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異世界旅行は落ち着かない  作者: 多真樹
第二部 少年時代 三章 家族捜索
131/204

第70話 守備範囲

文字数が多くなってアップが予定より一週間過ぎました。

ごめんなさいです。

 太陽が中天に差し掛かる頃、街道の脇に人が数名尻を落ち着けて休んでいるのを見かけた。

 鉄鎧が陽の光をきらりと反射する。

 馬車に気づいたひとりが街道に出てきて、両腕を振った。

 猫ちゃんが何かに反応してぴくりと起き上がって、前方を見つめる。


「にゃにかにゃ?」

「冒険者っぽいけど……」


 怪しいと思ったら即ステータスチェックである。

 先頭で手を振る大柄な女戦士に焦点を絞ってみた。



 名前 / サーシャ・ラインガー

 種族 / 獣人族

 性別 / 女

 年齢 / 三十歳

 技能 / 身体強化術、格闘術、剣術、房中術

 職業 / 獣戦士、格闘家



 おお、と内心で唸ってしまった。

 このグランドーラに獣人の戦士がいるとは。

 頭に生えているだろう耳を兜で隠し、尻尾も服の中に収めているからか、一見すると大柄でいかり肩の、百七十はありそうな女戦士にしか見えない。


「おうい! ちょっと待ってくれ! お願いだ!」


 腕をぶんぶんと振り回して、道の真ん中に立つ。

 野太い声だ。

 声に迫力があり、その上、右の頬に深い傷がある。

 革の胸当てやら防備は万全で、背中に大剣を背負っている。

 兜からこぼれる土色の髪はあまり手入れをしていないのかぼさぼさにはみ出している。

 待ってくれも何も、そこにいられたら進めないだろうに。


「止めろって言うより止まらないとただじゃおかないぞーって顔してるよなー」

「悪いひとのかおー、にゃははー」

「あの目は獰猛な獣のようだな」


 当たらずとも遠からずだ。

 サーシャとやらは獣人族で、猫ちゃんのようなごろにゃーという感じではなく、吼え猛る獅子を連想させる。

 飢えた獣。

 油断していると食いつかれる。

 そんな目をしていた。

 俺は馬の手綱を強く持ち、思考が停止した。


「……止め方がわからない」

「近くの村まで乗せてってくれないか! ほら、馬を止めてさあ! 止め、止めって止めろよぉぉぉぉ!」


 二頭の馬の頭を押さえ、女戦士はその場に踏ん張った。

 地面を削りながら、馬車の勢いを殺している。

 普通の人間なら馬に跳ねられるところを、獣人の力で押し留めている。

 馬たちも若く精気に溢れている。

 老馬だったら獣人に押さえつけられて、馬車の勢いを殺せず首の骨が折れていただろう。

 太く逞しい首のおかげで、誰も傷つかずに馬車は止まった。


「ひき殺す気かい! 冒険者だからってその辺のクズと一緒にしないでほしいね!」

「悪い、馬車の止め方を知らないんだ」

「じゃあなんで馬車を動かしてるんだよ! 子どもが馭者台に座るもんじゃないよ!」


 怒られてしまった。

 正論なので言い返せない。

 しかし、ねえ……。

 俺は横を見る。

 猫ちゃんのつぶらな瞳がそこにはあって、俺と目が合うと小首を傾げた。

 後ろを振り返ると、ニニアンがいつものようにむすっとしていた。

 小さい子と親しい人間以外には心を開かないこのエルフは、大抵初対面の人間に拒絶オーラを出している気がする。

 そんなふたりに馬車は任せられないしなあ。

 行先だってわかっていないだろうし。

 俺が子どもの頃、父親が運転する車に乗っておけばいつだって目的地まで運んでくれた。

 そんな楽天的な考えがふたりにはある気がする。


「残念ながら俺以外に馬車を操縦できるやつがいないんだ」


 頭を掻きながら女戦士に答えると、呆れた顔をされた。

 小麦色に焼けた肌を晒し、腕を組んだ。

 腕の筋肉もさることながら、押し上げられる胸のボリュームもさすがだった。


「なんであんたら馬車に乗って旅してんだい……」

「行き当たりばったりだからなあ」


 思わず遠い目をしてしまった。

 本当は馬を三頭貰う予定だったが、なりゆきで荷運びを含めた馬車になったから、と説明してもわかってもらえる自信がない。


「いいかい? 馬を止めるには意思を手綱で伝える必要がある。思い切りよく引けば馬は止まるさ」

「思い切り引っ張ると止まる……」


 話している間にも、木陰から女戦士の仲間と思われる人間が現れる。

 男が三人、女がひとりだ。

 女を見て、俺はアメリカンなヤングボーイ張りに下品な口笛を吹きたくなった。



 名前 / メルデノ・グレゴリ・ゴルオール

 種族 / 半ドワーフ族

 性別 / 女

 年齢 / 二十七歳

 技能 / 槌術、鍛冶術、細工術、手芸術、鋳造術、房中術

 職業 / 槌戦士、鍛冶師



 種族は後回しだ。

 ややぽっちゃりしているが、色白で、腿の前で手を組んで待つ立ち姿は、謙虚さに溢れる佇まいであった。

 剛毅な女戦士とは真逆に見える。

 それでも武装はしているが、本格的に戦えるようには見えなかった。

 腰に差した槌は片手剣ほどの長さしかない。

 癖のある巻き毛が兜からはみ出しており、それすらもどこか牧歌的に見えるから不思議だ。

 戦闘用の鎧を着ているが、隠せないものがあった。

 色気だ。


 目の前に現れたちょいぽちゃな女性。

 背は低い。

 百六十もない。

 しかし、むっちりとした体つきが革鎧の上からでもわかってしまう。

 ちょっとした動作でぶるんと震える巨乳。

 それはミル姉さんと比較しても遜色のない存在感を放っていた。

 ミル姉さんの胸は張りがあって形を保っていたが、きっとこっちのお姉さんはロケットおっぱいだ。

 そんな気がしてならない。

 髪色は黒であり、どこか日本人を思い返したが、愛嬌のある瞳は黄色でやはり異世界人だった。

 厚ぼったい唇に、泣きぼくろが妙に色香を漂わせている。

 目元は垂れ、小鼻には愛らしさがあった。

 ぽっちゃりしているが、腰回りはすっきりしていた。

 腕も足も太いと言うわけではないので、肉付きがいいといった感じだ。

 ドワーフ族がロリといったやつは誰だ。

 そんなわけない。

 むっちりお姉さんタイプではないか。

 姉属性もある俺にとっては最高の誤算だ。


 他の男たちについては言及する必要はないだろう。

 彼女たちふたりが異端すぎるのに加え、人族の男三人が一般的な冒険者のステータスでは特徴があまりに薄過ぎた。


 この国グランドーラでは、人族以外の亜人族を排他的に見る風潮がある。

 建国より亜人の侵略を許し王国滅亡の一歩手前まで疲弊したことが理由らしいが、人族至上主義とは馬鹿な真似だとつくづく俺は思っていた。

 獣人族はこんなにしなやかで愛嬌があって可愛いというのに。

 エルフはこの世に遣わした女神かと見紛うほどの美貌だというのに。

 亜人を拒む主義主張が俺には受け入れられなかった。


 男なら美しい女を手に入れたいと思うのは当然だろう?

 この国の男たちはその欲求を、相手が亜人というだけで心のシャッターを下ろし、努めて見ないふりをしている。

 実際、男たち三人は固まって、女ふたりから距離を置いていた。

 彼らは仲間が亜人だとわかっているのだろう。

 見えない壁のようなものが感じ取れた。

 まあ、それが秩序ある国家ってやつなのだろう。

 息苦しいことこの上ない。

 しかしこの世界では、それでいいのかもしれない。

 亜人に魅力を感じないということは、裏を返せば競争率が低いということ。

 その発想に至る俺は天才か。


 ドワーフ。

 炭鉱に住む穴掘り族。

 でっぷりと横に広がった体型に、毛むくじゃらな体。

 太い腕と、短い矮躯。

 酒好きで陽気な連中。

 ドワーフというイメージはそんなものだ。

 それがそっくりそのまま覆されたような気がする。


「さっきも言ったように、ちょっと乗せて行ってくれないか? 近くの村まででいいんだ」


 近くの村といっても、俺たちが向かっているドンレミ村が最短ではないだろうか。

 最短とはいえ、何もない森とひたすら続く街道をこのまま進んでも半日はかかるだろう。

 見たところ、彼女らの装備はそれほど汚れていなかった。

 狩りをして間もないのだろうか。


「構いませんよ。後ろの荷台にどうぞ」

「助かるよ」


 女戦士がにっこりと太陽のような笑みを浮かべる。

 剥き出しにした犬歯に野性味が溢れていた。


「そうそう、あたしはサリアってんだ、よろしくな」

「え? ええ、ぼくはアルです。よろしく」


 俺がわずかに表情を曇らせたことに気づくこともなく、自称サリアは仲間たちを先導して馬車に乗り込んだ。


「名前が違う」

「ニニアンも気づいた? でもまあ、何もしてこないうちは黙って乗せていればいいよ。どうせ日も沈まないうちに村には到着するんだから」


 その後、自称サリアは仲間を紹介した。

 やはりというか、ひとりとして正しく名乗っているものはいなかった。

 こちらに気を許すことはないと、告げているようなものだ。

 さらにステータスで確認すると、男三人には殺人者の肩書がついている。

 それに、風に乗ってわずかに血の臭いもした。

 それは魔物ではなく人間のものだ。

 嗅ぎ間違えるはずがない。

 大平原で嫌というほど嗅いできた臭いだ。

 そういう意味で、彼らの不穏さは拭えない。


 半ドワーフのメルデノはメーテルと名乗った。

 名前を隠す理由がなにかあるのだろうか。

 種族を隠すのはわかる。

 現に猫ちゃんとニニアンは、街からこちら、ローブを頭からすっぽりとかぶって特徴的な耳を隠している。

 面倒に絡まれたくないならそうするほかないのだ。

 馬を出しながら、こちらも猫ちゃんたちを紹介した。

 もちろん種族は伏せている。


「こりゃかなりの別嬪さんだ。いや、フードで隠しててもあたしの目はごまかせねえよ。それにかなりのやり手と見える! いっぺん手合わせを願いたいねえ」


 彼らは荷馬車の後口に固まって腰を下ろした。

 亜人の女ふたりは男三人と離れ、村へ運ぶ荷駄に挟まれるように、真ん中あたりに陣取っている。

 馭者側に移動してきたニニアンの横顔をへらへらと笑う自称サリアが覗き込もうとしていたが、頑なに首を背けていた。

 しつこかったのかニニアンは手綱を握る俺のローブに顔を埋めて、子どもみたいな隠れ方をしている。

 馭者台に座る猫ちゃんが不思議そうにその様子を眺めていた。


「ニーニャンは甘えん坊だよねー、よしよしー」

「……やめろ」

「猫ちゃんみたいに頭擦り付けてくる子が何言ってんだろうねー」

「……しょうがない。私、あいつ苦手」

「それを本人の前で言っちゃだめ」


 ニニアンがちらりと目を向けたのは、がさつな自称サリアではなく、自称メーテルだった。

 彼女は訳もわからず苦笑を浮かべている。


「サリアさんの方ならわかるけど、メル……いや、なんでメーテルさんの方なんだ?」


 「オイ」と背中側から飛んできた声は聞かないふりをする。


「ドワーフは苦手……土臭い」


 ドワーフとか言っちゃったよ、このエルフ。

 たぶん隠したがっているのだから、そこに突っ込むのは野暮ではないだろうか。


「あ、あー! いやいや、何言ってるのニニアン。むちむちした美人さんじゃないか。白い肌に溢れ出す黒毛。抱き締めたら気持ちよさそうじゃないの。サリアさんのごつごつした体よりよっぽどマシだよ!」


 「オイ!」と聞こえた気がしたがやはりスルーした。


「むっ、贅肉のない私じゃ不満か」

「そんなわけないじゃないか。ニニアンのような美女がこの世にふたりといるなんて思わないよ」

「そうか」


 心なしか弾んだ声に、横合いから腕を回され抱き締められてしまった。

 こんな状況でも役得と思ってしまう俺は、きっと頭がどこかおかしい。


「よくドワーフって気づいたね。なんならアタシだって言い当てて見せようか? そっちの小さい子、獣人だろ。あたしの鼻はよく利くんだよ」

「ちょっとサリア」


 自称メーテルがたしなめるような顔をする。

 言いすぎたと思ったのか、自称サリアはいけね、という顔をして引っ込んだ。


「ま、遅かれ早かれ気づかれるのはわかってたんですけどね」


 俺は背中を緊張させながら、穏便に済ませるように言葉を選んだ。

 猫ちゃんの尻尾は一応ローブに隠れているが、無意識にちょろちょろと振っているので飛び出してしまうことが多々ある。

 ローブで隠しているのは、無用な詮索をされたくないからで、猫ちゃんが獣人だと気づいても、大抵の場合は隠していることを察して触れないようにしてくれた。

 猫ちゃんやニニアンは隠し事には向かない性格だから、周りがそうしてくれるのはありがたかったのだ。


 猫ちゃんは馭者台から、後ろに乗せた胡散臭い冒険者たちを前のめりに覗き込んでいた。

 近づこうとしないのは、それなりに警戒心が働いているからか。

 猫ちゃんの耳が絶えずぴくぴくと動いていた。

 かぶっていたローブがはらりと落ちる。

 青灰色の髪と耳が露わになる。

 その瞬間、へらへらしていた自称サリアの顔が一瞬で歪んだ。

 まるで親の仇を見るような目になった。


「青豹族ッ! こんなところで会えるとはなあっ!」


 気配からやばいものを感じ、俺とニニアンが咄嗟に身構えた。

 馬車の中で立ち上がり、迫ろうとする自称サリアの肩を、膝立ちの自称メーテルが抑えていた。

 一方で、睨まれた猫ちゃんはなんで怒鳴られるのかもわからないまま、顔を強張らせて俺の膝の上に潜り込んで縮こまってしまった。

 耳がペタンと倒れてしまっている。

 俺はよしよしと頭を撫でて抱き締めた。

 ニニアンが俺と猫ちゃんを庇うように片腕を広げ、もう片方の手は細剣の柄に手を置いている。

 彼女がいる以上、俺と猫ちゃんに危害を加えることは不可能だろう。


「なんでそんなに敵意剥き出しなんですか。子どもを怯えさせるなんて大人げないですよ、サリア」

「でも青豹族だっ! あいつらの所為でアタシの一族はっ!」

「ちょっとサリア、それくらいにしてください。ちょっとは頭を冷やして!」

「いいや、やめないね! アタシの一族はアタシを残してほとんど全滅したんだ! 戦士の義務を放棄した一族に制裁を加えるのは同じ戦士の務めだ!」

「ああもう、このおバカさんは……。いいですか、サリア。相手は子どもです。一族同士の因縁か何かは知りませんが、それを何も知らない子どもに押し付けるものじゃありませんよ」

「だってあいつらは! 戦わずに山に逃げ込んだ卑怯者だ! あいつらが戦わずに逃げてのうのうと暮らして、アタシら獅子族はほとんど奴隷に落とされて! ああ、くそ! 胸糞悪い!」

「落ち着きなさい。自分が何を口走っているのかちゃんと考えてくださいよ。頭に血が上りやすいのは長い付き合いで知っていますが、こんなに貴女が取り乱すなんて珍しいこともあるものですね、まったく」


 獣人族の因縁があるのか知らないが、自分から獣人族だとばらしたようなものだ。

 偽名を使う意味も失せたのではないだろうか。

 フーフーと八重歯を剥き出しにして威嚇している自称サリアを、なんとか暴走一歩手前でおっとりしているのに物怖じしない自称メーテルが押し留めている。

 穏やかな彼女はこちらを向いて、「すみませんね、短気で」と頭を下げた。


「それは構わないんですが、うちの猫ちゃんを怯えさせるのを早くやめてもらってもいいですか?」


 俺は話すべきは半ドワーフの彼女だろうと思い、猫ちゃんの頭を撫でながら言った。

 「ミィニャ悪いことした?」と目を潤ませる猫ちゃんに、「何も悪くない」と背中を撫で、言って聞かせなければいけなかった。

 食事中に強面の男たちから脅されることには何の痛痒もない猫ちゃんだが、同じ獣人族では意味合いが違ってくるのだろう。

 まるで同胞から疎外されるような恐怖感を味わっているのかもしれない。


「本当にすみません。あなた方に危害を加えるつもりはありませんので」


 と自称メーテルは頭を下げる。

 直情的な獅子族のストッパー役である彼女の苦労は、察して余りあった。

 まあしかし、もし乱闘になっても、自称サリアの実力は身体強化くらいだ。

 その一段階上を習得しつつある猫ちゃんなら、不意打ちをされないかぎりは、まず負けることはない。

 安全マージンは確保した上で、俺は自称サリアに言いたいことがある。


「ねえサリアさん、うちの猫ちゃんがのうのうと暮らしているって言うのは否定させてもらってもいいですか? そして謝ってほしい」

「……なんでだ?」


 自称サリアは振り返る俺にまで、きつい眼光を向けてくる。

 きつい顔をしているが、美人には違いない。

 美人の眼光は余計に威圧感があるな。


「猫ちゃんは心無い人間に騙されて、幼い妹とふたり奴隷として売り飛ばされたんですよ。そして最悪な人間に買われて、大平原の戦場で死体漁りをさせられていたんだ。劣悪な環境の中、ろくなものを食べられずにやせ細って、その上身体には暴力の痕。ダメ押しに流れ矢で死にかけたんだ。そんな子にいわれのない因縁をつけて、のうのうと暮らしていたなんて思われるのは癪に障ります。だからいっぺん詫びを入れてください。あなたは奴隷に落とされたと言いました。辛い経験をしたならわかるはずですよね、奴隷に落とされた獣人たちがどんなにひどい扱いを受けているのか」


 いかんいかん。

 話しているうちについ力が入ってしまった。

 しかし理不尽な目に遭ってきた猫ちゃんの境遇を鑑みれば、女戦士の言い分は言われて当然とは思えないのだ。

 猫ちゃんがこれから幸せになることに恨みを買われるいわれは本当にない。

 俺が解放した獣人たちにしたって、全体を考えれば一パーセントにも満たない。


「ごほん、というわけでですね、サリアさん、謝ってください」


 にっこりと笑って促すと、女戦士は気を呑まれた様子で、ゆるゆると猫ちゃんに頭を下げた。

 それでも猫ちゃんは自称サリアの視界に入ろうとはせず、俺の膝の上で丸まって縮こまっていた。

 そんないたいけな猫ちゃんの様子に、自称サリアの憤懣も消え去ったようだ。


「それがすべて本当のことなら、すまん、言いすぎた」


 そう言って詫びのつもりか、自分の小指を噛み切って馬車の床に捨てた。


「え?」

「アタシは戦士だ。戦士として相応の詫びの入れ方がある」

「そんなの求めてませんて。頭下げるだけでいいのに!」


 女戦士にドン引きしたのは言うまでもない。

 もちろん小指は治した。

 本人は不服そうだが、ダラダラ流れる小指の出血を俺が見ていられない。

 やはりニニアンや猫ちゃん並みに胆力がついたわけではないようだ。


 慌ただしい治療の後、自称サリアは兜を取った。

 ライオンを思わせる土色の髪に、ピンと立った耳が現れた。


「身内でもないやつにアタシが獣人だと明かすのはあんたらが初めてなんだからな」


 と、よくわからないツンデレみたいなことを言っていたが、全然隠していなかった気がする。

 過去の遺恨を洗い流したらしい自称サリアの態度は、最初のときのような気楽なものに変わっていた。

 しかし一方で、いつまでも膝の上から降りようとしない猫ちゃんが元通りに戻るのは少し時間がかかりそうだった。

 自称サリアも「すまなかった」と頭を下げるが、猫ちゃんはぷいと顔を逸らして顔を埋めてくる。

 興味のないことにはまったく反応しない猫ちゃんは切り替えが早いように見えるが、意外と根に持つことが多い。

 空の旅に飽きてからというもの、数秒の飛行でも絶対に乗ろうとしないし。


「エルフかい! こりゃたまげた!」


 ニニアンが自称サリアに対抗してか、ローブを下ろしていた。サラサラな髪をかき上げて後ろに流す様は、女性なら誰でも憧れる艶を持っている。

 せめてエルフであることは隠しておいてよと思ったが、後の祭りである。


 ニニアンがエルフだと分かった途端、それに対する反応はオーバーリアクションかと思うほどの驚き方だった。

 奥に座る男たちは揃って口をあんぐりと開け、不機嫌そうな面だった顔にうっとりとしたものが混じり、ニニアンの美貌に目を奪われている。

 へへ、こいつ、俺のコレなんだぜ? と小指を自慢げに突き出してやりたい気分だ。

 男にとって侍らせる女はステータスと、どこかで聞いたことがある。

 間違いなく俺、勝ち組。

 おまえら、負け組。

 まあ向こうの女性陣は、野性味あふれる美女の自称サリアも、おっとりした色気むんむんの自称メーテルも、間違いなく美人だ。

 そしてこちらの女性陣は、まだ九歳の獣人と股間に一物抱えてるエルフだ。


「…………」


 負けじゃない! 負けじゃないんだ! ニッチだが需要はあるのだ!


「亜人迫害の国でエルフなんているんですね。大変だったでしょう」


 同情するように自称メーテルは悲しげな表情を浮かべた。


「あいつを思い出すなあ、ほら、誰だっけ、あの館でエルフいたよな、メーテル」

「ニキータさんですよ。……名前を忘れるなんてニキータさんが可哀想です」

「そうは言ってもなあ……あの頃だって特別アタシたちの仲が良いわけじゃないだろ?」

「それこそ、そうは言ってもです。同じ境遇の好じゃないですか」

「トカゲと小鬼はさっさとどっかに逃げちまっただろ」

「無理やり連れてこられたんだから仕方ありませんよ」

「もともと気のいい連中じゃなかったしな」


 昔話に花が咲いている。

 話が途切れたところを見計らって、俺はちょっと探りを入れてみることにした。


「このあたりで何を狩っていたんですか?」

「依頼の獣の素材をな」


 嘘だ。

 彼女たちからはわずかに血の匂いがする。


「五人がかりですか? この辺にいる魔物で、貴女ひとりが後れを取るようなものがいるとも思えないですが」

「アタシだって油断はするさ。念には念をね」


 ここらで最大の魔物はラビット系だった。

 リーダーが率いているような大規模な魔物群でない限り、パーティが手に負えないなんてことにはならない。

 猫ちゃんに威嚇した威圧感を思えば、ラビット系など裸足で逃げ出すだろう。


「日帰りですか?」

「いや、何日か山をうろついていてね、食糧が心許なくなったから街道に出てきたのさ。いや、馬車に拾ってもらえて助かったよ」


 それも嘘だ。

 鼻を魔力で鋭敏にさせてみれば、彼女たちから漂う汗の臭いまでわかる。

 それは二、三日山を歩いたほど臭っていないし、足元についた土や服の汚れを見ても、綺麗なものだった。


「数日間森を歩いていたんですか。大変でしたね」

「どうってことないさ。これでも鍛えているもんでね」

「でも変ですね。狩りをしたのに収獲物もないし、数日間森を歩き回ったにしては清潔すぎる」


 同乗者の何人かが一瞬強張ったのを、俺は見逃さなかった。

 自称メーテルもそのひとりだが、自称サリアはあまり深くは考えていないようで気づいた様子もない。

 俺が言葉での駆け引きを行っている間も、ニニアンは小柄な猫ちゃんを膝の上に引きずり込んで景色に目を向けているので気づかない。

 暢気なものだ。


「あー、うー、それはなー」


 自称サリアが言い淀んで頬の傷をぼりぼりと掻いている。


「ちょっと食糧が不足しまして、狩った魔物をその場で食べてしまったんですよ」

「それは災難でしたね」

「ええ、まったく」


 受け答えは自称メーテルが引き継いだ。

 言葉は柔らかいが、明らかに警戒の度合いは上がっている。


「冒険者なら知らないはずはないですよね、証明部位。それすらも持っていないようですけど」

「それは……」


 魔物を丸々一体運ぶより、ラビットの耳や、ウルフの牙を魔物討伐の証明として冒険者ギルドに持っていくのは良くあることだ。

 それら証明部位は、人間でいうところの首級に当たる。

 盗賊の首級も冒険者ギルドで清算してくれるので、魔物と一緒に持ち込むものも多い。

 街を訪れた際、興味があって人の良さそうな冒険者に聞いたことがある。

 異世界に生まれたのだもの、冒険者やギルドについて下調べをしておくのはマナーだよね。


「じゃあこれも聞いていいですか? 本名を隠しているのにはどんなわけがあるんですか? サーシャ・ラインガーさん。メルデノ・グレゴリ・ゴルオールさん」


 ステータスで見えた名前を告げると、表面上は笑顔を取り繕っていた彼女らは、あっさり顔から表情が零れ落ちた。


「名前がばれてるんじゃ、このまま生かしておけないね」


 そういうことらしい。

 どういうことだってばよ?

 どうやら地雷だったようだ。

 もうちょっと駆け引きをうまくしなきゃなーと思う。


「サーシャ! 相手は子どもなのよ!」

「わかってるさ。でもね、ここで計画が頓挫するわけにはいかないんだ。それくらいおまえもわかってんだろ」

「でも……」


 メルデノは戸惑っているようだったが、サーシャはあっさり覚悟を決めたらしい。

 後ろの男たちも、臨戦態勢に入っている。


「事情を話してくれれば、ぼくらとしても余計な首は突っ込まないつもりなんだけど」

「もう十分突っ込んだ。名前を知っている時点でダメだ!」

「……なんでやねん」


 やっぱり偽名を使うのにはわけがあったかー。

 俺って交渉があんまりうまくないよなー。

 商人のときも言われるままに頷いていた気がするし。


 サーシャが剣を抜いたのと同時に、俺は「猫ちゃん!」と呼びかけ、戦闘態勢の彼女を指示した。

 猫ちゃんは俺の意図を汲み、馭者席で立ち上がった。

 狩りをするとき、猫ちゃんは無表情になる。

 人間を相手にするのも、狩りのときと同じだ。

 さっきからびしゅんびしゅんと弦を引いていた弓矢をサーシャに向け、いつの間に番えられていたのか、一矢放つ。

 サーシャは矢を手で掴み、にたりと笑った。


 猫ちゃんはぽいっと弓矢を捨て、丸腰だというのに怯むことなくサーシャに飛びかかる。

 サーシャの上段からの鋭い一刀を危うげもなく紙一重で避けて見せ、彼女の胸元に躍りかかった。

 突き飛ばされたサーシャは猫ちゃんと一緒に馬車から転げ落ちた。

 地面にサーシャの背中が叩きつけられ、受け身も取れないまま「うっ」とうめき声を上げる。

 そこに馬乗りになる猫ちゃんの背中が見えた。


 同乗者の四人はすでに武器を手に立ち上がっていた。

 メルデノもサーシャが馬車から落とされたと見るや、覚悟を決めたらしい。

 俺は背を見せているので、ニニアンが彼らと向き合っている。


「どうする? 私がやるか?」

「いや、しっかり掴まってて」


 俺はサーシャに教えられた通り、手加減するより大げさにやって、馬に止まるよう意思を伝えるのが大事。

 教えてもらったことをそのまま実践するだけだ。

 ぐっと手綱を引き付けると、馬が口を取られて思いっきり足を停める。

 踏ん張ったせいで幌馬車の方も急停止し、その割を食ったのは、立ち上がっていた四人だった。


「ニニアン、吹き飛ばして!」

「わかった」


 なんとか縁に掴まり、身体が崩れるのに耐えたところを、まったくよろめいていないニニアンが風魔術を詠唱し、馬車の荷ごと外に吹っ飛ばした。

 それはやりすぎだと思うが、口には出さない。

 落ちた男三人は気を失うか、痛みに呻いているが、メルデノだけは受身を取ったらしく素早く立ち上がった。

 やはりサーシャとメルデノが、戦闘では頭ひとつ抜けているようだ。

 そこにニニアンの追撃の矢が飛ぶ。……って、おい!


「ちょっと殺すのはダメだって!」

「なぜ? 向こうは殺意がある」

「こっちがそれに応える必要はないでしょ。相手弱いんだから!」

「……それもそう」


 ニニアンは弓矢を仕舞った。

 俺は慌てて馬を降り、仰向けに倒れ込むメルデノに近寄った。

 美人の眉間が貫かれているなんて想像するだに恐ろしい。

 覗き込むと、メルデノはひっくり返って気を失っているだけのようだった。

 咄嗟に盾と槌を重ねて矢を受け止めたようだ。

 ニニアンの矢に反応しただけでもすごい。

 結果、威力に押し負けたようだが、大した怪我を負っていなくてよかった。


 首が傾いた途端に兜が落ち、ウェーブした黒髪がパッと広がった。

 耳に特徴があり、エルフほどではないが少し尖っていた。

 その耳の先端だけに黒い毛が密生していた。

 なるほど亜人族は耳を見れば見分けられるのか。

 それにしても綺麗な顔立ちをしていた。

 三十路前の女の色気は、見ていてムラムラというより安心感を与えてくれる。

 これを母性と言うのだろう、是非その胸に飛び込ませていただきたい。


 比較的眉が太く、ぼってりとした唇や柔らかい目元に、おっとりした優しい雰囲気がある。

 あまり戦いたくない様子だったから、きっと見た目通りの性格をしているのだろう。

 プレートメイルを押し上げる胸元は、外したときに期待させてくれそうな盛り上がりだった。

 そのくせ腰や腕は肉で弛むことなく引き締まっている。

 グラマラスだった。

 是非是非、大人の手ほどきをお願いしたいものだ。


 しかし悲しいかな、彼女らは拘束しなければならない。

 次の村で引き渡すしかないだろう。

 奴隷に落ちたら引き取れるだろうか。

 なんて心の隅で思っている。


 土魔術で作った拘束具で気を失ったメルデノの手と足の自由を奪うと、気を失っている他の男三人も同様に拘束した。

 猫ちゃんの元へ向かうと、小柄な猫ちゃんが女にしては大柄なサーシャに跨って押さえつけていた。

 一見すると子猫獣人とじゃれている雌ライオン獣人だが、実際は押さえつけられたサーシャは立ち上がることはできないはずだ。


「ぐぬぬ……起き上がれねえ!」

「むふー」


 それくらいの力の差がふたりにはある。

 それにサーシャは受身も取れずに地面に背中から打ち付けられたので、かなりダメージを負っている。

 まあもともとの身体能力が高い獣人族だ、痛みに耐えられないほどではないだろう。

 それよりも子猫に押さえつけられてプライドも地に落ちている現実がよりショックのはずだ。

 小指を噛むどころか舌を噛んで死にそうだ。


「アル~、ミィニャおっきいひとに勝ったよ。がんばった? ミィニャがんばった?」

「ああ、お手柄だよ」

「えへへ~、ミィニャがんばった」


 頭を撫でてやると、嬉しそうに目を閉じた。

 ぐりぐりと頭を押し付けてくる。

 もう怯えはイチミリもないようだ。


「ぐぬぬ……子どもなのに強ぇじゃねぇか、クソが……げほっ」


 咳き込みながら、地ベタに縫い付けられたサーシャが悔しそうに歯を食いしばる。


「ただぼんやり生きてきたわけではないんですよ、うちの猫ちゃんは。それがわかりましたよね?」


 ニヤリと笑うと、サーシャは顔を背けた。


「わかった、オレの負けだよ」


 全身を脱力させて、武器を捨て両手を広げて見せた。

 サーシャの潔さはなかなか戦士らしいと思えた。

 念のため彼女の手足を拘束して、ひとまずは落ち着いた。

 冒険者に身をやつした盗賊には見えない。

 何かの目的があって動いていただけで、俺たちはあくまでもイレギュラーだったのだろうか。

 それか商人の荷馬車を襲う目的が?

 本当に次の村に行きたくて同乗しただけ?

  彼ら五人を順番に担いで荷馬車に乗せると、手綱を取って出発した。


「で、貴女がたは盗賊ってことでいいんですか? 次の村で引き取ってもらおうと思うんですが」

「いいわけねえだろ! 手枷足枷を解いて自由にしてくれよ。もう暴れないからよ」

「その言葉をすんなり信じられたらよかったんですけどねえ。いろいろ隠し事があるみたいじゃないですか。それを教えてもらえれば検討しますが」

「そんなことできるわけねえだろ」

「だから枷は外せないんですよ」

「クソがぁ!」


 いもむしのように横たわるサーシャが、くねくねと蠢いていた。

 村到着後に彼女らを村に引き渡すことにわずかな心残りはあった。

 美人を罰することのもったいなさもあるが、それだけではない。

 彼女らのステータスには盗賊の技能がないのだ。

 名前を偽っていたのは事実だが、物盗りを生業にしているわけではない。

 もしくは初犯を犯す前に捕まえてしまったのだろうか。

 そんな都合のいいことはないだろう。

 聞いて答えてくれるならそれに越したことはないが、案の定サーシャは教えてくれる気はないみたいだし。


「メルデノさんのほうは?」

「話せないわね、ごめんなさい。信じてもらえないかもしれないけど、本当に何もする気はなかったのよ。名前を知られたのは、存在を知られるのがまずいというだけなの」

「そうだよ、それが言いたかったんだよ」

「サーシャは本当に口下手だから……」


 メルデノは呆れている様子だった。

 盗賊と言えば、猫ちゃんがいまだに盗賊の技能を消せていないのも、一度背負ってしまった罪は洗い流せないということにほかならない。

 この広い世界、もしかしたら罪を流すこともできるかもしれない。

 しかし一度ついてしまった技能を消すことはニニアンも知らないことだった。


「なあ、解放してくれよ。お詫びにメルデノの体を好きにしていいからさあ」

「え、ええ!?」


 同じ芋虫のメルデノが目を剥いた。


「よし、交渉成立だ」

「ええっ!!」


 今度は俺に向けて目を剥いた。


「はは、話のわかるガキじゃねえか」

「ええ、ちょっと待ってよ、いきなりそんな……」

「なんだよ、おまえ別に生娘ってわけでもないんだからよ。むしろ好きじゃねえか」

「ちょっとお!」

「ほほう、それは聞き捨てなりませんな。エロい身体つきの上に淫乱とは」

「アタシが誘って乱交したときなんか、無数の男が干からびるまで吸い取って――」

「子どもの前でやめてよバカぁっ!!」

「ぐはっ!」


 メルデノは顔を真っ赤にすると、サーシャに頭突きをかました。

 そりゃ男好きのする豊満な肉体をしていれば、引く手数多だろう。

 年上の経験豊富なお姉さん、イイね!


「なんならオレが相手してやってもいい。エルフの美人さんには劣るかもしれないけどな」

「いやいや、獣人さんの荒々しさは嫌いじゃないんで」

「食べず嫌いをしないでえらいな。よし、交渉成立だ。放してくれ」

「ちょちょちょ、ちょっと待ってください! それって一回満足させればいいってことですよね?」


 メルデノが食いついてきた。


「野暮なことは言うない。女が男を満足させる。それだけだろ、メルデノよぉ」

「わかりました。それでなかったことにしてくれるなら」

「アタシも、アタシの毛並みにかけて誓おう」

「わ、私も、それで丸く収まるのなら!」


 手枷をしているサーシャと笑顔で握手を交わした。

 日も暮れて野営した。

 馬車の中、裸になり見せつけるように胸をツンと張るサーシャと、柔らかそうな巨乳を両腕で隠すメルデノが、ランタンの明かりに照らされていた。

 ニニアンは火の番をして、猫ちゃんは早々に眠りについている。

 サーシャを組み伏せたことを褒めて褒めまくったら満足して眠った。

 ニニアンを説得するのには骨が折れたが、なんとか納得はしてもらえた。

 そもそもエルフには独占欲というものがあまりない。


「わたしのとき、ちゃんと相手してくれないとダメ」

「もちろん」


 ふたりとよろしくやっている最中に参加しないように約束を取り付けるのが重要だった。

 村には翌朝到着する予定だ。

 ちょっと足止めを食いすぎて、日が沈んでしまった。

 なので、それまでに約束を実行してもらう。


「約束は守るぜ。それに青い実は嫌いじゃない」


 ぺろりと赤い舌を見せ、獣の躍動を思わせる爛々とした瞳で俺の爪先から頭のてっぺんまでまじまじと眺められる。


「なんで私まで……」


 サーシャが近づいてきて、少し強引に服を剥かれた。

 半ば無理やり参加させられたメルデノも、裸を見るなり目が離せない様子だった。


「背丈が小さい割には立派じゃないか」

「ところで聞くのを忘れていたんですけど、あなたはもう精を出せるのですか?」

「ううん、まだだよ」

「騙したな、ガキが!」

「一回は一回だからね。毛並みに誓った約束だからね」


 メルデノは天を仰ぎ、サーシャは悔しそうに歯を剥いていたが知らない。

 約束は守ってもらわないとね。



○○○○○○○○○○○○○○



 ドンレミ村はかなり大きな村だとリエラは思った。

 自分が兄と過ごした村は小さく、ひたすらに麦を作っていた。

 この村には宿があり、店があり、行き交う様々な職種の人間がいる。

 村人だけではない人たちが溢れていて、活気があった。

 とにかく人がいっぱいいて、テオジアを小さくしたような村だと思った。


「今日はここの村長さんの家にご厄介になります。みなさん、節度ある行動をとりましょうね」

「「「「「「はーい!」」」」」」


 引率の修道女の言葉に、リエラたちは声を揃える。

 村の入り口で馬車から降りた一行は、そのまま村長の家に向かう。

 教会があればそちらに厄介になるのだが、テオジア以北には教会がひとつも建てられていない。

 テオジアより北の大地は冬になると雪に閉ざされることが多く、古くからの精霊信仰の方が土地に根付いており、教会の力はまだ弱い。

 教会の信仰はまだ百年にも満たず、国教にしているものの、場所によっては土着の信仰が優ることもあるとファビエンヌが言っていた。

 だから自分たちのような奉仕者が協会のあるべき姿を喧伝して回ることでその土地の人間にも受け入れてもらおうという裏があるのだそうだ。


「ここまで連れてきていただいた馭者さんと、護衛をしてくださった傭兵さんにお礼を言いましょう」

「「「「「「ありがとうございました!」」」」」」


 馭者さんも護衛の傭兵さんも入り口までで、次の出発まで宿を取って村に滞在することになっていた。

 村を出るまで別行動である。

 ふたりはなんだか気恥ずかしそうに手を振り、宿へと向かって行った。

 リエラたちは引率の修道女に従って村でいちばん大きな屋敷を訪ねた。

 しかしなにやら村長宅は騒がしく、村長である白髪交じりの老人が対応に現れたがどこか浮ついていた。


「どうも、私がドンレミ村の村長です。今日は何のご用……ああ、修道女様方がおいでになる日でしたか。すみません、すっかり失念しておりまして。いま準備の方を……」


 村長は落ち着きなく、ちらちらと屋敷の奥を気に掛ける素振りをしている。

 「おトイレかしら」とファビエンヌがリエラにこっそりと囁いてくるが、そんな個人的な理由ではない気がする。


「あの……どうかされたのですか?」

「いえ、孫が流行病に臥せってしまって、ああ、修道女のみなさんに移すわけにも参りませんね。こんなにも幼い方々が苦しむ姿を見るのは忍びない。宿の方を当たってみましょう……」

「私たちは奉仕するために参りました。この中には治癒魔術を扱える娘もおります。よろしければお孫さんの具合を診させていただけないでしょうか? リエラ、ファビエンヌ」


 引率の修道女はリエラとファビエンヌに目配せする。

 それに応じ、「「はい」」とふたり声を揃えた。

 治癒魔術を扱えるふたりである。

 他の六人と引率の修道女は治癒魔術を使えない。

 何度か教えようと思ったことはあったが、ふたりはアルやエドガール神官から決して自分たちだけで治癒魔術を広めようとしないようにと口が酸っぱくなるほど言われていて、その約束を真面目に守っていた。

 約束を破っては最愛の兄に一生会えなくなるかもしれないという強迫観念のようなものもあった。


「……治癒魔術を? では、では、孫は助かるのですか?」

「おそらく治すことはできるでしょう。とにかく容体を診てみなければ」

「わ、わかりました。こちらです。ご案内します」


 村長は話している最中もずっと狼狽えていたが、踝を返した途端、足取りはとてもしっかりしていた。


「リエラとファビエンヌは治癒をお願いします。これからかなり忙しくなることが予想されますので、魔力切れには十分に注意してください」

「「わかりました」」

「他の子たちはふたりの術後のフォローを」

「「「「「「はい!」」」」」」


 案内された部屋には少年が寝かされていた。

 呼吸は荒く、発汗が多い。

 そして何より、思わず顔をしかめてしまうほどの紫のコインほどの斑点が、右頬から額にかけて、露わになった腕や足にも浮かんでいる。

 母親らしきたおやかな女性が、苦しげな息子の汗を拭い取っているが、彼女の腕にも薄っすらと紫の斑点が浮かんでいた。


「先生、この病気ってわたし知りません」

「ファビエンヌ、私も見たことがありません。私の知る限りでは、国内では初めて見る病でしょう」


 その言葉に顔を青くした村長は、修道女の前に跪く。


「おお、どうかこの幼い命だけでも救ってくだされ。わしたちの希望をどうか奪っていかないでくだされ」


 母親もまた床に膝を突き、一心に祈り始めた。

 状況が深刻であることをピリピリと肌で感じる。

 リエラは腕まくりをして、ファビエンヌに目配せした。

 ファビエンヌも頷いて応じ、少年の前に立った。


「どうする? わたしがしようか?」

「もっと病人がいそうだから、あたしがやるね」

「わかった。リエラに任せる」


 ファビエンヌが場所を空け、入れ替わるようにリエラが少年のベッドの前に立った。

 もし治癒魔術が効かなければ、この流行病は大変な被害をもたらすかもしれない。

 それはリエラにだってわかった。

 だから、ここで治せることを証明しなければならない。

 リエラは息を吸い、ゆっくりと吐いた。

 そして詠唱を始める。


「“天上の父なる御方の慈愛、大地の母なる御方の抱擁をこの者に与えん”【ヒーリング】」


 リエラの手元が淡く光り、その手を少年にかざすことで、少年の体も淡く光りはじめた。

 体から魔力がすうっと抜けて、目の前の少年に注がれていくのがわかる。

 紫の斑点がゆっくりと消え、一分もしないうちに少年の呼吸は落ち着きを取り戻した。

 少年が目を薄く開き、リエラと視線が絡む。

 何かを言おうとしたのかゆっくりと口が開いたが、力が抜けたのか目を閉じ、しばらくすると安らかな寝息に変わった。


「……ふぅ」

「治癒魔術で治せるのね。どう? 難しい?」

「ううん。でもいつもよりちょっと大目に魔力が持っていかれるかも。たぶん、病気がひどかったからだと思う」

「なら早めに手を打つに越したことはないわね」

「あたしもそう思う」


 ファビエンヌと話していると、次にやるべきことがサクサクと決まる。

 リエラは親友の逞しさを常日頃見習いたいと思っていた。

 村長が横で孫の快復を喜んでいる中、ファビエンヌは膝を突いたままの母親の前に立ち、リエラと同じように【ヒーリング】を唱えた。

 母親は自分がなぜ治癒魔術を受けているかわかっていなさそうな顔をしていたが、ファビエンヌはあまりそういう説明をせずにひとつ飛ばしで行動に移してしまうところがあった。


「村長さんも【ヒーリング】をかけるので、動かないでください」

「わしもですか? わしは病気ではないのですが……」

「はい。でも遠からず同じように紫の斑点が浮かぶと思います。なので先に治癒します。あとこの家の人、全員呼んできてください。たぶん全員病気をもらってると思うので」

「なんですと! それは一大事!」


 村長の【ヒーリング】にはあまり魔力を持っていかれなかった。

 やはり病気の進行具合に寄るのだ。

 村長は治癒を受けると、すぐさま家人を全員連れてきた。

 村長のひとり息子が他の村の様子を見に出掛けてしまっている以外、全員を【ヒーリング】で治癒した。


「この村って、どれくらいの数の人がいるんですか?」

「だいたい三千人ほどですかの。ドンレミ村は商都へ運ばれる納税用の収穫物を一時的に溜め込んでおく場所でもありますからの」


 人が多く行き来する。

 それだけ聞いても状況が絶望的なことがわかる。


「今日中にできる範囲で治癒して回らないと」

「三千人なんて数、わたしには無理よ。リエラにだって無理」

「どうしましょうか……テオジアに治癒術師の要請をしましょうか」

「残念ながら修道女様、治癒術師の要請は一週間前から行っております。孫の前にも紫の斑点が浮かんで倒れた冒険者のパーティがおりました。彼らは北の村を中心に動き回っていたようですが、ここへきて全員が流行病に倒れ、その症状が異常だったこともあってすぐに隔離したのですが、看病の甲斐なく……」


 村長は頭を項垂れ、自身の力のなさを悔いている。

 誰であっても止めることはできなかっただろう。

 どうやって流行病が広がるのかわからないが、隔離したことには意味があったと思いたい。


「他に症状が重いものがいますじゃ。冒険者の手当を行っていた者たちで、そちらは孫よりも症状がひどいのです」

「そっちに案内してください。ひとつでも救える命を救います」


 ファビエンヌが決然とした顔をし、村長が案内するまま別邸に向かった。

 しかしそこで見たのは、全身が紫に冒され、苦痛に歪んだ顔で息絶える三人の男女が寝かされていた。

 口を思わず覆ったリエラに、部屋を飛び出していく修道女。

 ただひとり、ファビエンヌだけが冷たくなった骸に手を伸ばし、苦痛に歪む瞼を閉じた。


「他の、助けられるひとのところに案内してください!」

「は、はい。こちらです」


 ファビエンヌは目の端に涙を浮かべていた。

 一方で、リエラはすでに泣いていた。

 死人を見て、彼らがどれくらい苦しんだのかを想像して、胸が痛くなって涙が止まらなくなってしまったのだ。

 同じように死人を見てしまった子がリエラと一緒に泣いて集まっていた。


 リエラが使い物にならなくなっている間に、ファビエンヌが敬語になった村長を引き連れて毅然と職務に当たった。

 ずっとファビエンヌの傍に付いていた引率の修道女が言うには、病人の元に向かい、鼻を啜りながら治癒に当たっていた。

 ファビエンヌが魔力切れで倒れたと聞いてからは、リエラはぽろぽろ零れる涙を拭い、治癒に当たった。

 ファビエンヌは二十人くらいの患者を治して倒れたらしく、リエラはその遅れた分を取り戻そうと思った。

 ぐずぐずと泣きながら手をかざし、紫の斑点が薄っすらと浮き始めた患者を治していく。

 村長が村中に呼びかけたからか、日暮れだというのにも関わらず、半信半疑の村人が百人以上集まった。

 リエラはひたすら目の前の人間を治していった。

 中には流行病とはまったく違った病気を患った人や、健康体だというのに興味本位から列に並ぶ人までいた。

 腰の痛みを訴える老人、手を火傷した子ども、中には不妊で悩む女性までいた。

 リエラはできる範囲で対応した。


 何人治療したのかわからなくなってきた頃、ようやく列が途絶えた。

 すっかり日も暮れたので、村長が解散させたようだ。

 リエラはふらつく頭で立ち上がろうとしたが、足に力が入らず、よろけた。

 背中から抱き留められる。

 振り返ると、ファビエンヌが目の下に疲れを残しながら、小さく笑った。


「お疲れ様、リエラ」

「ファビーもお疲れ様。ごめんね、先にやらせちゃって」

「いいのいいの。リエラよりもわたしの方が死人を見慣れているんだから」

「それでもだよ。次は、一緒に頑張るから」

「なに言ってんの。リエラはひとりで百人近く治療してるんだからね? わたしの五倍だよ。そんなリエラにもっと頑張られたら、わたしは魔力がなくなって干からびちゃう」


 冗談交じりに笑うファビエンヌと頬を摺り寄せ合い、リエラは心が安らぐのを感じた。


「わたし、ご飯いいや。なんか疲れすぎたから、もう寝るね。リエラは?」

「あたしはご飯食べようかな」

「わかった。じゃあ先に行くね」

「うん」


 リエラはひとりになって、村長の中庭で夜空を見上げて立っていた。

 不意に気配を感じ、横を見る。

 テオジアの修道院からこちら、姿を見なかった美麗なエルフが立っていた。

 ニシェル=ニシェスさん。

 大好きな兄の魔術の師匠で、兄と別れてからずっと傍にいる。


「何を悲しんでおる、リエラ」

「……死んじゃった人を見たの。病気で苦しんだんだろうなって思って……」

「死んだ人間ならこれまでにもたくさん見てきたじゃろう。それこそ娘が育った村はほとんどが魔物に食われたじゃろ」


 大森林から溢れた魔力で村は呑み込まれ、村人は抗ったが、甲斐なく死んでいった。

 リエラは村人が魔物に食われるところを直接見たわけではない。

 兄がもしものために作った地下室に隠れていたし、その後はずっとエルフに守られていた。

 自分は無力だと思うと、情けなさに涙が零れ落ちる。


「泣くことはないじゃろう。すまぬ。なんて言葉をかけたらよいのかわからないんじゃ」

「だい、だいじょぶ、ですから……」


 気を抜くとしゃくり上げそうになった。

 ニシェル=ニシェスさんは困惑しているようだった。

 なんとか安心させようと涙を引っ込ませようとするのに、余計にぽろぽろと涙が落ちてくる。


「リエラはすぐに泣くのう。まるでこの世に溢れた悲しみを一身に背負いこんでいるみたいじゃ」

「そんなことないです。あたしはまだ何もできないから……」

「できることに気づいていないだけだと、わしは思うがのう……」

「?」

「救いの手として人々の役に立とうとする心を、わしは悪く言うつもりはない。ただ、わしにはリエラが自分を削っているように見えてのう。やがて消えてしまうのではないかと思えてならない。そんなリエラを救うことができる男にひとつ心当たりがあるが、会わしてあげられぬことはすまんとしかいいようがない」

「……よく、わからないですけど、でも、それはニシェル=ニシェスさんのせいじゃないです、きっと」

「わしは会わしてやることができる。しかし、それはできない」


 苦悶の表情を浮かべるエルフを、リエラは見上げた。

 ただ悲しげで、とてもすまなそうに思っていることだけは、冷え込んだ空気からも伝わってきた。

 ニシェル=ニシェスさんは一度もリエラを見てくれない。

 ただ夜空を見上げて、物思いに耽るような横顔をしていた。


「いま、リエラに決して言えないことが三つある」

「三つ?」

「わしのことがふたつ。わしとリエラに関係のあることがひとつ」

「聞いちゃダメだと思うから、聞かないです」

「リエラはそう言うだろうのう。だから、勇気を与えることかわからんが、ひとつだけ教えよう」

「聞いてもいいんですか?」

「ああ、構わん」


 ニシェル=ニシェスさんは険しい顔でこくりと頷く。

 とても綺麗な顔だった。

 困っているような顔ですら、美貌は霞むことがない。


「決して諦めるな。そうすれば、ソウ……いや、アル、リエラの兄じゃな。やつに関わるものに触れることができるじゃろう。アルの足跡は様々な場所に落ちている。それをひとつも見逃さないようにせよ」

「お兄ちゃんに会えるの?」

「残念だが、会うことはないじゃろう」

「ぇぅ……」


 また涙が溢れてきてしまった。

 袖で拭いながら、ニシェル=ニシェスさんを見上げる。


「ゆめゆめ忘れるな? なんてことのないそのひとつひとつは細い糸じゃ。しかしそれらを束ねれば、やがて太い綱となってリエラとアルを結んでくれるはずじゃ」

「結べばいいの?」

「心を閉ざさぬことじゃ。受け止めよ。これから出会うであろうすべての人間を、忘れず友のように接することじゃ……それではの。わしは行くとする」


 急に踝を返して、ニシェル=ニシェスさんは垣根の方に歩いていく。

 引き留めようとしても無駄だった。

 リエラは兄のようにエルフを追いかける体力がない。

 彼は垣根を飛び越えて、あっという間に姿を消してしまった。

 リエラは涙を拭い、一生懸命ニシェル=ニシェスさんが言ったことを考えた。

 どうすればいいのか。

 兄には会えないと言われた。

 でも、兄の足跡はいろんな場所にあるという。

 ひとつでも見落としたくないとリエラは思った。

 ひとつひとつが自分にとって大事なものだと思った。


 翌朝、朝食を食べていると、村長宅の前が騒がしくなった。

 昨日まで寝込んでいた少年も、ベッドで湯がいた麦飯を食べていることだろう。


「すまねえ、誰か! 病を治せるものはいねえか! お願いだよう、お袋が死んじまう! 体じゅうが紫になって死んじまうよう!」


 男が叫んでいるのがわかった。

 興味本位で玄関を覗き込もうとした少女が、引率の修道女に怒られている。

 相手は男で、不用意に関わってはならないと修道女は言う。


「頼むよう! 馬を飛ばしてやってきたんだ! 治癒術符でもいい、薬草師でもいいんだ! とにかく見てくれよう! たったひとりのお袋が死んだら、オラぁどうしたらいいんだよう!」


 リエラは思わず立ち上がっていた。


「リエラ?」


 騒ぎがあっても平然と食事を続けていたファビエンヌが訝しげな眼を向けてくる。


「あたし、行かなくちゃ」

「ちょっとリエラ!」


 リエラは部屋を飛び出し、玄関に向かった。

 そこには、地面に頭を擦り付ける小男がいた。

 村長が困ったように腕を組んでいる。


「そう言われても、この村だって流行病が蔓延しかけているんだ。君の村に手を回す余裕は……」

「あたしが行きます!」


 リエラは割って入るように声を上げた。

 額を地面に押し付けていた小男が顔を上げた。

 決して美形ではない。

 青白い顔色に、枯れ木のような手足。

 体じゅう土埃に塗れ、お世辞にも身綺麗とは言い難い。

 しかし、病に臥せっている母の身を案じ、医者を連れてこようと飛び出してきたのだろう。

 目に宿る意思の強さが、嘘を言っていないのだと物語っていた。


「あたしが行って治します!」

「お、お嬢ちゃんが?」

「あたし、治癒魔術が使えますから」


 小男はまるで救われたかのように涙を溢れさせ、地面にまた額を擦り付けた。


「ありがてえ……ありがてえ!」


 彼の感謝の言葉が、深く深くリエラの胸に突き刺さった。



○○○○○○○○○○○○○○



「でへへへ……」

「あばー」

「かーわいいでちゅねー」

「あうー」


 無精ひげを生やした粗野な父親が、揺りかごを覗き込んでだらしない顔になっている。

 揺りかごにすっぽりと収まった赤子は燃えるような赤髪で、光の加減によっては橙にも紅にも見え、何か神秘的なオーラを漂わせる。

 父親の方は見るものを不快にさせかねない溺愛っぷりだ。

 その横で直立する褐色肌のメイドは目を伏せて無表情を貫いている。

 ちょうど部屋に商人風の大柄な男が入ってきたが、揺りかごに顔を突っ込みかねない男を見て嫌そうな顔をした。


「おいジャン、気持ち悪いぞ。その汚い顔をどこかにしまってくれ」

「酷い言い草だな! 生まれついてからのこの顔だっつの!」


 メイドはくすりと笑ったが、それはほんの少し口の端が動いた程度で誰も気づかなかった。


「しかしサーシャとメルデノがいなくなったんで、アンスアンセルムが元気ないんだよなあ。フィルよぉ、別にあのふたりじゃなくてもよかったんじゃないか?」

「バカ言うな。あのふたりほど実力のある人員はいないだろ。アスヌフィーヌを無事拾って帰って来られる実力者を他に知らん」

「オレがいる、オレ」

「永久自宅謹慎男が何を言ってるんだ」


 自分を指差しアピールするが、鼻で笑って取り合わない。


「んだよ、真面目か」

「真面目だから今日まで面倒な男を匿ってこられたんだ。いつ不注意で露見するか、私はいつも胃を痛めてるんだ」

「へいへい」


 父親は再度赤ん坊に指を伸ばし、ぷりぷりの頬っぺたをくすぐった。

 対する赤ん坊はむずがるように顔をしかめ、男の指から逃れようと身を捩っていた。

 親子の触れ合いを眺める男は、呆れた顔になった。


「娘にまで嫌われるとは……それでなくとも肩身が狭いというのに、ついに家庭内でも居場所を失くしたか」

「リナ(リナレット)はただ眠いだけだっつの!」

「そうだといいな」

「そうなんだよ! 希望的観測じゃねえよ!」

「まあそんな話はどうでもいいんだが」

「どうでもいいことあるか!」


 がるると目を剥く男をよしよしと適当に手であしらいながら、商人風の男はメイドに目を向けた。


「赤ん坊を連れて行ってくれるか、ナルシェ。少し込み入った話をする」

「かしこまりました」


 メイドが音もなく動き、揺りかごの中のまだ首も座っていない赤ん坊を優しく抱き上げる。

 眠いのか瞼がとろんとして、くわっと欠伸を漏らした赤ん坊に、メイドは鉄面皮のような表情からにやけ顔を覗かせた。

 父親が名残惜しそうに視線をびしばし送っていることに気づきながら、メイドはあえて赤ん坊を見せつけるようにゆっくりと部屋を立ち去った。

 赤ん坊ことリナレットに対する愛情は、血の繋がった親にも勝るとも劣らないメイドだった。


「ぶーぶー」


 メイドの背中にブーイングを送る大人げない父親だった。

 扉がパタンと閉まる。

 男たちはふたりきりになると、へらへらしていた顔を止め、無表情になった。

 無精ひげのほうはソファにどかりと座り、足を組んだ。

 大男の方も対面のソファに悠然と腰を落とした。


「……あれからもう、四年になるか」

「どれから四年だ? おうちが潰されたときか? おまえの脛を齧り始めたときか?」

「おまえらが子どもを失って失意に沈んでから、だ」

「なんだよ急に。思い出話に花を咲かせるほどじじいになってねえぞ。耄碌したかボケ」


 ひらひらと手を振って鼻で笑うが、そんな態度すら大男にはどうでもいいようだ。

 大男は目を細めて、過去を思い返しているようにも、言葉を選んでいるようにも見えた。


「あれから面倒事が山積みだった。私は商会の幹部という肩書もあるからな。王都で足を掬われないように勘を研ぎ澄ませる必要があったし、おまえら気の抜けたゴミクズ夫婦をここ商都まで運ぶことに気を張らなければいけなかった」

「ゴミクズとはなんだ、タダ飯食ってクソすることくらいできんぞ、オレだって」

「ナルシェを拾った。あの屋敷を調べていたらたまたま見つけられた。あの家の使用人の末路は人知れず殺されるか、くだらない男の奴隷として使い潰されるかだった。ナルシェはクソ貴族の享楽の生贄になるところをなんとか救い出すことができた。数日遅ければ間違いなく心も体も壊されていただろう」

「……胸糞ワリぃ話だ」


 男が顔を歪める。

 歯を剥き出しにし、いまにもその貴族を殺しそうな凶悪な顔をする。


「厨房を預かっていた料理人たちは毒を盛られて死ぬか、作った料理に毒を混入され、捕えられて首を吊るされた」

「…………」

「双子を預かったメイドの乗り合わせた馬車は、落石と土砂崩れに巻き込まれて生き埋めになった」

「……何が言いたいんだ?」


 双子のことを話した途端、男の殺意が大男にまで向けられる。


「ラインゴールド家をこの世から消してしまいたい人間が王都にいて、そいつらは力を持っているということだ」

「親父が殺されたのは、ある意味で政争で負けた結果とも言える。その兆候は確かにあった。兄貴と弟がそいつらに取り込まれて、再三親父を説得しようとしていたからな。あいつら、いまではラインゴールドの名を完全に捨てて、軍内で確かな地位を築いてやがる。だがそれを許せるか? 政争に負けたというだけで、オレは父親と家、それから子どもたちを失った。すべて許して表に出ないように生きろと言うのか? 王都にいる力を持ったクソどもに怯えて、日蔭暮らしをしろって言うのか?」

「言わん。おまえの親父殿は聡明だった。戦争を回避し、商業の力で南方、東方、北方の国から力を奪う政策を取ろうとしたが、相対するのは戦争を仕掛けて領土も物資も労働力も他国から奪い取ろうと考える好戦派だった。その刃は味方のはずの親父殿に振るわれた。結果、彼らを押し留めることは王であろうと難しくなった。南方国に侵略戦争を仕掛け、逆に押し込まれて海岸沿いの港町をほとんど奪われる結果になり、いままた奪還のためにこの国の血肉を絞ろうとしている。最近では大平原を戦場にした三国戦争までやらかす始末だ、阿呆が極まっている連中だ」


 だから、と大男は言う。


「この国はまた新たな変革を必要としている。この国は変わらなければならない。イチからだ」

「クソ貴族を一掃するのか?」

「そんなことをしても次の愚か者が現れるだけだ。ならばだ、根本を変える。つまり……王を挿げ替える」

「おい」

「何も私が王になろうと言うわけではないさ。王に相応しいものへ、役目を引き継がせる。国の導き方を間違えないものに任せるのだ。そして王の手足となるものを王の力によって入れ替える」

「自分がどれだけ不遜なことを口にしているのかわかってるのか?」

「ああ、もちろんだとも。だが私は根っから商人であるらしいからな、王への敬いだけでは懐は膨らまないと、誰よりも知っている。どうすれば国が富むか、それを考えると今の王はいらないという選択しか残らない」

「そんなこと……」


 国王は国の顔だった。

 ひとりの人間が親を愛し、祖先を尊敬する念は、血肉に刻まれている。

 ひとりの人間に生きる土地を与え、生きる意味を指し示してくれるのが王で、尊崇の念は魂に刻まれているのだ。

 王を簡単に追い貶めてはならない。

 王位を奪った簒奪者は、さらに容易に他者から引きずり下ろされてしまうだろう。

 王の品格が地に伏せば、もはやこの国を留めていられない。

 領主たちはこぞって独立し、己の国を興すだろう。

 国の崩壊が始まり、乱世が起こる。


「わかってる。わかってるさ。だが、この国はもう末期だ。何も手を打たぬままで崩壊を止められずにもっとも望まぬ乱世になるくらいなら、新しい王を立ててそれを支え、踏み止まらせる方を選ぶ」

「そこまで考えていたとはな」

「……手伝ってくれるか? 私は今日まで、おまえたち夫婦を客人扱いしてきた。だが、手伝うと言うのなら、この国を変えるために歯車になってもらう。私やサーシャ、メルデノ、そして領主弟を動かしたアスヌフィーヌらと同じく、そのすべてを利用させてもらうぞ」

「冒険者をしていた頃から随分と変わっちまったもんだな、オレたちは。もっと単純な考え方だったはずだ。そこにお宝があったから冒険をした。共に歩む仲間がいたから楽しくやれた」

「……」

「だが変わらねえもんもあるわな。くせえ言い方だけどよ、ダチが助けてくれって言ってんだ。手を貸さないわけねえだろ。ダチとの冒険はいくつになっても変わらねえ」

「……ふん。おまえらしい言い方だな」


 男ふたり、口元をわずかに緩めた。


「エドガールの奴も混ぜてやらねえとな。あいつ、除け者にされると怒るからよ」

「もちろん独自に行方を捜している。いまは恐らく東の大平原に接した辺りにいるはずだ」

「頼もしいねえ。パーティの参謀さんがよ」

「協力を得たところで、ひとつ何としても果たさなければならない仕事がある。聞いてくれるか?」

「なんだ? 言ってくれよ」

「領主弟を討つ。あれは王都の好戦派の息がかかった獅子(テオジア)身中の虫だ」

「なるほど。好戦派の力を少しでも削ごうってわけか」

「領主弟は好戦派がテオジアに打ち込んだ楔みたいなものだ。それは抜いておく必要がある。それをしても好戦派に打撃とはならないだろう。獅子の毛を一本ずつ抜くような気の遠くなるような作業だが、必ず意味はあると思っている。領主弟は人攫い組織とぶつかり、そのどさくさで必ず殺す」

「ああ、わかった」

「それともうひとり」

「領主か?」

「いや……転移の魔術師、ジェイド・テラディン。こいつも好戦派と繋がる危険な魔術師だ」

「サーシャとメルデノでは難しいか。あいつら戦士にゃ相性が悪いだろうな。魔術師は魔術師で倒すのがセオリーだ」

「危険な仕事だ。明確な時期は決めていないが、頼めるか?」

「請け負うさ。タダ飯生活も今日までだぜ」


 腕っぷしを見せるように拳を突き出す仕草、気持ちのいい返事に、大男は頷く。

 大男――フィルマークはこうも考えていた。

 ジャンとセラを動かすことによって、もしかしたら双子の生き残りが現れるのではないかと。

 再会のお膳立てをするつもりはないが、迷宮を攻略した可能性のある戦力は見逃せないのだ。

 ジャンにも告げた通り、すべてを利用して望みを叶えるつもりだった。

 この国を内側から変える。

 ジャンに告げた理由だけではない真意もある。

 フィルマークは盤面を睨む棋士のごとく、人を動かすのだった。

アルの話は人によっては嫌悪感を抱くかもしれません。 

主人公純愛ルートはなかったんや……


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