第44話 ジェイドの魔宮④ 巨人の巣窟
翌朝、本格的な二階層攻略に乗り出した。
ここ数日の乱獲の所為か、入り口付近にはまったく巨人の気配がなかった。
彼らは集団で行動していても連携はまったくとらないので、数の多さはそれほど脅威にはならない。
むしろ猫ちゃんのエネルギー切れが問題なだけで、巨人の群れは格好の獲物であった。
二階層に降りて、魔力の強いあたりを目指して進む。
そのうちエリアボスが守る三階層への階段に行きつくことだろう。
毛むくじゃらのトロールを四匹ほど、ニニアンが矢を射って、猫ちゃんがパンチして、俺が止めを刺してサクサクと倒した。
「ひとりひとりがしっかり役割をこなすと、こうも簡単に勝てちゃうわけですよ。これが連携ですよ、ニニアンさん」
「私は矢を射っただけ」
「だから猫ちゃんが巨人を怯ませて、それを矢で射殺してるでしょ。それが連携だってば。ひとりで戦ってたらあっという間にバテちゃうでしょ? 仲間がいるってことは体力的な面もカバーしてくれるんだって」
「……そう?」
わかっていないようだ。
まあ、エルフなら追い詰められる状況そのものがなかなかないだろうからな。
追い詰められて初めてひとりの限界を知るのだ。
その時になってようやく連携のありがたみを知る。
オンラインゲームのソロプレイは、常に孤独と理不尽な世界との戦いだ。
回復もままならずタコ殴りにされるのである。
そういうときに限って全体攻撃技がなかったりしてな。
この世界に来てからは大森林で嫌というほどひとりの限界を味わった。
師匠の後について回ったときになんと心強いと思ったことか。
少なくとも、回復役・攻撃役のふたつに分けるだけで、苦労は半分になるのだ。
悲しみが半分になった、喜びは二倍に膨らんだ、というやつだ。
大平原で獣人たちの集団戦を齧ったので、いまのパーティ戦闘に少なからず活かせていると思う。
しかしまあ、戦争規模で行う集団戦は勝利のための消耗戦で、犠牲を込みに考えられる。
一方でパーティ戦はいかに犠牲を少なくして勝つかという目的の違いはある。
こちらは軍隊ではないのだ。
ひとりの欠けが致命的な穴になりかねない。
「後衛が嫌なら前衛でもいいんだけどさ」
「私が前衛?」
「俺が初撃の射手をやってもいいんだけどね」
それだと猫ちゃんとニニアンのツートップになるわけで、俺の余裕が半分になって不安が二倍に膨らんでしまう。
ニニアンは細剣も装備しているので前衛で問題はないのだが、ふたりとも隣を補い合って戦えるタイプではない。
ニニアン=初撃弓攻撃。あるいはとどめ弓攻撃。
猫ちゃん=突っ込む。牽制攻撃。
俺=フォロー。
の形ができているわけで。
俺=初撃魔術。あるいは囮攻撃。
ニニアン=突っ込む。暴れる。
猫ちゃん=突っ込む。暴れりゅ。
ふたりの取りこぼしが多くなりそうだ。
俺の負担ばかりが多くなる。
スポーツで言うところの個人競技で、ふたりは初めて全力を出し切れるわけで。
団体競技だと協調性がないので、途端に長所が隠れてしまうパターンだ。
俺から見たふたりの性格別評価は、まあそんなところだ。
俺も他人と足並みを揃えるのは苦手だし、人のことは言えないけどな。
「……弓でいい」
自分で想定してみたのか、ニニアンはそう言って納得したようだ。
「それと、これ……」
ニニアンは荷物入れから、石を削って作ったと思われる指輪を取り出した。
指輪をふたつ、俺の手に落とした。
踝を返して行こうとするので、俺は「ちょっと待った!」と引き留めた。
説明キボンヌ……。
「これはなに? 見たところ、魔力が通っているみたいだけど」
鑑定を使ってみると、『魔術障壁の指輪』と出た。
「見た通り」
「魔術に対する防御力が上がるの?」
「付与魔術を使った。昨日、指輪作ったから」
「使えって?」
「持つだけで効果はある」
言葉少なにニニアンが言うには、そういうことらしい。
驚くべきことに一夜で作ったのだろう。
俺と猫ちゃんがグースカ寝ている間に夜なべしたとか、いたたまれないんですけど。
付与魔術の媒介はそれなりの鉱物を必要とするはずだが、そこらの岩を削ってエルフの魔力で強引に付与させたみたいだ。
繊細そうな見た目に反して、力技で押し切るタイプだな。
指に通そうとしてみたが、子供の指でも無骨すぎて嵌らないし。
紐でも通して、猫ちゃんとおそろいのペンダントにでもしようか。
魔力障壁という言葉を信じれば、魔術に対して防御してくれるようだ。
「これ、回数制限はあるの?」
「一回だけ防ぐ。でも、魔力を込めれば壊れるまで何回か使える」
使い捨ての防御アイテムのようだ。
それでも不意の一回を凌げるのはありがたい。
「わかった。ありがとう。大事に使うよ」
「……そう」
お礼を言われて一瞬たじろいだように見えたが、背を向けて行ってしまった。
どことなく足取りがふらふらしているように見えたのは気のせいだろうか。
現金なもので、ニニアンに対する警戒心はほとんどなくなった。
女の子だって意識していない相手からプレゼントをもらえばちょっとは意識する。
ニニアン、いいやつ。
俺とおまえ、ともだち。
そんな感情が胸に溢れてきた。
決してバカにしているわけではない。
真面目な話、事情を抱えたパーティメンバーとして受け入れつつある。
事情を言い出せば、俺だってニニアンに言えないことを無数に抱えているのだからお互い様だ。
ニニアンの短いスカートの奥が気になって仕方ないとか、むっちりしたふとももに目が奪われるとか、口が裂けても言えない。
猫ちゃんのように、もっと自然に気を許してもいいのかもしれない。
無邪気に甘えられればいいのだが、精神年齢に引っ張られ、悲しいかな肉体年齢には戻れないのだ。
ある意味で精神年齢は低いが、それはセクハラになるので自重しよう。
移動の前に猫ちゃんの首にペンダントを付けておいた。
この先何があるかわからないし。
猫ちゃんは首から提げたペンダントを嬉しそうに、矯めつ眇めつ眺めていた。
アクセサリーが好きなところは、やはり女の子だ。
猫ちゃん着飾りてーと本気で思う今日この頃。
単眼のサイクロプスが数体で移動しているところに出くわした。
この階層の巨人たちは魔力を秘めた岩石を喰らっているせいか、皮膚が岩のように固く岩のような色をしている。
トロールは毛むくじゃらで、オーガは皮膚が赤くサイみたいな鎧になっているものの硬さは一緒だ。
サイクロプスの群れの中でただ一体だけ色が違った。
いままで見たことのない赤黒い色をしている。
そして纏う魔力も他とは一線を画していた。
これはちょっと気を引き締めたほうがいいかもしれない。
「相手はサイクロプスだけど、一番奥は注意。目が弱点だから、ニニアン、お願い。連携して仕留めるよ」
「連携」
ニニアンがぐっと拳を固めたように見えた。
気合が入っているならそれに越したことはない。
味方を撃たないでくれれば、もう言うことはないのだ。
三矢、ニニアンが放った。
空気を切り裂いて俺と猫ちゃんの頭上を越えていく。
こちらに気づいて向かってきたサイクロプス三体の目に、ニニアンの矢は魔力障壁を貫いて必中した。
「グガアアアアアッ!」
腹の底に響くような絶叫を上げて、先頭の三体が崩れ落ちた。
仲間を踏みつけにして、二体こちらに迫ってくる。
猫ちゃんが最初にサイクロプスに辿り着き、「んにゃ!」と渾身を込めた猫パンチを膝小僧にぶつけていく。
猫ちゃんのパンチは巨大なハンマーで殴りつけたような威力だ。
以前、山賊に囲まれて猫ちゃんが猫パンチで撃退したことがあったが、いまやったら人の体に風穴が空いてしまう。
猫ちゃんが相手を見て手加減などできるわけもないので、おいそれとけしかけることができなくなってしまったな……。
膝を破壊されてバランスを崩したサイクロプスの胴体に、トンと触れることで倒す。
外見は何の傷もないが、中身はミキサーにかけたようになっているはずだ。
サイクロプスの巨大な一つ目がぐるんと回り、その場に崩れ落ちた。
振り下ろされる腕を避けて、猫ちゃんは器用に巨人の体を登った。
頭蓋を必殺猫パンチで打ち抜くと、ぐわんと揺れた巨人は糸の切れたマリオネットのように傾いだ。
頭蓋が凹んだサイクロプスが倒れ、残るは赤いサイクロプス一体だ。
ニニアンが言われずとも矢を放つ。
光を纏ってサイクロプスの目を穿つが、寸前で魔力障壁に阻まれた。
いままでにない防御力があるようだ。
「俺が障壁を破る。猫ちゃんはその後を攻撃。ニニアンも猫ちゃんに合わせて同時攻撃!」
「にゃ!」
「……ああ」
指示を飛ばしながら、魔力を練る。
俺ひとり飛び出したところで、赤いサイクロプスの棍棒がとんでもなく速いスピードで振り抜かれた。
「なっ!」
他のサイクロプスとは桁違いの速さだ。
咄嗟に防御に回した魔力だが、衝撃までは殺せず、俺は横に吹っ飛んだ。
「アルー!」
俺は大岩に叩きつけられ、岩の向こう側に転がり落ちた。
猫ちゃんが赤いサイクロプスの前に晒される。
もう一度棍棒を振り上げた。
しかし違和感があったのだろう、赤いサイクロプスは目を棍棒の先に向けた。
棍棒は真ん中からなくなっている。
「残念でした……転んでもただでは起きないってね」
俺は岩を登り、立ち上がった。
ニニアンからもらったペンダントは魔術を防御してくれるだけのようで、肉体攻撃はオールスルーらしい。
もらってすぐに使い切るのはあれだが、防いでほしかったと思うのはわがままだろうか。
前フリってあるじゃん。
「“雷撃”」
空気が爆ぜる。
赤いサイクロプスは、眩しそうに単眼を覆う瞼を細めた。
その一瞬の隙をついて、間合いを一気に詰める。
魔力障壁を掌底で破壊し、ついでに腹部にパンチを置き土産。
「猫ちゃん、パンチ! ニニアン、目を狙っ――ッ!」
言い切る前に矢が飛んできた。
空中で反転する俺のすぐ横を掠めて、赤いサイクロプスの目に深々と刺さった。
サイクロプスはぐらりと仰向けに傾ぎ、そのままぶっ倒れて二度と立ち上がらなかった。
「おいぃぃぃぃ! 俺に当たりそうだったんですけどぉぉぉ!」
さっきまでの良い流れはどこ行った?
「倒せたんだから問題ない」
「それ最初に逆戻りだからぁぁぁぁ!」
そういう前フリじゃなかった……。
押すな押すなじゃないんだよう。
ジェラード・ジオは渋い顔をして、戦闘を見つめていた。
虫系の魔物を相手に軍隊は善戦している。
地上の戦闘が嘘のように犠牲者もほとんど出ない。
はっきり言って雑魚である。
その辺の街道に現れては、冒険者に討伐されるレベルだ。
スキュラが恐ろしく強い魔物だったので警戒していたが、一階層は何事もなく攻略できている。
「順調のようですね」
隣に見たくない顔が現れた。
この部隊の中で、唯一ジオ将軍に気軽に話しかけてくる女性だ。
ヴィルタリア・クラウス嬢。
王都から派遣された、迷宮攻略の見届け人である。
三十路を過ぎているが、まだ未婚である。
ぎゅっと詰めた髪、きゅっと結んだ唇。
鋭角な眼鏡の奥に覗く突き刺すような眼差し。
そのすべてから神経質そうな気配を感じる。
「戦闘が楽になったのは、スキュラがいなくなったからでしょう。この一階層の最強の魔物だったのでしょうな」
「これなら最下層まで十分に兵を保っていられますわね」
「障害がなければ、そうなりましょうなあ」
そんなことは百にひとつもありはしないだろう。
何かがスキュラを追い出した。
それは一階層にはおらず、おそらく下層へと降りた。
その存在とはどこかで遭遇することになるだろうか。
ジオ将軍の中には、それだけが懸念としてあった。
おそらく生半な魔物は下の階層にはいない。
それに加えて、正体不明の存在である。
それが人族で、有名な冒険者ならばいいのだが。
新しくできた迷宮へ挑んだ冒険者で、ろくに入り口にも辿り着けない連中が多かった。
挑戦した連中に迷宮へ辿り着くほどの実力を備えた者がいるだろうか?
それなりに名を馳せた冒険者たちが道すがら軍隊に救助されるところを見てきただけあって可能性は低かったが、決していないわけではないだろう。
こちらの味方になってくれる冒険者よりか、得体の知れない魔物が魔力を求めて迷宮へ潜り、最下層を目指していると考えるほうがよほど正解に近いのかもしれない。
人は都合のいい方に考えてしまうことが多々ある。
今回もそれかもしれなかった。
「とにかく、我々は気を引き締めて進むだけです。危険種と遭遇しないことを祈りましょう」
「大丈夫です。音に聞こえた軍隊の方々なら、必ずや困難を突破されることでしょう」
クラウス嬢の濁った瞳では、この迷宮は攻略しやすいように見えているのかもしれない。
「おじい様」
赤毛の女がふらりと目の前に現れた。
この部隊でジオ将軍に気さくに話しかけられる人間は、実はもうひとりいた。
それが目の前の女だ。
ため息を飲み込み、ジオ将軍は迷宮の広大な天井を見つめた。
「……ゾーラか」
「この階層に大した魔物はいませんわ。早く下層へ通じる道を見つけるべきですわ、おじい様」
「おまえまで言うか、ゾーラ……」
ゾーラ・ミステル。
赤毛の成人女性が、ジオ将軍に向けて無邪気に笑いかける。
彼女はジオ将軍の孫に当たる。
ゾーラから見れば義祖父だった。
直接の血縁はない。
ゾーラは結婚していたが、ジオ将軍の孫にあたる彼女の夫は戦場で死んでいた。
ゾーラは二十歳にして未亡人になった。
子もできなかったので、彼女は嫁いだミステル家で宙ぶらりんな存在になっていた。
以前から魔術師としての才能を感じており、ジオ将軍は手元に置くことを望んだ。
本人も再婚より魔術師に生きることを選んだのだ。
お転婆な性格で、家の中で着飾って生きるより、草原を駆ける馬上を好む性格だったのだ。
ジオ将軍はゾーラを王都魔術師団に推薦しただけだ。
貴族出身の女の身で当初は苦戦していたようだが、数年で実力が評価され、十年経った今、二つ名を貰い受けるまでに成長した。
ゾーラはクラウス嬢に目を留め、貴族の礼節を取った。
クラウス嬢もスカートをつまんで、それに答える。
三十路を過ぎたこのふたりが出会ってしまったことを、ジオ将軍は後悔することになる。
彼女らはたった一日で意気投合してしまった。
お互いの家柄など関係なしに。
ゾーラは知らないのだ。
ジオ将軍はこの迷宮攻略が失敗に終わることを目的としていることを。
クラウス嬢の一派とは、政敵の関係にあることを……。
クラウス嬢を王都へ無事に送り届けるというのも、後ろめたい気持ちがあるからに他ならない。
王都の面倒な派閥争いに、軍人気質の自分が否応なく巻き込まれている。
しかしジオ将軍は、その余波に何も知らない女ふたりを巻き込むつもりはなかった。
娘を頼むと、クラウス嬢の祖父、クラウス氏から直接頼まれた。
その実政敵だというのに、目の届かないところで殺されてもおかしくないというのに、弱点を曝け出すような真似までしてひとりの男が孫娘を自分に預けたのだ。
昔馴染だったこともあって、その信頼には死んでも報いたかった。
「ふぅ……」
果たして何層まで、この陰鬱とした世界は続いているのだろうか。
ジオ将軍はどこまでも高い天井を見上げ、誰もいなくなった途端、疲労を滲ませたため息を吐いた。




