表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界旅行は落ち着かない  作者: 多真樹
第二部 少年時代 三章 家族捜索
135/204

第74話 囚われるもの

 むかしはハーレムを作るんだと息巻いていた。

 確か、三歳くらいだった気がする。

 あの頃はナルシェがいた。

 浅黒の肌はしっとりとして、頬を触らせてもらうと吸い付くようだった。

――自分だけの専属メイド。

 俺はいま九歳になったので、ナルシェは十六歳のはずだ。

 十歳の頃から細い体型に関わらず、胸がうっすらと成長を始めていたので、いまはどれくらい成長しているのか気になる。


 そしてファビエンヌ。

 俺とリエラの姉貴分である。

 歳は二つ上で、いまは十一歳だろう。

 金色の髪は柔らかく波打っていて、昔は肩までの長さだったが、伸ばしていれば腰くらいまで届いているはずだ。

 釣り目がちな目も、ツンツンした態度も可愛い範疇だ。

 リエラとともに行動して、村々で聖女と呼ばれているのを聞いた。

 一年会わなかっただけでどれくらい成長しているのか、やはり気になる。


 ボンボン貴族の下に残してきたマリノア。

 俺と猫ちゃんの姉の立ち位置だ。

 ひと月か三か月で帰ると言っておきながら、すでに約束を破って半年が過ぎている。

 雪の降り始めに別れたが、いまでは雪も融けて春になっているのだ。

 そうやって振り返ってみると、気に入った女の子は何人かいた。

 ニニアンだって男の娘として気に入り、傍にはずっと猫ちゃんがいた。

 しかしいま、俺はひとりだ。

 情けない。

 男の甲斐性のなさが露呈してしまっている。


 俺はもっと泰然と構えていたはずだ。

 奴隷のような扱いを受けていたときも、大草原で暴れていたときも、なんとかなると自分に自信があった。

 いまは欠片もない。

 その自信は妹に再会した瞬間に取り戻せるはずだった。

 それだけは信じて疑わない。

 木々の頭上を飛んでいる間、俺はそんな益体もないことをつらつらと考えていた。


 木の洞に丸まって眠った。

 猫ちゃんのいない夜というのは久しぶりだった。

 旅の中で猫ちゃんが横にいなかったことはない。

 夜の森は耳を澄ますと生き物の息遣いが聞こえてくるようだ。

 心細さはあった。

 それもすべて自分の責任だ。

 ひとりだと勝手気ままに動くことができる。

 しかし誰かと行動を共にすると、自分以外がどうしても足枷になってしまった。

 性格の問題か、あるいは俺に人をうまく使う才能がないのか。

 つらつらと考えながら浅く眠り、陽が昇るとともに起き出した。

 わずかに持ってきた軽食で食事を済ませ、自分の体に浄化をかける。


 移動を始めた。

 風が唸る。

 森を越え、川を跨いだ。

 半日もせず、シドレー村が見えてきた。

 近づいてみて、違和感に気づく。

 国境近くの村にしては人が多い気がするのだ。

 北方の鉄と雪の国とは長年諍いが絶えず、大きな国交はない。

 国同士の流通がないということは、村や町規模の貿易による発展がないということ。

 お互いの国の国境沿いには小さな村しか点在しない。

 小競り合いの戦場になることが多いからだ。


 村向こうの森にはテオジアで見た軍隊がゆっくりとシドレー村に向けて進んでいた。

 テオジアの軍と言えば、噂で聞いた領主弟が指揮する軍だろう。

 人攫い組織を壊滅させるために兵を起こしたと聞いたが、いままでどこをほっつき歩いていたのだろうか。

 もし人攫い組織がシドレー村にいるなら、探る必要がある。

 ラシド村に到着するはずだった妹たちがどこかにいなくなっている事実。

 ミファゾ村からの一本道だ、自発的に道を逸れる以外だと攫われるほかにはない。

 サーシャたちは人攫いの仲間だったのか。

 もしそうなら、自らの愚かさに嫌気が差す。


 俺は身を潜めて、村の外から侵入した。

 木々に身を隠し、魔力を抑えてできるだけ自分の存在を希薄にする。

 隠れながら近づくと、若い男が多く走り回っているのが見えた。

 手に武器を持ち、村の入り口を即席の防壁で固めていた。

 数十人が土嚢を運び込んで拵えているが、本格的な攻撃に晒されれば耐久力はないだろうに。

 他にも杭を等間隔に木槌で打ち込んでいた。

 その内側に木の柵がいくつも立てられ身を隠せるようになっている。

 突撃してくる騎馬の侵入を一度は防げるだろうが、数で押し切られてしまうと何の障害にもならないだろう。

 いくら陣地を形成しても、歩兵にそこまで迫られてしまえば、杭を抜かれて騎馬の侵入を許してしまうのだから。


 しかしおかしなことに、すでに村の入り口では争った跡があり、血が酸化して黒ずんだ跡が至るところに残っていた。

 誰と争った形跡だろうか。

 ひとひとりの血では到底足らない量をぶちまけている。

 まるでひと戦あったみたいだ。


 この村はどうやら領主軍と戦う姿勢のようだが、ただでさえ職業軍人を相手に即席で防衛線をやろうというのが正気の沙汰ではない。

 この村の規模から見て、全体が戦う意思を見せてもざっと百近くだろう。


 武器はバラバラ。

 剣に槍、斧に鍬までいる始末。

 防具なんてほとんどない。

 鉄の防具をつけているのは一握り。

 皮鎧を付けているもの、木の盾を持つもの、肌着だけのもの。

 領主に歯向かう村人と思ったが、その実違った。

 若い女や老人、子どもの姿はなく、目の荒んだ男しかいない。

 村人という風体ではなく、薄汚れて目つきの悪いごろつきだ。

 試しにひとりステータスを視てみると、盗賊のスキルが付いていた。

 おかしいなと思って、目につく人間すべてを調べたが、殺人者なり盗賊なりのスキルが付いている。


「……この村は正真正銘普通の村だったはず……ああ、やっぱり」


 場所を移動して村の広場が見える位置に移ると、野卑な連中ばかりが目につく理由がわかった。

 広場に並んだ木製のテーブル。

 そこに並んだ首の数々。

 老若男女問わず、首を斬られている。


「……首だけの死体にもステータスが使えるんだなあ」


 目の中に映り込んだ情報でだいたいこの村の末路を悟った。

 厳めしい顔つきの初老の首はシドレー村の村長のものだ。

 その横にずらっと並んでいるのは血筋のものか、反抗したものたちだろう。


「……この村は丸ごと悪党に消されたわけか」


 そういえば村から流れてくる風の匂いにも、なんだか鉄錆のような鼻につくものが混じっている気がした。

 村人は逃げたか皆殺しにされたか。

 とりあえず目につくところに食い物にされた村人の影も形もなかった。


 村の情報はだいたいこれだけでいいだろうとその場を離れると、ちょうど軍の斥候らしき二人組を見つけ、後を追った。

 一応は追手に気を付けているのだろうが、俺を見つけるのは木の洞に潜り込んだ虫を見つけるのに等しいだろう。

 振り返った彼らが俺とたとえ目を合わせても、藪や木々に同化して見えるだけだ。


 道を迂遠に移動しつつ、約二時間ほどで軍の駐屯地に到着した。

 直線距離なら一時間とちょっとかもしれない。

 森の開けた場所で軍を休めている領主軍を偵察した。

 ざっと見たところ、二百か三百はいそうだ。

 甲冑に身を包んだ歩兵が七割、馬が四十頭はいそうで、騎兵が一割か二割、軽装で革鎧をした弓兵が一、二割というところで、軍の背後には馬車が十数台続いていた。


 戦うための軍であった。

 武器はひとしなみ揃い、防具甲冑が眩い。

 この日のために満を持してテオジアから進軍してきたのだろう。

 ご苦労なことだ。


 軍の駐屯地には当然ながら見張りが立っている。

 領主軍の斥候が何人も村の周りを動いていたのを見かけた。

 俺と同じように、木々に隠れるように村の様子を探っているのだ。

 逆に、村を乗っ取ったと思しき連中も、数人の斥候を出して軍の動向を探っている。

 見つかって弓矢で駆り出されることもあるが、すべての監視の目を潰すのはいくら軍隊でも無理だろう。


 俺は魔力を探ってひとの位置を確認しているので、見張りや斥候に見つかることなく針の穴に糸を通すように死角を縫って進んだ。

 軍の駐屯地はわかりやすい円形陣だ。

 中央に司令部。

 その周りに木の柵で簡易の陣地を形成し、それが三重になっている。

 普通に表を歩いて近づくのはほぼ不可能だ。


 ならばと、軍の司令部までは地面に穴を開けて、地下から侵入することにした。

 大草原で敵軍のど真ん中に侵入する際によく使った手段だ。

 昔取った杵柄というやつか。

 違うか。


 軍司令部の天幕の裏に顔を出す。

 見張りはちょうど物陰になっている俺には気づかない。


「早く奴らを叩かないのかな? ボク、待ちくたびれたんだけどなあ。アスヌフィーヌが無事か心配で心配で、ご飯が喉を通らないお」


 と言いつつ、くちゃくちゃとものを食べる音がする。


「まだ囚われたものたちの所在が判明しておりません、閣下」

「いったいいつまで閣下を待たせればあなたの気は済むのでしょうねえ。寛大な閣下のお心に甘え過ぎではないですかねえ?」

「誤解を招くものの言い方はやめていただきたい。ことは慎重に運ばねばならないのです」

「うーん、アスヌフィーヌが無事ならほかの人間はどうでもいいお。早く助け出してよ」

「ですが閣下! それではこの軍の本来の目的が――」

「そんなものは如何様にも言いつくろうことができますよねえ? 閣下の大事な人間以外、放っておけばいいのです。軍人は頭がお堅いようですねえ。それとも、他に理由でもおありで?」

「二心はない。だがあからさまに他の捕囚たちを見捨てるようなことでは軍の体面が保てなくなります」

「それをどうにかするのが司令官のお役目でしょうにねえ、くく」


 ひとりは喉にだぶついた肉が乗っていそうな粘着質な声――たぶん領主弟ザック・ベルリンのものだろう。

 もうひとりはデブっぽい領主弟を積極的に支持する粘着質な声――予想だが陰気な顔をしていそうだ。

 最後のひとりは生粋の軍人らしい参謀の事務的な声――上司に苦労していそうだ。


「そんなものは奪い返してみればわかると思うお」

「ですが逃げる際に使えないとわかれば、やつらは捕囚を皆殺しにしてしまうこともございます。余計なことを喋られては不利と思うか、あるいはこちらに対する嫌がらせというだけであっさり殺してしまうでしょう」

「それはダメだお! なんとしてもアスヌフィーヌだけは助けてお! 他はついででいいお!」

「承知していますよ、閣下。大丈夫でございますよぉ、彼ならやってくれます、ねえ?」

「くっ――そのために位置を特定する必要がございますので」


 頭の悪い喋り方の領主弟と、領主弟に取り入ることしか考えていない陰険男と、そのふたりに無理難題を押し付けられる司令官。

 領主弟、ピザだお(^ω^)とか言いそうだ。


「時間を掛けていては逃げるか守りを固められるかしてしますでしょう? それでは大事な大事なアスヌフィーヌ様まで行方知れずになってしまいますねえ。それは閣下にとって最悪の結末」

「しかり。ですので所在を早急に探っております。しかし建物内にはほとんどその姿はなく、この村から移動させられた可能性もあります」


 聞き耳を立てながら、俺もその可能性を考えたのだと頷く。

 しかし違うような気もしていた。

 表にいる人間よりも多くの微弱な魔力を感じるのだ。

 それはとても弱いが、見えている以上の数であった。

 もしかしたら地下室があるのかもしれない、と俺は当たりを付けているが、軍内部では移動されたという線で考えるようだ。

 それも間違いではないかもしれない。

 シドレー村の近くの国境沿いの森や山は、雪と鉄の国アイアンフッド王国との小競り合いで国境線がはっきりしていない。

 山々は山賊や脛に傷を持つ連中が隠れ蓑にするには打ってつけの立地なのだ。


「移動しているのならその先を早く特定しなさい。それと同時並行で村を攻め落とすのですよ」

「頼んだお」

「お心のままに」

「ぜんぶ蹂躙しちゃって。北から下りてきた雪男やこの国に巣食うゴミもまとめて皆殺しにいちゃっていいお」

「「はっ!」」


 (こっち)はすでに戦闘準備は整っているようだ。

 今日中にも村が戦場になる。

 さっさと村を探って囚われの身であるかもしれない妹を探すべきだ。

 俺は穴に潜り、軍の駐屯地から離れて村を目指した。


 一時間も掛けずに村に戻り、村の建物に身を隠して様子を窺うと、ちょうど槍を担いだふたりの男が立ち話をしていた。

 聞き耳を立ててみる。


「領主軍の奴らがいまにも押し寄せてきやがる。こんなの話に聞いてねえぞ」

「誰も聞いちゃいねえよ。どうする? 逃げちまうか?」

「無理だ、組織の幹部がきてるんだ。ここで戦わなきゃよう、また追い剥ぎに戻っちまう。人を攫って商売するほうがよほど金になるんだ、もう抜け出せねえよ」

「それに領主軍に追われちゃあ騎兵に追いかけられて殺されちまうだけだ。ジェイドさんがどうにかしてくんねえかなあ」


 ジェイド?

 聞き間違えでなければ男のひとりがジェイドと言った。

 ただの同名の男ならば何も問題ない。

 しかし、胸がざわついて仕方ない。

 言い知れぬ不安が胸に渦巻いた。


「おお、転移の魔術師ジェイドさんだ」

「それに隣にいるのは兜割りのヴォラグさんだぜ」

「大魔術師のジェイドさんがいればなんとかしてくれる。なんてったって元宮廷魔術師だからなあ」

「ヴォラグさんといえば、兵士五十人の頭を叩き割ったっていうテオジア最大最悪の凶悪犯だぜ」


 男たちは救世主を仰ぐように、村の広場へ目を向けた。

 数人の取り巻きを従えて、青白く痩せっぽちな青年と、二メートル近い巨体に大斧を担いだ大男が歩いてくる。


「ジェイド!」


 俺は声を押し殺し、歯を食い縛ってジェイドの面を睨んだ。

 青染めのローブをまとい、小脇には書物を抱えている。

 決して殴り合いでは勝てなさそうなインテリ風だが、周囲の男たちは彼と隣のいかにもな山賊風の大男を仰ぎ見ていた。

 ジェイドの表情は飄々としており、これから軍と戦うという危機感はまったく感じられない。

 それがまた、この悲壮感漂ってもおかしくない状況を支えているのだろう。

 そのジェイドらが広場の中央で立ち止まった。

 周囲の建物から、わらわらとひとが集まってくる。

 中に隠れていた人間は多かったようで、その数、二百人は下らない。

 すべてが悪党であった。


「ところで、この現状を正しく理解しているかな」


 ジェイドの飄々とした言葉は、あの日聞いた声と同じだった。


「領主軍の代表は領主弟なんだけどね、彼は愛人を我々に連れ去られたと思っている。だけどそれは冤罪というやつだね。見目麗しい女なら僕らが動くのも致し方ないが、彼の愛人は男だ」


 周囲の男たちから笑いが漏れた。

 余裕のある笑いだ。


「どこかの組織が僕らと領主軍をぶつけようとしている。そうして共倒れになることが目的かな? そんなことをみすみす許していいのかい?」


「よくねえ」

「ああ、ふざけんな!」

「ホモ野郎と仲良くなんてごめんだぜ」


 口々に反感の声が上がる。


「うん、僕は思うんだ。頭に血の昇った馬鹿は一発殴ってやらないとまともに話もできないよね。何が言いたいかわかるよね? 軍の連中に手加減は要らないよ。好きなだけ殺せ。なにせ僕と彼がついてる」


 ジェイドはにやりと笑った。

 同時に、「うおおぉぉぉぉぉ!」と野太く野卑な喊声が上がった。

 どうやら領主軍を相手に戦って勝つ気でいるらしい。

 それほどまでにジェイドに対する信頼が厚いのか、それともなにかしらの切り札があるのか、盗み見ているだけではわからなかった。


 俺がどちらかの陣営に加担する理由はなかった。

 ジェイドがいると先に分かったのはありがたい。

 ここは一見すると普通の村に見えるが、人攫い組織のアジトで、俺がやつらに気を配る必要はないのだ。

 捕まっているかもしれないリエラとファビエンヌを救出するために家々を吹き飛ばして進んでいたら、後ろから一瞬にして転移で近づかれてブスリ……なんていう未来だってあり得たのだ。


 ジェイドとヴォラクという山賊の頭は、建物のひとつに入っていった。

 しばらく様子を窺って動き回っていたが、日が天頂から傾き出した頃、どうやら領主軍が仕掛けてきたようだ。

 魔力探知しなくても、大勢が押し寄せる地の揺れや、けたたましく響き渡る戦闘が百メートル以上離れているはずのここまで伝わってくる。

 いまのうちに手薄になっている家々を探ることにした。





 領主軍は村の入り口に陣を構えた。

 その距離三百メートルほど。

 村の入り口に作られた三十の馬防柵の前に、使者が一騎駆けで近づいていく。

 最初の柵から三十メートルほどの距離を置いて、馬を止めた。


「シドレー村に立て籠もる悪漢どもよ聞け! 我はテオジア領第一領軍である!」


 騎兵は大音声を上げた。

 悪漢、という言葉に武装する荒くれたちが顔を歪めるのも気にしなかった。

 初めから交渉の余地はなく、戦わず首を飛ばされるか、戦って死ぬかのどちらかしかなのだと聡いものは気づいている。


「領主弟閣下が貴様らに通告する! ただちに武装を解除し、村の戸を開かれたし! 抵抗するというのであれば、この村にいるものすべてが国に叛意あるものと見なされ賊として扱われるであろう!」


 「つまり?」と幾重にも張られた柵の奥で、頭の悪い男が首をひねった。


「おいボッカス、おめえばっか野郎、抵抗するなら皆殺しっつってんだよ、やつらはよぉ」


 ボッカスと呼ばれた頭の悪い男の頭を隣の男が拳骨で殴ると、頭の悪い男はのべっとした顔をして「そぉかぁ」と頷いた。

 強く殴られたはずなのに、まったく痛みは感じていない様子だ。


「大人しく従うならば、閣下の恩情が与えられるだろう! ただちに柵をどけ、武器を捨てて地に平伏すのだ! 繰り返す――」

「おとなしくするなら痛いことしないのか? いいやつだな」

「バカ野郎、ボッカス、この大バカ野郎! 大人しく降伏なんてするわけねえだろ。恩情なんて言ってるが、どうせ苦しまずに殺すとかそういうオチに決まってんだよ! どうなってもいまから殺し合いをすんだ、おれたちはよぉ」

「殺すっつってんなら、あいつを殺してもいいのか?」

「かぁー! 馬鹿だなあ、ボッカス! 殺すんだよ! なんも問題ねえ」

「じゃあ、おれがやる」


 ボッカスは担いだ矢筒から一本抜き、弓を構えた。

 強弓であった。

 腕の筋肉が盛り上がった。

 大した呼吸も置かず、強靭な弓からあっさりと矢が放たれた。


「――村の代表よ、姿をごぼっ……が、は……なに……」


 鎧を身に着けていたはずの使者の鎧のど真ん中を、矢が貫いていた。

 遠い距離から一発で射抜いた腕前もさることながら、矢は使者の腹を喰い破るとそれでは止まらずさらに飛んでいき、三百メートルは離れていた前衛、不運な弓兵の腿に深々と刺さった。

 使者は馬上から崩れ落ちてぴくりとも動かず、足を射抜かれた前衛の弓兵は絶叫を上げた。


 ボッカスはのべっとした顔だが、ヴォラクに続く筋骨隆々の男だった。

 生まれたときから西の鉱山で働かされ、暇があれば山の中を食糧を求めて歩き回った弓の腕が、ここにきて追随を許さない強者になっていた。


「野蛮な猿どもめ! 地獄に堕ちるがいい!」


 布陣した軍の中央、馬上のひとである指揮官が領主弟の決断を煽ぐために顔を向ける。


「うむ。くっさい連中は皆殺しでいいお。だけどアスヌフィーヌに傷をつけたら処刑だお」

「お任せください、閣下」


 指揮官は手を振り上げる。


「弓兵、放て!」

「放て!」

「一掃するのだ!」


 前衛の弓兵隊長たちも次々に一斉射撃の声を張る。

 五十の矢が続けざまに村の柵の内側へ飛び込んでいく。

 少なくない悲鳴が上がる。

 さらに矢が射かけられる。

 お返しとばかりに村の中からも矢が弓なりに飛んでくるが、散発的でいかにも頼りない。

 弓兵の前に盾を構えた歩兵が立っているので、ほとんど被害が出ていない。


「歩兵、進め! 柵を引きずり倒すのだ!」


 前衛の歩兵五十が足並みを揃えて動き出す。

 息絶えた使者を乗り越えて、まずは正面の柵に取り掛かるつもりだ。

 村から飛んでくる矢だが、一矢だけは恐ろしく強力だった。

 分厚い鉄板に頑丈な木を重ねた領主軍の盾――鉄製の強固な甲冑を突き抜けて、その一矢は歩兵の命をあっさりと奪った。

 さらに柵に近づくと、陣地から矢ではなく頭大の石や油、火が投じられる。


 面制圧のために矢は柵の内側に間断なく飛んでいくが、悲鳴はあまり上がらなくなった。

 元から正面の守りが薄かったのかと弓兵隊長は考えたが、射掛ける矢を止めることはしなかった。

 弓兵を下げるのは歩兵が柵に取りついてからでいい。


 後詰に三メートルもある槍を抱えた槍兵が五十、剣と盾を持つ歩兵が五十、前線の動きを見つめている。

 これは形勢を一息に決定づけるための戦力であり、思わぬところから奇襲されることを想定しての遊軍でもある。

 その後ろ、領主弟を守る最精鋭の騎兵五十騎、歩兵五十が後ろに控えている。


 戦況は一方的だった。

 柵は次々と引き倒され、矢が村の頭上に間断なく降り注ぐ。

 三つあった柵は半日もするとすべて取り払われ、村への突入も時間の問題となっていた。


「いまだ! 中衛を含め、全軍突撃ぃっ!」


 指揮官が馬上で剣を振り上げ、勇猛に駆け出す。

 それに続くように槍兵五十、歩兵五十が前衛と入れ替わるようにして村へと駆け込んだ。

 勝利を確信した彼らは、しかし異様な光景を見ることになる。


「おら、並べ! わかってるだろうが、ここで戦わなければおまえたちも死ぬんだからな? わかったらさっさと軍のクソどもを蹴散らすんだよ!」


 兵士たちが見たのは、横並びに立った十人の男女。

 ボロボロの体に手錠が嵌り、鎖が隣のものと繋がっている。

 背中に槍を突きつけられた姿はまるで囚人のようだが、この村には人攫いに連れてこられた不運な村人しかいないはずだと、馬上の指揮官は思った。

 村の男たちがその手錠を外していく。


「やれ! 炎の柱だ!」


 粗野な男が号令一下、手を振り下ろした。

 手錠を外された男女は、胡乱気な目をしながら詠唱を始める。

 彼らは魔術師だった。


「「「「「「“紅蓮の渦よ、焼き尽くす竜よ、汝の敵を喰らい飲み干すがいい”」」」」」」


 詠唱は重なり、男女の伸ばした手から炎が生まれる。

 ひとりが生み出すものが隣のものと重なり、より大きく激しく火炎が逆巻いた。

 正面の防壁が脆かったわけを指揮官は焼き切れる意識の中でようやく理解した。

 炎の渦は濁流となって突破された防壁もろとも飲み込み、村に駆け込もうとしていた百以上の領主軍を一瞬で呑み込んだ。


 悲鳴や絶叫が上がる。

 腕に覚えのある屈強な兵士たちが一瞬にして炎に飲まれ、燃え盛る火中でのた打ち回っている。

 その凄惨な状況を前に、捕囚の魔術師の何人かは目を逸らした。

 しかし槍を背中に突きつけられ、真っ直ぐに前を見据えさせられている。

 残ったのは炭化した無数の死体と、真っ黒に焦げた大地だった。


 戦場は静まり返る。

 領主軍に魔術師隊はいないため、百人を一瞬で屠る圧倒的な魔術に足が竦んでしまったのだ。

 指揮官の男があっさりと火中に呑まれて燃え尽きたことも拍車をかけた。

 そんな中に、ふらりと青いローブの魔術師が現れる。

 青白い肌をした青年だった。

 彼は転移で領主弟の眼前に現れる。

 驚いた近侍が槍を突き付けるも、飄々として領主弟に話しかける。


「なにやら齟齬があったみたいですね、領主弟ザック・ベルリン卿」

「て、テラディン卿だお……」


 領主弟はでっぷりしたお腹を震わせて怯えていた。


「あなたの大切な人間が誰かに連れ去られたとか。しかしここにはいませんよ。だからここを襲う理由もないはずです」

「そ、そう言われても素直に信じられないんだお!」

「信じていただくしかないんですけどねえ。我々、知らない仲じゃありませんでしょう?」

「……ほぐぅ、そう言われてもなんだお」


 領主弟は豚が押しつぶされたような音を出すが、苦り切っているのは誰の目にも明らかだった。


「ならば証拠を見せるべきではないですかねえ、テラディン卿。あなたが悪党に加担しているにはわけがありそうです。ここで話を持てたのも僥倖。ここにアスヌフィーヌ様が監禁されていないことをこの目で確かめれば信用もなるというもの」


 ジェイドに助勢するように、領主弟の右腕である陰気な男が頷く。


「閣下がよろしければこの村の隅々までご案内しましょう」

「う、うむ! 任せるだお」


 こうして村の戦いは双方に矛を収める結果となった。

 犠牲は領主軍百二十五名、悪党五十六名とそれほど差がないようだが、誰の目にも領主軍の敗北を色濃く感じていた。





 領主軍と人攫い組織の決着は呆気ないものだった。

 村の防御陣地をひん剥いたことで殲滅するつもりで攻め寄せた領主軍は、引きずり出された捕囚の魔術師たちによって一部隊まるごと燃やし尽くされた。

 領主弟の前にジェイドが現れ、領主軍は何やら取引をして矛を収める形となった。

 領主軍全体の士気はかなり下がっているので、領主弟に従わず攻め寄せることはなさそうだ。


 いまは領主弟とその護衛十人がジェイドに連れられて村に入っている。

 俺はちらりと家陰から領主弟を観察した。

 ステータスを視ると、ザック・ベルリンと出た。

 テオジアの領主の弟で、見た目はデブ。

 ボンジュール・ベレノア・ハムバーグといい勝負だが、あっちはまだコンスタントに動ける腰の軽いぽっちゃり。

 こちらは歩くだけでフーフー息が上がるデブ。


 取り巻きの護衛たちのステータスは、普通の兵士に毛が生えた程度だ。

 全員兜を被っているが、中には女もいて、ひとりだけ背の低い兵士がそれだった。

 サンドラ・ブロンドー。

 二十二歳だった。

 緊張状態が続いている所為か、女性を見て少し気が和んだ。

 だからだろうか。

 一瞬の油断。

 後ろから矢が飛んでくる。

 何本かは避けたが、一本だけ避けようがなかった。

 反応する前に足を貫いていたのだ。

 矢の威力は相当なもので、足を貫通して地面深くまで埋まってしまっている。


「逃げる奴の足、止めてよかったんだよなあ? 殺しちゃダメなんだよなあ?」

「おう、よくやったぜ、ボッカス。おめえは弓だけは一丁前だからなあ」

「おれ、狩りは得意だ。隠れた獲物、見つけるのも得意だ」


 頭の悪そうな大男が弓を構えていた。

 突然ガツンと後頭部を殴られ、目の前に星が散った。

 俺はなす術もなく地面に倒れ込んだ。

 矢に貫かれた瞬間から全身に超身体強化を施した。

 そのおかげで完全に不意打ちだったが、頭蓋を割られるような一撃の後でも生きていた。

 しかし頭をやられたからか、足が勝手にもつれる。


「なんてぇ硬ェガキだ。おらぁ真っ二つにするつもりで斧を叩き込んだんだがなあ。これじゃあ兜割りの二つ名が湿っちまうぜ」


 ぼやける視界の中で目をあげると、山賊の頭が大斧を肩に担いで口角泡を飛ばしていた。


「ここは狭ェ……」


 俺の片足を掴んで引きずっていく。

 広間に出ると、俺の体を小枝のように投げ飛ばした。

 地面に転がり土埃にむせる。


 わらわらと男たちが集まってくる。

 山賊の中でもいちばんの大男が、俺を後ろから襲ったやつらしい。

 ヴォラグ。

 髭面の大男がもう一度振りかぶる。

 やばいやばい。

 体が動かない。

 あんなのを叩き込まれたら普通死ぬって。

 ぶおんと空気が唸り、容赦なく斧が叩きつけられた。


「ぐっ!」


 咄嗟に地面に風魔術を生み出して斧を避けた。

 しかし体は木端のように吹き飛ばされ、木造りの家をぶち壊して全身をバキバキに叩きつけられてしまい、俺の体を揺さぶった。

 傷はない。

 しかし激痛が体のあらゆるところに走った。


「うらぁっ!」


 壊れた家屋に大男のヴォラグが突っ込んでくる。

 斧を振り回し、あらゆるものを破壊している。

 ありったけの力を総動員して体を捻ることでなんとか三撃目は逃れることができたようだが、身体は豪風に吹き飛ばされて、広場に転がり出た。


「あぁくそが、外しちまったぜ。ちょろちょろしやがって」


 目を向けると、無骨で鈍色に光る大斧を背負い壊れた家屋からぬっと現れる化け物。

 鬼が穴倉から姿を現したような風体にちょっとビビった。

 大斧には赤黒い何かが全体にこびりついていて、いままでそれで処刑してきた不気味さがまとわりついているようだ。


「しかしお頭ぁ、こいつはもう動けねぇみたいですぜ! ぐったりして立ち上がれねえみてえだ」


 ひょろりとした男に蹴飛ばされる。

 痛みはないが反動で仰向けになる。身体はじーんと痺れて動かない。

 なんで動かないのか。

 頭を殴られた所為だろうか。

 指先、足先にまで痺れが残っている。

 普通なら頭を割られたら死んでいる。

 それが衝撃だけで済んでいるのだ、身体強化様様だ。


「トドメ、刺しますかい?」

「いや、手枷して牢にぶち込んどけ。頑丈なガキは高く売れる」

「こいつ見て下せぇ」


 俺の腕を取って、ヒョロ男が俺の腕を掴み上げ、師弟の腕輪を衆目に晒す。


「ガキのくせに金属製の腕輪までしやがって。良い身分だなぁおい」

「見たところ銀でできてるみたいです」

「取っとけ」

「へい」


 俺が動けないことをいいことに、ヒョロ男がしゃがみこみ懐を漁り始めた。

 臭くて汚いおっさんに体をまさぐられる気持ち悪さは思わず鳥肌が立つほどだ。

 一刻も早くニニアンと猫ちゃんに挟まれて乙女の匂いで浄化しなければと思っている間にも、首から提げたニニアンの魔力障壁のお守りを奪われてしまう。

 身体は身体強化で守っているからと、ニニアンのお守りは全部魔術に対する防御の効果しかないのが裏目に出た。


「へへ、しっかり持ってるじゃねえか」


 ヒョロ男はさらに、俺の懐から金貨の入った小袋を抜き取った。

 中を見て驚いている。

 顔は覚えたぞ。

 あとで許さないからな。


 俺の全財産をそっと自分の懐にしまい込むと、何事もなかったように腕輪を外そうとする。

 おまえ、あとで親玉に言いつけてやるからな。


「お? 抜けねえぞ、こりゃ」


 師匠からもらった師弟の腕輪は魔力を通すことで任意で外れるようになる。

 他人が引っ張ったくらいではびくともしない。


「なにごちゃごちゃやってんだてめえ。のろまだな」

「へえ、腕輪が取れないんでさ」

「手首をたたっ切ればいいじゃねえか」


 そういって親玉ヴォラグが大斧を振り上げた。

 俺の体を漁っていた男が慌てて飛び退く。

 先ほどまで掴まれていた腕がだらりと落ち、切り落とすのにちょうどいい位置に伸びた。

 いや、逃げるなよ。

 俺の盾になれよ。

 ちょっと待ってください?

 それってあかんですよ。

 俺の腕が飛んじゃうよ。

 あらゆるものをかち割ってきた大斧が振り下ろされる――間際に、横合いから声がかかった。


「やめなさい!」


 誰かが走り込んできて、俺の前に立った。

 兵士の甲冑を着た小柄な人間で、声のトーンが男にしては高すぎた。

 先ほど領主弟の護衛をしていた紅一点、サンドラ・ブロンドーが俺と怪物ヴォラグの間に立ち塞がったのだ。

 俺は女神を見るかのように小さな背中を仰ぎ見た。

 太陽で少し眩しかった。


「ブロンドー、何している、戻れ!」

「しかし、子どもです。子どもをこんな目に遭わせるなんて!」

「貴様の仕事はベルリン閣下の護衛だ! 職務放棄するとは何たる愚行!」

「まあいいお、ブロンドー、とりあえず護衛に戻るといいお」


 領主弟のベルリンが大仰に言うと、女性兵士は俺をちらりと見下ろし、護衛の任に戻った。


「ヴォラク、なにしてるの。サボってないでちゃんと準備してよ」


 どこからかジェイドの声が聞こえてきた。

 首を少しだけ動かしてそちらを見る。

 目が合った瞬間ジェイドの肩がびくりと跳ねた。

 その目は俺を映しておらず、周囲を確認するように目を走らせる。

 そしていよいよ何もいないとわかるとほっとした様子を見せた。


 多分、師匠がいないことを確認したのだろう。

 彼は師匠に徹底的に打ち負かされて這う這うの体で逃げ出したのだ。

 奴が逃げ出すための最大転移呪文に巻き込まれて、俺はグランドーラ王国の西端から遥か彼方の王国の東端、大草原まで飛ばされた。


「まさかこんなところにいるとはね。イランが君との再戦に燃えていたよ。次に会ったら絶対ぶっ殺すってさ」

「……ぶっ殺されて、たまるか……」

「だよね。だからってわけじゃないけど、いまの瀕死の君に僕から手を下すことはしないでおくよ。君はまた奴隷に逆戻りだ」


 へらへらと笑うこの男が何を考えているかなんてわからない。

 ただ師匠に怯えているだけで、俺のことは師匠の金魚の糞とでも思っていそうだ。


「おいジェイドさんよぉ、こいつは知り合いなのかぁ?」

「顔見知りだね。エルフの弟子だから、かなり優秀な魔術師なんじゃないかな。売ればいい金になると思うよ」

「ほう……どうりで斧を叩き込んでも死なねえわけだ」

「……普通の魔術師は死ぬけどね。それと起き上がってくる前に魔術を使えなくした方がいいと思うよ。ヴォラグじゃあっさりやられちゃうから」

「聞き捨てならねえな」

「魔術師っていうのはそれくらい規格外だからね」


 ヴォラグが顎髭をじょりじょりとやり、なにやら思案している様子だ。


「ちっ、魔殺しの鎖があっただろ、こいつに結んどけ!」 

「へい!」

「ジェイドさんのお墨付きなら魔術師の素質は半端じゃねぇな。それに顔も悪くねぇし、こいつは金貨百枚でもすぐに売れるぜ」

「へへ、確かに可愛い顔をしてやがる。ちょっとつまみ食いしてもいいですかねぇ、お頭ぁ」

「おれもいいっすかぁ」

「そんじゃおれも」


 下品ににやついた薄汚い男たちに腕を取られ、黒色の頑丈な手枷を乱暴に嵌められた。

 石に触れた瞬間、いままで体に満ちていた魔力が留められずに拡散していくのを感じた。


「てめぇら物好きだなぁ、なに、処女膜ぶち破るんじゃねぇんだ、好きにしな」


 山賊親分ヴォラグの計らいに歓声が上がる。

 やめてくれ、俺はノーマルだ。

 男の娘エルフという特殊なヒロインといつか愛し(ほり)合うのはやぶさかではないが、小汚いおっさんから尻を掘られる(初体験)なんてまっぴらごめんだ。


「君たちの趣味はほんとに理解できないなあ」

「てめえは性欲が薄すぎんだよ」

「そうかなあ……?」


 ジェイドはぶつぶつ呟きながら、踝を返して行ってしまった。

 彼の後に領主弟の一行も付いていく。


「ケツ掘るのも拠点に戻ってからだ。やることすませなぁ! 野郎ども!」

「「「おう!」」」


 俺はぐったりとしていた。

 男に抱えられて、その汗臭さに吐きそうになったが、身動きが取れなかった。


「あと、てめえ、さっきガキから抜いたものを出しやがれ」

「ひぃっ、すんません!」


 親玉ヴォラグに蹴飛ばされて、子分は金貨の入った袋を渋々手渡した。


「かなり入ってるじゃねえか。魔術師ってのはいいご身分だな、ええおい?」


 顔を近づけられ、思わず息を止めたくなるような悪臭が漂ってくる。


「ヴォラグ、僕は閣下を送り届けてくるから、後のことはよろしくね。ちゃんと仕事してよね」

「へへ、任せてくれよ、ジェイドさんよぉ」


 ヴォラグの顔が離れて、ようやく息を吸い込める。

 中年の加齢臭以上の臭さだ。

 ドブの匂いがプンプンするぜ。


 俺は薄汚い男たちに引きずられて連れていかれる。

 ふと視線を感じた。

 胡乱気に顔を上げると、先ほど身を挺してかばってくれた女兵士がこちらに顔を向けて、心配してくれているのがわかった。

 俺はひどく気怠い中、笑ってみせた。

 それが彼女の動揺を誘ったのか、逆効果でひどく狼狽えていた。

 俺は何の変哲もない村の家に連れ込まれる。


「ジェイド卿。あの子どもが連れていかれた牢屋はまだ見てないお」

「おや、そうでしたか? では覗いてみますか?」

「当たり前だお! アスヌフィーヌが囚われていた場合、ボク、プンプン丸だお!」

「だからいないんですけどね。まあ、休憩した後にでも案内しますよ」


 後ろでがやがやと聞こえるが、俺は頭がまだ少しクラクラしてその上頭痛までし始めていたので、会話をよく聞いていなかった。

 床下の隠し扉から地下への階段を進み、松明の灯りしかない陰気な牢屋にぶち込まれた。

 牢屋は左右にずらりと並んでおり、灯りが奥まで届いていないことから地下に相当の広さを持っていることがわかった。

 同時に、空気の悪さがまとわりついた。

 なまものが腐ったような吐き気のする臭いや、酸っぱくすえた臭い、鉄錆のような血臭、それから濃い獣臭等々、衛生環境は最悪だった。


 黒い手枷の所為か魔力をうまく操れず、闇に目を凝らすこともできないのはかなり痛い。

 今の俺は間違いなく脆弱なただの子どもだ。

 その事実に寒気が背筋を這い回った。

 普通の人間なら当たり前の体の頑丈さに戻っただけだが、俺にはひどく頼りなく思えてしまう。

 魔力の鎧がないので殴られれば骨が折れ、さっきみたいに斧を振り下ろされれば一発で死ぬのだとわかると、頭をがつんと殴られたようなショックを受けた。


「ちゃんと歩け、ガキが」


 突き飛ばされて危うく転びそうになったが、男のひとりに掴まれてなんとか体勢を立て直した。

 咄嗟に「ありがとう」と言いそうになったが、松明に照らされたその男の顔は下心を感じさせる喜色を浮かべていたので思わず身を引いた。


 暗闇の中、囚われた人間の息遣いがまるで首筋に這い登ってくるなめくじのように気持ち悪かった。

 俺が押し込められた牢屋には先客がいた。

 両腕両足を拘束された身なりの良さそうな男だ。


「やー、君も捕まったのかい? 奇遇だね、ぼくもだ。こんなに若いのに運がないねー。あはは」


 人のこと笑える立場か。


「うるせえ黙れ! 大人しく身代金が届くまで口閉じてりゃいいんだよ!」


 怒鳴りつけられても、「あはは、怒られた」と懲りた様子もない。


「後で楽しみにしてろよ」


 と俺に向けて指を差してくる男。

 こちらこそ、後で土槍をケツにお見舞いしてやるからな。


「大丈夫?」


 この場に相応しくない明るい声で年若い美形の男が覗き込んでくる。

 「大丈夫」と短く返すと、「それはなにより」と朗らかに笑った。

 俺はとりあえず仰向けに転がって体の回復に努めた。

 寝転んでいると体の痺れがゆっくりと取れていくような感覚がある。


「上で何があったんだい? 見たところ領主軍が攻めてきて、それをうまく追い返したみたいだけど」


 知ってるんなら聞くなよ、と思った。


「あはは、情報を繋ぎ合わせてそう思っただけなんだよ」


 俺の追及するような視線を男はやんわり躱して答えた。


「ぼくがテオジアをちょっと出る前、ちょうど領主軍が北に向けて進発したところだったんだ。名目は最近村々を襲っている人攫い組織の壊滅、拉致された人たちの保護ってことだった。ここを襲うのも時間の問題だったわけだね。攻めてきたのはすごい振動がしたからすぐわかったよ。うまく追い返したと思ったのは、戦闘音がしなくなってから君がやってきたから。もし領主軍が勝ってたらここに現れるのは兵士だろうからね」

「……八割正解で、二割ハズレ……」

「そっかぁ、自信あったんだけどな。じゃあ領主軍に手痛い打撃を与えて、ここのリーダーが停戦に持ち込んだかな」


 なんでわかるんだ、と思った。

 すると男はにやっと笑って、「情報は金より重いのだよ」とのたまっていた。


「子どもにはわからないだろうけどね、テオジアの領主一族と言えばあくどいやり方で今の地位を守っている連中だからね。人攫い組織と繋がっていたって不思議じゃないわけ。ま、そういうぼくにもろくな友人がいないけどね」


 それはなんか納得。 


「しかしそうなってくると、君の助かる道はなさそうだね。君がこのまま北国にでも売り飛ばされるかもしれないと思うとぼくもやりきれないよ。あー、かわいそうに。向こうはまだ雪に閉ざされて極寒の大地だよ。ぼく寒いのだけは苦手なんだ。温室育ちだし」

「うるさいよ……で、あんた誰?」


 ようやく頭のふらつきが消えたので、気怠い体を壁にもたれかけさせながら快活な青年に目を向ける。


「ぼく? ぼくはしがない商人さ。どうやら身代金が目的で生かされてるみたいでね。いやあ、普通の盗賊が相手ならぼくみたいな男は殺されているところだけどね。運がいいんだか悪いんだか」


 にはは、と商人は屈託無く笑う。

 能天気な男だと思ったが、我が身がどうなるかもわからないのに笑えるのは、豪胆な性格の持ち主なのかもしれなかった。


「あ、ふけが出てる。うわー、まるで粉雪みたいに舞い散ってるよー」

「…………」


 ただの能天気男の可能性もなくはないな。


「それにしても捕まったのがぼくだけでよかったよ。愛娘のマルちゃんが酷い目に遭うなんて想像したくもないからね」

「マルちゃん?」

「そ。ぼくのかわいいかわいい娘なの」


 デレデレと表情を緩ませる商人の風体を頭のてっぺんから足先までマジマジと見た。

 くしゃっとした柔らかそうな金毛に、甘いマスク。

 鼻も高く、女にもてそうな美男子だった。

 どこかで見たことがあると思ったら、ドンレミ村の村長宅の軒先ですれ違った青年だった。

 ただそれだけのことだ。


 彼の娘と言うからには、金色の巻き毛で柔和な顔立ちだろう。

 彼の遺伝子を受け継いだ娘が美少女なのは容易に想像できた。

 もっと落ち着いていたらご紹介を願っただろう。


「君、魔術師ならなんとかできない?」

「…………」

「あはは、そんなに警戒しなくてもいいじゃない。魔殺しの石が嵌ってるのが何よりの証拠だよ」


 黒い手枷は魔力を霧散させる効果があった。

 封魔石とは少し違った効果だ。

 あれは魔力の一切を遮断するものだが、こちらは魔力自体を断ち切っているわけではなく、魔力を乱して操作できないようにしているといった具合だ。


「ま、それが嵌ってるってことは魔術を使えないって意味なんだけどね~。お金の入ってない財布みたいに役に立たないね~、あはは」

「…………」


 ここをうまく抜け出せたらしばき回してやろうか。


「君はなんでここにやってきたんだい? 暇だから教えてよ」

「暇だから聞くのかよ」


 といっても別に話して困ることはない。

 俺は妹を追って村々を回っていることを話した。

 ついでに妹がどんなに可憐か、どんなに慈悲深く慎ましやかで博愛精神に溢れ、高潔な聖女たるかを虚飾なしで語って聞かせた。


「君の妹が聖女なら、うちの娘のマルちゃんは天使だから」


 なぜか対抗するように青年が額を寄せてきたので、お互いに愛する身内を思いつく限りの言葉で褒めちぎった。

 「おまえらうるせえよ!」と看守が怒鳴っていたが、そんなものは気にもならない。


「俺の妹が超絶美少女でないわけがない」

「ぼくの娘が全人類の宝でないわけがない」


 先に言葉が尽きたほうが愛が足りない証拠になる。

 この勝負、言葉は多く交わさずとも、何を持って敗北と見なすかは互いに心通じていた。


「俺の妹は絵本を読んで、お兄ちゃんって可愛らしく擦り寄ってくるんだ」

「ぼくの娘は何歳になってもぼくの後ろをくっついて歩いて回るよ」

「はぁはぁ……」

「ふぅふぅ……」


 どれくらい口論を続けていただろうか。

 語れと言われれば一日中でも語れる自信があった。

 しかしそれは、目の前の相手もまた同じなのだ。

 俺と青年は同時に仰向けに寝転がった。


「……その愛、正しく本物だよ。周囲に白い目を向けられるほどの妹愛を感じた」

「……そっちこそ、将来娘が旦那を連れてきても最後まで反対する姿が目に浮かぶようだった」


 互いに顔を見合わせて苦笑した。

 どちらもそっくりそのまま自分のことでもあるのだ。


「妹はミファゾ村に向かう途中でいなくなったんだ。だから人攫いにでも遭ったんじゃないかって思ってここまでやってきた。なにか知らないか?」

「……マルちゃん大丈夫かなぁ。変な虫食べてお腹壊してないかなぁ……」

「ちょっとひとの話聞こうか」


 お互い身内可愛さに相手の事情を斟酌する余裕がないのだった。


「よし、ここはお互いの愛するものを探すために情報を持ち寄ろうじゃないか。その妹さんの特徴は?」

「赤毛で修道院からやってきているから、修道服を着ているはず」

「見てない。以上」

「はやっ! もうちょっと考えろよ! 思い出せよ!」

「マルちゃんの特徴はねえ……」

「おいぃぃ!」


 本当に心当たりがないらしいので彼の言うマルちゃんの話になる。


「ひと言で言い表すなら、美少女」

「はいはい」

「波打つ栗毛が肩口まで伸びてて、歳は見た目からすると十歳前後かな」

「そばかすとかあるの?」

「んー、ないな。目が澄んだ青色でね、ちょっと垂れ目なんだ。そこが可愛いんだ」

「はいはい」


 記憶を探ってみる。

 ここまでの道中で、栗毛の十歳くらいの女の子は何人か見た気がする。

 髪の長さを考えると、三、四人くらいだろうか。

 それでも誰かとはぐれたような切迫した様子はなかったし、どう見ても村の住人という感じだった。


「あんまりうまく言葉をしゃべれなくてね、やーとかうーとか言ってるよ」

「…………」


 まあ特徴といえば特徴だ。

 おかげで俺の中の“人族”の全候補が消えたけどな。


「ああ、あと忘れてた。下半身が馬なんだ」

「…………なんだって?」

「ケンタウロスの子どもなんだよ。マルちゃん」

「いやそれいちばんの特徴だから。何よりも先に言わなきゃいけないことだから」

「そぉかなあ? おっとり顔の美少女のほうが特徴だと思わない?」

「なにせ種族が違うから!」


 俺だってニニアンと猫ちゃんを探すなら、ひとにまずエルフ耳と獣耳がある女の子を見なかったかを尋ねる。

 こいつはちょっとおかしい。

 ケンタウロスの子どもならひと目見たら忘れるはずがなかった。

 俺はエルフ族の特徴的な耳をしたニキータと一緒に行動していたこと、とりあえずドンレミ村を目指して移動している最中に出くわし、こちらの猫ちゃんと馬車を付けて村に向かわせたことを話した。


「無事ならよかった。それだけが心配で……本当に心配だったんだ」


 胸を撫で下ろす商人の顔から、ほっとした安堵が浮かんだ。


「でもこれからは互いに見つけたら教えてあげられるようになったよ」

「そうなんだけどさあ……」


 釈然としないものを感じるのは気のせいだろうか。

 お互いに自分の住んでいるところを教え合った。


「へえ、ベレノアのベドナ火山の麓ね。獣人村かあ。ボン君が獣人大好きだったからなあ」

「領主のこと知ってるの?」

「まぁね。ちょっと前まではテオジアにも遊びに来てたよ、彼。むかしから仲が良かったんだ」

「へえ……世の中狭いもんだなぁ」


 仲が良いという点については、ふたりのひととは違った趣向に寄るものだと思われる。

 獣人スキーと魔物スキーである。

 ひとのことをとやかく言える感性を持ってはいないし、同属としての共感も覚えている。


 俺はむくりと起き出した。

 スクワットをしてみたり、ぐっと伸びをしてみたりする。


「どうしたの? 元気になった?」

「俺が役に立たない巾着袋かどうか、見せてやる」


 体も復活し、ここから反撃開始だった。

ついに他ルートのネタが尽きたとか言わないように。

ようやく後半戦に突入です。

そのための調整回なんです(キリッ)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ