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その子、哀史(あいし)にあらず

作者: 竜門やよい

「市で買った奴隷なんだ。」

そういって自分の妻と子に自分を紹介する男。

市で買った奴隷、それがここでの俺の身分だった。

自分を見る周りの目は冷たく、さげすみ、見下す視線が怖かった。


「お腹がすいた?だからなんだって言うの。ここにはあんたにあげるものなんかないんだよ!」


女主人に怒鳴りつけられ、仕方なくその場を後にする。

空腹のためか自然と足元がふらつく。


「ずうずうしいんだよ、お前は!」

「ろくな働きしないくせによ!」


勢いよく突き飛ばされる。

そのまま棒で叩かれる。

足や腕から血が出る。

それでも彼らはやめようとしない。



(泣くもんか・・・・・・。)



誰も助けてくれないことはわかっていた。

それは自分が奴隷だから。

この行為を止める者は誰もいない。

しだいに痛みが体中に広がる。意識が朦朧としてくる。


「隠さなくてもわかっているのよ!あれは貴方の子でしょ?どこの馬の骨ともわからない女に産ませた・・・卑しい子供!」


言い争う声。

あれはいつだったか、ここに来て間もない頃に聞いてしまった主人たちと会話。

あの人が、ご主人様が実の父だということは薄々気づいていた。

どんな子供にも父と母はいる。

だが、自分にはいないに等しかった。

ここに連れてきたのは父ではなく自分の主人だ。

母にしても生きているのか死んでいるのかわからない。

確かめることさえできない。

一言聞けばいいのだろうが、はたしてあの人は教えてくれるのだろうか。



「なにしてるんだ!起きろ!まだ庭の掃除が終わってないだろう!」



気がつくと全身水浸しだった。

顔をあげるとものすごい剣幕をした奴隷頭がいた。

再度怒鳴りつけられ、乱暴に首根っこをつかまれると引きずられるように連れて行かれる。そうだ、自分は奴隷なんだ。父も母もいない、自由のない、家畜としてしかその身を保障されない。言葉を話す家畜なんだ。


だから考えてはいけない。


いないのだ、始めから父や母などは自分にはいない。

そう考えることが一番自分にとって楽だった。

ふらつく体で箒を持つと庭の掃き掃除に取り掛かった。




年月が流れても変わることのない己の苦境。



「これは貴相だ!まちがいない。おぬしは将来出世し、官位は大名まで登るだろう!」



屋敷に来た人相見が、自分を見てそんなことを言った時正直呆れてしまった。



奴隷の身分の自分が出世する?

実の父にも子として認められないような人間が?

他愛のない暮らしでさえ主人に決められるような身の上のものが?

みんな笑っていた。

奴隷に官位がもらえるものか、そういって笑っていた。


ただ、あの人だけは目線を下に下げたままこちらを見ようともしなかった。

官位など要らない。

出世などしなくていい。

富をなど欲しくない。

主人たちに鞭で叩かれないのならそれだけで十分だ。

望むとすれば「安らぎ」が欲しかった。






「そう・・・思っていたのです。」


庭に咲き誇る花々を見ながら一人の男が呟く。

ここは後宮のとある一室。

後宮とは皇帝の妻たちがいる場所であり、皇帝以外は立ち入ることを禁じられているのだが・・・・・・。

()(せい)。」

布のすれる音とともに奥から美しく着飾った女性が現れた。彼女はゆっくりと歩きながら彼の横にいく。

「私もそうです。もう・・・会えないと思っていました。」

「姉上・・・・いえ、衛夫人。」

「阿青、姉上でいいのですよ。人はいませんから。」

「いいえ、立場は・・・身分ははっきりさせねばなりません。」

「では・・・命じます。今だけは姉上と呼びなさい。」


その言葉に視線を彼女へと移す。そこには優しくも暖かい笑みがあった。






運命とは不思議なものだ。

ある日屋敷に都から使者がきた。

はっきり言って都から使者が来るほどの家柄ではない。

そのため屋敷中は大騒ぎになった。

そんな鄭家の人間をよそに使者は自分の姿を見つけるなり、真っ先に駆け寄るといきなりみんなのいる前で恭しく頭を下げながら言ったのだ。



「衛青様でございますね?貴方様の姉君、衛夫人ならびにお母上様の命でお迎えに仕りました。」



驚く自分と周囲をよそに使者は意外な事実を告げた。


自分には父親以外に母と兄と姉の肉親がいて、実の姉・衛子夫が皇帝の寵愛を受けているというのだ。

その衛市夫の母である衛媼の命で自分を迎えに来たと言うのだ。

突然のことに混乱する衛青に使者はこうなったいきさつを話し始めた。

皇帝の寵愛を受けるようになったことにより裕福になった衛家。

幸せな日々を過ごす中で母・衛媼には気がかりなことがあった。

それは幼い頃に生き別れた衛青のことだった。

父である鄭季に売り渡されて以来十数年、生死すらわからない息子のことをずっと心配していたのだ。

いつか生きて会える日を信じて。

そんな中で幼い頃に売られた息子が北の辺境で匈奴と境を接する土地で放牧の仕事をしていると聞き、いてもたってもいられず衛青買い戻すために彼らをよこしたのだというのだ。この事実に衛青は驚くしかなかったがその反面で嬉しかった。

自分は一人ではなかった。

自分を思ってくれる肉親がいたのだ。

会いたい、その人たちに会いたい。

家族に会いたい・・・!こうして衛青は母親や姉が待つ都に行くこととなったのだ。






「貴方には随分苦労をかけたわね。」

「そんなことありません。むしろ私のせいで姉上のお心を痛めさせてしまいました。」

衛青は知っていた。自分のせいで姉が陰口を叩かれていたことを。



“姉の威光で将軍になった奴隷男”


“色香で弟の位を得た奴隷女”



身分が低いことからさげすむ目で見られ、学がないからと馬鹿にされたこともあった。

心無いことを言われて傷つく姉を見るたびに悲しかった。

姉にだけは迷惑はかけたくなかった。

いつか姉上の、そして陛下の役に立ちたかった。



「動いた。」



声を上げる彼女に衛青の意識はそちらに向けられた。

白く細い手は大きくなったお腹をさすっていた。

懐妊した姉。

男子誕生に期待を寄せる陛下。

この子は幸せになるだろう。

たとえ男児でなくとも陛下はきっと子のこの誕生を喜んでくれるだろう。

ふと衛青は思う。


私の時もこうして父母は喜んでくれたのか。


あれから父とは会っていない。


そんな衛青の心情を読み取ったのか、衛夫人は彼の手をとるとそっと自分のお腹にあてながら言った。


「大丈夫です。この子には私達のような思いはさせません。」


寂しい思いは、つらい思いはさせない。姉の突然の申し出にしばし衛青は目を見開いた。



「はい・・・私からもお願いします、姉上。」


父がいて子がいる。

母がいて子がいる。

そんな当たり前の幸せがうらやましかったあの頃。




願わくば・・・・生まれてくるすべての子供に安らぎが約束されるそんな国になるように。




元光6年(前129年)衛青は車騎将軍任命される。

漢王朝始まって以来初の万里の長城を越えた将軍として、匈奴を打ち破ぶり勝利した将軍として中国全土にその名を轟かせるのだった。

かつて、奴隷として辛酸(しんさん)をなめた少年は、万里の長城を越えて匈奴に勝利した将軍・衛青として、漢帝国にその名を(とどろ)かせる英雄となった。


前漢の英雄・衛青について書いてみました。

下級層から、大将軍にまでなった男の視点から、家族愛的なものについて書いてみました(苦笑)


このお話で表現したかったのは、衛青が、肉親である姉の子に対して、「自分のような苦労をしないように」という願いを込めている姿です。すべての子供が、親からの愛情を受けれるようにと。

ちなみに、題名に使った「哀史」という言葉は、逆境のなかで、一族などが滅亡するという意味ですが、あえて否定してみました。個人的に、衛青の人生が、「哀史」というものではなかったと思いますので・・・。

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― 新着の感想 ―
[一言] 最後の決意とは裏腹な衛皇后母子(この時点では衛夫人か)の最期を思うと複雑ですね。 良かったです。
[良い点] 身分が絶対的に固定されているようで、実は大逆転もありうる、 古代中国の不可思議さがよく表現されたお話だと思います。 肉親の身勝手さで奴隷に落とされる場合もあれば、 また肉親の愛情で高官に…
[一言] これだけのスケールのものをこの文字数だと、あらすじにみえてもったいない気がしました。短編にするのならお姉さんの懐妊したシーンに重点を置くとか、奴隷時代を詳しくほりさげるとか一点に絞ったほうが…
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