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異世界旅行は落ち着かない  作者: 多真樹
第二部 少年時代 二章 大森林のエルフ
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第56話 ジェイドの魔宮⑯ 死神の鎌

 五階層――


 猫ちゃんを背負い、エリアを駆けていた。

 猫ちゃんはがくがくと震え、小柄な彼女の怯えが背中にダイレクトに伝わってくる。


「に、にゃぁ……」


 すっかり牙を抜かれてしまったようで、背中にしきりに額を擦り付けてくる。


「耳がぺたんとしてる。可愛い。尻尾を内側に巻き込んでる。可愛い」


 俺と並走するニニアンが、猫ちゃんを観察しながら口端をほんのりと吊り上げる。


「猫ちゃんをいじるなよ。本当に怯え切ってるんだから……と、ニニアン、左前方から三体」

「任せる」


 ニニアンは矢を三本番えて一手に弓弦を引くと、パッと放った。

 矢は三本とも、吸い込まれるように頭上から降りかかってきたレイスを射抜き、煙となって消失した。


「ニニアン、足元からスケルトン十体……いや、数えきれないほど。一気に駆け抜けるよ!」

「任せる」


 踏みしめる足裏には、柔らかな土の感触がある。

 きっと何かが埋まっているのだろう。

 辺り一帯からボコボコと、土まみれの骸骨が現れる。

 中には中途半端に肉が付いているものもおり、臭いが悲惨だった。

 風の魔術で自分たちの周りを覆っていなければ、猫ちゃんなら失神している臭さだ。


「猫ちゃん、もう目を開けても大丈夫だよ」

「いやーにゃー」


 頭をぐりぐりと後ろ首に押し付けてくる。

 このフロアでは一度たりとも目を開かないと決めているらしい。

 五階層は見渡す限り陰鬱とした広域のダンジョンであり、死者のエリアのようだ。

 おかげで猫ちゃんは戦闘の頭数から抜けたばかりか、背中に大きな荷物として縋りついている。


 死体、霊体問わず、エリア内に無数に存在した。

 ゴーストやゾンビ、スケルトンならばまだいい。

 蹴散らすことが可能だ。

 しかし魔術師の特性を持つレイス、騎士並みの力を持つデュラハンなど、行く手を阻んでくる悪霊は相当面倒くさい。

 一蹴できないそいつらの所為で、迂回して回避することもあった。

 だからなのか、ただ単に運が悪いだけなのか、かれこれ一時間は移動しているが、階下への階段がどこにも見当たらない。

 それは同時に、エリアボスの所在がはっきりしないことを意味していた。


 これまでの階層、二階層の巨人エリアを除いて、エリアボスは階段を護るように配置されていた。

 彼らにしてみれば階下から溢れる魔力を少しでも多く取り込むためにエリア内で一番効率のいい場所だったに過ぎないが、魔物が魔力に惹かれる以上、エリアボスは階段前、というのは真理だ。

 このアンデッドエリアは、エリアボスの魔力が移動している。

 右に、左に、上に、下にと。


「来る」


 ニニアンが短く警告を発する。

 言われなくてもわかっている。

 俺は駆けていた進路から、勢いよく横に飛び退いた。

 まっすぐ歩いていれば、大鎌の餌食になっただろう。

 鎌を頭上に構え、地面からゆっくりと姿を現す。

 襤褸のローブをまとった骸骨の化け物。

 死神の(グリムリーパー)

 ステータスに書いてある。

 補足でアンデッド貴族とある。

 アンデッドに爵位があるのか。

 バカか。


 牽制のためにニニアンが矢を放つ。

 しかし死神はゆらりと鎌を動かすと、あっさりと矢を弾いた。

 魔力障壁もさることながら、魔術防御はクリスタルゴーレムを圧倒する。


「やばい奴がエリアボスかよ」

「いまのが最後の矢。矢が切れた」

「おいいー!」


 状況ははっきり言って悪い。


「私はもう戦えないようだ」

「属性魔術を矢にして撃てばいいじゃないかよ!」

「……なるほど」


 盲点だったのか、ニニアンがしきりに頷いている。


「うぅ……」


 背中の可愛い生き物がでもぞもぞ動いた。

 そしてどうやら目を薄らと開いてしまったらしい。

 目の前には五メートル以上の大きさで、闇の波動のようなものを発し続ける陰険な死神がいる。

 もしくは気配をひしひしと感じて、その正体を確かめられずにはいられなかったのかもしれない。


「ひぅっ」


 猫ちゃんが息を呑んだのがわかった。

 喉が詰まったのかと思うほど切実な音だった。

 同時にビクッと体が跳ねた。

 手の甲に当たる猫ちゃんの尻尾が、ぶわっと膨らんだのがわかった。


「ひっく……いやー、怖いのいやにゃー……うぅにゃぁぁぁ……」


 猫ちゃんが泣き出してしまった。

 泣きべそを掻きながら、額を俺の首筋にぐりぐりと押し付けてくる。


「よくも猫ちゃんを泣かしたな、てめえ」


 俺も子煩悩と言われても仕方がないかもしれない。

 娘ではないが、娘のように溺愛している猫ちゃんがこんなにも怯えているのだ。

 さすがに頭にもくる。


「ニニアン、猫ちゃんを抱いてて」

「わかった。猫を預かろう」


 俺の背中からニニアンが猫ちゃんを引き剥がそうとする。

 猫ちゃんが俺に爪を立てて必死に抵抗した。


「いやにゃあ! いやにゃあ! アルぅ!」


 猫ちゃんがいやいやと首を振り、必死に離れまいと首に縋ってくる。


「ぐ、ぐるしぃ……」


 首が締まる。

 本気で抵抗しているのか、魔力が溢れている。

 高身体強化くらいの魔力で掴みかかってくるので、こちらも必死だ。

 そんな中、死神がゆらりと動いた。

 鎌が音もなくするすると滑る。


「うお!」


 俺は後ろに転げた。

 同時に猫ちゃんが背中から離れ、ニニアンの腕の中にすっぽりと収まる。

 鎌は危うく胴体を真っ二つにするところだった。

 服の腹部分が、横一文字にぱっくりと割れている。

 鳥肌とともに、冷や汗がぶわっと出た。


「ひとりでやる? 私は猫を抱えているから、弓が撃てない」

「ああ、猫ちゃんは任せておくよ。絶対に傷つけるなよ、俺の花嫁を」

「私を誰だと思ってる。細工もできる弓使いだぞ」

「そこはエルフってところを自慢するところでしょ! 両腕塞がっててどっちもできないし!」


 死神の懐に潜り込み、稲妻を撃ち込んだ。

 しかし霊体なのか、雷はあっさりと死神をすり抜けた。

 鎌が迫ってきたので、慌てて距離を取る。

 だが間に合わず、切っ先が腕を掠めた。


 痛みの後に、身体から気力が抜けるような脱力感が襲ってきた。

 足が重くなる。

 腕が下がる。

 どうやらダメージ以外に、あの鎌にはドレイン効果もあるようだ。

 鎌のステータスを視ると、魔抵抗無効と、魔力吸収の効果が付与されている。

 いくら魔力障壁を展開しても、それを素通りできる武器というわけだ。

 とんだチート武器である。


 さらに、属性魔術が素通りする死神自体もチートだ。

 霊体は物理攻撃によるダメージを一切受けないことは知っている。

 しかし属性魔術や、聖属性の武器に対してはダメージとして蓄積されるはずだ。

 それすらもないということは……。


「……ダメージがないってことは、本体が別のところにいるのか」


 思案する。

 魔力探知に、目の前の死神以上に大きな魔力をこのフロアに感じない。


「体を分散している?」


 霊体なのだ。

 それくらいできるだろう。

 どうやって分身が行われているかは、想像の埒外だが。

 もうひとつ考えが閃いた。


「あるいは鎌が本体か」


 死神が物理的に攻撃できる手段は、鎌しかない。

 その鎌を壊してしまえば、あるいは……。

 ただ、鎌と打ち合いはできないだろう。

 凶悪な魔力が鎌から漂っていて、内側に反った刃の刃渡りは、余裕で俺の身長を超えている。

 切っ先の鋭さは、さきほど岩をあっさりと両断したことからも、人体だとプリンのようにスパッと裂くことが予想される。

 プリンは好きだが、自分がプリンみたいにバラバラにされたくはないなあと思う。

 この世界でもプリン、作れるかなあ。

 バニラエッセンスとかなさそうだなあと、余計なことを思い浮かべる。


 死神が三メートルほど浮上した。

 鎌を掲げ、何やらどす黒いオーラを出し始める。

 足元から、嫌な気配が漂ってきた。

 ボコ、ボコッと土が盛り上がり、この迷宮で死んだと思われる兵士の死体が、無数に這い出してきた。

 ジェラード・ジオ将軍の配下であるのだろう。

 格好が軍隊のものだ。

 他にも冒険者らしき剣士や魔術師が、土気色のボロボロの姿を現す。

 ホラー映画の再現みたいで勘弁してほしい。

 猫ちゃんをこれ以上怖がらせないでやってくれ。

 その分密着度は上がるので、適度にお願いしたい。


 グランドーラのとある霧の森をふたりで通過しようとしたとき、アンデッドに怯えた猫ちゃんが森を抜けてからも数日間は俺にくっ付きっぱなしだったことを思い出す。

 悪くはない。

 悪くはないが、何事も適量が大事だ。


「“業炎”」


 地獄の炎をイメージして、手のひらをかざした。

 膨れ上がる魔力を一気に放出する。

 炎が足元を舐めるように広がっていき、何十、何百と現れた操られた死体を燃やし尽くしていく。


「ウァァァアァアアアァァァ」

「オオオォォォォァァァ」

「ギャアアアァァァァアアアァァァ」


 怨嗟が渦巻き、炎に飲まれていく。

 猫ちゃんがペタンと耳を押さえ、ガタガタとニニアンの腕の中で震えている。

 距離を置いているが、地獄の底から立ち上るような呪言はどうしても耳に届いてしまうようだ。

 これ以上猫ちゃんが怖い思いをすると、精神的にもまずいかもしれない。

 それはダメだ。

 なんとしてもグリムリーパーを始末する。


 土槍を地面から生み出し、鎌を狙った。

 魔術に対しても効果を発揮するのか、鎌は難なく土槍を根元から切り裂いていた。

 直接刃の腹に拳を叩き込むしか、壊す方法はないかもしれない。

 要はどうやって鎌に接近するかだ。


「“氷原”」


 俺はまず、足元から地面を凍らせた。

 これ以上土から死体が出ないように、地面ごと凍らすつもりだ。

 パキパキと音がなり、空気すらも凍らせていく。

 浮遊していたグリムリーパーは、凍った地面にするすると潜っていった。

 魔力で追えるので、問題はない。

 大きな魔力の塊が左右に動き、続けて俺に接近してきた。

 三メートルの距離、そこからゆっくりと昇ってくる。

 待ち構えていると、後ろからニニアンの聞いたこともない鋭い声が聞こえてきた。


「アル、こっちだ!」


 俺は弾かれるように振り返った。

 ニニアンは俺に背を向けている。

 その彼の正面に、グリムリーパーが現れていた。

 俺の足元にある魔力は何なのか。

 振り返る。

 そこにも同じグリムリーパーが。

 しかし、魔力の塊は感じても、鎌を持っていない。


「どうやら鎌が本体ってのは当たりみたいだな」


 しかし内心、分身もできるのかよと、呆気にとられた。

 状況は切迫している。

 安全圏にいると思われたニニアンと猫ちゃんに、鎌が迫る。


「“疾く速く、雲霞を渡る羽の靴を”」


 ニニアンが詠唱する。

 俺の知っているエルフの師匠は詠唱を必要としなかったが、ニニアンはその下位互換なのだろう。

 無詠唱はできないようだ。

 しかし詠唱自体がすでに短縮詠唱だということを、無詠唱でいままでやってきた俺は知らなかった。

 ニニアンの姿がぶれる。

 かと思いきや、俺のすぐ横に当たり前のように立っていた。


「あれ? なんか移動速度速くない? 瞬間移動でもした?」

「ただ速く移動しただけ。付与魔術で」


 身体強化との違いは、属性魔術による強化、という点だろう。

 いまは講義している時間もないので、ニニアンはそれ以上詳しいことを教えてくれなかった。


「その瞬間移動、俺にもかけてよ」

「他人に術をかけたことがない。だからできるかどうかわからない」

「マジかよ、さすがボッチエルフ」


 ニニアンはむっとしたようで、詠唱を開始した。


「“我が意を得て汝に加護を与えん。疾く速く、雲霞を渡る羽の靴を”」


 魔術は成功したのか、足元がふわふわと軽くなった気がした。


「これで俺も瞬間移動を使えるのか?」


 半信半疑で、ふよふよ浮いている死神目がけて接近してみることにした。


「威力の調節ができない。どうなるかわからない」


 ニニアンがぽつりと言ったが、それを先に言ってほしかった。

 全力で接近しようと思い、力を込めて飛び出したら、瞬く暇もなく死神の体をすり抜け、遥か先へと体が跳んでいった。

 この世界へきて幾度も恐怖を感じてきたが、自分の体が弾丸のように跳ぶのを、腹の底から恐怖したのは初めてだ。


 このままフロアの壁に激突すれば、潰れたトマトになるのは目に見えていた。

 死にたくないという思いが、魔力を前面に集め、風魔術で勢いを殺そうとする動作に変わった。

 途中、首なし騎士のデュラハンと衝突したが、かの魔物は一瞬にしてミキサーにかけたみたいに吹っ飛んだ。

 そのほかアンデッドを数体巻き込み、音を置き去りにして跳んでいく。


 壁に激突は避けられなかった。

 激震が全身に走り、骨が軋んだ。

 間違いなく骨が何本も折れていた。

 激痛をすぐさま治癒魔術で癒すが、こんな人間弾頭を何度も経験したくはない。


 まだ付与魔術の効果時間は残っているのか、足は軽いままである。

 頭を振って起き上がる。

 恐怖を全身に植え付けられた気分だ。

 ニニアンからの付与魔術は恐怖との戦いである。

 そもそもニニアンがいつ爆発するともしれない爆弾だということを思い出した。

 悪意のないチームキルである。

 オンラインゲームなら炎上ものだ。


「加減を知らない味方がいちばん怖い」


 それをまざまざと教えられた。

 昔遊んだテレビゲームを思い出して気持ちが沈んだ。

 大技を使うと味方も巻き込み、自滅するゲームだ。

 しかし、それも慣らしていけばなんとかなるのかもしれない。

 最初の頃はひどかったが、最近は味方を誤射(フレンドリーファイアー)しなくなっているしな。

 俺は恐る恐る足に力を籠め、ほんの少し歩き出すイメージで来た道を返した。一歩が十メートルになり、バランスを崩しそうになる。


「なんだこれ、動きに慣れるまで使えないじゃないか!」


 普段から練習しているならともかく、付け焼刃で運用できる付与魔術ではなかった。

 とりあえず戻ることが最重要項目である。

 重力がなくなったと仮定して、月面を歩く宇宙飛行士のようにぽーんぽーんと歩く自分を想像した。

 一歩の幅が二十メートルを超えているので、慣れてくるとちょっと楽しい。


 こうして遊んでいられるのも、ニニアンが付与魔術でグリムリーパーの攻撃を躱せると知ったからだ。

 誤ってゾンビの頭に着地し、踏み潰してしまったことに若干の気持ち悪さを感じながら、死神の気配が色濃い場所に戻ってきた。

 ニニアンは無傷。

 もちろん猫ちゃんも無傷だ。


「やっと戻ってきた。早く退治して。遊んでないで」

「付与魔術が悪いんですけど!」


 何言ってるのかしらと呆れられた目をされる筋合いはないんですけどねー。


「まあいいや。パーティでできることが増えたんだから」


 この付与魔術(エンチャント)、うまく調整できれば、身体強化術と合わせてかなり使い回しがいいのだ。

 俺も教わろうかなと思う。

 これで接近することができるようになった。

 後はもう、攻略法が見えたも同然だ。

 死神の周囲を跳んで撹乱しつつ、焦れて鎌を振り下ろしてきたところで横に飛び退き、全身のバネを使って鎌へと拳をぶつける。


「グオオオオォォォォォォォォ――――ッ!!」


 幅広の鎌は真っ二つに折れ、死神は眼窩の中に燃えるような憎しみを滾らせつつ、黒い炎を上げて消えていった。

 ボトリと、刃が折れた死神の鎌が落ちる。

 効果は消えていないところを見ると、加工すれば武器に変えられそうだ。

 持ち手を折って刃だけを粗布で包み、持っていくことにした。


 戦闘は終了し、あとは階下への道を探すだけである。

 猫ちゃんに「こっちにおいでと両の手を伸ばす」と、いやいやをされた。

 なぜだ……。

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