったが、女を目にしたのは初めてだった。


「家族は一緒に?」

「……いえ」

「居心地はどう?」

「……大丈夫です」


 あまり満足のいく生活は遅れていないようである。

 それもそうか。

 肉体的なご奉仕込みの接客をやらされて、「充実してます!」なんて言えるか。

 頭のネジがぶっ飛んだ子でなくては無理だろう。


「それでね、ひとつ聞きたいことがあるんだけど」

「はい、わたしにお答えできることでしたら」

「ここはどこ?」

「お答えできません」


 えー。

 地下牢から出された後、目隠しをされて馬車に押し込められた。

 そこからだいたい二刻ほどの移動。

 馬車から降ろされても目隠しはされたまま。

 案内された部屋まで辿り着き、ようやく目隠しを外されたのだ。

 窓は嵌め格子で、見える高さから三階建てのもの。

 見える景色は木、木、木……。

 まあなんとなく、場所の見当はついている。


 林に囲まれた場所で三階建ての建物を建てられて、おまけに部屋の内装はちょっと古臭いが豪華と言って申し分ない状態。

 わからないほうが商人として終わっている。


 つらつら考え事をしていると扉が開いた。


「いまからお会いになれます。どうぞこちらへ」


 クェンティンは気を引き締めて立ち上がった。





 シドレー村は古くから領主の静養地としての意味合いがあった。

 近くにそこそこ大きな湖が広がっているのだ。

 喧騒から隔離されており、魔物もそれほど強い個体が出没しない地域ということもあって、お忍びで来るには打ってつけであった。

 しかしここ一世紀ほど領主一族の利用はなく、いつしか時間に取り残されたようにぽつんとそこに佇むばかりだった。

 そんな古めかしい屋敷を百年ぶりに開いたのは、領主弟ザック・ベルリンだった。

 村のものが定期的に屋敷の維持をしていたため、すぐに使えるようになった。

 いままでは手入れが行き届かなかった天井の蜘蛛の巣は払われ、埃を被った暖炉の灰は掻き出され、新しい薪とともに火が入れられた。


 息を吹き返した屋敷だったが、ザック・ベルリンにはどうでもいいことのようだった。

 いまもぶひー、ぶひー、と荒く息をついている。


「シドレー村にいないんだお! どういうことだお! 大事な大事なアスヌはどこいったんだお! いくら転移の魔術師でもぼくを騙そうとするなら許さないんだお!」


 ふひーふひーと、部屋の中央で悶え動き回りながら、唾を飛ばす。

 それを視界に入れないように目を閉じ、ジェイドは部屋の隅で紅茶を嗜んでいた。

 彼は顔を赤くして歩き回る豚のような領主弟とは対照的に、目の下に隈を浮かべ、相変わらず飄々として、不健康そうな青白い顔している。


「何度もぼくは言ったじゃない。ここにはいないって」

「でも人攫いに連れて行かれたって言っていたんだお!」

「閣下にそんな虚言を囁いたのは誰? ここまで連れてきて締め上げてみようか」

「うちの執事だお!」

「名前はなんて言うのかな?」

「確かバーソロミューだお」

「ふむ。ちょっと席を外すね」


 飲み終わった茶器を受け皿に下ろすと、ジェイドの姿が背景に溶けるように一瞬で消えてなくなった。

 一瞬領主弟が目を見開くが、ふたたびふーふーと鼻息荒く部屋を動き回る。

 どれくらいの時間が経っただろうか。

 領主弟が頭を抱えて床でブリッジをしているあたりだろうか。


「バーソロミューなんて執事はいなかったなあ」


 ジェイドの声が聞こえて、領主弟は豚のように転がりながら起き上がる。


「い、いないってどういうことだお! いるはずだお!」

「考えられるのはふたつ。単に閣下が名前を間違えている可能性。こっちだったら記憶力が残念なだけで執事は領主邸にいることになる」

「ま、間違えないんだお! そんなに記憶力悪くないんだお!」

「もうひとつは閣下に嘘の情報を信じ込ませるために以前から忍び込んでいた密偵か。ぶっちゃけこの可能性がいちばん高いね。よかったね、残念な記憶じゃないかも」

「記憶力はちゃんとしてるんだお! 執事がいないということは……どういうことなんだお!」


 顔を赤らめ汗を飛ばす領主弟を、ジェイドは首回りがぱつんぱつんだなあとぼんやり眺めている。


「まあ騙されたんだよね、閣下は。お気に入りの男妾は最初から攫われてなどいないか、それとも別の組織が攫ったか、だね」

「くぴーっ!」


 目を血走らせ、ザック・ベルリンは奇声を上げた。

 何事かと部屋の外に待機していた親衛隊が入ってくるが、甲冑を身に纏う騎士たちにも気づいていないのか、ザック・ベルリンは陸に揚げられた魚のように床をのた打ち回る。


「閣下! しっかりしてください! 閣下!」

「くぴぷくぴょおおおおおお!」


 親衛隊の中にひとり女が混じっている。

 汗やら唾やらを飛ばす、正直言って触ることを躊躇うザックを抱き起そうとするので、ジェイドは笑いを堪えながらも「ほう」と興味深そうに女を眺めた。


「そういえば帰りにミファゾ村に寄ったんだけどね、髪が真っ白な男を見かけたよ。男四人に囲まれて歩かされていたねえ。宿に連れて行かれるところだったと思うなあ」

「それだおーーーー!」

「きゃっ!」


 女騎士を突き飛ばして、ザックはタケノコのようににょいんと立ち上がった。

 本当に動きが人間離れして気持ち悪いが、ジェイドのツボに深く嵌ってしまい、笑いを堪え切れなくなっている。


「プっ! ……一応そいつを捕まえるべきかなと思って、山賊を差し向けたけど、あんまり期待しない方がいいかも……ぶはっ!」

「全軍でミファゾ村に向かうお! なんとしてもアスヌを助け出すんだおおおお! アスヌのお尻はぼくだけのものなんだおおおおおおお!」

「閣下、閣下、そんなに叫ばれてはお体に障ります!」

「ええいいまは女なんて見たくないんだお! アスヌが男四人に囲まれて凌辱のかぎりを尽くされていると思うと、この胸は張り裂けそうなんだおおお!」


 むしろザックの着ているぴちぴちの貴族服の方が張り裂けそうだったが、親衛隊の面々は思っていても言えないのである。

 しかもである。

 男妾が男四人に凌辱とか、気にするところはそこかよと、妄想の逞しさにジェイドは腹が捩れるほど笑う。

 あ、ボタンが弾け飛んで正面にいた女騎士の額を打ち抜いた。

 ジェイドが次の笑いの波に体をぴくぴく震わせている間にも、顔を赤黒くしたザックの目は据わっていた。


「全軍、ミファゾ村へ進軍だお!」

「ですがいますぐに動かせない負傷兵が……」

「そんなもんおまえが面倒見ればいいんだお! そうだ、残った兵はおまえが指揮するんだお! 地下牢の奴隷どもの話はもう終わったから、北に連れて行く役目をおまえがやるんだおおおお!」


 ザックは女騎士にびしっとソーセージのような丸々太った指を突き付けると、赤ら顔で唾を飛ばしながら、決定事項とばかりに述べる。

 女騎士は蒼白になりつつも、上司の命令は絶対だからか、鎧の胸に左の手甲を当て騎士の敬礼をする。

 ジェイドは報われない女騎士を指差して笑った。


 ザックの命令でぞろぞろと部屋を出ていく親衛隊と入れ替わるように、金髪で甘いマスクをした青年が部屋に入ってくる。

 青年はうわ言のように怒りを吐き出すザックと、笑いすぎて痙攣を起こしテーブルに突っ伏しているジェイドを見て、意味不明な状況に表情を曇らせた。





 転がるように領主弟が出ていった後、クェンティンは腹を抱えて震えるジェイドと対面の席についた。


「あなたは聞いてはならないことを耳にしてしまった。だから口を封じなければならない」

「…………」


 ジェイドは目の端に浮かんだ涙を拭う。

 口調と笑い死にしそうな顔が合っていないことには目を瞑ろう。


「そう警戒しないで。殺すと思った? しないよ、そんなこと。あなたのお父上に釘を刺されているんだから。それにテオジアの支配者にくれぐれも逆らうなと上からもお達しを受けていることだし、ボクもできれば遠慮したいからね」

「上? いったいジェイド殿はどんな組織の意向で動いているのです? 国を転覆せんとする過激組織ですか?」

「あははははははっ!」


 さも可笑しげにジェイドは嗤う。

 クェンティンも本気で言っているわけではない。

 水を向けて何かしらの情報を引き出せたらいいな、くらいの考えだ。


「ご自慢の商感は鈍っているみたいだ。ボクが以前、どんな組織で働いていたかはご存じのはずだけど?」

「宮廷魔術師だと窺っていますが」

「そう……でもいまは違う。“裏”宮廷魔術師と呼べばいいのかな? いや、戦士もいるから宮廷魔術師は相応しくないな。確か後宮騎士と呼んでいたかな」

「後宮騎士……」


 クェンティンは唖然として呟く。

 この国には代々の王が妾を持たなかったため、後宮というものが存在しない。

 妃はほぼ確実に男児を産んだことや、王家の血筋には好色家がいなかったことに起因する。


 王国に存在しない後宮。

 その騎士ということで、本来あり得ない組織だと言いたいのだろうが、ちょっと女々しい感じがするところに突っ込んでいいのかクェンティンは戸惑った。


 それはともかく。

 商人である自分が知らない(・・・・)ということに、衝撃を受けてもいた。

 商人は耳聡い生き物である。

 情報という生き物を手懐け操る専門家である。

 故に交渉中の“知らない”は無知とイコールにはなりえない。

 自らの首を絞めることに繋がる。

 敵がどんな攻撃をしてくるのかわからず、火球を売ってくるのに棍棒を構えることしかできないようなものだ。


 もともと存在しない組織なのか。

 あるいは有力者相手にも秘匿された集団なのか。

 前者なら笑い話で済む。

 後者なら間違いなく恐怖する。


「まあ信じるかどうかは任せるよ。君はどうやらあのおデブと話したかったみたいだけど、いまは誰かの話を聞く余裕がないみたいだしね~」

「ジェイド殿は……何が目的なのですか? いったいなんのために山賊たちの首領をし、ベルリン様を唆すような真似をなさるのです? いったい誰を敵として(・・・・・・)活動してるんです?」

「面白いことを言うね~。国家権力なんだから国に反抗する勢力を敵にしてるに決まってるでしょ~」


 どっちが悪か。

 目の前のジェイドを見てみるがいい。

 善と悪の違いもわかっていないようなこの魔術師がどれだけ殺戮兵器を産み落とそうとも、それはすべて国の後援を受けてやっていることであり、誰にも裁くことができないのだ。

 街中に人の形をしたドラゴンが野放しにされているようなものだ。

 そいつはいつ火を噴いて街を火の海にするかわからないのに捕まえることも追い出すこともできないのだから。

 そんな街にいつまでも一緒に住んでいたくはないと思う。


「反抗勢力ってどこにいるのですか? ぼくは知らないですが?」

「いやいや、トレイド家の御曹司なら知らないわけがないでしょう? 地下活動組織のこと?」

「さあ、存じ上げないですね。商人は商売相手を選びませんし」

「その商魂は立派だねえ。ならぼくとも商売してくれるのかな?」

「稼がせてもらえるのでしたら」

「ふーん……」


 想像を働かせているうちに、クェンティンは後者であることを裏付けるような事件を思い浮かべてしまった。

 西地方で突然起こった迷宮騒動。

 死傷者が一万人以上、被害者は十万人を超えるこの事件、結局真相が何ひとつ明かされていない。

 もしこれが王宮の仕向けたものだとしたら?

 その先兵にジェイドがいたとしたら?

 想像を超えた話だが、これがもし事実ならこの国はもうダメかもしれない。

 まるで国民の安否を顧みていない。

 そういえばグランドーラの現国王って十年前から好戦派の貴族や将軍を近くに置き、反戦派や穏健派を追いやるなり謀殺する徹底ぶりだったのを思い出す。

 北はアイアンフッド王国と国境で大小の小競り合いが続いているし、東は昨年大平原でオリエント王国とぶつかっているし、南では海を隔てたアラフシュラ連邦と大きな戦争を起こして逆に南岸を占領されてるし。


 あー、やばい。

 そういうことかー。

 国の狂気が、いまクェンティンの目の前に人の形をして立っている、というわけだ。

 なんだか納得いった気がする。

 国の裏組織までは知らなかったが、どうせ父チェチーリオ・トレイドは知っているに決まっている。

 それを踏まえた上で、自分の身の置き所をどこに定めるか、であるが……。


「御曹司は奴隷を扱ったりするのかな?」

「ええ、しますよ。テオジアの奴隷館をひとつ持っていますので」

「それは好都合。いやね、捌きたい奴隷がいるんだ。定期的に奴隷は集められるんだけど、それをきれい(・・・)に捌く流通(ルート)を新規開拓する必要があってねー。これまでの(ルート)は使えなくなるから奴隷商人が欲しくてねー」

「そこにちょうどよく商人が捕まえられたと」

「うん。どうかな?」

「…………」


 国を背後に置き、誰にも抑え込めない男。

 そんな男を前に、クェンティンは思案する。

 さて、どうする?

 ジェイドとの取引を受けるということは、国家を相手に商売をするということだ。

 イチ商人としては間違いなく上昇する好機である。

 砂糖商人が稼業だが、このままでは奴隷商人として成り上がってしまいそうだ。


「どうする?」


 この国と運命を共にするなんて絶対に嫌である。

 そんなことになる前にさっさとこの国から出ていくべきだ。

 特に、ジェイドなんかを放し飼いするような国である。

 戦争大好きな国王が支配する王国である。

 いまはまだ地力があって村々を飢餓が襲うことはないが、二、三年していまより国情が悪くなればどうなるかわからない。

 それでも、クェンティンはこの国で生まれ、この国で育った。

 この国に守るべき女の子がいる。

 ニキータ。

 マルケッタ。

 ふたりを守るためにいま必要なことは何か。


「いいでしょう。その話、お受けいたします」

「そう言ってくれると思ってたよー」


 にやりと笑ったジェイドが、細くて骨が浮いた手を差し出してくる。

 クェンティンはその手を取り、冷たいな、と思った。

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