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異世界旅行は落ち着かない  作者: 多真樹
第二部 少年時代 二章 大森林のエルフ
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第51話 ジェイドの魔宮⑪ 招かれざる客人

「こういう場合はどうする?」

「男は放っておけばいいけど、女性が死ぬのは世界の損失だと思うわけさ」

「人間は遠回しな言葉が好き。つまり、放っておく?」

「まさか、助けるよ。女性は」

「ただのオス」

「なんとでも言えい」


 ニニアンの声が一段と冷ややかに聞こえた気がしたが、気のせいだろう。

 綺麗な顔をして冷たくされたら軟弱ハートは傷ついてしまうからな。

 気のせいだと思っておこう。


 一方で猫ちゃんはというと、瓦礫の上で絶妙なバランスを取ってしゃがみ、尻尾をぺしぺしと岩にぶつけている。

 聞こえた声に、うずうずと好奇心を刺激されている様子だ。


「猫ちゃん、ゴー!」

「んにゃー!」


 ゴーサインを出してほしそうな顔をしていたで、つい勢いで命じてしまった。

 猫ちゃんは瓦礫から飛び上がってシュタッと降り立ち、放たれた牧羊犬のごとく意気揚々と走っていく。


 俺はニニアンに目配せをし、ニニアンも頷いた。


「わかった、今日はもう寝るのだな」

「違うよ! 追いかけるんだよ!」


 コントかと思いつつ、荷物を最低限肩に掛けて猫ちゃんを追いかけた。

 穴が開いた直線の通路には目もくれず、迷宮の入り組んでいるほうに猫ちゃんは向かって行った。

 まずいな、と内心で思う。

 直線に穴が開いた道は、要はこの迷宮を歩く上での起点である。

 そこから離れれば離れるほど、何があるかわからない。

 道に迷い、ゴーレムの団体さんに囲まれる危険性だってある。

 女性ふたりの声がしたというのはいささか予想外だったが、軍隊の先遣隊だろうか。

 男ふたりの悲鳴なら確実に放っておいただろう。


 それにしても、魔力がふたつしかないのが気になった。

 ふたつの吹けば消えてしまいそうな魔力は、五体のゴーレムから逃げるように移動していた。

 ちょっと先の角を猫ちゃんがすばやく曲がる。


「猫ちゃん、引き返して! ショートカットするよ!」


 拳に魔力を込める。

 そして走っているスピードをそのままに、角を曲がらず正面の壁を爆裂魔術で殴りつける。

 崩れた壁が開けた向こう側に吹っ飛び、俺は隣の通路へ飛び込んだ。

 次の壁も同じように吹き飛ばし、お目当ての通路に到着した。


 いい感じにゴーレムの背後に出た。

 五体のゴーレムの向こう側で、足を引きずりながら歩くひとりを、何とか支えて逃げる女性ふたりが目についた。

 パッと遠目に見たところ、ひとりは魔術師のローブ姿で、もうひとりは場違いなドレス衣装だった。

 迷宮舐めてるのかと思わずにはいられない。


 俺に続いて、猫ちゃんとニニアンも現れる。


「ノルマはひとり一体。ぼさっとしてると全部俺が食い散らかすからね」

「ノルマとはなんだ? ゴーレムを食べるのか、お腹を壊しそうだな」

「ミィニャもゴーレム食べたくにゃーい」


 意思の疎通……。

 ほら、比喩表現とかあるじゃないですか。

 傭兵が仲間同士でやるようなやつ。

 こう、打てば響くやり取りがしたいです……。

 ちょっと凹んだが、気持ちを切り替える。


 ゴーレムに近づいて、大振りの腕を潜り抜けると、胸元の動力石のある個所を無造作に殴りつける。

 魔力障壁はクリスタルゴーレム(弱体版)の足元にも及ばない。

 爆裂魔術で魔力障壁に穴を開け、ついでに風穴を開けて動力石ごと吹っ飛ばした。

 追われるふたりに迫っていたゴーレムの両腕を風魔術でスパッと切り離し、その風をそのまま操って魔力障壁を打ち破り、背後から動力石を抉り破壊する。


 後ろを振り返る。

 二体のゴーレムは、身体の中心に矢が突き刺さって動きが停止している。

 猫ちゃんはゴーレムに馬乗りになり、動力石を自慢の猫パンチで粉々にしていた。

 たくましいパーティだ。

 そして俺は、へたり込んでいるふたりの女性を見やる。


「ヴィッキー、しっかりして。もう大丈夫だから」

「いったい何が起こったの? 私は夢でも見ているのかしら?」


 ローブ姿の魔術師は赤毛で、三十代くらいに見えた。

 念のためステータスを視る。


 ゾーラ・ベルハイム。

 年齢は、女性のプライバシーを尊重して伏せておく。


 ゾーラの声を聴いて、俺はどこか懐かしさを感じた。

 そしてそれは、ローブを下ろして現れた相貌を見て、更に強くなった。

 肩口で切り揃えられた赤毛。

 キリッとしているが、どこか温かなまなざし。

 間違いなく俺は、この女性を知っていた。


「あ……」


 そこにママセラがいた。

 俺とリエラの母親。

 生まれたばかりの俺を抱いて、優しく笑ってくれた赤毛の女性――

 驚いて、言葉が詰まったように出なくなった。

 いや、よくよく観察すれば、似ているが別人だ。

 ステータスにも、ゾーラ・ベルハイムと別人の名前がある。

 それに、ママセラの方が胸は大きかった。

 身長も、ママセラの方がもう少し高い気がする。


 ではこの女性はいったい誰なのか。

 他人の空似か?

 そんなはずはない。

 記憶を手繰る。

 あれは、そう、屋敷に住んでいたときだ。

 双子の出生を祝いに人が何人も入れ替わりで訪れた。

 その中に確か、ママセラによく似ていて、ちょっと背の低い、綺麗な女性がいなかったか?

 あの時はドレス姿だったが、八年経って魔術師の格好をするようになったのか?

 いや、そんなはずはない。

 パパジャンやママセラではあるまいし、ほいほいと貴族が冒険者になるものだろうか?

 しかし、ママセラに似ている事実は揺るがない。

 瞳の色や唇のふっくらしたところは、どうにも昔日の面影を感じるのだ。


 じっと見つめていると怪しまれる。

 無理やり視線を引き剥がし、隣に座り込んだ黒髪の女性の方へ目を向けた。

 こちらはどう見ても武人には見えなかった。

 パンツルックではなく、足首丈のロングスカートである。

 こんな迷宮で街中を歩くような恰好でいるなんてと、俺は衝撃を受けた。

 鴉の濡れ羽色と、上品に言えばいいのか。

 艶のある黒髪を結い上げ、知的な細眼鏡をかけている。

 足を怪我しているのは、彼女の方だった。

 そりゃそんな恰好をしていればいい的だよな。


 彼らは人族だ。

 そして俺の後ろのパーティメンバー。

 青豹種とかいう獣人族と、森人族と呼ばれる耳長のエルフ。

 亜人族を忌避する風潮が強いグランドーラ王国。

 何も言葉を交わさず離れるのがお互いのためになるのではないか。

 母のことは聞いてみたかったが、触れないほうがいいこともある。

 もし縁戚だったとしても、今更何を話せばいいのか。


 俺はフードを深く被り直した。

 気づかれたくないと、無意識に思ったのだ。


「こ……子ども?」


 最初に声を発したのは、赤毛の女性だった。

 心臓がぎゅっと掴まれたように、その場から動けなくなった。


「子どもが迷宮にいるなんてありえない! しかも三人なんてパーティとして少ないわ!」


 赤毛の女性は、我が目を疑うとばかりに目を瞠っている。


「エルフよ! それに獣人の女の子だわ! こっちは小人族かしら? あああ、なんてことかしら! どれも初めて見るわ!」


 別の意味で興奮している眼鏡をかけた女性。

 俺は後ろを振り返る。

 ニニアンはどうでもよさそうに、ゴーレムから矢を回収していた。

 猫ちゃんは迷宮で初めて出会った人間に興味津々で、動きを止めたゴーレムの上に座り、尻尾をシタンシタンと叩きつけている。


「アル小人族だってー。ちっちゃいからにゃよー。にゃははー」

「ちっちゃくないし! これから成長期だし!」


 猫ちゃんは事態の面倒臭さをわかっていないので、けらけらと俺を指差して笑っている。

 これまでの勉強の成果か、人間語が理解できるのが救いだろう。

 最近はほぼ獣人語より、人間語で話していたし。


 確かに猫ちゃんの方が最近身長の伸びが良くて、俺の方が少し目線が低いけどさ。

 十四、五歳になる頃には俺の方が伸びてるはずだぜ?

 あと六、七年先の話だけどさ。


 しかし、声を発してしまったことで、なんだか去りにくくなってしまった。

 腕を組んでふたりの女性を見つめる。

 片方は警戒し、片方は食い入るようにこちらを見つめている。


 さて、どうするか。

 ニニアンを見た。

 猫ちゃんを抱き上げて、腕の中であやしていた。

 ふざけんなよ? 俺の猫ちゃんを――

 いやいや、そうじゃない。


 これも何かの縁か。


「失礼ですがマダム、ぼくは人間なので初めてみる種族ではありませんよ」

「あら、そうなの? でもマダムじゃないわ。私はまだ未婚よ」


 三十代に見えるが、この世界のその歳で未婚って……。


「なによ、憐れんだ目で見ないでよ」


 絶句していると、細眼鏡の女性が目つきを鋭くした。

 女性には触れてはならないことがある。

 それは万世共通のようだ。

 ともかく、場所を移動すべきか。


 俺は目を伏せ、彼女らに近づいていった。

 あまり彼女らと関わらないほうがいい。

 顔を見られないように、それから目もあまり合わせないようにしよう。

 間違っても大人の女性との接し方がわからないとかではない。

 かつての自分と同年代であることに、気後れを感じているわけではないのである。

 つまりゾーラの方に気づかれたくないのだ。

 本当だ。


「何をするの?」

「怪我を治します」

「治せるの!?」


 赤毛の女性が身を乗り出した。

 俺はその分、狼狽えて下がった。


「ち、治癒魔術を使えますから……」


 声が上ずってしまった。

 正直に白状しよう。

 相手がゾーラでなくても、どうにも大人の女性は苦手だ。

 何を考えているのかよくわからない。

 できれば近づきたくなかったが、ニニアンは治癒魔術を率先して使ってくれないし、赤毛の魔術師さんも属性魔術しか会得していない。

 治さないという選択肢もあるが、足を引きずったままこの迷宮をうろつけば、あっという間に魔物のぺしゃんこにされるだろう。


「ゴーレムと遭遇して、仲間と離れ離れにでもなったんですか?」


 いい機会だ。

 何も知らないふりをして軍隊の情報を引き出そう。


「いいえ、違うわ。動かないゴーレムを観察しに降りてきたんだけど、ちょっと先が知りたくなって足を伸ばしたら、ゴーレムに見つかって追われることになったのよ」

「好奇心は猫も殺すってやつですね。うちにも一匹いるんで、わかります」

「ゾーラの魔術で何とかなると思ってたのだけれど、ゴーレムってとても固いのね。まったく魔術が効かなかったの。その途中で足を怪我してしまったというわけよ」


 黒髪眼鏡の方が、何も考えていない様子でペラペラと喋る。

 赤毛の方はそれを止めたそうに見つめている。


「はい、治りました。あとは頑張って、ご自分の仲間のところに合流して――」


 ぐわしと、音が聞こえたような気がした。

 黒髪眼鏡の女性が、しっかりと服の袖を掴んで離さなかった。


「あなた、小人族? それとも子ども? どちらにしてもとても強いわ。さっきゴーレムを素手で倒しているのを見たわ。その強さも気になるし、獣人やエルフのことももっとよく知りたいわ」

「えー……」


 変なのに捕まってしまった。

 彼女の瞳が眼鏡の奥で好奇心に爛々と光っている。

 ただ、言葉に裏表がないのは感じていた。

 隣で赤毛の女性が困り果てたように肩を引っ張っているが、それがすべて演技だとはどうしても思えない。

 それに、なんとなくこの黒髪眼鏡、好奇心に引っ張られるままに生きている人種に思えた。

 それ以外の物は視界に入らないのだ。

 男で言うオタク。

 女で言う、頭に腐の文字が付く系統の。


 現状を鑑みるより先に、獣人やエルフに興味を持つことが何より物語っている。

 身綺麗で顔立ちは整っているのが救いか。

 それでもその性格ゆえに貰い手がなかったんだろうなと、そっと涙を拭う。


「自己紹介がまだでしたね。私、ヴィルタリア・クラウスと申しますわ。こっちはゾーラ・ベルハイム。あなたの名前は?」

「アル、赤魔導士のアル。それで、向こうの猫ちゃんがミィナ、猫ちゃんをお姫様抱っこしているエルフがニニアン」


 猫ちゃんはニニアンにあやされ、指を食わせて眠そうにしていた。

 そういえば、時間としては夜に差し掛かったくらいだ。

 悲鳴を聞かなければ、日課の体術を行い、魔術の訓練を終えて眠るつもりだった。


「……ここでこのまま放っておくことは、できそうにありませんし?」


 俺はがっしりと掴まれた袖を見下ろしながら、笑うしかなかった。


「僕らの夜営地に来ますか?」

「もちろん行くわ」


 赤毛の女性ゾーラは辞退したそうな様子だったが、黒髪眼鏡ことヴィルタリアは遠慮という言葉を知らないのかずずいと前に出てきた。

 本当に遠慮というものがないな。

 ここは日本とは違うのだ。


 「どうでしょう、よければご案内しますよ?」「いいえ、ご迷惑でしょうし」「お気になさらず」「では……」という形式ばった流れは通用しないのだ。


 なんだか無性に日本が恋しくなった。

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