第45話 ジェイドの魔宮⑤ 猫まっしぐら
ジェイドの魔宮・三階層――
足場がつるつるした岩になっている。
岩と岩の隙間が、青白く光っていた。
なにかの鉱石だろうか?
よく見ると、青白い光の中を水がちょろちょろと流れている。
不思議な空間だ。
見ようによっては、ロマンチックに感じるかもしれない。
頭上を何か大きいものが通り過ぎていった。
ステータスを見てみる。
「ガーゴイル……」
一瞬大きな鳥か、翼竜かと思った。
しかし、翼の下に、人型の体が生えている。
枝のような灰色の手足は、まるでコンクリートのように固そうだ。
残忍な目つきに、サルの化け物のような面構え。
はっきり言うなら。
「気持ちわる……」
という言葉がしっくりくる。
こんな魔物がそこら中にいるところで、ロマンチックもあったもんじゃないな。
「ギェェェェェェッ!」
雄叫びを上げながら、ガーゴイルはなおも魔宮の天井付近を羽ばたいている。
猫ちゃんが俺のローブの陰に隠れた。
見ると耳を伏せ、尻尾を丸めていた。
この子は本当に怖いものが苦手だな。
高い場所は克服したが、どうにも視覚的に怖いものはまだダメなようだ。
「ギェェェェェェッ!」
何度となく上げる悲鳴に似た鳴き声。
「ふん」
ニニアンが弓で射って、あっさりと撃ち落した。
「えー……」
「私の矢しか届かない」
「そうだけど……」
まだ戦闘は始まってなかったと思うんだけどなー。
放った矢は、魔力を相当込められていたから、ガーゴイルの防御力はそこそこあるのだろう。
スキュラと巨人の間と言ったところか。
「先手は大事。手遅れになる前に、仕留める」
「言い分はもっともなんだけどさー」
なんというか、生き物に対する温情は欠片もないんだなーと思うわけで。
そんなものがあれば人の指をあっさり切り落としたりしないかと、そんなふうにも思うわけで。
なんて思っていたら、魔力が無数に近づいてくるのを感じた。
ああ、さっきの鳴き声は仲間を呼ぶためのものだったんだなーと、しばらくしてから気づく。
「先手を打たれた」
「確かにそうだけども」
猫ちゃんが震えている。
「よしよし、猫ちゃん、よく見てごらん。あれは空飛ぶおサルさんだよ~」
猫ちゃんが脇からひょっこり顔を出して、飛んでくるガーゴイルを見つめる。
「違うよ~」
猫ちゃんの頭がひっこんでしまった。
「違くないよ~。オーガやサイクロプスと同じ魔物ですよ~。ちょおっと不細工なだけのどこにでもいるおサルさんですよ~」
またひょっこり猫ちゃんが顔を出す。
じっとガーゴイルを見上げている。
「……そうかも~」
感化されやすい猫ちゃんが大好きだ。
優しく頭を撫でておこう。
最近伸びた髪も、町に寄る機会があったらおしゃれにしてあげたい。
ツインテールとかいいかも。
きっといまより可愛くなってしまうだろう。
「グギャァァァァァァァッ!」
どこかから何十体ものガーゴイルが絶叫して近づいてくる。
三階層のトップバッターに、ガーゴイルが歓待してくれるらしい。
彼らなりのご厚意のつもりか、頭上から急速降下して掴みかかろうとして来る。
俺は猫ちゃんを抱え、バックステップで避ける。
足元が滑る上に、飛び石のように溝があるので、気を配る部分が多い。
「足場のつるつるした岩場でガーゴイルを待ち受けなければならないのはちょっときついな」
「同感だな」
ニニアンは、近づいてきた数体のガーゴイルを連射で射落としているが、その場を一歩も動いていない。
俺は避けつつ、ガーゴイルをぶちのめしていった。
猫ちゃんも、抱えられつつも「んにゃ!」とパンチを繰り出している。
たくましいことだ。
「猫ちゃん、耳塞いで」
「にゃ!」
言われたとおりに猫ちゃんは両手で頭の上についた耳を塞ぎ、ぎゅっと目を閉じた。
目を閉じたのは正しい判断だ。
「“雷砲”」
腕を天井付近で蠢いているガーゴイルたちに向け、魔力を込めた。
イメージは、コインを超電磁砲で弾き飛ばす女子中学生。
飛ばすものは特にないが、コインを弾く真似だけはパク……げふんげふん、オマージュした。
この世界ではイメージは魔力によって形作られるから、より強固なイメージがあった方が威力も上がるのだ。
決して言い訳ではない。
超電磁砲の女子中学生には敬意を表しているってことでひとつ。
動きやすいよね、短パン。
指を弾いた。
ズガンと、音が割れた。
天井付近にいたガーゴイルは軒並み感電して、ひゅるひゅると落ちてくる。
電撃を喰らわなかったガーゴイルは、距離を取って様子見を決めたようだ。
「途轍もない魔力だった」
ニニアンがジト目を向けてくる。
目の周りを揉んでいるから、雷砲を視てしまったのだろう。
「連携、これも連携だから」
「本当に?」
「ニニアンが矢で気を引いている間に、俺が強力な魔術を叩きこむ。ほら、連携だ」
「そう、かも……」
信じてくれたらしい。
ちょろ……もとい、御しやすくて助かる。
どっちにしろ同じか。
「このエリアはどうやって攻略するかな。見たところガーゴイルしかいないけど、この先何が現れるかわからないし」
「ガーゴイルは私が討つ」
ニニアンは、そうとは一目では見抜けないが、やる気を漲らせているようだ。
彼のやる気スイッチはどこにあるんだろう?
「なら任せる。移動するから、上は全部任せた」
「任される」
不安はないとは言い切れない。
本当に背中を預けるには、勇気がいる。
俺は器の小さな男だから、完全に信頼せず、背中にも意識を配っている。
最悪、後ろから射られる可能性まで考慮しているという小心っぷりである。
今この場で本当に信頼しているのは、小脇に抱えた猫ちゃんだけだ。
つぶらな瞳で見上げてくる愛らしい猫ちゃんである。
「アルー、お腹へったー」
「もう腹ペコキャラか、こいつぅ~☆ さっき朝ごはん食べたばっかりでしょー。大人しくステイしてなさいね」
「わかったー」
戦闘中であろうがお腹を空かせ、お漏らしをする。
そんな手のかかる猫ちゃんが俺は大好きだ★
将来、誰もが振り返る美猫に育てると決めているのだ。
苦労がかかる分、育て甲斐があるというものだ。
ガーゴイルの群れを引き剥がす頃には、地形が少し変わっていた。
ガーゴイルは、結局ニニアンがひとりで対処してしまった。
開けた場所に出たのはいいが、一面が地底湖だった。
水面が青白く光っている。
この三階層というエリアは、かなりのスペースを湖が占めているのかもしれない。
さすがに五割までいかないだろうが、水上移動は大変そうだ。
飛び石の間を流れる水は、すべてこの地底湖へと続いているみたいだ。
大きな魚影が見えるので、何かしらの魔物が住んでいるのだろう。
「地底湖か……魔宮とは思えないな」
「青いよー、アルー、にゃんでー?」
「発光石が水の中にもあるからだよ」
「魔物がいるから泳げないな」
隣に並んだ見た目美少女のニニアンがポツリと漏らす。
魔物がいなかったら泳ぐのだろうか。
ニニアンの水着姿、ちょっと見てみたい。
思わず前屈みになってしまいそうだ。
と、期待を持たしておいて、男前なふんどし姿だったら萎える。
もっこり具合も師匠に負けず劣らずだったら、なおいっそう萎える。
「さて、昼飯にしたいわけだが、獲物を仕留めようと思う」
「魚? 魚?」
猫ちゃんの期待する目が向けられる。
尻尾が期待にゆらゆら揺れていた。
ちょうど食糧の持ち分が減ってきていたので、魚でも釣って食糧の補給をしたいところだ。
射落としたガーゴイルを食べるわけにもいかないしな。
一階層で虫を食べていたニニアンと猫ちゃんなら、その限りではないのかもしれない。
しかし俺が嫌だ。
「というわけで、魚を釣るにあたってなにかいい方法は――」
話の途中で俺は目を上に向けた。
ガーゴイルが一匹、湖面上を飛びながらこちらに向かってくる。
また鳴かれたらわらわらと集まってくるのだろう。
ニニアンに顔を向けると、ひとつ頷いて荷物を下ろし始めた。
「え? あれ、あのガーゴイルを撃ち落してよ」
「ん? 潜って獲物を仕留めるのではないのか?」
「そっちじゃなーい!」
相変わらず意思の疎通が取れない。
しょうがないから雷魔術で撃ち落そうと手を向けたとき、水面がちょうどさざなみ始めた。
「湖から何か出てくる?」
「あれー! アル、あれー!」
猫ちゃんが興奮して指差す先に、水泡が生まれていた。
ちょうどガーゴイルの真下の辺りだ。
青く透明度の高い水面の奥底から、魚影がどんどん大きくなる。
水が盛り上がった。
次の瞬間、巨大な大口を開け、牙が生え揃った巨大魚が飛び出してきた。
ステータスを視てみると、オピオンフィッシュと出た。
まあ見た目は脂の乗った巨大マグロといった感じだ。
マグロと言えども、ささくれたような鱗にびっしりと覆われ、ギザギザな刃が並び揃っている。
ぎょろっと動いた目がこちらを見据えてきた。
「うげ」
パタパタと飛んでいたガーゴイルがぱくりと食われ、獲物を口にはさんだ巨大魚はそのまま水面に戻っていった。
辺りは静まり、波打つ音だけが聞こえている。
「しかし大物だったね。ガーゴイルをひと齧りって……」
「美味しそう、美味しそう!」
「丸焼きにして食べる」
猫ちゃんが興奮して水辺を覗き込んでいた。
尻尾がしたんしたんと地面を打っている。
いまにも身を乗り出し過ぎて落ちてしまいそうだ。
魚影を探して目を凝らすニニアンも、似たようなものだった。
「君たちは危機感より食い気だね」
ふたりが警戒心などどこ吹く風なのを見て、俺だけでも気を引き締めておこうと思った。
まあ巨大魚と目が合って、ちょっと腰が引けているのは内緒だ。
「よしおまえら! いっちょ大物仕留めるぞコラー!」
「こらーにゃー!」
「こらこら」
魚の獲り方は簡単である。
ニニアンは一本の矢に縄を結んで前準備をしておく。
俺が水面に岩の塊を生み出す。
適当にガーゴイルの形にでも似せておく。
それが疑似餌となり、飛び出してきたところをニニアンが仕留める。
あとは力任せに陸に引き揚げるだけだ。
水面がさざなみ始める。
「きたー! きたよー、アルー!」
猫ちゃんが尻尾をピンと立てる。
案の定、水面を割ってオピオンフィッシュが飛び出してきた。
肌荒れした荒ぶるマグロである。
ニニアンが魔力を込めた矢を放った。
必中の矢が鰓の下あたりに突き刺さるが、仕留めるまでには至らない。
そのままでは抵抗するだろう。
「“雷電”」
水面に落ちる一瞬早く、縄を掴み電気を流した。
矢がすでに魔力障壁を突破しているので、電気はあっさり魚の体に通った。
ビクンと空中で痙攣し、水面に落ちるときには目が白く濁っていた。
三人で力を合わせて魚を引き上げる。
たった一匹の釣果でも十分すぎるほどの食糧が手に入った。
魔物退治というより、ただの漁だな。
オピオンフィッシュは、全長が五メートル近くもあった。
食べ応えは十分だ。
火を熾して昼飯にした。
魚肉を切り分けて火で炙り、久しぶりに腹いっぱいになるまで食べた。
猫ちゃんも膨らんだお腹を満足げに撫でながら転がっている。
それでも魚の肉は半分以上残っていた。
「燻製にして保存食にでもするかな。ビーフジャーキーに代わる新しいおやつができるな」
「おやつ!」
おやつと聞いて、満腹で寝転がっていた猫ちゃんがピンと起き上がった。
「おやつににゃるの? いま食べられる?」
「これから作るのー」
「いつできるの? すぐ? あとちょっと?」
猫ちゃんが擦り寄ってくる。
あまりに近いので、キスされてしまいそうだ。
もういっそキスをしてみた。
すぐにぷいっと顔を逸らされた。
猫ちゃんに動揺した様子はない。
目の中が魚で埋め尽くされているのだ。
「できても今日は食べません。今後の保存食なんだから、いますぐは食べないのー」
「でもちょっといいでしょ? ねえアルー、ねえねえアルー」
顔を逸らした途端に、猫ちゃんの小鼻がぴとっと俺の頬に押し付けられる。
猫ちゃんの吐息が首筋にかかり、ゾクゾクっと背筋に電流が走る。
嫁に迫られるとか、幸せだわー。
「わ、わかった、できたらちょっとあげるから」
「やったにゃー!」
間近にいた猫ちゃんがパッと離れた。
ちょっとだけ惜しい気もする。
「わたしも食べたい」
「いいよー、わかりましたよ。ふたりにちゃんとあげるから」
「わーいにゃー!」
「わーい」
無表情で喜んでいるのかよくわからないニニアンだが、猫ちゃんと手を繋いで踊っているので、たぶん嬉しいのだろう。
なんだろう、手のかかる子供がふたりいる気がする……。
とりあえずこのエリアは心配なさそうだな。
地底湖を移動するなら、オピオンフィッシュをテイムすればいいだけだしな。
そんな風に楽観する俺たちだった。
楽観できない状況が続いて、クラウス嬢もさすがに顔をしかめていた。
第二階層は巨人のエリアだったのだ。
散発的に現れる巨人に、戦列は崩されてばかりだ。
巨人は突進してくるだけだが、近づく前に倒さないと、前衛が蹴散らされてしまうのだ。
いまは小隊ごとに分かれ、機動力を重視している。
ひと塊になっていては、巨人の餌食になりますよと言っているようなものだ。
ただ黙って己を差し出すほど献身的になった覚えもない。
巨人には魔術が有効なようで、ゾーラが率いる魔術師隊がなんとか軍隊を保っていた。
二階層に降りて半日もしないうちに、戦死者が五十人を超えた。
兵士が巨人の棍棒のひと振りや踏み潰されてあっさり死ぬのを見て、肝が太いクラウス嬢も青褪めていた。
自分もこんな風に成り果てるのかもしれないと考え進む足が少しでも鈍ってくれれば、ジオ将軍としては願ったり叶ったりだ。
「サイクロプス、オーガ、トロール……こんな巨人の展覧会のような場所に居合わせることができるなんて! なんて感激なんでしょう!」
違った。
青い顔と思ったのは、ただ驚いて言葉の出ない状態であっただけだった。
魔物が暴れ回る様子に心から喜んでいるクラウス嬢を見て、筋金入りだな、と思った。
これだから婚期を逃し、貰い手もいなくなるのだとジオ将軍は陰ながら悪態をつく。
「ヴィッキー、不謹慎だよ」
「しょうがないですわ。心が勝手に子どものように浮かれてしまうんですもの」
赤髪の魔術師ゾーラとクラウス嬢が肩を並べて仲良さそうに話している。
そんな光景にも、ジオ将軍は苦虫を噛み潰したような顔をせずにはいられない。
巨人との戦闘は単発的で、しかも遭遇率はそれほど高くないこともあって、まだなんとか軍隊は形を保っている。
しかし、これが二体、三体の群れであったり、次から次へと巨人が現れた場合、高確率で全滅の危機性がある。
そう進言してくる部下もいる。
決して臆病風に吹かれたわけではないことくらい、ジオ将軍もわかっていた。
それが事実なのだ。
迷宮探索をするにあたって、軍隊では脆弱すぎるのがわかってしまった。
「それでも前に進めてしまう。これは悪魔の誘いか、果たして神の導きか……」
ぽつりと独り言を漏らす。
スキュラを一階層から追い出した存在とは、まだ遭遇していない。
そして、その謎の存在が、階層の魔物をいくらか屠っているために、こうして軍隊は前へ進むことができると確信があった。
二階層に続く一階層階段前の広場に、火を熾した跡があった。
部下の調査で、三から四人の人間が野営していた痕跡だと解明している。
自分たちの行く手に腕のある冒険者が進んでいるというのなら、心強いと思わざるを得ない。
しかしそれは巧妙に騙されているだけで、あるいは魔物の胃袋へ、目に見えない何者かによって手を引かれているだけではないのか。
ジオ将軍の疑心は、まだまだ尽きそうにない。




