第62話 ジェイドの魔宮㉒ 石化
ハイカトブレパス――
ステータスを視ると、王の因子は当たり前のようにあった。
しかし同時に、『石眼王』の名前がステータスに載っているのを見たとき、背筋が震えた。
さすがラスボス。
その力は王を冠するほど、ということらしい。
俺がイランにちょっかいをかけている間、ニニアンは珍しく積極的に動いていた。
カトブレパスを倒すための下準備だ。
「“地の石くれよ、我が僕となれ”」
ニニアンの周辺が揺れ動き、壁がせり上がった。
ひとつではなく、城壁のように列をなしている。
三人が身を隠すことのできる壁を数え切れないほど生み出し、カトブレパスの石眼から身を隠すための陣地を作っていた。
俺は驚いてしまった。
「ニニアンにしては気の利いた支援だね」
「石眼王に真正面から攻めるほうがおかしい」
「ですわな」
ニニアンにとって意図しての発言ではないだろう。
しかし、遠回しにイランをこけ下ろしているようで痛快だった。
「とりえあず防御壁に隠れるようにして移動しようか。石像の様子を見てみたい」
「わかった」
猫ちゃんの手を引いて、三段になっている防御壁のいちばん後ろを駆け抜ける。
ニニアンの作った三段の壁は、ガードレールのように幅が途切れ途切れだ。
しかし二段目がレンガ積みのようになっているので、遮蔽は万全だった。
視覚に頼らなくても、魔力の気配に注意していれば問題なかった。
たとえ姿が見えなくても、ハイカトブレパスの魔力はとてもではないが覆い隠せるものではないのだ。
ニニアンがいちばんに石像に到着し、肩に触れた。
俺も確認だけはしておきたいので近づいて石像に触れた。
どうやら石化は誰かに移るということはないらしく、触れてもざらざらとした感触があるだけだった。
石像の顔は恐怖に彩られている。
手をかざして何かから逃れようとする瞬間を切り取ったように、石灰色の石像となっている。
猫ちゃんが石像の周りをくるくる回って、ときどきつついている。
「完全に石化すると治癒魔術は効かないみたいだね」
「治せるのは石化中だけ」
イランはカトブレパスの背後に回り、なおも石像へ直進する巨体を攻撃している。
ただラスボスは防御力が高いのか、ほとんどダメージになっていない。
ゆっくりと、本当にゆっくりと亀の歩みでこちらに近づいてきているのだ。
「猫ちゃん。こっちにおいで」
手を繋いだ猫ちゃんに呼び掛けると、ニコッと笑って飛び跳ねてぶつかってきた。
猫ちゃんは戦場であろうが甘えたいときに甘えるマイペースな子だ。
よしよしと撫でながら防御壁の最前列からカトブレパスを望む。
俺の体を基点に、猫ちゃんもひょっこり顔を出す。
赤く充血したような線が幾重にも走った単眼が、ぎょろりとこちらを向く。
「ひゃっ!」
「くっ」
猫ちゃんが怯えて俺の後ろに引っ込んだが、それはナイス判断だ。
魔力が直接叩きつけられる感覚があった。
魔力障壁をある程度のレベルで纏っていなければ、小人族と同じ運命を辿ったかもしれない。
横を盗み見ると、ニニアンも無事でいる。
「距離があるから大丈夫だけど、近くで目を見たら君でも最後」
「猫ちゃんは絶対に顔を出したらダメだよ」
「にゃんで?」
「石にされちゃうから。あんなふうに」
俺は小人の石像を指差す。
小人からは、残念ながら魔力の一切を感じない。
すでに息絶えているのだ。
「死んじゃうの?」
「石になったら死んじゃうな。だから言うことを聞いてね」
「アルのいうとおりにするー!」
にへりと笑って頭を擦り付けてきた。
かわいい猫ちゃんだ。
戦闘中でなければじっくりと愛でている。
しかしそうもいかない。
なぜ俺はラスボスと戦っているんだろう。
猫ちゃんをひたすらに甘やかしながらのんびり過ごすほうが何倍も魅力的なのに。
イランがハエのようにカトブレパスの周囲を跳び回っている。
どうやら飛び回る羽虫より、カトブレパスは石像に向かってひたすらに進んでいる。
如何せん鈍重な足運びなので、こちらが逃げるのは容易い。
しかし石像を喰らい食事を終えたら、次に狙われるのは自分たちであるかもしれないのだ。
仕掛けるならいまである。
カトブレパスが単純な行動をしているうちに、もっと戦いやすいように戦場を作り変えたほうがいい。
「ニニアン、岩をたくさん設置するよ。手伝って」
「わかった」
カトブレパスの視界に入れば、石化の眼光から逃れる術はない。
遮蔽物をさらに増やして身を隠す場所を作った方が、戦術的にも幅が広がり猫ちゃんを護ることにも繋がる。
ニニアンと協力して、岩の遮蔽物をカトブレパスの正面に作る。
カトブレパスとは数十メートルは離れているが、彼我の間に、カトブレパスの巨体では身動きが取れないような岩の密林が出来上がった。
防御壁と二段構えだ。
イランたちまで遮蔽物を利用し始めたのは癪に思ったが、せいぜい噛ませ犬ポジションをまっとうするがいいさと気を取り直す。
「さて、あの一つ目の巨大牛を倒す方法だけど」
岩の陰に隠れるように、三人額を突き合わせている。
猫ちゃんは作戦会議というそれだけで楽しいのか、ニコニコと尻尾の先端が嬉しそうに動いている。
ここは安全である。
と思っていた。
カトブレパスは遮蔽物となる岩をものともせず、砕氷船のように突き進んでくる。
「……とりあえず移動しようか。カトブレパスの正面にいるのは自殺行為だ」
「わかった」
「あいあい~」
岩壁に隠れるようにして、俺たちは移動を始めた。
石像をその場に置いて。
移動しながらも様子を覗き見ると、カトブレパスはまっすぐに進んでいる。
俺たちは標的にすらなっていない。
カトブレパスがまっすぐに向かう先に、小人の石像があった。
イランがカトブレパスの背後から斬りつけている。
しかし深く切り裂けず、鋼鉄の肌が剣を弾くのだ。
「こっちを向け!」と喚くように叫んでいた。
ウサ耳少女も持ち直して、いまはイランのサポートに回っていた。
「カトブレパスはあの目がいちばん怖い。近づくのは自殺行為だ。だから猫ちゃんは戦っちゃダメ」
「えーにゃんでー」
「今回は遠くから倒す必要があるからなのー」
「じゃあミィニャもとおくからたおす」
「石を投げつける役目を猫ちゃんに与えよう」
「わかったーミィニャそれやるー」
意味はないだろうけどな。
今回は猫ちゃんを遠ざけて戦う。
それだけは絶対だ。
「ニニアンと俺は魔術で連携ね」
「連携、任せる」
ニニアンはこくりと頷いた。
心なしか長い睫の奥で、やる気の炎が燃え上がっているような気がする。
「よし、始めようか」
「んにゃー!」
「ああ」
まず俺は、岩の上に飛び乗り、風弾を横っ腹に撃ち込んだ。
しかし障壁を破ることができず、よろめかせることもできない。
魔力を相当に込めていても弾かれるわけか。
「硬いな、やっぱり」
「君は弱い。私がやる」
ニニアンが風の矢を番え、同じくどてっぱらに撃ち込んだ。
しかし弾かれて風は霧散する。
「俺とそう変わらないじゃん」
「手を抜いただけ。まだ本気を出すときじゃない」
「なんだよそれ」
ニニアンは顔を横にぷいっと背けながら、負け惜しみみたいなことを言う。
「まあいいや。じゃあ、連携して追い詰めよう。俺が先に攻撃するから、間を置かず火矢をお願い」
「任せる、連携」
ほのかに気合いが入っているのか、能面のみたいな表情の中に、ちらりと意気込みのようなものを見せる。
イランバエがカトブレパスの後ろをぷーんと飛んでいるのが気になったが、まあ勝手に避けるだろう。
むしろ巻き込まれても指をさして笑う自信がある。
「よっしゃ、“火炎弾”」
手をかざして、カトブレパスを囲むように火種を撒いた。
カトブレパスに当てても霧散してしまうので、周囲を覆うように、だ。
意図を汲み取ったのか、ニニアンが魔力を込めた火矢を、カトブレパスに当てることなく十数か所に撃ち込むことで、中心にいる鈍重な巨牛を覆うほどの濃密な青い炎に昇格させた。
まるでガスバーナーで牛を丸ごと焼いているみたいになった。
俺とニニアンの魔術が相乗効果を生み、威力が跳ね上がったのだ。
大火炎陣とでも名付けよう。
「ングオオオオオオオオオォォォォォォ――ッ!」
腹の底にズドンと響くような咆哮だった。
火を嫌がるように首を振り、前に前にと前進するが、その移動速度は遅い。
猛々しい劫火をダメ押しで更に放ち、カトブレパスを万遍なく焼いた。
燃え盛る中で、カトブレパスが首を振っていた。
そして横倒しに倒れたのが、炎の中の陰影でわかった。
猫ちゃんは打ち寄せる熱風に目を細め、俺の背中に頭を擦り付けていた。
電撃で空気がビリビリするのと、吹き付ける熱風は嫌いなようだ。
「さすがに丸焼きにしたら効果があったみたいだな」
「これで始末できれば僥倖」
イランの方も、攻撃すると分かって咄嗟に下がっていた。
こちらに恨みがましい視線をぶつけてくるが涼しげに無視してやった。
ざまあ。
炎が収まり、横倒れになったカトブレパスの全容が現れた。
真っ黒焦げになっている。
牛の丸焼きを通り越してもう単なる炭である。
「真っ黒になっちゃったけど、しかしカトブレパスの肉って美味いんだろうかね」
「お肉!?」
猫ちゃんが「肉」の単語に反応して、耳をぴんとそば立てた。
「まだ早い」
ニニアンがポツリと漏らす。
「ん?」
ニニアンの視線の先、真っ黒になったカトブレパスの燃え炭が、ぼろぼろと崩れ落ちはじめた。
まるで卵の殻を割るように、黒い表皮が剥がれ落ちていく。
そして何事もなくカトブレパスは起き上がった。
若干、一回り小さくなった気がするのは見間違えではないはずだ。
むくりと巨体が起き上がり、長い首の先にある、地面すれすれに伏した頭蓋を左右に振る。
そしていったん落ち着くと、石像へ向けて駆け足を始めた。
「「「「!?」」」」
このフロアにいる全員が目を瞠った。
まさかのろのろと亀のような動きしかできないと思っていたところに、一回り小さくなって動きがほんの少しだけ良くなっているのだ。
岩などなんの障害物にもならない。
氷を割る船のように、けたたましい音を立てながら意に介さず突き進んでいる。
カトブレパスの意外な動きに気を取られ、俺たちは石像へ一直線であることに気づくのがわずかばかり遅れた。
しかしイランだけは誰よりも早く動いた。
「そっちにいくんじゃねええええ!」
魔剣を振りかぶり、カトブレパスの背後から打ち下ろした。
カトブレパスの体毛は岩の色をしている。
剣先がカトブレパスを穿つが、その体毛を割って、岩のような表面にピキリと罅が入る程度だった。
カトブレパスはイランに気を留めることはなかった。
食事が最優先なのか、一心不乱に小人の石像に向かっている。
駆け足とはいえ、普通サイズの牛がよろよろと走る程度。
イランはあっという間に横に並び、魔剣を振りかぶった。
「てめえっ! フリッツを食おうとするんじゃねええええっ!」
イランがバットのように魔剣を振り抜いた。
鋼鉄を叩いたような音が響き、弾かれたイランの腕が持ち上がる。
彼の剣は単眼に当たらなかった。咄嗟に頭を下げたカトブレパスが、頭蓋で剣を受けたのだ。
それでも頭蓋に罅を入れた程度だった。
目を狙われたからか、カトブレパスは石像よりもまず目の前を飛び回るハエに焦点を絞ったようだ。
足を止めるなり、単眼を最大限に見開いた。
イランは魔剣を持ち直して単眼に突き刺そうと押し込む。
しかしそれより早く、カトブレパスの足元が魔法陣で淡く光っていた。
足元から飛び出した土槍の集中砲火にイランは体勢を崩した。
このままでは土槍の向こうで待ち構えている石化の視線を避けきれない。
歯をギリッと噛みしめて、悔しそうな顔をするイランの横顔が目に映った。
助けたくはない。
正直ざまあみろと言いたい気分だ。
しかし、心にしこりのようなものが残る。
「っ……っ!」
イランを突き飛ばすように、浅黒の巨体が割って入った。
両腕を広げ、単眼の視界いっぱいを大男が占有する。
「っ、っ……!」
大男が顔を歪ませる。
鋼のような浅黒の肉体が、見る間に岩の色に変色していく。
「……っ……」
浅黒の大男は、ふと表情を緩めると、物言わぬ石像となった。
感傷に浸る間もなく、カトブレパスがのろのろとした動きで大顎を開いた。
その口の大きさは、大の大人をぺろりと平らげるに十分な、異様な大きさだった。
かぶりを斜めにして、大男の石像を肩口から脇腹までがぶりと噛み砕いだ。
さっきまで“ひと”だったものが、石の破片となって砕け落ちる。
「ああ……あぁ……」
「ご主人様! ここにいてはダメです! 下がってください! 一生のお願いですから!」
目の前で大男が砕かれる様を目にしたイランは声にならない声を上げ、そんな彼をウサギ耳の少女が後ろから引っ張って窮地を逃れようとしている。
しかしイランは脱力してしまっているのか、少女の非力な腕力では遅々として進まなかった。
その間にも、砕かれた大男の破片をカトブレパスは貪り食っている。
「あの巨獣の体、見ろ」
ニニアンが指差す。
先ほどイランが罅を入れた体が、食事中にたちまち塞がっていくではないか。
生き物を岩にして喰らうことで、自分の体を修復することもできるのか。
それに、少し体が大きくなってないか?
嫌な想像が脳裏をよぎり、げんなりしてしまう。
食べた分だけ体を大きくできるのか。
削った分だけ身軽になるし、食べた分だけ大きくなる。
どういう体の作りをしているのかと考えるだけで嫌になる。
怒りに吼えたイランは、あろうことかこちらに剣を向けてきた。
「てめえ! てめえてめえ! オレの奴隷を魔物の餌にしやがって!」
「どこをどう見たらそうなるんだよ! 完全な冤罪じゃないか、ふざけんな!」
十歳に満たない外見のふたりは、子どものように歯を剥いていがみ合った。
戦闘中にもかかわらず、だ。
剣と魔術が、相手を殺すつもりで交錯する。
「じゃれている余裕はあまりない」
「そうです! ご主人様、敵に近すぎます!」
冷静なのは彼らの仲間たちであった。
ニニアンはアルの後ろ襟を仔猫をつまむようにひょいと持ち上げ、岩陰に引きずり込んだ。
ウサギ耳の少女はイランを後ろから羽交い絞めにして、カトブレパスからいったん距離を置こうとしている。
カトブレパスは周りには無関心なのか、岩を押しのけて小人の石像の前に出ると、大口を開けて食らいついた。
バリバリむしゃむしゃと二人目の犠牲者を美味しくいただいている。
カトブレパスを仕留めるにはこれ以上にない好機であったが、どちらのパーティも行動に移せないでいた。
イランの方はこちらに怒りの矛先をすり替えて逆上していたし、俺の方もイランに対する理不尽さに腹を立てていたからだ。
「なんなんだよ、あいつ! ぶっ飛ばすぞ、ったく!」
普段からあまり怒らない方だと思っているが、イランのことになると別だ。
まるで子どもの頃に戻ったみたいに張り合って、大人げなくなってしまう。
なんというか、単純に負けたくない。
馬鹿にするのはいいが、されるのは耐えがたい。
だから敵意を向けられれば敵意で返すし、精神年齢的には大人なくせに大人な対応で軽くやり過ごすことができない――そんな相手がイランなのである。
「怒るより先に見るものがある」
「でもさあ!」
岩から頭が出そうになったが、それをニニアンに押さえ込まれた。
「石眼にかかったら自分では治せない。あと、石化が全身に回ったら誰にも治せない」
「自分で治せないその心は?」
「石化された部分は自分の魔力が一時的に死ぬ。自分の魔力をいくらかけたところでその魔力は死ぬだけ」
「死ぬ死ぬ直球だなあ」
「あと、心臓と頭が石化すると、生き返せなくなる。もし石化になるとしても、腕や足の末端部にしたほうがいい。私が石化しても君がいる。君が石化しても私がいる」
「回復役がふたりいてよかったというわけか」
「あ……るぅ……」
頭上から猫ちゃんの呻くような声がした。
見上げると、岩から顔を出した猫ちゃんと目が合った。
しかしいつも通りの朗らかな顔はそこにはなかった。
顔の右半分がゆっくりと石化していた。
泣きそうな顔をして、俺に縋ってくる。
石化した肌が引き攣って、顔の表情もままならない様子だ。
「猫ちゃんっ!」
「あ、るぅ! いたいよぉ……かお、いたいよぉ……」
ピキピキと音を立てて、猫ちゃんの首まで徐々に石化していた。
油断した。
猫ちゃんが――
死ぬ?




