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異世界旅行は落ち着かない  作者: 多真樹
第二部 少年時代 二章 大森林のエルフ
125/204

閑話 ミィナの初料理

日常系のお話です。

 ミィナはもぞっと動いて毛布の中で目を覚ました。

 鳥の鳴き声がどこかから聞こえてくる。


 まだ朝早いのかいつも早起きのアルは隣で寝息を立てている。

 アルの頬に鼻を寄せて、すんすんと匂いを嗅ぐ。

 いつものアルの匂いに安心した。

 ちろっと舌を伸ばして頬を舐めた。

 アルは起きる様子もなく、すやすやと眠っている。

 アルの胸にぎゅっと抱き付いてぐりぐりと頭を押し付けてから、ミィナは毛布から出た。

 ニニアンがいつもどおり起きて倒木に腰かけていた。


「ニーニャン、おはよー」

「今日は早いな、おはよう、猫」


 ニニアンは相変わらずいつ寝ているのかと思うが、アルと毛布に入ってよくくっ付き合いをしているから、そのときにでも寝ているのかもしれない。

 ミィナはふたりが仲良く裸で抱き合っているのを知っているが、特に混ざろうとは思わなかった。

 ニニアンはちょっとしつこいからあまりくっ付いていたくない。


 ミィナは毛布から出てぐっと体を伸ばすと、しなやかで余分な肉の付いていないお腹と、小さなくぼみのおへそが外気に触れた。

 ミィナはお腹を撫でた。

 くぅ、と小さく鳴る。


「干し肉がある」


 ニニアンが見計らったようにひらひらと干し肉を揺らす。

 ミィナの耳がぴんと立って、ニニアンにじりじりと近づいていった。


「ほらほら、おいでおいで。膝の上に、ほらほら」

「にゃー」


 一瞬迷ったが、空腹には敵わなかった。


「よしよし。なでりなでり」

「うにゅー」


 干し肉は極上の味わいだった。

 噛んでいると塩味が効いた肉のうまみが染み出してくる。

 歯ごたえもちょうど良く、ミィナは硬いくらいの方が好きだった。


 ミィナは干し肉を咥えながら、ニニアンの膝の上でしつこいとも思える撫で繰り回しに耐えた。

 がつがつと干し肉を噛んでいたらあんまりニニアンのことが気にならないのが幸いか。

 たまに顎の下を撫でるので噛む邪魔だが、振り切るほどではない。


 アルが起き出してくる。

 ミィナとニニアンが仲良さそうにしている様子を見てちょっとだけ不機嫌な顔になった。


「俺の猫ちゃんを横取りした」

「交渉した」

「もぐもぐもぐもぐ……」


 干し肉おいしい。


「交渉じゃない。餌で釣ったんだ」

「肉をちらつかせたのは間違いない。でも膝に乗ったのは猫の意思」

「もぐもぐ……ごくん」


 おいしかったなあ。

 もっと食べたいなあ。

 膝から降りようとしてもニニアンががっちりと腹に腕を巻いているから逃げ出せない。


「俺の猫ちゃんなんだから勝手に餌付けしないで。それに食事前」

「猫は自制心が足りないだけ。アルの言うことをちゃんと聞いていれば干し肉に釣られることもなかった」

「ぺろぺろ……」


 干し肉を食べた後の指も舐める。

 ちょっとだけ塩気が残っているのだ。

 満足したので膝から降りようとしたが、ニニアンは拘束を解いてくれなかった。

 なので、頬に猫パンチ。

 ばしっとニニアンの頬に拳のいいのが入った。


「もうちょっとだけ」


 まったく効いていないようだ。

 これだからニニアンにくっ付かれるのは嫌なのだ。

 もがいて暴れると、アルからの助け舟があった。


「朝ごはんの準備するから、ニニアンも手伝って」

「しょうがない」


 解放されたミィナは急いでニニアンから距離を取り、撫で繰り回されてぼさぼさになった髪を撫でつけるのだった。




 お昼前、アルとニニアンは組手を行っていた。

 ミィナも毎日のようにアルと組手しているが、それがお遊戯に見えるくらいふたりの動きは速い。

 ミィナはひとり暇なので、最近ニニアンから教わった弓矢を取り出して矢を射っている。

 ニニアンみたいにしゅびっと飛んでばしっと当てるのが目標だが、ミィナが真似してみても弓はぶぅんと鳴って矢はへろへろと飛んでいくだけだ。

 矢じりは刺さりもせずに地面に転がる。

 何度やってもうまくいかない。

 だからすぐに飽きてしまう。


 そもそも、最初から武器に頼るのがまだるっこしいとミィナは思った。

 獲物がいたら近づいて行ってパンチを喰らわせれば済む話だからだ。

 弓矢という道具を使うことで、獲物を仕留め損ない逃がしてしまうことが多くなるのだ。

 だから矢が当たらなかったらすぐに弓を投げ出し、追いかけて行って獲物を仕留めるようになった。


「最初は誰だって当たらない。我慢して繰り返し練習する」


 ニニアンの指導で矢も自分で作る必要があった。

 ふたりがいま組手の真っ最中なので、ミィナは暇つぶしに木の枝を削って矢を作ることにした。

 ニニアンの作るお手本を参考に、見様見真似でナイフで枝を削っていく。

 できた矢はお世辞にも整っているとは言えず、射ってみればまっすぐに飛ばず。

 最近は鬱憤が溜まって地団駄を踏む回数が増えた気がすると思うミィナだった。

 弓矢など投げ出して、思うさま駆けて戦えばいいのにと何度も思った。

 それをしなかったのは、ニニアンが別に弓矢を強制しているわけではないことと、アルが弓矢を使うミィナを見てみたいと言ったことのふたつの理由があったからだ。


 矢を作っていたが、やっぱり途中で投げ出した。

 飽きてしまった以上はどうにもならない。

 それでは何をしようか。

 いつもなら肩掛け鞄の中の宝物を並べて楽しむのだが、今日はそんな気分でもない。

 ちょっと動き回りたいなと思っていた。


 そうだ。

 閃いた。

 ミィナがお昼ごはん作ろう。

 ミィナは名案だと思った。


 生まれてからこの方、料理をしたことのない事実はとりあえず横に置いておいた。

 料理のためには食材が必要。

 というわけで、ミィナは弓を手に林へと入っていく。

 早速ラビットを見つけた。

 二足歩行で空いた前足に武器を持つ、ミィナの腰くらいの大きさの魔物である。

 矢を撃ち込むが、ヘロヘロの矢は当たらないどころか見当違いの場所に飛んでいく。


「むー」


 不満である。

 飛ばない矢も、うまくいかない弓も不満である。

 ラビットは当たらない矢を見て、棍棒を手にこちらに向かって走ってきた。

 もう一本打ってみよう。

 ミィナは矢を番えて、じっくり狙った。

 ラビットはその間も距離を詰めてくる。

 標的の姿が大きくなる。

 これなら当たる、と思って矢を放った。

 しかし矢は、なぜか真上に飛んでいった。


「んにゃー!」


 ストレスはたまりまくりである。

 ミィナは弓を投げ捨てると迫りくるラビットの棍棒を楽々と躱し、猫パンチを叩き込んだのだった。




 林の奥からたったいま手に入れたばかりのラビットを引きずってきて、骨切り包丁をおもむろに掴む。

 ダンッダンッとまな板の上でザックリと部位に分けていく。

 毛皮を剥ぐ、という工程をまずすっとばしているがミィナは気づかない。

 そのまま大鍋にぶち込もうとした。


(ああ、血抜き血抜き……)

(毛皮も剥がないのか?)


 どこかから声が聞こえ、耳をピクリと動かした。

 そういえばアルは肉を調理するとき血を抜いていた気がする。

 それに、いつも食べていたお肉には毛が生えていなかった。

 毛をぶちぶちと抜いてみたが、終わりが見えない。

 いっそのこと毛の生えている表面部分だけ落とそうかなと爪を立てて引っ張ってみたら、案外毛と肉が離れた。


「おお……ぺりぺりむけるにゃ」


 これがアルのやっている作業だと思いだす。

 そう言えばべりべり剥がしていたなあと。

 それからなんとなく朧げな記憶を頼りに、ブツ切りにしたラビットの肉を持ち上げてボタボタと垂れ落ちる血をじっと見つめてみた。

 血抜きってどうやるんだっけ?

 知らない。

 でもまあなんとかなるでしょ。

 ただ持っているのに飽きたので、ブンブン振り回してみた。

 このほうが血がすぐになくなると思った。

 おかげさまで調理場としてアルが拵えた台所は凄惨な殺人現場となってしまったが、ミィナにとってはそんなもの知ったことではない。


 血の勢いがなくなったところで大鍋に放り込み、鍋の中を覗き込む。

 肉は用意できたが、それだけだ。

 火を熾さなければならない。

 いつもはアルが指先ひとつで火を熾してしまうので、ミィナは着火の仕方を知らなかった。


 どうしよう。

 ミィナは首をひねった。

 自分で火を熾すより、火をもらったほうが早い。

 ミィナは適当な枝を掴んでアルとニニアンが組手をやっているところまで歩いていった。


(戻って戻って! ばれちゃう!)

(ばれたらまずいのか?)

(いいから!)


 どこかから声が聞こえた気がしたが、ミィナは特に気にしなかった。

 興味のないことにはあまり意識を向けない大雑把な性格なのだ。

 アルとニニアンはすぐに見つかった。

 組手の途中らしいが、さっき見たときより動きがぎこちない気がした。

 なんだか精彩を欠いているのだが、ミィナは深く気にしない。

 アルの傍までトコトコと近寄っていく。


「アルー、お願いー」

「ん? なにかな、猫ちゃん」


 組手を一端止めてアルが振り返る。

 汗の臭いが少ししたが、アルの臭いは嫌いではない。

 どちらかと言うと汗を掻いていないニニアンの方に近寄りがたい臭いを感じることがある。

 アルとベタベタしているときがそんな臭いを漂わせている。


「これにね、ぶわってやってほしいの」

「ぶわ?」


 アルの手を取って、枝に向けて手を開かせた。

 伝わらないだろうか?

 ぶわっと火を出してほしいのだ。


 アルの目が枝に向く。

 そして自分の手。

 更にはミィナの顔。


「あー、あーあー!」


 納得したようだ。


「弓の次は剣の練習?」

「ちっがうにゃー!」


 ミィナはどぉんとアルに体当たりをかまし、無様に転がった少年の上に馬乗りになる。


「こうぶわっとやるのー! ひー! ぶわーっと!」

「あー、そういうこと」


 地面に押し倒されつつもコクコクと頷いてくれる。

 ようやくわかってくれたようでこちらも嬉しい。

 アルが枝に向けて手をかざした。

 ぶわっと風が舞い上がった。

 なぜかひんやりとしていた。

 ミィナは思わず目を細める。

 目を開くと、枝の先には氷でできた花が生まれていた。


「君に泣き顔は似合わないよ、お嬢さん」

「泣いてないにゃー! 違うにゃー!」


 ミィナは癇癪を起したようにばしばしとアルを叩いた。

 アルは笑いながら腕で防御していた。

 ただ単にミィナをからかいたかっただけのようだ。


「わかってるわかってる」

「うー……」


 むくれて唸るミィナをよそに、アルはそこら辺から拾ってきた枝を束にしてミィナに持たせた。

 そして先端部分を手で包み込み開くと、ぽっと火が灯った。


 相変わらず魔術はすごいとミィナは感嘆した。

 自分には才能がないので属性魔術というやつは縁遠い。

 でもアルやニニアンが傍にいればこうして火にも困らないのだ。

 ミィナは自分が彼らと離れて生活することをイチミリも考えていなかった。


 火をつけてもらえばもうアルに用はない。

 「火の扱いにはくれぐれも気を付けるんだよー」と保護者みたいなことを言っているが背中で聞き流し、トコトコ歩き出す。

 しかし途中で足が止まった。

 そうだ、言わねばならないことがある。


「こっち来ちゃダメだからねー!」

「なんで?」

「にゃんででもー!」


 料理をしているのを知られたくないのだ。

 今日はミィナが作るのだ。

 ふたりが付いてこないことを何度も振り返って確認する。

 やがて姿が見えなくなるところまでやってきた。

 今日のお昼はミィナが作ってふたりを驚かせてやるのだ。

 アルとニニアンの驚く顔がいまからでも見えるようで、しししとミィナは笑った。


 大鍋のもとに戻ってくる。

 下から火にかけられるように昨日アルが土魔術でかまどを作っていた。

 ごうごうと燃え盛る火の枝をおもむろに突っ込み、鍋が温まるのを待つ。

 しかしミィナは気づいてしまった。

 枝が今にも燃え尽きそうになっている。

 慌てて周りから小枝を集めてきた。

 かまどの火を絶やさないために葉っぱも押し込んだ。

 燃えれば何でもいいやと、余ったラビットの毛皮も放り込んだ。


 ようやく火が安定してきた気がする。

 いつもはアルに任せっきりで見つめもしなかった火の番。

 ちろちろぱちぱちと弾ける火。

 顔が炙られて熱くて、なんだか痒くなって、ごしごしと顔を擦った。


 いきなり木がぱちぱちっと特大の音を立てて爆ぜたので、思わず耳をペタッと抑えた。

 火が燃え広がったらどうしようとミィナは原初の恐怖を覚えつつ、しかし料理の方も進めなければならないと鍋を覗き込んだ。

 ふと鼻に漂ってくるのは焦げ臭く肉の焼ける臭い。

 鍋の底で肉が焦げていることに気づいた。


 どうしよう。

 とりあえず掻き回そう。

 掻き回す道具は。

 ミィナはおろおろと周りを探した。

 ちょうどいいもの。

 手近にこれからかまどに放り込む予定の頑丈そうな枝があった。

 それを掴む。


(え? まさかあれで掻き回すつもり?)

(汚いな。食べられたものじゃない)

(いや、そんなあからさまな言い方しなくても……)


 風に乗ってなんだか聞こえてきた気がするが、鍋をかき回すのに集中した。

 枝が途中で折れてしまって先端部分が鍋の底に残ってしまったが、まあ大丈夫だろう。


(大丈夫じゃないよ~)

(猫は結局何をしている? 新しい遊び? まさか料理……ではないだろうな)

(……味見はニニアンからにしよう)

(何の話だ?)


 風がうるさい。

 耳だけをそっちにそばだてると見計らったかのように何も聞こえなくなる。

 いったいなんなのだろう。

 焦げがひどくなってきた。

 臭いも相乗効果でひどくなる。


(水を入れて煮込むんだよ~)


 どこかから声が聞こえてきた。

 振り返るが誰もいない。


「アル?」


 アルに似た声だった。

 もしアルだったら嫌だな。

 せっかく内緒にしているのに。

 ミィナは火の傍を離れて、近くの木立の中を覗き込んでみた。

 風下のそちらから聞こえた気がしたのだ。

 しかし臭いも気配もなかった。

 誰もいない。

 気のせいかと思い鍋に戻る。


 煮込んだ方がいいと天啓のように聞こえた声。

 そういえばいつもアルの料理はスープが多かった。

 最初は焼くつもりだったが、鍋に入れてしまったので焼くに焼けないことにいま気づいた。

 これはスープにしよう。

 うん。

 いま決めた。


 瓶から水を汲み、注いでいく。

 鍋を八割方満たしたところで煮込むことにした。

 水が血の色に真っ赤に染まったが、些細なことだ。

 やがてぐつぐつと沸騰し始めた。


「うっ……」


 ミィナは鼻を抑えた。

 沸騰する鍋から血生臭さが漂ってくる。

 あと、途轍もない獣臭さ。


 本当にこれがごはん? いつも作ってるアルの料理みたいになるのかなあ。

 ミィナが首を傾げたときだった。


(味付けをするんだ……)

(いや、どんな味にしても元がもうダメだろう)

(水差すなよう)


 味付け……味付け……。

 ミィナは考えた。

 能天気な彼女にしてはこれ以上ないくらい考えた。

 そしてついに結論が出た。

 アルの荷物を漁り、料理に使う調味料とやらを引っ張り出してきた。

 瓶に入ったそれらの適切な分量などわかるはずもない。

 蓋を開け、「ざーっ」と流し込む。


(お、俺のひそかなコレクションがぁ……コンソメ作るのにどれだけ苦労したと……それを、あんなに無慈悲に……)

(どうせまずいのにな)

(ニニアンは余計なこと言わない)


 塩も砂糖も目分量で入れていく。

 味見なんてしない。

 ミィナは不思議とうまく作れる気がしているのだ。

 実際は気がしているだけで混沌としたものができつつある。


 そこらへんで拾ってきた枝でひたすらかき混ぜる。

 ミィナの辞書に不衛生という言葉は存在しない。

 残念なことに辞書という言葉も存在しなかった。


 ぐつぐつと鍋の中身が煮えてくる。

 ミィナは突き刺さる異臭に耐えながら、もうもうと上がる煙がなぜか目を突く痛みを伴っていることにプンスカ怒りながら完成を目指した。

 ただ喜んでもらいたいという少女の純粋な心が生み出した劇物。

 彼女になんら悪意のないことが尚更いたたまれない。


 適当なところで枝を抜き、ドロドロの茶色いスープをミィナは満足そうに覗き込んだ。


「完成にゃ~」


 何度も言うが味見はしていない。

 ミィナはかき混ぜるのに使った枝を放り投げてアルを探した。

 ニカニカと笑いながら。


 いつも優しくしてくれるお礼。

 大好きなアルへの感謝の贈り物。

 これからも一緒にいたい、そんな意思表示。

 それからちょこっとだけ、弓を教えてくれるニニアンにお礼の気持ち。

 アルを探して駆ける少女の笑顔には、そんな溢れんばかりの気持ちが詰まっていた。


 アルとニニアンはすぐに見つかった。

 先ほど組手をしていたところからそう離れていない林で、逃げようとするニニアンの背中をアルが必死に掴んで引き留めているところだった。


「だから逃げるなってば! 俺ひとりに全部押し付ける気かよ!」

「ダメなものはダメ。無理なものは無理。そういうこと。私がちょっとの間姿を消すのも、そういうこと」

「どおゆうことだよ、イチミリも理解できねーよ!」


 いつも仲良しなふたりが言い争っているのを見て、ミィナはぽかんとした。

 そのうちなんだか綱引きみたいだニャーと思いつき、アルの背中にぐわしと抱き付いた。


「あ? あ? 猫ちゃん? もしかしなくてもタイムオーバー?」

「私は食べられる食べ物が食べたい……」

「アルー、ニーニャン! すごいもの作ったよー!」

「な、なにかなぁ?」

「確かに凄そうだな」


 アルは表情が強張っている。

 ニニアンはいつもの無表情だが、いつもより遠い目をしている気がした。

 彼らを引っ張って席に着かせる。

 今回の主賓であるふたりにはただ座ってもらうだけでいい。

 ミィナが給仕から何からやるのだ。

 九歳の少女はひとりでできるもん!とやる気に満ち溢れていた。


 死刑執行を待つ囚人のようにただ黙して待つふたりの前に、でろでろっとしたスープが並べられた。

 鼻を刺す異様な臭い、表面に浮いたささくれた小枝、煮込んだ肉は一見すると食べられないこともなさそうだが、どうだろうか。


「ミィニャが作ったのー! すごい? ねえすごい?」

「…………うん、すごいすごい」

「…………いろんな意味で凄いだろうな」


 ふたりは匙を持つことなく、顔を見合わせている。

 いつまでも食べようとしないそんなふたりに首を傾げ、ミィナは、はっ!と思い出したように真顔になる。

 行儀よく手を合わせた。


「いただきます!」


 そういうことではない。

 ふたりの目がミィナに注がれるが、少女は複雑な機微を理解できない。


 ミィナは自分のスープに手を付けず、ふたりが食べ始めるのをいまかいまかと心待ちにしてそわそわしている。

 アルは意を決したように匙を取った。

 豪快に肉を掬い上げて、目の高さにかざす。

 肉には、ちゃんと皮を剥げていなかったのか毛がくっついている。

 ミィナは些細なことだと思うかもしれないが、短くない間調理場を預かってきた彼にとっては致命的な減点である。

 しかしそれを無垢な少女に叩きつけるわけにはいかなかった。

 これは味を審査する料理番組ではない。

 ちょっと背伸びをして孝行した少女の出来を褒めるためにあるのだ。

 アルは一息に肉を口に押し込んだ。

 そして固まった。

 一秒、二秒と時間が無慈悲に経過する。

 ミィナはどんな反応をするのか楽しみに尻尾を振っている。

 アルの口が動いた。

 もぐ、もぐと咀嚼を行う。

 歯と歯を合わせるだけのそれだけの動作がかなりの苦行なのだろう。

 額に浮き出た脂汗、一瞬にして青褪めた顔色から察してあげてほしい。

 噛む動作が止まった。

 そのまま喉に流してしまおうというのだろう。

 しかしアルの喉は動かない。

 体が拒絶反応を起こしているかのように、飲み込みをさせまいとしている。


「アル、どぉ? おいしい?」


 ミィナが声をかけた。

 それが後押しになったのか、ごくりと、なんとかアルは飲み下すことに成功した。


「うん、おい――」


 おいしいと言おうとしたのだろうが、胃からせり上がるなにかによってアルは自分の口を無理やり塞がなければならなかった。


「……お、おいひぃ……」


 涙目になりながらもなんとかアルは答えた。

 気まぐれながらミィナの努力を無下にしないため、彼はすべての理不尽を胃に押し込み、紳士になった。


 次にミィナの目はニニアンに向いた。

 ニニアンの皿はいつの間にか空になっていた。


「ごちそうさま」


 ニニアンはそう言って席を立とうとする。

 アルが「汚いぞ!」と目だけで抗議しているが、ニニアンはどこ吹く風である。

 一瞬にしてスープを魔力で圧縮し、見えないように草の上に捨てたのだ。


「じゃあおかわりよそってきてあげる!」


 ニニアンの謀略はミィナの善意によってあっさりと打ち砕かれた。


「い、いらな――」


 ミィナを止めようとしたニニアンの口を、アルが押さえ込んだ。

 ニニアンがこれほど慌てるのも珍しかったのだが、誰もがそんなことを考える余裕がない。

 ミィナは慌ただしく動いておかわりをなみなみ注いで戻ってきた。

 ニニアンの顔が青褪めている。

 逃げることはもはや不可能であった。

 エルフにとって、目の前に出されたスープはいろんな意味でアウトだった。

 聖地と呼ばれる魔力的にも澄んだ土地で育ったニニアンからすれば、まずにおいが汚染された瘴気を思わせて受け入れ難かった。

 エルフは菜食を好む。

 ごろっとした肉臭さを残したスープは嗜好から大きく外れていた。

 そして何より、泥沼の上澄みのような汁がありえない。

 鼻を近づけるとなぜか酸っぱさも感じる。

 なぜだ。

 それでも引くに引けなくなっていた。

 あまり他人を慮ることのないニニアンだが、アルとミィナだけは友達のいない彼女にとって特別なのだ。

 善意は無下にできない。

 ニニアンも根は真面目だった。

 先ほど草の上に捨てたことは水に流してほしい。

 それだってこれから自分が見せるであろう姿にミィナがショックを受けないように良かれと思ってしたことなのだ。

 ニニアンはついに覚悟を決め、匙を口に運んだ。

 たった一秒の間にニニアンは口の中を蹂躙された。

 目の前がちかちかと白く明滅する。

 ニニアンは後ろにひっくり返り、びくびくと痙攣を始めた。


「ニーニャン、どうしたのかにゃ? もうお腹いっぱいでひっくり返ったのかにゃ~。にゃはは!」

「…………」


 アルは何も言わない。

 口を開けばえずいてしまいそうだったから。

 ミィナもふたりが口にしたのを見て、匙を取った。


 正直お腹が空きすぎて困っているくらいだ。

 ふたりに喜んでもらうという目標が達成されたいま、忘れていた空腹感が蘇ってきたのだ。


「ミィニャも食べる~」


 そして、はむ、と匙を口に入れる。

 次の瞬間には口があんぐりと開き、だばーっと口に入れたものがすべてその場に垂れ流しにされた。


「激マズにゃ」


 ミィナはしばらく料理をすることを控えたと言う。

次の更新までのつなぎのつもりです。

うー3月中に投稿したかった……。

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