第54話 ジェイドの魔宮⑭ 将軍の実力
四階層階下階段前――
昨日からこの拠点を動いていない。
しかし客人はさらに増えた。
ふたりの妙齢の女性に、軍隊の男どもが四百人ほど。
うち百五十人は魔術師のローブを着込んでいる。
「子どもだと? スキュラを追い出し、わしらの先を進んでいたのが、こんな年端もいかぬ子どもだというのか」
灰色の髪の将軍が、驚いたように目を瞠っている。
その感想は昨日も聞いたから、もういいよって感じなんだけどね。
「子どもだから弱いって誰が決めたんですか? 大人だから強いなんて、この世界では通用しないでしょ」
「全くその通りだわ。私よりも優れた魔術師がいたって驚かないもの、ね、アルシエル」
「……アルです」
ゾーラにロックオンされた俺は、なぜか彼女の膝の上に乗せられていた。
ジオ将軍が現れたどさくさに紛れてローブをずり下ろし、「ほらやっぱり!」とゾーラは目を輝かせた。
「エルフに、獣人族の子どもに、子ども魔術師か。興味深いのう。どうしてこんな迷宮に?」
それももう聞か……れてないか。
「この迷宮を作った転移の魔術師には恨みが溜まってるんです。だから、作ったものを潰したいわけです」
「転移の魔術師?」
「宮廷魔術師の?」
「ジェイドか!」
三人とも転移の魔術師を知っているようだ。
せいぜい王国内に手配書でも回してもらおう。
「僕の名前はアル。赤魔導士のアルです。エルフを師匠に持つ魔術師です。師匠に代わり、この迷宮を潰します。これより先は危険ですから、あなた方はここで引き返してください」
「そんなわけには行かないわ! 最下層の魔物をこの目で見届けるのが私の役目なのだから!」
ヴィルタリアが、目を釣り上げた。
「貴女の話は聞きません。ゴーレムに連れてってもらいますから」
「それは困るわ! ゾーラ、何とかして!」
いい年してわがままなようだ。
格好もひとりだけドレススカートだし、兵士たちに囲まれるとなおさら周囲から浮いている。
「……たった三人でかね? 三人で攻略をするというのかね?」
「ここまで三人でも余裕だったぼくらと、千人単位で半数以上失っている貴方がたと、どちらが攻略に適していると思いますか?」
老将軍は唸り、言葉を飲み込んだようだ。
しかし見つめる目はなおも険しかった。
怖い目のおじいさんとかやんなっちゃう。
怖くて目が合わせられないじゃない。
「実際のところ、ぼくらは貴方がた軍隊の存在を、迷宮に潜る前から認知してました。出くわさないように別の入り口をわざわざ探したくらいですから」
「むぅ……」
「というか、スキュラが逃げた方向に貴方がたがいるのは知っていましたから、全滅するのかなと思ってましたよ。でも、軍隊は壊滅した様子がなかった」
「運が、良かったのだろうな……偵察を向けた直後だった。本隊が迷宮に潜っていれば、確実に交戦しただろう。そして全滅したやもしれん……」
老将軍は険しい顔で語る。
「最初は宮廷魔術師か、それに相当する戦力があるのかと思ってました。でも様子をしばらく観察するうち、それは違うことがわかりましたよ。うちのエルフとも話し合って同じ結論が出ました。だいたい二階層のあたりですかね、巨人の階層であまりに進みが遅いので確信しましたよ」
ジオ将軍は顎を引き攣らせて口を噤んでいる。
「あとは、そうですね、思ったよりも敵の数が少ないとは思いませんでしたか? ぼくらは魔術の訓練がてら、かなり殲滅してましたし。ずいぶんと行軍が楽だったはずだ」
「……」
思うところがあるのだろう、老将軍は眉間の皺をさらに深くした。
「ゴーレムも正直なところ、貴方がたでは荷が重いはずだ」
俺はここぞとばかりに卑劣な笑みを浮かべて、畳みかける。
ゾーラの膝の上で。格好がつかないけどな。
「ぼくのゴーレムを、止められますか?」
俺が手を挙げると、テイムしたゴーレムがおもむろに動き始める。
「ふむ……」
老将軍は片手を上げた。
囲み込んだ兵士たちが武器を俺、そしてヴィルタリアに抱えられた猫ちゃん、瓦礫に座り込んだニニアンへと武器を向ける。
「これまで水先案内人として先に立っていたことには感謝しよう。余計なお世話というやつじゃったがな。恩を仇で返すようで心苦しいが、質より量が勝つときもあるんじゃよ、小僧」
老将軍は冷たい目で俺を見つめてくる。
その瞳には油断がない。
それはすなわち、殺しも厭わないという目をしていた。
「おじい様、ダメよ! この子はアルシエルなのよ! 私の甥っ子で、あの子の忘れ形見なんだから! 手出しをするというのなら私だって黙ってはいないわ!」
「ゾーラ……わしの言うことを聞けぬというなら、おまえでも処罰しなければならん」
「そんな!」
将軍に甘さはなかった。
冷徹に物事を判断している。
肉親だろうが、歯向かえば斬ると目が物語っていた。
「わしの手を煩わせないでくれよ、小僧。大人しくわしらと迷宮の外まで同行してもらおう。君らに迷宮を攻略されては、王国軍の沽券に関わってくるのでな」
その割には胡乱気な目をしている。
王国とかどうでもいいと思っているような投げやりな目で、俺ではない何かを見つめている。
「おじい様! これは横暴よ! 私たちより優れた人間が迷宮を攻略することに何の問題があるの!」
「君は知らなくていいんじゃ、ゾーラ。勝手に部隊を離れた責任、しっかりと清算することだけを考えていればよい」
「まったくそのとおりですよね。恩を仇で返すのが王国軍のやり方なんですか、将軍? せっかくここまで橋渡しをしてあげたのに」
「知った風な口を利くな、小僧」
「小僧小僧って、完全に舐めてるでしょ、俺を」
「アルシエル?」
ゾーラが顔を覗き込んでくる。
だからいまはもうアルシエルじゃないってばさ。
「量より質が優るときだってあるんですよ?」
八割ほどの魔力を、体から一気に放出した。
熱風のようにうねりを上げて、一瞬で四百人が息づく部屋を満たす。
「“窒息”」
放出した魔力に風魔術を乗せる。
魔力で防げない兵士は、喉を押さえてバタバタと倒れ始めた。
将軍や猫ちゃんのところだけ範囲から外したが、兵士の九割が気を失っていた。
ニニアン? 自分で何とかするでしょ。
しかし魔術師隊の半数が気絶するって、どれだけ魔力耐性を鍛えていないのか。
そりゃ迷宮攻略も苦労するはずだよ。
悲しいことに、グランドーラの軍が弱小という裏付けを得てしまった……。
平原で戦った東国軍のライアンを思い出す。
彼らは魔術を得意な得物で切り裂き、魔術の優位性を散々に引きずり降ろして俺の自信を粉々に打ち砕いてくれた。
あれに比べれば、錬度は天地の差だ。
「わかりましたか? これが覇気です」
「覇気……」
「嘘です」
「嘘……」
一言呟くたびに息を呑んでくれる将軍に申し訳なくなってしまう。
昔読んでいた漫画のネタとは言えないよね。
有象無象の敵をバタバタと気絶させたら、それってすごい快感だと思うんだよ。
「これが俺と貴方がたの差です。俺だってたくさんの死人を出したくない。だから魔物を間引いてきた。その苦労を台無しにしないでください」
「わしにどうしろという。わしを従わせたければ屈服させればよいだろうが」
「ああもう! 頭が固いなあ、王都のクソじじいは」
「目上の相手に口が悪いぞ、クソガキ」
俺はガシガシと頭を掻いた。
それを見て、ジオ将軍の目に爛々と光が灯った。
俺と喋っているうちに、声に覇気が漲ってきたのは気のせいだろうか。
「大人しく引き下がってくださいよ! 兵士が起きたら、回れ右して、ゴー、ホーム!」
「子どもに言い負けて戻りましたじゃ格好がつかんよ。軍隊とは一度動いたら簡単には止められんのよ。わしもそれに難儀しておってのう。強力な魔物に出会って敗れ、撤退しかない状況さえあればよかったんじゃ」
「俺がお節介だって言うんですか?」
「有体に言えば。じゃがその責任を幼い子どもに負わすわけなかろう」
「じゃあいまここで将軍をぶっ飛ばせばいいってことですか。いくら老人でも容赦しないぞ」
「やってみい。まだまだ若いもんには越えさせやせんよ」
老将は矛を頭上で振って、穂先を俺の心臓へ向けてきた。
どいつもこいつも言葉で説得できないのかよ。
この脳筋さんめ。
俺の言葉に説得力がないのか、我の強い連中ばかりで聞き入れないのか。
自信がなくなるわ~。
「余裕だよ、くそじじい」
「もしクソガキに伸されてしもうたら、わしは軍人を引退しようかのう」
「じじいは隠居して茶でもしばいてればいいんだよ」
「アルシエル、待って!」
膝から飛び降りた俺を、ゾーラは追いかけて手を伸ばす。
俺は振り向いて、その手を掴んだ。
細くて冷たくて、カサカサした指だった。
その手を、俺は自分の頬に持っていく。
昔日のママセラの手を思い返しながら、感触を頬に擦り付ける。
「あなたにはまずやることがあるはずでしょ。俺なんかを追っかけてないで、もっと見るべきものを見てください」
“窒息”の魔術がゾーラを包み込む。
ゾーラの目が、ゆっくりと降りていく。
「あ、アル……シ……」
「もし両親を連れてきてくれたなら、どんなお願いでも聞いてあげますよ」
体から力が抜け、倒れ込んでくるのを受け止めた。
懐かしい匂いがゾーラから漂ってくる。
ゾーラの首筋に鼻を当て、懐かしさを何度も吸い込んだ。
最後まで俺をアルシエルと疑わなかった伯母のゾーラ。
その胸に顔を埋める。
ママセラより小ぶりだが、確かな弾力がそこにはあった。
「愛してます、伯母さん……」
ゾーラを地面に寝かせると、立ち上がる。
「やはりラインゴールドの忘れ形見なのだな。わしが勝ったらわしについてくると約束せよ。悪いようにはしない」
「俺はアルシエルじゃないですが、両親と妹を連れてきたらその相談に乗りますよ」
大柄なジオ将軍と比べると、半分の背丈しかなかった。
それでも負けじと正眼に拳を構える。
「素手か。わしも矛を捨てたほうがいいかのう」
「魔術相手に素手で挑むというなら止めはしませんけど」
「そうであったな。魔術師には杞憂であったか」
目を獣のように狡猾に光らせている。
不思議だった。
力を持ったその瞳は、決闘を悦んでいるように見えた。
まるでいままで餌を与えられずに飢えた獣そのものに思えた。
涎を垂らして今の状況に歓喜している。
お互いに間合いの外。
じりじりと近づいていく。
気迫がぶつかり合う。
汗がじわりを浮かぶ。
呼吸すら忘れてしまいそうな、濃密な空気がぶつかり合っている。
矛先が揺れた。
揺れたと思った瞬間、風が打ち付けてきていた。
俺の体は地面に伏せ、矛の刺突を躱していた。
呼吸の隙を突いての攻撃。
ライアンから一度受けて、腕のある武人なら使えることを半ば予想していた。
伏せたときすでに、ジオ将軍の矛は手元に腰だめに溜めていた。
まったく無駄のない流れるような動き。
長い年月錬成してきた武術の結晶。
ただの老骨ではない。
積み重ねが確かに感じられる。
隙はない。
懐に潜り込むのは難しいだろう。
「うおぉおぉぉぉぉぉぉ!」
連続の刺突が襲い来る。
超身体強化により視力を強化されているので槍の動きは見える。
渦巻く空気の動きすら見えた。
矛を紙一重で避けた。
頬や肩を掠る感触がある。
抉られるほどの深さは凌いでいる。
さすがの俺でも額を貫かれれば死ぬ。
死というものを想像すると、やはり震えが走る。
恐怖を抑えこんで懐に飛び込んだ。
拳を連続で叩き込むと、それを矛の鉄棒の部分ですべて防がれる。
爆裂魔術を施しているので巨大なハンマーで打ち付けられたようなものだが、ジオ将軍は歯を食いしばってすべて耐えている。
ジオ将軍には少なからずシンパシーを感じていたのだ。
ヴィルタリアの面倒を見るのに苦労をしてきたのは想像に難くない。
そういうところでは同じ苦労を分かち合える存在だった。
こんな軟弱な戦力でよくもまあ迷宮を進んでこれたと思う。
それもジオ将軍の戦術手腕によるものだろう。
ジオ将軍の矛に足を置いて、白髪交じりの頭上を飛び越えた。
背後からの掌底は、振り回した矛に寸分違わず受け止められた。
「さすが王都の将軍。東の将軍もかなりの槍の使い手だったけど、どうしてどうして、脆弱なのは軍であって将軍じゃないのかな」
「わが軍が弱いのは認めよう。しかし王都の最高戦力を侮ってもらっては困る」
「それはもう。宮廷魔術師にはだいぶ世話になったからね」
矛の三段突きがくる。
魔力障壁を張って防いだが、わずかに破られている。
五連撃、十連撃になると障壁を突破されかねない。
ジオ将軍の矛にもまた、高密度の魔力が込められていた。
矛を掴んで引っこ抜ければ勝ちはすぐだが、そのせいで手首を持っていかれるかもしれないと思うと、おいそれと手出しはできない。
ジオ将軍の左側面に移動する。
矛を振り回すのに、右足ばかりを軸にしていることに気づいたのだ。
それは隙とも呼べない癖だろう。
だが、その隙を突いた、と思わせるだけでいい。
「魔術師が接近戦だけで、王国軍の武人を倒せると思うなよ!」
「いや、倒せるよ」
魔力反射。
ジオ将軍が目で追っていた姿は、魔力で作られた俺の幻影。
隙を突かれたと思って余裕を捨て、矛を通常より早く振り回したことで、本当の隙は生まれる。
幻影は矛によって両断されるが、感触のない黒い霧となって消えていた。
ジオ将軍の右側。
がら空きの胴体を前にして、俺は甲冑の上に手を置いた。
「俺の勝ちだ」
ミキサーにはかけはしない。
ただ両腕両足をちょっと痛めつけるだけである。
「ぐっ、ごおっ」
矛を取り落とすが、ジオ将軍は倒れなかった。
それでも四肢から血がどろどろと流れ落ちている。
「勝負はつきましたよね」
「……完敗のようじゃな」
老戦士はふっと笑った気がした。
将軍の巨体が仰向けに傾ぎ、そして倒れた。
起きたら出血多量で死んでましたとかは嫌なので、治療だけはしておこう。
「では、残りのみなさん。しばらくおやすみなさい。ゴーレムに命じておきますので、身の安全は保障しますよ」
ヴィルタリアを含め、魔術師の方々には眠ってもらおう。
周りを見た。
猫ちゃんとニニアン、そしてゴーレムだけが立っていた。
それにしても、俺が最初から彼らにお節介を焼く必要なんてなかったんだなーと思うと凹む。
ジオ将軍は迷宮攻略を途中で切り上げる口実を欲しているようだったし。
うまくすれば三階層あたりで引き返していたかもしれない。
そうすれば俺の素性を疑われることも、彼女たちと知り合うこともなかったわけで。
橋を架けたのが失敗だったかなーと思う。
もしあそこで彼らが船を浮かべて渡ろうとしていたら、仲良くオピオンフィッシュの餌になって撤退せざるを得なかっただろう。
まあ、何事もうまくいくものじゃないよねと切り替えるとしよう。
荷物をまとめ下層へ降りるのだった。




