第13話 雌伏
表向きは礼儀正しい使用人の顔を崩さなかった。
調子づいたムダニから面倒を押し付けられることもあったが、大概はなんとかなった。
言われる前に補充や掃除を行うことで信用を勝ち得、着るものも数着用意してもらった。
衣服の大半がイランのおさがりか襤褸だったが、土魔術で針を作り夜中にちくちくと自分とリエラのサイズに合わせたものをこさえた。
俺って実は器用。
まあ、魔力に頼っている部分はある。
魔力に頼るならいっそ、衣服に魔力を織り込めないか工夫した結果、出来合いの服では魔力が込めにくいことが分かった。
その代わり、襤褸を崩してよった糸に魔力を乗せられることに気づき、リエラの分だけでも本格的に防御を上げられるように服が作れそうだ。
俺って健気。
食事は毎日二食だった。
日ごろの行いがいいからか、はたまた労働力に死なれたら困るからか。
彼らは三食で、俺たちの分は二人合わせて一食くらいしかないが、必ず与えられた。
体の汚れなどは、魔術でなんとかなった。
水魔術ってすばらしい。
日常生活に万能だった。
着ている物もすべて俺が洗った。
汚れを落とすくらいなら何度か練習したらできるようになった。
辛い中にも楽しみは見つかるものだ。
リエラの下着を俺は笑顔で洗う。
もちろん匂いを嗅いだりはしない。
妹のパンツの匂いを嗅ぐなんて変態の所業だ。
でもナルシェの分はこっそり嗅いだことがある。
笑うなら笑え。
気になる子の衣類に興味を持つのは健全な男子だ(ドヤ顔)。
洗濯場に忍び込み、ナルシェの小さなパンツを見つけて迷わず鼻に当てて、トリップしそうになったのを覚えている。
できることなら生きているうちにもう一度嗅ぎたい(*´Д`)。
彼らはテーブルで飯を食べるが、俺たちは床に皿一枚置いてそこから食べた。スプーンなどなかった。
なので最初は手で食べた。
抵抗がなかったわけではないが、皿を口に持っていって食べるにも限界があったのだ。
本当にこいつら性悪だな、と思った。
次の食事にもスプーンがついていなかった。
それを見越して、俺は薪を一本拝借しそこからスプーンを何本か作り出していた。
ムダニは肩を怒らせてあっという間に俺のスプーンを没収した。
ついでとばかりに蹴りが顔面に飛んできた。
食器をひっくり返し、大惨事となった。
片付けておけと唾を飛ばされ、飯抜きになった。
その次も俺はスプーンを用意した。
また蹴られたが、今度は没収されなかった。
スプーンで飯を食べることが許されたのだと確信し、リエラにも渡して飯を食べるようになった。
ムダニが鼻息荒く俺たちにちょっかいを出す間、その妻と息子のイランは興味がなさそうで、俺たちに一瞥さえくれなかった。
ムダニが見ていないところで、妻のほうからは言葉責めを、イランからは意味もなく殴られた。
一家揃って性根が腐ってると思う。本気で。
夜、寝静まった頃に森に入るようにしていた。
ムダニの家の裏には山がある。
村の人間はそこから木を伐採し、山の獣や山菜を採っている。
山は代々ムダニの家の所有物らしく、山に入るにはムダニの許可がいる。
そういう経緯があって、ムダニは偉そうなのだろう。
きっとご先祖の威光がなかったら村八分にされている。
村でのムダニの評価はあまり高くなかった。
俺はムダニを怖がっていない。
あくまで怖がっているふりをしたり、怪我に呻くふりをしたり、演技力だけは無駄についてきた気がする。
だからか、山に入るにも大して不安はなかった。
精々見つからないように山に入った。
断りを入れたところで返事は蹴りだろう。
夜はあたりが真っ暗になる。
そんな状況でも動けるように、目に魔力を集めて視界を確保する練習もした。
最初はウサギのような小型の獣を獲るのも一苦労だった。
だが見つけてしまえば、土魔術でつぶてを作って打ち込むか、風魔術で切り刻むかであっさりと狩ることができた。
切り刻むとあとが面倒なので、たいていはつぶてをぶつけた。
耳が丸く尻尾の長い灰毛だったが、見た目はウサギだ。
動物を解体することにも抵抗があった。
最初は血を見るのもおぞましかった。
意を決して、風魔術を指先に集めて、ウサギの喉を切った。
血が噴き出してきた。
途端に気持ち悪くなり、死んだウサギをそのまま放置して家に逃げ帰った。
眠っているリエラに抱き付いて、その日は妹の体臭を嗅ぎながら眠った。
二度目。
腹を裂いて内臓が出てくると、俺はゲロってしまった。
情けないとは思いつつも、俺は逃げ帰った。
ウサギは捌けないまま山に捨てたので、きっと山の獣の餌になった。
リエラは起きていて、抱き付くと抱き返してきた。
目が合うとはにかんで笑った。
最近になって塞ぎ込むことがなくなったので、兄としてちょっと嬉しい。
三度目。
殺しは苦手だ。こんなもの一生慣れるわけねーよと思う。
しかし生きるためである。
毎日のご飯が足りず、三日に一回はムダニの意味の分からない癇癪で飯をひっくり返されるので、俺たちは日に日に痩せてきたという自覚があった。
背に腹は代えられないと思うようになると、人は何事でも乗り越えられるようになるらしい。
無人島で適応するのに似ているかもしれない。
何度も挑戦してウサギの解体ができるようになった。
びゅるびゅると内臓が出てきたところで、ナンボのもんじゃいと鼻で笑い飛ばす。
それよりも空腹のほうがよっぽどつらい。
体が動かなくなる恐怖の方が切実だった。
皮を剥ぎ、内臓を捨てると、ウサギがただの肉になることが分かった。
枝に刺して、焚火を作り焼いた。
どこまで焼いていいのかわからずちょっと焦がしたが、油が滴って肉の焼ける臭いが鼻をくすぐると、我慢できず焼けた肉に食らいついた。
ただの肉。されど肉。
味付けはない。今度塩でも持って来よう。
久しぶりに食べたうまい飯だった。
もう一羽狩って焼くと、お土産に持って帰ってリエラに食べさせた。
兄がどうやって夜の森で狩りをしているのか、妹ながらに気になるだろう。
しかしそれを押し除けて空腹が勝ったようで、とりあえず肉に塩を振ってから差し出すと、勢いよくかぶりついた。
リエラだってお腹を空かせて我慢しているのだ。
山にはときどき魔獣が出るらしい。
危険だから気を付けろよと、村人に注意を受けていた。
ムダニ一家がそんな優しい言葉をかけてくれるわけがない。
本当に魔獣に出くわす夜もあった。
迷わず逃げた。だって怖いもん。
魔術書を開いて実践することに浮かれていた頃の俺なら、迷わず魔獣に興奮していただろうが、優先順位の問題だ。
いまは生きることが優先。
三十六計逃げるに如かず。
アディオス!
爛々と光る眼が木々の向こうに見えたり、あるいは風下で漂ってくる獣臭さを嗅いだりしたら、その日は森の探索を諦めて帰った。
魔獣は魔力の多い獣の総称だ。
普通の山の獣と比べると体格が歴然だったり、体の一部が変化していたりする。
自分の体より大きな相手に立ち向かうのはフィクションの中だけでいい。
主人公なら魔獣と戦えだって? 勘弁してくれ。
いくら転生してチートのような魔術を使いこなしても、こちとら別に強くなりたいわけではないのだ。
魔獣を意味もなく倒して、俺TUEEEとかやってる場合ではない。
大人になったのだ。
ゲームなんてやめて働け。
声を大にして言おう。
守るものができたら人って変わるんだぜ?
夜遅く納屋に戻ると、リエラはたいてい丸まって寝ている。
今日は穏やかに眠っているが、突然しくしくと泣きだすときもある。
まだ幼児の域を出ない子供が親と引き離されたときの正しい反応だ。
俺は母親譲りの赤毛をそっと撫でてやることしかできない。
リエラは将来、誰もが振り返るような美人になる。
そのとき性格が活発か根暗かによって、美人なのに美人と呼べない残念なものになってしまうかもしれない。
俺は根暗なリエラに成長してほしくなかった。
ただ優しい、笑顔をいつでも振り撒くような子に育ってほしい。
そのために俺は、ムダニという元凶から盾になろう。
月明かりに照らされたリエラの目元に、涙が光っていた。
俺はそれをそっと拭う。
ナルシェのパンツに興奮するだけのガキでいられたらどれほどよかっただろう。
手元に魔術で火を作ってその明かりを頼りに、作りかけのリエラのズボンを、魔力を込めながらチクチク縫うことにする。
魔力消費と服が縫えて一石二鳥! 俺すげぇ、マジぱねぇと思っておこう。
縫うのは単純作業で、正直暇だった。
だいたい転生までして、夜なべして裁縫をする日がくるなんて夢にも思わなかった。
冒険者とか諦めて、細工師とかクラフト系始めようかな……?
これまでの説明だと、リエラは何もせずにのうのうと過ごしていたと勘違いされるかもしれない。
もちろんそんなことはない。
リエラだって自分にできる最大限の働きをしている。
何を口走ったら殴られるか、何を先にやっておいたら殴られないか、それをちゃんと幼いながらに考えている。
こんな小さな子に人の顔を窺うようなことばかりさせる時点で、ムダニチネと思う。
いまだって疲れて泥の様に眠っているのだ。
俺だって眠い。
でもこの時間が唯一自分のためにとれる時間なのだ。
それでもプライベートな時間をリエラに使っちゃう当たり、俺ってば身を削って子供を育てるママンの気持ちがわかるってものだ。
俺、将来自分の子はのびのび育てよう。いま決めた。
前世では子供なんて作らなかった。
そもそも子作りに欠かせない相手ができなかった。
言わせるなよチキショウ。
子供は守られて成長するものだ。
いまリエラを守っているのは俺だけだ。
俺にはリエラのお赤飯の日まで成長を見届ける義務があるのだ。
はいそこ、気持ち悪いとか言わない。
子供から大人への転換期は、いろいろ考えられると思う。
ある一定の年齢に達したらであるとか。
お酒が飲めるようになったらだとか。
しかし俺はこう考える。
親の庇護を離れて、自分ひとりの力だけで、自分を守っていけるようになったかどうか。
これができて一人前。
妻や子供ができたら、自分だけでなく、愛する家族を守っていく。
そうやって親から子に、バトンを渡していくのではなかろうか。
だから両親よ、早く迎えに来てほしい。
俺だってできるなら誰かの庇護下にいたいのだ。
最近おざなり気味だが、アルシエルにだってのびのび成長してもらいたい。
そんなこんなで二年の歳月が過ぎた。
もちろん両親からの音沙汰はない。
村の子の同年代とは、普通に仲良くなった。
今回は丸々アルの独白でした。
ようやく序章が終わりました。
次回から七歳児です。




