第12話 最低の生活でもできること
今回、主人公のアルの心の声がとても汚いです。
すべて夢であってほしい。
そう思いながら目覚めた俺の気分は最悪だった。
家畜の糞の臭いが漂う朝である。
起き抜けにそれらの臭いは、気持ちのいいはずがない。
現実は過酷だった。
それを受け入れ進むしかないのに、起き上がる気力もない。
すぐ横でリエラがもぞもぞと動いた。
「はぁ……」
自分のために動いていたなら、俺は迷わず二度寝を選んでいただろう。
誰かのためとなると、自然に体が動くから不思議だ。
俺は起き上がって藁を落とし、ぐっすりと眠るリエラを揺すって起こした。
リエラは寝ぼけた顔をしていたが、俺に焦点を合わせるとばっと起き上がった。
「お兄ちゃん!」
リエラが抱き付いてくる。
最近まで塞ぎこんでいたリエラが見せる久しぶりの積極的な行動だった。
俺はちょっとだけ安心した。
いまの状況に安心できるところはひとつもないが、それでも嬉しい。
リエラは何か言葉にしようとするも、うまく言葉にならないらしい。
ギュッと袖を握って、目にいっぱい涙を溜める。
「うー!」とか「ううー!」とか、言葉にならない言葉をそこに乗せている。
「よしよし、大丈夫だよ。お兄ちゃんがついてるから」
「でも、でも!」
昨夜のことを思い出して、頭がいっぱいになっているのだろう。
俺は優しく、リエラの赤毛を撫でた。
あー、可愛いなあ、うちの妹は。
といっても親戚の子供の面倒を見るような気分は拭えないけど。
いつまでもこうしているわけにはいかない。
両親を待つことができない以上、俺たちはあの男の下で力をつけなければならないのだ。
当面は従順なふりをしていればいい。
「リエラ、これからたくさんたくさん我慢しなきゃいけなくなるけど、言うことを聞ける?」
「うん……うん……」
リエラの瞳は揺れていた。
「たぶん、いっぱいひどい目に遭うと思う。いっぱい殴られるけど、痛いのを我慢しなくちゃならないよ」
「……うん」
「大丈夫。俺がちゃんと治すから」
そうは言ってもリエラは本当に弱い。
妹に振るわれる暴力を俺がすべて肩代わりするつもりだ。
しかし、俺の目の届かないところで何が起こるかわからない。
そのときリエラが暴力を振るわれ、あの男の気に障るようなことをすれば、俺は助けられないかもしれない。
そのもしものために、できるだけリエラには処世術というやつを教えておこう。
「お兄ちゃんが絶対に守るから。ひどいことをされても我慢するんだ。約束できる?」
「痛いのはやだけど、あたし約束できるよ」
「偉いよ、リエラは」
頭を撫でてやると、ようやくほっとしたように笑ってくれた。
ここ二か月の間見なかったリエラの貴重な笑顔だ。
「じゃあ、行こうか。最初が肝心だ」
途端に顔を強張らせ、怯えるリエラ。
先は長そうだ。
俺たちは納屋から出て、男の家の前で待つことにした。
遅れれば、また暴力を振るわれるだろうから。
昨日は夜で雨が降っていたということもあり、村の全体を見ることはできなかったが、今は雨も止んでかなり遠くまで見渡すことができる。
朝もやが漂っているが、見通しは悪くない。
緑の海原のような畑の向こうから、赤い太陽がじりじりと昇ってくる。
暁光と言うやつだ。
男の家は豪農なのだろう。
たった一軒だけ丘の上に立ち、厩舎もあった。しかし馬はいない。
男の家の背後には山があり、丘を見渡すと一面の畑が地平線まで広がっている。
民家がぽつりぽつりと建っていて、これだけ見ていると争いとは無縁な田舎村だと思わせた。
そんなものは張りぼてだと俺は知っている。
人間がいて争いのない場所などない。
丘の上に住む男があの性格では、さぞかし争いは絶えないだろう。
扉の前で待つ。
いきなり開いて、昨日の盗賊の親玉のような男が顔を出した。
「おはようございます、旦那様」
ナルシェを思い出せ。丁寧に、丁寧に……。
「お、おは! おはようござ!」
「水を汲んで来い」
リエラがすべて言い終わる前に、桶をふたつ投げられた。
俺はリエラに当たらないようにふたつとも受け止める。
「朝は必ず桶十杯分の水を汲んで来い。水瓶に水を溜めておくのが朝の仕事だ」
「わかりました。水はどこで汲んでくればよろしいでしょうか?」
男の顔が歪んだ。
問答無用の蹴りが飛んでくる。
桶ごと蹴り飛ばされて、俺はぬかるみに倒れ込んだ。
「お兄ちゃん!」
「ンなもんオレに聞くな。自分で探せ」
「かしこ、まりました……」
扉が締められる。
俺は立ち上がり、桶を拾った。
「お兄ちゃん、大丈夫なの?」
すでに泣きそうなリエラだ。
俺は蹴られることも念頭に置いて質問した。
もちろん魔力で体を覆っていたので怪我はない。
「大丈夫。行こうか」
扉の向こうで聞き耳を立てられていたら厄介だ。
俺はリエラを連れ立って移動することにした。
幸い水の場所はなんとなくわかる。
水の魔力を辿って行けば、自然と川か井戸につくだろう。
それに水魔術で水を生み出して、瓶をいっぱいにすることもできる。
これをやるとあの男に疑われるので、おおっぴらにはやらない。
リエラがひとりで水汲みに行かされたとき、不審がられてもしょうがない。
せいぜい回数を誤魔化すだけに留めよう。
「今の見ただろ。口応えはしちゃいけない。自分で考えて、足りないところは補うしかない」
「うん……うん……ぐず」
自分が蹴られたわけでもないのに、泣きべそをかきながら俺の後についてくる。
俺は自分の体がすっぽりと入りそうな大きな桶をふたつ抱えて前を歩く。
「俺は大丈夫だ。怪我を治せるからな」
男の家から十分に離れたところで桶を下ろし、蹴られたところに手を当てた。
淡い緑の光を発し、昨日よりもあっさりと怪我が治った。
拍子抜けだが、よく考えたら当たり前だ。
昨日直した怪我は内出血と骨折なのだ。
蹴られた程度なら痣にもならない。
ただ、ぬかるみに倒れ込んで泥をかぶってしまったので、俺は昨日と同じように魔術で生み出した頭から水をかぶる。
「わわっ」
リエラが驚いて水がかからないところまで下がる。
風と火の応用で、温風を起こして一気に乾燥させる。
服に着いた水分を抜く、という方法も思いついて試してみたら、これが案外うまくいった。
そのうち汚れだけをうまく抜けるようになるかもしれない。
「お兄ちゃんすごい」
妹はすでに泣き止み、きらきらと羨望の眼差しを向けてくる。
ちょっと優越感。
そういえば、屋敷ではひた隠していたため、リエラの前で魔術を実演する機会なんてほとんどなかった。
「お父様もこれくらいできたさ」
たぶん。見たことがないのはご愛嬌。
せいぜい燭台に杖を振って火を灯すくらいだったのを覚えている。
それがきっかけで俺は魔術を学ぼうと思ったのだ。
その時は確か、リエラも一歳だった。四年前の出来事だ。
時間が過ぎるのは思いのほか早いものだ。
笑顔の戻ったリエラと桶を抱えて、俺たちは水を求めて移動する。
途中で鍬と麻袋を背負った男とすれ違った。
「おはようございます」
俺はナルシェの態度を思い出してはきはきと喋り、先制パンチとばかりに挨拶をする。
「お、おお、おはよう」
無精ひげの目立つ男は村人だろう。
粗雑な服の上からでもわかるそれなりの筋肉。
三十代くらいの勇ましい体格の男だ。
「お、おはようござーます」
遅れてリエラも頭を下げる。
「おまえらどこから来た? 見ない顔だな」
「はい。昨日からこの丘の上の家に預けられましたアルと申します。こっちは妹のリエラです」
もう一度頭を下げる。
つられてリエラもひょこっと頭を下げた。
名前を省略したのは、貴族だとばれないためだ。
前世のうろ覚えの知識だが、アルシエルなんて平民でつけるはずがない。
省略してアルくらいが案配だ。
「オレはラズだ。丘の上ってぇと、ムダニさんの家かい。子供を引き取ったなんて話は初耳だなあ」
丘の上の主はムダニと言うらしい。
無駄に偉そうだからそんな名前なのか。違うか。
「いいえ、ムダニさんの小間使いとして、ぼくらは働かせてもらうことになりました」
男は眉をひそめた。
それから納得いったように頷かれた。
じゃあしょうがないな、という顔だ。
なんとなくムダニと言う男に嫌な予感はしていた。
「ああ、この前の奴隷は死んじまったから、新しいのを買ったのか」
ちょっと不安になってきた。
その死因て家庭内暴力じゃありませんよね?
「ムダニさんはこの村で一番金を持ってるからなあ。でも年端もいかない子供をどうしようってのかねえ」
そりゃそうだ。
五歳の子供なんて普通に考えたら役に立たない。
それを奴隷として雇っているのは労働力以外の目的があるのだ。
リエラが大きくなったら性奴隷にしようと考えているのなら、俺は迷いなくムダニを始末することだろう。
それだけは譲れない境界線だ。
後先考えずに動くのは間違っているが、許してはいけない一線というのも確かに存在するのだ。
俺のことは殴るなり蹴るなり好きにしてくれて構わないが、リエラに手を出したら殺す。
生憎と難儀なことに俺はそれができてしまう。
普通の奴隷なら無理だろうが。
この世界には奴隷というものが少なからずいる。
屋敷からここまでの旅路で寄った町々で、労働力として家畜の様に働かされる人間を幾度となく目の当たりにしてきた。
このあたりは広くても人口が少なそうなので見かけないが、大きな農村では農奴が当たり前のようにこき使われている。
奴隷は人権を持てない、だから人間じゃない、ということにはならないだろうが、あまり優遇されてもいない。
「育ちが良さそうなのに奴隷かい。なにか事情があるんかい?」
「どうでしょう。よくわかりません」
嘘です。いつまでも両親が迎えに来ないので痺れを切らしたメイドに売られました。
でも言いません。変に同情を買ってムダニに余計なことをされたくありませんもの。
癇癪を起してリエラに暴力を振るわれたら目も当てられないでしょ?
俺って健気じゃない?
欲しがりません、勝つまでは。
日本人の忍耐力の強さが偲ばれますね、ほんと。
「そうか、まだ小さいのになあ」
「あの……水はどこで汲んできたらいいですか? ぼくら昨日の夜にこの村に来たので、どこに何があるのかわかりません。ムダニさんに教わったのですが、忘れてしまいました」
嘘に嘘を重ねていく。
村人には、ムダニは身寄りのない双子を引き取ったイイ人とでも思わせておけばいい。
村人の口からムダニの耳に、俺が陰口を叩いてるというふうに伝わるのが一番厄介だ。
思ってもみないところで溜めたフラストレーションを、リエラひとりのときに発散されたらたまったものじゃない。
「ああ、それならこの道をまっすぐに行けばいい。井戸があるからそこで汲める。しかし大丈夫か? 子供ふたりで桶をふたつなんて」
「大丈夫です。ご心配ありがとうございます」
風の魔術か土の魔術で運べばいいという打算的な考えもある。
お礼を言って村人のラズと別れた。
村人は見かけたら積極的に関わり馴染んでいこう。
屋敷があった王都についての情報がほしいし、覚えたいことが山ほどある。
村人の中に魔術師がいれば教えを乞うてもっと技術をつけられるのだが、高望みはしないでおこう。
ムダニが魔術を初めて見たって言っていたしな。
生前の対人スキルの低さは正直目を覆いたくなるが、俺には優秀な手本がいる。
ナルシェのように振る舞うのだ。
俺という引きこもりと人見知りの人格はこの際封印しよう。
いまは優秀な子供アルシエルとして接していけば、いずれ役に立つはずだ。
それから村人四、五人と挨拶を交わし、ラズに話したようなことを語って丘の上に戻ってきた。
二人が抱えた桶は、下から風魔術で押し上げてもらっているのでそれほど重くない。
ただ、リエラひとりでは抱えて歩けないだろう。
そこが問題だ。
丘に戻り、扉をノックした。
『イラン、出ろ!』
『なんでオレが』
『口答えするな』
扉の向こうから親子らしきやり取りが聞こえた。
押戸が開くと、俺と同じくらいの背の勝気な目をした少年が不機嫌そうな顔をして現れた。
ムダニみたいな盗賊の親玉の息子にしては、顔立ちが整っている。
四、五歳にしては不敵で、良い面構えだ。
ただ親に似たのか、皮肉気に口元を歪める様はそっくりだった。
人の顔を見た瞬間、小馬鹿にしように笑いやがった。
「おまえらが新しい奴隷かよ。使えんのかね」
うっせーな。
ちょっといらっときた。
対等な立場なら喧嘩になっていただろう。
頼まれてもこいつとは友達になりたくないなと、一瞬で今後の関係性が決まった。
それでも俺は小間使い。
たとえ死ぬほど嫌でも、心が抵抗して思わず舌を噛み切りたくなっても! 俺たちの今後のために、無理やり頭を下げるしかない。
「はじめまして。アルと申します。お坊ちゃま」
「り、リエラです、おぼっちゃま」
後ろのリエラも慌てて頭を下げる。
「ふん。躾けられてはいるみたいだな。前のより言うことを聞きそうだ」
何様だよ。四、五歳にしてはいい性格してるよ。将来が心配だよ。
まあ、彼がどこで野垂れ死のうが構わないと思えるようになったが。
「水を汲んできました。どこに運べばいいでしょうか?」
「中の水瓶と、外の分に満タンに溜めておけ」
そういって入れ違いにイランは外に出て行ってしまった。
腰には小さな剣を差していたので、訓練でもするのだろうか。
イケメンの素養があって剣の腕を上げることにひたむき。
これは俺にライバルが現れたか……?
なんて、どうでもいい話だ。
リエラに色目を使わないうちは見逃してやるよ。と心の中で念じて中に入った。
丘の上のムダニの家に寄らず、この村の建物は木造だった。
壁は土を固めたような中世の農家風。
台所の床には赤茶けた石が敷き詰められている。
銅の鍋や薬缶が壁に埋められたフックに引っ掛かっていた。
台所の奥の一角に石で組まれた竈があった。
ずいぶん使い込まれており、壁が真っ黒だ。
下に薪が突っ込まれており、これはストックなのだろう。
そのうちこれのストックも作れと言われるに違いない。
言われる前に村の人に薪の作り方を教わって用意しておこう。
食器はほとんど木製。
スプーンやフォークも木製だった。
屋敷ではスプーンなどほとんど銀製だったから失念していたが、きっと銀は高い。
生活水準が違うのだと、当たり前なことに気づく。
こんなものでも珍しいと感じるのは、屋敷ではいままで目にする機会がなかったからだろう。
料理を自分で作らせてもらえる歳ではないからな。
水瓶は壁際に二つ並んでいた。
俺たち双子の背よりちょっと低いくらいだ。
水をなみなみ張った桶から瓶に移すには、俺たちでは背が低すぎる。
たくさんこぼしてようやく半分も入ればいいくらいだろう。
こんなことをさせるなんて無茶が過ぎる、と思ったが、そこは風の魔術で重みを相殺しているので、大してこぼすこともなく移し終えた。
なみなみ満たすには一往復では足りない。
外の分もあることを考えると、五往復はくだらない。
中にある分は往復しよう。村人と会話する機会も増えるしな。
外の分は水魔術で誤魔化そう。
水魔術で生み出した水は飲料水としても問題ない。
俺自身が実証済みである。
そういえば最近、アルシエルの出番が極端に少なくなっている。
どこかで交代しなくてはいけないと思うのだが、状況がそれを許さない。
ムダニの前に出すなんてもってのほかだ。
どこかで空き時間を作ることにしよう。
俺たちは井戸まで片道十分の道のりをとぼとぼと歩いていく。
すれ違った村人に自己紹介をして、ついでに薪の作り方も教わった。
生木ではダメだと言う。
伐採にはそれなりに男手を割いているようで、村では乾燥させた木を森の手前に小屋を作って常備しているらしい。
各自で手ごろな大きさに割ってストックにするのだとか。
風の魔術なら斧を使わなくても木を割ることができるだろう。
少なくなってきたと思ったら足しておこう。
生木は火魔術をうまく使えば一瞬で乾燥させられるしな。
往復して水を運び、扉を開けて台所に入ると、目つきの鋭い女が火を熾しているところだった。
ムダニの妻だろう。
桶を足元に置き、俺は頭を下げた。
先制パンチだ。
「初めまして。昨日から働くことになりました、アルと申します。こっちは妹のリエラです」
「……です!」
一緒に頭を下げる。
「そうなの? こんな小さい子を買って、あの人はどういうつもりなのかしら」
俺たちに一瞥向けただけで興味が失せたのか、女は鍋を火にかけて水を沸かし始めた。
「水を汲んできましたので、足しておきます」
「勝手にしてちょうだい」
あまり好意的ではないな。
この家に住む人間に『優しさ』や『慈悲』を期待するのはやめよう。
最悪、飯すら食べさせてもられないかもしれない。
そのときのために何かしら考えておかねば……。
考えながらも水瓶にこぼさず水を入れた。
「外の瓶も満杯にしておきなさい」
「かしこまりました、奥様」
女が顔を上げた。
俺を見て、にっと笑った。
奥様と呼ばれて、優越感に浸っているらしい。
醜い顔だと思った。
外にある瓶は水魔術でいっぱいにしておいた。
今の女の態度から見て確認などしないだろう。
家の中には女しかいないようだった。
魔力の流れと言うのか、人の気配がしなかった。
ちびっ子は剣を携えどこかに遊びに行って、ムダニも私用で出掛けたのかもしれない。
と思ったら納屋に気配があった。
覗いてみると、ムダニのだらしない丸い背中が見えた。
ごそごそと無遠慮に人の荷物を漁っている。
リエラが何か言おうとしたのを押し留めた。
こんなことも予想はしていた。
なにせ、今の俺たちはムダニの所有物。
俺の物は俺の物、おまえの物も俺の物。
ジャイアニズム上等だ。
いくら所持品を奪われたっていいんだ。
本当に大切なものはおまえみたいな小者じゃ奪えないんだからね。
たとえば、い、妹との絆とか……(ポッ)。
嘘です。見栄張りました。
話は戻るが、大概のことは魔術でなんとかする自信があるので、荷物とか着替えを転売されても痛くも痒くもない。
それに、大事なものは本当に特にないのだ。
屋敷を出るときは着の身着のままだった。
パパジャンの友人である商人の家で、何着か服を拵えてもらった。
その後も両親はちょっと買い物行ってくる~みたいなノリで追手を何とかするために馬車を飛び降りたので、俺とリエラには形見とか宝石とか高価な類のものはなにひとつ持たされていなかった。
それに、旅の間はメイドが資金管理をしていたので俺たちは初めから一文無しだ。
「どうかされましたか?」
先制パンチ。
俺からムダニの背中に声を掛ける。
「うおっ……なんだ、おまえらか」
ぎょっとしたのも束の間、ムダニは無駄に横柄な態度で立ち上がった。
「おまえらの衣食住はすべてオレが負担するんだ。おまえらの荷物もオレがすべて預かる」
「そうですね。住まわせていただいてありがとうございます。ぼくらの荷物まで預かっていただいて感謝します」
頭を下げる。
内心、ヌスットシネカスと毒づいておく。
「ふん。仕事は終わったんだろうな?」
「任された仕事は終えてあります」
「じゃあ家の周りでも掃除しておけ。見栄えが悪いとオレの品格まで疑われるだろうが」
「かしこまりました」
「そこをどけ。家に戻る」
鼻を鳴らし、俺を突き飛ばすように荷物を掻っ攫っていった。
盗人たけだけしいな、マジで。
でも思っても言わないのが大人のマナー。
ムダニのやっていることが大人としてどうかと思うようなことばかりなので、俺のほうが達観してしまった。
ムダニは小悪党というか、小者臭がハンパないのだ。
なんでも暴力で解決しようとしても無駄だ。
俺には虎の子の魔術がある。
そういう意味だと、俺にとって切られたら致命的なアキレス腱は、間違いなくリエラだ。
彼女に危険が迫らないなら、いくらでもムダニの無茶を聞いてやる。
「お兄ちゃん、あたしたちのおようふく……」
「大丈夫。着るものが変わったって死にはしないよ」
不満そうなリエラを連れて桶を手に井戸を目指した。
もう水を運ぶ必要はないから、単なる村人との交流だ。
前世なら避けていた人付き合いも、自分のためじゃないからという免罪符があると思った以上にできるものだ。
なにより何かあれば魔術でなんとかできるという強みもある。
たとえラズのような筋骨隆々でも、俺には勝機があるのだ。
つまり、言葉遣いは丁寧だが内心は大人を見下しているうざい子供だ。
自分で言ってて悲しくなってきた……。
俺はその後、初対面の人間には先制パンチのごとく挨拶をかまし、少しでも好印象で受け入れられるように努めた。
その後、五歳と四歳の男の子の兄弟と、六歳の女の子と知り合った。
大人の相手をしているよりは気を許せたのか、ずっと顔を強張らせていたリエラに笑顔が戻ってきて、ちょっとだけ遊ぶことができた。
「新しいこどもだ。おまえらどこの子?」
「丘の上の子なの? じゃあイランの弟?」
「親がいないの? 大変なのね。よかったらいっしょに遊びましょう?」
ディンとディノ、フレアという名前だった。
彼らと仲良くなり、特に六歳のフレアに、リエラは懐いたようだ。
「赤い髪、とってもきれいね」
「……うん。ママとおなじなの」
フレアに髪を梳いてもらい、はにかむ姿が見られただけでも嬉しいものだ。
仕事の続きがあると言って、しばらくして別れた。
幼い彼らにも一応ではあるが家畜番という大役があるらしい。
ちなみにディンとディノは四兄弟の三番目と四番目。
フレアは三人いる兄姉の末っ子ということだ。
自分たちと同年代の子供は、ここにいる五人とここにはいない村長の息子のイランだけらしい。
村長の息子。
豪農ムダニの息子でイケメン剣士のあの幼児だ。
性格は悪そうだが、剣にストイックならまだ認めてやってもいい。
父親は完全なるクソ野郎だという評価は、今後一切覆らないだろう。
アルは 対人話術 をおぼえた!




